第137話 憎まれ役


「ふぅ……」


 手足を失って倒れ伏せた怪物を見下ろし、白髪の少年は深く息を吐いた。


「お疲れ、シーナくん」


「あぁ……ところで、何故わざわざ手足を奪った。必要以上に苦しめる必要もないだろう」


「ん? あー、それはね」


 ユキヒメが理由を告げようとした時、二人の耳に足音が響いた。

 二人同時に音を辿って見れば、玉座を飛び降りた金髪の吸血姫が必死な表情で駆けて来ている。


「ヴァン! やめろ……ッ! やめろぉ……ッ!」


 吸血姫は自身の右手の親指に牙を突き立てた。


 途端、傷口から大量の血が浮び上がり、幼い身体の倍はあるだろう巨大な鎌へと姿を変える。


「自分の血を武器に変換出来るのか」


 血を操る権能、未知の異能に少年は目を剥いた。


「やめろユキヒメ……っ! この小娘がぁああ!」


 白狼の剣聖に容赦なく振るわれた巨鎌は、しかしその首を捉える事は叶わなかった。


「えっ……?」


 驚愕した吸血姫は、自身の手元を確認する。

 気付けば、巨鎌は柄の半ばから切断されていた。

 先端部の真紅の刃は、足元の絨毯に落ちている。


「術士の君に私を斬れる道理はない」


 ユキヒメは、抜き身の太刀を手にしていた。

 その、いつの間に抜いたか分からない刀身を腰の鞘に納めながら、剣聖は続ける。


「下手な茶番だ。本気で止めるつもりがあるなら、君は得意の固有魔術を使うはずだからね」


「……っ! ぅ……うぅ……うぅ……ッ!」


 指摘を受け、吸血姫は下唇を噛んで崩れ落ちた。

 幼く可憐な容姿を持つ少女が肩を振るわせ、涙を堪える様は中々に痛々しい。


「何故泣くのカナ? 泣けば誰かが助けてくれる。それが許されるのは弱者だけだろう?」


「どうやら、お前の見込み違いだったらしい」


 しかし、感情と倫理。人という存在の形成に必要不可欠な要素を欠落した二人は一切顔色を変えず、平然とした表情で吸血姫を見下ろしていた。


「とても共には戦えそうにない。足手纏いを連れて行く余裕は、俺にはない」


「意外だな。そんな冷たい事を言うなんて」


「そっちの化け物、さっさとトドメを刺してやれ」


 両の手足を失った怪物を冷めた目で見下ろして、少年は抑揚のない声で淡々と告げた。


 吸血姫は勢い良く顔を上げ、キッと少年を睨む。


「ヴァンは化け物ではない! 化け物などでは……化け物と、呼ぶなぁ……っ」


 これまで見た中で屈指の美少女から、涙ながらに懇願されても、少年の表情は僅かも動かない。


 冷たく、何を考えているか分からない。


「発言を取り消すに足る理由がない」


「……っ」


「やれ、ユキヒメ」


 その無表情に吸血姫は恐怖すら覚えた。

 故に何も言えず、黙り込む。


「……はぁ」


 そんな両者を交互に見たユキヒメは溜息を吐き、腰の太刀を静かに抜き放つ。


「いいのかい? アリステラ」


 吸血姫は剣聖が右手に携えた白刃を見た。

 見るだけで……ゾッと背筋が凍る。

 そんな錯覚を覚える雰囲気を纏っている。

 とても人の知る製法で生まれた太刀ではない。

 

「この刀は絶命させた者の魂を喰らい、糧とする。喰らわれた魂は消滅し、二度と輪廻の輪に戻る事は出来ないんだ」


「ちょっと待て。初耳なんだが?」


 過去、三度の交戦。その容赦ない太刀筋を思い出し、少年は尋ねた。 

 しかし当然、清々しい程に無視されてしまう。


「……そんなもので、ヴァンを斬らせるものか」


「なら、また私に挑んでみるかい?」


 挑発するように告げる剣聖を見上げた吸血姫は、キッと彼女を鋭く睨んだ。


「うるさい……」


 吸血姫は、ゆらりと立ち上がった。

 四肢を失った醜い怪物に歩み寄る、そんな彼女の歩みを二人は黙して見つめた。

 

「ヴァン……」


 立ち止まり、足元の怪物を見下ろす吸血姫。

 その小さく華奢な肩、握った拳は震えていた。


「…………」


 そんな吸血姫の姿に、白髪の少年は幻視を見た。


 真紅の宝剣を携えた白髪の男が、煌びやかな鎧と華やかな容姿の銀髪の女を見下ろしている。


 交錯する金色の瞳と宝石のような碧眼。

 そのどちらもが、冷たく暗い殺意を宿していた。


(大丈夫だ。俺は斬れる)


