第2章(3)また、明日、バイバイです

 放課後。もはや一年生が入ったからといって変わることのない部室で本を読む習慣。俺は相変わらずせっせと読書に励んでいた。そして、布田はスマホをいじり、山田さんも何か本を読んでいる。

 三人寄れば何か会話が生まれそうなものだけど、そうならないサブカル研。それぞれがそれぞれの時間を過ごしている。

 読書をしていると意外にも時間は早く過ぎるもので、あっという間に下校時間になってしまう。

「そろそろ帰ろっか」

 俺のその一言で、残りの二人も立ち上がり、帰る支度を整える。

「じゃあ、私先に帰っているから、鍵よろしく」

 布田はそう言い、足早に部室を後にした。

 ……今日はやけに静かだったな……いつもなら部活中一度や二度くらいは俺にちょっかい出してくるのに。

「じゃあ、俺は鍵返してから帰るから……ついて行くのね。はい」

 鍵を指先で遊ばせながらそう言ったけど、俺をじっと見つめている山田さんを見て察した。今日もかい。と。


 二日連続で一緒に歩く帰り道。

 すぐそばにはこれから乗る中央線が走り抜けている。電車が通過するたびに風が切られて、山田さんの髪やらスカートやらが揺らめく。

「そういえばさ、部活のとき、何読んでいたの?」

「…………」

 まだだんまりか……。

 まあ、大体理由は想像つくよ。

 多分、山田さんは自分の声が嫌いだ。

 だから話すときはいつも小声だし、何なら俺以外には必要最低限の挨拶だけとかもある。

 そして、この間の生配信。

 実際、上手くいっていない。

 ……俺と同類だ。過去に何かあって、それで自分の何かが嫌いになって、周りを信じることができなくなって。

 そうすることでしか、自分を守れなくて。

 わかるよ。わかる。

 だって……。

「現実ってクソだもんな……」

 あ、いけね。思考が言葉になって漏れちまった。

 山田さんは、きょとんとした顔を俺に浮かべる。

「いや……なんでも、ない……よ」

 完全に頭上に「?」マークついているよ……。

 駅前の横断歩道を渡り、改札を抜ける。タイミング良く中野行の電車が来たので、二人でそれに乗り込む。

 電車に乗っている間も、中野で快速に乗り換える間も、ずっと何か考えているような、そんな顔をしていた。

 高尾行の電車がホームに入って来た。ちょうど空いた座席に並んで座る。

「この電車は、中央特快、高尾行です。停車駅は、三鷹、国分寺、立川、立川から終点高尾まで各駅に停まります」

 しかも特快か。これは早く家に帰れる。

 ドアが閉まり、ゆっくりと電車が動き始める。それにつられ、ぼそっと山田さんが口を開いた。

「……先輩は、どうして私の動画を……聞いてくれているんですか……?」

 少し意識を飛ばせば、走行音でかき消されるような、そんな声。

「……どうして、ね……」

 それを聞かれると、こう答えるのに尽きる。

「それは……みずな。さんの声に萌えたから、かな」

 どんなに言葉を並べたとしても、結局はここに行きつく。なら、直接言ってしまえばいい。

 俺の直球な感想に山田さんは顔を染める。それを隠すかのように、少し俯く。

「彼女の、二次元くさいけど現実にもいそうな、そんな感じのキャラ声とか、言葉選びが優しい脚本とか、良い所挙げればきりがないけど」

 帰宅中の人でごった返す車内。少し動けば人とぶつかってしまうような乗車率。

 そういった中、言葉を交わし合う俺と山田さん。

 彼女はまだ俯いていて、前髪で表情が見えないままだった。

「それにさ」

 電車がゆっくりと減速していき、駅に停車する。多くの人が降車して、また乗り込んでくる。

「なんか、安心するんだよね。みずな。さんの声を聞いていると」

「っ……」

 俺の隣から、そんな声が聞こえてきた。

 ははは。照れちゃったかな。

 そう思い、俺は横を向いて彼女の様子を見ようとした。

「……え?」

