砂漠の骨

 ミヒャエルに貸したタブレット端末のディスプレイは、光量が最小値まで下げられていた。

 いつものことだ、そう思う。彼の透き通るように青い目は、私の黒い目と違い、眩しさに滅法弱い。タブレットも、携帯も、テレビ画面でさえ、光量を絞らずにはいられない。それでは同じ画面を覗く私の目に映るのは、蠢く黒い影だけということになるのだが、ミヒャエルはそれでようやくまともに見られるようになるのだと言う。

 だからこれはいつものことで、仕方のないことだけれど、疲れているときにはそんな些細なことすら気に触る。特に日本から、ここイギリスのロンドンまで、およそ十二時間半ものフライトに耐え、イミグレーションを抜け、その上重い荷物を抱えて部屋フラットへ辿り着いた身にとって、暗いディスプレイに目を細め、光量の設定を元に戻す時間ほど苛立ちを煽るものはないように思えた。おかげで、夜中だというのに起き出してきた彼にも、刺々しい英語で接することになる。

「お帰り。日本はどうだった――」

「これ、設定変えたら直しておいてっていってるでしょ。いちいち戻したくないの、分かるでしょう」

 二十二の歳に日本を出て以来、毎年のように待っている知らせは、まさに今夜、届く予定だった。しかし日本へ持っていったスマートフォンは出国直前というときになって調子が悪くなり、おまけに充電も切れて使えない。フラットへ戻ったらすぐにチェックしなくてはと息急き切って帰ってきたというのに、この有様では腹も立とうというものだ。

 ようやく明るくなったディスプレイのメールボックスに、私は触れた。新着は十二件。待ち焦がれたものは、この中にあるのだろうか。スクロールする指先は、しかしすぐに失望で力を失った。知らせは、ない。届いたメッセージは友達と、アルバイト先の画廊と、電話会社からのものだった。

「……また次があるさ」

 顔色を読み取ったミヒャエルが、私の頰にキスをした。

「僕にもメールは来なかった」

「残念だったわね」

 ライバルに皮肉を言ったわけではない。苛立ちは嘘のように消え、代わりにざらりとした無力感が私を支配していた。突然の父の死。可奈が帰ってきてくれてよかったと母は言ったが、そこにはこのまま日本にいて欲しいという強い本音が見え隠れした。そんなときに耳にする、ミヒャエルの「次がある」という言葉は、私にとって虚ろすぎた。母のことを考えなくとも、学生ビザは卒業と同時に切れる。その後の当ては、何もない。

「ミヒャエル、私……」

 言いかける唇を、彼は人差し指を立てて遮った。

「話は明日。もう眠ろう」

 そう言うと、彼は自分の部屋に引っ込んだ。しかし、その扉が閉じることはない。ベッドで私を待っているのだろう。そう察しても、しかしどうしても行く気がしない私はキッチンの固い椅子に腰を掛け、未練がましくディスプレイを見つめた。

 私が待ちわびていた知らせとは、半年前に締め切られたアートコンペティションの審査結果だった。ロンドンで開かれる世界的に有名なその芸術祭は、プロアマ問わず作品の募集をしており、若いアーティストにとっては登竜門とでもいうべき存在だった。そして私は渡英以来、そこに作品を出し続けている画家だった。

 己の中に核を持ち、それをカンヴァスに表現する人間は全員画家だ。私が通うロンドンの芸術大学の教授はそう言った。もしそうでなければ、死後に評価されたファン・ゴッホは画家ではなかったことになるではないか、と。

 その言葉に大いに感銘を受け、以後、私は画家を名乗ることにしていた。しかし、SNSにも書き加えたその肩書きに、日本の芸術大学時代の友人は嫌悪を示した。それもそうだろう。同じ日本人の私だ、その感覚は分かる。日本は職人の国である。だからこそ、プロとアマチュアの差にとても厳しい。肩書きとは、その人の対外的な価値を保証するもので、決して自称する類のものではない。

 それを踏まえて、日本人風の謙虚さから言えば、私は有名な画家になることを志している大勢の無名の画家のうちの一人で、それはドイツから来たミヒャエルも同じだった。私たちはフラットメイトであり、友人であり、恋人であり、そして画家として切磋琢磨する良きライバルだった。とりあえず、この三年の間は。

 三年。長くも短かったその年月に思いを馳せると、不意に涙がこみ上げた。次の芸術祭は半年後。それまでに、私は選考委員を唸らせる作品を生み出すことができるだろうか。急に弱気に襲われ、私は椅子から立ち上がった。肌身離さず持ち歩いているクロッキー帳をバッグから出し、ぎゅっと胸に抱きしめる。

 いまこそ、あれを描くべきだ――内なる声がそう言った。その声に私は躊躇ためらった。

 あれ﹅﹅とは、初代のクロッキー帳から現在に至るまで、その何百冊に描き込んだ数々のモチーフ、その中でも私が大切に温めてきたものだった。心の奥の奥底に、大事に仕舞っていたものだった。ロンドンに来てから、それを描かなければいけないという思いは強まり続けるばかりだったが、だというのに私は一度もそれをカンヴァスに描くことをしなかった。しかし、それは出し惜しみしていたからではなく、一言で言えば、自信がなかったせいであった。

 どれほど良いモチーフがあったとしても、それを描いただけではにはならない。私はそのモチーフを誰よりも完璧に、それでいて独自に理解しなければならなかった。しかし、まだ私の理解は足りていない——そう思うからこそ、描くことを躊躇っていたのだ。

 けれど、時間は迫っていた。描けない、などと甘えたことを言っているうちに、日本へ帰らなければならない日がやってくる。そうなれば、私は画家として羽ばたくチャンスを失ってしまうかもしれない。ならばやれるか、ではない。やるしかないのだ。

 私は冷たい水で顔を洗うと、開いたままの扉に目もくれず、自分のベッドへ倒れこんだ。疲れ切っているはずなのに、頭の中には描くと決めたばかりのモチーフばかりが浮かんで、消える。その姿。大きく白く、青い空を突き上げるようなそれは、故郷のえびすさん﹅﹅﹅﹅﹅――恵比寿神社の鯨骨だった。



 世界の最果て島国ニッポン、そのさらに端っこにある故郷の小さな田舎町で、私は神童と呼ばれて育った。とはいっても勉強のほうはからっきしで、得意だったのはもちろん絵だ。「可奈ちゃんの描く絵は、生きてるみたい」。保育園の頃から、大人たちは私の絵に目を丸くして驚いたし、絵画コンテストでは何度も最優秀賞を獲った。国内で有名な賞を最年少で獲ったときには、時の総理大臣から表彰されたこともある。

 けれど、幼さに田舎育ちの純朴さも相まって、私はそれを才能というよりは、町内会の福引に当たった程度の幸運﹅﹅としか捉えたことがなかった。私は絵を描くことが好きだった。けれど、それ以上でも以下でもなかった。ましてや画家になりたいだなんて、そんな大それたことは考えたこともなかった。

 私が思い描く将来とは、あの小さな町でおとはんやおかはん、じいやんにばあやん、それからたくさんの近所の人たちと同じように、喜んだり笑ったり、怒ったり文句を言ったりしながら、そうして生きていくことだった。大きくなって、結婚して、子供を産んで、家事をして、畑をして、漁をして、年を取って死ぬ。それが当たり前の人生なのだと、漠然とそう思っていた。だって、草も虫も鳥も、魚も犬も猫もみんなそうして生きているじゃないか。

 けれど、そんな生き方は当たり前ではなく、むしろ時代遅れもいいところ、いや、そればかりでなく嘲笑や哀れみの的にさえなり得るものだと知ったのは、中学校に上がる直前、私たち一家が東京へ引っ越してからのことだった。

 転居の理由は、私の絵の才能だった。それは稀有なものであるから、ぜひ有名な絵画教室へ通わせたほうがいいと周囲に言われた両親は、娘の将来のため、その勧めに従うことを決断したのだ。父方の祖父母が東京に住んでいたことも、その決断の後押しをしたのだろう。私の絵画漬けの人生は、その日から始まった。

 学校の勉強はおざなりに、好きな絵だけを描けばそれでいい――初め、私は歓喜した。しかし、それもしばらくのことだった。そんな生活を続けるうちに、ふと、私は不思議に思った。田舎で暮らした頃のように、私は夕飯のおつかいもお皿洗いのお手伝いも、畑のトマトを取ってくることも、ニラを摘むこともしなかった。そして、それはオフィスという場所で働く両親も同じだった。それなのに、私たちは生活できている。それは一体なぜだろう。

 その答えは明白だった。それは誰か﹅﹅が代わりにやっているからだ――田舎では私たちもやっていたけれど、都会に来た途端やらなくなった、私たちのものであった仕事を。

 百姓﹅﹅という言葉の意味は、百のかばねを持つということである。姓は昔、職業を表した。けれど、百姓は自分で何でもやる。畑も、草履編みも、鍬の刃を研ぐのも、家を直すのだって自分でやる。百は職業をこなしてしまうということで百姓と呼ばれるようになったのだと、近所の仲のいいばあやんに、そう教わったことがある。ここは百姓の町でなく漁民の町だけれど、漁民だって何でもするから同じようなものだと、ばあやんはそう言って笑っていたが、つまりはそういうことだった。畑の収穫もおつかいも、料理の行程さえなしに食卓に並ぶお惣菜は、そのすべてを私たち以外の誰かがすることによって、ここに存在しているのだ。

