第18話 赤い欠片

 目の前の大きな門。その奥の奥。門からもかなりの距離があることが伺えるほど遠くに塔が見える。大きな塔が四本、そしてその中央の辺りには塔が霞むほどに大きな建造物。


「あれが王城? 」


 ボーッと眺めるレーネが呟くように言う。全員疲れからか、その姿をここまで近づくまで気づかなかった為か、彼らの顔には感動が伝っているように見える。


「あれが儂らの王の城。何百年という時間と世代を費やして広げに広げた王族だけの理想郷.......それがあの城だ。」


 無感情。そうとしか取れないような平坦な調子の声でダレンは呟いた。見上げるその先に何を思うのかは私には検討もつかない。


「今日はもうこの街の店はやってはいないだろう。兎に角今日は休むといい。明日の朝またここにあんた達が来てくれるのならば儂はまた案内をしてやろう。

宿はあのデカい建物、あれが良いだろう。」


 ダレンは一つの建物を指差す。それは長方形を平積みにしたような奇怪な建物。所々に凹凸はあるものの、他の複雑な造形とは違い単純な面構造をしていることが見てわかる。明らかにそぐわない建物のように見えるが、周りの造形を引き立たせるようにそびえるそれは何故か景色に馴染んでいるようにも見える。


「そうか、わざわざ申し訳ない。明日の朝、またここで。」


ダレンはそう言うと、どこかへと消えていった。私は何かを忘れているような気がしていたが、長方形の建物へと向かうこととした。


 近くで見るとやはり大きく、入口も鋼鉄製なのかかなりの重みがある。押して開くと、オレンジ色の光に照らされた広い玄関がある。


「宿泊でしたらこちらにどうぞー。」


 カウンターテーブルに肘をつき、こちらに話しかけるのは若い女性。黒い服を来た彼女も例に漏れず気だるげにこちらを見ている。


 絨毯の敷かれた柔らかい床を歩く。


「宿泊で二部屋頼みたいのだが。」


「はーい。宿泊ですと一日金貨三枚になります。」


「金貨三枚!?」


 シュラスが声を上げる。先程の買い物と比べればそれほど高いとも思えないのだがと思いつつ、私は巾着から金貨を六枚取り出し手渡す。


「二百二号室と二百三号室になりますー。」


 彼女は二つの鍵を手渡す。長方形に凹凸を付けただけのような形状の鍵の一つをミルラに渡す。


「今日はもう休もう。」


「分かりました。」


 階段で二階へと上がり部屋へと入る。二つの大きなベッドと中央に置かれたテーブルの上へと積まれた食べ物の山。ほとんどが菓子類やつまみの類だが、触れれば崩れ落ちそうな量が積まれている。


「こんだけあったら元が取れるな! 」


 シュラスが嬉しそうにテーブルへと駆け寄る。そしてその上の一つを掴み取ると、案の定崩れ落ちる。


「私はもう寝る。貴様も程々にな。」


 私はベッドに寝転ぶ。菓子類に夢中で空返事しかしないシュラスから意識を離して眠りについた。



「.......。」


 起きた私の目の前に広がってきたもの。あれだけ山のように積まれていたものが、全て消え去っていた。代わりにと言わんばかりに溢れかえったゴミ箱とそこの上に出来た山から昨日の惨状が脳に浮かぶ。


 小さくため息を吐き、心地よさそうに眠るシュラスへ目をやる。私はゆっくりと外へ出る。朝ではあるが相変わらず人通りは少ない。見えるのは数人。もしかすると昨日人力車を捕まえることが出来たのは運が良かったのではないかと思える。


 本当に、未来視が使えていればこんな面倒なことにはならないと言うのに。きっと神が公平のために設けたものだとは思うが、ここまで歯痒い思いをしているのは過去を見渡してもきっと無いだろう。ただし、今後同様のことが起こるうると考えてしまえば溜息しか出ない訳なのだが。


