第2話

私は可哀想な中学生を知ってます。とってもよく、とっても深く、知ってます。


その子は星河ほしかわ うみといいます。中学3年生の15歳、男の子です。


私の幼なじみで、私の好きな人です。私、彼のこと好きなんです。本当に、好き、って言葉で片付けられないほど、好きなんです。


だから毎日彼の入院している病院に通っています。

大きな大学病院。陸上部で一走りしたあとに、定期を使って電車に乗ります。

何駅かしたら降りて10分ぐらい歩いて、受付のお姉さんに会釈。


こんなことをかれこれ3年と少し続けています。

彼が入院したのが、中学生になったばかりの春で、今は中学3年生の夏ですから。


「ごめんね、部活、長引いちゃって。遅くなっちゃった。」


私が彼の部屋に入る時、看護師さんが廊下の電気をぜんぶ消してくれます。

ドアを開けた時に、光が部屋に入るのを防ぐためです。


「いいよ。」


彼です。彼の声。

病気のせいで周りより成長が遅く、11,12歳ぐらいの声の高さなんです。少年の、同級生よりも高くて細い声です。


「ほんと、ごめんね。もう6時だ〜。やばいねえ。」

「いいって。いつもありがとう。」


真っ暗で、夜みたいな部屋の中に、彼の白い肌とうすい金髪が薄仄うすほのめかしく浮かび上がります。


私はこれが美しいと思うんですが、そんなこと口には出せません。


「今日は何、聞いてたの? この前は…ええと、リストだった。」

「うん。今日はね。」


彼は音楽が好きで、毎日1人でひっそりと聞いているんです。

音楽といっても、最近はやりのポップなものじゃなくて、クラシックですよ。知的ですよね。素敵だと思いませんか?


「今日はこれ、クロード・ドビュッシーの月の光。」


「くろおど どびゅっしー ? 初めて聞く名前。」

「クロード・ドビュッシー。うん。月の光。」

「つきの ひかり…」

「そう。」


彼は少しだけ手を伸ばして、ベッドの中からCDデッキのボタンを押します。

2年生ぐらいまでは立って歩けたんですけど、最近では夜でなければ、それもキツイみたいです。


トン、トーン、トーン…


暗い暗い病室に、ピアノの静かな音が響きます。

これが、月の光。彼が今日、ひとりぼっちで聞いた曲。


「綺麗な曲だろ。」


「うん。ほんとに、月から来た、みたいな…曲、だ、ね。」


今まで彼の部屋でたくさんのクラシック音楽を聞いてきました。

ショパン、モーツァルト、リスト、ドヴォルザーク、バッハ、メンデルスゾーン、バダジェフスカ……。


だけどこの曲は、なんだか、彼みたいなんです。

彼みたいに寂しくて美しい曲なんです。


形容し難いけど、伝わっていますか? 聞いてみてください、月の光。

きっと、みなさんもわかってくれるはず。



彼の方を見ると、彼は目をつむって、音楽に耳を澄ませていました。


白い肌、透ける金髪、まつ毛も色がぬけて、頬は少しこけています。


だれけど、とても美しい顔なのです。

とても、とても、美しいのです。



「ねえ、フウコ。お前、また焼けた? 」


彼は目をつむったまま、私に言いました。

いつも暗い部屋にいるから、暗闇に目が慣れているのです。

私は無理だけれど、彼はこの薄暗い部屋でも私の顔がはっきりと見えるのでした。


「嘘! 日焼け止め塗ってたのに〜。走ってたら嫌でも焼けるのよね。」

「はは、真っ黒だ。買い替えなきゃね、日焼け止め。」

「うん、やっすいのにしたからだよ、きっと。あーあ、日焼けなんて」


私は、ピタっと言葉を止めました。

日焼けなんてしたくない、なんて、どうして彼の前で言えるでしょう。


彼は焼けたくても焼けられないのに。


彼も、私の想いを汲み取ってくれたみたいです。

なんにもいわず、そのまま、ずうっと目をつむっていました。


なんにもいわず、そのまま、ずうっと2人で月の光を聞いていました。


月の光を聞いていました。

月の光を。

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