『箱入りナデシコ梅雨目録』〜雨からはじまる恋物語〜
ぽこ村チン太郎
序章 『六月模様、雨帰り。』
今考えれば、何してるんだかと自分自身に対して呆れてしまう。
あの時、少し目を逸らせばよかっただけなのに、それができなかった。
それはきっと、いい加減文句の一つでも言いたくなるような連日の雨のせいでも、たまたま特価価格で販売されていた大学イモに心が舞い上がっていたからでもない。
これはきっと運が悪かったんだろう。たまたまだったんだ。
たまたま、俺が彼女の前を通った最初の人間だった。
だから、仕方がなかった。声をかけてしまった。
だってさ、普通無視できないだろ?
「
知り合いの女子が雨の中、傘もささずに、
「……にゃあ」
路の脇にあるダンボールの中で体育座りしてたらさ。
序章『六月模様、雨帰り。』
世の中には、引きこもりという種の人間が少なからずいる。
そして、その種の中でもさらに大きく二種類の人間に分けられる。
ひとつは回避しようのない明日に絶望し、日々を鬱々と過ごす者。
もうひとつは、そんな怠惰な日常に心身共に適応させ、多少アクロバティックなナマケモノ程度に、その日その日を消費する者。
ちなみに俺、
天国の母さんも、きっと俺のそんな姿を見て喜んでいるに違いない。ドラクエの作戦ではいつも「いのちだいじに」を選ぶ、そんな優しい女性だった。
だからさ、助けてよ母さん。
俺は遥か高き空(天井)を見上げて心の中で
「……カップ麺……なくなっちゃった」
足元には空のダンボールが数個。ついこの前まで元気いっぱい満タンのカップ麺で満たされていたあいつらの姿はどこにも見えない。
分かってるさ。悪いのは俺なんだ。俺が一昨日、オンラインゲーム『すごろくオブ人生〜パクリじゃないよ!全員集合!〜』(通称『すごパク』)で新アバター『
ぶっちゃけ三日くらいなんとかなるべ、そんなことを考えていた自分をぶん殴りたい。馬鹿野郎が……今まで散々ぬるま湯の生活を送ってきた未成年が水だけで過ごすなんて、一日だって
「くそ……致し方ない」
とはいえ、俺とてベテランのヒキコモリスト。こんなこと今まで何度も経験済みであり、解決法も既に見つかっている。それは、
「十五時に出れば三十分後には戻ってこれる(決意に満ちた表情)」
買い出しである。幸い俺が住むマンションは比較的スーパーが近い場所に位置している。生きて帰ってこれない距離ではない。
しかし、今回のミッションはいつもより数段ハードと言わざるを得ない。
窓に近づき、遮光カーテンに隙間を作る。やはりだ……なんか最近朝からシトシト聞こえると思ったが、雨が降っている。まあ六月も
「フゥ……」
カーテンから手を離す。やれやれ、外に出るのさえ
……。
…………。
………………。
玄関を開けてみれば、雨の強さはそれほどのものではなかった。言うなれば小雨である。これなら、短時間の移動であれば傘を差さなくても問題ないだろう。まあ、俺は差すけど。
「ふんがっ!」
意を決して外へと踏み出す。
(感じるぜ……グラビティ!)
やはり家の中と違って身体が重い。それはもちろん長靴の重さや、全身を鎧のように覆うケロケロ緑
ありとあらゆる負の感情を気合いで抑え込み、スーパーへの道を進む。
商店街に近づくにつれて、人々の喧騒も大きくなってくる。
雨は完全防備のおかげでさほど気にならない。側から見れば浮いているに違いないだろうが、顔がカエルフードで完全に隠れているこの姿なら、たとえクラスメイトが近くにいようと話しかけられる可能性は低い。何を好んで全身雨合羽の不審者に話かけるのか、ということだ。
「ちょっと……何あれ……」
「ママー、カエルさんだよ。かわいー!」
「しっ、見ちゃいけません」
将来大物になるであろうちびっ子にサムズアップを密かにしつつ、なんとかスーパーへと突入した。
(せめて三日間ぶんくらいは欲しいよな)
そこからはまさに疾風怒濤の如し。カップ麺と炭酸飲料をカゴに詰め込み、ちょっとした贅沢として惣菜売り場の大学イモをぶち込む。だって安くなってたんだもん。
「ミッションコンプリートだぜ」
顔の見えないカエル男に店員さんもやや驚いていたが、目的は達成された。
その油断が命取りだった。
家に帰るまでが遠足というように、家の外にいる限り安息の地は存在しない。たとえそれが、人気の少ない路地であってもだ。
「あとは帰るだけだぜ……カエルだけに……ぷぷ」
勘違いしないで欲しいのだが、別にいつもこんなダジャレを言っているわけじゃない。俺はあくまでもカエルが好きなのであり、このギャグだって俺が個人的にカッコいいと思ったから呟いただけだった。
だから、まさか背後から、
「
などと言われるとは予想もしてなかった。しかも、それがよりにもよって数少ない知り合いだったら、そりゃおかしな悲鳴の一つでもあげるというものだ。
「モオオオオオ⁉︎」
「なにそれ、ウシガエル?」
「ちがう!ウシガエルはもっとこう……ブオオオォ、って感じの……」
「やめてよ恥ずかしい」
「なにぃ!てめぇ
「ちがう。バカにしたのはあんたのことよ、ヒキコモリガエル」
──ピンクの傘をさしているポニテな彼女の名は、
ライトノベル的に言うなら幼馴染のようなものだろう。まだ母さんが生きていた頃からの縁だ。
昔はそれはそれは泣き虫で、俺がカエルをこいつの服の中に忍ばせる度に泣いていた。なのに、今となってはその面影はどこにやら。明るく染めた髪の毛、明らかに校則違反の丈をしたスカート……あれ?