 少年は静かに瞼を閉じ、颯爽と踵を返した。 


「見届けなくて良いの?」


「必要ないだろう」


 戦闘中に手放した剣を拾い上げ、鞘に納める。


「俺達の役目は終わった」


 静かに言い残して、

 少年は一度も振り返る事なく玉座の間を去った。


「……なるほどね」


 少年の背を見送った白狼は呟き、改めて吸血姫に興味を戻す。

 怪物の傍に蹲る小さな背を見て、静かに歩み寄り少女の隣に立ったユキヒメは、足元を見下ろした。


「ヴァン……すまない……すまない……」


 変異した身体を持つ吸血鬼とは言え、失った手足から流れた相当な出血量が堪えたのか、瞼を閉じて浅い息を繰り返している。


 吸血姫は、そんな怪物に謝罪を繰り返していた。


(早く楽にしてあげるべきだろうに)


 吸血姫の心境は理解出来るが、呆れてしまう。

 と、ユキヒメが肩を竦めた瞬間……怪物の瞼が、ゆっくりと開いた。


「……っ! ヴァン……っ!」


(……自らの死を悟ったか?」


 途端、二人は驚く。

 怪物の瞳には先程までの獰猛さがなかったのだ。


「ヴァン……ッ! 分かるか? 私だ……っ!」


「ヒメ……ヒメサ……ヒメサ……マ……」


「……っ! ああ、私だ……アリスだぞ……!」


(やはり、まだ完全に自我を失ってなかったか)


 ユキヒメは現状を冷静に分析する。

 主人を認識している事は、元々分かっていた。

 吸血鬼の証である赤い瞳は理性的で、優しい。

 だからこそ、吸血姫は……アリステラは信じて、待つ事を選んでしまったのだろう。


「大丈夫だ、私はここに居る。ここに居るからな」


 いつか、元の関係に戻れる事を夢見て。

 

(……仕方ない。恨まれるだろうが、私が斬るしかなさそうだ)


 この期に及んで、アリステラは甘い言葉を吐く。

 途端に見限り、ユキヒメは妖刀に手を掛けた。


 その時だった。


「……ケ……ケン、セイ……ユ……ヒメ……」


 怪物の瞳が、ユキヒメに向けられた。

 優しい印象を抱く、理性的な瞳が。


「アリ……ガトウ……」


 怪物の醜い顎門が紡いだ言葉は、感謝だった。

 途端、ユキヒメは絶句し……下唇を噛む。


(いけない……このまま逝かせてはいけない)


 このままではいけないと、そう強く想った。


「アリステラッ!」


 怒声が響き、吸血姫はビクリと跳ねた。

 アリステラが振り返ると、そこには感情を剥いた憎き剣聖の姿があった。


 常に冷静沈着、冷徹無比、唯我独尊。

 そう思っていた生意気な小娘。


 ユキヒメが初めて憤怒の感情を露わにしていた。


「いい加減にしなよ! このまま逝かせる気!? 言っておくけど、今更治療するのは許さないよ!」


「っ! だ、だが……このままじゃ、ヴァンが……その刀で斬られたまま、終わらせるなんて……っ」


「だから、君の手で心臓を貫けばいいんだよっ! 今の言葉を聞いただろ、彼は終わりたがってる! なら終わらせてあげるのが、君の役目のはずだ!」


 怒鳴られた吸血姫は俯き、黙り込んだ。

 剣聖は、そんな彼女の襟首を掴んで持ち上げる。


「見ろ、君が縛った結果がこれだ。もうやめなよ。縛るのも……縛られるのも……っ!」


 二人のやり取りを、ジッと見ていた怪物の瞼が、静かに落ちていく。


 もう僅かな時間が惜しい事は明白だった。


「人は自由だ! 君も、ヴァン・レスハーレも! 君は間違ったんだよ、アリステラッ!」

 

 誰よりも自由な剣聖は叫ぶ。 

 己が欲望の為、自身すら縛った。

 そんな……悲しい怪物達に。








 

 夜風が吹き荒ぶ中、古城の屋根上に佇む人の陰があった。


 それは丈の長い黒衣を身に纏った白髪の少年だ。

 彼は満月の浮かぶ空を見上げ、物思いに耽っているようだった。

 

