第134話 勇者の尋問

 時は数日遡り、とある少年と魔人の剣聖の襲撃を受けた日の夜。


 恐らく直近に廃村になった様子の村を斥候隊から発見したと報告を受けた勇者率いる王国軍は、今宵の野営地をその廃村に決めて停泊していた。


「ふぅん? 意外と大人しいね」


「…………」


 勇者シスルは、騎士達が用意した彼専用の天幕で寝所に組み伏せた少女の頬を撫でる。


「綺麗な髪だね。君くらいの器量があれば、家柄の優れた男性を選び放題だったろう」


 癖のある自慢の髪を指で掬い上げられて、青年に組み伏せられている少女は嫌悪感に震えた。


「…………っ」


 奥歯を噛み締め、キッと頭上の青年の綺麗な顔を睨み付ける。

 女神に愛された青年は、成る程。確かに世の女性を狂わせるに足る魅力的な容貌と風格がある。


「いい目だ」


 少女の悔しげで反抗的な目付きに、青年は背筋をブルリと震わせた。


「僕に対し欠片も従順な態度を見せないどころか、そんな目を向ける女性は君が初めてだ。シーナくんに何を吹き込まれたか知らないけど、その生意気な態度は凄くいい。ふふ、彼に感謝だね」


「っ! こ、この……ッ! ……………ッ!」


 一瞬怒りに身を任せそうになったが、唇を噛んで押し黙る。


 そんな目尻に涙を浮かべるミーアを見下ろして、彼女の気丈な表情と悔しそうに揺らぐ瞳に満足した青年は、ふっと微かに笑みを溢した。


 青年はミーアの顎先をクイと持ち上げると、瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら口角を歪める。


「綺麗な花は幾らあっても良い。極上の美しさを放つ花も、そればかり愛でていれば飽きるからね」


「…………ッ!」


「君はね? 伝説の勇者に伝説の剣聖と同じように可愛がって貰えるんだ。光栄だろう?」


 顎先を持ち上げていた指先が、ミーアの膨らんだ胸部へと移動した。

 片手だけで器用にボタンが外され、はだけたシャツから年相応の小さな膨らみが露わになる。


「……い、いや……やめ……ッ!」


「お? ようやく僕と話す気になったかな?」


「……っ! …………ッ!」


 嬉しそうな表情で瞳を覗き込まれ、唇を切りそうになる程に強く噛んだミーアは顔を背けた。


 気丈な態度は健在だが、幼い身体は震えている。


 青年はまた、自分の背筋がゾクゾクと震えるのを感じた。


「そうかい。なら、話す気になるまで勝手に楽しませて貰うとしよう」


 その言葉は、ミーアに深い絶望感を与えた。


(いや……触らないで……っ! 穢さないでっ!)


 青年の逞しい手は、無遠慮にシャツの中へと潜り込んでくる。悔しい事に、長年厳しい鍛錬を積んできたと容易に想像出来る硬い手だ。


(私は既婚者なのに……っ! 全部全部、あの人に捧げているのに……っ!)


 それは、良く知る最愛の手と比較しても頼もしい男性の手で。


(助けてよ、シーナ……助けて……っ!!)


