一章 『捨て猫むすめ、雨ざらし。』 その1
一章『捨て猫むすめ、雨ざらし。』
その1
もしもし、俺だよオレオレ。天国の母さんへ、聞こえてますか?……あ、そうです。
……。
きっと俺の必死のテレパシーは天へと向かう途中、雨雲に遮られるまでもなく、この頭上の無機質な天井に
そして、もしこの時の俺を監視しているカメラがあったというのなら、俺はたとえそれが現在エリア51で保管されているとしても奪い取りに行く。
……とにかく、一言で言っても言わなくても俺は焦っていた。それは数十分前の自分の気まぐれに対して、それは自分が入れた緑茶のあまりの薄さに対して……そしてそれは、今俺の目の前、テーブルを挟んだ向かいに、美少女が座っているという現実に対して──
「…………」
「お茶、ありがとうございます」
「ひょえ⁉︎あ!いやむしろほぼ
見よ。これが自宅に初めて幼馴染以外の女子をあげた男の
しかし、そんな俺の惨めな姿など気にもとめず、目の前の彼女……
が、どうやらそういうことではなさそうだ。雨野さんの白い手が、優しくタオルを畳み始める。先程まで雨に
(……って、何考えてるんだ俺は!)
邪な気持ちを祓うように頭を強く振る。俺は単にこの子を保護しただけであって!いやらしいことなど一切……と、もはやこの弁明が自分のことながら見苦しすぎる。
「大丈夫ですか?」
よほど挙動不審だったのか、雨野さんが俯いた俺の顔を覗き込むように……
「何か……ありましたか?」
(ウワメヅカイッ……‼︎)
ここまでくると気分は完全に原始人だ。現在目の前で起きている何もかもが未知の領域すぎて、まさに手も足も出ない。心の声がカタカナ表記にもなるわけだぜ。
「いやいや!なんでもないですよっ!あはは……」
聞きたいことは山ほどある。ただ、そのせいでどこから手をつけていいのかが分からない。
そう、そもそもどうしてこうなったのか……そこからだ。
回想、はじめ。
……。
…………。
………………。
足元しか見てなかった俺が、なぜ彼女の存在に気づけたのか。いや、そもそも気づくなという方が無理だった。
歩道の半分近くを埋め尽くすように段ボールが置かれてたら、そりゃ顔も上げるわな。
んで、顔を上げたら
「…………」
「…………マジ?」
目が合った、というわけだ。まあ、俺はカエル
しかもこの制服、見覚えがある。それはつまり、このやたらデカい段ボールの中で窮屈そうに体育座りをしてる少女が、俺や莉子と同じ池守高校の学生だということなのだが、さっきの莉子とは雰囲気がどこか……
「……冬服?」
しかし、当然冬服は冬に着るもの。いくら寒がりでも、六月なんていう蒸れる時期に着る学生は極めて少ない。少ないというか、去年今年とと同じクラスの委員長くらいしか、俺はそんな人間知らない。
それにしてもこの美少女、どこかで……
「…………」
いやいや、いやまぁ、いやたしかに……まあ、そういえばこんな近くで見たことないし……いやでも、それにしたってそんな偶然……
「……
俺の脳が認めるよりも先に、口が動いた。あるいは、これは雨合羽パワーか……。
少しの沈黙。無理もない。俺から彼女の顔は見えていても、彼女から俺の顔は見えないのだから(ぶっちゃけ見えていても覚えられていない自信がある)。
さぞ困惑したことだろう。表情こそ一切の変化を見せなかったものの、突然通りすがりのカエル男に自分の名前を看破されたのだ。どう足掻いたって不審者だろう。
そして、彼女は困惑し、雨に打たれる頭をフル回転。しかし、結局有効な返答は思いつかず…、
「……にゃあ」
カエルへの対抗策としてネコを引っ張り出してきて……。
…………分かってるよ。そんなの俺の勝手極まりない
でもさ、自分の名前言われて「にゃあ」なんて普通返さないじゃん。変じゃんそんなの。可愛ければいいってもんじゃないじゃん。俺のが困惑してたよ絶対。
ともあれ、かといって俺がカエルの鳴き声で返すはずもなく、当然のように両者の間に流れるのは再びの沈黙。この時ほど落ちる雨粒が鮮明に見えたことはないかもしれない。
濡れた黒髪の間から覗く瞳は、見えないはずの俺の眼をぴったりと見据え……それはまるで、未だ俺の中ではファンタジー世界の生き物、いわゆる「捨て猫」をイメージさせて。
いつからここにいたかと聞けば、きっと答えは「ついさっきから」以外は無かったはずだ。俺が家を出た時にはいなくて、今はいる。少なくとも小一時間も経ってないだろう。