「……いた」


 そんな少年の背に、幼い金髪の少女が現れた。


 振り返った少年は、夜闇の中で金色の瞳を輝かせ少女を見つめる。


「終わったのか」


「……あぁ」


 少女の頬は血で汚れていた。

 証明の為に拭わず来たのだろうと少年は考えた。


「そうか。俺に何の用だ」


「……礼を言いに来た」


「不要だ。俺は、俺がやるべきと思った事をした。アンタに礼を言われる筋合いはない」


「いや……私だけでは責任を果たせなかった。君とユキヒメのお陰だ。ヴァンも最期に言っていたよ。ありがとう……と」


 少年は背を向け、満月を見上げた。


「あんたがすべき事は、俺に礼を言う事じゃない。あんたの誤ちの代償を払わされた被害者達に償い、その罪を生涯忘れない事だ。人は必ず過ちを犯す。そう出来ているのだと、俺の母は言っていた」


「……わかっている。大切なのは、その後なのだ。私は過ちを犯した。家族を、失いたくなかった」


「俺がアンタでも、同じ過ちを犯しただろう」


 まさか理解を示してくれるとは思わなかった。

 ならば、先程までの言動は何だったのか。

 

「……憎まれ役を買ってくれたのか」


「俺の時も背を押してくれた人が居た」


「十数年しか生きてない癖に、生意気な」


「そいつに倣ったせいだろうな」


 少年は再度振り向き、吸血姫と正対した。

 やはり能面のような表情だ。眉一つ動かない。

 妖しい光を宿す金の瞳は、やはりゾッとするほど不気味だった。


「君は、なにを見てきた?」


 吸血姫が震えた声で紡いだ問い。

 すると少年は、やっと僅かに微笑んだように見えた。


「人の欲には際限がない。愚かで、短慮で、醜い。己が欲の為に他者を平気で貶め、辱め、糧とする。戦う力を持たなければ奪われ、知識がなければ利用され、意思がなければ、舞台にすら上がれない」


「……なにが言いたいのだ?」


「俺が見て、抗ってきた。人という怪物の話だ」


 淡々と言って、少年は歩み出した。

 近付いてくる姿に、吸血姫は思わず身構える。


「吸血鬼、アンタは舞台に上がる覚悟があるかよ」


 少年が足を止めたのは、吸血姫の眼前。

 彼が腰に吊るした剣の間合い、その僅か外だ。


「……………」


「このまま、この城に残りたいなら止めはしない。だが、アンタは筋金入りの世間知らずらしいから、一つ若輩者からアドバイスしてやる」

 

「小僧が……偉そうに」


「まぁ聞けよ」


 少年はわざとらしく肩を竦めて見せ、続けた。


「先達者は、いつか必ず居なくなる。産んでくれた親も敬愛する師も、いつまでも守ってはくれない。どんなに心地良い居場所があって、それを維持する為の努力を続けても永遠はない……絶対に」


「……孤独になった私を侮辱しているのか?」


「孤独? 馬鹿言え。それは、今後次第だろう」


 少年は右手を差し出して来た。

 吸血姫は差し出された掌を見て、視線を上げる。


「……っ」


 少年と見つめ合い、すぐに吸血姫は気付く。

 金色の瞳の奥に広がっていた闇は消えていた。


「俺達は他人だ。だが、手を取り合う事は出来る。寂しい時は寄り添う事だって出来る。親元を離れた大人同士だからこそ、広い世界のどこへも行ける。そんな俺達だからこそ、築ける関係だってある」


「……私に、共に来いと?」


「勿論、強制はしないさ。だが、試してみないか。グリムリーゼ。こんな古い城に縛られ続けるだけが人生じゃないはずだ。同じ目線で同じ景色を見れる俺達と、外に出て見ないか?」


 吸血姫は少年の手を見つめ、逡巡した後。


「私は君を知らない。ユキヒメの事も……この数年ずっと恨み、憎んできた。千年以上も生きていて、外の世界を碌に知らない。頼れる人脈も……」


 吸血姫が黙り込んでしまってから、数秒後。

 少年は頰を掻き、呆れたような表情で言った。


「少し前まで、俺は冒険者をしていた」


「はぁ……冒険者?」


「そうだ。日銭を稼ぐ為に依頼を受け、富と名声の為なら、どんな危険な仕事もする……何でも屋だ」


「……傭兵のようなものか」


「大差ないだろうな。グリムリーゼ、人間は徒党を組む生き物だ。その日、初めて顔を合わせた相手に自分の背と命を預けるなんて珍しくもない」


 少年は差し出していた掌を軽く握り、続けた。


「どうだ。短ければ数日、長くても数十年程度だ。それに、ここに残っても俺達が敗れれば、この世界の人間はいずれ、この城を見つけてしまうだろう」


 少年の言葉を聞き、吸血姫の脳裏に先程の戦闘で見た光景が蘇った。


 この少年は赤竜の血を飲んだだけの常人。

 憎き剣聖は、そう告げていたはずなのに……


(剣聖、賢者、弓帝……そして勇者か。この世界で英雄と呼ばれる人間達は、とても侮れそうにない)


