アーアーさん


 一、アーアーさん


 夏でも冬でも、タンクトップに短パン姿で、アーアーさんは今日もゆく。錆びたぼろの自転車に、ポケットには小銭が八十円、恵比寿神社の裏の小屋からギイコギイコと漕ぎ出だす。

 焼けた肌は赤銅色、二の腕は太く逞しく、両の太腿ははちきれんばかりの筋肉質。坂を上るも下りるにも、顔にはいつでもにっこり笑顔、けれどもその歯は三本きり、いつでもどっかんがっしゃんとあっちへぶつかりこっちへぶつかり、潰れた片目が不便でたまらぬ。

 そもそもどうして片目になったか。それは昔々の出来事だった。一本釣りのかつお﹅﹅﹅漁船、生き餌を撒いてるそのときに、大きな大きな釣り針が、アーアーさんの目を釣った。目玉はぶちゅっと千切れると、そのまま海へ飛んでった。目玉にかつお﹅﹅﹅は食いついたのか、それから以降、アーアーさんはかつお﹅﹅﹅を見ると顔を真っ赤にして怒る。アーアーアー! アーアーさん、それが呼び名の由来だった。

 そうは言っても、「アーアーさん」。面と向かって口にするのは子供くらい、けれど大人たちも「アーアーさん」。胸の中では呼んでいた。なぜなら、かつお﹅﹅﹅に怒っていてもいなくても、アーアーさんはアーアーとしかしゃべらない。こんにちはも、こんばんはも、可愛いねえも、どこ見て歩いてんだも、みんなアーアーで表すことにしているらしく、皆も自然にアーアーさんと呼んでしまう。それに加えて「関口さん」――一般的な名字で呼べば、アーアーさんはなぜだろう、アーアーアー! 威嚇するように叫びつつ、行き過ぎてしまうのが常だった。

 さてさて季節は夏から秋へと移り変わり、町名物のいるか﹅﹅﹅漁も最盛期を迎える頃。アーアーさんはいつものように、七時きっかりに小屋を出た。汗をかきかき坂を上り、登校してくる中学生に「アーアーアー!」と挨拶しながら、風を切って坂を下る。そのお目当は、港近くの松浦商店。町唯一の食品売り場。アーアーさんは自転車を止めると、これまた元気よく挨拶をして――がこん、扉にぶつかりながら店へと入る。一直線に向かうのは、乳製品の冷蔵棚。白と黄色と茶色の柄したコーヒー牛乳、一リットルのパックをむんずと掴む。他の商品には目もくれず、すたすたすたとレジに向かう。そしてポケットを手で探り、糸くずと共に十円玉と五十円玉、合計八十円を差し出した。




 二、松浦のおばやん


 チリリン、がこん、ベルと衝突の音がして、今朝は今朝とてお得意さん﹅﹅﹅﹅﹅が来よったよ――松浦のおばやん﹅﹅﹅﹅はゴムサンダルをつっかけると、いそいそいそとレジを開けた。

 姑のミツコさんが始めたこのお店、開くのは七時三十分。けれど、どうしたことだろう、このお得意さまが現れるのは、決まって七時十五分。未だに手動の扉には「準備中」の札をかけてはいるが、それはそれでこれはこれ、お得意さんには通じない。

「アーアーアー!」

「いつもおおきに」

 糸くずだらけの硬貨を受け取り、おばやんはコーヒー牛乳と、そうそうこれを忘れちゃいけない、おまけのうでもの﹅﹅﹅﹅を袋に入れる。それは半額シールのついた、売れ残りのいるか﹅﹅﹅の内臓。茹でてあるからそのまま食べられ、栄養価だってとっても高い。

「アーアーアー!」

 アーアーさんは満面の笑み、大きく両手を振りながら――ぶつかりながら、店を出る。

「はいはい、また明日あいた

 おばやん、にっこり手を振り返す。するとその機を図ったよう、色褪せた暖簾のれんの向こうから息子さんが顔出した。実はお店は自宅の一部、暖簾を境に自宅と店舗に分かれている。その向こう、つまり自宅部分から現れた息子さん、何だか不機嫌そうだった。

おかはんお袋

 齢三十を迎えたばかり、まだまだ若い息子さん、苛立ちを隠さず言った。

「いつまでこんなことするんや。そんなことして何になるんやて、いつも言うてるやろ?」

 降って湧いたお小言に、おばやん、ひょいと首をすくめた。

 息子さんが怒るのも無理はない。実は、アーアーさんが買っていったコーヒー牛乳、正式な値段は百三十円。おばやんが八十円を受け取るそのたびに、店は五十円の損を生んでいる。

 計算ついでにもう少し。毎日来るアーアーさん、一日五十円という損は塵積もり、ひと月ならば千五百円、一年ならば、何と一万八千円もの損になる。その上、売れ残りとはいうものの、まだ消費期限前、半額シールのついたうでもの﹅﹅﹅﹅は、こちらは一パック百円の代物。それをおばやん、ロハ﹅﹅でおまけするのだから——百掛け三十掛け十二は三万と六千円。締めて五万四千円という金をみすみすくれてやっている、そう思うと息子さん、苛々せずにはおれなかった。

「慈善事業のつもりか何か知らんけど、そんなもん役所のやることで、俺らのやることやない。何べん言うたら分かるん?」

「はいはい、分かっとりますよ。もうせえへんせえへん」

 いつものように答えるおばやん、息子さんはぷりぷり怒って引っ込んだ。「次やったら、こんな店、継いでやらんからな!」と憎まれ口を叩きながら。

 しかしそこは一枚上手――ありゃありゃそなら家を継いでくれる気ぃはあるっちゅうことや、おばやんお腹の中でほくそ笑む。とはいえ息子さんの気持ちなど、おばやんだって重々承知。もしもそのつもりがないのなら、関係のない店のこと、口出しせずとも良いだろう。

 この海しかないような田舎で、若者が目指すは憧れ﹅﹅の都会。カネカネカネと、仕送りばっかり要求し、感謝を知ればまだ良いが、それが親の責務とふんぞり返る。そんな親の嘆きを聞けば、町へ残ってくれた息子さん、本当にできた良い子だよとおばやん密かに鼻が高い。そんな我が子の言うことを、聞いてやりたいのは山々だ。

 けれど、何か﹅﹅が引っかかる。おばやん、ため息ついて考えた。金勘定はお手の物、息子さんの言うことにも一理ある。それだというのに、はてさて、何がおばやんを悩ませる?

 そのときだ。チリリン、小さくベルが鳴り、お客さんがやってきた。これはこれは、女優さんと見紛うほど綺麗なお母ちゃん……と、その後ろには男の子。親子とも見たことのない顔やが、普段日やのに観光客かのう――しかし、そう思った次の瞬間、おばやんはそれまで頭にあったこと、綺麗さっぱり忘れてしまった。それほど異様な雰囲気で、母子はおばやんのいるレジのほうへ猪突猛進したのである。




 三、郵便局の局員さん


 アーアーアー、郵便局の窓の外、その向こうからいつもの声。十時ぴったり、時報のようなその声に、老眼鏡をくいと直した局員さん、眩しそうにおもてを上げた。

 豊かな海にほど近い、潮騒の聞こえる郵便局。十年前、転勤になったその日から、局員さんはこの職場をそれはそれは気に入っていた。県庁所在地の自宅から一時間と三十分、通勤にこそ苦労はするが、大都市ではそれは普通と聞くし、それも残り数ヶ月。

 近ごろ癖になっている、局員さんは壁のカレンダーに目をやった。あの大きく十と書かれた数字、それが三に変わる月、局員さんはここを去る。還暦で退職という昔の決まりも、高齢化の進んだこのご時世、六十五での定年退職。その後は一体どうするか、あまり考えてもないが、「老後」という名のご褒美は持て余してしまうだろうと、局員さんご自身も薄々感づき始めている。

 それはそうと、あの声が聞こえてきたということは――頭をふりふり局員さん、抽斗ひきだしから書類を一枚出した。ここはきちんと念のため、も一度カレンダーに目をやって、明日の曜日を確認すると、取り出したるその書類――払戻請求書なるものに、2、4、0、アラビア数字を書き込んだ。と、示し合わせたように、入り口にて、がこん、ぶつけた肩もなんのその、足取り軽くやってきたはタンクトップに短パン姿の大きな男性。

「アーアーアー!」

 にこやかに挨拶するその人は、もちろんくだんのアーアーさん。松浦商店から港、堤防とぐるりを周り、増えた荷物のレジ袋。少々生臭いその中身、何かと言えば生魚。釣りをしているおいやん﹅﹅﹅﹅たちから、分けてもらったものである。

「はいはい、いつもありがとう」

 魚は臭いが、つられてにこにこ局員さん、アーアーさんから通帳とハンコを受け取ると、さっきの書類にぺたんと押した。くしゃくしゃの通帳を一応改め、ハンコと一緒にそれを返す。それから、ひい、ふう、みい、呟きながら十円玉を九枚に五十円玉を三枚きり、青いトレーにきれいに並べる。

「はい、二百四十円。今日は金曜で、明日明後日は休みやから」

 目を丸くしたアーアーさんに説明する。

「……アーアー!」

 しばらく首をひねっていたがアーアーさん、嬉しそうに笑顔を見せると硬貨はそのままポケットに、アーアーアー、手を振りながら帰ってく。

 それを見送る局員さん、ハンコの乾いた書類に息をつく。そこに書かれた数字の通り、渡した二百四十円。八十円の三日分、そう計算した金額は、振り込まれている障害年金というお金、そこから引き出されているものだ。

 アーアーさんが毎日必ず引き出しにくる、その八十円というお金、何に使われるのか、局員さんには分からない。なぜって一日八十円ぽっちのお金、一体何に使えるものか、使うほうが難しかろう。不思議に思うが局員さん、詮索する気は毛頭ない。アーアーさんは毎日やってくるお客さん。それ以上のことはない。そんなことより気がかりは――局員さんは書類に顔をしかめた。

 この払戻請求書。本来ならば記入はアーアーさんがするべきもので、さらにさらに言うなれば、たった八十円でもお金はお金。払い戻しをするために、身分証明書が必要だった。自分で金額を記入して、身分証明書の提示がなければ、誰かがアーアーさんに成り済まし、お金を盗むことだって可能になってしまうから。

 それはそうでもアーアーさん、小学校は出たのだろうが、字なんか一つも書いてはくれず、身分証明書の類など、あるのかどうかも分からない。正規の手続きを踏もうと思えば、毎日、とんでもない時間がかかり、他の作業も滞り、業務に支障を来すだろう。もしもそうなるくらいなら、たった八十円のこと、何も言わずにやってやるのが親切というものではないか――局員さんの来る以前、アーアーさんの相手をしてた前局長さんに、言葉で言われたわけではないが、そこは黙って局員さん、前局長さんの後を継いでやってきた。

 ところが、いつのまにやらどうだろう、局員さんも退職間近。十年前のあのときのよう、この特別で秘密のお仕事を、誰か引き継いでくれればいいが。

 ため息ついた局員さん、悩みをよいしょと断ち切るように、老眼鏡をくいと上げると、頭をふりふり仕事へ戻った。道路に面した大きなガラス、そこからじっと見ていた二人連れ、あの女優みたいなお母ちゃんと男の子が、アーアーさんのその後を追いかけて行ったことにも気づかずに。




 四、山見のじいやん


 歳を取り、そりゃあ感覚は鈍ったが、ぴたりと止まった右腕の蚊に気づかぬほどには衰えちゃいない。しかしどうしたことだろう。山見のじいやんはそれを見ながら敢えて叩くこともなく、ただただじっと待っていた。こんな年寄りとっしょりの血でええなら、よぉさん吸うとくれとでも言わんばかりに。