けれど、彼女の入った小さな箱。段ボールにしては少しだけ大きい部屋に滲んだ雨水を見ていると、この少女は、今よりずっと前からここに独りでいたような気もして──
そんなことをぼうっと考えているうちに、気がつくと俺は、右手は傘を彼女の上に、左手はフードを持ち上げていた。
この瞬間からはもう、止められなかったんだ。
誰とも関わりたくない。面倒事なんてない、悠々自適な引きこもりライフを送りたい。それはまごう事なき俺の、心の底からの望みだった。
だがどうにも……俺、水野智文の身体の方はそうもいかないようで、コイツはホント何て言うのか……下心、欲望に正直なのか……それとも単に親切なだけなのか……。
どちらにせよ。こうして回想してる今でも間に合うのなら弁明させてほしい。
散々言ってることだが俺はどうしようもなく引きこもりで、人が苦手で、そもそもクラスメイトに会いたくないからこんな雨合羽を着てるわけで。
「水野……くん?」
俺のことを覚えていたことに対し、決して驚かなかったわけじゃない。だけど何度も言うように、あの時の俺は
だから、普段の俺なら絶対にしないような、あんなことをしてしまったのだ。
「え……あ」
あんな、
「えっと…………な、何してるの?」
「なに…………やってるんでしょうね……」
「え?」
「……捨て猫ごっこ、ですよ」
「す、捨て猫……?」
「はい。だから、にゃあって……ヘンですよね」
「……」
そう言う、雨に濡れた小さな笑顔はまるで……何かを思い出させるみたいで。
「……じゃあさ…………」
あんな言葉を、言ってしまった。
「……拾ってあげるよ」
大して大きな声でも無かったのだから、いっそ雨音にかき消されてくれればよかったのに。残念ながら、そこまでの強雨ではなかった。
「え……?」
一瞬遅れて、俺は自身の口から発せられた言葉を理解した。理解し、戦慄した。普通にドン引きした。
「え……あ!いや!だからえっと……‼︎」
どんなふうに見えただろう。自分自身の発した言葉に対し、相手の反応よりも先に取り乱す人間というのは。
そして、どんな表情をしていたのだろう。
「………え?」
「……………にゃあ……」
二度目の鳴き声共に、雨合羽の裾を掴まれた、俺の顔は……。
………………。
…………。
……。
回想、おわり。
ここまで回想にかかった時間(水野智文体感)、実に約5秒。
俺は一体何がしたかったのか。
ひとまず雨野さんを家にあげた俺は、彼女が風邪をひかないようにタオルを貸し、ほとんど味の無い緑茶を淹れた。流石に着替えなどは無かったし、そこまで頭は回らなかった。ちなみに段ボールは既に雨でぐちゃぐちゃになっていたので、申し訳ないが住人共有のゴミ捨て場にて捨てさせてもらった。
幸い、ここに来るまで誰に会うこともなく、よほど騒ぎでもしない限り近隣から不審がられることも……いかん。思考が完全に誘拐犯のそれになってきている。
この部屋に住んで二年目になるが、未だかつてここまで重い空気を内部に取り込んだことなどなかった。一緒に家主の俺も胃もたれしかねない気まずさである。
こういう時普通の人間ならば「好きにくつろいでていいよ!」とか、「腹減ったりしてる?お菓子とかあるけど」とかとか、何らかの方法で客人をもてなしたりするのかもしれないが、それを今年引きこもり6周年を迎える俺に求めるのは、あまりにも酷というものだ。
よって、だんまりなう。
それしか俺に残された術はないのだ。
そうだ、カエルの種類古今東西ゲーム(個人戦)でもして気を紛らわそう。何も浮かばなくなったらまたどうすればいいのか考えればいい。よし、まずは国内からつぶしていくか……ニホンアマガエル、ハロウアマガエル、ヒメアマガエル、ヌマアマガエル……
「水野くん」
「サキシマヌマガエルッ⁉︎」
「さき……?」
「あ!サキシマヌマガエルっていうのはヌマガエル科の一つで
しまった。あまりにも急に呼ばれたもんだからつい……。
「オホン……な、なんでしょう?」
「いえ……やっぱり迷惑なようでしたら私すぐにこの家から……」
「あーっ!あーーっ!ない!迷惑じゃない‼︎だから大丈アッツ‼︎」
反射で立ち上がってしまったせいで、思い切り湯呑みを倒してしまった。既にぬるま湯と化していたが、股間にヒットしたせいで変な声が出てしまった。いや、そんなことより。
(なに言ってんだ俺はあああ!)
