第3章(2)八王子までの電車に乗る彼女

 部活を終えて帰る夕方。夏手前にもなると帰宅の時間になってもまだ日は沈まないで、その威力を最後まで発揮しようとする。つまり何が言いたいかというと、暑い。

 各駅停車を降りて、中野で快速を待つ。

「あ……ちょうど通勤快速行っちゃったみたいだね……」

 乗り換え先のホームで電光案内板を見上げながら布田が呟く。

 高尾まで行く通勤快速がちょうど出てしまい、この後に武蔵小金井行、青梅行、豊田行と高尾はおろか八王子まで行かない電車が続く。しかもその次は八王子行。その後にようやく高尾まで行く通勤快速がやってくる。

「どうする? 待つ? どこかで降りて時間潰す?」

 ……待って十分くらい。俺は待つのはいいけど、山田さんはそれ以上待つことになるしな……。

 まあ、布田の言う通り三鷹とか立川とかで降りて何かするのもありと言えばあり。俺は寄らないけど。

「俺は次に来る八王子行で家に帰るよ」

 そう告げると、ツインテールのツンツン部員は少しムッとした顔を浮かべた。

「むぅ……結局帰るんだね、中河原は」

「いや、確かに時々は付き合うけど、基本俺は家に帰りたいから。二次元の子と一緒の時間を過ごしたいから」

「……わかった。いいよ、今日は。この間一緒に新宿行ってくれたし」

 あの日から、俺は週一くらいの割合で放課後部活帰りに布田の寄り道に付き合わされる。ある日は井の頭公園。ある日は三鷹。ある日は立川。この間は新宿で映画を見させられた。まあ、面白かったけど。

「山田さんは? どうする? 私は次の快速に乗って吉祥寺に寄り道していくけど」

「……私は、真っすぐ家に帰ります」

「そっか、わかった」

 そしてやってきた快速に、布田は乗り込む。

「じゃあ、また明日ね、二人とも」

 人混み溢れる車内から、何気なく言った布田の一言のはずだった。

 でも、俺は見逃さなかった。

 その一言を聞いたとき、山田さんの細い瞳が、大きく揺れたのを。

「だってさ、山田さん。……布田と何かあった?」

 ドアが閉まり、発車した電車を見送りながら俺はそう言う。一瞬の沈黙の後、すぐさま青梅行の電車が到着するアナウンスが入る。

「……何も、ないですよ……それより、布田先輩と、結構色んなところ行ったんですね……」

 どこか冷たさも感じる声色。あ、この声聞いたことある。

「……ずるいです……布田先輩ばっかり」

 やきもち彼女の耳かき動画でこれ聞いた。

「……私も先輩と……どこか行きたいです」

 ……今すぐ非常停止ボタンを押したい気分だ。あ、俺の心のね。本当のボタンは非常事態のときに押してくださいね。悪戯は駄目だよ。絶対。

「……八王子行に、私も乗ります。八王子で乗り換えます」

 そう何故か力強く彼女が言い、少しの間静寂が俺等の間に流れ、青梅行の電車が風を切りその風が頬を心地よくこすっていった。


「そういえばさ……今年は夏コミ、何か出すの?」

 八王子行の快速に二人並んで座り、俺はそんなことを聞いた。

 みずな。さんはこれまでコミケに何か出したりってことはなかった。動画内では、まだ販売できるほどのレベルでもないし、そんなに知名度もないし、ってことらしい。

「ま、まだ……そんな段階じゃないと思うので……」

 小声で話す彼女は、やはりどこか小動物っぽい何かを感じさせる。

「そっか……まあ、そこは山田さんの自由だと思うし……でも、いつか即売会とか行けると、嬉しいなーとか……思ったり」

 隣に座る彼女から、ほのかに香るシャンプーの香り。

 少しくすぐったく感じ、何か会話を繋ごうと話題を探す。

「……最近、動画の女の子、後輩女子多いよね」

「え? ……そ、そんなこと、ないですよ……」

「そう? 俺の気のせいかなー」

「そうです、先輩の気のせいですよ」

 ふーん……。そっかそっか……。

「……その、今日も……動画上げる予定なので……よかったら」

「うん。わかった。楽しみにしてるね」

「そ、その……先輩は……私の……耳かき……どう思ってますか?」

 恥ずかしそうな感じで、例えるなら指をツンツンとつき合わせながら俯くような、そんな声で聞いてきた。

「ご、ごめんなさい、この間も似たようなこと聞きましたよね」

「いや、どうして聞いてくれているのかっていう質問とどう思っているのっていう質問は違うと思うからいいよ。……俺はみずな。さんの声、好きだよ」

 移り行く車窓を眺めながらポツリと答える。

「もともとそういう属性がタイプってのはあったと思うけど、みずな。さんのなんかそういう感じっていうのかな……上手く言葉にできないけど……ごめんね、抽象的で。普段から気持ちを言葉にするなんてことしてないから」

「いっ、いえ……全然……そ、そう言ってもらえるだけで嬉しいです……」

「……俺は、聞いてあげることしかできないから」

「そ、そんなことないですっ」

 電車内だというのに、少し声をあげてしまった山田さん。少し申し訳なさそうにキョロキョロしてから、俺の方を向く。

「……そんなこと、ないです」

 垂れ目の瞳が力強くこちらを向くと、何か意思を感じる。その言葉は、本気で何かを伝えているように思えた。

「そんなこと……先輩のおかげで、私……」

「ん? どうかした?」

 ……難聴系キャラでいよう。じゃないと、この後輩の深い部分まで立ち入ってしまう。そう察知した。だから、俺は聞こえなかったふりをした。

「い、いえ……」

 視線を上げ、今の場所を確かめる。

「立川か……」

「……もう、そろそろ着いちゃいますね」

 まるで、何かを惜しむような口振りで呟く。

 気づきたくない。気づかないふりをしていたかった。

「そういえば……あそこまで電車を流したら」

 そこまで言って俺は口を澱めた。

 言葉の続きを言ってしまえば、俺は気づかざるを得なくなる。

 どうして次の速い高尾行に乗らなかったの? と聞くと。

「いや、何でもない」

 隣に座る後輩はきょとんとした表情を一瞬浮かべたけど、すぐ元の優しい柔和な顔に戻った。

 そして、電車は終点、八王子に着いた。

 一緒に降りる。俺は改札、山田さんは次に来る高尾行の電車に乗り換え……のはずなのに。

「先輩」

 背中から聞こえるその声に俺は振り向く。

「また明日バイバイです」

 今まで何度となく聞いた彼女の言葉。

「うん、また、明日ね」

 俺はその言葉を背に改札へと向かっていった。


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