一章『捨て猫むすめ、雨ざらし。』 その2

その2       

    

「はあ……」    

 毎度毎度思うのだが、「ため息をつくと幸せが逃げる」とはよく言うけども、そもそもため息をついてる時点で幸せもヘッタクレも無いのではないだろうか。

これは、稀代きだいの引きこもりである水野智文みずのともふみが弱冠十二歳の時に気づいてしまった真理である。以来俺の中では、ため息をつくと幸せが逃げるのではなく、ため息をつかなければ幸せなのだ。という超ポジティブシンキング論がまかり通っている。あ、まかり通るのはダメか。あれ?もういいや、日本語って大変。そりゃ人口も減るわけだよ。

「はあぁ……」

 リビングのソファに寝転がりながらそんなことを考えているのに、俺は再度ため息をついてしまう。いやん、俺って不幸。

 爆音BGMスピーカーとなった掃除機が、余計に俺を悲しくさせる。

「この部屋は終わりました」

 と思ったら、何事もなかったかのようにストップ。余韻も何もない。掃除機にそんなもの求めてないが。

 それにしても、制服を着た女子が我が家で掃除している光景など、夢でも見たことがない。たまに莉子が来ることはあっても、基本玄関から先には入ってこないし。

「ため息が多かったみたいですけど」

「え?あぁー……それは」

 参ったな。てっきり掃除機の音で聞こえてるとは思わなかった。

「いや、別に1日目から家の大掃除が始まったことに対してとか、一旦邪魔な家具を退けるために俺の部屋が物置になったことに対してとか……そういうことに対してのじゃないから大丈夫。気にしないでいいよ」

 まあ、ホントのこと言うわけないよね。ちょっと匂わせるくらいに言うのが策士ってもんさ。

「あ、いえ……ため息は身体にいいことです。自律神経のバランスを整える働きがあるという話を聞いたことがありますので」

「……」

「身体は資本。私もお掃除頑張りますね」

「……ふぁいと」

「はい!」

 ゴロゴロと掃除機を引いて居間から出ていく雨野さん。お次の戦場は、これから彼女が使う予定となっている部屋だ。

 一応雨野さんの尊厳のためにフォローしておくと、これは別に彼女の煽りスキルが高すぎるのではなく、本当にいい子というだけだ。ほら、俺の言葉もその影響を受けて、心なしか丸っぽい感じになったし。

 うん。やっぱため息は良くないな。なんかどんどん心が黒く染まっていくような気がする。

 

 水野智文と雨野蛍子の共同生活が始まってまずは1日目。昨日の出来事から一晩が経った今日は土曜日。相変わらずの雨に変わりはない。

 ちなみに、昨日はあの一軒の後に顔を合わせることはなかった。気恥ずかしさが半分。気まずさが半分。追加で疲労がその三倍くらい。

 しかし俺は問題ないにしても、雨晒しにされてた女の子がシャワーも浴びれないと言うのは可哀想なので、そこは家の固定電話に自分の部屋からスマホで留守電をいれるという、第三者から見たらアホなこと極まりない方法により、浴室は好きに使っていいという旨を伝えた。

 結局どうしたのかは分からないが、今こうして元気に掃除していることだし、心配はなさそうだ。服はそのまんまだが、むしろ俺が用意できてしまう方が問題だろう。とにかく、昨日は色々と疲れた。一日に二人以上の人間と会話するなんて久し振りだったしな。

「あ……そういや昨日どこで寝たんだろ」

 ふと疑問。まさか部屋の中にダンボールを敷いたわけでもあるまいし、その痕跡も見当たらない。といっても、彼女が使うと言っていた部屋はたった今掃除しているし。

 そうなると、俺がたった今こうして身体を横たわらせているソファくらいしか無いのだが。雨野さんが人の許可なく、他人の家のソファに寝転がるなどどうにも考えられない。といっても、彼女の行動は基本俺の斜め上をいくので断言はできないが。終わったことを気にしても仕方ないか。