心の中、精神世界の奥底で叫ぶ。
自分から招いたのにとか、そういうのはもういいんだ。
当然俺にそんな殊勝なプライドなどあるはずもない。それで嫌われても構わない。そもそも学校に行ってないのだから、俺は俺のことだけを考えていればいいのに──。
突然の大声と勢いにさすがに驚いたのだろう。雨野さんが目を大きく開けて静止画像のようになっていた。嗚呼、可能ならそのままドッグ&ドロップして莉子の家に転送してしまいたい。
(けど、まあ……)
たしかに、状況としては明らかにただ事じゃない感じだし。
(ひとまずは腹括るしかないか……)
濡れた股間を机の下に隠し、まずは一息。
「雨野さん」
「?」
「まずは、その……急に家に呼ばれて、内心若干引いたりしてたらマジでごめん。あれは本当に親切心というか……」
俺の本心ではないというか。というのは飲み込む。だが、
「いえ、助かりました。雨は……冷たいので」
「あ、あらそう?」
彼女の声は静かで淡々としていながらも、ものすごく凛とした声で、どうにも調子を狂わせられる。
「ま、まあそれで……その、君がどうしてあんな所にいたのかとか、そういうのは別に言わなくてもいい。ただ、その……」
言葉が続かない。言いたいことは決まってるのに、顔が自然と下を向いてしまう。
──気持ちが落ち着いたらすぐに出て行って欲しい。
別に世間的に見ても至極当然といえる要求が、やっぱりなにかの壁が邪魔をして食道あたりで止まってしまう。
くそ、やっぱり今日の俺はどうかして──
「水野くん……っ!」
「え?まだ俺喋って……って、あれ?」
視線を戻すと、そこには黒いタイツがスカートの中で、それはまるで夜空のように……されど暗すぎるその世界に、月のようなパンツの銀光は見えず……いや、でもここまできたらもはやパンツと同義のものとして扱ってもいいんじゃないか?どうなんだ?てかタイツってこんなに黒いのか。すげーな。
結論から言うと、その時の光景は、水野智文の脳が処理しうる情報量のキャパを優に超えており、俺の思考が正常に戻るまでには数秒の間が……
「ちょおうわわああああっ‼︎」
一瞬目を離した隙にテーブルの上で仁王立ちって、そりゃいくらなんでも反則だぜお嬢さん。
「なっ!雨野さん!何してんだよ!」
机に登ってること自体、ぶっちゃけ別に構わない。そんなことよりも、スカートの中がバッチリ見えてしまってることのがよほどヤバイ。黒タイツとか陰とか関係なく、とにかく超宇宙的な恐怖と知的好奇心のようなものを感じてしまうのは、きっと俺が極めて健全な男子であるということの証明なのか。
「水野くん!」
しかし、当の本人はというとそんなことはまるで分かっていないようで……だって言いにくいじゃん!スカートの中見えてるなんて普通言えねえよ!
しかしそれでも背筋をピンと伸ばし、凛然としたその立ち姿。もはやそこには、あの雨の中うずくまっていた彼女の面影はない。
「いえ……、水野……智文殿」
「ドノ……?」
「貴方の人柄を見込み、一つ私からお願いがあるのです……!」
先程までの淡々とした口調はなんだったのか、その声と瞳の前に、俺はもうこの少女から逃れることはできないのだと悟る。まあ、お願いとか言っといて位置的に俺が彼女を見上げる形になっているあたり、そんなこと言うまでもないのかもしれないが。
「どうか、この私を……雨野蛍子を」
そこまで言い、途端に膝から崩れる雨野さん。次に目に入ったものは、真っ黒な長髪に覆われた彼女の後頭部。
「‼︎」
俺はこの技を知っている。
いや、知っているどころの話じゃない。むしろこれは俺の一番得意とする奥義。
「居候の身として……!」
ついこの前も、干してたパンツが隣のお宅に飛ばされた時に発動した必殺の一手。
日本古来から伝わるその技の名は……そう!