 その光景、繊細な人間が見たならば、蚊とは言えども一つの命、その尊さに落涙しそうなものではあるが、何を隠そうこのじいやん、蚊の生き死になぞを気にかけるような御仁じゃない。それどころかあぶはぺちり、百足むかではさみでちょっきんちょっきん、畑にはぶわあと農薬散布、罠で獲った鹿を食い、驚くのにはまだ早い、つい数年前まではいるか﹅﹅﹅漁にて鉄管てっかを鳴らし、何千頭もの捕殺していた元・漁師のじいやんだった。山見のじいやんの山見﹅﹅というのは、先祖が鯨方であった証の苗字。その先祖が生きたよう、じいやんもまた生きてきた。

 その生き方は、ある種ある思想の側からすれば、残忍冷酷、極悪非道、血も涙もないものだ。しかし、そんな悪の権化のじいやんがどうして黙って血を吸われるか。その答えはまことに簡単、じいやんの立つ場所にある。

 ぷうん、重たい腹を抱え、ふらりふらりと蚊が飛び立つ。その去る方へ目をやれば、鬱蒼と茂った木立からとき色の夕日が差し込んでいる。秋の日は釣瓶落としと言うように、日没は日に日に早くなり、夕日の色は淡くなる。

 エビスさん﹅﹅﹅﹅﹅、と皆が親しむこの神社、じいやん沖に漕ぎ出したその日から、朝夕の参拝を欠かさない。大海原は人知の及ばぬ場所であり、それを誰より知るならば、漁師は信心深いもの。家に神棚をお祀りし、節目節目に神社へ参り、その日の豊漁と無事を祈る。昔はそれが当たり前。けれど、それがいまはどうだ。参拝欠かさぬじいやんを、若い仲間は口を揃えて信心深い﹅﹅﹅﹅と評すのだから、おきいき漁師ちゅうても今時は神さん﹅﹅﹅を忘れたか——じいやんひどく憤慨している。

 じいやんばあやんの話はよく聞けと、昔はよくよく言ったものだ。おとはんおかはん父母は働き盛り、子供は祖父母が見るものだった。必然、耳にタコができるほど子供たち、年寄りの教えを聞いて育つ。その教えの一ヶ条、境内で殺生はせられんと、そうじいやんに教えたのは、じいやんのそのまたじいやんだった。けれど、やっぱり今時は――じいやん一つ、ため息をつく。近頃の若い者たちは、年寄りの話を一つも聞かぬ。それどころか、付き合ってられるかとばかりにそっぽを向く者も少なくない。

 しかし、じいやんには済まないが、若者の側に視点を置けば、それも当然のことだった。新しいものばかりが出回るこの世の中、ご老人の知識など一つも役に立ちゃしない。猿が人間になって以来、積み上げてきた人間の知恵など、いまでは全くクズ同然。何せ、一事が万事こうなのだ――光といえばLED、地面といえばアスファルト、指先を汚す泥はなく、口にするのは工場詰めの加工食品。そんな大層なご時世にくわの使い方や選び方、歌い継がれた子守唄に神さんを敬う心、そんなものが何になろう。

 役立たぬものは消えてゆき、人はただ一時の興を手に入れようと、それはそれは必死である。古い知恵など口にすりゃ、こんぴゅうたぁ﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅に笑われる。いつかそれが壊れ果て、知恵失いし人類をそのとき笑うは何者か。

 と、そのときガサガサ、じいやんの後ろで音がして、振り向くと四、五歳だろうか、小さな痩せた男の子。しかめっ面で木の棒を手に、地面をつんつん突っついている。見ると、その先に長い蛇。

「坊主、神さんのお使いをいらっいじめたらいかん」

 じいやん、思わず注意をすると、男の子はじろりとそちらを睨み、あろうことかその手の木の棒、じいやんに向かって投げつけた。

「こりゃ! やめよし!」

 えいやと棒を払った拍子、腕に抱えた包みが落ちた。叱らにゃいかんと見回すが、子供の姿は消えている。

ほにほに本当に、今時の子は……」

 じいやん、ぶつぶつ言いながら、落とした包みを拾い上げ、拝殿に向かって一礼すると白い鯨骨の鳥居を抜け、エビスさんの裏手へ回った。そこに辛うじて建っている、おんぼろ小屋の戸を開け、包みから出した弁当箱を段ボール箱の上に置く。中身は奥さんの南瓜の煮物。今年の南瓜は粉質で、それはそれは出来が良い。

「さあさ、くろうなる前にいのかいよぉ帰るか

 じいやん一人で呟くと、下りの坂道をゆっくり歩く。青みがかった空のに、一番星が輝いている。




 五、アーアーさん


 さて、その翌日の土曜のこと。やはり朝の七時きっかり、アーアーさんは自転車を漕ぎ出した。

 ポケットの中には八十円の三日分、二百四十円がちゃりんちゃりん、アーアーアー、登校する子供は今日はいないが、その目が見るのは海の漁船か、元気に坂道を下ってく。いつものように店に着き、元気よくドアに肩をぶつけ、そうそう挨拶も忘れずに、冷蔵棚へ一直線。コーヒー牛乳をむんずと掴み、意気も揚々、おばやんのいるレジへと向かう。ポケットから八十円を数えて出す。年季の入ったカウンターの上には、八十円と、コーヒー牛乳。ここまではいつもと変わらない。

 しかしどうしたことだろう。おばやん金を受け取らず、おまけのうでもの﹅﹅﹅﹅を出してもくれない。それどころかおばやんは、

「あ、あのねえ、関口さん」

 その呼びかけにアーアーさん、ぐっと眉を吊り上げた。今朝は何か、いつもと違う。いつものことを、いつものように。そこから外れてしまうだなんて、目玉が潰れたとき以来、とんでもないほど不愉快だ。

「あのねえ」

 困ったような顔をして、おばやん、おずおず口を開く。

「ほんまはな、そのコーヒー牛乳な、八十円やのうて百三十円なんよ。だからあと五十円足らんがい……」

 はちじゅううえんやのうてひゃくさんじゅううえんなんよごじゅうううえんたらん――そんなことを言われても、アーアーさんには分からない。奇妙な沈黙が満ちる店内。と、おばやんびくりとドアを見て――やってきたのは、昨日のご来店に引き続き、あの美人お母ちゃんと男の子。四、五歳ほどかと思ったが、おやおやあの子は小学生か、痩せた体にランドセルを背負ってる。

「やっぱり、八十円で売ってるじゃないですか」

 何のことだかお母ちゃん、おばやんに冷たく言い放つ。つかつかつかと歩み寄る。

「この店では、客によって値段を変えるんですか? もしそうなら――」

「いやいや、こは……いま、払うてくらんしくれるから

 一方、おばやんは困り顔。アーアーさんをちらりと見上げる。そんな風に見られては、ますます不安を煽られる。何があったか知らないが、アーアーさんの決まりでは、コーヒー牛乳は八十円、おまけのうでもの﹅﹅﹅﹅も込み込みで。

 しかし、勘違いは禁物だ。ここに立ち尽くすアーアーさん、お金を惜しむわけではない。そうではないなら何なのか。それは単なる決まり﹅﹅﹅である。例えば、それはこんなこと。「アーアーアー!」と挨拶をすると、「こんにちは」と返ってくること。「アーアーアー!」と礼を言えば、「どういたしまして」と言われること。だからそれはいつだって、人と人との決め事なのだ。

 その決め事はこの松浦商店という場において、あるいは松浦のおばやんとアーアーさんの間において、八十円とコーヒー牛乳とうでもの﹅﹅﹅﹅というこの三つ、それらで形作られているというだけの話だ。

 だが風雲急を告げるが如く、何が覆すかその決め事、その何か﹅﹅の正体を見極めようとするように、アーアーさんは片方だけの目を細める。そちらが決め事を反故にするなら、こちらも同じというように、コーヒー牛乳をむんずと掴む。あっ、おばやん声にならない叫びを上げる。そのときだった。

「先にお代を払ろうてもらわな困ります」

 アーアーさんの太い腕、大胆不敵に掴まれた。比べるほどに太くはないが、若く筋肉のついた腕。おばやんの息子さんだ。

「あと五十円。分かります?」

 ここぞとばかりに息子さん、物怖じしない強い目で、アーアーさんを覗き込む。

 覗き込まれたアーアーさん。息子さんを振りほどくことはできただろう。そうしてコーヒー牛乳を奪い取り、逃げてしまうこともできただろう。それだけ強い肉体を、アーアーさんは持っている。

 けれど、どういうわけだろう、アーアーさんはそうしない。動かぬはずの決め事について、どう折り合いをつけたのか、息子さんをじっと見返しながら、ポケットから小銭を取り出すと、それを全部カウンターへ、ぎゅうっと唇を引き結ぶ。

「……おおきに」

 強い抵抗を予想して、息子さんは拍子抜け。ほんの少し呆気にとられ、腕にかけた手を退けた。そのままおばやんに視線を向け――おばやん慌ててコーヒー牛乳を袋に入れて、お釣りと一緒に渡そうとする。しかし、そこにはうでもの﹅﹅﹅﹅が足りない。アーアーさんはしばらく待つが、「これも買うんやったら、あと百円必要なんで」息子さんはにべもなく、乱暴にそれらを受け取ると、アーアーさんはしかし大人しく店の外へ出て行った。「お客さんによって値段を変えることはないですから」。聞こえる声を振り切るように、港へ向かってペダルを漕ぐ。

 その短パンのポケットの中、弾む小銭は百十円。いままでならば三日分、けれど値上げのなされたコーヒー牛乳、明日と明後日の分はない。

 だが、幸か不幸かアーアーさん、先のことなど分からない。しかし、何かが変わり始めていることは、ちゃあんと肌で感じている。アーアーアー! アーアーさんの苛立ちを映したように、空は曇り始めていた。




 六、郵便局の局員さん


 土日明けの月曜日、出勤してきた局員さんは、何だか憂鬱そうだった。何がそんなに憂鬱か、それは仕事のことではない。その逆、休日のことだった。

 退職したら何をするか。いよいよ迫り来るその日のことを、考えなかったわけじゃない。けれどそれも甘いもの——まあしばらくはのんびり過ごし、何をするかはそれから決めればええやないかと、それくらいの考えである。

 けれど、先の二連休。普段ならば家にいて、やれ買い物だの、孫に会いに行こうだの、ばたばた忙しない奥さんが町内旅行に出かけるというので、局員さんは家で一人お留守番。

 それでもしっかり者の奥さんは「ご飯はなんなとあれこれ冷蔵庫、レトルトなんかも戸棚にあるから。皿洗いはしといてや、ゴミはまとめて、掃除までは期待せんけど。ほんで洗濯もんはなあ――」と、あれこれ留守の指示を出すのを、「俺は子供やないんやし、ええから早よ行ってこい」と局員さん、奥さんを追い出したはいいが、さてはてこれからどうしたものか、どうにも勝手が分からない。

 小さいなりにも自分で建てた一軒家。一国一城の主たる者、勝手も分からずどうするか。己で己に憤慨しながら、冷やご飯をそのまま食べて、泡風呂さながら皿洗い、洗濯機に居並ぶスイッチを、鍛えた勘の見せ所、えいやと押して――早くも用を済ませた気になって、ソファに座ってテレビをつけた。ぽち、ぽち、ぽち、とチャンネルを変えて、ふうむ、ぷつりとそれを消す。土曜の午前、その静けさに不安が募る。