 そんなの当たり前じゃないか、そう言う人もいるかもしれない。けれど、それは私にとって、とても新鮮な驚きだった。自分にできることは自分でする。当たり前であったその感覚は、どうやら東京にはないようだった。分業制――授業で耳を掠めた単語が、実感として湧き上がった。資本主義という、教科書が教えるシステムは意外と身近にあったのだ。一人の人が色々なことをするよりも、分業、専業化したほうが社会として効率がいい﹅﹅﹅﹅﹅。何だか頭が良くなったような気がして、私は少し嬉しくなった。けれど、やはりそれも束の間だった。

 私たちの効率のいい生活は、誰かの効率のいい生活のためでもあり、そのために犠牲になるべき時間は、いままではふんだんにあった家族の時間だった。お手伝いの間のおしゃべりや、食卓を囲む団欒、それから誰かの誕生パーティーのための手作りのケーキやプレゼントを用意する時間。

 その年の私の誕生日、一人きりの食卓には小さな市販のショートケーキと、お寿司のパックが置かれていて、その横には中学生には勿体無いほど高価な画材のプレゼントが置かれていた。

 子供じみていると笑われるかもしれない。けれど、そのとき私は悲しくて泣いた。田舎の小さなあの町が、無性に恋しくてならなくなった。けれど、私は帰れなかった。なぜなら私は知っていた。私の通う絵画教室の月謝がどれほど高いかということを。前の半分の広さもないこの家の家賃が以前より五倍も高いことを、この東京での生活を維持するためにどれだけお金がかかっているかということも。

 効率がいい﹅﹅﹅﹅﹅というのは、つまり手間の話ではなく、お金の話だった。あの小さな町では違ったけれど、東京ではお金さえあれば何でもできる。資本主義というシステムの中では、それが絶対のルール、ただ一つの価値なのだ。だから、親たちは子供に才能や個性を求める。必死になって勉強をさせたり、習い事をさせたりする。なぜなら、誰にでもできる仕事はもらえるお金も少ないから。もらえるお金が少なければ、生きていくことができないから。

 昨今よく聞く、オンリーワンという言葉は、その人を認めたり幸せにするためにあるのではなく、お金稼ぎの能力を表すための言葉であることを私は知った。そうでなければ、本当にオンリーワン﹅﹅﹅﹅﹅﹅の人たち――例えばとんでもない個性があるとも言える障がい者の人たちが社会の中心にいられないというのは、おかしな話だろう。個性と言えば聞こえはいいが、求められているのはそれではなく、ただお金を稼ぐ能力なのだ。

 そう考えると、都会が田舎を笑うのも当然だった。お金よりも大事なものがあると聞かされて育った私は、ショートケーキの大きくて立派なイチゴにフォークを突き刺した。

 漁や畑、家事や育児や近所付き合いをこなしながら、あの町の人たちは生きている。例え自分の名前が書けなくても、九九が言えなくてもあの町では暮らしていける。人は助け合って生きている。だからこそ、お金は必要かもしれないが、そんなものに絶対の価値はないと笑うこともできる。それが都会の人間には気に入らない。なぜなら、彼らはお金を稼ぐことが世の中で一番偉いことだと信じているからだ。学校の勉強や塾に習い事、すべてにおいて努力をし、その結果、よりお金を得ている自分たちの方が偉いに決まっていると考えているからだ。何たってお金は唯一絶対の価値だ。それが分からない人間は、サルか、違う星から来た宇宙人に見えるに違いない。

 絵画教室から出される山のような課題をこなしながら、私はそういうことをずっと考え続けていた。田舎と都会の違い、あるいはその二つを隔てる価値観の違いということを。しかし、私の考えがそれだけに止まらず、見た目や習慣や文化の違い、あるいはこの日本という国と、その他の国々の違いということにまで及んでいったのは、同時にあの小さな町が直面していた大きな危機を見て育ったからに違いない。

 私の懐かしい故郷は、いるか﹅﹅﹅漁反対を叫ぶ白人たちが押し寄せる、捕鯨業の最前線であったのだ。



 歴史が教えてくれるように、人は自分たちと違う人間を野蛮だと決めつけてきた。一番分かりやすいのは見た目の違い、それから言葉の違い、食べるものの違い、住む場所の違い、それから信じる神の違い。それらは争いの種となり、血が流れ、数多の国境が引かれる原因となった。人類の最初の母親はアフリカにいたという学説が一般的となり、人類皆兄弟という言葉が限りなく真実に近いと証明されたいまでも、違い﹅﹅は人々を隔て続けている。

 とはいえ、日本人に生まれた私は、違い﹅﹅を簡単に捉えすぎているきらいがあった。日本に住んでいるのは九割以上が日本人で、実はそんな国は世界にほとんど例を見ない、つまりとても珍しい国だ。だから、違い﹅﹅というと、例えばあの人は関西弁を使うとか、あの人はお金持ちだから大きい一軒家に住んでいるとか、あの家は母子家庭だとか父子家庭だとか、最新のゲーム機を持っているとかいないとか、そんな些細なものに過ぎない。そう、それは本当に些細なことだ。このロンドンの日常に渦巻く、言語や、文化や、肌や目や髪の色、そして宗教の違いに比べれば。

「日本と西洋って、すごく違う﹅﹅よね」

 結局、眠ることのできなかった朝、私は二人分のコーヒーを淹れながら、独り言のように呟いた。

 西洋w e s t e r nという単語は、いわゆる白人の住む土地、ヨーロッパとアメリカという大きな範囲を指している。その広大な地域と日本を比べるだなんて、無謀だという人もいるだろう。けれど、私の実感として、アメリカとヨーロッパには大きな違いがあるけれど、ヨーロッパ内での違いはそれほど大きく感じられない。例えば言葉一つとってもそうだ。

 英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語――彼らの言葉は違うけれど、共通した部分も多く、その言語を知らずとも最低限の話は通じる。それは日本でいう方言のようなものだ。例えば津軽と薩摩では通じないかもしれないが、隣り合った地方ではまるで通じないということはないだろう。どうやら彼らもそんな感覚でお互いの言語を理解しているらしい。日本でいう外国﹅﹅はまるで言葉の違う国のことだから、そんな感覚一つ取っても、これだけ違うのだということに私は驚きを隠せない。

「そりゃあ、全然違うだろうね」

 一方のミヒャエルは、昨日ベッドへ行かなかったことをまだ怒っているのか、そっけない。それどころか、あの綺麗な青い目で私を見つめ、挑発するように口を開く。

「例えば、君たちはクジラを殺して食べるけど、僕たちはあんな素晴らしい生き物を食べるなんて考えられない」

「ミック」

 またそういうことを、と呆れつつ、彼の母親の呼び方で睨むように見ると、ミヒャエルは文句あるかというように手を広げた。だが、彼に限ったことではない。私はロンドンへ来てから、不機嫌や、議論で言い負かされたことへの腹いせを理由に、差別的な発言をする人に多く出会ってきた。クジラの代わりに日本人が殺されるべきだ、とか、もっとひどければ、東京に三つめの原爆を落としてやろうか、とさえ言われたことがある。もちろん、そうでない人もたくさんいる。それも事実だ。けれど、ここでは文化の違いが身近な分、それに対する反発も強い。国へ帰れなんて言葉は、侮辱ではなく、優しい忠告だとさえ感じるほどに。ともあれ、それらに比べれば、ミヒャエルの発言は可愛い方だ。

「鯨を食べるのは、私たちの文化だって言ったでしょう? そこには敬意を払って欲しい」

「敬意なんて払えないね」

 しかし、余程機嫌が悪いのだろう、ミヒャエルはだだをこねる子供のように続けた。

「君たちも、悪いことは悪いと認めるべきだ。あんな大きくて偉大な生き物を殺すなんて、考えられないよ。原始人だった頃ならともかく、いまの豊かな時代に必要だとも思えない」

「必要か必要じゃないかは、私たちが決めることよ」

 何度もした反論ではあるが、私はそれを改めて口にする。

「あなたたちも牛や豚を食べるでしょ。でも日本で広く獣肉を食べるようになったのは、明治時代から。あなたたちの文化が入ってきたからよ。農家にとっては大切な労働力だった牛を食べるなんて、最初は野蛮だって思われてた」

「西洋人は菜食を始めてる」

「全員じゃないし、あなたは肉を食べるでしょ」

「あれは家畜だから構わないんだ」

 家畜だから食べてもいい――正直、私には全く理解できない感覚だ。続けようとして、私は黙り込んだ。マグカップで渦巻く、苦い液体を見つめる。

 コーヒー。トルコからローマに伝わったとされるこの飲み物は、当初、異教徒イスラムが飲む悪魔の飲み物だとされた。けれど、その魅力に抗えず、何とかコーヒーを飲みたいと思った当時のローマ教皇は一計を案じた。何とコーヒーに洗礼を授け、キリスト教徒でも飲めるようにしたのだ。神の祝福を受けたコーヒーからは悪の属性が祓われ、無事飲めるようになった――のかどうかは知らないが、何だかすごい話である。

 この唯一絶対の神という存在も、日本人には理解しがたい文化の一つだった。砂漠で生まれた一神教は、人間と家畜の関係をそのまま、神と人間に当てはめている。聖書が迷える子羊s t r a y s h e e pよ、なんて言うのもそのためだ。広大な砂漠では、家畜は人間なしに生きられない。それと同じように、砂漠の人間は神なしには生きられなかったのだろう。日本には緑や水が溢れているからこそ、それぞれに宿る神様が生まれ、多くの神々を拝す多神教となる。しかし砂漠には砂の他は何もない。だから神様は一人だけ、しかもそれは人間の命を左右するとても厳しい神様だ。

