第19話 往道
日が沈みかける。空は赤く染まり、白色の街も淡い赤へと染まっていた。
「急いだつもりだったが時間が掛かってしまったな。」
ダレンはこちらを振り返り汗を拭う。額とその顔には大量の汗が滴っている。厩舎へと目をやり、そこでようやく忘れかけていたことを思い出す。
「クルネのことを忘れていたな。」
はっとした表情で全員がこちらを見る。本来であれば昨日の夜、ここで待ち合わせをしていたはずなのだがその事を完全に失念していた。
ただ、忘れていなかったところで戻ることも出来ない為どうしようもなかったと言えばそれだけなのだが。
「クルネ様には悪いことをしてしまいましたね。」
ミルラがポツリと呟き、皆俯く。
「なんだ、あんた達誰かと待ち合わせでもしていたのか?」
荷台の側面に腰を下ろしたダレンは、汗を拭いながらそう問う。質問自体にはさほど興味もないのだろうか、ダレンの声は珍しく気だるげだった。
「ここまで馬車で連れてきてくれた人と昨日待ち合わせしてたんだけど、そのことを忘れちゃってたんだよね。」
シュラスがやれやれと言いたげな表情でダレンに返答する。ははっと笑ったダレンは荷台を引き、どこかへと歩いていった。
「本当に酷いネ!遠くまで行く可能性があったならちゃんと言ってくれれば良かったのネ!」
甲高い声。声の主はやはりクルネだ。
建物の影から顔だけ出した少女は今にも泣きだしそうな表情でこちらを睨んでいる。
「申し訳ない。」
「でもクルネがすぐどっかーー」
シュラスが何か言いそうに口を開いたが、その口はレーネの手によって無理やり塞がれる。しかし聞こえていたようで、クルネはシュラスを悔しそうに睨む。
そしてとうとうクルネは泣き出してしまった。泣いてしまったところで、私には人間のあやし方など分かるはずもない。仕方なく呆然と眺めると、シュラスとミルラがなんとか落ち着けようとする。
「なんですか、貧乏人の方々が随分とうるさいですねぇ。」
癪に障る声.......とでも言うのだろうか。言葉自体は丁寧ではあるのだが、見下しているという雰囲気だけが強く伝わってくる。目線は確実にこちらに向いてるはずだというのに、何故か視界に入ってないとでも言いたげな表情。
「ええ、本当に。」
周囲を取り囲む数人の人間。彼らはそう貴族なのだろう。様々な装飾で身を固め、道の中央を悠々と歩く。中でも真ん中にいる青い生地に鳥を象ったような紋様が入った服を着た男は上流階級なのか、周囲の従者にその無駄に豪華な輿を担がせている。その姿、多少也は違うものの何処かで一度見た事がある.......。
そして気づけばあれだけ駄々を捏ねていたクルネの泣く声は止み、彼らから距離を取っている。
「あまり薄汚い格好でこの街を出歩かないで下さいね。申し訳ないですが、この街は貴方達のような貧乏人共のためにある訳ではありませんので。」
彼らはそう言ってどこかへ去っていく。
「おや。」
しかし、その直前に男の一人が何かに気づいたかのようにこちらを振り返る。
「貴女、まだ生きていらしたんですね。」
青い服の男が輿から降りこちらへと近づく。先程とは違い、嫌につり上がった口角と細くどこを見ているか分からない瞳は酷く不気味だ。しかし、笑っているということだけが分かる。
「こちらへ来なさい。レーネさん。」
男が目を向けていたのは私の後方。振り返ると真っ青な顔をしたレーネが自身を抱くようにして震えている。
「聞こえていないのですか?」
男が近寄りながらもまた声を出す。その度にビクッとレーネが震えていることが分かる。私はこのことを危惧していたのだ。無論それはレーネも同様である筈だが、完全に油断をしていた。
この目が使えない状況。本当に運が悪いとでも言う他無い。
「お前らか。姉さんを騙したのは.......。」
シュラスが声を上げる。そして走り出そうとするが足を止める。
「弟が居た、ええ。確かにそのような話を聞いていたかも知れませんね。余りにも興味がなかったものですから今の今まで一切考えたこともありませんでしたが。」
男がそう言う。目線はどこか上の空。そしてゆっくりと腰元から銀色に光を反射するモノを抜いた。
「貧乏人の皆さん、ええ。そこの女とその弟を差し出して下さい。弟は見せしめに、女はこちらの道具とさせていただきます故。
赤く汚れるというのはとても汚らしいので、貴方達が掃除をしてくださると言うならば見逃すということでどうでしょう?」
銀色の先端をシュラスへと向けた男は興味無さそうにこちらを睨む。理由など分からない、ただの気まぐれか単純に邪魔であると感じたからか。
どうであれ彼はシュラスを殺し、レーネを連れ去ると公言しているのだ。