 下唇を噛み、それでも吸血姫は気丈な態度で少年を睨んだ。


「この私を脅すつもりか? 少年」


「なら、試してみるか? お姫様」

 

 少年の左手が剣の鞘を掴んだ。

 途端、その瞳の奥に闇が広がる。


「……っ」


 穏やかだった表情は嘘のように消え、暗く冷たい雰囲気が正面から叩き付けられる。


(どうする……近い……っ! 勝てない……っ!)


 先程の戦闘を見てしまった今なら、分かる。

 純血の吸血鬼なのに……相手は下等種族なのに。

 無様に負ける未来が容易に見えてしまう。


「冗談だ」


 剣の鞘から手を離して、少年は歩き出した。


「……っ!」


 近づいて来る少年に対し、吸血姫は身構える。


「えっ……」


 しかし少年は、吸血姫の傍を無言で通り過ぎた。


「あれ……おい……っ!」


 そのまま立ち去ろうとする背中に呼び掛けるが、少年は足を止めずに石造りの階段へ辿り着く。


(馬鹿にしているのか?)


 そう感じ、憤った吸血姫は、正気を感じない程に白い頰を紅潮させて怒鳴った。


「いいのかっ! 私の力が必要なんだろっ!?」


「言ったはずだ」


 既に三段、階段を降りていた少年は立ち止まる。

 

「いくら優れていても、意思のない者は必要ない」


 やはり、振り向きもせずに言い残して。

 黒衣を纏う少年は、夜闇の中に消えて行く……


「……っ! ま、待て!」


 階段に駆け寄った吸血姫は最上段で立ち止まる。


「一晩、今晩だけでいい! 考える時間をくれ!」


 吸血姫は叫ぶが、少年は歩みを止めなかった。






 「……あちゃー、だめだったかな?」


 苦笑して、ユキヒメは物見塔から飛び降りた。

 

 

 






 身を清めて着替え、簡易な食事を済ませた俺は、昨晩に眠った部屋で夜を明かす事にした。


「一晩時間をくれ、かぁ……」


 暫くして訪ねて来たユキヒメに、剣を磨くついでにグリムリーゼと話した内容を伝える。


「彼女にとって俺達は、最低限の礼儀も弁えてない生意気な子供だ。良い返事は期待してない」


「そこは君が頑張るところだったんじゃない?」


「お前の方が歳上だろ」


「私? あはは⭐︎ わかってるくせにぃ♪」


 どうやら俺達に、まともな交渉は不可能らしい。


 丁寧な言葉遣いくらいは意識出来るが、こちらの言葉に翻訳された際、どう聞こえているか。

 そもそも、俺は元々の学が全く足りていない。

 不思議な力に甘えてないで、勉強しなければ。

 そう思いつつ手入れを済ませた剣を鞘に納める。


「朝になったら、昨日行った街に行こう。どこかの誰かさんが俺の通信機を派手に壊してくれたから、連絡手段を確保したい」


「通信機? なにそれ?」


「離れていても会話が出来る代物だ」


「へぇ、凄いね。そんなカラクリ持ってたんだ? なんで壊れたの?」


 コイツ、自分で踏み潰した癖に忘れてやがる。

 尤も、あの時。ユキヒメは正気じゃなかった。

 今更叱る訳にもいかない。


「戦闘中にな。修復は無理そうだ」


「そっか。でも朝かぁ……アリステラ大丈夫かな」


「吸血鬼は夜しか行動出来ないのか?」


「純血の彼女は大丈夫だったはずだよ」


「純血は? 混血は駄目なのか」


「所詮、紛い物だからね。日の光を浴びると灰になって死ぬらしいよ」


「それでよく1400年も生き永らえたな……」


 日光を浴びたら致命傷とか、なんだそれ。

 幾ら寿命が伸びると言っても絶対なりたくない。


「どんな力にも代償が伴うものだ。君も私も平穏な人生は望めないし、傍に置ける人間も限られてる。多少才能に恵まれた程度じゃ友人にすら出来ない」


 お前と一緒にするな、そう言いかけて気付く。

 ユキヒメは、諦めろと言っているのだ。

 これに関しては、しっかり否定しなければ。


「そんな事はない」


「おや? ……何故そう言い切れるのかな?」


「力は、振るう理由が無ければ必要ない」


 守りたい場所がある、目指したい夢がある。

 その全てが、女神に仕組まれた幻想だとしても、俺は構わない。


「諦める為に命を張る間抜けはいない」


「……チッ。そっか、そうだね」


 ん?

