第136話 剣聖の後悔

 アリステラは古城の玉座に小さな身体を沈めて、瞼を閉じていた。


 彼女が思い耽るのは、在りし日の記憶。


 両親が血の絆で結んだ眷属達と過ごした日々。


 最後の一対と呼ばれた純血の吸血鬼である両親が灰となって死に絶え、自身の齢が千歳を超えて尚、いつまでも続くと信じていた。


 しかし、数年前。

 彼女の日常は突如として終わりを迎えた。

 

 所詮、報酬に目が眩んだ無謀な人間の挑戦者。

 適当に痛めつけてから眷属にすれば良い。

 そう侮って迎えた……若い白狼族の雌。


『君達は生き過ぎた』


 東方に伝わる、一騎当千の殺人剣。

 桜月一刀流の新たな剣聖の手によって。 


『やめろ……やめてくれ……っ! やめろぉ!』


 純血の吸血鬼は、強力で特異な権能を有する。

 幾ら戦闘経験が少ないと言っても、敗北はない。


 ……そう、思っていた。


 両手両足を斬り飛ばされ、身動きが取れない……あの日までは。

 あの時の痛みを、恐怖を忘れた日は一度もない。


『やめてくれ……っ! やめてくれぇぇぇ!!』


 涙で霞む視界の中、共に数百年を過ごした眷属の心臓が次々に貫かれていく。

 枯れた喉で幾ら叫び、懇願しても容赦はない。

 あの日。耳朶を叩いた家族の断末魔は……未だに耳に残っている。

 あまりに残虐非道な光景が目に焼き付いている。

 あの日の屈辱が、絶望が胸に残っている。


「……ユキヒメ。お前は何故、平然とした顔で私の前に現れる事が出来る……っ!」


 刀で斬り飛ばされた腕や脚は、虫のように這って繋げれば数日で完治した。

 しかし、負わされた心の傷は生涯癒えない。

 失った家族達は、戻って来ない。


「なぜ……私が欲しいなど、平気で言えるのだ? なぜ、お前は……そんな強欲で在れるのだ……?」


 金髪の吸血姫は自身の小さな身体を掻き抱いて、玉座の中で膝を抱えた。

 仰々しい玉座の上、一滴の雫がポタリと垂れる。


「アリステラ・グリムリーゼ」


 その刹那、静かな玉座の間に明瞭な声が響いた。


 慌てて顔を上げた真紅の瞳に、黒衣を身に纏った白髪の少年の姿が映る。


「お前は……確か……シーナと、言ったか?」


 涙で霞んだ視界の中で、少年は玉座の間の中央、赤い絨毯の上に一人で立っていた。


 吸血姫は下等な存在である人間に、情けない姿を晒すまいと、すぐに涙を拭う。


「あぁ……そうだ。俺は、お前やユキヒメにとって別世界である、この地で生まれた人間だ」


 少年は玉座に向かい、ゆっくりと歩みを進めた。


「獣のような特徴も、数百年を生きる吸血鬼でも、強靭な身体と強力な権能を持って生まれる竜族でもない。非力で、愚かで……しかし、それが平凡だと言われる、ただの人間。それが俺だ」


「……お前は、赤竜のつがい。半竜なのだろう?」


「違う。少なくとも今はまだ、普通の人間だ」


 玉座の眼前、階段の前で立ち止まった少年は……ゆっくりと腰の剣に手を掛けた。

 その剣は、どう見ても無銘。一度型さえ作れば、容易に大量生産出来そうな粗悪な剣だ。


 ……と、そこで吸血姫は気付く。


「……お前、竜装は? 最強の宝剣はどうした?」


「確かに抜いたさ。だが、あんたの知る赤竜姫は、まだ寂しい独り身のままだぜ?」


 剣を抜き放ち、少年は切先を向けて来る。

 やはり、その剣身は平凡で粗悪な鋼だった。


「俺は、あんたみたいな特別じゃない。ユキヒメのように非凡でもない。只人の国、その最西端の村で生まれて16年、大した苦労も知らずに生きてきた。あんたにとっては、物を知らない生意気なガキだ」