「おう、早いな。」


 そんなことを考えていると何処からか声が聞こえた。辺りを見渡すと、手を振る男が一人。昨日とは違い薄そうなシャツ一枚の軽装ではあるが、間違いなくダレンだった。


「あぁ。他はまだ寝ているようではあるがな。」


「そうかい。」


 ダレンはそう言うと、私の立つ場所のすぐ横にある花壇に腰を掛ける。私より二回り程大きいその体の重量の為か、花壇が少し動いたような錯覚すら感じた。


 彼は小さく息を吐き、空を見上げる。


「しつこいようで悪いが、あんたやっぱりどこかで見た気がするな。いや、正確にはその姿じゃ無いようだが.......。」


 どこか引っ掛かる言い方.......。ではあるのだが言いたいことは伝わっている。『私を見た事がある』

 一体どこで。私は今から十年ほど前までは完全な眠りについていた。目覚めた後にこの場所に来た覚えは無いのだが.......。


「儂は十年前、この王城の近衛兵の兵長として首都のに赴いていた。そこで見たんだ真っ白い竜を。そいつは酷く疲れていたが白銀に輝く翼と虹色の鱗を持ち龍神と崇められていたこの地の神そのものだった。

儂らが終わらせようとしていたあの争いを龍神は羽ばたき一つで終わらせた。

ここ最近また現れなくなっていたが、人間になったという噂を聞いたことがある。

根も葉もないものではあるが、一度みたあの姿と雰囲気にあんたは余りにも似すぎている.......もし人間になっているとしたらあんた.......そうじゃないのか? 」


 確信に満ちた目。雰囲気、姿。一体どれ程の人間がそれを考え疑問視して、更には見破ることが出来るのか。目の前のダレンに対してどうすればいいのか。


 ミズキも恐ろしいと思わされたが、この男はそれ以上かもしれない。反応に困る私に痺れを切らしたのか、ダレンは小さく息を吐き出していた。


「答えたくないのならば答えなくとも良い。あんたが龍神であるかどうかなんて儂のような者にはなんの関係もないことなのだからな。」


「いや、驚きのあまり声を出せなかっただけだ。貴様の言う通りだ。私はこの大地の竜神。貴様が何故それを見破れたのかを深く言及するつもりは無い。私も昨日の時点でもしかするととは思っていたからな。

だからこそ貴様はこの大地の問題点を洗っていたのだろう? 」


 ダレンは昨日この大地の貧富の差を嘆いていた。それはきっともうあの時点で私がそれを言うべき対象だと分かっていたということであり.......。


「その通りだ。言葉の通り儂は神に願っていた。あんたが何故その姿なのかは儂には分かりはせんが少なくとも、この地のことを考えているということなのだろう? 

人間に興味すら持たない冷徹な龍神.......そう聞いてはいたが、あんたが良くしようとしてくれていることが分かって儂は嬉しかった。ただそれだけのこと。」


「あぁ。時間はかかるかもしれないが、貴様らの考える理想郷。それを知り同時に目指せるように私も尽くすつもりだ。」


 それだけ言うと、ダレンは優しく笑顔を浮かべる。


「儂は勘のいい方だ。しかし、初めて感が外れて良かったと思えた。

さて、あんたも急いでいるんじゃないのか?

他のやつもそろそろ起きただろう。儂はここで待っておるから準備を整えて来い。」


 私は宿まで戻る。部屋では微睡み半分のシュラスがウトウトしながらもベッドに腰掛けている。


「起きているのか? 」


「あ、ヴァイス.......俺が起きたら居なくなってたからどこ行ってたのかと思ったよ。」


 虚ろな目をこちらに向けたシュラスがよろよろと立ち上がり、ゆっくりと身支度を整える。


「私はミルラとレーネの様子を見てくるとする。シュラスも急ぐ必要はないが、身支度を終わらせておくが良い。」


 私は部屋を出て、隣の部屋の扉を叩く。コンコンと良い音が響く。


「はい。」


「起きていたか。ダレンが既に準備を済ませている。準備が終わり次第外へ出てきてくれ。」


「分かりました。私達は既に準備が出来てますので直ぐにでも参ります。」


「分かった。」


 私はもう一度部屋に戻る。準備を終わらせたのか、シュラスが得意げにこちらを覗き込んでくる。


「出るとしよう。」


 私は笑みを浮かべて、部屋を後にする。受付に鍵を渡し外へ出るとダレンが昨日の荷台を傍らに佇んでいた。


「儂の想像より早かったな。儂なりに目星は付けてあるから乗り込んでおけば良い。」


 ダレンはそう言うと荷台の後方を開く。どうやら同じに見えていた様だが、昨日のものとは違うようで跨ぐことが無く乗ることが出来る。そして数分後にはミルラとレーネもこちらに気づいたようで乗り込んだ。