 しかし、その神様にも理解しがたい謎がある。それはその一人の神様が、全く違う三つの﹅﹅﹅宗教の神様﹅﹅﹅﹅﹅だということだ。

 その宗教とは、大元のユダヤ教に、そこから派生したキリスト教とイスラム教。その三つはもともと一つの宗教で、彼らは同じ神を戴いているのだ。と、それだけならまだいい。問題は彼らは互いを異教徒と呼び、長い間、殺し合いを続けてきたという歴史である。

 こうなってくると、日本人にはもうお手上げだ。なぜ同じ神様を崇めながらもいがみ合うのか、理解不能の域である。その上、殺し合う理由が、当の神様による「異教徒は皆殺しにしろ」という命令だというから驚かされる。神様が殺人を命じるなんて、狂気の沙汰だ。そんな神様は、むしろ悪魔じゃないかという気さえする。

 その恐ろしい命令に比べれば、家畜は人間の食べ物だから自由に殺して食べていいのだという許可には、まだ理解の余地がある。人間は食べなければ生きていけないのだから、命を奪うための理由は必要だ。とはいっても、命はいただくものだという文化で育った私には、神様の許可という理由づけは、やはり奇妙なものにしか思えないが。

「もし君が本気で牛を可哀想だと思うなら、抗議活動をすればいい。でもそうしないってことは、君たちも家畜を食べることが残酷だなんて、これっぽっちも思ってないんだろ」

 ミヒャエルは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。議論はこれで終わり、とでもいうように席を立つ。勝ち負けは、彼らにとって重要であるようだった。これもどちらの言い分も立て、曖昧に終える日本人の議論――という名の話し合い﹅﹅﹅﹅とは全く違う傾向にある。

 けれど、私が黙ったのは曖昧さを求めたわけでもなく、かといって彼に勝ちを譲ったわけでもなく、やはり根本的な考え方の違い﹅﹅を二人の間に感じるからだった。ミヒャエルの言うように、私は牛が可哀想だと思っているわけではない。けれど、現実に私は鯨食の対比として、彼の肉食を責めた。それはなぜなのか。そう考えると、また別の違い﹅﹅が頭に浮かんだ。

 ミヒャエルは、神様が食べてもいいと言った家畜とそのほかのもの――いるか﹅﹅﹅や鯨の命に差があると思っている。多くの西洋人もそうだろう。けれど、私は――そして多くの日本人は、そう思っていない。牛や豚という家畜も、いるか﹅﹅﹅も鯨も、そうじゃない魚や、例えば植物や虫にだって、同じ命があると思っている。だから、牛を食べながら「鯨を食べるな!」と叫ぶ西洋人の気持ちが分からずに首をかしげる。

 そんな前提に立った上での話だ。その上で私たちは、日本人としては鯨と同じ命であり、西洋人が良く食べるものの例として牛を挙げ、どうして牛肉は食べてもいいのかと聞き返す。しかし、唯一絶対の神の教えとして、家畜と野生動物の命に完全なる違いを感じている西洋人には、その質問の意図が伝わらない。鯨と牛の命は、彼らにとって全くの別物だ。その結果、彼らは、牛が可哀想なら牛のために抗議活動をすればいいという、ちんぷんかんぷんな回答を私たちに寄越す。私たちの会話は通じているようでいて、全く噛み合ってはいないのだ。

 文化が違えば常識も違う。言葉にすれば、それだけのことなのだろう。けれど問題は、大抵の場合、その常識の違いにお互いが気づけないまま、すれ違い続けることだ。誰だって、自分が普通﹅﹅だ。自分が生まれた国の文化にどれほど影響されているかなど、自覚している方が珍しい。こんなことを考える私でさえも――いや、こんなことを考えることこそ、相手の立場でものを考えるという、私が日本文化の枠から外れることのできない証拠ではないか。

 沈みきった気分で時計を見上げると、私は重い腰を上げた。そろそろ大学へ行かなくてはならない時間だった。支度を整え、ミヒャエルの部屋を躊躇いながらもノックする。

「私、もう出るけど――」

 しばらく待つ。しかし彼はまだ不機嫌なのか、それとも何か描き始めたのか、中から応える声はない。

「じゃ、行ってくるね」

 返事を諦め、私は外へ出た。冬の曇り空に首をすくめ、早足で歩き出す。

 一階に住んでいる大家のおばさんが、おはようと声をかけ、続けて「ミックは?」と尋ねる。私はコートの襟に半分顔を埋めたまま、曖昧に笑って二階の部屋を指した。

 同じ絵画のコースで特待生だった彼と知り合い、付き合うようになり、二年前にこのフラットへ引っ越してから、思えば私たちはどこへ出かけるのも一緒だった。絵に描いたような金髪碧眼、どこへ行っても人の目を引かずにはおれない、まるで天使のようなミヒャエルの隣を歩くのは勇気がいることだったが、それでも彼は私と一緒にいたがった。同じ白人の――それこそ彼と同じ金髪碧眼の綺麗な女の子には目も向けずに、平凡で見た目も違う日本人の私の横にいた。私はそれがとても不思議で、それでいてとても嬉しかった。日本を飛び出した先で出会ったミヒャエルは、文字通り、世界に一人だけの運命の人だった。それなのに、今日のように私が一人で出かけるようになってしまったのは、いつからだろう。

 ふと記憶を遡ると、ひやり、胸に冷たいものが走った。それは鯨の骨というモチーフが、徐々に頭の中を占めだした頃――私が違い﹅﹅を意識し出した頃からかもしれない、そう思ったのだ。

 日本を出て、異国に溶け込もうと必死になっていた時期を過ぎ、そこで「日本人である私」という存在を私自身が受け入れ、ようやくミヒャエルを真っ直ぐに見つめられるようになった頃。そうして、私たちの間の違い﹅﹅に気づき、彼の青い目が見る景色を見たいと望み、同じように私が黒い目で見る景色をミヒャエルにも見て欲しいと思い始めた頃。そう思い始めた頃、二人の間にいままでにはなかった隙間ができた。

 一度思いつくと何事にも熱中してしまう私は、あまりに私たちの違い﹅﹅について強調し過ぎてしまったのかもしれない。私は自らを省みた。私にとって、違い﹅﹅を考えることは分かり合うための一歩だったけれど、ミヒャエルはそうと受け取らず、私の言葉に傷ついてしまったのかもしれない。私たちは分かり合えないのだと、そう言われたような気がしてしまったのかもしれない。そういえば、一時帰国する前からミヒャエルは何だか変だった。だというのに私ときたら帰って早々、苛々してばかりだった。

 ため息をついて反省すると、ミヒャエルときちんと話をする、と頭の中にリマインダー登録をして、私は足を早めた。

 私はミヒャエルのことが好きだった。子供っぽいところも大人びたところも、ドイツ人のくせにサッカーにまるで興味がないところも、お酒を全く飲まないストイックさも、何より異国に来たばかりで右も左も分からなかった私を支えてくれた優しさも、それに悔しいけれど絵の才能があるところも、全部ひっくるめて好きだった。けれど、それなら十分な愛情表現ができていたかと聞かれると、自信はない。あなたが好き、私もそう言いたいのは山々だったが、日本語の「好き」は英語にならない。かといって愛してるI l o v e y o uと言うのが恥ずかしく、それで一度、ミヒャエルにドイツ語を教えて欲しいと頼んだことがあったのだが、彼自身も英語に慣れているせいか母国語を使うこともなく、結局、その話はうやむやになってしまったのだった。

 それならネットでドイツ語を調べておいて、突然話して驚かせてみようか――頭の片隅で考えながらも、私は例のモチーフのことを教授にどう切り出すべきか、そちらのほうに思考は逸れていくのだった。



 こちらから話を切り出すまでもなく、日本から帰ったことを告げた私に、教授は「残念だったわね」とまずは落選を惜しんでくれた。この大学に入るために送った作品を見て、私の入学を強く推してくれたのがこの教授だった。私はそれに感謝するのと同時に、指導者としての彼女の力に信頼を置いていた。

「あの作品は私も気に入っていたのだけど……次のモチーフは決めているの?」

 銀縁の眼鏡越しに見上げられ、私は心構えをする暇もなく、気がつけば頷いていた。

「はい。……故郷にある鯨の骨を描こうと思っています」

「クジラの骨?」

 一瞬、教授は顔をしかめた。

「なぜ、クジラなのかしら」

 その声が、どこかよそよそしい雰囲気をまとったのは気のせいだろうか。今朝のミヒャエルとの会話が頭をよぎる。やはり、西洋人にとってクジラの話題は禁忌なのだと思い知る。

「私は日本人で、それも鯨を食べる地域の出身ですし」

 それでも慎重に言葉を選びながら言うと、私が臆したことに気づいたのだろう、他の良識ある西洋人と同様、少なくとも表向きには公平さを装うことのできる彼女は、努力の末、平静に首を傾げた。

「日本の捕鯨w h a l e h u n t i n gは知ってるわ。でも、絵画に政治を持ち込むのは頭のいいやり方じゃないと思うけど」

 捕鯨w h a l e h u n t i n g。その英単語に、私は改めて違和感を覚えた。なぜならハンティングという言葉には、動物を追いかけて殺すことへの快楽が含まれているような気がするからだ。というのも、ここ、イギリスで狩りは貴族の遊びの一つである。肉や毛皮のためというよりは、狩りは楽しみであり、気晴らしなのだ。だから日本語で「遊び」と訳される単語、ゲームg a m eは獲物のことを指すし、剥製にした鹿の頭はトロフィーh u n t i n g t r o p h i e sとして壁掛けにされる。