「莉子、お
やけに見覚えがある制服だと思ったが、これは
「なんだよ、じゃあお前俺の後輩か」
「……言ったよねあたし、四月にこれからよろしくって」
「あれ、言ったっけ?」
「言った。まったく……どうせ一日中ネットしてるんだから、それくらい確認しなさいよ。それよりも」
「ん?」
瞬間、莉子の目がキラリと光った。
「ちょいやぁ!」
目にも留まらぬ速さで彼女の傘を持つのとは逆の腕が振り上げられる。それと同時に俺の視界も一気に広がる。
「フード深々被るほど雨降ってないだろ不審者!」
「いやあああっ‼︎」
先程までとは比較にならないほどの光、そして外気が体に入ってくる。頭が冴え……じゃなくて、肉体を極限まで一人暮らしには無駄にでかい2LDK(そこしか空いてなかったらしい)に適応させた生物に、フィルター無しの外界は危険すぎる。
「およよよ……」
その場に膝から崩れ落ちるかわいそなカエル(俺)。
「まったく……なんでお祖父ちゃんはこんなヤツに部屋なんか貸してるんだか……しかも無償で」
「あ、いつもお世話になってます……」
さすがにそれを言われると耳が痛い。
そうなのだ。俺が今住んでいる無駄にでかい2LDKは他でもない莉子のじい様が経営している大企業、笠森建設の所有物であり、俺は孫娘の幼馴染だからという理由だけで、ほぼ無償で住まわせてもらっている。
仕送りは別に親戚筋でもらっていることも考えると、明らかに恵まれすぎている環境だと自負せざる得ない。いやほんと、大人の皆さんありがとうございます。
「入学してから二ヶ月、入学式以来一度も学校で顔を見ないから少しは心配してたのに」
「ちょこちょこ行ってたけどな」
嘘じゃない。2回くらいは行った。身体測定とエロ本借りに。
……でもそっか、心配してくれてたのか。それはそれで悪い気はしないぞ。
「そんなに会いたいなら、いつでも家にいるぞ」
少し調子に乗ってみる。が、返ってきたのはため息交じりの声。
「誰が行くのよあんなとこ」
「なんだよ、別に汚くないぞ。こう見えて綺麗好きなんだからな」
「それは知ってる。そうじゃなくて、一人暮らしの男の家に女子高生が通うって、結構な事案ってこと」
「おいおい、人を中年ニートみたいに言うなよな……」
「時間の問題じゃない」
眉間に寄せたシワが一層キツくなる。あーあ、これさえ無ければ本当に可愛い顔なんだけど。
「それに、マンションなんかすぐに変な噂広まるんだからね」
「たしかにな……」
それに関しては激しく同意だ。実際、ほとんど周囲と関係を持たない俺ですら、時折奥様達によって多分に脚色されたであろう噂話が耳に入ってくる。最近だと二丁目の山本さんの自宅の庭から石油が出てきたとか、地元の中学校の地下には実は巨大な地下闘技場があるとか……この町の地下はどうなってるんだ。
いや、それよりも。まさかこのままでは終わるまい。
一拍の間ののち、今度は俺のターンだ。
「そんで?何の用だよ」
「へ?」
俺の唐突な質問を受け、莉子の眉に寄せたシワがなくなる。ほら、可愛い顔しちゃってまったく。
「しばらく会ってなかったのにわざわざ声かけてくるってことは、なんかあったんだろ?」
最後に会ったのは確かひな祭りの時だったな。発注レベルの甘納豆を渡された。しかしそんなことよりも……
「え……あー……その」
先程までのツンとした態度はどこかに消えてしまったのか、莉子の目が宙を泳ぎはじめる。
ちなみに賭けてもいいが、恐らく彼女に用など無いだろう。本当にたまたま下校中に見かけたから声をかけてきただけに違いない。
それは別に構わない。というより、引きこもりの俺が言うのも変な話だが、それくらい普通のことだ。わざわざ用がないからといって無視する方が感じ悪い。俺は無視するけどね、めんどいから。
……なのだが、
「あ、あーっ!そーそー!」
「なんだその素っ頓狂な声」