 有無を言わさず、無遠慮に。

 ミーアの薄い布地に覆われた女の部分を撫でて、ゆっくりと揉みしだいてくる。


「……ッ! あっ……あんっ……♡」


 身体から力が抜け、気付けば自分の声が鼓膜を叩いていた。

 慌てて両手で口を塞ぐが、手遅れだ。


「へぇ。少し揉んだだけなのに、イイ声で鳴くね。余程普段から彼に愛されているらしい」


 我慢出来ずに漏れた声を自認すると、途端に羞恥心に襲われ、情けない気持ちになってしまう。


 なにより、最愛の人以外の手で……そう考えると堪らなく悔しかった。


「今年で16歳だっけ? 久々に女性らしい感触を味わえたよ。知っての通り、ユキナは残念でね? 僕は普通に大きい方が好きだから嬉しいなぁ」


「あっ……やめ……あっ♡ や、やめて……♡」


 本格的に両手で両胸を揉みしだかれると、ミーアは襲って来る快楽に必死に抗う必要があった。


 旦那の好みで育てている最中だった胸部。

 すっかり快楽を覚えた自身の身体を恨む。

 この時ばかりは、最愛の夫も恨んだ。


「いい反応だ。さぁ、力を抜きなよ。楽しもう?」


 青年は手を休めないまま、自分の襟首を緩めるとミーアの首元に顔を埋めた。

 彼は少女の左耳の付け根にチュッと吸い付く。


「勿論、君の生涯は僕が保証してあげるからさ」


 他人の妻である生意気な歳下の少女に自分の証を刻み込む。

 そんな忌避されるべき不貞を働いても、誰にも咎められる事はない。

 寧ろ、勇者の血を後継する者が一人でも多く後世に残ると喜ばれる。

 青年の種を注がれる事は、貴族の女性にとって、これ以上ない程に名誉な事だと信じられている。


「い、いや……やめて……っ」


 だからこそ、この少女の反応は新鮮だった。


 弱みを見せまいと気丈に振る舞おうとしつつも、涙の浮かんだ悔しげな瞳と恐怖に震えた声。


 演技ではなく、本心からの拒絶。


 それは、退屈だった青年の心を震わせ、ゾクゾクとした快感を与えさせてくれる。


「強情だね。何が、そんなに気に入らないのさ?」


「わ、私が怪しいなら殺せば良いでしょっ? 私は死人よ。貴方達に殺された死人なのよ……っ! い、いまさら……怖くなんて……っ!」


「死人? 馬鹿だなぁ。君は生きているだろう?」


 少女の顎を持ち上げ、青年は微笑む。


「生きている以上、聡明な君には分かるはずだよ。ここで僕を拒絶すれば、どうなるか……ね?」


 青年の清涼な声音に、ミーアはゾッとした。

 彼女の脳裏に、両親と兄、姉の顔が浮かぶ。


 そして、辺境の村に派遣された騎士団。

 最優と呼ばれた騎士の顔と、その最期の瞬間が。


「……っ! や、やれるものなら、やってみなさいよっ! ホント最低……! この、クソ勇者ッ! 女神エリナ様も大した神じゃないらしいわねっ! あんたみたいな猿を勇者にするなんて! シーナの言った通り……低俗な女神だわ!!」


 ミーアは蔑んだ瞳を青年に向けた。


 しかし、やはり青年には逆効果だ。


 背筋と下腹部にゾクゾクと快感を覚えた青年は、にやりと端正な顔を歪める。


「君は今、自分がなにを口走ったか理解しているのかな?」


「……っ! な、何度でも言ってやるわ! あんたも、あんたなんかを勇者に選んだ女神エリナも大したことないって言ってんのよっ! 都合が悪ければ守るべき民を殺す! 気に入らなければ権威を振り翳して貶める! ほんと、さいってーっ!!」


 つい先程まで泣きそうだった少女は、涙を溜めた鋭い瞳で青年を射抜く。


 対し、その気丈な姿に青年は自らの股間に急激に血が集まるのを感じて、ぶるりと震えた。


 この少女を力尽くで手籠にするのは、さぞ気持ちが良いだろう。

 己が無力さを思い知らせて屈服させ、従順になった姿をあの少年に見せ付けてやれば……?


 今度こそ、あの少年は……あの冷めた瞳を自分に向けてくれるだろうか?


 端正な顔の歪んだ笑みが、自然と深まった。


(でも……この娘の言葉には実際に見てきた重みがある)


 しかし、己が欲に容易に従う程、青年は愚かではない。

 

(力で押さえ付けるだけじゃ、この娘は折れない。君なりに反省を活かしたようだね、シーナくん?)