 今、コイツ舌打ちしなかったか?


「じゃ、私も遠慮しない事にしようかな」


 らしくないな、と思った途端、ユキヒメは俺の首に腕を回して抱き付いてきた。


「おい、なにを……」


「ん……っ」


 気付けば、ユキヒメの顔が間近にあった。

 唇に柔らかい感触、熱い吐息に撫でられる。


「ん……はぁ……ん……んぅ」


 何度も何度も、息継ぎをしながら重ねてくる。

 そんな彼女の表情は熱に浮かされているようで、俺は必然と彼女の想いに気付いた。


「はぁ……お前、まさか嫉妬してるなんて言わないよな?」


「……悪いかな?」


「……らしくは、ないだろ」


「らしい? 私らしいって、なに?」


「お前は、俺を揶揄ってるだけだろう?」


「私、結構本気だよ?」


 真剣な表情、真っ直ぐに見つめてくる瞳。

 細い腰を抱き寄せると、華奢な身体が熱を帯びている事に気付く。


「あ……っ」


「なんだよ」


「ねぇ……あの娘、助けるの諦めてよ」


「……なにが気に入らない?」


「だって、不平等だもん。嫉妬するなって言う方が無理だと思わない?」


 じっと見つめられたまま言われて、俺は……


 罪悪感を覚えながらも、割り切る事にした。


「狂犬の癖に、案外乙女なんだな」


「そうだよ? ……悪い?」


「……なんで俺だ? 物好きにも程があるぞ」


「そうかな? 少なくとも私は、君と一緒に居れば退屈せずに済みそうだと確信してるよ」


 俺をじっと見つめ、ユキヒメは微笑んだ。


 悔しいが、近くで見ても凄い美人だな。

 剣聖は綺麗な女性しか得られない称号なのか?


「ペロ……ちゅ……」


「……おい」


「ね? ベッドいこ? 連れてってよ」


 俺の頬を舐め、ユキヒメは甘えた声を発した。

 ほんのりと朱に染まった顔を見て、俺は察した。


「先に寝てろよ」


「寝ないよ。わかるでしょ?」


 もしかして、ユキヒメも俺と同じか?

 血を見るような戦闘した後は、人肌が恋しくなる気持ちは理解出来る。出来るが……


「まだ装備品の点検が終わってない」


「やだ。行こ?」


「だから……」


「君が面倒見るって言ったんだよ?」


 ユキヒメは俺の胸に甘えるように頬擦りした。 

 甘い匂いが鼻孔を突く。


 こいつ……色気付きやがって。


 狂犬は狂犬らしく、獣臭を漂わせててくれよ。


「まだ私、君の意思を見せて貰ってない。それとも口だけ? まさか、この私を謀ろうとしてる?」


 下から、じっと見つめてくる瞳が暗く濁った。


 背筋に悪寒を感じた俺は、細く長く呼気を吐き、ユキヒメの頭を優しく撫でてやる。


「……そんな怖い顔をするな。頼むから」


「今夜は他の娘の名を口にしたら許さないからね」


 こいつまさか、ミーアとして一夜を過ごした事、実は不満だったのか?


「幻術で誤認させたのは、お前だろうが」


「あの娘には、あんな情熱的にいつもしてあげてるんでしょ? 凄く良かったし……ズルい」


「俺にとっては唯一の嫁なんだ。普通だろ」


「唯一? 違うよね? 私とも家族になるって言ったよね?」


 俺は一言も言ってないし、許可した覚えもない。

 だが、否定すれば手が付けられなくなりそうだしなぁ。


「……わかったよ」


 俺はユキヒメを抱き抱えて立ち上がった。 

 背が俺より僅かに高い彼女は、驚くほどに軽い。

 

「あっ……♡ ふふっ♪ 楽しもうね? かぷ♡」


 俺の首に腕を回して抱き着いてきた彼女は、俺の首筋に顔を寄せ……甘噛みして来た。


「っ……たく」


 どうして、こうなったのだろうか?