 けれど、捕鯨やいるか﹅﹅﹅漁という日本語に快楽は含まれない。なぜなら、それは食べるための漁だからだ。命を頂くという行為に祈りはすれど、面白いからといってやっているわけではない。こちらとしては、生きるための伝統と、遊びの伝統をごちゃまぜにされるのは迷惑極まりない話であるが、しかし、彼らが捕鯨w h a l e h u n t i n gを野蛮だというのは、そういった文化的背景から紡がれた言葉の違いというものも、大いにあるのではないだろうか。

 私は反論を試みた。

「動機は政治的なものじゃありません。私は文化の違い﹅﹅を描きたいんです。そう思ったときに、その象徴として鯨の骨がずっと自分の中にあったんだっていうことに気づいて、だからそれで――」

 しかし、教授は首を振った。

「クジラを食べた後の残骸﹅﹅の絵を、審査員が気にいるとは思えないわね。別の題材にしたらどう?」

「それは――違うんです。骨は決して残骸ではなくて」

 説明しようとしながら、私はそこで再び言葉を切った。教授が先を促すように私を見る。

 彼女は鯨の問題に関する信条をできるだけ除外した上で、私を案じて助言してくれているということは理解していた。けれど、その助言こそ、私たちの間には言葉では埋めがたい深い溝が存在しているということを改めて示すものだった。鯨を食べた後の残骸、だなんて。私の胃は鉛を飲み込んだように重たくなった。

 鯨には捨てるところなどない。彼女が残骸と呼ぶ骨もまた、重要な資源であり、日用品から肥料まで、幅広い用途があった。それを使わずして残したあの美しい骨の鳥居は、私たちの歴史であり、命への感謝の印であり、恵みを与え、神様となった鯨を敬う気持ちそのものだ。けれど、それも欧米人の文化というフィルターを通せば、ただ日本人の残酷さを物語る、野蛮な遺物と化してしまう。

 私たちは、かくも分かり合うことができないものか。私は絶望に似た思いに囚われた。そして、その絶望は、次が最後の芸術祭になるだろうという事実と相まって、私に自棄を引き起こした。

「ありがとうございます」

 私は暗いものを無理やり引き剥がした笑顔で言った。

「でも、変える気はありません。まさかモチーフが気に入らないからと言って、出品拒否なんかされないですよね?」

「それはそうだけど……」

 やや面食らったように、けれど十分慎重に、教授は答える。

「では、そうします」

 一礼すると、私は教授の部屋を出た。日本人らしくもなく、礼を欠き、大見得を切ってしまったことに、いまさら胸が早鐘を打つ。けれど、口から出た言葉は変えられない。ああ言ってしまった以上、私は自分でも納得できるものを描き上げなければならないのだ。

 やれないのではない、やらなければならないのだ――昨日も繰り返した言葉を呟きながら、私は早足でデッサンのクラスへ向かった。



 クリスマスを過ぎ、新年を迎える頃、ロンドンは一日の三分の二ほどの時間が暗闇に閉ざされる夜となり、反比例するように明るい昼の時間は少なくなる。黒潮の傍で育った私は寒さにも弱いが、それよりもこの暗さには神経が参ってしまうようで、こちらへ来てからというもの、冬はとても苦手な季節となった。

 しかし、一方のミヒャエルは私とは真逆で、日差しのきつい夏が終わると、徐々に元気を取り戻す。暗くなり始める午後三時にはカーテンを閉めきり、外出を避ける私を横目に、真夜中のような夕方の街へと嬉々として出かけていく。もちろんヨーローッパで生まれ育ったという慣れもあるのだろうけど、あの青い目が私の黒い目よりも闇を見通すということを思うと、私は不思議な気分に陥る。

 ヨーロッパの画家たちが描く絵画は、その画面がとても暗いことが多い。いや、私たちに﹅﹅﹅﹅とっては﹅﹅﹅﹅暗く見える﹅﹅﹅﹅﹅と言った方が正しいだろうか。ミヒャエルも好んで暗い色彩の絵を描くし、反対に私の色は明るすぎると指摘されたこともある。最も、それは普通に生活する分には微々たる違いなのかもしれない。けれど私たち画家にとって、その違いは意外に大きいのではないかと考えることがある。青い目と、黒い目。その二つの目から見る色彩が僅かでも違えば、それは美的感覚にも影響する。何を美しいと思うかという感覚は、そういった肉体的な要素にも依存しているのではないだろうか。

 違い、というテーマは、未だ私の中で燻り続けていて、それが目の前のカンヴァスをいつまでも白くしている理由だった。カーテンを閉め切った部屋の明かりに際立つ、その白さとにらめっこをしているうちにふと気がつくと、隣の部屋にミヒャエルはおらず、紅茶の入ったマグの持ち手は死人のように冷たかった。

 私たちが分かり合うための違い﹅﹅という話題について、彼はいい顔をしなかった。

『いままでうまくやれているのだから、話し合う必要なんかない』

 彼はそう言って、話し合いの席に着こうとはしなかった。それどころか、

『僕を嫌いになったんなら、そう言ってくれ』

 と、明後日なことを口にし出したので、私はそうではないことを懸命に説明しなければならなかった。それでも彼は頑なな態度を崩そうとはせず、最後には、

『僕はドイツ人なのに、日本のやり方を押しつける気か』

 そう怒り出したので、私は引き下がるしか選択肢がなく、それ以来、この話題を出すこともなくなった。そうして数日でも大人しくしていれば、彼もいままでと同じように私を抱きしめ、どこへ行くにも私を伴うようになるのだった。

 違いについて話すことを、彼はどうして嫌がるのだろう。違いを知り、共有することができれば、それはいま以上にお互いを尊重することに繋がるという私の考えは、それほど日本的でおかしなものだろうか。

 悩んでいると、ベルが鳴った。ミヒャエルなら鍵を持っているはずだけれど――不思議に思いながらドアを開けると、そこに立っていたのはクリスタルだった。ドアを押さえる私の腕越しに部屋を見回し、「ミヒャエルは?」と短く問う。

「出かけてる。どこへ行ったかは知らないけど」

 そう答えると、この遠慮を知らない中国人の女の子はあからさまに不満げな声を出しながら、ずかずかと部屋に入り込んだ。

「せっかく一緒に食べようと思って買ってきたのにな。……あんた、いる?」

 断りもなくベッドに腰掛けると、無造作に紙袋の中身を突き出す。

烤番薯k a o f a n s h u

「なに?」

 甘い匂いに誘われて受け取ると、中から出てきたのは焼き芋だった。

「わ、懐かしい。中国にもあるんだ」

 思わず言うと、

「日本のは中国から伝わったんでしょ」

 眉をしかめたクリスタルは言う。

「そうね。で、中国にはどこから伝わったの?」

 サツマイモはペルーあたりが原産だったはずだ。負けじと私も言い返す。とはいえ、これくらい言えないようでは、中国人だけではなく、外国人とは友達になれない。とはいえ、その中でもクリスタルは特別強気で、変わった人ではあるが。

「最近、うまくいってないんでしょ?」

 まるで聞こえなかったかのように私の言葉をさらりと流すと、そのまま焼き芋にかぶりつきながら、クリスタルが言った。切れ長の目を、獲物を見つけた猫のようにぴかりと光らせる。

「そんなことないよ」

 彼女の意図を察した私は、苦笑いしながら同じように焼き芋を頬張った。甘くてねっとりとしていて、とてもおいしい。街で見かけたことはないけれど、どこで売っているのだろう。チャイナタウンの方だろうか。

「嘘」

 クリスタルが身を乗り出す。

「嘘じゃないって」

「嘘だよ。だって、ミヒャエルから聞いたんだもの」

 何を、と聞く代わりに、私はもう一口焼き芋をかじった。二口目は、先ほどよりも甘くなかった。

 彼女のことだ、その言葉に誇張が含まれていないとも限らない。しかし、私たちはうまくいってない――そんな意味のことをミヒャエルが言ったのだと聞かされるのはショックだった。それもよりによってクリスタルを相手に。彼も彼女の気持ちなど承知のはずで、いや、だからこそ彼女に話したということだろうか。だとしたら、私たちは本当にうまく﹅﹅﹅いって﹅﹅﹅いない﹅﹅﹅

 私の顔が曇ったのを見て、クリスタルはにっこりと笑った。

「私の方はいつでも大丈夫よ。あなたたちが別れたと聞いたらすぐに荷物をまとめて、あなたと部屋を交換するわ。その日のためにちゃんと片付けてあるんだし、大家さんにも話は通してあるんだから」

「私たちが別れたからって、あなたが彼と付き合えるわけじゃないでしょ」

「そうかもしれないけど」

 綺麗な長い指を頬に当て、クリスタルは言った。

「私は努力を厭わないわ。フラットメイトから始めて、最終的に彼の天使のような子供を授かることができれば、どんなことだってする覚悟よ」

 冗談とも本気ともつかない発言に呆れ、私はクリスタルを見る。しかし、彼女はそれがどうしたといった澄まし顔で焼き芋を頬張っている。

 このクリスタルは、私とミヒャエルが恋人同士なのにも関わらず、果敢に彼にアタックを繰り返す、よく分からない人物だった。それも彼の内面でなく、金髪碧眼という見た目に惹かれているということを隠そうともしないのだから、こちらとしては潔いんだか失礼なんだか分からない。けれど、性格も外見も選んでる﹅﹅﹅﹅って事実は同じでしょ――というのが、毎度毎度の彼女の言だった。容姿で選ぶのも、はたまた年齢で選ぶのも、趣味で選ぶのも、そう違いはないというのだ。