 ただ力を得ただけの村娘とは違い、教養があり、芯のある少女。

 容姿の華やかさはユキナに劣るが、自分の妻の幼馴染くんは無知なりに反省を活かしたようだと嬉しくなる。

 

 そんな彼と同じ闇を見て、側に居る事を選んだ。

 シスルは、そんな組み伏せた少女の頬を優しく撫でる。


「まぁ良いだろう。君が、そんな悲しい誤解をしてしまったのも無理はない。彼が幼女の頃から幼馴染であるユキナと婚約していた事も、剣聖になったユキナが僕の婚約者となった事も、彼の故郷が悪意によって罪を問われ、弁明の余地もなく粛清された事も事実だからね」


「……っ。なにが誤解なのよっ! 離してっ!!」


「誤解さ。僕は一度も、今の状況になるように指示した事も、望んだ事すら無い」


「この後に及んで、そんな嘘まで吐くのね……! ホント、最低の男だわ!」


 シスルは、背筋にゾクゾクと走る被虐的な快楽を楽しみながら続ける。


「嘘なんかじゃないさ。では、逆に考えてみなよ。あの村に実際に訪れた君なら理解出来るだろう? あんな辺境の貧しい農村に、剣聖になったユキナを導き、共に在れる資格を持つ者が居たかい?」


 シスルの問いに、ミーアは思い出した。


 夫の生まれ育った辺境の村に住む者達。


 彼等は、優しく自分を迎え入れてはくれたが……結局は最低限の教養すら持たない平民だった。


 単身で最優の率いる騎士隊に立ち向かう。

 本来なら身を賭してでも守るべき少年に、大人達は制止の言葉を投げ掛けながら、己が保身の事ばかり考えているような愚か者達だった。


 その程度の矜持も誇りも持ってはいなかった。


「君が何を感じたのかは知らない。否定するつもりもない。囚われた君が彼に窮地を救われたのは事実だからね?」


 口元を綻ばせ、青年はミーアの頰を撫でた。


「けど忘れてはいけない。彼は所詮平民、なんの後ろ盾もない若者だ。偶然、女神エリナ様に他者より少し特別な力を授かっただけ。最近まで認知されていなかった原典オリジナルの所有者。そんな彼と僕、どちらがユキナに相応しく、平和になった後の世で彼女を幸せに出来るのか。考えなくても分かるだろう?」


「…………」


「人には身の程というものがある。君は次女とは言っても純血の貴族で、希少な祝福持ちだ。彼にとって君も本来、決して手の届かない高嶺の花なんだよ?」


 青年の言葉が、楔のようにミーアの心に突き刺さる。

 以前の自分も、シスルと同じだったから。


 自ら背を向けた癖に、自分は貴族の子女で希少な祝福を与えられた天才だと信じて疑わなかった。


 同じ人間でも格が違う。そう彼を見下していた。


 そんな過去があるからこそ……ミーアは憐れむ。


「可哀想な人、なにも知らないのね」


 世界最強と呼ばれる勇者も、所詮は女神に異能を与えられただけの傀儡。


 その能力は強力だが、それだけだ。

 他でもない女神エリナにとって、特別ではない。


 唯一の特別に選ばれ、足掻こうとしている少年。

 今は彼の方が先に居るのだと、確信して。




 

 賢者ルナは、弓帝ルキアを伴って野営地の本部を訪れた。

 他の天幕に比べ大きく立派な天幕は、要件や会議がある場合を除き、勇者を筆頭とした四人以外の立ち入りを禁じてある。

 その入り口には、見慣れた銀髪の少女が膝を抱えて座り込んでいた。

 昼間の戦闘で青白い稲妻を受け、意識不明の重体に陥っていたはずの剣聖。

 その姿を視認し、思わず顔を見合わせた二人は、躊躇せずに近付いた。


「ユキナ? 貴女、もう起きてたの?」


「こんな所で何をしているのかしら?」


 天幕の前で立ち止まり、ルナは尋ねた。

 すると、ユキナは顔を上げて……にへらと笑う。


「あはは……二人共、何の用かなぁ? 今は中には入っちゃダメだよ? シスル様の命令だからね?」


 気味の悪い薄ら笑いに、二人は察した。

 天幕の中で今、なにが行われているのかを。


「……私達は、ミーアを探している。日中に襲撃を受けて以来、彼女の姿が見えない」


「……あの娘なら、さっきまでシスル様の手伝いをしてたよ? 今は分からないなぁ」


 ルキアの問いに、ユキナは惚けた返答をする。


「惚けないで。ここに居るんでしょう?」


 鋭い目付きでルナに睨まれ、ユキナは顔を伏せた。

 膝を抱えた華奢な身体がプルプルと震える。


「あの娘は、何の苦労もしてない癖に、私の欲しかった場所を奪った……卑怯だよね? 狡いよね? でも、そんなの許されるわけないよね? だって、あの娘も女神様から祝福を与えられてるもんね? なら、今からでも頑張るべきだよね? 私達と一緒に魔人と戦うべきだよね? あは……はははっ」


