第132話 剣聖の改心

 目が覚めると、暗い場所に居た。


 埃とカビ臭さ、そして……血の匂いがする。


 頭はボーッとしていて、酷く気怠い。

 知らない天井だ。古い木造の部屋だ。

 頼りないが、蝋燭の明かりもある。


 そして……この温もりには、覚えがあった。


「…………」


 俺の胸を枕にしている、白髪の女がいる。


 血で赤く濡れたシーツ。そんな寝台で、そいつは一糸纏わぬ姿で安らかな寝息を立てている。


 長い白髪。

 頭部にある、犬のような耳がピクリと震える。


 そんな女の姿に、俺は現状を理解した。


「……なんだ? ここは?」


 健全な男子なら、驚いて悲鳴の一つでもあげる。

 それが正しいのだろうが、困惑しかない。


 なぜ俺は、ユキヒメも……全裸なのだろう?


 状況から見て、俺の出血量は少なくないらしい。

 散々、この女に切り刻まれた記憶がある。

 しかし、もう傷は塞がっているようだ。

 流石は竜姫様の血の力ってところか?


 ところで……俺の装備は?

 あれから、どれくらい経った?

 ここは何処だ? 今、何時だ?


 少しずつ頭が冴えてきた。

 こうして寝ている場合ではない気がする。


 そう思い、抜け出そうとすると。


「んぁ……? 起きた?」


 声がして見ると、ユキヒメが俺を見ていた。

 まだ眠いのか、寝ぼけ眼を擦っている。


「……おはよう。これは一体、どういう事だ?」


 尋ねると、ユキヒメはニヤリと笑って。


「なかなか良かったよ? 少年」


 そんな事を平然と言ってきた。


 …………まさか。


 いや、そのまさかだな。

 血の匂いに混ざる、この臭いは。


「気を失った怪我人だぞ、俺は」


「大丈夫、傷なら連れて来た時には治ってたから」


「そういう問題じゃないだろ」


 本気で睨むが、ユキヒメはへらへらと笑う。


「ごめんねー。言い訳になるけど、あの力を使うと色々と自制心が効かなくなっちゃうんだよねぇ……恐らく、普段は我慢してる反動だと思うけど」


「はぁ?」


「あ、信じてないな? 私はこれでも人なら定期的に来る発情期を克服してるんだからね?」


 発情期、か。

 普段は堅物な雰囲気のシラユキも狂うくらいだ。

 それを修行で自制出来ているのは、素直に凄いと考えるべきなのだろうか?


「まぁ諦めてよ。実はまだ、あの状態になった時、自由に解除出来なくてさぁ。強い衝動を抑えるには他の欲求で発散してあげるのが一番簡単なんだよ。食欲、性欲、そして睡眠欲。人も獣も根本的な本質は全く変わらないの。結局は、それらを満たす為に争うのだから」


 まぁ、そうだな。


 仕方ない、諦めるか。

 生かして貰えただけ感謝するべきだろう。


「俺は負けた。文句を言える立場じゃない」


「お? 物分かりが良くて助かるよ。この際だし、ヤレるだけヤッとく?」


 にやり、と笑いながら言う。


 ……ふむ。

 なかなか魅力的な提案だが、


「意識がない間の事は諦めるだけだ。揶揄うな」


「えー? いいの? 私、出来てたら産むけど」


「…………」


 黙ると、ユキヒメは笑みを深め、上体を起こす。


 白い肢体が視界を襲い、形の良い双丘が揺れる。


 悔しいが、俺が今まで目にして来た中で誰よりも大人の女性らしい魅力的な裸体だ。


「今夜は我慢しても結果は変わらないと思うよ? それでも君は納得出来るのかな?」


 こいつ……。

 このまま、やられっぱなしは癪に触るな。


「そいつはいい。お前が生きる理由になるだろ」


「! い、言うねぇ……? あっ……ちょっと」


 ユキヒメの肩を掴んで押し退け、起き上がる。

 

 身体に痛みは感じない。

 血が足りないのか気分は悪いが……大丈夫だ。

 傷が治っているなら動けるだろう。


「もう行く気?」


 寝台の周りには、衣服が散乱していた。

 血で汚れた俺のものと、ユキヒメの服だ。

 