 まさか俺以外の人間が、急に滅んだんやないやろな――六十五歳にして斬新な発想、窓の外を覗いてみるが、そこには変わらぬ平和な日常。ううむ、檻の虎の如き唸りを上げた局員さん、も一度ソファに座ってテレビをつける。と、飛び込んできたは「濡れ落ち葉」という単語。何かと思って熱心に聞けば、「払っても払ってもなかなか離れないことから、定年後、妻にべったりになった夫を指すんですって」。女性コメンテーターに笑われて、思わずテレビを消したはいいが、耳まで真っ赤な己に気づき、再びううむと唸りを上げる。

 このまま「幸せな定年後」が望めるか。考えまいとしていた危機を、局員さんはくっきりはっきり自覚した。自覚は解決の一歩かな、しかし、解決そのものでは決してない。結果、この週末、暇を持て余した局員さんは、今朝もこうして鬱々と――目の前に立つアーアーさんに気づかないでいたことも、そのせいだろうと思われた。

「あ、すんませんねえ。ちょっとお待ちください」

 慌てた局員さんは抽斗を開ける。そして、8、0、急いで数字を書き込んで、ハンコを受け取ろうと顔を上げ――その段になってから、そういえば今朝はあの声を聞かなかったんやなかろうか、そんな思いが頭をよぎった。窓の外から聞こえてくる、アーアーアーという、大きな声。それがいつもの変わらぬ合図。局員さんは声に合わせ、書類を用意するのだった。しかし、今朝は合図が聞こえなかった。いやいや、どうもそれどころか、ドアにぶつかり、局内に入ってくるときの、挨拶さえも聞こえなかった。それは己が悩んでいたせいか、それとも――。

 疑問はしかし、一秒と持たずに吹き飛んだ。なぜなら、局員さんと目が合ったところのアーアーさん、口では言い表せられないような異様な雰囲気を纏っていた。それはどこ、とは言いようがないが、敢えて言葉にするのなら、その目の血走り、頭髪の乱れ。赤銅色の肉体はどこか奇妙に強張っている。

 一つ一つは僅かな違い。しかし大きく変化した印象に、局員さんは呆気にとられた。大きくぽかんと口が開く。すると――だ。突然堰を切るが如く、うああ、とも、うおお、ともつかない声で、アーアーさんは声を上げた。カウンターをどんと叩き、辺りのものをなぎ倒す。切手はがきが宙に舞う。ペンに朱肉が降ってくる。鬼のようなその所業、恐れをなした若い女性が、きゃあと大きな悲鳴を上げる。

「お、落ち着いて……ちょっと誰か!」

 局員さんは立ち上がり、アーアーさんを止めんとしたが、腕の強さに弾かれて、よろよろどすんと尻餅をつく。

 うああ、うおお、それでも止まらずアーアーさん、がしゃんどしゃんと暴れ続ける。事務員さんとお客さん、アーアーさんに飛びかかる。羽交い締めにして動きを止める。誰かが警察を呼んでいる。阿鼻叫喚も極まる中、局員さんはあんぐり口を開けたまま、その光景をただただぼんやり眺めていた。




 七、町内会の会長さん


「とにかく、うちはそういうのに興味ありませんから。お願いですから帰ってください」

 会長さんの鼻先を掠めるように、玄関ドアがバタンと閉まり――これには温厚で有名な町内会の会長さんも思わずむっとしかけたが、それを怒声や暴力にせず、代わりに大きく息を吸い込むと、長い長いため息ついた。

「……どやった?」

 平屋の並んだ町営住宅、隣家のドアがそっと開き、そこの住人、ばあやんのしかめっ面が隙間に覗く。返答代わりに首を振ると、ばあやん会長さんを手招きし、出したばかりのコタツを勧める。師走に入り、ぶり﹅﹅も揚がり始めた津室町。一昨日あたりから気温も下がり、のんびりしていた会長さんも慌てて冬の布団を出した。

「東京から来とうか何か知らんが、こがにこんなに勝手されたらうたとい困るのう。町内会入らんで、そがなしとあが私は見たこともないしよ」

 急須のお茶を注ぎつつ、ばあやん、ぷりぷりおかんむり。手編みだろうか、太い毛糸のセーターに、半纏までもを着込んだ姿、まるで真ん丸雪だるま。

あがも聞いとったけど、興味ないとかやないで。こんなんはお互いさんやし、みんなやっとるから、勝手されたらけったくそ悪りぃ。ゴミほりもてごみは捨てるのに当番はやらんし。親子で挨拶もせんでねえ。もうあがも阿呆らしゅうてまいしょうらやめたけど

 雪だるまのばあやんは、溜まった鬱憤吐き出すように、怒涛の勢いで話し始める。おっと、こは長ごうなるのう――そう思いながらも会長さん、うんうん頷き聞いている。

 会長さんの勘は当たり、それから何と小一時間、ばあやんの話は続きに続いた。それでもさらに話すのを、会長さんは最後の手段、「ちいと他にも回るところがあるんで」やんわり断り、軽トラ乗って、エンジンかける。次がある、それが方便ならばどんなにいいか、そう言ったのは嘘ではない。

 町内にいざこざ﹅﹅﹅﹅があれば飛んでいく、このところ会長さんは引っ張りだこだ。とはいってもそれは実に最近のこと、そのほとんどが二ヶ月前、雪だるまばあやんの隣に越して来た、例の親子が原因だった。「他に回るところ」の案件も、決めつけることはできないけども、あのお母ちゃん絡みであろうと、会長さんは頭が痛い。

 どうやら母子二人きりであるその親子、お母ちゃんの方はテレビに出てくるような派手な美人で、子供の方は父親に似たのか、冴えない顔つきをしているが、その子にアレルギーがあるとか何とか、田舎に住もうと決めたらしい。その田舎﹅﹅がなぜこの津室になったのか、隣市に実家があるせいらしい——ばあやんはそう言うが、本当のところは分からない。

 それにしても、このお母ちゃんとばあやん、どうにも相性が悪かった。発端は出会った瞬間、世話好きで有名なばあやんが、まずはゴミ当番に町内会、子供会等々について教えたところ、それをこのおかはんにきっぱりはっきり拒否をされたことだった。曰く「ゴミは行政に回収責任がありますし、町内会や子供会には加入義務はありません」。まさかの反応に驚いたばあやん、その場は一時撤退と相成ったのだが、胸には晴れないもやがかかった。

 それが靄のままならいいものの、次なる事件が降りかかる。それはある晴れた日のこと、いるか﹅﹅﹅肉をもらったばあやん、そやお隣さんにもあげらんとあげないとね、あがは一人やけど、あそこは子供がおるわしょ――隣のドアをノックをする。顔を出したお母ちゃんへ「こいるか﹅﹅﹅やけど」そう切り出した瞬間だった。何ということだろう、お母ちゃん般若に早変わり、ばあやんをぎん﹅﹅と睨みつけた。

「こんなもの食べさせて、水銀で私たちを殺す気ですか!」

 これには腰を抜かしたばあやん、転げるように家へ戻って――ふつふつ怒りが込み上げた。

 いるか﹅﹅﹅には水銀が含まれていて食用はとても危険である。港へ押しかける外人﹅﹅さんがそう言っているのは知っている。けんど、それならちぃこい幼いときから食べよるあがはどうじゃ? いまもこうしていそしいんが元気なのがおんしゃらあなたたちには見えんのか? 怒り狂うばあやんに会長さん、そのときもうんうん黙って話を聞いた。

 外国人が取り上げた、水銀汚染というニュース。それはいるか﹅﹅﹅肉の――ひいては津室の評判を著しくも落としてしまった。なぜって水銀汚染とそう聞けば、あの日本四大公害の一つ、水俣病が頭に浮かぶ。それがいるか﹅﹅﹅肉には含まれていると聞いたなら、怖くなるのは当然だ。冷え切ったハンドル切りながら、会長さんは考える。

 プランクトンを小魚が、その小魚を大魚、その大魚をさらに大きな魚が食って、食物連鎖のその頂点、鯨類の肉には水銀が多く含まれる。とはいえ、歯のあるハクジラ、ひげ﹅﹅のヒゲクジラ、食べるものは同じでないし、さらにそこから細かい種類、いか﹅﹅を食うかいわし﹅﹅﹅を食うか、はたまたおきあみ﹅﹅﹅﹅にプランクトン、シャチはペンギンにあざらしも食うし、まったく一括りになぞできぬもの。当然、肉の水銀量もそれぞれ違い、同じく魚を食うゆえに水銀蓄えし大魚たち――まぐろ﹅﹅﹅かじき﹅﹅﹅なんぞより、ずっと多いこともある。けれど、まぐろ﹅﹅﹅かじき﹅﹅﹅の肉は誰もが食っても、知らずにいるか﹅﹅﹅を食うことは、一般的にはあり得まい。だというのに、そちらの水銀は放っておいて、殊更いるか﹅﹅﹅を取り沙汰するのは何だかおかしなことではないか。

 学者でもない会長さん、難しいことは分からない。けれど――例えば水俣病。原因となった工業水銀、その工場が流し始めたは、昭和七年のことだった。魚を食べた野良猫がおかしくなったは二十五年。その中毒性神経疾患といわれる水俣病、国の公式確認が三十一年。汚染から発病確認までその間、およそ二十四年。

 ほんならよ、と会長さんは考える。二十四年、それほど短期で発病するなら、江戸時代の始めからいるか﹅﹅﹅を食べる津室町、そこには病があるはずだ。津室病とでもいうような、水銀中毒を疑わせるような風土病、蔓延しているはずではないか。

 しかし、町にはそれがない。雪だるまばあやんの言う通り、みんなぴんぴん生きている。それが一体なぜなのか――学者さんは、自然界の水銀と工業水銀は違うとか、鯨類やまぐろ﹅﹅﹅に含まれる物質が水銀を解毒しているのではないかとか、そんな風に言うのだが、それも真偽は定かではない。忘れまじ、科学は世界を解明しない。安全である、と太鼓判を押されたものも、未来永劫、安全である保証はない。放射能にホルモン剤、抗生物質に添加物、果てには遺伝子組み換え食品まで、本当のところ﹅﹅﹅﹅﹅﹅が分からないものなど、知らん顔して溢れ返るが世の中だ。

 となれば、会長さんが信じるは、己が食ったものだけだ。鯨を食い、いるか﹅﹅﹅を食って、生きてきたという経験だけだ。無論、何を食うか食わないか、選択は個人の自由であって、会長さんの考えはお母ちゃんを責めはしない。だというのに、その一方――お母ちゃんや港に来る外国人は、そうではないからややこしい。思考の根本の違いだろうか、なぜなんだかは知らないが、あちらさんの「自由」というものは、こちらの自由を押し潰さないと成立しかねるらしいのだ。

 ため息交じりに会長さん、路肩に寄せて車を止める。ドアを開けると、ぴゅうと冷たい風が吹く。首をすくめた会長さんの後ろから、「やっとるか?」声がかかる。どうしたことかと振り向くと、そこには会長さんと同じ様、寒そうに首をすくめた山見のじいやんが立っていた。




 八、山見のじいやん


「会長さん、どないしよん」

 路肩に止まった見慣れたナンバー、ありゃ町内会の会長さんや――山見のじいやん、左手を上げて挨拶した。それが右手でなかったのは、そこにいつもの風呂敷包み、奥さんのおかずの入った弁当箱があるからだ。日が落ちるには間があるが、このごろ寒さが骨身に沁みて、三時も過ぎるとじいやんは、日課の参拝を済ませてしまう。