「布団、たしか古いのがあったよな」

 さすがに二日も寝床無しじゃかわいそうだし、仕方ないからあとで探して……。

「…………はぁ」

 いかんな。

 この事態に意外と適応できてしまっている自分に対して、俺はもう一回ため息をついた。そして暇なので、もう一眠りでもしようと目を閉じたのだが、

「水野くん、あの……少しよろしいでしょうか?」

 ソファの背後、即ち居間のドアの方から雨野さんの声。

 立ち上がるのも面倒なので顔だけ出す。

「ん……?」

「今私が使わせていただく和室の掃除をしていたのですが……」

「うん、それがどうか……」

 と、そこまで言いかけて彼女の言いたいことを察する。

「仏壇か」

「はい……すいません。掃除してる途中、押入れを開けたら見つけてしまって」

「ああ、もし嫌ならどかすけど」

 小さいものだし、大した労働でもない。

「いえ、嫌とかでは無いんですが……いいのでしょうか?その、私が勝手に言ったこととはいえ、あの部屋を使ってしまっても」

 なるほど、雨野さんは要するに、あの埃だらけになっていた部屋を何か特別な場所だと思ってるのか。

「いや、母さん死んだの結構前だから気にしなくていいよ。単に部屋が余ってたからあそこに置いてただけし」

 俺はもう一度涅槃の体勢になり、右手だけをひらひらとソファの上から出して振ってみせる。

「……」

 あれ、返事がない。

 もう一度顔を上げ、ドアの方に……

「うわっ!」

 いつの間に接近したのか。超至近距離で待ち伏せしていたかのように屈んだ彼女、その顔面。危うくソファから落ちるとこだった。

「駄目ですよ」

「は?」

 そこからすっと姿勢を伸ばす雨野さん。必然的に見下ろされる俺。つくづく上下関係が分からない。

「何が駄目なのさ」

「お仏壇は置くためにあるのではありません。故人を悼み、弔うためにあるものです」

 置いてただけ、という言葉が気に障ったのか。今回はしっかりと見下されてる。目がガチだ。

「どうしたんだ急に」

「お経を読んだことは?」

「ナムアミダブツ。ほら、今読ん……ごめんて」

 そんな目をしないでくれ。人がウ○コ流し忘れた便器に向けるのと同じ目だぞそれは。

「動かしましょう、ここに」

「それはつまり、居間に仏壇を置くってこと?」

「はい。少なくとも、埃だらけにしていいものでもないでしょう」

 マジか。たしかに動かすのはそこまで苦じゃないし、言ってることも最もなんだけど。

「異論はありますか?水野くん」

「お好きにどうぞ……」

 なにより彼女の性格に驚いてしまう。昨日までの雨野蛍子というクラスメイトの印象といえば、無口無表情のクールビューティ。他人には無関心で、やることを淡々とこなす優等生だった。なのにどうだこれは、

「ありがとうございます」

 口調こそ慎ましく、決して大きな声は出さないものの、言いたいことは言う。俺とは真逆かな。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「でもさ、好きにしろとは言ったけどさ」

「はい」

「マジでここに置くのかよ」

「はい」

 同じ言葉なのに、ニュアンスの違いはしっかりと伝わる。

 けど、それにしたって……

「さすがにテーブルの一辺を仏壇に譲るというのは……なんというか」

 雨野さんが新しく拵えた我が母の遺影、その在処は、まさかまさかの食卓。

 長方形というごくありふれた形状をした食卓。つまりは当然辺の数は四つしかないのだが、その一つがたった今さっき、故人のものとなった。使ってないカラーボックスを台座にして、遺影の中の笑顔が輝いている。

「お誕生日席?」

「水野くん、不謹慎ですよ」

「いやいや……」

 ここまでくれば、彼女の判断自体が新手のブラックジョークだと疑う者が出てきてもおかしくないだろう。

団欒だんらんです」

儀式ぎしきだよこれはもう」

 やけに満足気な雨野さん。

「家族じゃないですか」

「もう死んでるって」

やれやれ、真面目なんだかギャグなんだか。どちらにせよ、悪意はなさそうだから許せるのだが。

「大切な、家族じゃないですか」

「……?」

 突然、声のトーンというか……少し変化したような……

「……では、私は引き続きお部屋の掃除に戻りますね。何かあったら遠慮なくお声がけください」

 いや、気のせいだったか。

「……どっちが家主だっての」

 俺のツッコミが聞こえたのかは分からないが、彼女は足早に元の作業へと戻って行く。

「何でもない……よな」

 どうにもぬぐえない違和感。それを振り払うように母さん、仏壇を見る。

「……まあ」

 たしかに押入れの中よりかは居心地もいいか。

そんなことを心の中で一人呟き、とりあえずはよしとした。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 事が起きたのは、雲の向こうの陽も沈み、時計が夕方と言われるような時刻を示した頃だった。

 

