第2章(6)いいひと

 放課後。そそくさと席を立った布田は無言で教室を出た。

 俺は何か言うわけでもなく、その背中を見送る。遅れて数分。教室を出て部室に向かう。

 放課後特有の騒がしさは、今の俺と正反対の空気を醸し出していた。すれ違う帰宅部らしき生徒達からは、「今日アキバ行こうぜ」「いいな、俺新作のゲーム見たいんだよ」「お前、金あんのか?」「ねーよ」「そりゃそーだよな」なんて会話が聞こえてくる。

 ……俺がもうちょい普通だったら。こんな放課後の一つや二つ、送れていたのだろうか。

 布田に、あんなこと言わせないで済んだのだろうか。

 渡り廊下から、不意にゴミ回収所を視線に捉える。

 あの時、三つ編みの一年生を見かけていなかったら、あるいは。

 なんて、都合のいいことを妄想してしまう。

 部室の前のドアにたどり着く。どんな顔をして部室に入ればいいか、考えてしまう。だから、ドアを片手に、立ち止まる。

 …………。

 意を決し、ドアを開ける――

「山田さんって、中河原の何なの?」

 すると、俺の目に入ったのは、対峙する布田と山田さんの姿だった。

「…………」

「黙っていたらわかんないよ」

「…………」

 布田の問いに答えない山田さん。

「……中河原とはよく話すのに、私には喋らないんだね」

 嫌味を含ませるように問い詰める。

 どうやら二人は俺が部室に入ったことに気づいていないようだ。

「…………」

 それにしても、何も話さない山田さん。布田の言う通り、俺とはしっかり話すけど、今はだんまり。

 でも、俺に対しても最初はそうだった。だから、基本人と話したくないのだろう。

 多分、俺は山田さんにとって話しても大丈夫な人と思われている。まあ、みずな。さんのことを知っているからね。そう思われるよね。

 でも、布田はそのことを知らないし、教えるつもりもない。つまるところ、布田は山田さんが動画投稿をしていることを知る手段はない。

「……何か言ったらどうなの?」

「…………」

 段々溜まっているであろうフラストレーション。

「何か言ってよ!」

 その叫びが、それを示している。

「……嫌です」

 そして、はっきりと聞こえた、拒絶の言葉。山田さんは、はっきりと布田の方を向いて、力強くそう答えた。

「……どうせ、私のこの声……ウザイって思っているんじゃないですか?」

 どこか悲壮さをも思わせる声色で、山田さんは続ける。

「どうせ、布田先輩も、そう思っているんですよね?」

「…………」

「いいんです、わかってますから。私の声は、そう思わせるだけのものだってことくらい」


 〇 


 私のこのアニメ声、悪く言えば甘ったるい声は、小さい頃からのものだった。私が幼稚園とか、小学校低学年のときは、そんな声でも浮くことはなく、むしろ「パリキュアの真似して」とか、「ケポモンの女の子の声真似してみて」とか言われるくらいの子でいられた。そのポジションが私は好きだったし、実際真似をしたりすることも楽しかった。

 でも、そんなことをしていられるのも、そこまでだった。


 *


 皆、アニメを見なくなる小学校中学年から高学年に差し掛かる頃。私は引き続き色んなアニメを見ていたけど、段々とクラスでの立ち位置は怪しいものになっていった。最初は、私が授業内で何かを発表する際に起きたクスクス声。「ねぇ、またあの声出して発表してるよ」「聞いていてなんかイライラするんだよね」そんな陰口――いや、私が知っている時点で陰口ではないか――を叩かれたり、修学旅行の自由行動で班の子に撒かれたり。


 小学校の修学旅行は大阪・京都だった。クラスの班決めで、私はやっぱり余り者になった。

「……山田さん、この班と一緒にしてもらっていいかな?」

 私の背中を押しながらそうお願いする先生の声は、どこか悲痛さを感じさせた。

 押し付けられた班の子たちはあからさまに嫌な表情をしたけど、さすがに断るまではできなかった。

「じゃあ、自由行動どこ行きたい?」

 リーダーの女の子がそう切り出す。

「私、通天閣」

「俺はたこ焼き食いたい」

「ユーエスジェー」

「よし、じゃあ、そこから決めていこう」

 五人一組の班で、私以外から希望をとって決めていく。そんな感じだった。自由行動の行き先も、バスや新幹線の座席の位置も。

「…………」

 その話し合いに、一切関わることはしなかった。

 教室内は修学旅行で盛り上がっているのに、私一人だけ、それこそ教室に取り残されているような気分になった。皆は大阪や京都に旅立っているというのに。


 そして迎えた修学旅行。クラス単位で動くものは何の問題もなくこなした。ただついていくだけでいいのだから。

 問題は最終日にある班別の自由行動だった。大阪駅を出発し約五時間の自由時間。私の班はお昼にたこ焼きを食べてからユーエスジェーに行く予定でいた。大阪駅でたこ焼きを班で食べた後、リーダーの子が班員にこう言った。

