第3章(5)気づかないうちに、できていた二人きりの時間。

 ボッチの夏休みはやはりボッチだ。約束が一個できたとはいえ、それ以外は誰にも会うわけでもない。ただただ家にこもり続け、アニメとラノベと漫画を消化し続け、たまに来る新刊発売日には家を出て買い物に行く。そしてそれをまた消化しての繰り返し、たまに来る動画の新作を聴収する。そしてたまにバイトに行く。

 変わるのは残りの宿題の量と、セミの鳴き声の大きさくらいで、この怠惰な日々は基本変わらない。

 プールの約束が明日に来た日曜日。この日もクーラーの効いた部屋で俺はベッドに横になりながらこの間発売されたラノベを読み続けていた。

 ああ、文明の利器最高……。

 読んでいるラノベがいいシーンに入ったとき、枕元に置いてあるスマホが小さく震動した。

「ん……?」

 俺は持っているラノベを片手で閉じつつスマホを見る。

「……あ、やっべ、今日生配信の日だ。休みの日だから昼からやるってこの間言ってたっけ……」

 通知は、動画投稿サイトからのもので、これからみずな。さんの配信が始まるよというものだった。

 俺は急いでイヤホンを耳に装着し、配信を聞く準備をする。

「って……さすがに昼だといないな……俺しかいないし……」

 画面を見ると、視聴人数は一人とあったから、聞いているのは俺だけのようだ。みんな夜型なのかな? うん、きっとそうだよね。

 すると、配信が始まる。

 そっか、一人だとコメント欄……今日はコメント欄埋めるか……。

かがわけい「こんにちは」

かがわけい「今日昼からなんで人少ないですね」

「……こんにちは、あ、一人……なんですね、こんにちは」

かがわけい「そうみたいですねw」

「どうしましょうか……雑談でもしてますか?」

かがわけい「いや、そこはいつ誰が来てもいいように耳かきしてましょうよw」

「……そうですね、耳かきしちゃいましょうか」

かがわけい「わーい」

「そんなに喜ばれると嬉しいですね、どっちの耳からがいいですか?」

かがわけい「うーん、右かな」

「じゃあ、ご希望にお応えして……」

かがわけい「と見せかけて左かな」

 まあ、年下ってわかっているとこんなふうにからかいたくもなるよね。

「もうー、どっちですか……それじゃあ、左からやりますよ」

 そう困ったように笑いながら左耳を耳かきでこすり始める。

「いつも聞いてくださっている方ですよね、ありがとうございます」

 左の耳から心地よい感触が走り出す。

かがわけい「こちらこそ、いつも癒されています」

「……やっぱり、この時間は失敗でしたね、初めてお昼にやってみたんですけど、人、来ないや」

 山田さんが苦笑する姿が目に浮かぶ。……ん? どうして、今浮かんだんだ?

「でも、まあ、こうして来てくれる方もいらっしゃったので、頑張って癒していきますね」

「何か、リクエストとか、あったりしますか? 今なら基本、受け付けできますよ……誰も、いませんからね」

 今のは悪戯っぽい笑みが見えそう……え? ……え? 

かがわけい「うーん……どうしよっかな」

「やっぱそうなりますよね、何でもリクエストできるってなると、悩んじゃいますよね」

 今まで、俺はなるべく山田さんとみずな。さんは切り離して考えてきた。山田さんに感想を聞かれたときとかはちゃんと答えているけど、それ以外の場面では別人として考えてきた。じゃないと、みずな。さんにも他の視聴者にも迷惑がかかるかもしれないから。それに、山田さんが学校の人には話さないでと言っている以上、切り離している方が、思わず口が滑ったとかそういう事故も防げると思っていた。

 のに。

 今は、配信を聞いていると山田さんの表情が浮かんでくる。あ、今は笑っているな、今は真面目に耳をかいているな、今は少し困っているな、そんなふうに。

 こんなこと、なかったのに。どうして。

 この配信が、山田さんのそれにしか、聞こえないんだ。

「結構、悩んじゃいましたね、……だったら、とりあえず私の得意キャラというか、よくやる後輩キャラでしばらく耳かきしていきますね」

 俺……どうしたんだ?