 

 下から見上げて来る、金色の瞳。

 赤竜の目を持つ少年は、自信に満ちた態度で言葉を紡いだ。


「それでも、アリステラ・グリムリーゼ。一千年の時を生きる吸血鬼だか、なんだか知らないがな……俺は、あんたに間違ってるって言ってやる」


 少年が静かに言い放った瞬間だった。

 突如、二人の頭上で激しい破壊音が鳴り響いた。煉瓦や破砕した木材が埃と共に降り注ぐ。


「……っ!? なんだっ!?」


 驚き、自らの頭を庇う吸血姫。


 対して少年は眉を寄せると後方に飛び、頭上から現れ、自らの眼前に立ち塞がった存在に対峙した。


「来たか」


 青い肌。不自然に膨れ上がり、太い血管が幾重も浮かぶ程の筋肉質な身体。

 黒衣の少年の三倍はあるだろう巨躯を誇る怪物は、巨大な顎門を開いて咆哮した。


「ガァァァァァアアァァァァアアッッッ!!!」


 大気を震わせ、鼓膜を劈く程の野太い雄叫び。

 それを間近で受けながらも、少年は不快な騒音に顔を顰める程度だった。


「……耳が良くなるのも考えものだな」


 竜の血で再構成された少年の身体は、視覚だけでなく聴力も数倍は敏感になっている。


 お陰で、脳を揺さぶられるような騒音は吐き気を催すほどに効いてしまった。

 だが、鼓膜が破れるような事態にはならない。


「グ……アウァッッ!!」


【アクセラレーション】


 怪物の蒼く丸太のような右腕が振るわれた刹那、白髪の少年は頭に響いた女性の声に従う。


(速く、速く速く)


 只人達の神が、少年に与えた専用の権能。

 それは、彼に血を授けた竜姫の声で発揮された。


「ンッ!!」


 視界は十倍、身体を三倍に加速した少年は屈んで巨拳を回避すると同時、右腕の肘の関節部を狙い、閃光のような斬撃を合わせて見せる。


 それはまさに、神業の反撃だった。


 しかし、不気味で強靭な腕に刃は阻まれ、傷一つ負わせることも叶わない。


「……っ」


 それは、少年にとって予想以上の感触だった。


 間髪入れずに振るわれた左腕を左方向への側転で回避した後に、そのまま後方倒立回転飛びへ移行。複数回の宙返りで距離を稼ぐ。


 幸い追撃はなく、彼我の距離は二十メートル程度開いた。


(硬いな……鈍らで木を叩いた時と同じ感触だ)


 冒険者として活躍を始めて間も無く、使ってない剣で木を切って売れば日銭を稼げないかと目論んだ経験のある少年は思った。


 実際、母の形見である剣では太い幹を持つ森木に僅かな切り傷しか付けられず、一振りで断念した。


 故に鈍らと例えるのは癪だが、鈍らは鈍らだ。


「ヴァン!? な、何故だ!? 何故お前がっ!」


 青肌の怪物が放った咆哮に耳を塞ぎ、目を回した吸血姫は、遅れて状況を認識した。


「そりゃあ、大事なお姫様のピンチだもんねぇ?」


 途端、玉座の後ろから知った声がして振り返る。


「ユキヒメ……ッ!? そうか……お前が!」


「人聞きが悪いなぁ。私はただ、昔見た顔に挨拶をしようと思っただけだよぉ? まさか地下牢を徘徊してるとは思わなかったけどね♪」


「やはり、この状況はお前のせいかっ!!」


 顔を赤く染めて怒る吸血姫を横目に、青い悪魔と呼称されている怪物は、少年との距離を一足で詰め強烈な蹴りを放っていた。


 それをまた容易に躱されると、知性の欠片もない乱打で黒衣の少年を捉えようと奮闘を始めた。


(気味が悪い程デカい癖に、予想より速いな。剣は通用しない。爆破魔法は効くだろうが、あの二人を巻き込んでしまう……かといって場所を変える為に引けば、こいつはユキヒメに狙いを変えてしまうと思うんだよな……面倒だ)