「行くとしよう。」


 一言呟くとダレンは荷車を走らせた。明らかに昨日より早い事が感じられる。しかし、それでも不快感や恐怖感を感じている者がいない程の能力にはやはり驚かせる。


「一箇所目はすぐ近くだ。」


 ダレンはそう言って走る。どうやら城の周囲、城門の周りを回るようにダレンは動いているようだった。本当に驚かされる広さ。走っている程度では、城の周囲を回るだけでも一時間は優に超えることが感じられてしまう。


「到着だ。」


 ダレンは一つの民家の前で止まった。周囲の複雑な家々に比べれば外にある様な世俗的な雰囲気も感じさせる。言うなれば長方形を合わせて作られたような角々しさも残る家であった。


「周りの家とは随分雰囲気が違うんだな。」


 シュラスは珍しいものを見るようにしみじみと呟いている。寧ろ今までの感覚であるならば珍しいのは周りの方であるのだが.......。だが眺めているだけでは何も進みはしない。私は軽く戸を叩く。


 コンコンと木材を叩く軽快な音、それに続くようにはーい と明るい女性の声が聞こえた。


「入ってみようか。」


 ダレンがゆっくりと戸を開く。


 顔を見せたのは人の良さそうな女性。しわだらけでありながらも若い雰囲気を持つように感じられる。


「いらっしゃい。珍しいねぇ、こんな店に外部から人が来るなんてねぇ。何かお探しかい? 」


 入口のすぐ横にあるカウンター。そこから顔を覗かせる彼女は私達を見回すように忙しなく首を動かす。


「あぁ。少し捜し物をしている。」


 私は話し合いが成立することを確信し、安堵する。だが面倒な話し合いをする時間も勿体ないと感じ、袖口から欠片を取り出す。淡く光を放つそれを私は両手で女性が見えるようにする。


「このようなものを探しているのだが、ここにあるか? 」


 .......。反応がない。


 いや、反応はある。ワナワナと手を震えさせているのが見えた。


「これを何処で.......? 」


 女性は驚いた様に欠片の片方を指さす。それはクォンタムでユアンから奪い取ったもの。


「これはクォンタムでーー」


 とそこまで言うと女性は急に私の腕を掴む。咄嗟に欠片を握りこもうとするも間に合わず、金属質な音を立てて欠片は床へと転がる。


「シルクを.......シルクをどうした!!」


 彼女は叫ぶ。シルク.......そのような名前に聞き覚えは無い。しかし、彼女の剣幕は確実に何か確信を持てるものが無ければ発生することが無いだろう。そうとなれば何とかして誤解を解く他は無いのだが.......いまの彼女はまだ話を聞く余裕が残っているのだろうか.......。


 彼女はひたすらに腕を握る。振りほどこうとすれば不可能ではない力ではある。しかし、それを死に物狂いで許さないという決意が強く伝わる。


「どういうことだよ!」


 シュラスが叫ぶ。しかし、そんな声を女性は気にも留めていない。他は皆驚いたようにただ様子を見ている.......。ふぅ。小さく呼吸を整える。


「シルクという名に聞き覚えは無い。私がこれを手に入れたのはユアンという男からだ。」


 仮に、ユアンの別名がシルクであることも考慮してその後の経緯は濁す。しかし、そういう訳ではなかったのか一瞬腕を掴む力が緩む。


「茶色い短髪の男.......。ソナタ達は見覚え無いかい? きっとここと同じ様にクォンタムで古物を売っているはずじゃが。」


 茶髪で短髪。確かに見覚えがある.......。


「あぁ。クォンタムの古びた骨董品店の若い店主それは確かに茶色い短髪であったが、彼がシルクか? 」


「えぇ。無事なら良かったわ。」


 そこでようやく私は掴まれていた腕を開放される。後ろから肩を叩かれ、ダレンから二つの欠片を受け取る。


「すまなかったねぇ。急に乱暴してしまって。シルクは私の息子なんじゃけど、その石はあの子に持たせたお守りだったんじゃ。間違いない、その不思議な光り方をする石は他にはそうそう無いからね。」


 女性はそう言うと、私達を手招きする。カウンターの奥の扉へと。


 私達は案内されるままに奥の部屋へと入った。石造りだが床に敷いてある絨毯のおかげでほのかに暖かい。そしてその黄色と白の絨毯は宿にも劣らないほど良いものだということが見た目からも分かる。


