第3章(6)カミングアウト

 藤沢での乗り換えも済ませ、今度は東海道線に乗り込む。

 大磯まで、あと少し、もう少し。

 まあ、東海道線からはすぐに大磯駅に着く。そこからバスも乗り継いでやって来た大磯シーサイドビーチ。流れるプール、波のプール、25メートルプール、飛び込み専用プールと多くのプールを用意しており、中でも有名なのがウォータースライダー、らしい。入り口から既に歓声と悲鳴とがこだましており、その人気度合いを表している。

 入り口近くの通路脇の芝生からレジャーシートで埋まっているあたり、やはり人で賑わっているようだ。通路を道なりに進んでいき、少し奥に行くとスペースが残っていたので俺はそこに持ってきたレジャーシートを引いた。

「じゃあ、ここに着替えて集合な。俺はすぐ着替えてくるから」

 風でシートが飛ばされないよう、カバンを重りにする。俺はそこから水着の入ったバックを持ちだし、少し丘を登ったところにある更衣室に向かった。

 

 まあ、男が水着に着替えるのなんて数秒で済むもので、数分もたたずに俺はもとの場所に戻った。二人も着替えに行ったらしく、俺は一人シートに腰を下ろした。

 止まることのない喧騒と、水しぶきの音。時折吹き付ける潮風が、八月の暑い空気を緩ませる。

「……にしても、暑いな……」

 水着一枚とはいえ、汗をかいてしまうほどの暑さだった。さっき自販機で買ったスポーツドリンクを口に含み、二人の到着を待つ。

 目の前をカップルが三組くらい通過したころ。

「終わったよーお待たせ―」

「お、お待たせしました……」

 太陽の光眩しいプール。声がした方を向くと、水着に着替えた二人の女子が立っていた。

「…………」

 夏の色というか。そんな爽やかな色合いのフリルの着いたビキニと、その上にパーカーを着込んだ山田さんと、どこかふんわかの雰囲気に対して若干攻めた水着を着た布田がいた。

 いつもより、見える肌色が多いせいか、一瞬ドキッとしてしまう。

 多分、チクショウ、太陽が眩しいぜ、とはこんなときに使うんだろうなあと感じた。

「どう? 感想は?」

 半分ドヤ顔の布田と、少し顔を火照らせている山田さん。

「いや……二人とも、似合っていると思うよ……」

 どこか見当違いの方を向きながらそう呟く。

「何照れながら言ってんのよ、三次元興味ないんでしょ」

「いや、そうだけどさ」

「そうだけど?」

「……なんでもねーよ。ほら、遊ぶなら二人で行けよ」

 視線でプールの方に意識を向かせる。誰か荷物を見ていた方がいいだろうから、なら俺が見ていよう、と提案した。

「何言ってんのよ、あれ乗るに決まってるでしょ」

 布田はずっと歓声が響くウォータースライダーを指さしながらそう俺に言った。

「……一人で?」

「馬鹿なの?」

 頭をコツンと叩かれた。俺の頭は布田のおもちゃじゃないんだけどな……。

「でも、どのしろ荷物は誰か見ていないといけねーからさ、俺は別に遊びたいわけじゃないし、布田と山田さんで行けよ。なんか知らんうちに会話するくらいには仲良くなったんだろ?」

「……中河原が読んで来たもののなかで、女同士プールで遊ぶものってあった?」

「いや、百合もの除いたらないけど」

「つまりは、そういうこと」

 ……じゃあ、誰が荷物見るんだよ。

 俺がそんな顔を浮かべたからだろうか、布田は言葉を続けた。

「じゃあ、最初は私と中河原でウォータースライダー行って、その次山田さんに中河原あげるから二人で行きなよ。それなら荷物見る人いていいでしょ」

 論破された……気がする。いいや、もう面倒臭い。あれこれ駄々こねるより大人しく一緒に行った方が楽そうだ。

「山田さんもそれでいいよね?」

「はっ、はい……」

「よし、じゃあ、並ぼ、中河原」

「っておいっいきなり手引くんじゃなーよ」

 引きずられるようにして、俺は布田と一緒にウォータースライダーの待機列へと向かった。


 家族連れや部活の先輩後輩、友達同士や、男女二人組などが並ぶ行列はそれなりに混んでいて、三十分くらい待つことになると係員の声が聞こえてきた。

「山田さんの水着、どうだった?」

 前に立つ布田が、俺の方を振り向きながらそう聞く。

「どうって……らしいな、って思ったけど」

 山田さんの緩いほんわかとした雰囲気と、黄色のフリルがついた水着がマッチして、更にそこにパーカーを着るあたり、もうこれが二次元だったらキュンキュンするだろと言わんばかりの格好だけど。

「……ま、私が選んであげたんだけどね」

「は……?」

「プール行くって決めた日。中河原生徒会に行ったでしょ? あのタイミングで、山田さんが『私水着持ってないんです、どうしましょう』って言ってきてさ。それなら選んであげるから一緒に買いに行こうってことになって」