「やる事がある。もう馬鹿な気は起こすなよ」


 服を拾おうとした俺の手首が掴まれた。


「せめて一日は休みなよ」


「……お前には分からないだろうな」


「分かるさ。君のそれは、偽善に過ぎない」


「俺はやりたいようにやってるだけだ」


 手を振り払おうとするが、強い力で握り締められてしまう。

 

「何故、君が私の邪魔をしたのか。あの時の私には分からなかった。私は君を二度も斬ろうとしたし、その結果、君はこの世界の理から外れてしまった。その原因を作ってしまったはずだ」


「お前の妹に頼まれたと言っただろう」


 即答すると、ユキヒメは首を左右に振った。


「君からすれば、私が今後現れない方が都合が良いはずだろう? なのに君は現れ、私を連れ出した。その本当の理由は他にある」


「勝手に推測してろ。俺は付き合わない」


「この手を離せば、君は私と同じ事をする」


「何の話だ?」


「惚けるなよ。今更、君が赤竜姫を裏切れるなんて考えられない。なら、彼女があの場に居た理由はと問われれば、君の抱える事情は見えてくるよ」


 ……こいつ。

 あの場に、ミーアが居た事に気付いていたか。


「理解が早くて助かる。手を離してくれ」


「いやだね。私の力が及ばない、理想的な死場所。それを奪った責任を果たして貰うよ? 少年」


 理想的な死場所?

 流石は剣聖様、そんなに勇者が良かったかよ。


「…………何が望みだ?」


 短く答えると、ユキヒメは歪に口角を上げた。


「私が君を本物の善人にしてあげようか?」


「なに?」


 本物の善人?

 相変わらず彼女が何を言ってるか分からない。


「今の君は脆弱な癖に無謀で、愚かな子供に過ぎない。理想ばかり高く叶えられもしない願いばかりを口にし、正直に言って非常に不愉快だ」


「…………」


「君は、まだ半端者だよ。傲慢な我を通す為だけにその身に宿した強力な異能に振り回されている……それだけの下らない子供だ。そんな君が、私と同じ剣士を名乗っている……剣士を舐めるなよ?」


 思わず振り返ると、ユキヒメの瞳には激情の色が浮かんでいた。

 

 彼女が何を考えているのか、俺には分からない。


 だけど、核心を突かれていると理解出来た。


 俺は結局、女神に与えられた力に頼っている。

 そして、女神が望んだ運命を辿らされている。


 所詮は、盤上の駒の一つに過ぎない。

 

「……じゃあなんで、お前は俺を斬らなかった」


 それは、自然と口を突いた言葉だった。


 剣聖ユキヒメ、彼女が女神エリナの影響を全く受けていないと言うのなら、その理由が知りたい。


「気に入らないなら、斬れば良いだろう」


 三度も戦って、思い知らされた。

 こいつは、俺を容易に殺せる力がある。

 なのに俺は、まだ生きている。


「俺が死ねば、メルティアにも別の相手が見つかるだろ。それこそ、お前の雇い主の白猫野郎とかな。お前が俺に拘る理由はないはずだ」


 だから正直、俺は女神の裁量で生かされている。

 悔しいが、そう思っていた。


「じゃあ聞くけど、例えば私が君の目の前で君の想い人を斬ったら、君はどうする?」


「……許せないな」


「それは当然だろう。それだけなら、まだ良いさ。だけど同時に、あのお姫様はこうも考えるかもしれない。私が生きている限り、新たな伴侶を迎えても狙われてしまうかもしれない、とね」


「それは……拙いな」


 全く的外れ、杞憂も良い所だ。

 しかし、あり得る。否定は出来ない。


「逆に、君も別の立場で想像してみなよ? 誰かの偽善で窮地に陥った君を助けに来た者が、君の目の前で傷付き地に伏せる。その様を君は見ている事しか出来ないとしよう。どうだい? なぜ来たのかと苛立ちすら覚えるだろう?」

 

