第12話 杏子
屋上に一人で戻ると、そこにはもう誰もいなかった。
取り残されたように、天体望遠鏡と三脚に固定した、俺のカメラだけが屋上の出入り口の扉の上にある、蛍光灯に照らされていた。
天体の動きの月食、恋愛の話、今日は何か不思議な一日だった…………。
自分も下に戻ろうとした、その時、誰かが階段をのぼってくる、気配があった。
杏子だった。
「どうしたの?」
「林田先輩に訊いたら、ここだって、言ってましたから…………」
手には青いスポーツバッグ。
先輩、今日あまり食べてなかったですよね? だからね、これ……」
杏子は淡いピンクのハンカチの包みをとりだし、軽く持ちあげた。
「サンドイッチ! ……もし良かったら……、食べてください!
……でも、冷蔵庫に入れてたから、少し冷たいかもしれないですけれど。
…………。
私ね、今日ね、あまり食べなかったから……あまった、わたしの、残りものだけれど……」
そう言って杏子はちょっとうつむいた。
それは科学準備室にある天文部専用の冷蔵庫でフィルムなどが保存されているが、天体観測の日には、天文部員の缶ジュースなども冷やしていた。
その準備室に普段は天体望遠鏡やその他の機材も保管している。
手摺にを背もたれに足の上で、淡いピンク色のハンカチを開いて見ると、残り物なんかではなく、それだけで、きちんと作られたものだった。
しかも丁寧に作ったのだろう、パンは綺麗に切りそろえられているのが蛍光灯の白い明かりにはっきりと分かった。
「あと、これも……」
それは、パック入りのコーヒー牛乳だった。
………。
「これ、残りモノなんかじゃないよね?
もしかして、俺の、ために?」
「……う、ん……」
…………。
立ったままの、杏子は、そのまま下を向いた。
顔が赤くなっているのが、わかった。
「ちょっと待ってて、虫が飛んで来るから、電気消してくる」
でも本当は、そうでは無かった。
俺も照れたような顔を見られてしまうのが、恥かしい。
今の、この時間に蛍光灯の人工的で眩しい灯りが似合わない、そんな気分でもあった。
今は月の光と、街からの明かりだけで充分だった…………。
遠く工業地帯の明かりが、煙突からの煙、その上を漂い始めた雲をオレンジ色に染めている。
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