第3章(8)水に吸い込まれた叫び声

 〇


 二度目の行列は、さっきよりもドキドキしていた。

 後ろには、ちょこんとついてきている後輩が立っている。

「……山田さんってこういうの、平気なの?」

「わ、わからないです……こういうところ、行かないので」

 まあ、そうだよね。行かないと自分が絶叫系得意かどうかなんてわからないよね。

 列が前に進むにつれて、そのドキドキが大きくなっていく。一度乗ったのだから、ウォータースライダーにはそれほどドキドキはしないはず。いや、確かに疾走して一瞬ゾクッとしたタイミングはあったけど。

 なら、このドキドキは一体何者……。

「……でも、先輩と一緒なら、きっと大丈夫です」

 ドクン、と心臓が跳ねる音が聞こえた。

 柔らかい笑みが、俺に向けられる。

 ……ああ、きつい。否定し続けるこの気持ちがきつい。

 もう信じないって決めたはずなのに。

「……あの、先輩、プールから帰ったあとって、時間……あります?」

 顔に浮かんだ汗が地面へと落ちる間だろうか。その間、俺は言葉を失った。

「あの……先輩?」

「あ、う、うん……あるよ、何かあった?」

 首を縦に振りつつ、俺はそう返す。すると、山田さんはまた嬉しそうに笑みを零す。

「い、いえ……その……私の、家に……来ませんかって、誘おうと思っていて……」

 まるで、某身体が縮んだ名探偵が、事件の真相に気づいたときに流れる演出が俺の脳内に入った。

 ……嫌でも気づかされる。

「……あー、うん、そうだな……プールで疲れていなかったらね……」

 俺はそう誤魔化し、再び入り口に繋がる階段を上り始めた。さっきよりも強い日差しが俺等を照り付ける。

 耳に入る水の流れる音が、一種の清涼剤になってしまいそうなほど、気温は上がっていた。

「次の方、どうぞー」

 並びの順の通り、俺が前、山田さんが後ろに座る。

 これから滑り落ちるというのに、頭の中はさっきカミングアウトされた布田の言葉と今の山田さんの誘いでいっぱいだった。

 もう、キャパオーバーだよ。

「よし、じゃあ、行くよ、山田さん」

 後ろに座っている後輩にそう告げて、俺はチューブを前に滑らせる。

 二人を乗せたそれは、勢いよく滑走しだした。

「きゃっ、せ、先輩っ! やっぱり私、こういうの駄目だったかもしれません!」

 コース序盤でその宣言が後ろから聞こえてきた。

「そう? ここより勢いつくところはつくよ!」

「な、なら! こうしてもいいですかっ?」

 その言葉が聞こえたあと。

 俺の背中に何か柔らかいものがくっつくのを感じた。

「や、山田さん?」

「い、いいですよね? 先輩?」

 きっと悪戯が決まったあとの子供みたいな顔しているんだろうなと、半分思った。残りの半分は。

 ……だからキャパオーバーだってぇぇ!