 雨野さんによる水野宅の居候準備リフォームが一通り終え、俺の部屋に一時的にぶち込まれていた家具やら荷物やらはそれぞれ元の場所に戻された。

「ただいまーっ!」

 俺の部屋の隅、ベッドに飛び込む。枕の質感が懐かしい。

 もはやこの家は水野宅であっても俺の家にあらず。全て自分の情けなさが招いた事態とはいえ、この時すでに俺のプライペートエリアは、残酷なまでの縮小を見せていたのだ。

「はふぅ」

 落ち着くなぁ、自分の寝床ってのは。

「ふぅ……」

 天井に身体を向け、昨日今日の怒涛の二日を簡単に思い返す。

 女の子を拾って、土下座されて、同居することになって……

 すごいな。何がすごいというか、これじゃまるでラノベだ。

 『引きこもり高校生の俺が、雨に濡れた同級生美少女を拾ってしまった件。』

 こんな感じかな。そこからラブコメが始まって……あり得ないけど。

「あ、布団出してやらんと」

 そうだ。たしか予備の布団は俺の部屋の奥底にある。

「よいしょ……っと」

 恋しきベッドに癒されるのもほどほどに、再び立ち上がる。同時に、下の方から響いてきた間の抜けた音。

 そういえば、昨日の一件から何も食べてない。色々ありすぎて、それどころじゃなかった。精神が肉体を凌駕した、というやつだな。

「大学イモ……まだ平気だよな?」

 冷蔵庫で鎮座してるであろう、昨日重い足で獲得してきた特売大学イモ。惣菜で特売ということは、要するにそういうことなのだが、一日くらいなんとかなるだろう。

「まあそれは置いといて……」

 部屋のクローゼットを開け、上半身を奥へ奥へと。

「ん、これだな」

 真っ暗ながら確かな手触りを感じ、引っこ抜く。なかなか重いな。

「よっし」

 あとは、両手で大きく抱えた布団を運ぶだけだ。

 こいつを運んだら、とりあえず飯にして。当然二人で。

「…………」

 そう考えると、突然恥ずかしくなってくる。

「余計なことは考えるな……智文」

 頭を振りながら、新たな同居人の部屋、和室へと向かう。

「おーい、布団持って来たぞ」

 ふさがれた両手でノックは困難。かといって、わざわざ下ろすのも面倒。

「……?」

 しかし、出てくる気配も無ければ返事が返ってくる様子もない。元々気配を消すのが得意そうな子だけど、俺相手にする必要がない。

「おーい!あーまーのーさーん!」

 ……。

 無音。

「いないのか?」

 まさか。外出されれば気づくし、そもそも無断で何かするような彼女でもない。となると、寝てる以外には考えられないけど。

 俺は抱えた布団を下ろし、今度は扉をノックしてみる。

「おい雨野さんや、生きてるなら返事してくれ。さもないと入っちまうぞ」

 相変わらずの反応なし。

 せっかく布団を届けに来てやったというのに、あまりいい気分じゃない。

「入るからな」

 一応の警告をし、扉を開ける。

 香ってくる畳の匂いとともに目に入ったのは、畳の上でうつ伏せになっている彼女。

「なんだよ、やっぱ寝てるじゃないか。ったく、しゃあないな」

 入る直前までの苛立ちなど何処かへ飛んでいってしまったのか、俺は布団を持ち上げて室内に入る。

 ここまで無防備だと、むしろ呆れてしまう。

 布団を敷くために身体を屈め、雑が目立たない程度に皺をのばしていると、

「うっ!」

 無防備。それも制服。それはつまりスカートで。

 屈んだせいで、目の前にモロに太ももがくる。決して狙ったものじゃなくて、ほんとたまたま。タイツに肌色が少し透けているのが、またエッチというか……

「じゃばばば!」

 敷いたばかりの布団に頭突きをして、平静さを取り戻す。

 そうか……。異性と同居ってのはつまり、こういうハプニングというか……俺の男としてのモラルが試される機会も増えるのであって。逆にこの娘はなにも考えなさそうなのが、余計に辛い。

