第20話 地の再来
「半日はかかるネ。皆疲れてるなら寝ててくれればいいネ。」
「一つ聞いてみたいんだが、クルネはなんでそんな年でこの人運びなんてやってるんだ?」
シュラスが不思議そうに問いかける。
「あんまり個人的な事には口を出さな方がいいわよ。」
レーネは心配そうな表情をしていた。そして付け足すように 無理に答えなくていい と小声でクルネに告げる。しかし、当のクルネはなんにも思ってないのかケロッとしている。
「別にいいネ。あたしは元々孤児だったから自分で働くしか無かったネ。だから馬車に乗ることにしただけネ。」
クルネはそれをなんとも思ってないのか、淡々とそう告げると何事も無かったように馬へと目線を戻す。狙っていたとしか思えない程に私の周りに集まる人間は皆不幸.......いや、私がどうにか出来たであろう事象で苦しんでいる。
だが、見れば見る程にそんな人間で溢れているこの大地はたまたま周りに居るのではなく、皆がそうであるから周りにいるだけなのかもしれない。
「聞いちゃってごめん。」
「何がネ?」
キョトンとした表情でクルネは問い返す。本当に何も分かってなかったような無垢な瞳に誰も何も言うことは出来なかった。
ぼーっと空を眺める。移りゆく景色はもう前回見たもので新鮮味は薄かった。だんだんと青い空が赤く色づいて、それは段々と黒く暗く落ちてゆく。だが、それは飽くまでも黒いだけであり濁りは無く月の光に照らされた夜空は黒く輝いているようだった。
「着いたネ。」
暗い街。所々明かりはあるがその街全体はどうしようもなく黒く澱んでいるようにしか見えなかった。
「やはり来たい.......とは思える街ではありませんね。」
ミルラも同様の気配を感じたのか、街全体を見回すように顔を動かすと同時にそんな声を漏らす。街自体は静かなものだが、ゆらゆらとよろめいているような嫌な雰囲気がどうしても抜けない。
この雰囲気は以前来た時とはまた違う。言うなれば紛争地帯に来てしまったかのような緊迫感が伝わってくる。クルネもそれを感じたからなのだろうか、止まっている位置は街の入口から少し離れている。
「ルーネ、ごめんネ。」
クルネはそう告げると馬の首輪近くの木に括り付ける。
「この街はなんでも価値のあるものなら盗られるって有名なのネ。商売道具を取られたらあたしもあがったりだから仕方なくここに止めてるネ。」
クルネがぽんと馬の頭を叩く。膝を折りその場にへたり込むようにして縮こまったその馬を申し訳なさそうに見つめたクルネはすぐに振り返り、街の方へと歩き出す。それに釣られるようにして街へと歩き出すが、本当に空気が悪い。
街の中へと入るが、以前の街中央の広場の地面が黒く濁り辺りの家々はどこも数十年経ったと錯覚させられる程に劣化している。そして街の端から見える港にはあれだけあったはずの船が一隻も見受けられない。
異様に静まり返った街から逃れるように、私はとある一軒の戸を叩く。コンコンという音が響くが、その音は軽くもう少し強く力を入れれば壊れてしまうのではないかとすら思えた。
「はい.......?」
戸が開かれることは無かった。代わりにと言わんばかりに聞こえた声は聞き返すような小さなものだった。
「貴様の名はシルク.......か?」
単刀直入過ぎたのではないかとは思う.......が、下手なことで時間を食うことを嫌った故の選択。しかし答えはなかなか返ってこない。
ギィと嫌な音を立てたことに気づくと、ほんの少しだけ開かれた扉からは男が顔を覗かせていた。怪訝そうな表情ではあるものの、狭い隙間がゆっくりと広くなる。
「中に入ってくれ。」
シルクに招かれるまま中へと進む。暗い屋内だが周囲の様子は、その薄暗い中でも理解に難しくない.......それほどまでに変わっていた。
「商品はどうしたのだ?」
「消えたよ、全部さ。」
シルクは振り向くことなくそう答えて、奥へと進む。聞くこともはばかられる様で、ただその背を追う。シュッという音と、色を取り戻した視界。
