第133話 賢者候補の住まう古城

 廃村を出て、四日が経った。


 日の出と共に起きて歩き、日が沈めば休む。

 途中、村や街を視認すら出来ない旅路は変わり映えが全くない。

 たまに街道に出る事もあったが、基本的には足場の悪い森の中だ。

 変わり映えのない風景には、良い加減飽きたな。


 しかし、この数日で変わった事もある。


「やっぱり手慣れてるね? 気持ち良いよ」


「……そうかよ」


 夜の時間、ユキヒメにくっつかれる事に全く抵抗がなくなっていると気付く。


 それどころか自然と彼女の華奢な肩を抱き寄せ、頭と狼耳を撫でてしまっていた。


「人ってのは、つくづく単純な生き物だよねぇ? こんな事だけでも多幸感を得られるんだから」


「…………」


「少し前まで刃を向け合ってたのに、不思議だね」


 俺の肩に頭を乗せ、ぶんぶんと尻尾を左右に振りながら目を細めている。


 ……雑な演技だ。


 俺は、ユキヒメの様子に呆れながら。


「単純なのは、お前だけだ。少なくとも俺は不安で仕方ない」


 既に四日目の夜、予定よりも遅れている。


 移動速度に関して文句を言える立場ではないが、目的地を知らない俺が不安を覚えるのは不自然では無いだろう。


 せめて、明日には着くのかくらいは知りたい。


「無理に小難しい事を考えようとするからだよ? 折角二人きりなんだから、素直に楽しもうよ」


「無茶を言うなよ」


「悩んでる振りをしても、今は何も出来ないよ」


 悩んでる振り、か。

 悪意はないのだろうが、本当に言ってくれる。


 確かに彼女は、間違った事は言っていない。


 あくまで、彼女にとっては……だが。


「それに、あの娘は自ら君から離れたんだろう?」


「…………」


「今の君に足手纏いを抱えていられる余裕はない。寧ろ、これで彼女と永劫に離れられるなら僥倖だと思うべきだ。君が選ばざる得ない選択に、あの凡庸な少女が、いつまでも着いて来れるとは思えない」