 顔を伏せた国内屈指の美女と謳われる少女。


 その鈴を転がしたような清涼な声が孕む狂気は、二人をゾッとさせるに足るものだった。


 ゆっくりと顔を上げたユキナは、闇を灯した瞳で二人を見つめて……嗤った。


「私ね? 一番頑張ってるのに、ずっと三番だったんだよ? 私が、平民だったから。今は、二人より地位の高い侯爵家の娘なのにね……でも最近、一番にして貰ったんだぁ……♡ シスル様が私の事、正妻にしてくれるって言ってくれたんだよ?」


「……そう。それは、良かったわね?」


 うっとりと幸せそうな表情で、ユキナは語る。

 しかし、その瞳は暗いままだ。

 恐怖すら感じる表情は、ルナが思わず一歩後退してしまう程の狂気に満ちていた。


「なのに……なんで? なんで、あの娘は生きてるの? なんで幸せそうにシーナの話をするのっ? なんで? なんで、なんでなんでなんでっ!?」


「「……………」」


 頭を抱え、長い銀髪を振り乱す。

 そんなユキナの様を見て、二人は絶句した。

 目の前の少女の心中を考えれば、二人は何も言えなかった。

 

「私は、ルナみたいに胸も無いし、ルキアみたいに可愛い幼馴染でもないよ。一番歳下だし……正妻になってもシスル様の本当の一番にはなれないよ? 結局は二人の妹で、三番目なのに……っ。あの娘は私より歳下の癖に私が一番好きな幼馴染の男の子の一番になれる? あは、はは、ははは。そんなの、絶対に許されないよね……?」


「ルナ、これヤバくない……?」


「……頭の打ち所が悪かったのかしら?」


「そんな冗談、言ってる場合じゃないと思う」


 深刻な表情でユキナを見つめるルナに、ルキアは無表情ながら僅かに眉を伏せる事で、呆れの感情を覗かせる。


「もう、やめて……お願い……やだ……やだぁ!」


 明らかに普通じゃない。そんなユキナが立ち塞がる天幕の中から、二人が知る少女の声がした。


 途端、二人の表情が焦燥感に強張る。


 そんな二人を見て、ユキナは口元を歪めた。


「だからね? あの娘にも私達と同じ立場と責任を与えるべきなんだって、シスル様が言ったんだよ。私よりも歳下で、力も弱い四番目で、私と同じ罪を持った素敵な妹に、お姉様って呼ばせてくれるって約束してくれたんだよぉ……♪ えへへ。あの生意気な口を聞いてた娘も、結局は私と同じだよねぇ? 一生シスル様のお側で、シスル様のお役に立って、シスル様の子供を授かって育てるんだぁ。あはは」


「……っ! そこを退きなさいっ! ユキナ!」


 狂気を孕み、正気とは思えないユキナの言葉。

 それに激情を抱いたルナは息を飲み、ヅカヅカと近付いてユキナの胸倉を掴んだ。

 グイと力づくで持ち上げたユキナと、ルナの視線が交錯する。


「なに? なんで怒るの? 勇者様は世界で一番の男性で、彼に生涯尽くせる女性は誰もが羨むって。何物にも変え難い素晴らしい名誉なんだって、貴女達二人も私に教えてくれたはずだよね???」