 俺は、そのとき、そんな間抜け声を出してしまった。

 前髪で隠れた目もとから、一筋の雫が零れているのを見たから。

 彼女は静かに、誰にも気づかれないような仕草で、涙を流していた。

「ちょっ……え?」

 三次元の女の子が泣くのに初めて遭遇した俺は、どうしたらいいかわからずにその場でうろたえていた。

 あれ? 俺何かまずいことでも言ったかな……。やばいな……。泣かせちゃったよ。別にそれ自体はいいんだけど、無駄に泣かせたくはないんだよ……。俺のポリシー的にさ……。

「……ごめんなさい、ちょっと、嬉しくて……すぐ、落ち着くので……」

 少し涙が混じった声を俺に届ける。持っていたハンカチで涙を拭いて、俺に小さく微笑む。

「……そう言われると、……凄く嬉しいです」

 パッと何かが花咲いたように、彼女は笑った。それは決して派手ではなく、慎ましいそれだけど。

 ほんの一瞬だけ、可愛いなと、思った自分がいた。


「それじゃあ、俺、ここだから」

 山田さんにそう言い、俺は座席を立つ、開きかけたドアに向かおうとしたとき。

「先輩」

 声を掛けられ俺は振り向く。夕陽をバックに彼女の顔が目に入る。

「また、明日、バイバイです」

 きっと、電車内にいる人で、この言葉の意味がわかる人は俺しかいない。

 垂れ目の瞳が細められている。やばっ、眩しい。

「っっ……バイバイ」

 俺は恥ずかしさのあまり電車から飛び降りた。あ、駄目だよ。真似したら駄目だよ。

 ……萌え殺す気かぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 やばい。危うく叫ぶところだった。

 三次元だよね? 百歩譲って二・五次元だとしても二次元ではないよね?

 なのに、どうしてこんなにドキドキしているんだ?

 答えはわかりきっている。わかりきっているけど、認めようとしない。

 ……これも嘘だったら、俺は立ち直れるのか?

 あの笑顔と、涙と、そして言葉に嘘を探そうとしている俺自身に、嫌気がさした。でも、それだけ怖かった。

 このままなびいてしまいそうな俺が。


 家に帰ると、そのまま部屋に直行、そしてベッドにダイブした。

「……落ち着けー山田さんは三次元山田さんは三次元三次元は嘘つき三次元は嘘つき」

 枕に呪文をぶつけ続け、なんとか平静を取り戻そうとする。

 そう、三次元は嘘つきなんだ。

 忘れたのか中河原慧。あの日味わった屈辱を。三次元はああいうことが平気でできる奴ばっかりなんだ。三次元を信じるとああいう目にあうんだ。いいか。中河原慧。

 俺は二次元の女の子さえいればいい。それでいいんだ。ただそれだけでいいんだ。

 だから、山田さんに対しても、普通に、ただの後輩として接しよう。いいな? それ以上詰めたら、最後、裏切られて終わりだからな。

 それに、その方が山田さんにも都合がいいだろう。ただでさえ「三次元嫌い」の情報が広まっている俺が、彼女に深く関わると、要らぬ詮索を山田さんが受けるかもしれない。それは彼女が望むことではないはず。

 よし、ただの後輩、ただの後輩、後輩。オーケー?

 リビングから夕飯のいい匂いがしてきたので、俺はベッドから起き上がり、部屋を出た。

 ……悶々としていたからアニメ消化できなかったな……夜に見るか……。


 どうでもいいことにひとつ気づいた。今日は金曜日だったから、「また明日」はないということ。言うなら、「また月曜日ねー」が妥当か。

 でも、もし山田さんがそれを意図して言ったのならば……。

 都合のいい考えは捨てよう。ただの後輩なんだから。

 どのしろ明日は午後のバイト以外何もないから、少し夜更かししてアニメ見ても大丈夫だな。

 結局、俺はその日夜の四時までアニメを見続けた。土曜日のバイトが眠くて眠くて仕方なかったのは、当然だった。

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