 ユキヒメには道中、ミーアが勇者達の軍に行った理由を話している。


 奴等の動向を探り、俺に連絡する為。

 俺の役に立ちたいと独断で向かった事を。


 お陰で港街の襲撃は回避出来たのだが、


「俺は別に、役に立ちそうだからお前の頭を撫でている訳じゃない」


「えっ?」


「ミーアは道具じゃない。勿論お前もだ。だから、いちいち下らない言葉を吐くな。不愉快だ」


 力が欲しいだけなら、俺にメルティアを拒絶する理由はない。

 ただ気に入らない事は確かだ。


 全く……どいつもこいつも。


「ミーアは俺の女だ。お前も俺から離れて行くまで面倒見てやる。ミーアは絶対に連れ戻すし、お前が今後、もし困るような事があれば手は尽くす」


「……えっと? 君、なに言ってるの?」


「どいつもこいつも、利用価値ばかり諭してくるのはウンザリだ」


 撫でていた頭から手を離した俺は背後の荷物から毛布を掴んで引き寄せ、ユキヒメの肩に掛けた。


 これ以上、語る事もない。

 無駄話は移動中にも出来る。


「明日には目的地に着きたい、もう寝てろ」


「待ってよ。話はまだ」


「ない。それに言霊とかいう不快な術の事もある。お前の長話に付き合ってやる気は起きない」


 もう一枚の毛布を引っ張り出し、さっさと包まった俺は俯いて目を瞑った。


「……悪かったよ。もう使わないからさ」


「…………」


 良い機会だ。

 一度失った信用を取り戻すのは難しい。

 その事を教育する為にも、目が覚めるまで無視を貫いてやろう。


「……もう目的地、到着してるんだけどなぁ」


 ……と、思ったが。


「このまま無視するなら、向かうのは明日になってしまうけど、いいのかなぁ……♪」


 こいつ……卑怯過ぎるだろ。


「……なに? どういう事だ?」


 堪らず目を開いて見ると……にやぁ♪

 ユキヒメは意地の悪い笑みで俺を見ていた。


「はい、だっこして?」


「…………」


「してくれなきゃ、これ以上はおしえなーい♪」


 子供かよ。

 全く、歳上の自覚がないのか? こいつは。


「……はぁ」


 わざと溜息を吐いて見せ、華奢な身体を抱く。

 細身な身体は、すっぽりと腕の中に収まった。

 だが、この胸に押し付けられる柔らかな感触。


 ……コレには未だに慣れないな。


「むふふ……あったかーい」


 あぁ、もう……いちいち頬擦りするなよ。

 その良い匂いを振り撒くな、全く……っ!


「……要望には応えた。話せよ」


「えー? 利用価値があるから私を甘やかしてる訳じゃないんでしょー?」


 ……………。

 

 こいつ調子に乗りやがって……っ。


「あーウソウソ、ちょっと揶揄い過ぎたね」


「……もう離れてくれ」


「ごめんってば。話すからさ」


 こんな時、自分の甘さが嫌になる。

 少し前までなら、躊躇なく突き飛ばせたのに。


「目的地は、ここから少し進んだ所にあるんだよ。ただ、今はまだ早い。あと四時間後に移動するよ」


 ユキヒメは胸元から懐中時計を取り出した。

 見せられた時刻は、七時五十分。

 四時間後という事は、日付け変わる直前か。


「何故、待つ必要があるんだ?」


「行けば分かるよ」


「いいから教えろ。備える」


「先の分かった旅なんて面白くないでしょ?」


「面白さを求める冒険者は早死にする」


「じゃ、面白くしてあげる」


 妖艶な笑みを浮かべ、ユキヒメは俺の首筋に唇を寄せて来た。

 そんな彼女を流石にヒョイと躱して、俺の股間に伸びていた手を掴む。


「人の話は聞け、ふざけるのも大概にしろ」


「これ以上、語る事はないよ?」


「なら寝ろ。外壁の外で装備を外す馬鹿はいない」


「えー? もう何度も一緒に水浴びしたじゃない」


 昼の小川で惜しげもなく晒された綺麗な白肌。

 ……余計な事を思い出してしまった。


「それはそれだ。いいから寝ろ。お前の事だ。その賢者役候補は、どうせ面倒な相手なんだろう?」


 不満げなユキヒメを睨むと、途端に彼女の表情が気味の悪い笑みに変わった。


「くひひっ! まぁね。でも可愛い娘だよ?」


 可愛い娘、か。

 これは、恐らく激しい戦闘が待っているな。


「そうか。一番聞きたくなかった」


 自称天才、容姿詐欺の竜姫、狂犬の剣聖。

 残念ながら俺は、まともな美少女に覚えがない。







 数時間後、日付が変わる前に移動を開始した。


 移動開始から、僅か数分で森を抜けた。

 辿り着いたのは霧深い場所だ。


「何だここは? 何も見えない」


「着いたね。足を止めた方が良いよ? あと三歩で水の中だから」


「え?」


 言われて、慌てて足を止める。

 聞いてから二歩歩いていたので足元を見る。

 確かに、あと一歩の所に水辺があった。

 浅そうだが、靴が濡れずに済んだな。


「よく分かったな。全く見えないのに」


「この世の全てには気配があるだろう? 木にも、風にも、そして水にも。君も習得した方が良いよ。戦闘で眼球を失っても困らなくなる」


「……お前、やっぱおかしいよ」


 つまり、こいつは目を閉じてても戦える訳だ。

 改めて格の違いを思い知る。


「剣士には必須技能だと思うけどな」


「じゃあ、今度教えろ。それより、目的地ってのはここで合ってるのか?」


 尋ねると、ユキヒメは懐中時計を取り出した。


「うん。少し早く着いちゃったね。あと少し待てば分かるよ」


「そうか」


 まさか、突然奇襲されたりしないだろうな?