 試しに想像して、すぐにやめた。

 俺の為にメルティアが、シラユキが。

 誰かが傷付く姿なんて、見たくない。


 だけど、あいつらは……きっと来てしまう。


「……俺は、どうすれば良い?」


「想いだけじゃ、何も変わらないだろ? 少年」


「結局、俺には力が必要だって話か?」


「そうだよ? でも力だけじゃ人は救えない。想いだけでも、力だけでも駄目なんだ。なら君は、本物の善人になれば良い」


「ふん……力だけの奴が、よく言うぜ」


「私は、それでも困らない生き方を選んだからね。でも君は違う。一度の負けも許されない。そして、その生き方を選んだのは君自身だ」


 別に、選びたくて選んだ訳じゃない。

 今からでも捨てて良いなら、俺は……。


 いや、無理だ。今更、捨てられる訳がない。


 ミーアは、俺を信じて選んでくれた。

 メルティアは、望んで俺に夢を託してくれた。


 誰かに認められたい訳じゃない。

 少し前まで、そう思っていたはずなのに。


 俺は彼女達が向けてくれた笑顔を裏切れない。


 傲慢、か。

 確かにそうなのだろう。

 

「……力が要る」


「そうだろうね」


「でも、俺は……もう少しだけ、人で在りたい」


「敵は待ってくれないよ?」


「力を得る為だけに、捨てられないものがある」


 せめて、あと数年。

 ミーアが無事に、母親になるまでは。

 メルティアが心から望める関係を築くまでは。


 俺は人のまま、強くならなければならない。


 だから俺は、息を吸って……吐いた。


「俺に力を貸せ、剣聖。この世界で最も強い奴等と戦わせてやる」


 俺の言葉に、ユキヒメはニヤリと笑って。


「私は高いよ? 少年」


 掴んでいた俺の腕をグイと強く引いた。


「おっ……えっ……?」


 気付けば俺の顔は、ユキヒメの豊満な胸に挟まるように……ふにゅんと受け止められていて。


「実は私、君のその凄いの。気に入っちゃったみたいでさー♪ 流石は二人の竜姫様が選んだ雄だね? くふふ♪」


「むぐ……おい、待て。なにを……」


「たまには、他者の人肌を感じるのも悪くないってコトさ♪」


 顔を上げ、目が合ったユキヒメの表情に悟る。


「おい待て。実は医者から俺の体液は竜人以外には毒だと診断を受けている」


「んー? 竜姫の血が毒な訳ないじゃん? 万病の薬として誰もが欲しがる代物だよ?」


 言われてみれば……あれ?

 確かに矛盾している気がするな……って。


「ぐっ……おい……お前、どこ触って……っ」


「くふふふ♪ 二人の竜姫様が求めて止まず、未だに自由に触れる事すら叶わない意中の男。そんな君に対価を強要するのは……優越感と背徳感も相まって実に甘美だ」


 トロンとした瞳と、ほんのりと朱に染まった肌。


 流石は、あのシラユキの姉。

 進化版とも呼べる魅力的な美女だ。


 特に、その白く長い尻尾は反則だろう……っ!


「ふぁ……っ。お、おい……頭を撫でるな」


 そんな彼女に頭を撫でられれば、背筋がゾクゾクと悲鳴を上げるのも仕方ない。


 しかし、随分と手慣れているな。


「子供の頭を撫でるのは大人の役目だよ? 少年」


「俺は子供じゃない」


「子供だよ? 君は。ただ……守ってくれる大人が居なかった。昔の私と同じだ」


 守ってくれる大人、か。


 そう言えば、こいつはどうやって大人になった?


 力を暴走させ、故郷を追われたのは五歳くらいの幼少の頃だと、シラユキは言っていた。


 世界は無力な子供に優しく出来ていない。

 そんな子供が、どうやって生き残れたのだろう。


 その上で、剣聖と呼ばれるまでに至るには相当な研鑽が必要だったはず。


 俺は、こいつの事を何も知らない。

 ただ、頭ごなしに否定して来ただけだ。


「一緒にするなと言っただろう」


 ユキヒメの肩を押し、身体を離す。


「俺は、ちゃんと大人になるまで大人に守られた。だから、お前の気持ちなんて分からない」


「まだ子供じゃん」


「俺は、もうすぐ十七になる。立派な大人だ」


「? 十七歳って全然子供じゃない?」


 そう言えば、こっちの成人って何歳なんだ?