「山見さんこそどがいしたん」

 近ごろ忙しそうな会長さん、手を上げ、応える。

あがぁ俺は、ここへ飯届けに回っとるんよぉ」

 じいやん、おんぼろ小屋を顎でしゃくった。

「ま、たまにやけどのう。他からもほうどよく飯をもろとるらしい」

「へえ、じゃあかそうか

 会長さんは頷いて――曇り顔で小屋を見る。じいやんつられてそちらを見た。

 二人が見つめる、おんぼろ小屋。人が住むようなものではない。そもそもこの小屋、何かというと、それはぐるり回って向こう側のエビスさん﹅﹅﹅﹅﹅、恵比寿神社の祭具を収める倉庫であった。それが二十年も前のこと。別に倉庫が新築されて、役目を終えたこの小屋は取り壊されるはずだった。

 なのだがしかし、その日の朝。中で男が寝ていたもので、じいやんたちは驚いて、互いに顔を見合わせた。その男とはお分かりだろう、いまもこの小屋に住むアーアーさんだ。

 そのまた半月前のことだった。アーアーさんのおかはんは、車に轢かれて死んでいた。轢かれたとは言ってもこのおかはん、道路の真ん中で大の字に、そのまんま眠ってしまうという傍迷惑な癖があり、町の人らは恐る恐る運転したが、齢八十というおじやんが、とうとう気づかずドンと乗り上げ、そのままあの世へ送ってしまった。

 おかはんが道路に寝とる、そんな通報があるたび駆けつけていたお巡りさん、起こるべくして起こった事故を嘆じたが、轢いたおじやんも痴呆症なら、誰を責められようかという司法の判断、結果、おじやんは罪にもならず、老人施設へ送られた。

 町が出した葬式でアーアーさん、涙一つもこぼさなかった。代わりに困ったようなしかめっ面、じいっと座っていたのだが、どうしたことかその日以来、おかはんと暮らした家へは帰らなかった。いいや、一度は帰ったか。関口という表札が、一体何で殴ったものか粉になるまで砕かれて、おかはんの服やら靴やらが放り出されていたのを、近所の人が見つけていた。しかしその後は音沙汰もなく、三日四日、一週間、それからなんと二週間経っても帰ってこない。皆は心配していたが、それにしたってこんなところで眠ってるとは。

 ごうごうと大きないびきのアーアーさん、一同しばしそれを眺め、それからそっと戸を閉めた。必要ないなら取り壊そう、そんな話が出ただけで、壊さねばならないわけじゃない。水道どころか便所もない、ここに暮らすには不便も多いが、アーアーさんがそれでいいというのなら、そっとしておけばいいではないか。

 そんな経緯でその日以来、小屋はアーアーさんのとなる。どこからだろう棚やら毛布を集め、これは防寒のつもりだろうか、潰したコーヒー牛乳のパック、壁一面に貼り付けたその部屋は、とても奇妙な見た目であったが、それも本人がいいと言うのだ、仕方のない話である。

「……役場に、人権団体っちゅうのから問い合わせがあったやげ」

 と、重い重いその口を、会長さんがようやく開いた。

「何ちゅうか、知的障がい者ちゅうやつをちゃんと町が面倒見んでえ、権利が損なわれるとらやいよ」

「はあ、知的障がい者?」

 繰り返してから、それがアーアーさんのことである、遅れてじいやん気がついた。

 ず、アーアーさんはアーアーとしか言わない言えない、それは皆が知る事実。しかし「知的障がい者」という四角張ったその言葉は、じいやんの舌には馴染まない。なぜって、アーアーさんがその「知的障がい者」だというのなら、この会長さんとじいやんは「健常者」。だが、その線引きはどこでなされるものか、じいやんには不確かだ。

 というのも、じいやんには三人の子供がいた。上から男、女、男の順、みんな学校へやったのだが、長男はぎりぎり中の上、長女は学校一の秀才で、しかし末っ子の次男坊、これが困った子供だった。学校には行きもせず、かといって家のことをやるわけでなし、頭はそれほど悪くもないが、何をするわけでなく一日ぼやっと宙を見て、たまに授業に出たと思えば窓から景色を眺めるばかり。学校の先生には阿呆﹅﹅と呼ばれ、友人には呆れられ、じいやん肩身が狭かった。

 時は高度経済成長期。身を粉に働くサラリーマンを、テレビはモーレツ社員と煽り、GDPは右肩上がり、働いたなら働いただけの豊かな暮らし、誰もが夢見るいい暮らし。それだというのに、この阿呆﹅﹅、なだめすかしても学校へ行かぬ。学校にさえ行けぬとあれば、会社になんて行けるものか。一体この子はどうしたものか、じいやんの奥さんはこぼしたし、じいやん困って頭を抱えた。

 灰の色したコンクリートジャングル、そこでモーレツ社員をやれとは言わぬ。せめて一緒に漁師ができたなら。思い立ったじいやんは次男を船に乗せてはみたが、やはり景色ばかりを見てるため、どうにも作業の邪魔になる。それでも勉強しない分、視力だけはいいようで、遠くの船はどこの船だのかもめが魚を捕っただの、どうでもいいことばかりをぶつぶつぶつぶつ言っている。

 いくら視力が良くたって、双眼鏡には敵わない。遠くのものが見えたとて、捕りに行かねば金にはならない。金がなければ生活できない。嫁さんをもらうことだって、子供を持つことだって、家族を養い、庭付き戸建てを購入し、テレビコマーシャルで散々流れているような、幸せな一家団欒することも――いやいや、それほど高くは望まぬが、働き、金を得られなければ、生きることもままならない。ため息ついたそのときに、次男坊の同級生、アーアーさんに目がいった。

 アーアーさんはいまと変わらず、その時分からアーアーさん、おそらくそれは生まれつき。例の轢かれて死んだおかはんと一緒に、アーアーアーと歩いてた。

 その光景を目にしたじいやん、思わず厳しい顔になる。

 将来、あの子はなっとうするどうするのか

 じいやんは――無論、そのときは働き盛りのおとはんお父さんだったが――思わずぐっと考え込んだ。アーアーアー、所構わず叫ぶあの子、じいやんとこの次男坊より劣っている﹅﹅﹅﹅﹅のは明らかだ。何せあの子は勉強どころか会話ができず、文字が書けず、ただ座っていることさえできず――言ってしまえば、有用なことなど何一つできない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅。そもそも、その子を生んだおかはんだって、毎日ああして町中をうろうろうろうろしているだけだ。誰のためにも何もせず、報酬となる金も得ず、それだというのにあの母子、どうして生きていられるか。

 問いに対する一つの答え、それは障害年金という名の金であったが、そのときじいやんが問いかけたのは、いま少し真理に踏み入ったもの――つまりは人間の生きる意味とは何で、一体どんな理由があったらその人間は生きていることを﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅許されるのだろう﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅というようなことだった。

 人は働き、生きるのに必要なを得る。じいやんだって、来る日も来る日も船に乗り、いるか﹅﹅﹅を捕っているからこそ、金を得、家族を養える。けれども阿呆の次男坊、どうもそれが難しい。が、アーアーさんに比ぶれば、見るからにおかしいというわけでもない。限りなくそれ﹅﹅に近いとしても、国から金をもらえるほどではないだろう。元より、そうである人間とそうでない人間、ある一点ですぱっと二種に分かれもしまいが、血の通わぬが法律なれば、すべては白黒に分けられる。結果、限りなく黒に近くも白側である人間が、生きる苦労を強いられる。それでも可愛い次男坊、金を稼ぐ方法を、じいやん探してやらねばならない。

 ますます顔をしかめたじいやん、しかし更に気がついた。心配なのは次男坊のこと。だというのにそれなのに、金のことばかり考えるのはなぜだろう。

 それは生きるのに金がいるからだ。直ぐにそんな思いが浮かぶ。しかし――一方でこうも思う。人間が生きるということと金のあるなし、これにはどういう関係があるか。生きるというその意味に、金は含まれているのだろうか。

 ぞわり、そのとき寒気が走ったのは、何も寒さのせいではなかった。じいやんの頭の奥の奥、そこにじいやんのそのまたじいやん、そのまたまたじいやんから語り継がれた、昔々の風景がぱっと弾けたからだった。そこに次男坊と見紛うばかりの、先祖の姿を見たからだった。鯨方ゆかりの史跡として、いまも残る山見崎から、終日ひねもす海をぼうと見つめる山見﹅﹅という名のお役目の――。

「ああ、ちょうどええとこへ帰って来た」

 そのとき凍えた会長さんの白い息、じいやんは現実へ引き戻されて――その白い眉をむっとしかめた。坂を上ってやってくる、あれは確かにアーアーさん。しかし、どうやら様子がおかしい。いいや、おかしいどころではない。その目は虚ろ、歯を食いしばり、隆々とした筋肉はどこへやら、痩せた肩を怒らせて、錆びた自転車と足を引きずり、白い息をふうふう吐くその様子、まるで手負いの獣である。

「痩せたんやない? 近頃、ちゃんと食うとるか?」

 会長さんも、同じ感想を持ったのか。驚いたように問いかける。すると、それまでこちらに気づかなかったか、アーアーさんは顔を上げた。ううう、低い唸りを上げ――その目がじいやんの提げた風呂敷包みを鋭く捉えた。がしゃん、自転車をその場に放り出すと、どこにそんな力が残っていたのかというほどに、一足飛びで包みを奪う。じいやん、ふらりとよろめいて、倒れ込んだその拍子、そのまま戸板をぶち抜いて、小屋の中へと転がり込んだ。あいたた、こなっとどうしたんや。じいやん禿げた頭をひとさすり、とあることに気がついた。

「コーヒー牛乳のパックがあらへん」

 かつて一面に貼り付けられてたコーヒー牛乳のパックはどこへやら、一枚たりとも見当たらない。どうして剥がしてしまったか、それにはどんな理由があったか。パックが塞いでいたらしい、壁の隙間からぴゅーぴゅー風が吹きすさぶ。呆気にとられたじいやんだったが、いつまでもそうしてはいられない。

「じいやん。ちいと手伝うてよぉ」

 どさりと大きな音が聞こえた後、焦り顔の会長さんがじいやんに助けを求めたからだ。




 九、障害福祉課の職員さん


 ぽたり、ぽたり、落ちた雫が白く透明な管を伝って長い針、そしてその針の刺さった静脈の中へと消えていく。すう、すう、寝息とともに薄い胸板が上下する。どんな夢を見ているものか、まぶたはピクピク動いている。病院の白いベッドに横たわる、その人はお馴染みアーアーさん。栄養か何か知らないが、口から入るもの以外、信用ならぬというように、ひとしきり暴れたその証拠、腕には打撲のあざが浮き、顔には切り傷ができている。しかしそれも最小限、ぷつりと鎮静剤を打たれたが最後、どうと床に大の字に、それからぐっすり眠っている。

 そうして目覚めぬ人の横、椅子に座って付き添うは役場から来た一人の女性。障害福祉担当の町の職員さんである。

 実はこの職員さん、津室町役場の中途採用に応募して、登用された新人さん。私生活では二人の子供のママであり、家族の住むアパートは町から車で一時間、住宅街のど真ん中。土曜は少し遠出して、ショッピングモールで買い物を楽しみ、日曜は滞った家事に手をつけて――などとしていたところ、悪いが来てくれとの出勤要請、子供たちは夫に任せ、車を飛ばしてきたところだ。誰もいない役場へ寄って、関口ツネ夫、見つけた書類に目を落とす。話を聞いた医師によれば、どうやらこの関口さん、軽度の栄養失調と脱水症状という診断で入院措置となるようだ。

