第1話 ④

 それから二日、彼女からの連絡はない。そりゃそうだ、スマホが僕のところにあるのだから。彼女のパスワードを知っておきながらも、僕は何もしなかった。引き出しの中に入れて、誰かからの連絡を待ったけど、電話どころか通知音すらなかった。孤独すぎるだろ、せめてなんか、ニュースとか出ろよ。

 次にそのスマホを取り出した時は、電池がなくなっていた。

 しまった、と思った。だから何も鳴らなかったんだ。急いで充電器をコンセントに差し込んで、スマホに繋ぐ。少し間を開けると、スマホが起動する場面に移った。モバイルネットワークを使っていたのか、その瞬間に、通知音がすごい量鳴った。

 そのほとんどが、電話だった。

 お母さん

 しばらく呆然と、そのスマホを見つめる。

 パスワードは、知っている。入力すれば、全部見れるんだ。

 ……

 僕は、手を伸ばす。

 スマホの着信音が、鳴る。

 手が一瞬、ビクッとして、震えた。その電話の主は、彼女の母だった。迷ったけど、そんなに時間はかからずに、僕は素直に、その電話に出た。

「はい、もしもし。春野です」

 電話の向こうは、若い彼女の母の声ではなく、音琴希濤、本人だった。

「え? 春野くん?」

「うん」

「あああああああぁ」

 ゾンビ化した彼女が、電話の向こうでいま、どんな気持ちか、分かるような気がする。

「このスマホ、君のだよね」

「うん! よかったぁ、春野くんが持ってたんだね。ずっと繋がらなかったから焦ったよ」

「気づかなかったのかよ」

「あーうん、ちょっと用事があってね」

 何かを避けるような、言い方で、気になる。

 電話の向こうで、彼女が息をしている、声がする。

 それ以外にも、もう一つ。

 誰かが、彼女をさん付けする、図太い男の声がした。

「はい、ありがとうございます」

 これは、音琴の声だった、あの男に返事しているのか。

「春野くんって、公園の近く?」

「何が?」

「家だよ」

 すみません、意味わかりません。そんなにすごい理解力もないので。

「まぁ、近いっちゃ近いけど」

「今からそっちに行って、スマホ取りに行ってもいいかな?」 

「待って」僕は下に降りて、誰もいないことを確認して、また上に戻って電話の続きをする。少し疲れる。

 僕は、感情を持ちたくない。

「いいよ」そして口で住所を伝える。

 なのに、僕はなぜか、彼女に逢いたくなる。

 本当に、こんな能力、欲しくなかった。

 僕を不幸にして、何が楽しいんだ。

 ドス黒い闇が、僕の心に、溜まっていく。



 誰かを僕の家に連れてきたのは、彼女が初めてかもしれない。電話の後から三十分後、彼女は少し息を切らして、僕の家にやって来た、ずっとその状態が続いていたから、彼女が死ぬんじゃないかと、変な想像をした。

「ひさし……ぶり……はぁ……」

 突然倒れる、死ぬ。僕はどうする? 尋問? 少年犯罪? 少年Aかよ。

 ラフな格好をした彼女は、多分、何を来ても似合う、そんな人間だろうと思った。

「はぁ……はぁ……」

 彼女を部屋まで連れていって、冷蔵庫から麦茶をコップに注いで、持ち込んだ。

「春野くんって、部屋着ダサいね」

「おい」

 僕は引き出しからスマホを取り出して、窓に向かって投げるポーズをした。

「やーめーてー」

「さっきなんて言ったの?」

「部屋着ちょーイケてるよ、私春野くんのこと好きになっちゃったかも」

 棒読みのところはもうスルーしよう。

 僕はスマホを彼女に返した。

「ありがとう」

 彼女は続けて「春野くんの部屋って整っているね」と言いながら、あたりを見回した。

 よくわからないけど、多分そうだと思う。だってゴチャゴチャしているととなんか嫌だし。人間関係同様、ゴチャゴチャしていると、きもい。

「あのさ……スマホの中身、見た?」

 いつもとは違う、トーンで彼女は言った。

 僕の部屋に漂う、憂鬱なムード。

 彼女の目の奥には、不安が揺らいでいるようだった。

 知りたい、と思った。

 けど、迷った。

 嘘をついて、知るべきか。

 この世界には、僕が思うに、嘘は何種類もあると思う。人を傷つける嘘、誰かを庇う嘘、優しい嘘、希望の嘘、絶望の嘘。時には、誰かを人生と言う長い時間に存在する絶望の谷に叩き込む。時には、誰かを谷から助け出すために、希望と言う嘘を授ける。誰かを守るために、嘘をつく。尖っていながらも、優しく僕たちを包み込むことができる。