「じゃあ、駅で三十分くらいお土産買ってから、ユーエスジェー行こう。ここの改札口集合ね」

 その号令に従い、私は一人で駅の中にあるお土産屋さんを回り始めた。

 今思えば、都合のいい嘘だったんだ。私が一人でお土産を買いに回ることくらい、向こうは想像していたんだ。

 約束の三十分後、約束の場所に皆は来なかった。私の修学旅行最終日の思い出は、ただただ駅を歩くサラリーマンや主婦を見たことくらいだった。

 

 私もいちいちそのいじめに反応して抵抗しようとした時期もあった。修学旅行前とかかな。

「もう、やめてくれない? 私皆に何かした?」

「うるさい、喋んないで、その声耳障りなの」

「そうだよ、なんか気持ち悪いー」

「っ……」

 そもそも「声」をいじめられているのであって、私が抵抗しようと「声」を出そうとすると嫌がられたり攻撃されたりと、効果はなかった。

このように何か言葉で抵抗すると、「声」を理由に喋らないでと言われ、ならいっそ休み時間はトイレにこもってやり過ごそうとしたこともあったけど、その間に持ち物を隠されたり、ひどいときには水をトイレのドア越しに掛けられたりと散々だった。水を掛けられたときなんかそれに対して悲鳴を上げただけでうるさいって言われるからもうやっていられないよね。さすがにびしょぬれになって保健室に入った時は先生に色々と聞かれたけど、先生に言ったところで何か変わるとも思えず、何も話さなかった。

 私はいじめを止めて欲しいのではなく、私の「声」を認めて欲しかったから。

 そして、そんな状況が続いているうちに声を出すことを諦めるようになった。

 自分の声は、他人からいじめられる原因になり得るものだという紐づけをして。


 私は周囲と壁を作るようになった。それでしか、私は私を守る手段を見いだせなかった。親からは明らかに口数が減ったことを心配された。いじめられているのではないかと聞かれたこともあった。でも、それを言ったところで、何も解決しないんだろうなと思うほど、私は諦めていた。先生に対してと、同様に。

 だからだろうか、そんな私を心配した親は、言えばある程度のものを買ってくれた。読みたい本も、着たい服も。

 別にそういう問題ではないんだけどね。

 そうして小学校を卒業して、中学校に入学したけど、扱いは変わらなかった。まあ、同じ小学校の子が私のことを言いふらしたからだろう。友達はできなかった。まあ、それを悲しいと思うことはなかったけど。中学校では私は必要なとき以外口を開かなかった。すると、私へのいじめは弱まった。ちょっと浮いている奴、くらいまでには昇格した。

 それはそれでよかったんだけれど、どうしても、子供の頃に味わったあの楽しみをもう一度体験したかった。

 声を出してもいい環境を、私は欲しがった。

 そんな欲求を叶えるために、私はネット上で自分の声を生かしてみようと考えてみた。ネットなら、私のことを知っている人はいない。自由になれる。

 でも、歌ってみた動画を上げるほど歌が上手いとは思っていないし、朗読できるほどアナウンスを勉強したわけでもない。そんななか、見つけたのが、ASMRだった。

 一人の女の子を「演じて」耳かきをする。それも若干のアニメ声で。もともと声質がアニメっぽい私にとってこれは好都合だった。やるならこれかもしれないと決意して、すぐさま有名なチャンネルのASMRを聞き始めた。大まかな流れ、よくあるシチュエーション。そのようなことを吸収していき、私は親に録音に使うマイクをねだった。最初は不思議そうな顔をされたけど、何かに打ち込もうとする私を見て安心したのかわからないけど、案外あっさりと買ってくれた。

 マイクが届き、家に誰もいなくなった最初の休みの日に、私は録音をした。簡単に作った台本片手に、耳かき棒を片手に。とにかく手探りの録音作業は、声を気にせず出せるこの時間がたまらなく楽しかった。

 録音の最後に、「また明日バイバイです」と付け加えた。それは、放課後、友達と別れる際にクラスメイトが「また明日、バイバイー」って言っているのを見て羨ましくなったから。

 あの何気ない、日常の一言が凄く羨ましかった。クラスの子と、こんなことを言いたかった。でも、それが叶わないなら、せめて、動画の終わりだけでも。そんな思いで、その挨拶を言った。


 最初のうちは全然視聴回数が伸びなかった。まあ、当たり前だよね。ただの中学生が趣味レベルでやっている動画が何もしないで伸びるはずがない。それでも、ゼロでないことが、何よりも嬉しかった。

 誰かは、私の声を聞いてくれている。その事実が、当時学校に友達がいなかった私の心の支えになった。


 投稿を始めてから数か月が経つと、色々慣れてきたからか、ちょっとずつ再生回数が伸びてくるようになった。二桁止まりだったのが、三桁までいくようになった。数人だったチャンネル登録者が、数十人にまで増えた。毎回コメントを送ってくれる人もできた。

 そのときの私は、とても嬉しかったんだと思う。初めてコメント欄に数字が入っているのを見た時、一瞬自分の目を疑った。何度も目をこすっては見てを繰り返して、ようやくその事実を認めたとき、持っていたスマホを落としそうになるくらい、全身から力が抜けた。