 確かにミヒャエルの顔は綺麗だ。加えて、彼の母国であるドイツや北欧ならともかく、他のヨーロッパ地域に金髪碧眼というのは少ない。特に、移民の多いロンドンでは稀と言っても良く、彼はとても人目を引いたし、日本の友人に写真を見せれば、「王子様みたい」と問答無用で羨ましがられた。「イギリスって女性差別もないし、男の人も紳士なんでしょ? 私も日本なんかより、そういう国に生まれたかったよ」と、その後に続く発言には、苦笑いするしか無かったが。

 異民族がひしめき、自らのアイデンティティを守るために戦ってきた大陸の国々と違い、侵略された経験のない日本には、から来るものは良いもの、という価値観がある。実際、日本は親交のあった中国やオランダ経由で思想や医学、あらゆる技術を学んできた。侵略という最悪の経験もなしに、それらを取り入れるだけで済んできた。だから日本という国は謙遜という文化も相まってのことだろうか、マスメディアを筆頭に簡単に自分の国を否定して、海外のものを――特に欧米のものを有り難がる傾向にある。「日本文化のこういうところが悪い」だの、「欧米と比べて日本は――」だのと、テレビ出演者は平気で口にするし、その真逆を行くような「日本のここがすごい」という番組にしても、欧米人に認められたいという意図が透けて見えるものばかりだ。けれど、文化に良し悪しなどあるだろうか。また、それがもしあったとしても、どうしてその判定を欧米人の価値観に委ねなければならないのか、私にはよく分からない。

「……違い﹅﹅について考えてるの」

 クリスタルの物怖じしない態度に救いを求めるように、私は胸の内を吐き出した。

 ミヒャエルのことを抜きにすれば、私たちはいい友人同士だった。クリスタルからすれば、私はずっとアタックしていた想い人を横からかっさらった嫌な女かもしれないが、それでも下手な英会話に辛抱強く付き合い、思ったことをきちんと伝えてくれる友人は、海外でなくても得難いものだった。それは彼女もきっと同じだろう。でなければ、こんなにおいしい焼き芋を譲ってはくれない――と思う。

「違い? 何の?」

 ぺろりと焼き芋を食べ終えたクリスタルが尋ねる。

「私たちの。というか、日本と西洋の」

「そんなこと考えてどうするの? あんたはあんたのやりたいようにやればいいじゃない」

 クリスタルがあからさまに嫌な顔をする。中国人は強いなと、私は思わず苦笑した。世界の中心は中国である――中華思想とはよく言ったものだが、その言葉の通り、本当に彼らの頭には中国の他はない。だからそこがどんな国であろうと気にもせず、一族郎党を引き連れて移住し、チャイナタウンを作ってしまうし、また自分が中国人であるという確固たるを持っているからこそ、中国名とは別にイングリッシュ・ネームを持ち、それで日常生活を送ることを厭わない。郷に入れば郷に従えと、懸命に異国の生活に溶け込もうとしたり、海外でも通用するような子供の名付けに頭を悩ませたりと、そんな親すら存在する日本とは大違いだ。

「ホント、日本人っていい子ちゃんだよね」

 クリスタルこと、李可欣l i k e x i nは呆れたように言った。

「どうせ、お互いに理解しあったら世界は平和とか言い出すんでしょ。馬鹿みたい」

「何が馬鹿みたいなのよ。争うよりは、平和の方がいいでしょう」

 思わずむっとした私が言い返すと、

「そんなこと言えるのは、育ち﹅﹅がいいからだよ。外敵も来ない島国でぬくぬくしてさ。大陸だったら真っ先に滅んでるタイプだよ。っていうか日本って、中国での競争に負けて逃げた職人が作ったんだっけ?」

「どうしてそんな意地悪なこと言うの」

「意地悪じゃないわ。私は誇り高き﹅﹅﹅﹅中国人だもの。負け犬を軽蔑するのは当たり前でしょ」

 クリスタルが顎を上げる。その「誇り高き中国人」というのは、彼女の好きな台詞だった。愛国心があるという意味だろうか。私にはよく分からないが、中国で職人の地位が低いのは知っている。これも日本人にはあまりピンと来ない話だが、自分の手で何かを作り出す職人は下っ端で儲からず、出来た商品を売り捌く商人の方が労なく儲かるから偉い、ということになるらしい。

 お金を多く持つ方が偉い、という考え方は、日本の都市と共通している。とはいえ、まずは挨拶代わりに相手の学歴と年収を聞き、その場で上下関係をはっきりさせるという中国ほど、日本の都市は都市ではないかもしれないけれど。

「日本人の先祖は大陸からだけじゃなくて、南のポリネシアからも来たらしいよ」

 私はため息をつき、クリスタルを見つめた。同じアジア人、しかもお隣の国であっても、これほどの違いがある。だとすれば、私とミヒャエルの間にある、その途方もなく大きな溝はどうやったら埋まるのだろう。私はもう一度息をつき、白いカンヴァスに目を移した。と、あることを思い出し、勢い込んでクリスタルに尋ねる。

「ね、そういえば、中国って犬の肉を食べるんでしょ? あれって、どうなの? 海外から色々言われない?」

「犬の肉? ああ、狗肉g o u r o uね」

 クリスタルは肩をすくめた。

「中国は広くて色んな民族がいるんだから、一括りにして欲しくないわね。私はあんな残酷なことには反対だし、狗肉なんか食べたこともないわよ」

「そう……よね」

 犬の肉を食べるなら、鯨を食べることにも理解を示してもらえるかもしれないと思ったのだが、それは浅はかな考えだったらしい。私が落ち込むと、刹那、クリスタルの目の奥がちり、と燃えた。怒ったように腕を組み、耐えきれないようように大声を出す。

「私、だから日本人って嫌いなのよ。分かる? 主張もしないくせに勝手に反省して、問い詰めれば『争うのは良くない』とか、優等生みたいなこと言って。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。謙遜だか何だか知らないけど、何も主張しない人間なんていないのと同じよ。あなたの国じゃ、そこにいるってだけで尊重されるのかもしれないけど、少なくともここは違う。中国だってそうよ。人が多すぎて、一人一人になんか構ってられない。生きるって競争よ。それを勝ち抜いて、私もここにいるのよ。なのに最初から勝つ気がないってんなら、さっさとご退場願えないかしら」

「ご、ごめん……」

 彼女の勢いに思わず謝罪の言葉を口にして――私は首をすくめた。

「ほら、そういうところ!」

 予想通りの反応をして、クリスタルが部屋を出て行く。大きな音を立て、ドアが閉まる。

 彼女を怒らせてしまったのは、何もこれが初めてではなかった。いままでに何回も私たちは喧嘩をしている。原因はいつも同じようなことだったが、何度同じ場面を演じても、私はどうするべきなのか、未だにヒントすら得られていない。

 クリスタルの温もりが残るベッドにばたんと寝転び、私は低く唸り声をあげた。右手には、まだ食べかけの焼き芋がある。そういえば、これのお礼を言っていなかった――私はメールを打とうと携帯に手を伸ばしかけ、やめた。これが日本人同士なら、そこから仲直りの糸口も掴めることだろう。けれど、相手がクリスタルでは、その限りではないことは明らかだ。しかし謝ることも、お礼を言うことも無理ならば、一体どうすれば彼女の怒りは解けるのか、私にはやはり見当もつかないのであった。



 クロッキー帳を何冊も潰し、全身の骨格や顎の骨、頭蓋骨と、どれだけ描いてもしっくりこない鯨の骨と格闘すること数ヶ月、その間に冬は過ぎ、イギリスにも春が訪れていた。

 石造りの街に整列した街路樹は一斉に芽吹き、マーケットにも新鮮な緑が並ぶ。グリンピースに空豆、小さな葉付き人参に淡い色をしたキャベツ、中でも目を引くのは、短い春の風物詩としてヨーロッパ中で盛大に売り出されるアスパラガスである。見るだけでわくわくするような野菜たちを見ていると、ふと、その一角に日本のものの二倍はありそうな太いホワイトアスパラガスを見つけて、私は思わず手に取った。

 新しくクラスに入ったドイツ人の友人に、旬のホワイトアスパラガスの素晴らしさと、ドイツ人がどれだけそれを愛しているかということを、熱烈に説かれたばかりだった。値札についた数字はお財布に痛いが、外食よりはずっと安いし、何より故郷の味だ、ミヒャエルが喜ぶだろう。彼の笑顔を想像し、私は思わず口元をほころばせながらアスパラガスを袋に入れてもらった。

 レシピを聞くのを忘れたが、それはミヒャエルが知っているだろう。グリーンのものは日本では炒めるか、茹でてマヨネーズをつけるだけだったが、彼の家ではどんな風に食べるのだろう。未知の味に思いを馳せ、浮かれていたせいだろうか。マーケットを出た瞬間、私は走ってきた子供にぶつかった。しまった、咄嗟に思ったのは、ぶつかったことにではなく、尻餅をついた子供に手を差し伸べてしまった自分の行動に対してだった。

 差し出された手を握って立ち上がり、薄い笑みを浮かべると、その子供はぱっと私の懐に飛び込み、すぐさまマーケット横の細い路地に走り込んだ。そこには仲間と思しき小さな子供たちがいて、大声を出そうか出すまいか、迷った私を笑うようにぱっと散り散りになって逃げていく。コートの内ポケットに入れたはずの財布は、ない。

「この泥棒どもが!」

 一部始終を見ていたらしい男性が、私の代わりに怒鳴り声を上げる。ベンチに座っていた年配の女性が、気の毒そうに私を見上げる。普段はアジア人などに目もくれない地元の英国人たちが、私の味方をするように、子供への怒りを顔に浮かべる。財布だけでも捨ててあることを期待して、私は路地に目を凝らしたが、そこには当然のように何もない。