 ろくに引き継ぐこともしないまま辞めてしまった前任者、そのとばっちりを食らう形で職員さん、アーアーさんに関しては名前を見かけた記憶もなかった。けれど――私がもっとちゃんとしとったら、職員さんはほぞを噛む。役場に応募する前は、イルカ騒動を聞いてはいても、訪ねる機会もなかった津室町。人が優しくていい田舎、それが二ヶ月勤めた印象だ。だというのにそんな折、降って湧いたこの事件、職員さんの好印象をちゃぶ台返しに引っくり返した。

『知的障害のあるしとやげ』

 職員さんを呼び出す電話、課長さんはそう言った。

『連れていった人は手続きのことは分からんから、病院に行ってほしいがよ』

『わかりました。それで、その方のお名前は?』

 職員さんはメモを取ろうと、ボールペンを片手に聞いた。すると課長さんは少し黙って、

『関口さんや、関口ツネ夫』

 あくまでのんびり、こう続けた。

『いやあ、アーアーさんやのうて何かと思うてよぉ』

『アーアーさん?』

『ああ、知らんかね? いつもアーアー言うから、何となく』

 その瞬間に職員さん、すっと背中が冷たくなった。よそよそしくも固い声、失礼しますと電話を切る。下唇を噛みしめる。何が彼女をそうしたか。それは大きな怒りだった。

 アーアー言ってるからアーアーさん? 職員さんは拳を握った。知的障がいのある人も、ちゃんと名前があるというのに、アーアーさんと呼ぶなんて馬鹿にするにもほどがある。第一、そんな呼び方は犬や猫――いや、まるで虫けらみたいじゃないか。

 実は福祉と名のつく大学、卒業してきた職員さん、社会福祉というものにつき、様々思うところがあった。曰く、社会福祉に携わるところの人たちは、ずうっと戦い続けてる。何とそれほど戦うか。それは差別や偏見だ。ではその差別や偏見とは何者か。その二言に怒るあまりに職員さん、そこまで考えたことはなかったが、それは違い﹅﹅から生じるもの。足がない、手がない、目が見えない、他と比べた肌の白さや黒さなど、人にはそれぞれ違い﹅﹅がある。

 無論、それがただの違い﹅﹅であるうちは良いだろう。しかし、長い歴史の中、人は違い﹅﹅に価値をつけた。例えば、視力や手足がないのは悪いこと――それは貧しい暮らしの中、満足に動けぬ者を養うことはできぬから。例えば、より肌が白いことは良いことだ――それは灼熱の太陽の下、泥に塗れて働く必要のない境遇、つまりは身分の高さを証明するから。

 そうしてつけた良い悪いの価値のうち、悪い価値を持つ違い﹅﹅、それをいまに生きる人々は差別や偏見と呼び始める。なぜなら、衣食住どれもにたっぷり余裕が生まれたことで、人々の持つこの価値というもの、急激な変化をしたからだ。つまり過去にだったその価値は、もはや悪くないのである﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅、そしてそれはただの違い﹅﹅――そう、個性﹅﹅とでも呼ぶべきもので、決して善悪ではないと、考える人が増えたのだ。

 しかし、増えた﹅﹅﹅ということは、そう考えない人々も存在するということだ。現代いまの価値に信を見出す者と、旧来の価値を信ずる者。そこに生まれた二種類も、れっきとした違い﹅﹅だろう。けれどげにげに不思議なことに、新しく生まれたその違い﹅﹅、乗り越えんと努力する者は多くない。違い﹅﹅は善悪ではないだろう——前者の思考はそれだというのに、変わらぬ後者の思考を蔑む。あれは野蛮人だ、田舎者だ、因習を断たぬ老害﹅﹅だ。価値の移ろいの激しい時代、それについていける者が、置いていかれる者を笑う。そればかりは変わらぬ古いやり方、ゆえに偏見差別は輪廻転生、生まれ変われど無くならぬ。

 ともあれ新しい価値を信ずる者、職員さんはそちら側。すなわち、ベッドに横たわる関口さん﹅﹅﹅﹅に、職員さんは涙を流す。なぜ誰もこの人を助けなかったか。なぜこんなになるまで放っておいたか。

 聞けば関口さん﹅﹅﹅﹅のこの一件、福祉団体への通報があり、連絡を受けた役場の担当、職員さんに伝えぬばかりか、町内会長さんという、まるで関係のない人に話を持って行ったというではないか。いきさつ知った職員さん、その怒りは増すばかり。それは彼女が新人だからか、町の人間ではないからか。『津室なんど、のつく田舎、そんなとこに外から勤めていじめられんか?』。いまさらながら、家族の忠告が身に沁みる。そうだ、顔はニコニコしてても影じゃ何を言われてるか、それが陰湿な田舎者、その生態の常ではないか。

 唇噛み締めたそのときだった。おはようございますと声がして、年配で太った小さな女性、ひょっこり顔を覗かせた。職員さんも面識のある、町の民生委員さん。職員さんは頭を下げ、とりあえず椅子を勧めたが、その表情は強張っていた。それもそのはず、民生委員さんは地域の福祉相談役、彼女こそが関口さん﹅﹅﹅﹅のことを行政に報告し、援助を行うべき存在だ――職員さんは思っていたのだ。

「あれよ、痩せたねえ」

 ここで民生委員さんの発した第一声、まるで他人事のような言い方に、

「把握してなかったんですか?」

 職員さんはきつく言う。思いもよらぬ声の調子、刃物が飛んできたように、民生委員さんは首をすくめた。

「夏に話たときには変わらんかったがのう」

「話しって、話せるんですか? 言葉が出ないって聞きましたけど」

「そりゃあ、なあ……」

 民生委員さんは上目遣い、以心伝心を試みるも、職員さんは撥ねつける。この状況はあなたの責任であるからにして、説明責任というものが生じているのだと、物言わずして知らしめる。

 その重圧に観念したか、民生委員さんは口を開く。

「そりゃあ、このしとはアーアーとだけらやいよ。おいでもそれでも、ちゃんと分かるやろ。いそしいや元気だとか、きつかいない大丈夫とか、満足とか、声でそういうもんがよぉ――」

「満足?」

 職員さんはぴしりと言った。

「毎日おかずをもらい歩いて、食べ物を恵んでもらって、それでもこの人が満足してた言うんですか? 家もちゃんとしたものやなく、神社の裏のあばら家に住んでたて聞きましたけど」

「そらなあ。けど本人がそれでええんやから……」

 当惑したようなその口調、不機嫌なものへと変わってく。ほらほら、化けの皮が剥がれてきたぞ。職員さんは顔を歪める。委員の責任を放り出してどんな言い訳をするかと思えば、本人がそれを望むときたもんだ。

 望みならば、叶えるべきか。それは福祉ならではの問題だ。例えば、それは小さな子供。彼らが甘味を望むなら、そればかり与えていいものか。もちろん、答えは否である。砂糖だけでは体に毒だし、虫歯や肥満の元となる。それを教え、導く者がいなければ、子供は砂糖のみに生くるであろう。

 関口さん﹅﹅﹅﹅だってそれと同じこと。彼の知能は子供と同じ。それなら誰かが彼を導かねばならず、その人間こそが私だと、職員さん、プライドを持っていた。そこへいくとこの民生委員さん、矜持ってものがない。

「そならわせてもらうけどよ」

 職員さんの態度に腹を立てたか民生委員さん、反撃せんといわんばかり、よそよそしい口調で切り出した。ベッドの上の関口さん﹅﹅﹅﹅をちらと見る。

あがはこのしとなんぞより、こなだ越してきた親子のがややこい問題だと思う。あそこの町営住宅にはいた入った……名前は何言うたか……」

 神崎さんや。職員さんはぴんときた。職員さんが役場へ勤め出した同じ頃、転入届を出しにきた、スタイル抜群、美人なママさん。同じ年頃のママなのに、こんなに違うものなのか。はぁとばかりに職員さん、深くため息ついたのだ。あんなに目立つ人の名前も覚えてもないなんて。もしかしたら、関口﹅﹅さん﹅﹅アーアー﹅﹅﹅﹅さん﹅﹅と呼んだよう、影であだ名つけているのか。こりゃうちも何て呼ばれてるか分からんとばかりに職員さん、ますます警戒を強める。

「ああ、せやせや、神崎さん」

 職員さんの警戒よそに、ようやく思い出した民生委員さん、そこでなぜか声を潜める。

「あんまり言えれんけんど、あのおかはん、近所と揉め事ばっかり起こしてどもならん」

 ほうら、来なすった。よそ者いじめ。疑うことを覚えた職員さん、素知らぬ顔で先を促す。田舎者よりよっぽど常識のあるだろう東京人、何よりあの愛想が良くて綺麗なママが揉め事なんぞ起こすものか。

「町内会にも入らんし、ゴミ当番もせいでよしなくて。何やゴミはお役所が回収せいでやするべきだ言うてこぜる文句を言うし、決まりもいっこひとつも守らんし」

 犯罪を告げるが如くのその言葉、職員さんは首を振る。不便なルールを押しつけるだけの町内会、入会なんぞ義務ではないし、ゴミの回収責任が行政にあるかどうか、それもネットで検索すれば、言わずもがなとの結論を、専門家たちが示している。

 市街地といえども、東京からは遥か西、田舎に住む職員さん、町内会には入っていたが、入らずに済むならそうしたい。けれども田舎という場の人間付き合い、都会のようにはすっぱり切れぬ。法律によって正しいことが、正しいことには成りかねる。人情溢るる大岡裁きと、舶来物の鉄の法律。人治と法治のその間、この国の常識はさ迷いながら、しかし人が信ずるは己の都合に良い方か。

 職員さんが黙っていると、民生委員さんはますます声を小さくする。

「ほいであそこの男の子、おろしいくらい痩せてちぃこくて小さくて小学一年には見えんのよぉ。いつもしとを睨むような目ぇして、何や子供らしない……こりゃ聞いた話やけど、だえぞ悪さ注意たら、何や物を投げつけよったんて」

 それは暗に虐待を示しているのか、しかし同じママである職員さん、露骨に嫌な顔をした。子供が小さい、そう言われることに母親たちは敏感だ。なぜならそういう言葉の裏、「おっぱいが足りてない」だの「ちゃんと食事を食べさせていない」だの、母親への非難が隠れている。その子の体が小さいのは、その子の個性﹅﹅かもしれぬというのに。

「あそこはお母さんも細身ですし、遺伝もあるんやないんですか。それに――」

「まだあらぁあるよ

 しかし、めげない民生委員さん、顔をしかめてまだも言う。

「アー……やない、関口さん﹅﹅﹅﹅におかずを分けてたしとが何人かおるんやけど……その空の入れもんが返ってこんと思うたら、何や神崎さんのとこにあって。そりゃ家ん中見たんじゃのうて、あの家のゴミに入っとったがい」

「ゴミを漁っとったんですか?」

 職員さん、聞き逃せずに眉を上げる。すると、民生委員さんは慌てたように、

「ほら、勝手に夜ほる出すから、野良猫が破ってよう。別にゴミ掘りたくったわけやない」

 とんでもない、と首を振る。それから真面目な顔をして、

「まあや、が言いたいのはよぉ、あのおかはんに付き合わされて、あの子、ろくすっと飯食うてないんやないかてことよ。おいそれでよぉ、腹減ってしもうて、関口﹅﹅さん﹅﹅のおかずを盗み食いやってしもたんかのう……」

 想像逞しき田舎びと、職員さんは呆れて言葉も出ない。これは根も葉もないどころか、ひどい難癖つけられたものだ。町内会に入るか入らないか、正論に反撃できぬ悔しさか、結局は気に入らぬだけのよそ者を、盗人扱い虐待扱い、町から追い出したいだけだ。