 その人のアカウント名は、今でも覚えている。というか、この後助けてもらった人だ。

 「かがわけい」


 コメントがついて喜んでいた私だけど、ネットの世界、そんなにいい思いだけさせてくれるものではなく、ときに学校で言われているようなことをコメント欄に書かれることもあった。でも、学校での扱いに慣れてしまうほどやられた私にとって、それくらいの悪評は聞き流せるものでもあった。

 私の無反応具合にしびれを切らしたのか、単にイライラしたのか、あるとき私があげた動画のコメント欄が荒れに荒れたときがあった。

「声が棒読み」「毎回似たようなシチュ」「演技というより素?」「耳かき部分下手」

 こんな感じのコメントが乱れ飛んだ。今までは何か書かれても数えるほどだったのだけれど、このときは結構な数が載せられた。

 さすがに焦った私は、どうしようか悩んだ。というか、どうすればいいかわからなかった。クラスの人数はせいぜい四十人くらい。どんなに悪口を言われても四十人以上から何かを言われることはない。でも、今回のは明らかにそれ以上だった。

 集団で受ける悪口も、知っている人からならなんとかなるくらいにはなったけど、見知らぬ人からだと結構堪えた。

 ……このままやっていていいのかな……。そう、思い始めたそのとき。

 コメントの数が、一つ増えたのを見た。

「……どうせまた……」

 それでも、一応確認はした。

かがわけい(今すぐコメント欄を閉鎖しましょう このままだと増えるばかりです 僕はあなたの作品が好きだから、そんなこと言わせたくもないし聞きたくもない 言いたい奴には別な場所で言わせないと聞いてくれる人も聞いてくれなくなりま す)

 初めてコメントを落としてくれた、あの人だった。

 その一言を目に入れた瞬間、目から何かが零れるのを感じた。

「……ぁぁ……」

 夕陽差し込む自分の部屋で、一人嗚咽を漏らす私。

 たった一人だけだとしても。嬉しかった。飛び跳ねるとか、満面の笑顔を零すとか、そんな喜びではなく。

 ようやく、私の「声」を認めてくれた人ができたんだ。助けてくれる人ができたんだと思えたから。私は静かに、心に沈めていた感情を表に出していた。


 *


 部室で対峙する布田先輩を見つめる。

 どうせ、布田先輩は、過去のクラスメイトやコメント欄を荒らす人と同じように、私の「声」を認めない人なんですよね。

 わかっている。どうせそうなんだ。

 そんな人に声で否定することに何の意味もない。理解なんてしてくれない。

「……図星ですね、わかりました」

 事実、何も言い返さないのが証拠。

 ふと、ドアの前に中河原先輩が立ち尽くしているのを見た。伸ばそうとした左手が宙をさまよっている辺り、止めようとしたけどできなかったんだと思う。

 ……布田先輩とは逆に、中河原先輩は「声」を理由に何かする人ではないなと感じている。それに、水を掛けて謝ってくれる人は、基本いい人だと信じているんだ。

 そう、いい人だと、信じている。


 〇


「もう、その辺でいいだろ、二人とも……」

 俺は掠れた声で二人の冷たい空間に一石を投じる。

「山田さんも、……これ以上は布田が辛いだけだから……」

 とにかく止めなければ。そんな思いで俺は一旦二人の会話をぶった切った。

「布田も、ただの後輩だって言ったろ? そこまでしつこく聞くんじゃねーよ……」

 ただ、それだけだった。このまま普通に、何事も起こらずに日々が過ぎていけば、俺はそれでよかった。

 俺を原因にして、誰かが嫌な思いをするのは、俺が嫌だった。

 三次元は嫌いだとかほざいているくせに何言っているんだと思っているだろ? でもそうだ。俺みたいな奴は少数派なんだ。言ってみれば俺のわがままなんだ。例えば朝の満員電車でとある一人にこんな密着して電車に乗りたくないから離れてって言われたら嫌だろう? っていうか無理だろう? それと同じだ。俺が三次元を嫌いだからといって他人に対して何も配慮しなくていいという理由にはならないんだ。

「……俺は三次元に興味はない。これは厳然たる事実だ。布田が心配するようなことは一切ないんだ」

 ため息を一つついて、布田はその場の椅子に座り込んだ。

「わかった。そこまで言うなら信じる。でーも」

 そしてそこまで言い、切れ目の少女は俺を鋭く見つめながら続けた。

「山田さんとイチャイチャし続けるなら、私とも一緒に放課後寄り道してもらう。じゃないと三次元とは寄り道しないってのを信じた私が馬鹿みたいでしょ」

 ……マジで?

「……べ、別に俺、山田さんと寄り道しているわけじゃ……」

 言い訳の途中でキッとにらまれてしまった。わ、わかったよ……。

「……わかったわかった。今度一緒に八王子……」

「新宿もね」

「…………」

「この間一人で行って寂しかったんだから」

 なんか、俺、懐柔されている?

 そんなことを思っていた。ふと、山田さんの方を見やると、少し頬を膨らませていたのが見えた。……やめてねーそっちの修羅場は。

 俺の胃がもたないから。

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