「そこら辺に適当に座ってくれ。」
ドカっと座椅子に腰をかけるシルクの目は以前の気弱で優しそうな雰囲気の者とは正に別人。俺は疑っているとでも言わんばかりのその表情と、擦り傷だらけの肌。小さく息を吐き、その場に座るもののここにいる誰も気が休まることはきっと無いだろう。
「単刀直入で悪いが、もし嘘をつくようならここで全員死んでもらう。誰の差し金だ?」
その質問に対する回答を私は知らない。
「申し訳ないが、私達は何も知らない。」
「ヴァイス様っ」
直後だった。間髪入れずに頭上で何かが弾けた.......いや、金属同士が衝突したその音には確実な敵意と怒りが交錯していた。
「お前.......。」
耳をつんざく様な音と同時に私の真横の壁には大きな穴が広がっていた。
「急に斬り掛かるのは流石に許せないかな。」
シュラスが私の後方からシルクへと近寄る。確かに金属質な音が響いていたというのに、彼のその手には刀は握られてはいなかった。抜刀術でも心得ているのだろうか.......いや、今はそんなことが問題ではない。
「やめておけ。」
「でも.......。」
私はシュラスを制す。そうでもしなければ、確実にシルクを殺すまで止まらない.......そんな気がしたからだ。
「くっ.......。」
シルクが悔しそうに正面で身構える。確かに私は反応が出来てはいなかった。それでも彼の腕では確実にシュラスは勿論のこと、私にすら敵わないだろう。
「俺達にはその差し金って意味が分からない。だから答えようが無いけど、それくらい説明してくれてもいいんじゃないのか?」
シュラスが一歩引き、そう問いかける。シルクは安全を確保したと思ったのだろうか、明らかに空気が緩んでいた。
「説明ね。このタイミングでわざわざ俺の家を訪ねてきた上に旧名を知ってるやつなんて.......。もういいさ、俺じゃ勝てないんだ、俺の命はここまでさ。」
シルクはその場に座り込み、乱暴な身振りを見せる。本当に、訪ねた場所を間違えたのではないかとすら思ってしまう。だが、旧名.......。
「私たちのことは覚えていないか?」
「客か?悪いけど、物覚えは悪い方なんだ。まぁ誰であれ俺を殺しに来たんだろう?早くやりなよ。」
自暴自棄になった彼に言葉は届かない。いくら会話をしてもただの会話では一切進展はしないだろう。かといってここの状態を知ることなく彼の母の話をすれば、また勘違いされるのが席の山であることが予想される。
小さく息を吐き、袖口から蒼い欠片を取り出す。手のひらの中で淡く光るのを感じるそれ。ゆっくりと手を広げればその光が暗い部屋の中で幻想的な揺らめきを見せる。
「そ、それは.......。」
「やはりか。これは元々ユアンという男が持っていたものだ。」
そう。蒼い光を放つこの欠片は前回のこの町でユアンから奪ったもの。
「それは違う。それは元々俺が持っていたもの.......。」
シルクはただ欠片を眺めている。細く開かれた瞳は蒼いゆらめきを儚げに追いかけているようにも見えていたが。
「そういう事か。いいよ、話すよ。
まず、俺の名前.......確かに本名はシルクだがこの街でそれを知っている人間はきっと居ない。そう、僕の名前はツルギ.......ってことでこの街では通っているから。
とりあえずこれは前提の知識として、俺はこの街の町長いや分かりやすく地主って言い方にしておこうか。それを目指している。細かいルールや条件とかは置いておいて、今の俺の得票数は二位。一度来たことがあるならこの街にいる人間がどんなもんか知っているだろう?だからてっきり、俺の母の居場所を何らかの手段で突き止めて、俺を下ろそうとでもしてるんじゃないかと思ったのさ。」
「だから急に.......」
「そう。だけど今俺が生きているってことはそういうつもりでここに来たわけじゃないんだろう?