 真面目に相手にする気も失せ、職員さんはため息ついた。

「……もし、お子さんに異常があれば小学校が気づくでしょうし、そういう話がないってことは大丈夫やと思いますけど」

 しかし、民生委員さんは諦めが悪い。

「ほんであのおかはん呼び出したら、ひょげんな大変なことになってしもうてよぉ。教育委員会に通報いって、校長先生を名誉毀損で訴える訴えへんて、弁護士さんまで呼んできてよぉ、そらぁおろしことになったんよぉ……」

 あれやこれやと並べ立てるは民生委員さん、しかし職員さんは馬耳東風。内容なんぞ聞かぬとも、この正論も通じない太って醜い田舎のばあやん、その御仁のおっしゃることは、よそ者の親子が気に入らないという一点だけで、そう言われてしまっては、己も同じよそ者の身、職員さんが民生委員さんの側につくことなど有り得ない。

「……それにしても、このしとはどうなるんかよぉ」

 一通り話して気が済んだか、立ち上がりながらベッドを振り返った民生委員さん、そんな風に呟いた。相も変わらず他人事のようなその言葉、あんたのような無責任な人が関知することやない――職員さんは病室のドアが閉まるまで、無言を貫き通したのだった。




 十、松浦のおばやん


 休まず動く柱時計が、今朝とて指すは七時十五分。松浦のおばやんは暖簾からちらりと顔を出し――首をふりふり引っ込めた。ふう、と小さく息をつく。すると、おばやんの息子さん、そのため息を聞き咎め、

「わざとらしいことすんの、やめてくれんか?」

「わざとらしいて?」

 疲れたように一つため息、息子さんを振り向くが、「ほら、それや」。再び言われて息をつく。

「別におまはんに聞かせとるわけや……」

 言いかけてから、その言葉の意味に気づき、

「わざとらしいて言うってのは、おまはんやってちぃとは気にしとるってことやろう」

 と、少々反撃。もう一度、ちらと店を覗く。しんと静まり返ったそこを見回して、再び首を引っ込める。表を車が過ぎる音。海鳥の声に波の音。七時半の開店まで、お客さんは一人も来ない。準備中、その札をかけてりゃ当たり前、けれどおばやんの気持ちはぐんぐん沈む。なぜかと聞くのも無粋であるが、その原因はもちろんあの人、アーアーさんのことである。

 八十円のコーヒー牛乳、百三十円へと値上げ﹅﹅﹅され、さてその翌日の日曜日、いつもと同じ七時十五分、やってきたアーアーさんに息子さんが立ちはだかった。

『開店は七時半です』

 準備中の札を指し、息子さんは断った。それがはらはらするほど無愛想。そんな言いもんかたするんじゃなかねないよ――おばやん、たしなめようとする。が、そのとき道の向こうから、あのお母ちゃんがやってきた。『またその人だけ特別扱いするんですか?』。冷たい声が頭に浮かび、おばやん息飲むように口を噤んだ。たかが面の皮ではあるが、あの女優さんのように綺麗なお顔、そのお顔で言われれば、どんなにおかしな主張でも、正しいような響きを持つのだ。

 ともあれ母子を無事にやり過ごし、しかし結局のところアーアーさん、コーヒー牛乳は買えず仕舞い。ポケットのお金は百十円。昨日のお釣りそのままだ。初めて買い物に失敗し、その次の日と次の日はアーアーさんは現れず、かと思えば、突然千円札と共に現れて、コーヒー牛乳買ってった。けれどもしかし、その千円がなくなれば、またもやしばらく来なくなり――最後に来たのは十一月の終わり頃。師走の声を聞いてから、一度も顔を見ていない。

 大きなため息のおばやんに、息子さんは膨れっ面。子供っぽいとご本人、治そうとはしているようだが、無くて七癖有って四十八癖、こんなときにはひょいと出る。

「……そらちぃと悪い気もする」

 息子さんはそう言って――続けておばやんの度肝を抜いた。

「いままで餌やっとた野良犬に、急にやらんようなもんや。可哀想やとは思うけど」

「おまはん、犬て……」

「いやいや、物の例えや、物の例え」

 角を生やすおばやんに、息子さんは慌てて言った。

「ほんまに犬やて思てない。ただ、そういうもんやて。野良犬や野良猫に餌をやるんは、無責任なことなんよ。おかはんのやってたこともそれとおない同じやろ? 無責任極まりないで」

「そがなことあらん――」

 むっと言い返したおばやんに、

「ほな、おかはんはあの人に何かあったとき、責任取るん?」

 息子さんは強く言う。じっとおばやんの顔を見る。

「消費期限間近の半額のうでもの﹅﹅﹅﹅やって、あの人は暑い中それを持ち歩くやろ。で、そのせいで痛んだもんを食ったとして、訴えられるのはおかはんや。腐るとか腐らんとか、あの人はそういうのが分からんのやから、安易に物をやったらあかんのや。それこそ犬や猫やないんやから」

「訴えるて、別にあの人はそういう人や――」

 おばやん反撃してみるが、

「そんな人やないて、どうやって分かるん? あの人のことなんか、おかはんかて知らんやろ」

「知っとるよ。あの人は昔からここにいて、コーヒー牛乳買いにくるんやげ」

「そうやのうて、例えばあの人のフルネームとか、住所とか、年とか、どんな障がい持ってるとか、誰が面倒見てるかってことや」

 言われて、おばやんむすっと黙る。なるほど息子さんの言う通り、アーアーさんの私生活、そんなものは一つも知らない。けれど何十年という間、毎日毎日関わり持ったその人を、知らない﹅﹅﹅﹅と十把一絡げ、なんと冷たいことだろう。

「そら、おかはんは障がい者に施しをして、ええ気分かもしれんけど。神崎さん﹅﹅﹅﹅の言う通り、やっぱりあれは間違いや。そういうのは国の仕事なんやから、個人でやるもんやないし、あの人にだけ安う売るんはおかしいって、俺、前々から言うてたやろ」

 神崎さん――あのお母ちゃんの苗字を口にする、声の響きがいつもと違うと、おばやん耳聡くも気がついた。何や、この子はでれでれしもって。あのお母ちゃんがあんまり美人なもんで、惚れてしまったんやなかろうね。

 おばやん、思考が逸れかけて、慌ててよいしょと元へ戻す。

「言うとくけど、角の浦田さんから通り向こうの山本さんから、おかず分けてんのをよう見らあ。ほやさけ、そうしてんのはうちだけやあるかいな」

 それは初耳とばかりに息子さん、へえと驚いたようだった。けれどすぐに肩すくめ、いやいやいやと首を振る。

「そんなら、その人たちも無責任やで。責任が取れへんのやから」

 知った顔して息子さん、おばやん思わず語気が強まる。

「責任責任て、おまはん、そしたら目の前に困っとる人間がおっても助けんのが責任か? 国に任せんのが責任か? うらに言わせりゃそら違う。責任とか、福祉とか、そがな大層なもんやない。親切ともまた違わさ。ただ、人は助け合うもんやげ。足りんところ補って、方々で助けおうて、みぃんなそうやってきたんやから――」

 と、そのときぱっと弾けるように、おばやんの記憶が蘇る。そうだそうだ、この台詞。アーアーさんにやるお金、一銭たりとも損したくない息子さんと、おまけ﹅﹅﹅までつけるおばやんの違い。それは、みんなそうやってきたんやから――先代のミツコさんの口癖にあった。

 ミツコさんはおばやんの旦那さんのおかはん、つまりはおばやんの姑さん。山の集落からはるばると、嫁いできたおばやんは、家事から店の仕切り方、子供の育て方にご近所付き合い、この海の町の暮らしについて、何から何までミツコさんに教わった。

 テレビやラジオはいろんなこと教えてくれがよぉ、おいしゃあなたに物を言うとらん。おいしゃのためを思てくれとぅおしとを、大事にしよし――とうとう実家を離れる日、おばやんのおかはんはそう言った。だからおばやん、教えの通り、ミツコさんの言葉をよく聞いた。

 朝は誰よりも早く起き、神棚のお供えと、ご飯の支度。店の前を掃き清め、米飯は神さんのお下がり、近所の人とは仲良くする。何かもらったらおすそ分け、町内会やPTAのお役目は欠かさずに、いつもニコニコ笑顔でいること。

 すとんと胸に落ちるより、落ちない教えも数多く、当のミツコさんという人だって、良い姑かと問われれば、それもまったくそうではない。けれどもミツコさんがよく呟いたこの台詞――『まあ、わしも人間じゃ、至らんとこだらけじゃのう』という言葉、いまもおばやんの心に残ってる。あのぎょろぎょろした目の光をそのときばかりは引っ込めて、ミツコさんはこう言った。『できた人間以外、生きる権利がないっちゅうんなら、この世も末、地獄の方が住みよいのう』と。

 そやそや――頼りの言葉に辿り着いて、おばやん思わず頷いた。そんなことをぶつぶつ言いつつミツコさん、アーアーさんの買い物袋におまけのうでもの﹅﹅﹅﹅入れたのだ。いいや違うかあの頃は、アーアーさんは小さな子供、やまんば﹅﹅﹅﹅みたいな髪の毛にぼろ布巻いたおかはんが、毎日毎日やってきた。

 しばらく過去の記憶に浸り、おばやん、小さく首を振った。息子さん曰く施し﹅﹅を、どうしておばやんするかといえば、ミツコさんがそうしていたからだ。ミツコさんがこうするものだと教えたからだ。その教えに従って、おばやん、アーアーさんにコーヒー牛乳を売ってやり、おまけのうでもの﹅﹅﹅﹅つけてやり、店の前を掃き清め、神棚のお下がりを食べ、店の商売ご近所づきあい、数々お役目をこなしてきた。どうしてやるかと聞かれても、ミツコさんがそうしたから、それ以外の答えはない。それなら教えたミツコさん、誰からそれを教わるか。それは長い長い伝言ゲーム。ミツコさんの番におばやんの番、順番が来たときそのときに、伝わるものを守っただけだ。

 しかしそれは息子さん、彼の望む答えと違うと、それくらいはおばやん分かる。息子さんが望むのは、例えば試験の答えに近いもの。人が伝えた知恵﹅﹅ではなく、本をめくって見つける答え。私とあなた、私とご近所さんというような、ごくごく小さな集団の、そのときどきに曖昧に適用されるものでなく、もっと広い範囲の多種多様な人間を縛る、鋼のような決まり事。そう、それはやはり法律か。

「そうやってきたっていうけどな」

 人治の歴史を受け継がぬ、若い息子さんはそう言った。

「ずっとそうやってきたからて、続けることが正しいとは思わん。この店のことも……例えばあのいるか﹅﹅﹅漁も」

いるか﹅﹅﹅?」

 一体この子は何を言う、おばやん思わず問い返す。口にする気は無かったか、これはどうやらしくじった、息子さんは苦い顔。嫌な予感におばやんは、息子さんの顔をじっと見た。

 いるか﹅﹅﹅を食べるこの町は、外国人で騒がしい。漁に反対するために、彼らは町の港からこの店にだってやってくる。そうして何をするかといえば、勝手に商品を撮影したり、客にインタビューのマイクを向けたり、挙げ句の果てには「いるか﹅﹅﹅肉の取り扱いをやめなさい」。通訳を通して言う始末、おばやん迷惑に思っていた。そもそもそれがいるか﹅﹅﹅でなくても、食べ物にケチをつけて回るだなんて、お里が知れると言うものだ。