 一撃必殺の乱打を三倍加速の身体で回避しつつ、少年は玉座の二人を横目に見た。


 冷静に現状は分析出来るが、決定打がない。

 出来れば、一刻も早く加勢して欲しいところだ。


「まぁ、そう怒らないでよ。君だって今のままじゃダメだって、理解しているはずだろう?」


「…………っ!」


「ヴァン・レスハーレ。アレは、君の父親の眷属。そして君が生まれてからは君の世話役を務め続け、君の血で再契約を行なった鹿族の男だね? 確か、今年で1403歳になる」


「な……っ!? なぜ、それを……っ!」


「私が君達を何の理由もなく斬ったと思う?」


 驚き、振り向いた吸血姫に、白狼の女はニコリと笑って見せる。


「君は大人しい吸血鬼だ。この城に篭り、人の街を訪れる際は顔を隠し、普通に買い物を楽しむ無害な存在だった。眷属にするのは君の首の莫大な懸賞金目当てに挑んで来た、無謀な愚か者だけ。そんな君と両親の代から引き継いだ眷属達が暮らす此処は、君にとって小さな庭城であり理想郷だったはずだ。君は最後の純血の吸血鬼として、誰とも交わらず、残り数百年の余生を静かに過ごして滅びたかった。そんな君の無欲な願いを踏み躙った私は、憎まれて当然の事をしたんだろうね」


「……ッ! わかっているなら……それがわかっていたなら、なんでっ!!」


「だから、その理由が目の前にあるだろう?」


 ユキヒメの瞳に、自分は映っていない。

 仕方なく吸血姫は、憎き剣聖の視線を追った。


 その視線の先には、醜く変貌した家族がいる。


「人は元々、君のように数千年も存在出来るように設計されてない。故に、幾ら吸血鬼の眷属となって理を歪め、肉体を維持出来てもダメなんだ。精神が保たないんだよ。君にも分かっているはずだ」


「そんな事はないっ! 私は……ッ!」


「いくら研鑽を重ね技を鍛え、術を磨き、技術力を進展させて高性能な武器を作り出しても抗えない。だからこそ人は、それを定めたと信じた概念の事を神と呼んで崇め、時には怨み、恐れるんだ」


 二人の視線の先で、鈍らな剣を投げ捨てた少年が絶え間なく振るわれ続けている怪物の拳を躱した。同時、後退を続けていた彼は鋭く床を蹴る。


「アリステラ。君は一千年以上を生きた吸血鬼だ。正真正銘、それを許された純血の吸血鬼だ。でも、君も所詮……それを決めた神には勝てないんだよ」


 難なく怪物の懐に入り込んだ少年は、硬く握った拳を振り上げた。


 金色の瞳を、爛々と輝かせて。


身体強化フィジカル・ブースト……ッ!)

【承認します】


 下から振り上げた拳が、青い怪物の醜い下顎へと突き刺さった。


衝撃インパクト……ッ!!)

【承認します】


 常人では得られない膂力で放たれた拳から、更に凄まじい威力の衝撃が追撃する。


「ゴボァッ!?」


 殴打と法撃、二重の強烈な衝撃を人体急所の一つである下顎に受けた青い怪物は、数十メートル先に背を叩き付け、壁を突き破って、その姿を消した。


「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」


【身体強化、解除。右腕部に許容能力を超えた負荷による損傷、複数。自然治癒による完全修復には、数分間必要。よって身体強化術に冷却時間を設定、認証可能まで、現時刻より300秒を予定】


 たった一発の殴打、その予想以上の消耗に少年は荒い息を繰り返す。


(なんだ……この声は……っ!)