「お前程度に勝てるとでも思ってるのか?」
シュラスが声を張る。しかし、何かを掴もうとする手は悲しく空を切る。刀が無い。
私も含めこの場には対抗する手段がどこにも無いのだ。
男はそんな姿を見て笑う。それはそうだろう。威勢だけ.......そうとしか思えないのも当然なのだから。
「何度も言うということは本当に無駄で本当に面倒なものです。二度は言いませんよ。こちらへ来なさい。」
男の声が低くなる。地を揺らすようなその声が先程までの飄々とした声の持ち主と同一人物であるとは思えない程の変わり様。
「やめてください!私ならミレア様のお好きにして下さって構いませんから、他の方には手を出さないで下さい」
悲鳴に似た叫び声。紛れもないレーネの声である.......その声には絶望が、苦しみが、悲しみが。様々な感情が見える。
「ええ。随分と体調も回復したようですね。そうでなくては玩具としても使い物になりませんから上出来です。ですが、本来なら貴女も処刑対象に成りうるということをお忘れない様。」
男は単調な声を発する。感情が出やすいのか、使い分けているのか。ミレアと呼ばれた男は酷く不気味だ。
カツンカツン.......と音を立て近づく不気味な存在。
以前の私であれば既にこの世界に不要な彼は既にここに立っていなかっただろう。しかし、そうしてしまえば騒ぎになることは必然。荒波を立てたくないという集団の状態を考える人間ならではの心理が既に私にも働いているというのか。
「そこの白い髪の方。そんなに睨んでどうしましたか?
貴方まで同類になりたいということでしょうか?」
睨んだつもりは無い。だとしても彼がそう受け取ってしまった以上は逃れる術は無いだろう。
小さくため息を吐く。
「分かりました。皆さん纏めて処刑にしましょうか。」
ミレアはその白銀のモノを高く掲げる。
「シュラスよ、よせ。」
シュラスは声も出さず、一直線に走り出していた。地を這うように低く低く。ミレアは反応が遅れたのか驚いたように剣を振り下ろす。
「いっ」
赤いものが飛び散る。しかしその後、大きな音を立てミレアが後方へと転がった。
「貧乏人風情がぁぁぁぁ」
「貴様.......。」
地面に転がったミレアは腹部を抑え、悶える。周囲の従者が介抱に向かうが彼はその手を振り払う。
「何をしています。はやくそいつを捕らえなさい。」
従者が全員剣を抜く。そして四人が一気にシュラスへと斬りかかった。
「何をしている、お前達」
低い声が響く。驚き、声の方向へと目をやると屈強な男が一人立っていた。その表情は怒りに燃え、濡れているように見える頭髪は逆立ちまるで炎の様であった。
「だ、ダルレイン前近衛隊長.......。どうして貴方がここに.......。」
ミレアは驚きを隠しきれないのか、震えた声で男に問う。ゆっくりと歩みを進める男は腰元から短刀を抜く。
「聞こえんかったのか?
儂は何をしている.......と聞いたのだが。」
ダレンのその姿は先程の人間とは同一人物とは思えない。上半身は薄いモノ一枚.......そのためか、鍛えてきたであろう隆起した肉体の造形が見た目からでも分かる。
「申し訳な、あ、ありません。この者達が余りにも失礼だと感じました為に罰を与えようとした。それだけの事ですので、ダルレイン様のお手を煩わせるような事など一切ありません。」
「そうであったか。」
ダレンは一瞬その表情を和らげる。どうやらその姿に安堵したのか、同調したかのようにミレアの表情も緩み立ち上がる。
「そうであるならば。お前達は儂にとって余りにも失礼である行動をとったのだから罰を与えなければいけないな。」
「え」
空気が凍る。そして次の瞬間、鮮血が空を赤く染め上げて鈍い音と共に何か球体状の物が地面に転がっていた。
「ひっ.......。」
余りにも衝撃的な光景。従者は全員間抜けな声を出してその場に座り込んでしまっていた。そして後方でも同様の音が聞こえていた。
「ミルラよ、レーネを連れて少し離れておけ。」
「いえ、私は大丈夫です.......。」
腰を抜かしたレーネは今にも泣きだしそうなその表情をなんとか立て直し、震える瞳でこちらを見据えている。
「そうか。」
その目に私はどうこうする気を無くした。
「お、お許しください、ダルレイン様」
また前方へと目をやれば、ダレンが一人の従者の頭を握っていた。冷やかなその目は慈悲に耳を貸すことなど無いだろう。もう片方の手に握られた赤く染められた短刀がゆっくりと振り上げられる。
「お辞めください」
ピタリとダレンか静止する。
「良いのかい、嬢ちゃん。こいつはあんたの弟を傷つけた奴の仲間であるというのに。」