 もちろん、人生の分岐点が開く条件も、嘘の一つだ。

 これは、憂鬱で、絶望と、嘲笑、死が常に漂っている、僕の憂鬱な、世界に鮮やかな希望をもたらす、春に始まり、夏に終わる、物語。

 恋や幸せ、その全てを、希望だと、僕は信じる。生きる理由。

「見たよ」

 全然見てないよ。

「パスワードバレちゃってたのかぁ」

 そうやって、溜息をついた。

 その目は、揺らいでいた。

「じゃあ、もう内容見たってことだね。あーもう、なんでこんな風になっちゃうのーもう」

 僕は何も言わないで、沈黙する。今喋ると、ボロが出そうだった。

「内容通り、私は、病気です」

 僕が頷いて、彼女の目を見る、純粋な黒で、光が反射して、輝いて見えた。綺麗な目だ、そして、それ以上見つめていると、ヤバイ、と思って目を逸らした。

「なんの病気?」

「そこまで見てなかったんだ」

「うん」

 見てすらいないよ。

「私、白血病なの。

 小さい頃に診断されて、小学校の高学年から、体調が良くなって、学校にいけるようになったんだけど。

 去年の春ぐらいに、私が15歳の時にまた、再発したんだよね。

 もう、最悪だよ!

 せっかく高校の制服も買って、男子にモテモテの青春時代を過ごす予定だったのに。

 結局毎日家に居るか入院検査の繰り返し。

 ごめん、なんか、急に空気重くしちゃって」

 彼女は笑って流そうとした、その笑い方は、傷ついた事を誤魔化そうとする笑い方で、自分がまた何かを失うという未来を、受け入れたような、壊れそうな笑い方だった。

 彼女の頭に浮かぶ、残り、三ヶ月の寿命。見て居るだけで、胸の中が苦しくなる。

「それって、白血病って、治るの?」

「治るよ! こんなに若いんだもの、しかもこの時代、医療がすごく発達しているでしょ。私なんて、病人に見えないじゃん」

「……そうだね」

 彼女はそれでも、笑う。

 それは、本物だ。

 僕は、彼女に伝える事にした。

 彼女の頭上で漂う寿命のカウントダウン。

 きっと、もう後戻りはできない。

 僕は、彼女の事を、認めてしまったのだろう。

 死んだら、悲しむだろう。

 最悪だよ、もう。

「あのさ……」

 僕は、何処までもバカで、感情的になってしまう。

 同じミスを、二度目だ、もう経験したことあるのに。なんでだよ。

「なぁに?」

 息を吸う。酸素を取り込む。二酸化炭素を吹き出す。調整、向かい合う。現実、未来。人の目線。自分の心。寿命。三ヶ月。音琴希濤、死ぬ。

 愛の告白のように誠実で、緊張する。ただ内容は、告白ではなく宣告だ。

「僕さ……寿命が見えるんだ」

 …………

 二人の間に、長い沈黙が過ぎる。

 彼女は、困惑の表情を浮かべる。

 そして、真剣な表情で、僕を見つめる。

「それって、どういう意味」

 ごめん、中二病みたいだよね。

「これから僕のいう事、信じてくれる?」

「場合によっては……だと思うけど、私、信じるよ」

 彼女の言葉が、松明のように、僕の心の薪を燃やして、力が湧いてくる。

 緊張する、彼女が僕のことを、気味悪い人間だと、認識するのが。それだけがソース、僕はもう、感情を持ってしまった。

「君の寿命はあと、三ヶ月なんだ」

 彼女はポカーンとしたような顔で、呆然と僕のことを見ていた。

「……それ、本当なの?」

 震える声で、彼女は言った。

「……ごめん」

「嘘とか、ドッキリじゃないよね」

「……本当だよ」

 罪悪感の塊が僕の上からぶつかって来た、空の上から運動エネルギーを僕に与えるように、僕の心がそれを受け止める。

「本当の、本当?」

「本当に……本当だよ」

 僕はもう一度、彼女と向き合う。綺麗な顔をした彼女は、負けたような表情を、見せていた。

「信じても……いいの?」

「うん……ごめん」

 彼女は、泣いたのか、服の袖で目元を拭った。