 母さん。もし貴女が本当に未来を見る異能を持っていたのだとしたら。


 赤い魔人、メルティアのことばかりじゃなくて。

 この狂犬についても警告して欲しかったよ。






 

 暗く、静かな謁見の間の玉座に座し、虚空を見つめていた吸血姫は、ふと穴の開いた壁に視線を向けた。

 夜風に顔を撫でられ、目を細める。途端、アリステラは幻視を見た。

 もう、何十年になるだろうか。在りし日、まだ両親が健在で、数百の眷属達も存命だった頃。

 賑わっていた城の中は、外に憧れる必要もない程に居心地が良かった。

 外の世界で、吸血鬼がどう認知されているのかは知っている。


 化け物。

 只人の小僧に吐きかけられた呼称が、胸を痛いほどに締め付ける。


(だめだ……外は、怖い)


 その中でも純血で、特異な権能を持つ自分が外に出て、他者にどんな目を向けられるのか。想像は難くない。

 怖い。それが、吸血姫の素直な感情だった。


(だが、このままなのは……このまま、ずっと一人なのは)


 小さな自身の身体を丸め、肩を抱く。

 気を抜けば、孤独感に押し潰されそうだった。


「どうすれば……私は、どうすればいい?」


 そうして暫く一人震えていた彼女は、最後に残っていた忠臣が果てた場所。

 その拭い切れなかった血痕を見て呟く。


「駄目だ……ここに居ては、だめだ……」


 寒く、静かで、広い。

 この空間は、楽しい思い出と悲しい記憶が多過ぎた。


 意を決し、アリステラは泣きそうな顔で立ち上がった。

 

 

 


 目的も無く、城内の散策を始めたアリステラは、二階の貴賓用の客間に二人の気配を感じた。


(奴等め、わが城で一番の客室を……)


 特に部屋を指定した訳ではない筈だが、城の中で一番良い客室を勝手に使っているようだ。


 数年は掃除もしていないので埃まみれだろうが、無性に腹が立った。


「……ひとこと、文句でも言ってやるか」


 そう呟くと、足が自然と動いた。

 昼行性の人種は寝ていても不思議ではない時間だが、知った事ではない。

 階段を登り、二階に到着したアリステラは、なにやら人の話し声のようなものが聞こえる事に気づいた。


「む……?」


 並ぶ部屋の扉は一つも開いておらず、明かりも漏れていない。

 通常の人種ならば、幾ら聴覚が優れていても聞こえない程の声量だ。

 しかし、吸血姫の耳に確かに届いたそれは、知らない女の声に聞こえた。


「あぁ……んんっ……あっ♡ あっ♡」


 アリステラは声のする部屋の前に向かい、歩む最中で気づいた。

 その知らないはずの女の声は、知った女の鳴き声なのだと。


(なんだ? あいつら、なにをしているのだ?)


 興味本位で気配のある客室の前に立った吸血姫。

 一千年以上の時を生き、その殆どをこの城の中で過ごして来た彼女は、その幼い容姿のまま純真無垢だった。

 故に吸血姫は一切の悪気なく真紅の瞳を輝かせ、扉を透視して室内を見渡した。


「ん……ぁ♡ ほんと、おっき……♡ んぁ♡」


「……相性が良いってのは、本当らしいな」


「んひっ♡ でしょ? 気に入った? あぅっ!」


「……ここか」


「あぉっ! おんっ♡ ま、まっへぇぇ! おっ♡ と、とぶ……そこ、ばっかしちゃだ……あぁっ!」


 広い室内の隅、天蓋付きの寝台の上に少年の姿はあった。


(む……着替え中だったか? 悪い事をしたな)


 一枚の衣服も纏わず、少年は寝台の上で膝立ちになっている。その肌色の背と前後に揺れる臀部を扉越しに見て、アリステラは透視した事を後悔した。


 同時、疑問に思った。


 パンパンと響く音と連動して鳴り響く、憎き白狼の甘美で、悲鳴のような鳴き声に。


 そして、吸血姫は気付いた。

 少年の背の先に、左右に揺れる白い尻尾がある。


「あぁっ! あっ! あっ! あっ! あぅっ!」


「……っ! こいつら、まさか……っ!」


 声の主が、寝台の上で四つん這いになっていると知った途端、アリステラは気付いてしまった。


 二人が一体、何をしているのか。


(人の城で、それも……こんな日に。勝手に客室を使って盛るとは……コイツらっ!)


 流石に知識はあった吸血姫は眼前の光景に憤る。

 

 育ての親同然だった忠臣を失ったばかり。

 そんな日に……と、怒り狂ったのは一瞬だった。


(しかし……そんなに良いものなのか?)