 シラユキが現在十七歳だから、大人だと思うが。


「いいから離せ。今は通信機も壊れて連絡も取れないんだ。お前と遊んでいる暇はない」


「えー? まぁ、明日着る物が無いのは問題かぁ」


 そう言って、ユキヒメはやっと解放してくれた。

 

「近くに小川があったから、夜が明けたら洗濯しよっか」


 まぁ、血塗れの服はなんとかしたいな。


「……そうだな。とりあえず、今のうちに着れる物を探そう」


「えー? 別に良くない? 面倒だし」


「よくない。まさか全裸で外を歩く気か? 痴女かお前は」


 なんとか口実を作って寝台から降りる。

 あとは、隙を見て逃げ出してやろう。




 夜明け、村から近い小川で服と身体を清めた俺は村で見つけた古着と穴の空いた靴、獣の毛皮らしい外套を羽織って村に戻った。


 幸い、昨晩過ごした家には物干し竿があった。

 そこに濡れた服や装備品を干し、室内に戻る。

 すると、良い香りが漂って来た。


「あ、おかえりー。遅かったね」


 部屋では、暖炉の中に吊るした鍋をかき混ぜているユキヒメの姿があった。


 彼女も俺と同じく、この村で見つけた古着を着ている。自慢の大太刀は卓上に置いてあった。


「お前の服が洗い辛かったせいだ……言っとくが、完璧には取れなかったからな?」


「そっか。まぁ仕方ない。ありがとね」


 ユキヒメの着物というらしい無駄に絢爛な服は、俺が携帯していた石鹸を使っても中々血の汚れが落ちなかった。


 手間を掛けさせやがって、全く。


「それで? 先に帰ったと思ったら、お前は料理をしてくれていたわけか」


「うん。でも丁度良かったよ。もうそろそろ出来るからさ」


 そういう事なら、気付いたら消えていた事は目を瞑ってやろう。


「せめて、なにか言って行けよ」


「兎を見つけてね。急いで追いかけちゃったから」


「……そうかよ」


 ……どおりで。


 せめて、解体した兎の死骸は隠してくれよ。

 堂々と食卓の上に置きやがって。


「うん、美味しい」


 呆れる俺の様子など構わず、ユキヒメは呟く。


 見れば、彼女は味見を終えたらしいスープを器によそっていた。


「はい、少年。熱いから気を付けて食べてね」


 卓上に置かれた湯気の立つ器。

 俺は椅子を持って来て、座る前に中を覗いた。


「……美味そうだな」


「兎肉の団子と七種の薬草を煮込んだ鍋料理だよ。いくら超回復する便利な肉体を持っていても、今はこういう薬膳の方が食べ易いだろう」


 意外だ。こいつ、そんな気遣いが出来るのか。


 とは言え、食べて良いのか? これは。


 こっちに来てからは食事には細心の注意を払い、自分で用意するか、ミーアかシラユキが料理をしたものしか食べないと徹底してきた。


 俺は、昨日の早朝からなにも食べていない。

 ただでさえ今の身体は燃費が悪いのにだ。


 確かに酷い空腹は感じていて、気が狂いそうな程の苦痛を感じてはいるが……


「さぁ、食べよう。おかわりも沢山あるからね」


 さっさと座り、ユキヒメは食事を始めた。

 それを見た途端に、腹から凄い音がした。

 するとユキヒメは耳をピクリと震わせ、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。


「くふ、凄い音だ。流石は半竜の身体だねぇ♪」


「……チッ。不便な身体にしやがって」


 食べない選択肢はないな。

 こいつが俺を殺す気なら、剣で殺すだろうし。

 毒なんて警戒するだけ無駄だろう。


「……っ!」


 そんな事を思いつつ、スプーンで肉団子を掬って頬張ると……これが美味い。


 俺の知る兎の肉の料理は独特の臭みがあるはず。

 しかし、それが全く感じられない。


 それどころか、肉の香りが心地良い薬草の香りに包まれて鼻を抜けていく感じがした。


「……美味いな」


「そう? 良かった。師匠も兎肉が好物でね。私の得意料理なんだよ」


「料理も出来るのか。器用だな」


「ひひっ、まぁね。良い女を抱けて良かったね?」


 ……こいつ。

 また、そうやって揶揄いやがって。


「記憶にないな。それで? お前は今後どうする気だ?」


「ん? どうするって?」


「決まっている。俺は服が乾いたら装備を点検して村を出るが……お前はどうする?」


「君こそ、どうする気だい? まさか一人で敵軍を訪ねるなんて言わないよね?」


「お前には関係ない事だ」


「あるよ? もし君を無駄死にさせてしまったら、赤と白。二人の竜姫の恨みを買うのは私だろう?」


 む……その可能性は否定出来ないな。


「折角だ。この際、君の知る相手の情報。特にあの若い四人の悪魔の話を聞かせて貰おうか?」


「悪魔? 勇者達の事か」


「知らないの? あの四人は剣の悪魔、弓の悪魔、術の悪魔、そして金色の悪魔と呼ばれているんだ」

 

