第2話 ❸


 彼女はさっきみたいに寝転んで、スピーカーでエド・シーランのTake It Backを聞いていた。速いラップで、彼女はそれについて行けた。僕は2回目のサビまではいけるけど、最後の方が、無理だった。

 希濤は、歌がうまかった。しかも、英語の発音が良かった。

「花火をTake It Backしたいよ。いや、ライターだね」

「まぁ、仕方ないよ。運がなかったってことで」

 歌が変わって。エド・シーランとテイラー・スイフトが初めて一緒に歌った、Everything Has Changedが流れた。

「この歌、知ってる?」

 希濤の声が、僕の耳の近くにある。今、近い距離にいるな。

「知ってる」

 この歌のミュージックビデオは、何回も見た。エド・シーランがカッコ良すぎる。僕はそれ希濤に伝える。

「カッコいいよね! 特に最後のあの、なんか、とにかくカッコいい」

 花火の悲しみは、消えたようだ。

 サビの部分が流れた。テイラー・スイフトの歌声と重なる、エド・シーランの歌声。

「I just wanna know you better know you better know you better now」

 希濤が、歌う。

 僕は空を見上げる。やはり、綺麗だ。

 最後のサビの部分が終わり、歌が終わる。それと同時に、歌が変わる。

「音谷くんって、彼女いたことある?」

「ないけど」

「じゃあキスは? ある?」

「彼女がいないんだから、ないに決まってるだろ」

 無視しようと思って、僕は空を見上げる、でもやっぱり、気になった。

「なんだよ、いきなり」

「急に普通の話がしたくなった」

 彼女の声は、あくまで正常だ。

「……いないけど」

「私もいたこと無いんだよねー」

「おい、初めてあった時、なんか僕のこと、笑っていなかったっけ」

「さーて、わかんないよ」

 彼女は誤魔化す。今の歌は、相変わらず、エド・シーランの歌だった。Perfect.

 希濤は、立ち上がる。僕もそれにつられて、体を起こす「どうしたの?」

「踊ろう」

「なんだよいきなり」

「この歌聞いていたら、急にそんな雰囲気に、溶け込みたくなっちゃいたくない?」

 彼女は僕に手を差しのばして、微笑む。歌は、どんどんドラマチックに、現実に染み込む。

「そう言ってるけど、踊れるの?」

「感情で、踊ればいいんだよ」

 彼女は、僕の両手を掴んで、胸の下ぐらいまで手を上げる。舞踏会で踊るみたいに、彼女は僕に合わせ、僕は彼女に合わす。

 歩調、揺れ、できる限り。

 ゆっくりと体を動かして。踊る。

「花火の代わりだと思えば、全然嬉しいね」

「僕は花火より、楽しいと思うけど」

 希濤の手は、柔らかくて、スベスベしていた。僕より小さくて、強く握れば、壊れそうなぐらい繊細そうだった。

 そして、音楽が終わって。僕たちは買ってきたジュースを飲んで、お菓子を食べて。また、ラブソングが来たら、踊った。



 希濤を家に送って、彼女と別れる時、彼女は振り向いて、僕に近づいた。

「何か、やりたいことある?」

「ないけど」

「このまま、私がずっと音谷くんにわがまま言ってるのって、フェアじゃないじゃん」

「僕は、それでもいいよ」

「ありがとう」

 彼女はニッコリと笑って、僕に目を合わせる。

「音谷くんって、私のこと、どう思う?」

「どうって……かわいい? 普通に好感度高いけど」

「嬉しいけど恥ずいかしいなぁ」

 手で顔を隠して、体を動かす。その状態がしばらく続いて、彼女は何か、決心したように、「よし」とわけの分かんないことを、

 顔が僕に急接近してくる。

 唇に、柔らかい感触が当たる。

 彼女の、香りがする。

「……」

「お返し……って事でいいかな?」

 考えるまでもなく、彼女の顔は、赤くなっているはずだ。

「……」

「怒ってる?」

「いや、全然全然」

「よかったぁ」

 希濤はホッとしたように胸を撫で下ろした。

「じゃあ、また今度ね」

 月は、まだ上で輝いていた。

 唇に残っている、麻痺毒みたいな、そんな感じ。

 死んで欲しくなかった。

 


 この××の正体は、僕も、誰も、名前も、全部しらない。

 雷坂希濤の事を、この夜、美しいと思った。

 完璧だった。

 自転車で僕の後ろにいる時。屋上に行くまでの時。花火を忘れた時。踊った時。キスをした時。

 それは、完璧だと、その瞬間、思ったけど。

 まだ、何も湧き上がらなかった。

 そのほうが、幸せの物語を、紡げたのかもしれない。でも、遅い。幸せは、後からになって、後悔の先で見えるものだ。



I don’t deserve this.You look perfect tonight.

 

 



 


 

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