 そう考え、抜剣しようと思ったが……やめた。

 もしそうなっても、ユキヒメの抜刀術に守られるだろう。


 周囲を警戒しつつ、暫く待っていると……

 ふと、視覚に異変が訪れた。

 濃かった霧が、薄くなっていく……?


「お、定刻だね。見えて来たよ」


 言われて、ユキヒメの見つめる先を見る。

 すると……巨大な湖の中心に、それは現れた。


「なんだあれは?」


「あれが、これから会うお姫様のお城だよ」


 霧は数秒で消え失せて、月明かりを反射する湖の中心に現れたのは古城だった。


 幻想的で、そして何処か不気味さを感じる。


「さぁ、行こうか。本物の鬼に会わせてあげるよ」


 ……本物の鬼?


 鬼って、ユキヒメの持つ力の事だよな?


「あっ、おい待てよ。鬼ってなんだ?」


 追う華奢な背は、なにも答えてくれなかった。


 




 ユキヒメの背を追い水辺を歩いて、石造りの橋に辿り着いた。

 古城に向かえる唯一の道のようだ。


 長い橋を渡り終わると、開いている城門を潜る。

 城内に入ると、冷たく不気味な雰囲気を感じた。


「なぁ、いい加減に教えろ。この城はなんだ?」


「人の姿をした怪物の住む城だよ」


 ……自己紹介かな?


 しかし、異様な雰囲気である事は確かだ。


「お喋りは控えた方が良いよ。人に友好的な存在ではないからね」

 

 なにそれ?

 一応、仲間を作りに来たはずでは?

 人ですらない奴と喧嘩しに来た訳じゃないが?


 あとで思う存分、文句を言ってやる。


 そう思いつつ歩いていると……城の入り口らしい扉が見えて来た。


 ……なんか居るな?


 扉の傍らに、複数の鎖で繋がれた男だ。

 俯いているが、月明かりに照らされたその顔色は青白く、遠目から見ても不気味だった。


 しかし、ユキヒメは迷う事なく扉に近付く。


 扉の前に来ると、男が顔を上げた。

 

「……客人か?」


 やはり酷い顔色だ。病気なのかな?


「そう。通してくれる?」


「招待状を出せ……」


「生憎、約束はしてなくてね」


 低い声の男に、ユキヒメは肩を竦めて見せた。

 途端に、男の目付きが鋭くなる。


「この城に入れるのは、客人か強者のみだ……」


「うん、知ってる。私を知らないなら新人かな? 試してみる?」


「……随分、自信があるようだ。若さ故の無知か、それとも己が力量を過信した愚か者か」


「後者は、君の事だよね?」


 相変わらず失礼な奴だな、こいつは。

 初対面の相手に少しは遠慮しろよ。


「くくくっ……そうだ。これでも、それなりに勇名を轟かせたつもりだったんだがな」


「いいから、やろうよ。招待状がないなら、番犬の君を殺すしかないんだろう?」


 えっ。そうなの?