「そっかぁ。もうすぐ私、死ぬんだぁ」

 あっさりと、彼女は現実受け止める。

 アニメのキャラクターみたいに非条理な考え方で、異常。

「え? 信じて、くれるの?」

 彼女は、透き通るような、声で優しく、言ってくれた。

「うん。だって……春野くんがこんな悪質な嘘をつくなんて、想像できないよ。私、まだ春野くんとあんまり遊んだり、喋ったりした事ないけど、思うんだ。本能みたいな、そういうのって、言葉で言い表せないけど、わかるの。春野くんは、優しいって」

 それは多分、動物が人の性格を見破るようなものなのだろうか。

 体の内側、喉のそこ、瞼の裏、心の底から、暖かい、春みたいな、夏みたいな、暖かくて、優しい感情が、湧き上がる。

 それが僕の体の水分を吸収して、目を通して、外に流れるような、感情とともに、流れでそうだった。

 理解出来ない苦しみを、出会って一週間も経たない、こんな、女の子に、信頼されるなんて。

「わぁぁ、どうしたの!?」

「ごめん」僕はさっきの彼女みたいに、袖で込み上がって来た液体の感情を拭い取って、彼女に伝える。

「ありがとう、信じてくれて……音琴さん」

 初めて出会った時とは、また別の、愛くるしい顔。

「誰も信じなかったの?」

「うん」

「じゃあ私が初めてだね」

 下ネタを言う気も失せたのか、彼女は僕のツッコミを求めなかった。

 心まで、包み込むような彼女は、僕の頭を撫でながら、時間を待った。

 僕が、自分を落ち着かせるまで待ってくれるのを見計らって。彼女は僕に、聞いて来た。

「よかったら、詳しく教えてくれない? 寿命の事」



 僕は彼女に、沢山話した。

 寿命の定義や、昔はあんまり見えなかったとか。

 祖母が死んだ時も。

 寿命の話が理解されなかった時も。

 闇の出口を見つけたように、彼女が光になった。



「私達って友達だよね」

「うん、多分な」

「私、もうすぐ死ぬなんて急に言われたから、まだなんにも決めていないんだよね」

「音琴……さん? 音琴? は何か、したい事はないの?」

 僕は続けて言おうとしたら、打ち切られた。

「待って、タンマ」

 小学生かよ、と突っ込みたくなる。彼女の手はTと構えていた。思わず笑いたくなる。笑った。

「なんで笑うの? それより! 私のこと苗字で呼ばないで! 名前で呼んで! 希濤って! 私も春野くんの事、音谷くんって呼ぶから」

「え? なんで?」

「音琴って聞くたびに寝言って意識しちゃうから、恥ずかしい」

 あーなるほど、仕方ないか。気にするもんな、そりゃ。僕だって初めて聞いた時そう思ったし。

「うん、いいよ。でも僕まで名前で呼ばなくても良くない? 恥ずかしい」

「いいじゃん、公平公平、私だけじゃフェアじゃないよ……音谷くん」

 なんか、慣れない。

「まぁ、いいよ……希濤……さん?」

「呼び捨てでいいよ、私はくん付けが好きだからこれはいいよ」

 彼女は小さく笑って、髪が揺れる。シャンプーの甘い香りが、僕の鼻に染み込む。

 ここから、始まり。

「私が死んだら、音谷くんは悲しむ?」

「盛大に悲しむと思うよ」

 朗らかな笑い声と共に、彼女はガッツポーズを決めて、

「やったー」

「死ぬまでに、最高の人生を送って、君が死んだ後に、僕がとことん悲しむよ。僕にできる事だったら、なんでもする、絶対に、約束する」

 希濤の頭に浮かんでいるカウントダウンは、いまだに止まらない、暴走列車のよう。

 現実は残酷だ。

 でも、僕は多分初めてこの能力を、持っていて、幸せだと思ったのだろう。

 こんな僕を絶望に叩き込んだ能力が、だれかに希望を与えるチャンスになる。

 信じている。

 

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