 怒りよりも罪悪感と興味に負けたアリステラは、黙したまま透視を続けた。

 そうしていると、次第に身体が火照り息が荒れ、下腹部に妙な切なさを覚える。

 と、一千年以上も生きた吸血姫が、初めて自身の身体が訴える異変に困惑していると。


「おい……お前……キツ過ぎだ……っ」


「あっ……♡ はぁ……はぁ……もう、我慢出来なかったんだぁ? そんなよかった?」


「……悪い」


「え? なにが?」


「……いや。そうだな、少し休憩しよう」


 透視中の扉の向こうで、全裸の二人は絡れるように寝台に倒れ込んだ。

 

「ひひっ……ありがとね」


「……なんだよ、気味が悪いぞ」


「あ、ひどいなぁ♡ ……ほんとに感謝してるよ? だって、これで私にも他者に誇れる理由が出来た」


 ユキヒメは少年の頭を抱え、胸に抱き抱えた。


「竜の力なんてなくても、今後は私が君を守るよ。同志で仲間。そして、これからは家族としてね」


「……まぁ、頼りにしている」

 

 二人のそんなやりとりを耳にして、アリステラは壁に背を預け、ゆっくりと一息吐いた。


(仲間、家族か……)


 つい最近、全てを失ったばかりの吸血姫は、胸を締め付けられるような喪失感に苛まれた。


 思わず、キュッと胸元で拳を握ってしまう。


「だけどね。このまま赤竜姫と契る事を拒み続け、現状維持を貫き続ける。そのつもりなのであれば、やっぱり私だけでは心許ないね。ちゃんと三人目、アリステラの事も考えて欲しいな?」


(え……? 私? 一体、どういう事だ?)


 そんな彼女は不意に己が名が会話の中に出た事を疑問に思った。


 赤竜姫の竜装に選ばれるという栄誉を得て、尚も人で在り続けようとする少年。


 たった百年も満足に生きられない、脆弱で下等な種族に固執する理由は理解出来ないが、その選択と自分に何の関係があるのだろう?

 

「……考えろと言われても、そんなつもりはない。もし明日以降、同行してくれるのなら、よき友人。よき理解者、背を預ける味方になって貰えるように努力はする」


「甘いね。ダメだよ、それじゃ」


 猫撫で声を発していたユキヒメは、一瞬で真顔になると少年の考えを冷めた声音で否定した。


「私達は戦争をしようとしてるんだよ。それも私は兎も角、アリステラは生まれながらの強者なんだ。彼女には純血の吸血鬼であるという矜持も、劣等種である人間に敗北する訳がないという驕りもある。確かに彼女の持つ固有魔術と、長い時の中で蓄えた知識は強大だ。だからこそ必要なんだよ。君に戦う理由があるように、私達にも揺るがない理由が」


「……理由か。それなら事欠かないだろ」


「どういう意味?」


「お前達は理不尽な侵攻を受け、略奪されている。己が身を守る為に抗う。これ以上ない程に真っ当で正当な理由が、お前達にはあるだろう」


「それは……」


「それに。少なくとも、グリムリーゼは既に二度、下等な人間に敗北している。一度目はお前、そして二度目は他でも無い。この世界の住人である俺だ。そんな俺達が口を揃えて諭せば、敵である勇者達がどれほど強大な脅威か理解させられるはずだろう。わざわざ……」


「……もう! それじゃつまらないでしょ!」


 突如言い放ったユキヒメの声に、少年と盗み聞きをしている吸血姫はビクッとした。


「アリステラは一千年以上も生きてる純血の吸血鬼なんだよ? 現存する竜族なんて比じゃない伝説級の存在なの! その癖、チビで怠惰で引き篭もりで非常識な娘だけど、一応お姫様なんだよ!?」


 暗い廊下に立つ吸血姫の心に、ユキヒメの言葉がグサグサと突き刺さる。


(非常識? 私が非常識……だと? お前にだけは言われなくないわっ!)


 今すぐ扉を蹴破ってやりたい衝動に駆られる。


「だからなんだ?」


「それにほら、君って可愛い娘が好きじゃない? 丁度、好みな感じでしょ? 幼くて」


「……は? 何故、そんな誤解を?」


「え? だって、ほら。君の嫁も赤竜姫も小さくて可愛い感じの娘だから」


「……違う。とにかく誤解だ。二度と言うなよ」


 イライラと聞いているうちに、話が読めてきた。

 やはり、この二人に同行するのは危険だ。

 どんな目に遭うかわかったものではない。


(去ってくれるまで、身を隠しておくか……)


 そう考え、踵を返そうとした時だった。


「とにかく君がなんと言おうと、私はアリステラを家族として迎えるつもりだよ。彼女の情愛の深さは君だって知っているはずだろ。堕としてしまえば、これ以上ない強力な味方を得る事が出来る」


「……堕とすって、お前な。そんな言い方は」


「堕とすんだよ? 一千年も雄を知らない初めてのお姫様には、コレは凶悪過ぎるだろうけどね♡」


「あっ! おい」


「ふふ……そろそろ休憩は良いよね?」


「……明日は早いんだ。もう寝ないか?」


「やぁだ♪」


 甘えた声が合図となって、室内からはまた嬌声が響き始めた。

 肌が触れ合い寝台が軋む音を耳にして、この城の現当主は肩を振るわせ、拳を固く握る。


(なんて身勝手な……! 私は、お前の思惑通りには絶対にならないぞ!)