 それは可哀想だから、やめてあげようよ。


「……やけに詳しいな。お前、名前は?」


「聞いたら、やる気なくならない? 大丈夫?」


 性格悪過ぎだろ。

 名前くらい教えてあげろよ。


 男は、ユキヒメを静かに見つめて……数秒後。


「……待てよ、白狼族? 反りのある剣……東方の伝統衣装に似た衣服……お前は、まさか……っ!」


 男は、目を見開いて……俺を一瞥した。

 どうやら、俺に答えを聞きたいらしい。

 仕方ない。俺は頭をガシガシと掻いた。


「はぁ……ユキヒメだ」


「……っ!? お、桜月の剣聖かっ!? どうぞ、お通りくださいっ!!」


 男は、ガバッと凄い勢いで平伏した。

 途端に、ユキヒメは残念そうな顔になる。


「えっ? やらないの? 招待状ないよ? やろうよ?」


「お前は無条件で通していい決まりなんだよぉ! いいから行けっ! いや、行ってくださいっ!」


 平伏したまま、必死な様子で叫ぶ男。

 先程までの不気味な雰囲気が嘘のようだ。


 俺は、そんな男を指差してユキヒメを睨む。


「お前、この城でなにをした?」


「別にー? はぁ、なんで教えちゃうかな」


 心底残念そうだ。

 こいつ、やっぱり……おかしいよ。






 城の中に入った俺達は、長い廊下へと出た。


 やはり、とても古い城だ。

 あまり手入れもされていないらしく、埃っぽい。

 所々で見受けられる壺や絵画は一眼で高そうだと思ったが、どれも埃を被っていた。


「誰も出迎えてくれないのかなー? 残念」


「……お前が怖がられてるせいだろ」


「別になにかしたつもりもないけどなー?」


 ホントかよ。

 まぁ、ここの主人とやらに会えば分かるか。


 そう思いつつ、城の中を進んで……十数分。


 明らかに他の部屋とは異なる、巨大で立派な扉の前で、ユキヒメが足を止めた。


「この中だ。気配がするよ」


「そうか。だが、いいのか? 勝手に入って」


「構わないよ。お姫様もお待ちみたいだしね」


 相手には、もう気付かれているのか。


 門番の男が通報したか、それとも気配とやらか。

 もし後者だとしたら嫌だなぁ。


「私が先に入るから、暫くしてから入って来てね」


 そう言って、ユキヒメは扉を開けた。

 悔しいが頼りになる奴だ。

 言われた通り十秒ほど待ってから後に続く。


 扉の向こうは広い空間だった。

 恐らく、この城の玉座の間なのだろう。


 長い真紅の絨毯が伸びる先には、一人の少女の姿があった。

 金色の髪に白い肌。まるで人形のような少女だ。

 彼女は玉座に深く腰掛け、瞼を閉じている。


 ……眠っているのだろうか?


 窓から差し込む月明かりに照らされたその姿は、彼女の麗しい外見と相まって……何処か幻想的で、そして神秘的な雰囲気を醸し出している。


 うーん、帰りたい。


 絶対まともじゃないぞ、あの娘。


「やぁ。こんばんは、アリステラ。わざわざ玉座で待ち受けてくれるとは趣があるね」


「……やはりお前か。ユキヒメ」


 玉座の少女の瞼が、ゆっくりと開いた。

 起きていたか。しかし、可愛い声をしている。


 紅い瞳だ。金色の髪に赤眼と言えば、あの勇者や冒険者仲間のアッシュを思い出すが、眼前の少女の髪は色が薄く、代わりに瞳は闇世の中でも眩い光を灯している様に濃い。


 白金の髪に、真紅の瞳の少女は顔を上げた。


「つい先日来たばかりだろう。なんの用だ?」


 まだ眠いのだろうか? 不機嫌そうだな。

 目の焦点が少し合っていない気がする。


「もう、あれから四年経ったよ。流石に傷は癒えたかな?」


「舐めるなよ。あの程度、数日で治ったさ。しかし四年か。道理で容貌が変わっている訳だ」


 少女はユキヒメの身体を見ながら、玉座に頬杖を付いた。

 と、ユキヒメはニヤリと笑って。


「おっぱい大っきくなったでしょ? 羨ましい?」


「下らん。所詮は贅肉の塊、鍛錬を怠った証だな」


 自分の胸を持ち上げるユキヒメに、少女は呆れた様子で吐き捨て……俺を見た。


 そして、途端に不快そうな表情に変わる。

 

「む? お前は半竜だな? 臭みは薄いようだが、忌々しい気配を感じる」


 うーん、やはり気配か。

 出来れば知り合いたくない部類の相手だな。


「……わかるのか?」


「その金色の瞳、赤竜か。今代の娘は出来が悪いと聞いたが、雄を誑かすのは秀でていたらしい」


 別に誑かされてないが?