 悪魔、ねぇ。

 魔人だとか悪魔だとか、どっちもどっちだな。


「それにしても、そうか……勇者か。つまり君達にとっては、私達の方が悪魔だって認識になる訳ね」


「……魔人、お前達は、そう呼称されているな」


「魔を打ち滅ぼす英雄、勇者。その認識は向こうも私達も変わらないね」


 そう言って、スープを飲み干したユキヒメは席を立って、空の器に再度スープを注ぎ、戻って来た。


「さぁ、その調子で色々聞かせてよ」


 椅子に座った彼女に、俺は僅かな逡巡を経て。


 このまま放置して、また無謀に挑まれても困ると判断して、話す事にした。


 それから。

 食事をしながら俺の知る勇者達……そして女神と呼ばれる存在に与えられた力の話を終えた時には、暖炉の大きな鍋は空になっていた。


「なるほど、つまり君の常軌を逸した速度や術は、その女神とやらに与えられた権能って訳ね」


「そうだ」


「へぇ、面白い理だ。不思議な世界だね、ここは」


 俺としては、獣耳のお前達の方が不思議だがな。


「それにしても……剣聖か。くふふっ! まさか、あの未熟な娘が私と同じ名を冠しているとはね」


「なんだ? 不満かよ?」


「別にぃ? 私個人の価値観を、この世界の住人に押し付ける気は全くないさ」


 ……嘘つけ。

 思いっ切り不満そうじゃん、お前。


「でも、面白くないのは確かだよ。あの娘の振るう剣には全く芯がなかったからね。凄く軽くて、それどころか酷く怯えた表情をしていたよ。ただ死にたくない。出来る事なら戦いたくない。私には、あの娘がそう叫んでいるように感じたよ」


「……そうかよ」


「うん。その、女神エリナ様、だっけ? 所詮は、与えられた力に振り回されているだけの小娘だよ。その点では、君の方が幾らかマシに見えるね」


 好き勝手に言いやがって。

 お前だって、力に溺れた狂人ってだけだろ。


「まぁ、そういう事なら、やっぱり勝てない相手と呼べないね。私が殺される相手としては不十分だと言わざる得ない」


「……で? また挑むのかよ?」


「挑む? あははっ! まさかぁ♪」


 くすくすと笑った彼女は、不意に眼光を強めて。


「次は本気で叩き伏せるよ」


 ゾッとするほど冷たい声音で、淡々と口にした。


「……凄い自信だな。策でもあるのか?」


「ん? んふふ……内緒♪」


 にひ、と意味深な笑みを浮かべて彼女は言う。

 俺としても、今更未練のない幼馴染。

 人間を裏切ると決めた時から、覚悟は決めた。


 寧ろ、報いを受けたのだと割り切れるはずだ。


「シーナくん。服が乾いたら、私のところに持って来てくれるかな? 裂けた所を繕ってあげるから」


「え? いや、それくらい自分で出来る」


「出発は明日の朝だ。君だと間に合わないよね?」


 突然、そんな事を言われてしまう。

 こいつ、まさか一緒に来る気か?


「……連れて行く気はないぞ?」


「連れて行くのは私だよ? 勝者は私だから、君に選択肢はあげない。それとも、もう一度私に挑んでみる? わからせてあげるよ?」


 ふと、ブワッと頬を覇気が撫でた。


 その発生源である眼前の女。

 その瞳から、俺は全く目が離せなくなる。


「……出来れば、勝てない戦闘は避けたいんだ」


「確実に勝てる準備をしてから向かえば、何も心配する必要はないよね? 急いて最善の結果が得られる程、現実は甘くないよ? それに、君はもう少し自分の価値を正しく認識した方が良い」