そのつもりだったとしても、どうせ俺は今ここで一度死んだ身だ。お前達がどうして来ようが俺は抵抗するつもりは無いさ。さぁ俺が話せることは話した、そっちがなんの目的で母に会いそして何でここに来たのか。ついでにその石のことについても話してくれると嬉しい。」
シルクは話終えるとその表情を優しく緩ませた。敵意が無いと証明するにはあまりにも充分なその表情。
小さく息を吐く。竜の頃の名残なのだろうか、何かを考えようとする度に必ず吐息が漏れてしまうのは。
「あぁ。貴様の状況も貴様が何故急に私達を攻撃しようとしたのか、そして既にその敵意がこちらに向いてはいないということが分かった。
まずは、貴様の名前についてだが。」
私は袖口から赤の欠片を取り出す。蒼い光に同調するようにして、赤い光は緩やかに光を放つ。そしてその光景を眺めるシルクの表情は明らかに変わっていた。予想通り。
「そう。これは貴様の想像の通り、貴様の母親から受け取ったものだ。私はこれらを集めるために街を回っていた.......そこの一つとして立ち寄った王城で一人の老婆に頼まれたのだ。息子をあの街から連れ出して私の元に寄越して欲しいと。
その代わりとして私はこの欠片を受け取ったのだ。
凡その予想はついていた。この蒼いモノに対する反応とこの街の状況から元々が貴様のものであるということが。ほとんど話してしまったがこの石についてはユアンという元地主の男から奪い取ったと、ただそれだけの事だ。」
「そうか。思い出した.......あんたあの時やたらと珍しい石を探してた。あんたのような見た目の人間そうそう居ないはずだというのに、何故思い出せなかったのか.......まぁいいか。よくあの男を倒したものだ。あんたならもう予想がついてるんだろうが、その石は元々俺が持っていたもので珍しいものだからとユアンに奪われたものなんだ。」
シルクは儚げな目で蒼い光を見つめる。状況が分かっても、なんであろうと返すわけにはいかないのだが.......。
「そんな顔しないでくれ。勘違いだ。
別に俺はそれを返してもらおうだなんて考えてはいないさ。それはもうあんたの持ち物だ。その赤いものも含めてな。だけど申し訳ない.......俺はこの街で地主になるまでは王城に帰ることはない。あの人にもそう伝えてくれ。」
「あんまり言わない方がいいのかもしれないけど、シルクさん強くはないよね?
今得票数が二位ってことを入れても、あのユアンが地主をやるような街で時期町長なんてなれる見込みはあるの?」
単純な疑問なのかもしれない。シュラスは悪気の感じられない心配げな表情をシルクに向けている。
「少年、随分と手厳しいんだな。さっきのでも分かってしまったとは思うが正直俺は戦闘においてはほぼ素人。単純な戦闘だけで決まるなら俺は確実に勝つことは出来ない。だけど、この街では権力が全て。手に入れるためになんでもする.......元々は最も嫌いな考え方だったけど、すっかり俺も染ってしまったみたいなのさ。それにもう引き返す必要も意味もいや、きっとあの人も今の俺なんて求めてないだろうから。」
シルクの言葉は重い。確かに前回の彼はこの街の状況も人々の考え方も受け入れた上で、自身はそうなりたくないという意思がが確実に存在していた。
ユアンの死によるものか、或いは他の何らかの要因によるのか。今はまだ分からないが、それでも彼は確実に嫌っていたはずのユアンと同じ道を歩み始めているのだろう。
「貴様はこの街で何を得たいのだ?」
疑問。あれだけ裕福な土地に実家を持ち、この地でもボロボロながら大量の資産を持っていたはずの男。見た目や雰囲気から苦手なはずの荒事にも突っ込む覚悟をしてまで何を得て何をしたいのか。想像の及ばない彼の行動は私にとってただただ不思議だった。
「何を得たい.......か。俺は認められたいのさ。俺の父親は王の直属の兵士だった。詳しくは知らないけどそこそこの地位までは行ったらしいんだ。俺もその後を継いで軍に入隊しようとした.......けど、適性がないだのなんだのって言われて入れなかった。
悔しかった、恥ずかしかった。だから俺はあの街を捨てて、実力が無ければのし上がることの出来ないこの街に来た。
それでも来て直ぐに一番大切にしていたお守りを奪われ、この街でも落ちこぼれていくと思っていたんだ。」
「お守り.......そうか。」
シルクが私を睨みつける。蒼い欠片にはやはり未練があるのかと思い、口を噤む。
「だが、あんたはそのユアンを殺した。本当なら俺が.......。いや、それは夢のまた夢の話.......ああ分かってるさ、無理だってことくらい。それでも今は俺のこの下らない人生の中でも唯一.......そうさ唯一訪れた逆転のチャンスなんだ。分からないだろう?
いいんだ、知らなくてもそれでも俺はみすみす逃すようなことはしたくない。」
あぁ、私には分かるはずもないこと。私には縁遠い感情だろう。それでも。
これは成長と呼ぶのだろうか? 退化と呼ぶのだろうか?
知らないことを知る術なんて無い。答えが無いなら自身の経験から答えに近しいものを導ければ良いのだが一切の経験が無ければもうそれはどうしようもないだろう。それ故に分からない.......が、簡単に無下にしてはいけないような気がした。
「そうか。ならば目指すといい。だが契約してしまったものは仕方がない。私は貴様の行く末を見届けることにするとしよう.......そして結論が出た末には必ず母親の元に連れていく。」
「いいのか、それで?