「まさか、いるか﹅﹅﹅は売らんとか言い出すんちゃうけ? そがなことをするんなら、うらはおまはんにこの店――」

「まあ、まあ、そういう話やのうて」

 声を大きくしたおばやんに、息子さんは言葉を濁した。

「そりゃ需要がある限りは仕入れるつもりや。俺かてこの町で育ったんや。あの外国人みたいに、いるか﹅﹅﹅漁に反対しとらん。けど、若い人はいるか﹅﹅﹅を食べんようになってる。それは事実やろ」

「それは条約か取り決めか何かで、外国がおきいき邪魔するさかいに――」

「せやけど、それでもや。俺らが食べんようになったことに変わりない」

 憤るおばやん遮って、語気を強める息子さん。

「そこにどんな理由があっても、食べんってことは売れんいうことや。売れんてことは商売にならんいうこと。いまだって、売れ残りが出てるやろ。こ以上、消費拡大は望めんで。そんないるか﹅﹅﹅を赤字出してまで仕入れる意味なんてない。計算せんでも分かるやろ?」

 言葉を失うおばやんに、どこか弁解するように、息子さんは言葉を続けた。

「俺も、世界中によぉけおるたくさんいる絶滅危惧種やのうて、何でいるか﹅﹅﹅なんって思う。何で日本のこの町だけが悪もんにされるんって考えるよ。でも仕方ないやろう。運が悪かったとしか言いようない。目をつけられてしもたんや、ただそれだけのことなんや」

 怒涛のように言い切ると、魂の抜けたようなおばやん横目に、唇噛み締め息子さん、暖簾の向こうへ消えてった。おかはん、時代は変わったんよ――呟くように言い残して。

 立ち尽くしたままのおばやんに、チリリン、小さくベルが鳴る。その変わらぬ音色に気がつけば、時計は店の開く時間、七時半という時刻、鋭く指しているのだった。




 十一、郵便局の局員さん


 敷き詰められたコンクリート、そこから四角に覗いた土の地面。並べ植えられた桜の木々はすでに花を散らせていた。季節は時代とともに移りけり、かつては桜の入学式も新しい緑に輝くか。

 四月を控える三十一日、明日になれば局員さん、その呼び名にがつき、しばらくすればそれも取れ、年金暮らしと相成れば、新たな肩書きは無職﹅﹅という味も素っ気もないものだ。そりゃあ無職に違いはないが、他に言い様のないものか。しかし嘆けど仕方なく、退職祝いも盛大に、それからの日々を局員さん、有給休暇を消化している。

 しかしながら以前は恐れた退職後、その長い休みも何とやら。局員さんは、とある用事に東奔西走。その用事とは何なのか、とにもかくにもその結果、たどり着いたはこの建物――わかたけ荘という施設。あれだけ津室で探して回れど、結局それは局員さんの住むところ、県庁所在地の山際に隠れるように建っていた。

「どうされました?」

 その建物を見上げていると、そこで働く職員さんか、局員さんに目を止めた。

「あ、どうも、実は――」

 未だ言い慣れないその名前を口にする。と、それは気のせいか。職員さんは嫌な顔。頭のてっぺんからつま先までも、局員さんをじいっと眺めた。

「失礼ですが、ご兄弟か何か?」

「や、ただの知り合いで……」

 局員さんが答えると、今度は視線が和らいだ。こちらですよ、と踵を返す。何とは無しに嫌な予感、顔をしかめて局員さん、その背中についていく。ぐるりと建物の裏へ回ると、そこには存外広い空間。ビニールハウスが三棟と、野菜の植わった広い畑、春の花の咲く花壇。と何やらその一角、おやおやこれはどうしたことか。鉢は割れ、花は踏まれて、土がそこら中に飛び散っている。動物が入って荒らしたか。目を丸くした局員さん、先を行く職員さんは足を止め、ため息ついて振り返る。

「これねえ、せっかくみんなで世話しとったのに……あの人がねえ」

 あの人、というのはもちろん――職員さんの視線を辿ると、いたいた、懐かしのアーアーさん。思わず立ち止まった局員さんに、職員さんはため息ついた。

「いまは大人しく作業してくれてますけど、気に入らんことがあると暴れ回ってねえ。いいえ、そらあの人が悪いだなんて言いませんよ。そうやなくて、親がねえ」

 顔をしかめて、首を振る。

「やっぱりああいう人はねえ、自由にさせたら駄目なんですよ。小さいときから社会に出る訓練してやらんと、自立も何もないでしょう。そこらへんの動物みたいに、ただ生きてるだけでしょう。そうやなくて、ちゃんと働いて、お金をもらって、そうして社会に参加することが、本人の幸せにも繋がるんやから」

 早い口調で言い切ると、案内のお役は御免、職員さんは去ってく。ぽつり残された局員さん、荒らされた花壇の向こう側、同じ障がいのある人か、その大勢と働いているアーアーさんをじっと見た。

 畑に肥料をまいているのか。うねの間を行ったり来たり、アーアーさんは元気そう。いつもの服装はどこへやら、長袖長ズボンを着ている上に、筋肉が落ちたのだろうか、体も一回りは小さく見えるが、そうは言っても血色も良く、足取りもしっかりしている様子、あの目玉だけが光るような異様な雰囲気はどこにもない。よかったよかった局員さん、ひとまず胸を撫で下ろす。

 五ヶ月前。アーアーさんが暴れに暴れた、あの日のこと。事が収まり、何があったとお巡りさん、局員さんは分かりませんと答えることしかできなかった。局員さんにしてみれば、いつものように八十円、払い戻そうとしたところ、アーアーさんが暴れだしたと説明するより他もない。

 ともあれ、お巡りさんに連れて行かれたアーアーさん、その翌日には来なかった。その翌々日もその次も、しばらく来ない日が続き、ようやく来たと思ったら、局員さんは奥へと押し込まれ、代わりに窓口へ座ったは、別の若い局員さん。あの大暴れの原因は、もしかしたらば局員さんのせいである。無論、真相は分からぬが、刺激は避けろというわけだ。しかしあまりに長いその時間、局員さんこっそり窓口を覗く。と、そこには何やら人だかり。局長さんまでお出ましで、何をしているものかと思えば、アーアーさんを取り囲み、なだめすかしているではないか。『払戻請求書は、ご本人様に書いていただかないと』。字の書けないアーアーさんに、書けぬば金は下ろせぬと、そう説いているのである。いままでそれは局員さん、こっそり代筆したけれど、それは違法と言われる行為。出るに出られず局員さん、アーアーさんとは会わなくなって――しかし、退職祝いの席のこと。

『あの人、施設に入ったらしいですよ』

 ぽろり、若い局員さんがそう漏らす。『だからここにはもう来ないんやないですか。僕はホッとしたけど……いや、だって親切で代筆なんかして、バレたら処分されんのこっちやし、何のきっかけで暴れるのか、ほんま全然分からんし』

 それを毎日毎日、嫌な顔一つせんと相手をするから実はすごいなと思てました——いらぬ告白を耳にして、局員さんはずんと沈んだ。そんな心地になったのは、己も意外なことだった。思えば、この町での十年間、それは局員さんの日課であった。アーアーさんの顔を見て、八十円の小銭を渡し、その後ろ姿を手を振り見送る。若い局員さんの言う通り、その始まりは親切心。けれど、十年経ったいま、それは親切以外の何かとなった。アーアーさんと、局員さん。平日限定、時間にして二、三分、ごくごくささやかで小さな関わり。

 その夜中、酔って帰宅した局員さん、けれど眠れず考えた。その日最初の光が差して、ほんのりカーテン透かすまで、じっと考え続けてた。そしてとうとう一念発起。局員さんは町歩き、人を訪ねて歩き始める。

 まずは港に足を向け、釣りのおいやんと話をした。それは毎日アーアーさんに、魚をあげてたおいやんだった。『あのしとはどこに行ったんかの』。おいやん少し寂しげだった。そのあと訪ねた漁協では、いるか﹅﹅﹅肉をやったという、まんまる着膨ればあやんに会った。ちょうど居合わせた漁師のおじやん、アーアーさんは鉄管てっかの音が好きだった、そう言いガハハと大きく笑った。あんまり好きなばっかりに、港を出て行く船を追いかけて、自転車でどこまでも並走したと。

 学校帰りの小学生たち、アーアーさんは何と津室町の七不思議、自転車に触ればご利益があると、先を争って教えてくれた。中学生の女の子、その大声の挨拶に毎朝どきどきしていたことを、また別の男の子、おかはんが彼に夕飯のおかずを分けていたこと、ときどき真夜中の道に突っ立っているのを誰かのおとはんが家まで送って行ったこと、車でしか行けないような隣町の国道で、ぐいぐい自転車を漕いでいるのを見かけたこと、ばらばらに砕け散った一つの像、それぞれ欠けらを集めるように、ぽつりぽつりと話してくれた。

 坂の上の恵比寿神社、そこでは毎日参拝を欠かさぬという、信心深いじいやんに会った。話を聞けばアーアーさん、病院に入院したという。けれど、その後の消息は分からず、長らく住んでいたと教えられた神社裏のおんぼろ小屋、それはすでに取り壊され、猫の額ほどの空き地には、ぽつぽつ雑草が生えていた。ぽっかりと空いたその場所、見つめていると、すべてはもう終わったのだ——そんな気持ちがこみ上げて来て、じいやんに別れを告げて局員さん、とぼとぼとぼと坂を下った。

 どこへ行ったか、アーアーさん。その声どこにも聞こえぬか。探して歩けど所詮は素人のおままごと、がっくり肩を落とした局員さんの目の前に、小さな商店が現れる。春の陽気に汗をかき、喉が乾いた局員さん、中へと入ると、捨てる神あれば拾う神あり、店主のおばやんに話を聞いて、も一度気持ちを奮い立たせ、聞き込みを再開し、社会福祉法人わかたけ荘――その「知的障がい者授産施設」、舌を噛みそうなその名前、ようやく突き止めやってきた。アーアーさんのような人たちが集められ、共同生活をしながら働いているという場所へ。

 再会できた喜びをありがたく噛み締め局員さん、しかし時間が経つにつれ、初めの印象とは裏腹に、真逆の感想が浮かびくる。集団の中で黙々と働くアーアーさん、その動きは投げやりで、むっつりしかめられた怖い顔、そこには局員さんが目にしてきた楽しそうな笑みはない。地面に転がる割れた鉢。無残に踏み荒らされた花壇。言葉の言えないアーアーさんの、それは精一杯の表現か。

 ああいう人はねえ、自由にさせたら駄目なんですよ――職員さんのさっきの台詞、局員さんの頭に浮かぶ。アーアーさんに必要なのは、社会に出るための訓練だった。自立し、働き、誰かにものを提供する代わり、少しであっても銭を得る。そうしてここで稼いだ金はお小遣いか、それとも施設利用料の一部となるのか、局員さんには分からない。けれど、一日八十円だけを引き出すような、アーアーさんの通帳には溜まりに溜まった障害年金。しかし――それが本人も幸せでしょう、その言葉はぐるぐると局員さんの頭を回った。

 アーアーさんの幸せとは何だ。ただ幸せというならば、以前のアーアーさんこそ幸せだった。にこにこ手を振り、挨拶し、自由自在に自転車漕いでいたあの頃が。けれど、それは社会に参加して、貢献をしてるといえるだろうか。そう問われれば、あの職員さんの言ったよう、ただ生きていた﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅だけだろう。けれど、それはいけないことか、局員さんは考える。かく言う局員さんだって、明日から肩書きなしの無職の身。ただ生きている﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅だけの毎日が始まりを告げる。