「ジャパニーズ☆ドゲザ‼︎」
「置かせてはいただけないでしょうか…………‼︎」
…………。
「なんて?」
その後、雨野さんが机の上の仁王立ち→ジャパニーズ☆ドゲザまでの流れを8セットほど繰り返すこととなったのは、また別の話。
……。
…………。
………………。
人というのは何か大いなる危機に晒された時、もはや危機感を通り越して心を虚無なるものに変えてしまうものだ。それはまるで、魂よりも先に己が意識を三途の川へと投げ込むかのようで。
ほら、よく言うじゃないか。川の向こうにおばあちゃんがなんとかみたいな。きっと俺の場合は母さんが来るんだろう。川の向こうでバーベキューとかしながら待っててくれたりしないかな、そしたら泳いでいくのに。ちなみに余談だが、こんなヒッキーの俺でも、こう見えて昔は泳ぎが得意であった。カエルの平泳ぎに憧れては、よく市民プールで練習したものだ。そうしてついたあだ名は『池守のカエル』。
「それで……食費なのですが、それについては勿論私からも負担します。いえ……むしろこの家の食費は全て私にお任せください。こう見えて貯金は……」
今思えば、貯水池を持つこの町ならカエルくらい死ぬほどいるはずなので、単に生物食物連鎖ランクが下がったようにしか聞こえない。だが、それでも当時は嬉しかったものだ。なつかしいなぁ。
「お部屋は見たところ一つ余ってるようですので、非常に申し訳ないのですが、そこをお貸しいただけますと……あ、お掃除も全て私にお任せください。見たところ、この家は掃除のしがいが……」
ああ、そうそう。昔といえば莉子のやつ、小学校入ったばかりの頃はよく他のガキ共にイジメられて泣いてたっけな。その度に俺が同級生連れて莉子のクラス行ったりして。チビの頃は年齢一つ違うだけでもすごい老けて見えるから、いじめっ子たちもすげえビビってたよな。
今ならアイツらのあれも好きな子に対する嫌がらせって分かるもんだけど、助けるたびに莉子が嬉しそうに俺に抱きついてきたのは、ぶっちゃけ悪い気はしなかった。
「しかし……やはり、これだけでは水野くんも割に合わないと思いますので……もしも水野くんが望むのであれば……」
うん、たまにはこうして昔を思い出すのもいいな。そのあと引きこもりとなった現在の自分と比較して多少絶望するのも、また一興。
よし、そろそろ雨野さんの話も終わった頃だろうし、意識をリアルに──
「私のことをママと呼んでくださっても……構いません」
「…………」
白い肌の女の子が頬を赤らめると可愛いものだ。基本あまり表情が無い子だと効果は倍率ドン。ノスタルジー世界から現実に帰還したばかりの俺には刺激が強すぎるぜ。ママもびっくり……ママ?
「ママ?」
口からも出てしまった。
「はい、ママです。なんか照れますね」
「ごめんね、俺全然話聞いてなかったから状況分かんないんだけどさ。雨野さんはママじゃないよね」
「あ、じゃあ別にお姉ちゃんでも私は……」
「あの、そうじゃなくて雨野さ……」
「もしかして妹系の方が……」
「雨野さん。君は、雨野さんだ」
「私は……雨野」
なんで俺が洗脳したみたいになってるんだ。
このようにして、分かったことが一つ。雨野蛍子というこの女子生徒、なかなかどうして愉快也。いや、褒めてないからね。
結論から言うと、俺は恐らく押し負けた。何故推定形なのかというと、途中から意識を前述のように遠く遠くへと飛ばしていたからだ。
あの雨に濡れながら猫の真似をしていた時の儚げな雰囲気は完全に消えている。
今の彼女には、大和撫子という言葉がよく似合う。水色のカチューシャなどまさに、その清らかな佇まいを象徴するかのようだ。まさか自分のクラスにここまでのレベルの女子がいたとは……。たまには学校に行くのもいいかもと、ミジンコ%程度に考える。
「……できました」
そう言ってボールペンを置く音すら聞こえない。彼女に比べれば、外で降り続ける雨の音の方が余程うるさいというものだ。
雨野さんがボールペンを置いた横には、一枚の紙。B5判のノートから破いた紙を横にし、縦書きの文字がびっしりと敷き詰められたそれは、いわばこれからの共同生活における説明書。さっき俺が全く聞いてなかったものを、彼女が再度書き起こしてくれたものだ。ママのくだりを除いてだが。
書いてある内容は大まかに分けて四つ。衣食住に関するものが三つと、雨野蛍子自身が自らに課した、居候する上での交換条件が一つだ。
ざっと説明すると──
1・衣服はそれぞれ各々のものを使う。洗濯は別々に分け、全て雨野蛍子が行う。
2・食事に関しては可能な限り同じ時間帯、食卓にて二人で食べる。食費は雨野蛍子が一部負担した上で、調理は水野智文が主となって行う。