「……もう好きにしていいよ!」

「やった」

 そんなことを言っているうちに景色は段々下っていき、映る水平線もバイパス越しになってきた。

「せ、先輩!」

「何?」

「……なんでもないです!」

 …………。

 着水の瞬間。ごっちゃになった俺の気持ちを吐き出すために、俺は目一杯空気を吸い込んだ。そして。

「ああああああああああああ! わっかんねーんだよぉぉぉ!」

 叫んだすぐ後に、身体が水の中に吸い込まれていった。


 プールから出ると、やはり現実に引き戻される。

 ……どうすればいいんだ……。俺。

「せ、先輩、楽しかったですねっ。結構、怖かったですけど……」

 横からひょこりと顔を覗かせる山田さん。でも、彼女の姿を、今は見たくなかった。

「……う、うん、そうだね……」

 一人になりたい。少しの間でいい。

「……ごめん、ちょっと、一人にさせてくれないかな……考えたいことあって……」

「せ、先輩……?」

 それだけ言い残し、俺は山田さんの側から離れ、更衣室のある建物へと向かった。


 建物の中で空いているベンチに座り、俯き考え始める。

 どうすればいい。どうすれば、落ち着ける。

 もう、ここまでくると認めないといけない。あそこまでやられて嘘だったら俺はもう絶対誰も信じない。

 山田さんは……ほぼ間違いなく、意識している。

 でも、俺が好きなのは二次元で、山田さんは三次元。

 この次元の差は絶対に覆らない。二次元が三次元に増えることもないし三次元が二次元に減ることもない。

 でも、ここで問題なのは、みずな。さんの存在だ。

 俺は山田さんとみずな。さんが同一人物であることを知っている。つまり、見方によって山田さんは二・五次元になり得る。そして基本俺は二・五次元が嫌いではない。

 でも、言ってみれば中の人も現実の生身の人間であるのには変わりなくて、結局四捨五入すれば三次元なのだから、変わらないのかもしれない。

 だとしても、そうだとしても山田さんが俺の中で特別であることには変わりない。今までただの後輩として見るよう努力してきたけど、結局みずな。さんの中の人であることには変わりないのだから。

 俺がアニメの声優さんを嫌いになれないように、みずな。さんの中の人も嫌いになれない。

 もし、俺が山田さんを「そういう対象」として見た後、何かあったら。

 俺は二・五次元ですら、三次元認定してしまうのではないか。

 それが怖くて、俺は気づかないふりをし続けた。山田さんを山田さんとして見るように努めた。

 でも、それももう、限界みたい、かな。

 まず、前提が怪しくなってきているから。

 だってさ、好きでもない女の子にあんなこと言われてドキドキするか? 胸を背中にくっつけられて何も思わないなんてあり得るか?

 つまりは、きっとそういうことだ。

 嘘つきだと思っているのに、彼女まで嘘つき認定する自分が嫌いになりそうで。

 三次元は嘘つき、この前提が崩れかけている。

 そもそも、俺が三次元を信用しなくなったのは、手紙事件があってから。そこで俺は三次元が人を傷つけるためにも嘘をつくことができると知った。

 それに耐えられなかった俺は、三次元から逃げた。

 「手紙を書いたのは私だ」って布田は言った。でも、手紙を出したのは私とは言っていない。それにあの日、布田は俺より先に帰っているはず。

 布田に俺を騙す意図があったかどうかは、正直怪しい。

 それに、一度騙そうとした奴に、こんな構うか? わざわざ都区内にある高校にまでついてきて、挙句の果てに同じ部活にまで入る。オタクでもないのに。

 そこまでしたやつが、あのとき、俺を騙そうとしていたのか?

 そこまでしてくれた奴にまで、俺は何も考えず嘘つき呼ばわりするほど、ひどい人間になったのか?

 なっていたんだろうな。だから、さっき「逃げて楽になったつもり?」って言われたんだ。

 恐らく、事実だ。つもりだったんだ。

 布田からも、山田さんからも逃げ続けた俺は、楽になったつもりでいたんだ。

 でも、向き合うとして、どうすればいい? ……どうしたら、いいんだ……?


 そろそろ戻らないと心配させるかなと思った俺は、重たい足取りで建物を出ると荷物を置いてある場所に戻った。布田と山田さんの姿はなかった。多分、二人でどこかのプールに遊びに行っているんだろう。

 とりあえず、それでいい。

 俺はシートに横になり、瞼を閉じた。

 きっと少し疲れていたんだと思う。照らす日差しの下、俺は静かに眠りに落ちた。


「中河原、中河原、起きて、もう帰るよ」

「んん……」

 視界が開けると、そこには水着を着た女子二人が立っていた……って布田と山田さんか。

「ごめん……寝てた? ……今着替えてくるわ……ちょっと待ってて」

 俺は着替えを持って再びさっきいた更衣室へと向かっていった。一度も彼女らに視線を向けることなく。


 元着ていた服に着替え、荷物を置いていた場所に戻る。

「荷物、あとは俺が見ているから、着替えてきていいよ」

「う、うん。わかった」

 水着姿の彼女たちを送り出し、俺はシートの片づけを始める。

 待つこと数十分。麦わら帽子を被った山田さんとシャツを着た布田が戻って来た。

「お待たせ、じゃあ、帰ろっか」

 満足そうな表情を浮かべつつそう告げる布田。俺等はバスに揺られ、大磯駅に戻り、行きと同じように藤沢駅・町田駅を経由して、八王子駅に帰った。

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