 怒りのまま立ち去ろうと歩き出してから、数歩。


(しかし、なんて声だ。あのユキヒメが……とても同一人物とは思えん)


 背にした部屋から漏れ聞こえてくる雌の嬌声に、アリステラは思わず気になり足を止めてしまう。


(そんなに、いいもの……なのか?)


 考えれば、脳裏に一瞬。透視したばかりの光景が浮かんでしまう。

 寝台の上で白髪の少年と見つめ合うユキヒメは、幸せそうな表情をしていた。

 

(私も、あんな……情けない顔になるのか?)


 そう思えば自然と頰が熱くなり、妙な感覚が稲妻のように身体の芯を駆けて……。


(いや、違う! 私には生涯、縁のない事だ!)


 慌てて頭を振った吸血姫は、足早に立ち去った。

 







 翌朝。

 気怠い身体に鞭打って出発の準備を整えた俺は、ユキヒメと共に王城を出発した。

 城門を潜り、橋を渡る最中。隣を歩くユキヒメが俺の肩に顎を乗せてくる。


「ふぁ……ねむ……ねぇ。出発、明日にしない?」


「ダメだ。どうせ反省しないだろ、お前は」


「流石に今夜はちゃんと寝るよぉ……ふぁ……」


「……くぁ」


 寝惚け眼を擦るユキヒメを見ると、釣られて俺も欠伸をしてしまう。

 こいつのせいで、すっかり寝不足だ。道中は気が緩み過ぎないよう気を付けないと。

 しかし、やはり霧が濃いな。先が全く見えない。


「あ……待て、お前達……っ!」


 背後から声がして、足を止めて振り向く。

 そこには、人形のような少女が立っていた。


「おっ♪ アリステラッ! へへ……来たねぇ?」


「ユキヒメ」


「はーい」


 名を呼ぶと、ユキヒメは返事して口を閉ざした。

 代わりに左腕を抱かれ、擦り寄られる。


 ……意思疎通が楽になって、助かるなぁ。

 

 ビンタくらいで済んだり……しないよなぁ。


 怒り狂ったミーアの姿が脳裏を過ぎりつつ、俺は改めて眼前の吸血姫に意識を戻した。


 昨晩の衣服のまま、旅の荷物は持ってない。


「それで? わざわざ見送りに来たのか?」


 敢えて、冷たく言い放つ。

 するとグリムリーゼはスカートを強く握り、肩を振るわせた。

 

「……い、いく」


 ……ふーん?

 よく聞こえないなぁ。


「なんだ? もう一度言え」


「だっ……だから、私も……」


「聞こえない。どうした? はっきり喋れ」


 少し煽ってやると、吸血姫様は意を決したようにキッと俺を涙目で見上げ、睨んで来た。


 そんなに言い辛いか? 俺、なにかしたかな?


「だから、私も行くと言っているのだ! 荷造りをしてくるから、ここで少し待っていろっ!」


 と、怒鳴って。踵を返したグリムリーゼは、城へ走り去ってしまった。


 おかしいな……どうして怒ってるんだろう。

 全く身に覚えがない。


「くふふ……っ! ひひっ……! あはははっ! あ、あの歳で……っ! ひひっ……っ! う、初心過ぎでしょ……ふふふっ! あ、あー……だめ! かっわいい……っ! お、おなかいたい……っ!」


「……なぁ。どうして俺は睨まれたんだ?」


「ひひひっ……さ、さぁね? なんでだろうねぇ♪ あはははっ!」


「笑ってないで説明してくれ……」


 どうやら、ユキヒメには心当たりがあるらしい。

 しかし、促しても説明してくれる事は無かった。


 曰く、


「アリステラはやっぱり筋金入りの世間知らずな、かっわいい〜お姫様ってコト♪ 頑張れ、男の子♪」


 だ、そうだ。

 いや……全く分からないんだが……?


 折角、強力な味方を手に入れたはずなのになぁ。

 残念ながら、暫く気苦労は耐え無さそうだ。


 





 












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剣聖に裏切られた幼馴染の旅路 冒険者になろう @tenka1717

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