「好きに座っておくれ。そしてもし良ければそれを手に入れた経緯を私に話してはくれんか? 」


 彼女は湯のみを手渡してくる。温かな白い湯気が立ちのぼる。甘い香りに釣られるようにして口に運ぶと果物の様な優しい甘みと後から仄かな苦味が広がる。


「美味い。」


「そうかい。そうかい。」


「貴様が求める情報であるかは分からんが、知りうることは答えてやろう。」


 そう言うと、彼女は腰を掛けただその茶色い瞳をこちらへ向けてきた。私は一呼吸を置いて、クォンタムの出来事を話した。


「そうだったんですね。シルクに持たせたお守りがまさかのその貴族に盗まれて、挙句ソナタのものになるとは.......。」


 彼女は神妙な面持ちで胸元から何かを取り出す。淡い橙色を放つそれは紛れもない欠片だった。


「これの価値は分からん。ただ珍しいと思い持っていただけのものじゃ。しかし。これを巡ることによる、不幸が有るならばこれはもう必要とは思えん。

ソナタが欲しがるなら喜んで差し出すとしよう.......じゃが代わりに願いを一つ聞いては貰えんか? 」


 彼女は私にそれを差し出す。願い.......それがなんであれ、争い無く欠片を手に入れることが出来るのであれば私は喜んで引き受けるだろう。


「良い。願いを申せ。」


「シルクをここまで連れてきては貰えんか?

修行の為、世界を見るためと出て行ったはいいが可愛い息子をそんな街に置いておくことは出来ない。だからソナタ達に連れ戻して欲しいのじゃ。」


 頭を下げる。この姿を見るのは久々だ。曇はなくただ願いをこう。見慣れている姿に比べればやや危機感や足りないものはあるが、真剣さは伝わってくる。となれば聞かない理由は無いだろう。


「そうか。分かった。ではそちらを貰っても良いか? 」


「後払い.......と言ったところで、ソナタに気が変わられたら一人ではどうすることも出来ない年寄り。渡そう。」


 私は彼女の手のひらにある欠片に触れる。橙色の淡い光は私の手に当たると赤く変色する。受け取ったそれをゆっくりと握ると、仄かな温かさがゆっくりゆっくりと強く熱くなる。そして意識が飲み込まれて行った。



 何を見ているのだろう。私の目の前に映るのは真っ赤に。ただ何処までも真っ赤に燃え盛る大地。青々としていたはずのものも、建物も生命反応も何もかも無い。ただ赤く激しく燃え盛る炎だけが、そこに存在し強く自信を証明している。


 何を感じているのだろう。大地を見ている。ここは空なのだろう。見下ろしたはずの大地には水の雫が落ちて行く。どうしようもない深い悲しみが心を燃え尽くすように一気に広がっていく。


 何を目指していたのだろう。きっと分かるはず。分からないはずのこの光景.......だというのに目指していたはずの光景が頭に浮かぶ。悲しみが消えることは無い.......だが、目的のためにはこの悲しみに暮れている時間などはない。


 そして体は氷のように溶けた。



「ヴァイス様.......泣いているのですか?」


 唐突に聞こえたミルラの声。自身の顔に手を伸ばすと頬が濡れていた。


「あぁ。」


 挫折は生きていれば味わうものだろう。しかしそれは神ですらも例外ではないのだと思うと、心が軽くなったように感じた。


 そう、挫折したのだ。あの後建て直したのか、やり直したのか。そこまで知る術は無い.......だとしてもあの悲しみ、あの怒り、あの辛さは偽物ではない。私を創造しこの地を繁栄させた神ですらも挫折をしたのだと思えば.......。


「すまないな。クォンタムにゆくとしようか。」


「はい。」


 この力の使い方も既に脳に焼き付いている。最も人類から遠く、最も求めるものだろう。


「あんた達クォンタムまで行くのにここからでは遠いだろう?

王城外の街の入口まで送ってやるから早く乗りな。」


 ダレンは既に準備をしていた。私達は好意に甘えて乗り込み送って貰うこととした。


「頼んだよ。」


「あぁ。」


 女性に返事をすると、荷車は走り出した。閑静で高貴な住宅街に似つかわしく無い激しく地面を蹴る音が響いていった。

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