3・雨野蛍子の部屋は空き部屋を使用。お互いの部屋には原則入室せず、個室を除いた共同スペースの掃除は雨野蛍光子が行う。浴室の時間配分はその都度相談。
そして最後、
4・雨野蛍子は、水野智文に拾われた恩義を今後一生忘れてはならない──
「……」
「ふう、結構書きましたね」
「重ッ!」
1〜3に関しても言いたいことはあるけど、なんだ最後のは。恩義って、いつの時代の人間だ。
「重い……?急にどうしましたか?あ、低気圧が……」
「ちがうよ!」
どんな生物だ、雨で風穴開くわ。そこまで地球に反抗的な肉体に育った覚えはない。
「重いっていうのはだから……恩義とかさ」
「恩義ですから」
「いや、まあ何も思われないよりかはいいんだけど……それでもなんていうかさ、一生とかってのも……」
「一生の恩義ですから。墓場まで持ち込みます」
「怖いよ」
「骨は燃えてもこれだけは燃やさせません」
「恐いよ」
いい子すぎるのだ、彼女は。一周回って暴力となりつつある優しさとはこういうものなのなのか。まだ武力制圧された方が気が楽かもしれない。
「そうですね。では……」
すると、すっかり疲弊している俺を見てなのか、雨野さんは少し考えるような仕草、小さな顎に指を添えると。
「居候という考えをやめましょう。いえ、言葉を」
「どういうこと?」
「飼育、というふうに」
「あ、ペットってことね。なるほどなるほ……ならないよ」
そんなこと超大真面目な顔で言わないでほしい。引きこもりの上に少女飼育なんて、そんなものバレたら全国デビュー不可避じゃないか。
すでにツッコミをいれる声にも力が入らない。出てくるのはただただ物憂げなため息のみ。
しかし、意外にもそれが雨野さんの気にでも障ったのか、彼女にしては珍しく(話し始めて幾ばくも経ってないが)眉をひそめる。
「ですが……」
美人はどんな顔をしても趣きがある、西施捧心といやつか。シミュレーションゲーム『三國志夢シティ』の政治カードで知った四字熟語だ。
「拾ったのは水野くんじゃないですか」
「うっ!」
痛い。痛すぎる。
「いや……あれは拾ったんじゃなくて……いや」
「じっ……」
「ううっ……!」
基本クール然としているからか、伝わってくる圧がすごい。
「ぐっ……拾いました」
「よろしいです」
これじゃあどっちが頼みごとをしている立場のか分からない。ほら、雨野さんも少し笑って……
(笑ってる?)
ここまで割と長いこと、それこそ俺からしてみれば随分と久しぶりなほどに喋った。自分のアホな行動が原因とはいえ、正直ここまで他人と喋れるとは思わなんだ。
そんなこんなで、どっと疲れて今に至るわけだが。この疲れは決して、普段の生活から見て慣れないことをしたという自己的なものだけではない。証拠があるわけじゃないが、断言できる。
要は、
そして、それがない相手。例えば今目の前にいる彼女、雨野蛍子はとにかく淡々としている。鉄仮面と言うほどでもないが、まるでそれを見せることを良しとしていないような。
「ふふ……冗談、ですよ」
その彼女が、笑った。
久しぶりに見た、誰かの笑顔。
「水野くん。私のことは、少し頭のいい捨て猫を拾ったくらいに思ってください」
「……拾ったことあるのかよ」
「ないですよ、もちろん。だって……」
「?」
「私が捨て猫ですから。……にゃあ」
招き猫のイメージなのか、その右手は。本当にころころと雰囲気の変わる子だな。
そうして、なんだかさっきからバカみたいに葛藤したりしてる自分がおかしく思えて。口から出たのは。
「…………ばれよ」
「水野……くん?」
椅子から立ち上がると、腰が痛い。
「ぐあぁ……これだから木の椅子は苦手なんだよなぁ」
「水野くん。先ほどなんと……」
腰を手で押し当てて、身体を伸ばす。しっかりと、顔は上に。
身体をひねり、背中を彼女に見せるように。
そのまま俺はいつもの足取りで、部屋の外へと……
「水野くん……あの、何かお気に召さなかったのなら……」
突然立ち上がったからって、そんな的外れなことを。なんだ、そういうことは普通に考えるんだな。
「あーあー!もういいからそういうの」
別に雨野さんは何も悪くない。ただ。
「だからさ」
ただ、俺は、彼女の笑顔につられるように、久しぶりに。
「また捨てられないように頑張れよって……そう言ったんだよ」
少しだけ、泣いてしまった。
理由は、よく分からなかった。
こうして、冴えない引きこもりの水野智文と、人の話を聞かない捨て猫むすめ。
二人は友達でもなく、親戚でもなく、ましてや恋人でもない。単なるクラスメイト。
そんな、他人から見たら
──それでも、ほんのちょっぴり
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