 子供たちはロマと呼ばれる一族で、古くは差別的な意味を込めてジプシーと呼ばれた人々だった。彼らは元々インドのあたりからヨーロッパへやってきたと言われる移動型民族の総称であり、ロマと一言で言っても、浅黒い肌に茶色い髪と目といった典型的な外見から、白人と見分けがつかないような見た目まで様々で、また住む場所によって言葉もそれぞれであるらしい。

 流浪民である彼らはヨーロッパ人とは違った風俗を持ち、決して同化しなかったため、ヨーロッパ人は歴史的に彼らを差別し、迫害してきた。それがどれほどのものだったかといえば、第二次世界大戦中にユダヤ人と並び、ナチスドイツに虐殺されていたほどだ。しかし、だというのに被害者としての名も上がらないのは、彼らがよほど嫌われているせいか、それとも貧乏であるせいか。歴史にその名が刻まれるためにさえ、お金は必要とされるのかもしれない。

 ともあれ、彼らの多くは未だに極貧生活を強いられていて、それゆえに子供の頃からスリや詐欺などの軽犯罪を犯し、生活する例が後を絶たない。そのため、ロマといえば犯罪者という図式は日に日に強固なものとなり、結果、彼らはいまもヨーロッパ中の嫌われ者なのだが――天から地へと落ちた気分で、私は携帯電話を耳に当てた。ホワイトアスパラガスのおかげで財布の現金は少ないが、カード類は早く止めねばならない。手続きをしながら、部屋へ帰る道のり、私はますます落ち込んでいた。何と言っても彼らのメインターゲットは、隙だらけの観光客だ。だというのに、イギリス三年以上も住みながら、いまさらロマに引っかかる自分が、とてつもない馬鹿に思えたのだ。

「おかえり。……何かあった?」

 よほど酷い顔をしていたのだろう、出迎えてくれたミヒャエルが心配そうに首をかしげる。

「子供に財布盗られた」

 すると瞬間、ミヒャエルの顔が歪んだ。思った通り、私は馬鹿にしか見えないのだろう。私はさらに落ち込みながらも、気分を切り替えるように右手の袋を上げた。

「でも、これは盗られなかったよ。何だと思う?」

 さあ、心なしか強張った声でミヒャエルが答える。私は殊更明るく、中身をキッチンテーブルに出した。

「じゃーん、ホワイトアスパラガス! 驚いた? 友達に聞いて買ってみたんだ」

 言いながら、コートを脱ぎ、洗面所で手を洗う。

「この時期、ドイツじゃアスパラガスでお祭り騒ぎになるんでしょ? 日本じゃ、白いのなんて見たことないよ。しかもこんなに太いの。あ、でも一度缶詰のやつは食べたことがあった気がするけど……あれ、いつだったかなあ」

 呟きながらキッチンへ戻ってくると、ミヒャエルは先ほどと同じ場所に突っ立ったままだった。その視線はアスパラガスを見つめている。私は彼の肩に手を置いた。

「レシピを聞くのを忘れたんだけど、これ、どうやって食べるの? 茹でる? 炒める? それとも――」

 そうしながら視線を遮るように覗き込むと、春の空のような瞳に私の姿が映り込んだ。綺麗だな、素直に私はそう思った。彼は綺麗だ。この綺麗な人の傍にいて、彼の中身をもっと知りたい。できることなら、その心のひだの奥の奥まで、知りうる限りの全てを知りたい。そう思ったときだった。

「君はあんな絵を描くべきじゃない」

 唐突に、ミヒャエルはそう言った。春の空に映されたまま、私は驚き、戸惑った。

「あんな絵? 何の話?」

「分かってるだろ、鯨の骨の絵だよ」

 そう言うと、私の肩を強く掴む。

「あんなものを描いても、ここじゃ評価されない。鯨は守られるべき動物で、食べるなんて野蛮なんだ。そんなものを描くのは時間の無駄だよ。君には才能があると思う。だから、奇をてらわずに、いままでみたいなものを描けばいいんだよ。風景とか、人とか、そういう当たり障りのないものを」

「でもそれじゃ嫌なの。私が描きたいのは――」

「だめだ。どうしても描くって言うのなら、僕は君と別れる。クジラの骨を描くなら、僕と別れてから描けばいい」

「それ、本気?」

 あまりに唐突な宣言に、私は信じられないような気持ちで聞き返した。

「本気だ」

 ミヒャエルは答えた。その眼差しは冗談など挟みようもないほど真剣だった。

違い﹅﹅なんてこの世にはない。あるのは許されるものと、許されざるものだけだ。鯨を食べるのが文化だって君たちの言い分はわかる。けど、許されないものは許されないんだ。日本は西洋より遅れているから分からないだろうけど、未来から見れば絶対に僕たちの方が正しいんだ。捕鯨は野蛮な悪事で、正義はそれを止める方にある。それが違い﹅﹅とか文化じゃない、唯一無二の真実﹅﹅だってことが、いつかきっと日本人にも分かる日が来る。だから――」

「馬鹿言わないで!」

 肩を掴む彼の手を、私は強く払いのけた。ミヒャエルの手は震えていたが、それがなぜかなんて考える余裕など私にはなかった。私は傷ついていた。その傷ついた心のままに、私は彼に向かって叫んだ。

「日本は遅れてるとか、鯨を食べるのは野蛮だとか、あなたは本気でそう思ってるの? そういう風に私を見ていたの? 私はドイツ人のあなたより格下の日本人だって、ずっとそう思っていたの? 許すものと許されざるものなんて、一体誰が決めたっていうの?」

「分からない」

 苦しそうにミヒャエルは言った。

「けど、僕の言うことは絶対正しい。絶対だ」

「絶対なんて、そんなものはこの世にないよ。正義も悪も、良いものも悪いものも、何もかも」

「それが分からないから、君たちはいつまでも野蛮なんじゃないか! 西洋のものが何よりも優れてるってのは、世界の常識だろう? 文化も、芸術も、人も、だから君は白人である僕を選んだんだろう――」

 己の言葉に動揺したように、ミヒャエルはそこで口を閉じた。彼の青い目は潤み、金の髪は額に柔らかく垂れていた。神に愛された、天使のような容姿。誰もが振り返らずにはいられない、美しい彼。そのとき、私の中で何かが崩れる音がした。

「そんなことを思ってたの?」

 口から出た声の冷たさに、私は自分で驚いた。しかし、どんなに努力しても、それに温度を与えることはできなかった。

「私があなたを見た目で選んだって」

「だってそうだろ、もし、僕が黒い髪で黒い目だったとしたら――」

「気にしないよ。私にとっては、その方が普通﹅﹅だもの」

「そんなのどうだか分からない。だって君は実際、僕を――」

「でも、ミヒャエルだってそうでしょう?」

 彼を遮って、私は言った。藁へも縋るような心地だった。

「だから私と一緒にいてくれたんでしょう、目や髪の色が何色かなんて、そんな違い﹅﹅はどうだっていいことだから」

「そうだけど、君はもっと」

 酸素のない水の中で、彼は喘いでいるようだった。しかし、私は追い討ちをかけるように言葉を重ねた。

「もっと、何? 喜ぶべき? 額を地面に擦り付けて有り難がるべきだった? 世界で一番美しい、金髪碧眼の白人様﹅﹅﹅と付き合えることに?」

 ミヒャエルは沈黙で答えを語った。少なくとも私にはそう感じられた。

 私は無言で部屋に戻ると、カバンに手当たり次第ものを詰め込んだ。服に時計に画材にスケッチブック、あの真っ白なままのカンヴァスもシーツで包み、トランクへと括りつける。そして、そこに立ち尽くしたままのミヒャエルの横を通り抜け、二人で選んだ部屋を出た。そうしながら、涙が溢れた。そんな自分に罰を与えるように唇を噛み締めた。

 私は決して、彼の見た目だけに惹かれたわけではなかった。彼の目が、髪が黒くても――肌の色が何色でも、三年前のあのとき、目の前に現れた人が彼ならば、私は恋をしただろう。それは揺らぐことのない真実だ。私にしか分からない、それでもたった一つの真実だ。しかし、私は彼を綺麗﹅﹅だと思っていた。それもまた、唯一無二の真実だった。

 金髪というのは、遺伝子による頭髪の色の発現であり、それ以上の意味はない。それは目の色でも、肌の色でも同じことだ。それが青でも、緑でも、茶色でも、黒でも、私の知らない他の色でも、その中でどの色が一番美しいという、絶対的な価値などない。それはただの違い﹅﹅だ。私はそう信じ、それを理解しようとしていたつもりだった。けれど、それでも――私が彼を綺麗だと思う気持ちの中には違い﹅﹅ではない、憧れのようなものが少しも存在しなかっただろうか。天使だとか神だとか、そういった偶像を崇めるのに似た、憧れのような感情が。

 きっと彼はそれを敏感に感じ取っただろう。もしかしたら後進国﹅﹅﹅の女の子からの憧れは、同じ西洋人からのそれよりも大きく感じられたのかもしれない。王子様みたい――日本の友人が言ったように、何のことはない、私も同じ価値観にどっぷり浸かった人間だった。それは違い﹅﹅などではなかった。そうではなく、日本よりも西洋のものが、白人が優れているのだという思想に、私も自分が思った以上に染まっていたのだ。

 けれど、私はイギリスへ来たことで、その思想に違和感を持った。イギリス人だって日本人と同じ人間で、嫌なことを言う人もいれば、いい人だってたくさんいる。どうしても馴染めない風習もあれば、喜んで参加したいようなものもある。人間が生き、育んだという意味では、それはどちらがいいとか悪いではない同等の文化なのだ。

