第3章(12)優しさのかたまり

 一体、何が俺をここまでさせるんだろう。

 どうして、俺はこんなにびしょぬれになりながらも山田さんを探すんだろう。

 理由はわからない。でも。

 あの動画を見て、どこかイラっと来たのは確かだった。あの噂。ニヤついた男子生徒の表情。あの温厚な山田さんが頬をビンタしたという事実。

 何もないわけがない。

 そして、それは俺も関係している。だって、動画から山田さんが「先輩」って言ったのは聞こえた。それ以外は野次馬の声で聞きとれなかったけど。なら、なんとかしないと……!

「はぁ……はぁ……」

 走り出して数十分が経った。相変わらず、雨は弱まらない。寧ろ、さっきよりも強くなっているようにも思える。もう靴は完全に水にやられていて、靴下が濡れて気持ち悪くなっているし、カバンからも水が滴り始めている。勿論、制服もだ。

 そしてもう数分走ったところで駅が見えた。一つ隣の駅まで俺は移動した。一旦駅に入り、再び運行情報を見るも、やはり運休のまま。

「くっそ!」

 俺はまた、止まない空の下、足を回し始める。


 そこから何分走っただろう。というか、俺、こんなに長距離走れたんだと思うくらい走り続けた頃だった。この間見た建物が目に入った。

「……ここ、山田さんの家……!」

 俺は飛び込むように建物に入り、二階に上がった。この間入った部屋のインターホンを鳴らす。

 ピンポーン。

 無機質な呼び出し音が、雨にかき消されるくらいの音量で俺に聞こえてくる。

 誰も出てこない。

 ピンポーン。

 もう一度鳴らしてみる。

 …………。

 しかし、誰も出てはこなかった。

 ……家には、いないのか……?

「だったら……!」

 俺はあてもなく、再び高尾の街を走り出した。


 ……いなかった。どこを探しても。駅も探した。近くのショッピングモールも探した。コンビニも探した。でも、どこにも山田さんの姿はなかった。

 ふらつく足取りで、なんとか高尾駅まで戻る。

 とりあえず、雨からよけられる場所に、いたかった。

「……どこにいるんだよ……山田さん」

 ポツリ呟く俺の声は、雨音にかき消される。

 どうしよう……。見つからないんじゃあ、話にならない。

 探さないと……! 探して……話をしないと……!

 そう、足を動かそうとした。けど。

 視界が歪んだ。

 当たり前だ。ずっと雨に打たれながら走り続けたんだ。普通、こうなる。

 それを一切考えずに探し続けたんだ。……こうなるって。

「あっ……やべ……」

 歪んだ視界が下から上に動く。見える景色が、駅舎の天井に切り替わる。そのとき。

「中河原!」

 聞きなれた同級生の声が聞こえた。上下に動いた視界が止まる。

「どうしてっ! どうしてそこまでできるの! どうして!」

「……布田、どうして……ここに?」

 薄れ始める意識の下、そう語り掛ける。

「どうしてって、電車動き出したから! 念のため高尾に来たら! 連絡付かないし!」

「そっか……ごめん……」

「ごめんじゃないよ! こんな無理して! 何かあったらどうするの!」

 まるで母親だな……。なんて、馬鹿なこと考える俺は本当に馬鹿かも、って思いつつ俺は意識を飛ばした。

「ちょっ、中河原! 中河原!」


 目が覚めると、見慣れた天井が映りこんだ。

「……俺の部屋か」

「目覚めた?」

 ベッドの隣から、母親の声がする。

「……びっくりしたわよ、あなたの同級生だって子から家に電話がかかってきたとき。話を聞けば後輩の女の子探し回っていたらしいじゃないの。……あなたもそこまでするくらい大切な子ができたのね」

 優しい声で、母親は語り続ける。

「……後でお礼しなさいよ、布田さんって言っていたっけ、その子に」

「……うん」

「あなた、現実の女の子は嫌いだって言っているけどさ。一時期本当に荒れていた時期があったじゃない。理由聞いても答えてくれないし、いじめられているわけでもないみたいだし。かと思ったら親にはきちんと接するようになるし。でも学校で友達はいないようだし。……それって、辛く当たる人を選んでいるってことよね」

「……親にまで迷惑かけるのは、違うだろ」

「……本当に人を嫌う人っていうのは、辛く当たる人を選べないものよ。親だから、とか年上だから、っていう風に選んだりはできない。それができるあなたは、本当に優しい子なのよ。だから、そういうあなたにはきっと、そういうことができる子が出てきてくれる。……ほら、今日はもう寝なさい。風邪ひいたら大変だから」

「……わかった」

 俺が、優しい、か……。いまいち、実感は湧かないけど、親が言うならそうなのかなと、少し思い始めた。


 再び目が覚めた夜十一時。俺はのそのそと体を起こし、スマホをつけて布田とのトーク画面を呼び出す。

なかがわら「今日は、ごめん、ありがと」

 すぐに既読がつき、返事が来る

とも「ホントだよ! あんな無茶して!」

とも「もうやめてよ……あんなこと」

なかがわら「ごめん」

 すると、着信を知らせる音が鳴った。

「もしもし」

「……バカ」

「電話して一言目にそれはねーだろ」

「バカバカ」

「悪かったよ」

「……どうして、そこまでできるの」

 低く、けれどどこか温もりを感じさせる声で問い詰めてくる。

「……俺のせいで、山田さんに迷惑掛けるのが、嫌だったんだ」

「……もう、それってさ、好きってことなんじゃないの?」

「…………」

「そこまでやってさ、自分の気持ちがわからないってこと、ある?」

「……あるんだよ、それが」

「中河原があの動画をどう見たかは知らないけど、山田さんがああしたのを見て何とかしたいって思ったなら、それは山田さんのための行動ってことでしょ? それがあんな大雨の中でもできたってことなら、そういうことだよ。じゃないと、ただのバカか、それともお人好しかだよ」

「……俺は、山田さんが好き……」

「そうだよ。……そうだよ……」

「……ありがとう、参考にする」

「何よ、参考にするって」

 少し笑いながら布田はそう言うと、さらに続けた。

「じゃあ、あまり長電話してもあれだし、もう切るね。おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 電話を切り、再び体を横にする。

 正直、わからなかった。だって、みずな。さんと出会っていなければ、山田さんとも出会えていなかったわけで。

 そこの区別が、ついていないから、俺は山田さんが好き、と言い切れなかった。

 でも、言ってみれば、みずな。さんは山田さんの「声」であって、つまりは山田さんの一部で。

 なんてことを考え始めると、今まで悩んでいたことがあほらしくなってきた。

 みずな。さんの声に惹かれ続けた俺は、要は山田さんに惹かれ続けたってことで。

「……そっか……俺、山田さん、好きだったんだ……」

 そう呟いたのち、俺は再び意識を落とし、眠りについた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る