「…………」


「それに、まさか君も今更話し合いで解決するとは思ってないだろう?」


 ……ユキヒメの言う通りだ。


 ミーアを取り戻すには、力が必要になるだろう。


「流石に理解したかな? とにかく、今は少しでも休んでおこうか。気力も体力も休める時に回復しておこうよ」


「……あぁ。そうだな。他にやる事もないしな……ご馳走様、食器と鍋は俺が洗っておく」


 洗い物と銃の整備、そのあと携行品の確認。

 全部終わったら、夕方まで寝るか。


 そう思い立ち上がろうとすると……パシッ。

 俺の手首が強い力で掴まれた。


「うんうんっ。それじゃあ、シーナくん。隣の家のベッドに行こっか?」


 思わず振り返ると、ユキヒメは言った。

 にこにこと、満面の笑顔で。


「……は? いや、何故だ?」


「だって。ここのは使えないからね」


 確かに、俺も血塗れの寝台で寝たくはないが。


「離せ、寝るなら一人で行けよ」


「屋根の下で一人で眠るのは慣れてないんだよ」


「なら、一人で寝れる場所に行けば良いだろう」


「こっちは、もう冬なんだろう? 外は寒いだろ。風邪を引いてしまうじゃないか」


 いっそ、そのまま凍死してくれ。

 なんて、流石に言える訳もなく……っ!


 と、不意に。ユキヒメは耳元に口を寄せて来て。


「大丈夫だよ。誰にも言わないからさ♪」


 甘い声で、そんな言葉を囁いて来やがった。


 何故だ。何故、こうなった?

 こいつは一体、俺のなにを気に入ったんだ?


「だから、そんなに抵抗しないでよ。私も寝不足で辛いんだ。君を抱き枕にして、夕刻までグッスリと眠りたいだけなんだから、大人しくしてよ」


 ………………………ん?


 抱き枕にして眠るだけ?


「……なんだよ。そういう事なら我慢してやる」


 そっかー。なんだ。勘違いだったのか。

 俺は、てっきり……

 それくらいなら、まぁ……良いかぁ。

 

 流石に、ミーアも許してくれるよなー?





 …………。





 「ん……朝か?」


 ふと目が覚めると、窓から差し込む光が眩しくて思わず目を瞑った。


 身体が凄く怠い、特に腰が痛い……なぜだ?


 確か俺は……昨日、朝から夜まで……って。


「……ッ! ユキヒメ、あの野郎っ!!!」


 思い出した俺は、慌てて飛び起きた。


 シーツから這い出た身体は、当然のように全裸。

 寝ていた寝台は中々に酷い有様だった。


「朝か……って。なにやってんだ、俺は……ッ!」


 脇目も振らずに寝台の周りに散乱していた服を拾い集めて、慌てて着替える。

 窓の外には上がったばかりの朝日があった。


「なんで……まさか。そうか……やられた……!」


 最後に覚えているのは、暗くなった室内。

 静かな空間に響く、甘美な嬌声。

 そして、淫乱犬の上気した白い肢体だ。


 特に、あの尻尾。

 スベスベなのに絶妙にモフモフとした素晴らしい手触りが手に残っている……ッ!


 着替えを終えた俺は家を飛び出し、この村で最初に眠った寝室のある隣家に向かって走った。


 数秒で到着し、力任せに扉を開ける。


「おいっ! ユキヒメッ!!!」


「ん? あは☆ おはよ、寝坊助くん♪」


 俺の顔を見るなり、ユキヒメは……にやぁ。

 と、実に意地の悪い笑みを浮かべた。


「お前、あれ……っ! ええと……あ、そうだ! 言霊だ! あのふざけた術を使ったなっ!?」


「あ、知ってたんだ? なのに掛かっちゃうなんてねー? くふふっ。意思がよわよわな証拠だね♡」


 ……こ、この女!

 よくもやりやがったな!?


「ふざけんなっ! お前、一体なにを考えてっ!」


「くふふっ! 君、その可愛い顔に似合わず、夜は随分と情熱的なんだね?」


「それは……クソ……ッ! 趣味が悪いぞ……!」


 何故だ……何故、俺は途中で気付かなかった!


 ミーアに白い犬耳や尻尾がある訳ないだろ!


 胸もあんなに大きくないし、腰もあんなに細くないし……っ! せめて腹筋で気付けよ馬鹿野郎!