 しかし、テレビによって、書物によって、そして人によって、白人は優れていると刷り込まれた私たちにとって、その白人たちの文化を自分たちの﹅﹅﹅﹅﹅ものと﹅﹅﹅同等で﹅﹅﹅あると﹅﹅﹅感じる﹅﹅﹅ことは﹅﹅﹅とても﹅﹅﹅失礼な﹅﹅﹅ことだった﹅﹅﹅﹅﹅。だからこそ、それは違い﹅﹅であると、私は自分に言い聞かせ、それについて考え続ける必要があった。それは白人優位の価値観から抜け出し、私という日本人のアイデンティティを確立するためには絶対に必要なことだった。

 あれほど描きたいと願いながら、鯨の骨というモチーフを自分のものにできなかった理由を、私はようやく理解した。捕鯨は文化だと口では言いながら、私はどこかでそれが野蛮だ﹅﹅﹅という西洋の言い分を許していたのだ。だから当然のように私たちを蹂躙する西洋を尊重するばかりか、それにゴマを擦り、追従することさえしたのだ。それがグローバル化﹅﹅﹅﹅﹅﹅だと受け入れたのだ。けれど、そうした結果はどうだ。それは世界に二百近くある国々と交わりゆくグローバル化﹅﹅﹅﹅﹅﹅ではなく、白人文化を崇める白化﹅﹅を加速させただけではないのか。

 チャイナタウンにほど近い、赤煉瓦に白い窓の並ぶフラットの前で、私は足を止めた。部屋番号を確認すると、その一室のベルを鳴らす。ほどなくして顔を出したクリスタルは、カンヴァスを括りつけたトランクと私を見て、すぐに事情を察したようだった。ちょっと待って、と私を中に招き入れると、てきぱきと荷造りを始める。

「あの部屋より、ここのほうが家賃は安いわよ。今月分は払ってあるから、もし別の部屋を見つけたかったら早めにね。あなたの部屋は?」

「……今月は大丈夫。あとはミヒャエルと相談して」

「そうする。他に注意することは?」

「別に。暖房の調子が悪かったけど、もう使わないだろうし」

「そうね。こっちの大家さんには話は通ってる……って前に言ったわね。そっちの大家さんはイギリス人でしょ? 言わなくても、同じアジア人だから区別がつかないかな」

「そうかもね。じゃなくても、フラットメイトが変わるなんて珍しくもないし」

 淡々と答える私に、クリスタルがふと手を止めた。らしくもない真剣な眼差しで私を見る。

「本当に、これでいいの?」

「これでって?」

「分かってるでしょ」

 クリスタルは腰に手を当て、諭すように言った。

「喧嘩したんだか何だか知らないけど、私、絶対にこのチャンスを逃さないわよ。どんな手を使ってでも、彼を手に入れる。後から、やっぱり戻りたいって言われても、受けつけないから」

「いいよ、それで」

 ゆっくりと、吐き出すように私は言った。

「自分は白人っていうだけで優れていて、私の――私たちの国は劣ってるなんて、そんなことを言う馬鹿は、こっちから願い下げだから」

「へえ」

 可笑しそうに、クリスタルは眉を上げた。

「いつか言ってた違い﹅﹅ってやつは? 話し合いさえできたら、あなたたちは平和に分かり合えるんじゃなかったの?」

 意地悪な質問だ――ついさっきまでの私なら、そう思っていたはずだった。けれど、いまの私はなぜだろう、とても平静に彼女の言葉を受け取り、反論することができた。

「そもそも――」

 息を吸い込み、私は言った。

「そもそも、ほとんど同じ民族が住む日本では、違い﹅﹅というものがあまりなかった。根本の文化はみんな同じで、均一性がすごく高くて、だから私たちが経験する違い﹅﹅はすごく小さなもので、少し想像すれば、共感できるくらいのものだった。だからちゃんと話せば分かり合えるんだって、日本人はみんな、経験的にそう思ってる」

 一気に言うと、睨みつけるようにクリスタルを見上げる。

「でも、あなたたちは違う。あなたたち大陸の人間にとって違い﹅﹅は排除すべきもの。だって異民族がひしめく土地で、分かり合おうだなんて悠長なことを言ってたら、言葉も文化も根こそぎ奪われてしまう。それを経験で理解している。だから戦い続けてきた。そして、いまも無意識に戦い続け、違い﹅﹅を排除し続けている。好むと好まざるとに関わらず、戦いはあなたたちの文化の一部なのよ。けど、日本はそうじゃない。戦い方なんか一つも知らない。だから世界の中で自分の立ち位置もわからずに狼狽えて、そうしているうちに呑み込まれてしまう。戦いを自覚しないうちに敗北する。私たちは弱い、弱者なのよ。だけど——いいえ、だからこそ消えてなくなるべきだとは思わない。むしろ、こうして消えて﹅﹅﹅しまうような﹅﹅﹅﹅﹅﹅弱者の﹅﹅﹅文化こそ﹅﹅﹅﹅いまの﹅﹅﹅世界に﹅﹅﹅必要な﹅﹅﹅ものじゃ﹅﹅﹅﹅ないの﹅﹅﹅? だっていまはもう違い﹅﹅を敵視する時代じゃない。そう気づいているでしょう?」

 叫ぶように言葉を絞り出すと、私の胸には言いようのない悲しみが込み上げた。故郷の海のような、深い深い色の悲しみ。けれど、私は何に対してこんなにも悲しいのだろう。どこからこの感情は湧き上がってくるのだろう。

 その正体が分からないうちに、クリスタルはニッと口角を上げた。トランクを閉め、部屋の鍵をこちらに放る。そしてドアを開け、振り向きざまにこう言った。

「おめでとう、これであなたも誇り高き﹅﹅﹅﹅日本人になったってわけね」

 その言葉を聞いた瞬間、私の悲しみは涙となり、両の目から溢れ出した。体から力が抜け、冷たい床に突っ伏した。唇の間から嗚咽が漏れた。

 違い﹅﹅について、クリスタルに言い返したその瞬間から――いや、もしかしたらミヒャエルと口論したときからすでに、私は日本人ではなくなっていた。だって、日本人はそういうものじゃない。日本人は相手を認め、理解しようと努力し、言葉はなくともその行いで心を表そうとする民族だ。たったいま私がしたように、一方的に自分の主張を叫び、相手を断罪し、正しさをもぎ取るような真似をする人間では決してない。そんな人間は日本人ではない。そうと知りながら、それでもそんな行いをした私は、いま、日本のためでありながらも、日本人であることをやめた人間だった。一つの神の告げる一つの正義ではなく、たくさんの神々がそれぞれの正しさを持つ国の民を。

 誇り高き日本人。クリスタルの言葉の意味を、いま、私は完全に理解していた。生まれた国を出て、世界という場に立った瞬間、私たちは望むとも望まずとも故国を背負う。会う人ごとに、私は日本人ですと言い、日本の文化について話し、問いに答える。例え、私という個人が日本を嫌っていたとしても――西洋の価値を崇めるあまり、多くの日本人が日本を嫌う傾向にあるけれど――私から日本人であるという部分は消えない。それは私と同一である。だからこそ、向き合い、認めていかねばならない。そこにどんな理由があったとしても、生まれた国を否定することは、自分を否定するのと同じだ。生まれつき足のない人に、あなたは足がないから駄目だとは言わないように、自尊心の低さゆえ苦しむ人に、ありのままの自分を認めてあげようと言うように、日本という国に生まれた、日本人である自分を蔑んでいいことなど何もない。だというのに、現実はどうだ。多くの日本人たちが、謙遜の行き過ぎた自虐心と、謂れのない罪悪感に苦しみ続けている。それはあるべき姿では決してない。

 そこに気づき、故国を自分の一部と認めた上で、世界に立つ。それをクリスタルはきっと誇りと呼ぶのだろう。生まれた国という、大きな立場を自分に含めて発言する、国際人とでも言うべき人間を。

 けれど、その国際人の性格は、日本人のそれとは違いすぎた。開かれた世界に立つ上で、日本文化というものはあまりに閉じられた、異質なものなのだ。だからこそ、日本で暮らす日本人にとって、国際人である私という存在は、日本人というよりは、もはや外国人に近いものだろう。同じ日本人である私には、それが痛いほどによく分かる。日本の魂というものは、あの島国でのみ育まれ、続いていく。だから日本を出た瞬間に私は異国の人となり、魂はその色を静かに変えたのだ。

 どれだけ泣いていたのだろう。顔を上げると、窓の外は真夜中のように暗かった。チャイナタウンの方向だろうか、活気に満ちた声が響いてくる。おぼろげに空腹を覚え――キッチンに置きっぱなしにしてきたホワイトアスパラガスのことを思い出す。ミヒャエルのために買った、アスパラガス。クリスタルはあれをどう料理するのだろう。それとも気の強い彼女のことだ、前の女が残したものなど、躊躇ためらいなく捨ててしまうのかもしれない。

 暗闇の中、私は身じろぎもせずそこに立ち尽くした。ふと気がつくと、視線の先にはシーツをまとったカンヴァスがあった。私は静かに歩み寄り、白いそれを丁寧に外すと、トランクから画材を出した。迷うこともなく、木炭を画面へ滑らせる。描くべきものは決まっていた。巨大な鯨の骨格と、その背景に広がる一神教の生まれた地――茫洋たる砂漠の風景だ。



 その日から、私は大学へ行く以外は部屋にこもり、製作に精を出した。絵の具の匂いに埋もれて眠り、大きな鯨の夢を見た。夢の中で、鯨と私は一つだった。けれど最後には二人は分かたれ、その血を白い砂が吸った。