「えーっと……ほら、宮本さんっているでしょ。二〇八号室の」
「ああ、あの筋肉マッチョのおっさん……」
「そ、そうそう!それで宮本さんがね……こ、今度カエルの跳躍法を教えてほしいって!ほら、更なる脚力の進化的なあれで!」
「どんなあれだよ」
男二人が公園でカエル跳びを練習してる光景とかシュールすぎるだろ。
……というふうに、見て貰えばわかる通り、この女、なかなかにめんどくさい性格の持ち主である。
寂しがり屋で甘えん坊な一人っ子が、自由奔放な家風に反抗して厳格な性格に育ったため、見た目は不良気味なのに超ド級の常識人という捻くれ者が出来上がったのだ。
「と、とにかく!べ、別にあんたのことたまたま見かけてそれでちょっと話しかけたくなったとか!そんなんじゃないからね‼︎」
要するに莉子は、いわゆるツンデレというやつなのだ。それも生粋の。勝手にそうなっていた。なので普段は少し怖くても、からかうととてもとても楽しい。
「まあ、宮本さんには丁重に断っておくとして……久々にお前のツン……お前と話せてよかったよ。うん、なんか元気出てきた」
「なっ!何言ってんのよ!」
顔を真っ赤にして謎のポーズ(昭和のギャグ漫画的な)をとる莉子氏。相変わらず楽しい奴だな。
人嫌いの俺でも、こういう気楽に接することのできる相手はありがたい。
「ふん、まあ……あたしも、少しは安心したわ。てっきり減らない甘納豆の山に心を折られて再起不能になってるかと思ってたから」
「あはは、そんなことあるわけないだろ」
撒いたよ、庭に。てか自覚あったのかよ。
少しジト目で見てくるあたり、何かしら疑われているのがヒシヒシ伝わってくるが、それもすぐに素のツンとしたものに戻る。
「じゃあね、もうすぐテスト近いんだから、せめて一回くらい学校に顔見せなさいよ」
そう言いながら莉子は身を翻すと、少し早足でその場から去っていった。
「あれ、あいつあっちだっけ……?」
俺の記憶が正しければ、莉子の家も俺と同じ方角なんだが……まあいっか、あいつなら友達も多そうだし、これからどっか遊びに行くのだろう。
「あっちの方角だと……貯水池かな……」
勉強熱心な奴だ。
長話と言うほどではなかったものの、気づけば雨が先程より強くなってきている。
全身雨合羽のおかげで濡れはしないものの、肉体的にも精神的にも早く帰るに越したことはない。カエルは好きでも、俺はカエルじゃないからね。雨に晒されても風邪を引くだけだ。
レジ袋が少し騒がしくなる程度に足を早める。あとは目の前の突き当たりを右に曲がれば、すぐに屋根の下だ。
──その時だった。
いつも通りの帰り道に、違和感を覚えたのは。
家を出た時まではなんの変哲もなかったはずの、狭い直線道路。
フードで遮られた視界は、足元だけを映す。しかしそれでも、歩けば歩くほど、違和感は、強くなっていき……
やがて俺の足は止まった。
今考えれば、何してるんだかと自分自身に対して呆れてしまう。
あの時、少し目を逸らせばよかっただけなのに、それができなかった。
それはきっと、いい加減文句の一つでも言いたくなるような連日の雨のせいでも、たまたま特価価格で販売されていた大学いもに心が舞い上がっていたからでもない。
これはきっと運が悪かったんだろう。たまたまだったんだ。
たまたま、俺が彼女の前を通った最初の人間だった。
だから、仕方がなかった。声をかけてしまった。
だってさ、普通無視できないだろ?
「
知り合いの女子が雨の中、傘もささずに、
「……にゃあ」
路の脇にあるダンボールの中で体育座りしてたらさ。
この雨の日。
これから暑くなるであろう、
この何年も変わりばえしなかった俺の心の
それが……少しずつ、動きはじめた。
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