 生きるということはどういうことか。いつか山見のじいやんが考えたようなこと、局員さんも考えた。人は生まれ、そして死ぬ。それは動物も同じこと。けれど、人は食っちゃ寝、食っちゃ寝をして生きているわけじゃない。それは大金持ちなら別だろう。しかし、その他大勢の人は働き、己や家族の食い扶持稼ぎ、金を貯め、その日その日を生きている。局員さんの時代には上がり続けた給料も、不況が続くこのご時世、若者たちには計算が要る。結婚するには幾ら幾ら収入があり、子供一人を育てるのには幾ら幾ら必要で、それを大学へやるには幾ら幾ら、さらにその子供に面倒かけずに老人ホームへ入るとすれば、さらに幾ら幾ら必要だ、というような。

 何だ、それなら生きるということは、金のために働くということか。局員さんは鼻白む。生きるというのはそれほど大層なことでなく、今日の金を稼いでその金使い、再び明日の金を稼ぐということか。それもそうだこの世の中、金がなければ何もできない。それは確かに真実だ。ゆえに引きこもりやニートという言葉、蔑むような響きがこもり、平日の昼間にふらふらしている大人には奇異の目が向けられる。自給自足だなんだといって自己完結の生活をする人間は、常識はずれの変人だろうし、未来に働く子供はまだまし﹅﹅なのかもしれないが、老人や寝たきりで動けぬ者はとんだ社会のお荷物だ。しかし、それもそのはずだ、アーアーさんのような人たちだって、こうして一箇所に集められ、社会貢献の名の下にせっせと働かされるなら、例え健常者であったとて働けぬ者は要らぬ者。

 それほど働くというのは大事なことだ。働くことで得られる金は、それ自体は食えぬとも、生きていく糧そのものだ。そのために子供は学校へ、塾やその他の習い事、勉強をして良い﹅﹅大学から良い﹅﹅会社、そこでたくさんお金を稼いで、良い﹅﹅生活、最後の最後は良い﹅﹅老後。それが人間の幸せで、金無しにはそんな生き方は望めない。だから、すべては金のために。それが金というもののない動物と人間の違いであって、ただ生きる﹅﹅﹅﹅﹅ことが許されざる響きを持つ所以だろう。

 けれどそれは昔から、ずっとそうだったのではないだろう。局員さんは考える。お金がすべてではない時代、そんな時代はあったはずだ。けれどそれなら問題は、いまは当たり前になくてはならない、この金というものの巨大な価値。生きることと同義となった、それはどこから来たものか。それはちくと大きすぎ、局員さんの目には見えぬか。資本主義という社会のシステム、それ自体に宿るものだった。

 遡ること百数十年、アメリカの黒船がやってきて、蜂の巣をつついたような大騒ぎ、葵の御紋は追いやられ、代わりに日の丸、近代国家の旗が上げられた。我々日本という国は、強い力を持たねばならぬ。欧米列強に勝たねばならぬ。弱い者は挫かれる、それが世界の定めなら。

 富国強兵を国是として、時の政府は西洋生まれの経済システム、資本主義を取り入れる。その資本主義というもの、西洋諸国の信じる耶蘇やそ教に似て、この田舎の島国に、唯一神を連れてきた。それがお金﹅﹅という神さまだ。その神さまは、青々とした山野に眉をしかめ、米と糞尿の物々交換から顔を背け、土剥き出しの埃っぽい地面にくしゃみをしてから、刺繍の縁取りのある高級絹のハンケチで飛沫を拭ってこう言った。

 これ、これ、そこな未開の民たちよ。我を信じよ、我を崇めよ、さすればこの国は欧米の如き発展を遂げ、山野は見渡す限りの楼閣ビルヂング、汚い糞尿は下水へ流し、地面はどこまでも平らな土瀝青アスファルトへと作り変えて進ぜよう。

 その御言葉に導かれ、日本は学校という名の施設を作る。どんなときでも時間を守り、自分自身の考えでなく、教師の言葉で動くように。そしてその子供たちが大人になって、良き労働者になるように。地面を耕し、海へ漕ぎ出で、その恵みに感謝した記憶を葬り、この新しい神を――お金だけを信じるように。

 その洗脳とでもいうべき試みが、その後一体どうなったのか、それは記すべくもない。分からぬ者は、その財布から札を出し、破ってみると良いだろう。かつて切支丹に課された踏み絵が如く、その神を信ずる者には破れまい。お金があれば何でもできる、それはほとんど世界中の人間が口にする、しかし狂信者の言葉である。

 その信仰は現代でも、止まることを知らずに拡大している。そのお金という唯一神に愛されようと、人々はその御前へと詰めかける。お金を持つ者、それを使う者を愛でてくださる神がため、人は金の量に消費量、その額競って列をなす。一人でも多くを蹴落として、列の順番を繰り上げようとする。神さま、わたしはあの人間よりもいいマンションに住んでます、流行のブランドバッグを持っています、大きな会社の高給取りです、今年は三回も海外旅行へ行きました、だから神さま、わたしは他の人間よりもずっと高級な人間なのです。お金を持たない他の出来損ないの人間よりも、尊ばれるべき人間なのです。

 お金というたった一つの価値に向かい、人間は欲を剥き出しに消費を続ける。人が地を離るるほどに、光を増すは唯一神、ますます人は囚われて、競争の中に組み込まれ、お金に命を使い切る。そうして神のご尊顔、いつになったら拝めるものか、拝んだそのときどうなるか、その狂気を湛えたほくそ笑み、人は想像さえもできぬのか。

 このわかたけ荘という施設も同じ、アーアーさんを働かせるは、そのお金の神さまの狂信者。唯一神のしもべたちだ。お金を稼ぐために働くことは、神に祈ると同じこと。それなら、一神教と成り果てしこの日本国、そこに生まれたアーアーさんも祈らなければならないだろう。引きこもりやニートや自給自足をする者のような、不信心者になってはいけない。お金を信じよ、お金を崇めよ。お金あれば何でもできて、どんな人でも幸せになれる。金はそれほど巨大になった。人は誰もを照らす太陽でなく、誰もに与えぬ不平等こそ崇めるようになったのだ。

 どこかでキンコン、チャイムが聞こえ、「お昼やから片付けましょう」職員さんが声を上げる。がやがやとざわめきが、局員さんへと向かいくる。

「あっ、あの……」

 入所者さんの列に紛れ、行き過ぎようとしたアーアーさんに、局員さんは声を振り絞る。喉にものが詰まったように、なぜかそれが精一杯、手に提げていたおみやげ﹅﹅﹅﹅を渡すために手を伸ばす。

「…………」

 足を止め、アーアーさんは局員さんに気づいたか。しかしながらその視線、局員さんの顔を過ぎ――ビニール袋のあたりで止まった。その目に僅かな光が宿り、それを取ろうと手を伸ばす。口元には笑みが上る。という形に口が開く。と、そのときだ。

「差し入れですか、ありがとうございます」

 横から伸びた職員さんの手が、ぱっとそれを受け取った。その中身を見て妙な顔はしたが、

「ほら、良かったね、関口さん。ありがとうって言わんと」

 と、感謝を促す。しかし、アーアーさんは何も言わない。どれだけ待とうが口も開かぬ。それもそうだアーアーさん、ありがとうなどと言うものか。アーアーさんはアーアーさん。いつだってアーアー言うだけだ。

 代わりに頭を下げる職員さん、その人に連れられアーアーさん、建物の中へと消えていった。その後ろ姿を見送りもせず、局員さんは車へ戻った。バタンと乱暴にドアを閉め、何も考えまいとするように、エンジンをかけてハンドルを切り、来たばかりの道を引き返す。

 局員さんのおみやげ﹅﹅﹅﹅は、個人商店のおばやんに託されたコーヒー牛乳。わざわざ持ってくるには安すぎる、お値段一本百三十円。

『このコーヒー牛乳、前は八十円やったんよ』

 アーアーさんの話をひとしきり、おばやん、局員さんにそう言った。

『あの人がおかはんと一緒にこの店に来とった頃、このコーヒー牛乳は八十円で、この店はいまより三十分も早よから――七時からやっとったやげ』

 それをいまになって思い出したんよと、おばやん絞り出すような声でそう言った。けど、うらはそれを忘れとったん。売り物の値札変えたんから開店時間書き換えたんから、うらが姑さんにてとだって手伝ってもうてやったというんに、ずうっと忘れとったんよ。忘れとって、あのしとに八十円もろてもらっておかしいなぁと思とったんよ。覚えとったんはあの人で、変わってしもたのはこっちやのに、うらはほんまに阿呆やからあの人がいやらしおかしいと思うとった。こなえなことがあるかいな? いやらしんはおかしいのはうらやで。変わっときながら「いや変わっとらん」と信じ続けて、ほんでいっこ一つも変わらんもんを見てけぶたがる嫌だと思ううらの方や。そなことにも気づかんのやからねえ、局員さん、うらは他に何かどもならん、おろしことをしでかしとるんやないかと思えてならんのや。何か、ほにほに本当に取り返しのつかんことをやって来たんやないかのうと思うてよう。

 赤信号に車を止め、局員さんはバックミラーに目をやった。出て来たばかりの細い路地。わかたけ荘へ続く道。

 局員さん、不意に自らの境遇を悟る。つまりは己もあそこにいたということを——お金に働か﹅﹅されて﹅﹅﹅いた﹅﹅のだ﹅﹅ということを。けれど、アーアーさんと違うのは、自ら望んでいたことと、花壇を荒らし、鉢を壊さなかったということだ。そう考えると、ぶるり悪寒が体を走り、局員さんの視界は揺れる。

 生きるとは何だ。自由とは何だ。それは選ぶことさえ恐ろしく、檻にぶち込んでくれと願うことか。

 それに比べてアーアーさん、彼は自由に生きていた。自由を恐れることもなく、それを楽しむことができていた。つまりはアーアーさんこそ生きていたのだ、局員さんはそう思う。お金というものがあったにしても、それがただの道具であった時代のように。食べるためにこそ田畑を耕し、漁に出た時代のように。

 翻って現代は、食べ物どころの話だろうか。三食食べてもおやつは欠かさぬ、寒さ暑さのためでなく、お洒落のために服を変え、雨露しのぐ屋根でなく、暖房にクーラーこたつに布団に冷蔵庫。かつて人が願ったものを、それ以上を享受する。それだというのになぜだろう、幸せというその言葉、口にする者多からず。どうやら足るを知らぬのは、金の神を信じるが故。しかし、その不幸せこそが神にすがる動機とあらば、その姿は痛ましく、いにしえと変わらぬ態度であることまこと皮肉を禁じ得ぬ。

 さて、この明日は無職の局員さん、幾許いくばくの気づきを得ようとも、この世界を支配する神の手からは逃れることなどできはしない。局員さんの自宅には、各種旅行の案内が届き、介護サービスのチラシが入り、保険勧誘の電話が鳴り、孫への洋服、玩具、ランドセルに学習机を買いなさいと、金の神の使いが届く。働けないというのなら、せめて消費をするべきだ、でなければお前は生きるだけ、消費社会の荷物とならば、せめて早く死ぬがいい。さすれば葬式、法事、喪服に仕出しに相続税、代わりの誰かが金を使う。働かぬのなら祈らぬのなら、この世に生くる意味はなし。

 しかしそうは言うけれど、それは日付が変わった明日の話。局員さんが局員さんでありながら、欲深き神に祈らずにおれる今日までは、ほんの束の間ではあるけれど、自由を生きる時間だけがゆっくりと過ぎて行くのでありました。

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