 日本人ではない日本人となった私の目には、いままで見えなかったものが見えるようになった。

 例えば、世界には様々な文化があること。それが呑み込み、また呑まれて、私の知る現在に繋がっていること。いま、世界中の文化を呑み込んでいるのは西洋の文化であるということ。そして、西洋文化が呑み込めないほどの大きな文化にぶつかったとき、それは可視化され、戦争に発展するということ。例えばいまも続く、イスラム圏との戦いのように。

 そんな大きな流れの中で、日本の文化はあまりに弱く、小さいものだった。なぜならば、私たちの文化は勝ち取ったものではなく、島国という立地上、ただ運良く続いてきたものだったから。だから、人は主張することを知らず、協調性が重視され、互いを尊重するという、他に例を見ない平和なものとなった。

 けれど、そんな性質を持っているからこそ、いま、私たちの文化は誰にも知られず消えていく。最後まで平和に呑まれていく。抵抗らしい抵抗も見せず、まるでその終わりを初めから知っていたとでもいうように。

 それもまた日本らしい、と私は思う。終わりを美しいと思う感性が、日本人の心にはある。いろはにほへとちりぬるを――形あるものはいつか滅びる。永遠に変わらぬものなどない。世界が蹴散らすだろうその感性に、私は深い愛情を持つ。そんな文化が滅びゆくことに、心の一部を千切り取られるような悲しみを感じずにはいられない。

 だが、砂漠の文化はやってきた。そして、私たちを呑み込み始めた。それはもう遥か昔――白人たちが海を渡り、私たちの小さな国にやってきたときから始まったことに違いない。

 ロンドン、東京、それから行ったことはないけれど画面越しに見るニューヨーク、北京にパリにベルリン、ローマ。田舎とは名ばかりの住宅街も、コンクリートと鉄の工業団地も、そのどれもが私の目には砂漠に映った。かつて当たり前に自然に宿った、私たちの神様はそこにはいない。すべての水や緑が人間の手によって管理された、都市という砂漠には。

 では、都市に宿るのはどんな神か。それは、かつて砂漠で一人きりの神が生まれたとの同じように、たった一人きりの神――お金﹅﹅という神様だろう。その神様は、小さな町で当たり前に暮らす人々を愛すことなく、お金を生み出す才能を愛す。他人を思いやり、助け合い、畑をし、漁をし、一生を終える人をわらい、富を得るものにさらなる富を与え給う。人間たちはその富を求め、一生懸命に頂点を目指す。しかし、その努力に反し、全ての人間の手に富が行き渡ることなどあり得ない。それでも人は富を求め――そんな彼らの歩いた後に残るのは、競争と、格差と、差別という名の不幸せ。それは大勢の神々を頂き、たくさんの価値を持っていた私たちの社会には無縁であったものばかりではないだろうか。

 いま、世界は一つになるべきだと人は言う。争いをやめ、違い﹅﹅を認め合い、みんな﹅﹅﹅が幸せな世界を作るべきなのだと。男女を平等にし、同性婚を認め、私たちは一つになるのだと。けれど、現実はどうだろう。それは唯一神の定めた、たった一つの価値の下、都合の良い違いを認め、都合の悪い違いを排除しているだけだろう。この世にただ一人の神しかいない限り、人間が真に違い﹅﹅を認め合うことなど不可能なのだ。

 そんな世界という場所で、けれど私一人が流れに逆らうことなどできるはずもなく、私はただひたすらに異国で絵筆を動かしている。巨大な骨を――一神教の砂漠に横たわる、多神教の象徴としての鯨の骨を。都市からじわじわと広がる砂漠が、日本を完全に呑み込む前に、その静かなる墓標として、最後の記憶として、私はこの絵を描かなければいけない。グローバル化という名の白い砂漠に呑まれた後は、誰にも意味の分からぬこの絵画を。それを描き上げることこそが、私に課せられた使命なのだと信じて。



 芽吹いた緑は生い茂り、季節は淡々と進んでいく。青枯色をしたテムズ川は、微睡むような深緑に変わり、そのほとりを歩く人の服装も日に日に軽くなっていく。

 二人の部屋を飛び出した後、私は一度だけ、ミヒャエルと話す機会があった。じんわりと温かい夏の雨に打たれ、彼の髪は濡れていた。その目の色は、あの日の春の空色のままで、過ぎ去てしまった日々を少し、懐かしく思わせた。

 彼は私の黒い目に何を見るのだろう。沈黙を味わうように私は彼の言葉を待った。授業の終わった構内には他の生徒の姿もなく、雨音はとても静かだった。その静けさの中で、私たちはしばらく向き合っていた。そして十分な時間が過ぎた後、彼は彼の奥底に仕舞い込んでいた、一番大切なものを私に向かって手放した。

「僕の母親は、ロマだ」

 彼の金の睫毛は震え、白い肌は青さを増していた。夏に凍えるように己の体に腕を回し、こうべを垂れたその姿は、まるで私という神に助けを乞うているようだった。

「僕の生まれた土地はドイツだけれど、だけど僕はドイツ人じゃない。だからドイツ語は僕の言葉ではないし、ホワイトアスパラガスなんて見たことも、食べたこともない。ドイツの普通﹅﹅なんか何一つ知らない。ドイツ語で、君に愛していると言うことができない。僕にはこの見た目しかない」

 苦しそうにミヒャエルは言い、私はあの日、彼の手が震えていた理由をようやく理解した。彼はロマなのだった。盗みや詐欺を繰り返し、白人たちに害虫のように忌み嫌われている一族。彼がどんなに美しくとも、どれほど才能があろうとも、そしてどれほど真っ当に生きていようと、ロマであるという刻印はこのヨーロッパではとても重いのだろう。

 しかし、その重いものを背負い、それでも彼はここまでやってきた。汚い路地裏から、日の当たる場所へ。そこがどんなに暗い場所なのか、臭い場所なのか、冷たい場所なのか、知るどころか想像もしたことすらない、私のような人間がいる場所へ。

 どんな生まれだとしても、そこには良い人間も悪い人間もいるだろうと思えるのは、多神教の価値観に違いない。だとすれば、一人の神しかいないこのヨーロッパで、どれほど彼は苦しんだだろう。

 しかしただ一つだけ、金髪碧眼という彼の容姿だけは、神に愛される価値だった。だから彼はそれを頼りに生きてきた。私は彼の性格も、才能も、話し方も、笑った顔も――例えロマだと明かされても、その全てが好きだと言えたのだけれど、彼にとって彼自身の価値とは、神の愛する容姿、唯一それだけであったのだった。

「……そんな髪は染めたらいいよ」

 時間が止まったような静寂の後、私の口から飛び出したのは、思いもかけない言葉だった。

「金髪なんて染めればいい。目だってコンタクトを入れて、違う色にすればいい。あなたを苦しめるのはその見た目だよ。金髪碧眼なんか、あなたの一部でしかない。そんなものなくったって、私はあなたが好きだよ。どこの生まれとか、ロマとか、どうでもいいよ。あなたはあなた、そうでしょう?」

 私が熱を込めた言葉を、けれどミヒャエルは理解できないようだった。彼はあっけにとられたように私を見返して、しばらく考えるようにした後、美しい金髪を力なく揺らした。

「無理だよ。誰もがこの容姿を愛すんだ。これがなくなれば、僕は無価値になってしまう。見た目からしてロマになった僕を、一体誰が認めてくれる?」

「私が――」

 その幼い子供のように不安げな瞳に、私は思わず彼の肩に触れた。

「私が認める。私がずっとあなたの傍にいるから」

 その肩に置かれた手を、ミヒャエルは畏れを含んだ眼差しで、しばし見つめた。それから、まるで触れてはいけないものに触れるように、ゆっくりと私の手を取り、宙に放した。

「いや、無理だ」

 呟くようにそう言うと、私に背を向け、去っていく。その後ろ姿を、雨が消す。そこに残された思いを断ち切るように、私も小さく踵を返した。あの絵を仕上げなければいけない、それだけを頭に思い浮かべ、小走りになって部屋へ急いだ。頬を濡らすのは雨ではなく、涙だということは気づいていたが、こんなときくらいは悲劇のヒロインになりきって、思いきり感傷に浸ればいい。ミヒャエルのために泣けばいい。自分にそう言い聞かせ、私は走った。さよなら、と何度もそう呟きながら。



 砂漠を背景にした鯨の骨――私の絵が完成したのは、それからひと月ほど後のことだった。

 白化。そう題した絵は、辛くもコンペティションの末席を汚し、すぐに買い手が現れた。客は栗色の髪に緑の目をした白人だった。絵の意味を問われ、私は敢えて答えることをしなかった。教授の懸念は嘘のように、彼の目にも、審査員の目にも、それが鯨の骨と映ることはないようだった。ましてや背景の白い砂に彼らを投影していることなど、気づくことなどないだろう。

 大学卒業を賞で飾った私は、しばらく日本へ帰省した後、再び今度はアメリカへ向かった。私の絵を見たアメリカ人からニューヨークに来ないかと誘われたのだ。

 飛び立つ飛行機の窓から、小さくなっていく東京を見て、私はこれからも故郷のために絵筆を取るだろうことを予感した。滅びゆく日本人へ。魂の色は違えど、私の心はいつも私たちの故郷にある。

 飛行機は、雲上の青空を水平に飛ぶ。シートベルトサインが消え、機内には人々の安心したようなざわめきが満ちる。私は青を目に焼きつけると、それを失うまいとするように瞼を閉じた。白い骨の鯨はその青に遊ぶように浮かび、それからゆっくり深い海の底へと落ちていった。

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