第6話



 希濤と久しぶりに会ったものの、僕はまた学校に行かなくなった。かと言って、希濤には特に何も言わなかった。

 その日は、夏の中でも、特に蒸し暑い夏だった。湿度温度共に僕の基準をオーバーしている。暑すぎて僕の脳が焼けるかと思ったよ。

 希濤の病室に入ると、まぁ、もうわかると思うけど、音楽が流れていた。この天気、季節にふさわしいエド・シーランのBarcelona(バルセロナ)。

 彼女は寝ていた。

 可愛い寝顔だな、と思った。僕は何もすることがなかった、かと言って起こすのもなんかやだったから、スマホを取り出して、カメラで彼女の寝顔を連写した。

 五分ぐらいたって、寝起きの希濤が現れた。音楽はGalway Girlに変わっていた。

「はぁー」

 大きく手を伸ばして、力の入っていない目で、僕のことを見つめていた。僕が恥ずかしくて、目をそらした。

「ええええええええええええええ!」

 彼女が急に大声を出した。

「うわあああああああ」僕も負けじと張り合った(なわけない)。

「な、な、なんで音谷くんがここにいるのさ」

 希濤が言葉もろくに喋れなくて、慌てていた、アニメや小説のキャラクターみたいだな。

「いや普通に来たんだけど、って、寝てたの希濤だろ」

「どれぐらい寝てたの?」

「割とすぐに起きたけど」

「もしかして、私の寝顔が可愛くて、ずっと見ていて写真を撮っていたとか」

「まぁそんな感じだな」

 真っ赤になった彼女の顔は、蒸気が出そうだった。僕はスマホのアルバムを開いて、彼女の寝顔を見せた。

「きゃー! やめてよー! きゃー! もういっそのこと殺して!」

「この写真は僕の墓場まで持ってくよ」

 希濤は脳が現実の負荷に耐えられなくなったのか急に「可愛すぎるのも一種の罪か、ならば仕方ない、私は音谷くんの頭の中で何度も妄想」「やめてくれ、それ以上は僕的にオーバーな発言だ」

 茶番も終わって、彼女はいつもの元気を十倍ぐらいにして、戻せた。

「あ、そうそう。音谷くん、私が今したい事、聞いてよ」

「いいけど」

「私、音谷くんが学校でどんな風に生活するのか、知りたいの」

「僕に学校に行って、って言いたいの?」

「まぁそんな風かな」

「いいよ」

 希濤が急に喋らなくなった。どうやって例えよう、宝くじが七億当たって声が出ないのと同じぐらいかな? 微妙な例えだな。とにかく、一驚した彼女は、こんな感じだった

「なんだよ」

「音谷くんがこんな素直ないい子になるなんて、私、感動しちゃった」

「今日、テンションずいぶん高いな」

「あ、気づいた?」

 彼女はニマニマと僕を見ながら笑う。もったいぶるなよ、と思った。彼女は「実はー」の『は』を伸ばして。僕を焦らす。

「あ、その前に」回収できなかった。「夏休み、いつから?」

 僕は素直に日付を答えた。彼女は何かを指折り数える、合計七。

「実は、まぁいい事っちゃいい事なんだけど、ある意味悪いことかな」

 ゴクリと、唾を飲んだ。音楽がSofaに変わった。希濤の部屋だから、これもやはり、エド・シーラン。

「夏休みに、一時的に退院することが決まりましたー」

 彼女はそう言いながら、嬉しそうなムードを醸し出した。けれどその直後、青黒い陰鬱なトーンにかき消された。

「多分これが、最後の退院だから」

 その言葉を、僕は、返さなかった。

 しばらくして、何か返したほうがいいと思った。でも、何を? 少し考えてみる、でもこういう時はやっぱり、定番がいいと、僕は思った。

「夏休みの予定、立てないとな」

 僕は彼女に笑い返した。



 希濤に言われて、僕は学校に通い始めた。学校に通い直して、またしばらく休んだから。教室に入った途端、相変わらず変な目線で見られた。

「よ」

「久しぶり」

 昼休みの時、北川が僕に話しかけてきた。特に話し相手もいないから別によかった。

 一緒にカツサンドを食べた。なんか、リア充みたいだ。

「雷坂とは、仲良くできたみたいだな」

 なんで知ってるの? って思ったけど。希濤に会っている事を思い出した。

「ありがとう」

「こっちもいつもアイツの悲しい顔を見ていると気分が悪くなるんだよ、だから別に、俺のためだよ」

「君は優しいね」

「アイツと同じことを言うな」

 僕は、その日の帰り、彼の代わりに希濤の病室に行った。



 希濤が興味津々に僕の話を聞いてくれる。夏の暑さとは隔離されたこの病室の中で、僕は彼女と楽しんでいる。

 教室での出来事を話した。例えば地学の先生がつるっ禿げで、歴史は小説みたいに眠くならなくて、逆に国語の授業が一番きつかった。

 クラスメイトの話もした(名前はわからないからとりあえずニックネームで)誰かが授業中に寝ていて、鼾をかいていると先生に起こされてクラスみんな笑ったとか。歴史の先生のパンツが丸見えだったとか。誰かが授業中にイヤホンつけて音楽を聴いていると、イヤホンが外れて、ビートルズのYellow Submarine。希濤がツッコミを入れた。「地味に趣味がいいね」「それ、みんな笑いながら言っていたよ」

 希濤に他にも色々話した。希濤は嫌な顔一つせずに聴いていたから僕だけが楽しんでいるんじゃないのかと心配した。

「ううん、私、音谷くんの話が聞きたいの、それが今、一番楽しい」

 僕は続けて話した。彼女はそれでも聴いてくれた。

「音谷くんって私が思うより結構みんなの事、見てるよね。人と関わらないように生きているつもりなのかもしれないけど、案外みんなと一緒にバカみたいな事とか、青春を謳歌したいんじゃない?」

 確かに、僕はそうかもしれない、だけど、いまは違う。

「君といる方が、全然楽しいよ」

「それ、結構反則な言葉だよ」

 そういった彼女の顔は、ほんのり赤くなていた。

 こんな日々が、ずっと続いて欲しいと思った。

 だけど現実はそんなに甘くない、もっと苦く、飲み込めない、だから現実なんだ。

 そして、夏休みが来た。希濤の、最後の退院が決まった。

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