 ふと、少女の視線がユキヒメに戻った。


「お前が私に贄を持って来たのではと、淡い期待をしたのだが……期待外れだったな」


「え? 吸わせて貰えば? この少年、可愛い娘に甘いから許してくれると思うよ」


 吸う? 一体、なんの話だろうか。


 あと俺は幾ら容姿の優れている女性でも、敵なら容赦なく殴り飛ばせる非情な奴だと自負している。

 

「こちらから願い下げだ。竜の血は臭くて敵わん。さっさと本題を話せ。そして一刻も早く帰れ」


 おいおい、随分と嫌われているものだな。

 大丈夫か? これ。


「お前、なにしたんだよ?」


「昔、力試しに来ただけだよ?」


 ……やってるじゃん。それは嫌われるだろ。

 どうせ、その時に滅茶苦茶したに違いない。


「お前、もう黙っとけ。えーっと、俺が発言しても構わないだろうか?」


「構わん。だが、まずは名乗れ。無礼者め」


 言われて見れば、自己紹介がまだだったな。


「シーナ。一応、この世界の住人だ」


「シーナ……? 姓は? ないのか?」


「平民に姓はない。あるのは貴族だけだ」


「む。そんな訳がないだろう……? 待て。お前、種族はなんだ? 猿人族ではないのか?」


「ただの人間だ」


「ちょっと。まさか、引き篭もり過ぎて外の状況を知らない、なんて言わないよね?」


 呆れ顔のユキヒメの問いに、少女は顎に手を当て暫く考え込む仕草を見せた。

 そして、

 

「……ちなみに、現在の赤竜姫の齢は?」


「年齢なら、68歳だと言っていた」


「……私の記憶では、赤竜姫は32だ」


 金髪の少女は顔を顰めた。


「最後の外出から、36年も経ったとは……」


 やっぱりババアじゃねぇか。

 しかも、信じられない程の引き篭もりじゃん。

 えっ? どうやって生きてきたの? こいつ。

 見たところ、世話役がいる訳でもなさそうだし。


「長く生き過ぎたね? 君も気を付けなよ」


「大丈夫だ。人の寿命は、せいぜい60から70年程度だからな」


「半竜の寿命は番の竜と同日だ。お前は少なくとも数百年は死ねないだろう?」


 不思議そうな顔で、少女は首を傾げた。


 知ってるよ……っ! 現実逃避だよ……っ!

 

「俺の話はいい。それよりも現状の説明だろう? それを聞いた上で、こちらの要求を聞いて欲しい」


 俺の言葉に、少女の片眉がぴくりと跳ねた。


「ほう? 突然の来訪に一方的な要求か? 流石は雌竜の宝剣に選ばれた男。図々しいにも程がある」


「気に入らないのは重々承知だ。しかし、このまま引き篭もっていられる程、そちらとしても無視出来ない内容だと思う」


 恐らく、あの偉そうなロリババアは知らない。

 ここが彼女の知る世界ではないという事を。

 そして勇者という明確な脅威が迫っている事も。

 

「……いいだろう。私も流石に惰眠を貪り過ぎた」


 ロリババアは立ち上がり、歩き出した。

 俺の真横を通り過ぎた彼女は、ふと立ち止まって振り返って来る。


「なにをしている? 付いて来い」


 どうやら、場所を変えるらしい。


 ……あれ? 戦闘は?


 容姿が可憐な女の子は、挨拶代わりに剣を交えて殺し合わないと話すら出来ない。


 まさか、ここでその流れが断ち切られるとはな。








 連れて来られたのは、巨大な本棚が立ち並ぶ部屋だった。


 書庫か。

 古い紙とインク、そして埃の匂いが鼻を突く。


「部屋の奥に机と椅子がある。座って待っていろ。くれぐれも、本に触れるなよ」


 ……釘を刺されてしまった。

 沢山あるんだから、一冊くらい譲って欲しいな。

 