「……ッ!」


「だから所詮……村人のつまらない幼馴染なんか、いつまでも美化して覚えておくのはやめなさい……そう私に言ったのは、ルナだったよね……???」


 その言葉と向けられる暗い瞳は、ルナの胸を深く刺して痛め付けた。


 脳裏に、暫く会えていない幼馴染の笑顔が蘇る。


 ユキナの胸元を掴んでいたルナの右腕が震える。

 結果、数秒で力が抜けて離してしまった。


「ねぇ? なんで黙るの? 私に嘘を吐いたの? 答えてよ、ルナ……ッ! ねぇ……ねぇっ!?」


 地に降り立ち、ユキナは胸元を直しながら叫ぶ。

 その表情は、やはり狂気に満ちている。

 しかし次の瞬間、その左頬をバチンと鋭い衝撃が襲った。


「え……?」


「うるさい」


 小さな手を振り切っていたのは、ルキアだった。


 彼女は、やはり相変わらずの無表情のままだ。

 しかし、その大きな瞳の奥には確かな怒りの色が浮かんでいる。


「お前は選択した。でも今、お前の後ろで泣いてるミーアは違う」


 頬を抑えて蹲ったユキナを見下ろし、小柄な彼女は無い胸を張る。


「お前は剣聖だ。拒めるだけの力があったはず……でも、お前は拒まなかった。ただ泣くだけで、行動しなかった。周りに言われた通り戦う術を身に付けて、最低限の教養を得ただけ。最初だけは、それで良かったかもしれない。何も知らなかったお前を、私も責められなかった。でも……思い出して」


 少し前まで、流暢に話せなかった女性。

 そんなルキアに睨まれて、ユキナは呆然とした。


「あ……っ! いや……やめてっ! 離してよ! シーナ、シーナ助けてっ! やだっ! やだよ! え……な、なんで下を脱ぐのよっ!? いやぁ!」


 呆然としたまま、ルキアを見つめるユキナ。

 その背に、ミーアが泣き叫び懇願する声が響く。


 途端、ルキアの冷たい眼力が一段と強まった。


「初めにシスルに身体を開いた時、シスルは力づくでお前を手篭めにしたの? もし、そうだとして。お前は、あんな風に強く拒絶したの? 天幕の外に聞こえるくらいの大声で、大好きな幼馴染に助けを求めたの?」


 ルキアの言葉に、ユキナは嫌でも思い出す。


 ユキナが初めてシスルと繋がるまでは、数ヶ月の猶予があった。

 毎晩のように拒み、嫌がるユキナにシスルは何もしなかった。それどころか、故郷の幼馴染や家族の話をベッドの上で楽しそうに聞いていてくれた。


『ごめん、ユキナ。君には想い人がいるだろうに』


『私こそ、ごめんなさい……お願い、します……』


 しかし、それに業を煮やした貴族達の指示で迎えた運命の夜……ユキナは、申し訳なさそうな表情で語る彼を受け入れた。


 自身も周囲からの圧力に疲れてしまっていた。

 これ以上、抵抗して先延ばしにするのは無理だと思ってしまった。


 なにより、相手は見目麗しい勇者。

 聡明で優しくて、世界で一番強い男性。

 初めての相手、たった一晩の過ちの相手として、これ以上ない人だと思った。

 たった一度なら、引き返せるはずだと思った。


『もう君は僕のだろう? 今夜も部屋に来なよ』


『えっ?』


 しかし、結局その後。彼は本性を現した。


『元彼くんに手紙を書いているんだろう? 勿論、僕との関係は報告したのかな?』


『元彼……? ちが……シーナは……』


『元彼だろ? それとも、これほど僕に躾けられた身体で、まだ元彼くんの傍に戻る勇気が君にあるのかい?』


『それは……あっ……♡』


 気付いた時には、全てが終わってしまっていた。


 何度思い出して悔いても、やり直せない記憶。


 思わず唇を噛んでしまうユキナだが、すぐに頭を振って思考を引き戻した。


「あ、相変わらず偉そうに……っ! 貴女達だって同じ癖に!」


 憎しみの籠ったユキナの声に、二人は思わず息を飲んだ。瞬時、この話題は危険だと判断する。


 実は、未だ未通を貫いている二人。


 婚姻前の令嬢が例え婚約者であっても安易に身体を開く事は禁忌である。そんな古い風習を盾に貞操を守っている事は、ユキナに知られる訳にはいかなかった。


「とにかく、退きなさい」


「……いや! なんで、あの娘は助けるのっ!? 私の時は誰も教えてくれなかったのにっ!」


 尚もユキナは両手を広げ、ルナに立ち塞がる。

 途端。その頰に再度、ルキアの鋭い平手が飛んだ。


「お前は気付くべきだった。でも今回は違う」


「ルキアの言う通りよ。大体、後悔してるのなら、どうして無理やり同じ過ちを犯させられようとしている娘を率先して助けられないの? やっぱり私、あんたを一生理解出来る気がしないわ」