「心が弱っている者程、御し易い。特に君のような未熟な若輩者なら尚更だ。良い勉強になったね?」


 ……そうか。付け込まれたって訳か。


 ホント、良い勉強になったよ。


 心は殺したはずで、お陰で精神的な攻撃に対して耐性があると自負していたが……甘かったな。


「……ぐっ。クソ……お前、やっぱ嫌いだ」


「強がるねぇ。とりあえず座ったら? もう少しで終わるからさ」


 と、ユキヒメは手元を掲げて見せた。

 その手には、俺の黒革の外套が握られている。

 見れば、卓上には俺のズボンやシャツもあった。

 どうやら、もう縫い終わっているようだ。


 まさか、あれから夜通し裁縫をしていたのか?


「……お前、ちゃんと休んだのか?」


「んー? 大丈夫だよ?」


 ユキヒメは、忙しなく手を動かしつつ答えた。


 そんな彼女の隣に置かれた椅子に目が行く。


 ……隣に座らせる為か。

 まぁ、肩が触れるくらい今更ではあるが。


 仕方なく隣に座り、卓上の服を掴んで広げる。

 ……凄いな、縫い目が全く分からない。

 あんなにボロボロだったのに、見事なものだ。


「……凄いな、お前。いっそ転職しろよ」


「んふ♡ もしかして口説いてる?」


 ……いちいちムカつく笑顔だ。


 でも……おかしいな。何故か否定したくない。

 あんなに敵視していたはずなのにな。


「生憎、金も立場もないんでな。雇える程の甲斐性があれば、とっくに口説いてるよ」


「……え? あれ? なんか急に素直だね?」


「どうせなんでもお見通しだろ? それに、お前とこうして話してるのは中々悪くないよ。そうやって普通にしてれば、お前の言う通り良い女だしな」


「……っ! ふーん? そっか」


 と、ユキヒメは見慣れない仕草を見せた。


 俯き、ぷるぷると震え、耳を赤くしている。

 椅子から垂れた尻尾は、ゆらゆらと揺れていた。


 あれ? こいつ……まさか照れてるのか?


 おっと……これは仕返しの好機だな?


 だが、俺の発言も思い返せば相応に恥ずかしい。

 ……仕方ない、今回は見逃してやろう。


 なんとなく黙り込むと、無言の時間が訪れた。 

 

 暫くそうして、ユキヒメの裁縫を眺めていると。


 ポスッ。

 俺の膝の上に、白い尻尾がやって来た。

 

「暇でしょ? ブラシ、そこにあるから」


 ……俺に手入れしろってか?


「……大丈夫かよ。敏感なんだろ?」


 昨晩の事を思い出し、なんとなく気恥ずかしさを覚えてしまい……目を背けながら聴く。


「慣れてない人には任せないよ」


 なるほど、随分と評価して頂けたらしい。

 昨日は半日以上触ってたからな……流石に出来ると思うが。


 卓上にあったブラシで尻尾を優しく撫でる。

 水浴びをした後、そのまま自然乾燥したらしい。

 これは時間が掛かりそうだな。


「ん……上手い上手い。じゃ、よろしくね」


 そう言って、ユキヒメは裁縫に戻った。

 互いに会話のない、静かな時間が流れる。


 その落ち着いた時間は、中々に心地良かった。





 昼。

 水浴びから戻って来た俺は、点検と収納を終えた武器やポーチを身に付け、外套を羽織った。

 悲惨な有様だった装備だが、また問題なく使える状態に戻ってくれて良かった。

 特に、この外套はミーアからの贈り物だ。

 駄目になったと言わずに済んだのは、ユキヒメのお陰だろう。


「うん、問題ないみたいだね」


 声を掛けられて振り返る。

 隣室で着替えていたユキヒメだ。

 彼女も元の見慣れた和服姿に戻っている。


「あぁ、良い感じだ。早速行くか?」


「そうだね。ここから結構遠いから。今だと三日は見た方が良さそうだ……ほい」


 不意にユキヒメが放った剣を空中で掴む。


「良さそうなのが見つかったから貰って行きなよ。銃なんて玩具だけだと心許ないでしょ?」


 見れば、慣れた長さの長剣だった。

 重さも問題ない。これなら片手でも扱える。

 試しに抜いてみると、手入れもしてあった。


「悪くないな。手入れもしてくれたのか?」


「少しだけね。あと毛布とか、食器とか。使えそうな物は纏めておいた。手分けして持って行こうか」


 ……あれ?