「もう……先輩ったら、折角私の部屋来たのに、耳かきして欲しいって、どれだけ耳かき好きなんですかっ」

 その声に、不意に心臓が脈を打つ。

 ……山田さんの声にしか、聞こえない。

「……もう、付き合い始めてから初めて部屋に入ってもらったのに……」

 再び、音が鳴る。

 彼女の口から、「付き合う」っていう単語を聞いたからだろうか。

 え? ……俺に気づいている? そんなはずない。俺のアカウント名は伏せているから、かがわけいが中河原慧と気づくはずがない。

 それに、気づいているとしたらこの言葉のチョイスは狙っているとしか思えない。

 でも、そんな都合いい現実なんて、ありはしない。

 ないと思っているはずなのに。

「……目覚ませ、俺」

 何度も自分に言い聞かせてきただろう。三次元は、嘘つきだって。自分のためではなく、他人を欺き、笑うためだけにも、人を騙せるんだ。

 保身のための嘘なんて、二次元にもいくらでも出てくる。そこに辟易なんてしない。ああ、そうなるよなって、俺だって思う。

 でも、三次元は違う。保身だけじゃない、自分の欲求のままに人を騙せる奴なんだ。

 きっと、山田さんだって――そうなんだから。

 だから、だから、彼女は二次元に閉じ込めて認識しないと……。

 俺はきっと、この先、みずな。さんの声を聞くことができなくなる。

「……また、来てくださいね、先輩」

 ……うん、また……来られるといいね。

 いつの間にか、ワンシーン終わっていた。

 俺が画面に目線を動かしたころには、通知に気づいた人たちが生配信に参加してきてコメント欄も賑わってきた。

かがわけい「他の人、来たみたいなんで、コメントはお任せします」

かがわけい「聞き続けてはいるんで、じっくり癒されます」

 それだけ書き残し、俺はスマホをベッドの上に置き、仰向けに体を寝かせる。白色の天井が目に映りこむ。その白を、純粋な白なんかではなく、むしろすべてを諦めた白に見ようと俺はしていた。


 翌朝、どこか気持ちに引っ掛かりを覚えつつも俺は約束の十分前に八王子駅の改札前にやって来た。平日八時の八王子駅は通勤客で混み合っていて、だからだろうか、そんな中で麦わら帽子と真っ白のワンピースを着ていた山田さんを俺はすぐに見つけた。

「おはよう、山田さん、早いね」

 近づきながらそう声を掛ける。すると、彼女も俺に気づいたらしく、小さく手を振って笑顔を見せる。……向日葵かな。いや、単純すぎるかな。でも、麦わら帽子と向日葵ってなんとなく相性抜群だし……。

「あ、おはようございます、先輩」

 その「先輩」の声が、昨日の配信と重なる。

「っ……」

「んっと……どうかしました?」

 詰まったのが気づかれたみたいだ。……適当に誤魔化さないとな……。

「いや、そのワンピース、似合っているなーって」

 明後日の方向を向きながら、そう呟く。

「……あ、ありがとう……ございます。先輩に言われると、嬉しいです……」

 これもどこかで見たことあるようなシーンだな。何口説き文句使って誤魔化してんの俺。逆効果じゃん。

 どこか火照った空気が改札前に流れる。道行く人々から「朝からいちゃついてんじゃねーよ」的な視線を感じる。いや、違うんです、そうじゃないんです。俺はただ……。

「おっはよー二人とも、早いねー」

 なんて心の中で言い訳を始めた頃に布田が俺と山田さんの間に入って来た。ゆるふわな印象の山田さんとは対照的に、デニムのショートパンツになんか英語が書いているシャツという、まあ元気な恰好で。

「じゃあ、揃っているし電車乗ろう」

 布田を先頭に俺等三人は改札を抜けまずは乗り換え先の町田を目指した。


 普段乗る中央線とは違い、今日は黄緑色のラインカラーが車体に走る横浜線に乗る。まあ、当然並んでいる訳で。八王子・橋本・町田・横浜を縦貫するこの横浜線は当然中央線に勝るとも劣らぬ乗車率になる(と思っている)。でもまたもやというかこれが八王子の素晴らしい所か、横浜線の始発駅だから、待てば座れる。というわけで、何本か見送った後、落ち着いて座席隅の三つ並びを確保した。

「本日も、ご利用いただきありがとうございます。この電車は、横浜線、各駅停車、東神奈川行です」

 あ、よく巷では神奈川県町田市とか言われるけど、れっきとした東京都だから、誤解しないでね。さっきから神奈川県の地名ばっかり出てくるけど。うん。

「中河原、レジャーシート、持ってきた?」

 俺の隣に座る布田が聞いて来る。

「当然。俺が忘れるとでも思ったか?」

「……別に、ただ確認しただけだから」

「ふーん」

「何よ」

「いや、別に」

 いつも通り、ツンツンしてんなーって思っただけだから。

 電車は定刻通りに八王子駅を出発した。どこか悩まし気の俺と、楽しそうな布田・山田さんを乗せて。

 八王子から町田は大体二十五分で着く。適当な話題を数本こなすと到着する距離だ。

 人の間をすり抜けながら電車を降り、小田急線に乗り換える。

 今度降りる藤沢へは、単純に藤沢行に乗り換えないといけない。片瀬江ノ島行も藤沢を通るけど、平日朝には基本運行はない。それ以外の小田原行とかに乗ると事件になるからここも要注意。

「さて、次の電車は、あ、ちょうど藤沢行のが来るみたいだからそれ乗ろう」

 ずっと先導している辺り、よっぽど楽しみだったのだろうか、布田はいきいきしながら小田急線のホームに向かっていった。

 布田の言う通り、タイミング良くやって来た電車に乗り込む。車内はそれなりの乗車率だった。まあ、そんなに長いこと時間がかかるわけでもないので、並んでつり革に掴まることにした。

「中河原はウォータースライダーって、大丈夫な人?」

 車窓が段々のんびりとしたものになって来たころ、布田が尋ねてきた。

「何だよ、藪から棒に……行けるけど」

「ふ、ふーん」

 …………。

「一緒に乗ろうなんて言うのか?」

 少し突っついてみよう。

「な、何言ってんのよ……そんなわけ……」

 さ、予想通りの反応。さすがのツンデレ。

「……じゃあ、私と一緒に乗りません?」

 ……へ?

「な、なんてね……へへへ……」

 頬を掻きながらそう笑う後輩。

 少し口を開けて固まっている先輩。

 そして、少し上を見上げる俺。

 ……このプール、無事に終われるのだろうか……。

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