 地に伏せたユキナを冷たい目で見下ろし、二人は天幕の中へ入って行った。


 残されたユキナは、腫れた頬を抑えながら俯く。


「なんで、私ばっかり……悪者にされるの?」


 彼女に手を差し伸べる者は、誰も居ない。


 ユキナを無視して天幕の中に入った二人は、中の様子を確認した途端、絶句して立ち止まった。


 天幕の隅、野営地には立派過ぎる寝台の上では、金色の髪の青年が逞しい上裸を晒している。

 松明の灯りに照らされた筋肉質な身体は、普段の衣服姿からは想像も付かない。

 そんな青年は、一矢纏わぬ姿の少女の足を両手で掴み上げ、強引に開かせた股の間に収まっていた。


「ひぐっ……やめて……おねがい……やだよぉ……うぅ……あぁぅ……っ♡」


 寝台の上では、枕に後頭部を預けた少女が両腕で涙で濡れた顔を隠し、弱々しく懇願している。

 

 彼女の衣服は、青年のものと同様に寝台の周囲に散乱していた。


「やぁ、ルキア。ルナ。二人共どうしたんだい?」


 シスルは二人の居る天幕の入り口に振り向いた。薄暗い闇の中、宝石のような赤目が映える。


「……シスル様、なにをされているのですか?」


 散乱した衣服の中には、青年のズボンと少女のスカートもあった。更に両名の下着を視認したルナの表情が一段と強張る。


「なにって、見ての通り尋問だよ。だけど、流石は女神様と言ったところか。絶妙なタイミングだね。全く……悪い事は出来ないな」


 これ程の光景を二人に見せ付けておいて、シスルは全く悪びれる様子もなく寝台を降りた。


 一枚の布地も身に纏っていない身体。なによりも二人の正面に立ち、見せ付けるように晒された青年の反り勃ったモノが、二人の女性の目に映る。


 どうやら間一髪だったらしい。


 二人はそう思い胸を撫で下ろす反面、あと僅かに遅れていたらと考え……青年の節操の無さに呆れると同時、ゾッと寒気を覚えた。


「こ、これが尋問ですって? こんな……」


「まさか、クリスティカの娘を拷問する訳にもいかないだろう? それとも、他の者に任せてみた方が良かったかい?」


 服を拾って着ながら答える青年に、ルナはグッと言葉に詰まった。


 騎士達は全員が男性で、適任者が居ない。


 戦場に居る間は家族や恋人等と離れ、娯楽もない生活を余儀なくされる。長期の遠征時には赦される慰安婦も、魔界となれば連れて来れない。


 戦場での心労、禁欲を余儀なくされている者達に見目麗しい少女の尋問を任せた場合、どうなるか。少なくとも、ミーアの尊厳は失われるだろうとは、想像に難くなかった。


「ですが、こんなやり方……ッ!」


「君達のお陰で未遂で済んでしまった。お陰で僕の疑心も晴れないままだ。今夜の所は連れて帰っても構わないよ。彼女の身柄は僕が制約で縛ったから、もう逃げ出す事も出来ないからね」


「制約って……偽りの代償? そこまで……」


 愕然とするルナを、ルキアは手で制した。


「ルナ、ミーアを私の天幕に連れて行ってあげて」


「ルキア。でも、まだ私……っ!」


「これ以上は、だめ。幼馴染の私に任せて」


 表情の乏しいルキアの瞳には、力があった。

 

