第5話 COLOR「母」

翌日から、僕らは東京に戻り、また普通の生活が始まった。



僕らは相変わらずサークルにはなじめずにいたが、それでも卒業までいくつものイベントを手掛け、成功や失敗を繰り返し、それなりに楽しく過ごした。


そして、タクトはカノンと同棲するようになっていた。


一緒に暮らすと家賃が助かる、っていう理由で、お互いの両親にも紹介した上で住むようになったとタクトは言っていた。

本当のところは、タクトのことだから、将来のことを見据えて一緒に暮らすことにしたんだろう、と僕は思っていた。


そしてタクトは法科大学院に進み、カノンは銀行への就職が決まった。


気付くといつの間にかタクトとカノンの色に変化が見えるようになった。二人が一緒にいる時だけコバルトグリーンのような深い緑色が見えるようになった。一人ひとりの色はこれまでと変わらなかったのに。


一人じゃ作れない色を二人で作ったってことか?

僕にとってそれは初めての体験だった。

なぜそうなったのか、僕には良くわからなかったけど、それを微笑ましく、同時に妬ましく思うようになった。二人の関係が特別なものであるという証明のように思えたから。


大学の仲間たちが社会生活に向けた準備を始め、タクトたちも新しい生活を始めたというのに、僕は、携帯電話の販売会社から内定をもらいつつも、これからどうすればいいかわからず、ただ迷っていた。いわゆる、モラトリアムっていうやっかいなやつにすっかり囚われてしまったようだった。


自分を採用してくれた企業があったのはありがたかったが、大学生活同じく、体が熱くなるような目標や、時間を忘れてでも取り組みたいものは何も見つからず、ただ将来への不安だけが募っていた。


このまま流されていくしかないのか、と諦めかけていたころ、母が病気になってしまった。 それは突然のことだった。


母は僕には何の病気か、どんな状況かは全く教えてくれなかったが、しばらく通院が必要になったとだけ僕に伝えてきた。


母の色が、日に日にオレンジから、黄色、黄色からクリーム色、クリーム色から茶色、と変わっていくのを見ながら、僕は母の弱っていく様を感じていた。


それでも母は普段通り僕と一緒に家で過ごし、いつものように家の世話を焼いてくれた。

母親にはすべてがお見通しだった。

僕が気づいていることも含めて、全部。


夕食の後、改まって母が僕に話しかけてきた。

「一つだけ謝まりたいことがあるんだ。」

母は申し訳なさそうな顔をしていた。


「レントが小さかった頃、路地裏を指さして『あの人何してるの?』って聞いてきたの覚えてる?」

「あの時、すごく嫌な顔をしちゃったの。」


「ゴメンね。嫌な思いさせちゃったかなって。」


そんなこと覚えていたのか、と僕は驚いた。

「そんなことあったっけな、、、。」

僕はとぼけた。


「あれはね。気味が悪かったからではなくて、私と同じものが見えちゃったってわかったから驚いちゃったの。で、怖くなって。」


僕は、椅子から転げ落ちそうになった。

こんな目の前に一番の理解者がいたなんて、今まで気づきもしなかった。


母は話を続けた。


「この子はきっと私のようにつらい思いをしちゃうかもしれないって思ったの。」

だから見たこともないような嫌な顔をしたってことか。


「私がこの話をしたのはあなたが二人目。」

「一人目はお父さん。」


「ね、お父さんは、最初は理解ある感じだったけど、途中から気味が悪くなっちゃったみたいで、色々と話しあったんだけど、結局家を出て行っちゃったの。ごめんね。全部私のせいだったの。」