 だから俺が生徒会室から帰って来てからは口を利くようになっていたのか……。

 徐々に列は進んでいき、ウォータースライダーの入り口が近づいてくる。

「……でも、似合いすぎるの、選んじゃったかな……」

 列を詰めるため、前を向いていた布田が、ポツリ、一言呟いた。

「…………」

 聞こえてんだよ。

「ねぇ、中河原、私の水着はどう? 可愛い?」

 ……聞こえてんだよ。難聴キャラ演じる俺の気持ちにもなれよ。

「……似合ってると思うよ。なんつーか、布田らしいというか」

「何それ、山田さんと同じ感想じゃん、はは」

 そう、軽く笑いながら、また布田は一歩前に詰める。

「はは……ははは……」

「…………」

「ねえ、あの日さ、どうして待ち続けたの?」

 前を向きながらそう問いかける。

 あの日……? っていつの……。

「どうして、あの日、手紙の女の子を待ち続けたの……?」

「……今更、何だよ。急だな」

「ねえ、どうして」

 そんなの、決まっている。

「……勝手に帰って、もしその子が後から来たら、悪いと思ったからだよ」

 いつだって、誰かに迷惑はかけたくない、そう思って生きてきた。それは、今も昔も変わらない。

「でも、まあ、そのせいで今、こういう性格になったわけだけど。っていうかなんでこの話してんの?」

「……昔の中河原はさ……何やっているときも楽しそうで、外で遊んでいるときも、友達と話しているときも、休み時間も給食のときも、放課後も掃除当番のときも行事も全部、全部楽しそうだった」

 ……何か、布田の様子がおかしい……?

「ケガした女の子を保健室に連れて行くくらい優しかったし、捨て犬の飼い主探してあげるくらい優しかった」

 そんなこともあったけど……。どうして、そんな昔話を急に……?

 気づくと、俺等はウォータースライダーの入り口に繋がる階段の目の前まで来ていた。あと数組で、俺等の番になる。

「なのに……あの日からずっと……中河原は全然楽しそうじゃなくなった」

 耳に響く階段の金属音。前を行く人の登る音が聞こえる。

「逃げるように二次元の世界に入り込んで……段々クラスメイトへの当たりもきつくなって」

 ……まあ、そうだったな。

「次第にいた友達もいなくなって、自分から一人になるのを選んで……それで楽になったつもりなの……?」

 顔こそ見ることは出来ないけど、肌色映える布田の背中を見ていれば追及しようとしているのはわかった。

「楽になろうなんて、思ってねーよ。ただ、もういいかなーって思っただけだ」

「同じだよ」

 そう言い放ち、布田は入り口の階段を上り始める。俺もそれについて行く。

「……同じだよ、そんなのって」

 徐々に高くなる景色。階段からは湘南の海を一望することができる。絵の具を落としたかのように綺麗な水平線が、目に入る。

 そして、階段を上りきり、次に俺等の順番が来るってときだった。

「……でも、そうなったのも……私のせいだからさ……自業自得だよね」

「は……? どういうことだよ?」

「次の方、どうぞー」

 係員に誘導され、二人乗りのチューブに乗り込む。前に布田、後ろに俺が座る。

「……手紙書いたの、私なんだ」

 俺は冷たい水流れるスライダーから、布田の方へ視線を移す。

「どういう……?」

「さ、行こっ、中河原」

 まるで何もかも振り払ったような、そんな綺麗な笑顔を浮かべ、布田はチューブを前に進めた。

「お、おい、今のってどういう――」

 言い切る前に、俺の言葉は止まった。滑り始めたチューブが、これ以上言わせてくれなかったから。

 感じた風切り音と、跳ねる水の冷たさだけが、俺の記憶に残った。

 次に映ったのは、びしょぬれになった布田と俺と、西湘バイパス越しに見える湘南の海だった。


「ただいまー山田さん」

 全身から水を滴らせながら、荷物を置いたところに戻った。山田さんは、パーカーを着たまま持ってきたのであろう本を読んで俺等を待っていたようだ。

「なかなか良かったよ、ウォータースライダー。ほら、今度は山田さんが行きなよ」

 何事もなかったように話し続ける布田。

 さっきの一連の会話って何だったんだ?

「い、いえ……私は別に……」

「山田さんまで中河原と同じこと言うー。ほら、折角水着買ったんだから、この二次元オタクにも見せてやりな。パーカー脱いで脱いで」

「えっ、あっ、布田先輩まってくだ……」

 そう声をあげるよりはやく、布田は山田さんのパーカーを脱がした。真夏の立っているだけで汗が出るような空気の下、露わになった山田さんの上半身。

 ……別に、エロい意味ではないからな。

 布田と比べておとなしめな胸と、真っ白なお腹に見えるへそとが、再び俺をドギマギさせる。

 その俺の反応に気づいたかどうかはわからない。一瞬、布田が複雑そうな表情を浮かべてから、俺等に絡む。

「ほら、並んできな。今度は私が荷物見ているから」

 顔を見合わせる俺と山田さん。

 多分、夏の暑さのせいだと思う。というかそう思いたい。真っ赤になった山田さんの表情が、可愛らしく見えてしまう。

 ため息を一つついて。

「はあ……行こう、山田さん。行かないと布田がうるさいから」

 俺は手を夏色の彼女に差し出す。

「……は、はい……」

 差し出した手を取り、また俺は待機列へと向かった。

 係員に「何だこいつ、今度は別の女を連れてきた」って目で見られたのは少し辛かった。

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