あんたなら無理やり俺を連れていくことなんて容易だろう?いや、そんな契約なんてものに囚われる必要なんて無いんじゃないのか?」
心配そうな目を向ける。この種の視線をどうしてこのタイミングで向けられているのかは正直今の私にはよく分からないのだが.......。
「あぁ。その通り。しかし、ただの気まぐれだが最後まで見届けてやりたいと思ったのだ。だが私にも時間がある訳では無い.......だから。いや、なんでもない。やりたいようにやるが良いさ。」
適当に言い放つと彼はただ嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべた。
「良いのか?ヴァイス急いでるんじゃ.......。」
「あぁ、急いでるさ。」
笑顔を作りシュラスへと向ける。彼はなにか言いたそうに口をカラに動かすが、渋々ながらもそれを飲み込んだようだ。
「あんた達.......心配は要らないとは思うが、泊まる場所くらいは欲しいだろう?
隣の空き家.......ボロボロでいいならあんた達に貸してやるよ。」
ポイッと一つの鍵を渡される。確かに場所があるかないかは前回のこともあり、かなり大きな問題だ。
「有難い。借りるとしよう。また明日伺う。」
私はそうして家を出る。街中は変わらず静かだった。無人なのではないかとすら思わせてしまう静けさの中を潮風だけが通り過ぎる。胸中を虫がのたり回るような嫌な感覚.......直感といえばそれだけの話だがそんな感覚を振り払う様に頭を軽く振る。
「ヴァイス.......様?」
「あぁ。なんでもない。」
私は小さく返答を済ませると振り向くことなく、隣のボロ屋へ歩を進める。ガタガタと風邪に靡く薄い壁材と扉としての役割を果たすのが精一杯にしか見えないそれを手をかけ解錠する。
ボロボロながらも金属音と共に開かれた扉の中は外見とは裏腹にしっかりしているようで、中央に広がる空間には外壁とは別に頑強そうな壁に囲われ外に比べればまだ新しい扉がついているようだった。
「へぇー、意外。」
「うん、外からの見た目に比べたら随分としっかりとしてますね。」
「レーネ.......貴様は出来るだけあの中央の部屋から出ることの無いようにするべきだ。」
このボロ屋に人が住んでいるなんて思う人間は居ないだろう。情報の面からしても、あの宿の人間であればほぼ筒抜けと言っても過言ではないのだからここの方が幾分かマシなはず。
「分かりました.......。」
前回の出来事は彼女にも伝えてあった。そのためか、彼女は想像より素直な反応を示した。そのまま部屋の中へと向かう。
そして準備は整った。私は部屋の前の柱に体を預けてそのまま座り込む。玄関ではシュラスとミルラが扉の何かを確認するようにガチャガチャといじっているようだったが、私はミルラに小さく手招きする。
何回かしてようやく気づいたのか、ゆっくりと近づいてきたミルラを横に座らせる。
「下らない.......そう思うか?」
「いいえ。少なくとも彼にとって今回のことは今後全てに関わると言っても差し支えが無い、それほどまでに大切な状況なのだと思います。それにヴァイス様が考えているはそれだけのためでは無いのでは?」
「あぁ。そうかもしれないな。」
「ええ、私も思っていましたので。この街の雰囲気は以前よりも更に悪化しているのではないかと。私も彼なら少しはこんな環境を変えてくれるのではないかと考えています。もし、彼が正規の手段で地主になればの話ではありますけど.......。」
本当によく頭が回る。眼のお陰なのかもしれないがその思考は最悪のそれを私と同様に見ているからなのか.......。
「その通りだ。この街では成功者と呼ばれる人間がユアンのみだっただろう。
だから私は彼を出来る限り正規に近い形でこの地に据えさせた後に離れるべきだと思ったのだ。」
ユアンだけ。そう、地位の為になら手段を選ばずにその力で障害物を払い除けてこの街の長として君臨した男。この街での成功論はそのたったひとつだけしか受け継がれていないようである.......故に皆争うことでしか決めることが出来ない。それを避けるしかないのだから.......。
「すまないな。また貴様の力を借りることになるだろう。下らないと思わない.......ミルラのその言葉を無駄にはしない。」
「そんな顔なさらないで下さい。私に課した制約を守らせたいと思うのでしたら、ヴァイス様はもうその表情をこちらに向けるべきではないのですから。」
「あぁ。それもそうか。」
ふっと互いに笑い、瞳をゆっくりと閉じ手を伸ばした。
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