「それにね、お父さんはね、あなたにも私と同じものが見えていることに気づいてしまったの。私と同じ行動をとっていたから。」

「あ、決してあなたのせいで、お父さんは出て行ったんじゃないからね。お父さんはあなたのことが大好きだったから離れたくないとは思っていたのよ。」


母は一息ついてから話を続けた。

「そしてあなたは今私がどういう状態かも見えている。でしょ?」


「うん、、、。」

僕は初めて母親に打ち明けた。


母は悲しそうな目で僕を見た。


僕は何と言っていいかわからなくなり、タクトの話をした。

タクトの妹を見に交差点に行ったこと、妹がブランコで楽しそうにしていた話をした。


母はその話をじっと聞いてくれた。


「そう。」

「それはいいことしたわね。」


「いいこと?」


「うん。」

「その女の子ね、やっと自分が生きていないことに気づくことができたんだと思う。あなたに会えたことで。」


「なんで?」


「その子は、気付いて、気付いてって、ブランコに乗っていたね。もう10年以上も。」

「お兄ちゃん、私元気だよ。お父さん、お母さん、私ここにいるよ、だから悲しまないでって。」


「お兄ちゃん、明日も一緒に学校に行こうって言ってたんだと思うの。」


「あなたにはその子の服の色が見えたって言ってたでしょ。」

「それって最初からじゃなかったはずだけど。」


思えば最初はいつもの影のような存在だったようだった。

僕がブランコの方を見ていたら、段々色が見えてきたようだった。


「だから、もう天国に行っているはず。きっと大丈夫。」


「本当?お母さん。」


「たぶんね。私にもはっきりはわからないけど。」

「長いこと色んなもの見てきたからね。私の言うことは信じてもいいと思うけど?」

母は少し笑った。


そうか。僕の世界で一番の理解者は母だったんだ。僕は改めてそれを確信した。

それをわかった上で、ずっと僕を愛し、理解してくれていたんだ。


こんなタイミングでそのことに気付くなんて遅すぎだろ。

僕はもうどうすればいいのかわからなくなってしまった。


「お母さん、僕はこれからどうすればいいと思う?」

僕は母に色々と教えてもらわないといけない、と思った。


「そうね。どうかしら。」

「でも、私も病気だけはどうすることもできないと思う。」

「ごめんね、レント。」

お母さんの目から涙がこぼれてきた。


「でもあなたはきっと一人でもやっていける。あなたにしかできないことを良く考えて。」


「きっと、あなたなら世界を変えることだって。」

そう言いながら、僕の頭をやさしく撫でた。

僕は、まるで小学生の少年のように、母に依存し、甘え、無力な生き物になった。

僕も涙が止まらなくなった。


「きっと大丈夫。あなたなら。これまでも知らないうちにたくさんの人の力になってきたはず。そして、これからはもっとね。」


次の日の朝、母は僕が呼んだ救急車で病院に運ばれていった。

そして、翌週には、あっけなくこの世からいなくなってしまった。

あっけなく、そして跡形もなく。


どこを探しても、僕には母の姿を見つけることはできなかった。

やりきれなく悲しいことだったが、母の言っていた通り、それは「天国に行った」という証拠なのだと、僕は思うことにした。


でもそう思おうとしても、僕は苦しくて仕方がなかった。


そして、母のいない生活が始まった。それは呆然とするくらい、自分が母に依存して生きてきたことに気づかされる日々だった。

生活の面だけではなく、心の面も含めて、全部がそうだった。


いつも家にいてくれた母。僕の面倒を見てくれていた母。


思えばそれは不思議なことだった。

母の両親はとうに亡くなり、父とも連絡が途絶えていたはずだった。


どうやって僕を育てて来たのか。

この家はどうやって建てたのか。

私立大学の学費や塾代はどうやって払ってくれていたのか、、、。

母が遺してくれたお金は、数年間は何もしないで暮らせるくらい、十分にあった。


わからないことだらけではあったが、それを追求することもなく、僕は何もする気が起きなくなってしまった。


何かしなければならないと頭では思いつつも、何もできなかった。


「人の力になって。」という母の言葉を体現するどころか、僕は母の助けに飢えていた。そんな自分が嫌になり、生きて行くことも嫌になった。


僕は、母のところに行こうと思った。

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