「はい。私自身も彼らには酷い傷を負わされました。でもそのためにダレン様が手を汚されるということが私には耐えられないのです。」
「甘いな。けどそう言われちゃ儂も引かざるを得ないだろう。」
ダレンは血に濡れた短刀をぶんっと振り払うと、腰に下がる鞘に納めた。
「隊長.......。」
「ふうん。あんたらはそいつを片付けてから帰ってくれ。いいか、これは上長による処刑でありそれ以外での何でもないとだけ覚えておけ。」
ダレンは冷たく言い放つと、ようやくその表情が緩んだ。張り詰めていた空気が一気に解放され、まるで箱詰めにされていた感覚がゆっくりと消えてゆく。
「あんた達には悪い事をしたな。元々あいつは儂とは別部署ではあるが、形式上は部下だった。元々階級の低い人間に対しての当たりの強さや奴隷売買にも手を染めているという噂も立つくらいで、皆手を焼いていたようなんだ。儂もやり過ぎたのではないかと思うが、あやつの部下までもああなってしまってはどうしようもないだろう。」
ダレンは少し悲しそうに空を見上げる。ただの人運びではないとは思っていたが、どうやら彼は元々かなりの階級の人間だったのだろう。人間をみる目線が私とはまた違う意味で特殊であるように感じられた。
「姉さんはあいつらに足と、心を壊されたんだ。俺は悔しくて悔しくて、いつか復讐をしてやりたいと思っていた。けど、この場では武器もないしきっとあのままだったら周りのヤツらに殺されていたよ。ダレン.......さん助けてくれてありがとう.......。そして本当にありがとう。」
シュラスが笑う。潤んだ瞳に無理やり作られたその笑みがどのような意味を持つのかなど私にわかるはずも無いが、ダレンは悟ったようにただ頷いているだけのようだ。
「ごめんね。」
レーネはそう言いつつ、自身の服の袖でシュラスの頬に出来た赤い線をなぞる。幸い浅かったようで固まりかけの絵の具のように頬に赤が薄く伸ばされていた。
「姉さんは悪くないよ。」
シュラスが微笑む。しかし、何故かその笑顔にはいつもの純真さの他の何かを感じざるを得ないような気がしていた。
「行こう、ヴァイス。」
シュラスが立ち上がる。そしてダレンへと一礼するとレーネを背に乗せて歩きだした。
「申し訳ないネ.......。」
責任を感じているのか、クルネが俯きゆっくりとシュラスの後をつける。シュラスが消え入りそうな程小さな声で何かを告げていたがそれが何であるかを私までは届いていなかった。
「クルネよ、私達はクォンタムまで行きたいのだ。連れて行って貰えるだろうか?」
「クォンタム.......。余りいい場所ではないネ.......なんて言ってる状況じゃないことくらいは分かるネ。今ルーネを連れてくるから待ってるネ。」
そう言ってクルネはパタパタと街の方へと駆けて行った。
「クルネは悪くないさ。でも俺はいつか必ず.......。」
シュラスの表情が私には分からなかった。しかし直後にはいつものイタズラ顔でこちらを覗いていた。
「また来る機会があれば儂に頼るといい。」
「あぁ。そうさせてもらおう。」
心配そうにするダレンにそう告げる。息を整え直してようやく辺りの様子に気がつく。別段だからといって何が変わるという訳でもない。ただ汚れているだけという話なのだから。
「待たせたネ。すぐ乗ってネ。」
クルネは馬に跨り目の前に止まる。私たちは馬車に乗り込む。
「無理はするでない、肝に銘じておけ。」
馬の蹄が地を蹴り行く。軽快に響く音に紛れてダレンの声が聞こえた。そして直後に門が見える。気のせいかもしれないが、シュラスがうずうずと体を震わせているように見えた。
門の直前に止まる。
「お帰りですか?」
「あぁ。」
袖口にあるくしゃくしゃのモノを取り出し、渡す。
「少々お待ちを。」
受け付けにいる人間が奥に向かう。そして肩に担ぐようにして荷物を運んできた。シュラスが跳ねるようにしてそれを受け取る。
「やっと戻ってきた.......」
嬉しそうに中身を開け、それを確かめる。そしてそれを小さな背中に括り付ける。長い長いそれは地に着く寸前のところで止められる。
「そんなに大事だったのネ。」
「やっぱり俺はこいつが無いと何も出来ないって思い知らされたからな.......。本当に愛しいよ。」
笑っている。そう見えているはずだと言うのにその目はどうしようも無く悲しげに感じた。私も中にあるモノを取り出して握る。そして馬車に再び乗り込んだ。
一度通った城下町のその外。馬車はひたすらに進んで行った。
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