「言われた通り、本に触れないほうが良いよ。悠久に等しい時を生きる彼女にとって、知識の泉である書庫は宝物庫に等しい。大人しく座ってよう」


 ユキヒメは、さっさと歩き出した。


 ……意外だ。

 戦闘狂のユキヒメは、相手を怒らせる為、わざと触るかと思っていたが。


 後に続いて書庫の奥へ進み、窓際に辿り着く。

 木の机と長椅子が二つ配置されていた。


 腰の太刀を帯から抜いたユキヒメを横目に、俺も左腰に吊るしていた剣を外す。


 腰を下ろした彼女の隣に座ると、俺は早速疑問を解消する事にした。


「今のうちに教えろ。彼女はなんだ?」


「すっごく可愛いでしょ?」


「真面目な話だ。彼女にはお前達のような獣の特徴がない。だが、俺達と同じ人間でもないだろう?」


「ん? それについては事前に教えたはずだよ? 彼女は本物の鬼、君の身体に流れる血と同等の力を持った怪物だ」


「鬼って、お前を暴走させる力の事だよな? 彼女も鬼憑きってやつなのか?」


「ん? 私のは鬼じゃないよ。彼女は鬼だけどね」


 俺の身体に流れる血、赤竜と同等の力。

 そして鬼は、ユキヒメの持つ危険な力。


「意味がわからない。分かり易く説明してくれ」


 だから彼女は、竜殺し……竜を単体で殺せる。

 それ程の力がある者だと呼ばれているはずだ。


 それなのに、ユキヒメが鬼ではない?


 それでは、これまでの前提が変わってしまう。


「折角、本人が居るのだ。質疑があるなら、今回は私に直接尋ねるべきではないか?」


 突然、隣から可憐な声が響いた。


 見れば、金髪ロリババアがボトルと硝子のグラスが三つ載ったトレーを手に立っている。


 はやっ……と言うより、いつの間に?

 足音が全くしなかったぞ。


「おや、早かったね。それは?」


「久々の客人だ。酒くらいは出してやる」


 こちらでは、硝子が貴重な品ではない。

 一般家庭にも普通に流通している品ではある。


 だが、相手は筋金入りの引き篭もり。

 数十年は引き篭もっている。


 量産に成功したのは、かなり昔の事だと分かる。


「いいのかな? 大事な書庫だろう?」


「お前のせいだろう? 今、私の眷属は二人のみ。城内の管理は私自らするしかない。ここと玉座の間しか手が回らんさ」


「あれから四年だよ? 私は、てっきり新しい眷属を沢山作って、相変わらず悠々自適に引き篭もっていると思ってたのに」


「ふん、小娘が。簡単に言ってくれるものだな」


 この二人の関係、なんとなく予想が出来たな。


 四年前にユキヒメは、この城で働いていた者達の殆どを殺してしまったのだろう。


「あ、酒は得意じゃない。俺は遠慮させて貰う」


 三つ目のグラスに向けられた瓶を手で制す。


「む? 私の酒が飲めないと言うのか?」


「アリステラ。彼は、まだ齢16の子供だ。酒場では店主にミルクを振る舞われる年齢だよ」


 城の主が注いでくれるのは光栄だが、俺は飲食に関しては決まりを設けている。 

 酒が苦手なのも嘘ではない。


「ほう? 若いとは思っていたが……では、竜姫と契って間もないのか」


「その辺りは少し面倒な事情でね。説明は後々だ。まずは外の話をしようか。酔いが回る前にね」


 ユキヒメは遠慮なく酒を煽っている。

 こいつに躊躇はないのだろうか。

 毒の類が入っていたら、どうするんだ?