「……わかったわ」


 ルナは頷き、服を着たシスルの元へ向かった。


「うぅ……うぅぅ……」


 寝台に横になっている少女は、やはり全ての布を剥ぎ取られている。

 そんな生まれたままの姿で嗚咽を漏らす姿には、流石のルナも胸が痛んだ。


「行きましょう、ミーア。立てる?」


 両腕で顔を覆ったまま、無言で頷いたミーアは立ち上がった。ルナはそんな彼女に足元に落ちていた黒革の外套を羽織らせ、両肩を押して歩き出す。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


「……来るのが遅れて悪かったわね」


「……ッ! ううん……あ、ありがとう……っ」


 ミーアは俯き、ポロポロと涙を溢しながら歩く。

 本来の気丈な性格を知っている分、ルナは余計に苦しく感じた。


「この娘の服、拾って来なさいよ?」


「わかってる。早く行って」


 すれ違い様に短く言葉を交わし、ルナとミーアは天幕から出て行った。

 残されたルキアは、幼馴染の男を睨む。


「……どういうつもり? シスル」


 問われた青年は寝台に腰掛け、肩を竦めた。


「僕に押し倒されて泣くほど嫌がる女の子は初めてだったからね。少し揶揄い過ぎてしまったよ」


「嘘。私達が、もう少し遅れてたら挿れてたはず」


「だったら? 多少は非情な手を使ってでも聞かなければならない話が、僕にはあった。彼女が本当にユキナの幼馴染くんを愛しているなら、流石に僕の子を孕むのは嫌だろう? 全く、君達のせいで貴重な証言を聞けなかったじゃないか。下らない私情で僕の邪魔をするのはやめてくれないか?」


「貴方のやり方は間違ってる。人の人生をなんだと思ってるの?」


「勿論。意地を張るなら、それも構わないよ。僕は彼女に勇者の妻という立場も仕事も与えてあげる。その方が彼女も幸福になれると確信してるからね。少なくとも、後先考えて行動していない平民の少年よりも遥かに良い暮らしをさせてあげられる」


「……確かに、そうかもしれない……でも」


「君達がなんと言おうと、彼女の尋問は明日以降も続ける。ルキア、君も君自身の役目を果たしなよ。綺麗事だけ言ってても、なにも救えないよ?」


「……わかってる。でも」


「僕達には魔人の言葉を話せる彼が必要だ。確かに僕は彼に恨まれているだろうけど、だからなに? 必要なら彼の首に隷属の首輪を嵌めてでも従える。いくら恨まれていても利用する。そうすべき義務が僕には、僕達にはあるんだよ」


 青年の言葉には、一切の迷いがない。

 勇者として世界に平穏を取り戻す。

 その為に非情な選択を躊躇わない幼馴染を咎める言葉を、ルキアは放つ事が出来なかった。


「……ふぅ。話は終わりだね。ユキナ、そこに居るだろう? 入って来なさい」


 溜息を吐いた青年が言うと、天幕に銀髪の少女が入って来た。


「……はい、シスル様。お呼びでしょうか?」


「うん。あの娘の尋問が寸止めで終わってしまったからね。このままだと夢見が悪そうなんだ」


「……はい」


 素直に頷いたユキナは寝台に座るシスルの元へと歩み寄ると、その場で膝を折った。

 シスルはユキナの絹糸のような銀髪を撫でると、優しく微笑む。


「そう言えば、まだ君のその可愛い口を試した事が無かったね。いいかな?」


「……ッ。は、はい……っ。精一杯、ご奉仕させて頂きます……」


 青年のズボンに手を掛けたユキナを見て、ルキアは顔を背け小さな拳を震えるほど強く握り締めた。

 

「君も今夜は帰りなよ、ルキア。それとも後学の為に見学していくかい?」


「……ばか」


 踵を返したルキアは、すぐに天幕を出た。

 外に出た途端に駆け出した彼女は、じわりと溢れた涙を袖で拭う。


「なんでシスルは……私達は、普通じゃ……だめ、だったの?」


 胸の中で、崇拝する女神を恨みながら。





 

 


 

 





 さる、ごりら、ちんぱんじー



 勇者は酷い奴だけど、手段を選ばない真に非情なところは嫌いじゃないよ。

 綺麗事ばかり並べても守れないくらいなら、個に恨まれてでも全を取る姿勢は分かる。


 主人公視点だとムカつきますけどね。

 






 

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