この世界に幸福を

津田梨乃

この世界に幸福を

 男は異世界に転生した。


 神さまだか女神さまだかに、最強の力ももらった。

 救世主になり得るバックボーンもない男には、いささか持て余すほどの力。


 案の定、誇張でも謙遜でもなく、男は力を持て余した。なぜなら転生した世界には、倒すべき魔王も、根絶やしにすべき組織もいなかったからだ。せいぜい街や村に現れる、ならず者を相手どるくらいにとどまった。


 それを感謝されることはなかった。強すぎる力は、人々にとって新たな脅威にしかならなかったのだ。


 男は、人里離れたところに住居をかまえた。最強の力のおかげで、さしあたって建設に手間取ることもなかった。立派な家だった。

 転生する前は、ロクな人生ではなかったと思う。人間関係に疲れていた男にとって、この隠居生活は僥倖ともいえた。

 男は、広すぎる庭に(もはや庭というかどうかも怪しい)種を植えた。生前握りしめていた種らしい。神さまだか女神さまだかの加護で、幸福を呼ぶ効果が付与されたとかなんとか。

 生前ガーデニングなんてしたことも、興味もなかった男は、どうしたものかと考えあぐねた。

 とりあえず、植えればいい。

 男は、無造作に土を掘り、種を放り込んだ。他にすることもないので、水やりだけは毎日した。

 その甲斐あってなのか、それとも加護のおかげかなのか、一輪だけ花が咲いた。派手でもなく、かといって地味でもない青空のような色の花。

 朝起きると、水をやりながら話しかけるのが日課になった。花は喋らないが、なぜか意思疎通ができている気がした。男が元気なら花も輝きを増し、男が落ち込めば心なしか萎れた。


 生前は、植物どころか動物に話しかける人間すら鼻で笑っていた男には考えられないことだ。

 男は、生まれて初めて、いや、生まれ変わってから初めて花を好きになった。



 月日が経った。最強の力のおかげで、歳を取らない男は、見た目だけは、転生したころと何も変わらなかった。しかし心は、いくばくかの寂寥感が占拠していた。花では満たされない何か。

 己が言葉で話し、言葉が返ってくることを望んだ。

 生前はあれだけ苦労させられたというのに。人が恋しい。誰かと喋りたかった。


 そんな折、屋敷に人が訪れた。最初の訪問者だ。

「いい話があります」

 男にとって内容は、どうでもよかった。もっと話がしたかった。男は、彼を援助することに決めた。


 よくわからないが敵が多くなった。らしい。

「あなたが成し遂げるべきことを考えれば、仕方のないことです」

 最初の訪問者は言った。そして対策を取り始めた。屋敷には、異形の存在が闊歩するようになった。庭は、異形の植物が鬱蒼と生い茂るようになった。あの青い花を見ることもなくなった。


 気まぐれに、外へ出てみた。最強の力のおかげで、歩く必要はなかった。イメージした場所に瞬時に行ける。男は、転生したときに行き着いた、はじめての村を訪れた。


 街は驚くほどの発展を遂げていた。中央にそびえ立つ城を見れば、その発展度は言わずもがなだ。もはや男の知る村の面影はなかった。

 ある村人、いや街人が、男を見て悲鳴をあげた。それは伝染するかのように広がった。現れる人々全員が男に畏怖とも侮蔑ともつかない視線を送った。


 何も変わっていなかった。

 人々は、あの頃と同じように男に石を投げつけ始めた。街の至る所に男の似顔絵が貼られていることに気づく。

 本当に何も変わっていなかった。変わったのは、街の外観。それから男の心。男は、屋敷に戻った。



 世界は、脅威にさらされた。なぜなら男は、最強の力を持っていたからだ。

「あなたに、どこまでもついていきます」

 最初の訪問者は言った。男はそれを信じた。


 しかし、彼もいなくなった。彼の直属の部下がミスをした。その尻拭いをする。そう言ったきり戻ってこなかった。

「この世界に幸福を」

 彼の言葉が忘れられない。


 誰かと話そうと思っても、異形の存在は言葉が通じなかった。

 外に出る気も起きなかった。結果は、わかっていたからだ。


 やがて男は、日がな一日、玉座で過ごすようになった。最強の力のおかげで、食事も睡眠もいらなかった。

 ただ誰かがくるのを待ち望んでいることに気づく。誰かは、わからない。誰でもよかったのかもしれない。


 もうどのくらい月日が経ったのか、わからなくなった。男は歳を取らない。異形の存在は、歳という概念がない。ひょっとしたら何十年、意外と数日かもしれない。些末なことだった。


 そんな折、ついに男の前に人と呼べる者が現れた。まだ顔にあどけなさが残る、若者の集団だった。男は、歓迎の仕方がわからなかった。だから異形の存在に全てを任せた。


 再び彼らが男の前に現れたときには、満身創痍だった。しかし瞳に宿る決意は、揺るぎないものだった。剣の切っ先が、自分を真っ直ぐに貫くように向けられる。


 男は、気づいていた。自分がになっていることを。


 それでも男の言うことは、変わらない。かつて最初の訪問者に言った言葉。


「もし私の味方になるのなら、望む物をあなたに与えましょう」


 味方とは、つまり話相手のことだった。

 男が望むのは、とどのつまりそれだけだったのだ。


 この問いに、最初の訪問者は首を縦に振った。

 だが目の前の若者は、そうしなかった。

 なぜか安堵している自分がいた。



 薄れゆく意識の中、花に話しかける自分を思った。


 ——あの頃が、ひょっとしたら一番


 そこで意識は途切れた。


 世界に平和が訪れた。

 男を思い出すものは、誰もいなかった。

 現世にも、異世界にも。


 廃墟となった屋敷の隅には、一輪の花だけが残っている。

 偶然見かけた者は、それをこう呼んだ。

 幸福を呼ぶ花だと。

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この世界に幸福を 津田梨乃 @tsutakakukaku

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