「ふむ? まぁ良い、話せ」


 金髪ロリババアはグラスを手に、対面の長椅子に座った。

 優雅に脚を組んだ彼女から、挑発する様な表情を向けられる。

 ユキヒメを見ると、彼女は目を瞑り、黙ったまま酒を煽っていた。


 いや、俺が説明するのかよ。

 まぁいいけど。


「あーそうだな。まずは前提として、ここは本来、お前達が存在してはいけない世界だと言う事を理解しているだろうか?」


 そんな切り口から始めた話を、二人は途中で一言も口を挟む事なく、酒を飲みながら聞いていた。

 数分後、


「話は終わりだ。質問はあるか?」


 僅かな時間で説明を終え、俺は尋ねた。


「……纏めると、ここは親竜国ではあるが別世界。私達は魔人と呼ばれる三百年前の侵略者に例えられ敵と見做されていて、現在この国には女神とやらに強大な力を与えられた勇者と呼ばれる若者が率いる数百の軍勢に侵攻されている最中というわけか」


 伝わり方も間違っていないみたいだ。


 終始無言だったのは気まずかったが、途中で口を挟んで脇道に逸れまくる面倒な奴等よりいい。

 

「あぁ、そうだ」


「そういうこと。その勇者一行ってのが問題なの。剣聖、賢者、弓帝、そして勇者。まだ十代の雛鳥と侮るには、相応しくない力を持つ強者揃いだよ」


「ふふ、小童が勇者や剣聖か。まぁ、それは良い。それで、お前達は私になにを要求する?」


 幼児は腕組みして偉そうに言う。


「無論、思い上がった若者達に本物を思い知らせるんだよ? 最古にして唯一の純血の吸血鬼であり、飽くなき探究心を持ち、あらゆる分野の知識を保有している。君ほど賢者に相応しい存在はいない」