 

「お前、いつの間に……」


「私は人と行動を共にする事に慣れていないから、不備があっても許してね。私一人だと必要のない物ばかりだから」


 淡々と言って、大きめの鞄を手にしたユキヒメは出口に向かって歩き出した。


 いや、文句なんて言える訳ないだろ……


 そう思いつつ、俺は左腰に剣を吊り下げ、毛布を括り付けてある背嚢を背負って追いかけた。





 村を出て人の手が入った街道に出たのは、空色が赤く染まり出した夕刻の事だった。


 藪を抜け、道を見つけた俺は溜め息を吐く。


「やっと歩き易い道に出たな……」


「うーんと、方向的に暫くは使えそうだね。思ったよりも進行が遅いから、到着は予定より遅れるよ」


 どうやら道は、まだまだ長いらしい。

 

「そろそろ目的地の情報を教えて欲しいんだが」


「話は、夜営の準備をしてからにしようか。この辺りは獰猛な魔物が沢山いるからね。夜道を進むのは得策じゃない」


「魔物?」


「知らないの? 人を襲う獣の総称だよ」


 なるほど、異界の怪物様達って訳か。

 それこそ狼とか熊とかの獰猛な獣も含まれる。

 俺に馴染みのある呼び方だと、化け物だな。


「魔物も獣も火を恐れる。どこか落ち着ける場所で焚き火をしようか」


「近くに街はないのか? せめて手紙の一つくらいは出したいんだが」


「あー……くふふふっ! 赤竜姫の慌てた顔が目に浮かぶようだよ」


「……いい性格してるな、お前」


 うーん……帰るの怖いなぁ。

 多分、信じられないくらい怒られるだろうな。


「まぁ、心配させときなよ。いつまでも君を自由にさせてるのが悪いんだからさ」


 赤竜姫は、メルティアで良かった。

 もしユキヒメだったらと思うと……ゾッとする。







 夜。

 結局は街道の隅に腰を落ち着けた俺達は、焚き火を囲んでいた。


「ふぅ……寒いね。毛布を持って来て良かったよ」


「お前、寝不足だろ。俺は携帯食で済ませるから、もう寝ろ。眠くなったら起こす」


 早速、毛布に包まったユキヒメを見て言うが。


「私に気を遣う必要はないよ。悪意を感じたら起きれるから」


 規格外の超人様はそう言って、俺の隣に近付いて来た。


「……なんだよ」


「目的地の話、してあげようかなって」


「それ、わざわざ近付いて来る必要あったか?」


「思ったより寒いからさ。さ、入ってよ」


「……はぁ。分かったよ」


 毛布を広げたユキヒメに見つめられて、溜め息が漏れた。


 肌を晒し、重ね合い、深く繋がった相手だ。

 嫁にぶん殴られる覚悟は出来ている。

 今更、同じ毛布に入るくらい何の抵抗もない。


「お。あったかいねー、君」


 ……と、思ったんだが。


「……汗臭いだろ」


「あはは、そうだね。でも嫌いじゃないよ?」


 入ってすぐ、俺は後悔した。

 なんでコイツ、こんな良い匂いすんの?


「君も私の汗の匂い、嫌いじゃないでしょ?」


「……まぁ。なにか使ってるのか?」


「私がそんな事に気を遣うと思う? 単純に私達の身体の相性が凄く良いってだけだよ」


 察した……この話題は危険だ。

 多少、強引にでも本題に戻らないと。


「そこで私は考えたの。君が人のまま力を得る事が出来て、向こうの勇者が好き勝手出来なくなる位の抑止力になれる方法をね」


「……え?」


 ユキヒメは、俺の鼻先を人差し指で押した。


「私達も負けない徒党を組めば良い。つまるところ君は、その頭目。あの青年と同じ勇者って訳だね」


 はい?

 なにを言ってやがるんだ? この淫乱剣聖は。


「勇者一行は、勇者。剣聖。賢者。弓帝。あと聖女の男一人、女四人で構成された群れなんだよね? 少し心許ないけど、弓帝は君の今嫁で決定として、私達が向かうのは賢者候補のところだよ」


「……なに考えているんだ? お前」


 尋ねると、ユキヒメは意味深な笑みを浮かべて。


「私が生きる理由を作ってくれるって君は言った。私は君と居るのが悪くないって思えた。だからさ、作ろっか? 私達で、最強の家族を」


 ……どうしよう。


「お望み通り、生きてあげるよ? シーナくん♡」


 こいつ、とんでもない事を言い出したぞ?

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