宇陀うだ高城たかきしぎ罠張る。我が待つや。鴫はさやらず、いすくはし、久治良くじらさやる――神倭伊波礼毘古命かんやまといわれびこのみこと


 ひょう、と空の遠方おちかたより、鏑矢かぶらやの音が鳴り渡った。放たれた八咫烏やたがらすを討ち払う、兄宇迦斯えうかし返事かえりごとである。それを聞いた道臣命みちのおみのみこと大久米命おおくめのみことは、顔を見合わせ頭を振った。

 現在の奈良県、宇陀うだの地には二人の勇猛な兄弟がいた。その名を兄宇迦斯えうかし弟宇迦斯おとうかしという。八咫烏はあま御子みこの到来を告げ、御子に仕えるか否かを問うたのだった。

 その返事が否——先ほどの鏑矢である。

 しかし、その威勢の良さに反して、兄宇迦斯えうかしは十分な軍勢を集めることができなかった。そこで彼は狡くも一計を案じた。まず「これは御子のためである」と大きな御殿を建てておき、こっそりそこに罠を仕掛け、御子をしいさんとしたのである。

 ところがこの罠の存在は、先に御前へ駆けつけた弟宇迦斯おとうかしによって明かされた。それを聞いた道臣命みちのおみのみことらは、反対に兄宇迦斯えうかしを罠にかけ、見事、彼を討ち取ったのである。

 さて、その夜。弟宇迦斯おとうかしの用意した大饗おおあえに舌鼓を打ちながら、そのとき、天つ御子がお詠みになったことには、

「宇陀の城にしぎの小さな罠を張って待っていると、鴫ではなく、大きなくじら﹅﹅﹅がかかったものだ」

 というので、兄宇迦斯えうかしは大海で獲れる巨大なのように大変な敵であったと、さても人々は嘆息しただろうか。それとも、この宇陀の山中で海のくじら﹅﹅﹅がかかったといううたのおかしさに湧いただろうか。

 そのどちらにしても、人間は変わらず、飲み、食べ、笑い、そして歌っていたに違いない。

 日本最古の歴史書といわれる、この古事記に記された天つ御子﹅﹅﹅﹅とは、日本最初の天皇と言われる神倭伊波礼毘古命かんやまといわれびこのみこと、つまり神武天皇のことである。がしかし、いまに伝わるその事跡は彼の存在も含め、事実不明であり、それまでの歴史を寄せ集めたものとも、神話であるとも言われている。

 けれど、それが誰かに作られた物語であったとしても、この地に生きた人間が在り、彼らがすでにくじら﹅﹅﹅という生き物に親しんでいたという事実には決して変わりがないだろう。

 いまも昔も、この最果ての島国に陽は昇り、また沈む。

 神武天皇の御製と伝えられるその歌が詠まれたのは、聖徳太子が「日出づる国」とこの国を名乗る、一千年以上も前の光景であったと、そう古事記は伝えている。

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白化 黒澤伊織 @yamanoneko

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