 同時、頭に響く知らない女の声を疑問に持って、少年は左手で自らの額を抑えた。


【オリジナルユニークスキル、ブーストアクセルの認証権限、譲渡を申請。承認して下さい】


(……なるほど。また女神のお節介か……断る)


【再度申請、承認願います】


(無詠唱魔法は流石に許可制にされたか……)


 頭の中に響く声を無視して、どうにか消せないかと頭を振ってみる。

 そんな少年の姿に、玉座の吸血姫は目を剥いた。


「……あの体格で、なんて馬鹿げた怪力だ……! 流石は赤竜の……」


「それは違うよ」


 ユキヒメは吸血姫の言葉を最中で否定した。


「そんな訳がないだろう!? あんな馬鹿げた」


「うん。正直私も驚いた。だって彼は、まだ赤竜と正式な契りを結んでいないのだから」


「なに? いや、確かにそう言っていたが……」


 つい先程、本人が言っていた言葉を思い出す。

 しかし、とても信じられなかった。


「彼と私は、過去に三度戦った。そして見事に生き延びて見せたんだ。一度目は白竜姫の助けを借り、二度目は赤竜姫の血を自ら煽り続け、三度目は……本気で殺そうとした私を救おうと足掻いてくれた」


 息を整えた少年は、吸血姫を見上げた。

 赤竜の証である金色の瞳が、吸血姫の真紅の瞳と見つめ合う。


「彼の身体には、確かに赤竜姫の血が流れている。瞳が金色の竜眼に変異しているのも事実だ。だけど彼は人で在たいと言った。愛する者の為、同じ人として共に老い、朽ちたいと願っている」


「……アリステラ・グリムリーゼ」


 姿勢を正した少年は、鋭い眼で吸血姫を射抜く。


「誰にも迷惑を掛けず静かに、この城に引き籠る。今までのお前の生き方に文句を言うつもりはない」


「グル……ググガァ……グルルルル……ッ!」


 そう告げる少年の背。穿たれた壁から、青い肌の醜い怪物が姿を現した。

 その濡れた姿からは、古城の下にある湖に落ち、自力で這い上がって来た事が窺える。


「だが、お前は間違えた。その結果、お前が愛した家族は理性を失い、醜い怪物と化した。人を襲い、喰らうようになってしまった」


 少年は振り返り、怪物と対峙した。

 月の明かりを背負った青い怪物。

 その赤い瞳は、どこか苦しそうに見える。


「ここで今後も数百年。愛する家族達を力で縛り、苦しめ続け、いつかは人としての型も理性も失った怪物を生み出し、罪のない者にその罪を償わせる。お前は、それでいいのか? こいつだって、こんな未来は……最期は望んでいなかったはずだ」


「その鹿族の男は四年前、手足を失った君を庇い、君の命だけはと私に懇願していたね。だから私は、一人くらい君自身にケジメを付けさせてあげようと見逃した訳だけど……」


 玉座の背後から歩み出た白狼は、腰の愛刀に手を添え、青い悪魔に狂気を孕んだ瞳を向けた。


「あの時、斬るべきだった」


「……いくぞ、ユキヒメ」


「うん」


「……ッ! 待ってくれっ!」


 吸血姫が伸ばした手は、手遅れだった。


 背を向けた黒衣の少年と絢爛な着物姿の白狼は、一切迷う事なく床を蹴ってしまう。


 凄まじい初速で駆け出した二人は、玉座の間へと入ってきた怪物に正面から挑んだ。


「気にせず斬れ、ユキヒメッ!」

【承認します】


 怪物が薙ぎ払った巨腕を得意の防壁魔法で受け、白髪の少年は叫んだ。


 そんな彼の脇を低い体勢で抜け、剣聖と呼ばれる白狼族の剣士は銀閃を迸らせる。


「桜月一刀流、七ノ型、四ノ型……合技」


 呟きを漏らした刹那、白狼は姿を消した。


 気付けば彼女は怪物と背中合わせの位置に立ち、ゆるりと歩いていた。

 腰の鞘に白刃を滑り、パチンと納まる音が響く。


「抜刀術––––神楽疾風」


 その刹那、青い怪物の巨木のような両手両足が、その付け根から先を同時に失った。

 



 






 あとがき



 久々の本気の戦闘シーン疲れた。




 


 


 






 

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