 ユキヒメは不的な笑みを浮かべ、グラスの中身を飲み干した。


 よく分からないが、この幼女は凄い種族であり、その中でも最も長い年月を生きているようだ。


 吸血鬼。

 少なくとも、俺の知る獣の名前にはない。


「……私に共に来いと? 馬鹿げている」


「うるさい。黙って私と来るんだよ、アリステラ。私は欲しいものは必ずに手に入れる。それは君も、存分に思い知るところだろう?」


 ユキヒメは常に自信に満ち溢れている。


 彼女の力を知る者なら尚更、無視は出来ない。


 剣聖、その大仰な呼び名に最も相応しい女だ。

 少なくとも、俺はそう思う。


「……小娘が。生意気にも程があるぞ」


「お? なら今度こそ、わからせてみる?」


 憎々しげに睨む少女をユキヒメは挑発する。


 ……さて、どうやって諌めようか。


 少なくともユキヒメは、酒に酔った勢いで数十人殺したと聞かされても不思議じゃない怪物。


 対する吸血鬼様も、俺の手に余る化け物だろう。


 しかし、このまま黙っている訳にもいかない。


「あー……吸血鬼のお嬢様、いいだろうか?」


「お嬢様? え? 私か?」


 他に誰が居るんだよ。


「ぶはっ! くふふ……っ! お嬢様! 千年以上生きている吸血鬼に、お嬢様っ! くふははっ!」


 ユキヒメは大笑いを始めた。

 眉間に皺を寄せた吸血鬼は真紅の瞳で俺を睨む。


 まさか名前を呼び捨てにするわけにもいかない。そう思って捻り出したつもりなのだが……どうやら間違えたらしい。


「すまない。呼び方に悩んでいてな。不快に感じたなら謝る」


「クク……いいじゃないか、お嬢様で……っ!」


「いい訳があるか、全く……っ。そう言えば名乗るのを忘れていたな。アリステラ・グリムリーゼだ。アリスでいい」


 アリス。恐らく愛称なのだろうが、先程出会ったばかりの女性を気安く呼べる訳がない。


 今は、姓名で呼ぶのが無難だろう。


「では、グリムリーゼと呼ばせて貰う。ユキヒメ、今は真面目な話をしているんだ。茶化すのはよせ」


「くふふ……ふふ……っ。はいはーい……くくっ」


 全く理解してない様子だが、いいだろう。 

 強く叱っても意味がないだろうからな。


「この世界の人間にとって、お前達は異物なんだ。グリムリーゼ、ユキヒメ。お前達も例外じゃない。それは俺の容姿を見れば理解して貰えるだろう」


 グリムリーゼには、獣のような耳も尻尾もない。

 一見、俺と同じ人間にも見える。

 しかし、彼女の耳は普通の人間とは異なり僅かに長く、先端が尖っているように見える。


 それ以上に彼女の纏う雰囲気は異質だ。


 とても同じ人間のそれではない。


「これまでの平穏を維持する為に異物を排除する。その為に戦い、滅ぼす。この世界の人間達の考えを否定する事は、お前達にも出来ないだろう?」


「話せば分かる、と言う段階ではなさそうだな」


「残念ながら、それが出来れば苦労はしないよって状態かな? 現状、私達の言葉を理解出来るのは、このシーナ君だけだからね」


「ふむ……逆に、何故お前は私達と話せるのだ?」


「本人にも分からないらしいよ? この世界で信仰されている女神に与えられた権能らしいけどね? まぁ、この少年は特別って訳さ」


「神に与えられた権能? ふむ……まぁ良い。今は議論しても仕方のない事だ」


 恐らく、グリムリーゼは俺は同じ疑問を抱いた。

 何故、俺だけなのか?

 それは直接、女神に問い正したい所だからな。


「俺だけじゃない。この世界の人間達は、その女神から与えられた権能を保有している。特に勇者達は別格だ」


「下手な脅しだ。短命な只人の子供如きに、私が」


「私が負けたって言えば、信じて貰えるかな?」


 ユキヒメの言葉に、グリムリーゼは目を見開く。


「……なに? しかし、お前は生きているだろう」


「まぁね? でも、彼が助けに来てくれなければ、今頃私は晒し首にされてただろうね」


「……………」


 いいぞ。

 かつて自身が敗れたユキヒメが敵わなかった。

 それを本人から聞かされて深刻な顔になったな。

 

「俺はこの世界で生まれた人間だ。だが、お前達を無事に元の世界へ帰してやりたいと考えている」


「その時は、赤竜姫と番になった君も一緒だね」


 こいつ……っ!

 いや、今は構わなくて良いだろう。


「その方法を模索する時間を得る為にも、この世界の人間を大人しくさせる必要がある。勇者や剣聖。そう呼ばれる奴等の存在は邪魔でしかない。だからグリムリーゼ、俺達と来て欲しい。俺とユキヒメと共に、この世界の神に愛された勇者を殺そう」


 その言葉は、何度吐いても現実味がない。


 辺境の貧しい村で生まれた村人が、伝説の勇者と幼い頃から共に育った女の子を殺す。


 俺が、ユキナを殺す……。


 出来るのか? と、疑心を抱いてしまう。


「……無理だ」


 俺の心を読んだかのように、吸血鬼は言った。


「私は、この城を離れられない」


「それはどうして? 二人しかいない眷属も連れて来ればいいじゃん」


 眷属。その単語に、グリムリーゼの憂いを帯びた表情が一段と強くなったように見える。


「どうしてもだ……頼む、帰ってくれ」


 グリムリーゼは立ち上がり、長い金髪を靡かせて歩き去った。


 その小さな背中を見送る最中、ユキヒメの反応が気になった俺は彼女へ視線を向ける。


「……ふふっ」


 酒のグラスを傾けながら、ユキヒメは含みのある笑みを浮かべていた。


 なにか思い当たる節があるのだろう。


 ……嫌だなぁ。

 どうやら、また一波乱起きそうだぞ?


 






 




 赤竜姫、白竜姫、白狼族の剣聖と来て、吸血姫。


 またロリババアですね←


 マズイ、このままでは作者の性癖が疑われる。


 作者は、乳とタッパがでかい女が好きです!!


 信じて下さい!



 書き溜めの編集終わり次第投稿していきます。



 2024年は竜年ですね。


 竜姫達を沢山書けたらなと思います!



 皆様、ことよろです!!








 新年早々、財布盗難されました(泣)



 



 

 


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