 心を無にして、布団を敷き終える。

「ふう……できた」

 明らかに労働量と合わない疲労だが、ひとまずは乗り越えた。

「さてと」

 あとは彼女を起こして布団に寝かせれば終わりだ。この様子だと、ひとまずは寝させてもいいか。飯はカップ麺でも好きな時に食べてもらえばいいさ。

「おい、ここまで近けりゃ聞こえるだろ。起きなって、布団用意したから」

 それでも反応はない。

「まるで死体だな」

 せっかく布団まで用意したのに床で寝られ続けるのもな。肩を少しつついてみる。

「山に埋めちまうぞー」

 すると、ごろんと。雨野さんの身体が仰向けに。

「ぅ……」

「うおっ!」

 そんなつもりじゃなかったから、反射で驚いてしまう。

 視線を戻すと、やたらと上気したような顔色。少し唸りながらのその態勢だと、胸の膨らみが目立って目に毒すぎ──

「っておい!」

 そんなこと考えてる場合か俺は。

 どう見たって普通の様子じゃない。よく見れば汗の量だって。

「あ、雨野さん!雨野さんってば‼︎」

 それが良いのかどうかなど知らないが、少し強めに肩をゆする。別に医療の心得があるわけじゃないが、とりあえずの不安をかき消したい。その一心だった。

「うぅ……水野……くん……」

「っ!」

 依然として苦しそうではあるものの、彼女の目が薄く開く。

 とりあえず意識はある。

「どうしたんだよ!昼までは全然平気だったじゃないか!」

「……だいじょうぶ……です」

「馬鹿!嘘つきとシェアハウスなんてゴメンだぞ俺は!」

 この時、俺の動揺は半端じゃなかったに違いない。その時脳裏に無意識に映っていた光景が原因で。

「チッ…………クソ熱いじゃねえか……」

 額に触れると、滲んだ汗とともに灼けるような熱が伝わってくる。

 その時、その熱が俺の視界を一瞬黒く──

 

──母さんっ!お母さん……!

 

「ッ!」

 しかし、それはまたすぐに俺を現実へと引き戻して。心臓の音が、動悸が、自分でも異常だと分かるくらいに。

 違う。あの時と今は違う。そう自分に言い聞かせる。

 だから、俺は慌ててスマホを取り出して、然るべき公共機関へ繋がる番号を……

「ダメ!」

「⁉︎」

 俺が操作するよりも早く、スマホの画面に覆い被さるような雨野さんの手。熱い。

 そして無理やり身体を起こしたのか、もう片方の腕と両膝で自重を支えるかのような体勢の彼女。

「ちょっ!何してるんだ!寝てろよバカっ!」

「……ダメです……!病院は……!」

 俺の焦りようから察したのだろう。病院の何がそこまで彼女を拒絶させるのか分からないが、俺の手ごとスマホを掴むその指は、とても病人の力とは思えない。

「ダメなんです……っ!それだけは……っ!」

「うっ……」

 そして、そう言う彼女の目も、とても病人から発せられるものとは思えないような、気圧されてしまうほどの。

 だが、そんなことに構ってる暇などない。

 の二の舞など、絶対にごめんだ。

「……くっ!離せっ!」

 掴まれた腕を振り上げて、その指をほどこうと試みる。

 しかし、それでも一向に彼女の手が離れる気配はなく。それはもはや執念すら感じさせる。

「だ……め………」

「うお⁉︎」

 そうして、まるで猫のような攻防を続けていた俺たちなのだが、遂に雨野さんがそのバランスを崩した。というより、エネルギーが切れたのか、そのまま身体を俺に預けるように倒れてしまった。

 するりと解ける指。かくして俺のスマホは解放されたのだが、その代わり。

「ちょ!あまっ!」

 必然的に、今度は身体全体で俺に覆いかぶさる形となってしまった。伝わる熱など、先程までとは比べ物にならない。

 ヤバい。何がヤバいって、雨野さんの体温どころか、その身体の柔らかさから心臓の音まで、言葉にできるわけがないような、口にするのも憚られるようなヤバさ。

「あまあまあまあまっ!」

 ここまでくると、どっちの体温が熱いのかも判然はんぜんとしない。

「……ない」

「え?」

 今、何か……。

「もどりたく……ない……」

……?」

 しかし、それだけ言うと、再び意識を失ってしまう雨野さん。いや、今のだって意識があったかは分からない。

 とにかく、それが原因でなぜか正気を取り戻した俺。冷静にスマホを開く。

 何に戻りたくないかなんて今はどうでもいい。

 けど、俺がとった行動。それは、どうにも救急車を呼んでしまうのはいけないというような。第三者が聞いたら激怒されるような、素人の判断。

 それでも、俺にはこの女の子。俺に身体を預けている雨野蛍子あまのけいこというクラスメイトの言葉を置き去りにすることはできなくて。

「……くそっ……」

 自分の情けなさに悪態をつきながら、『119』とは別の電話番号を打ち込んだ。

 

 

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『箱入りナデシコ梅雨目録』〜雨からはじまる恋物語〜 ぽこ村チン太郎 @PokoTin

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