第126話 嫁と勇者

 港町に停泊中の真紅の戦艦。

 その甲板に着地したのは日が昇る頃合いだった。


「では私は我が家の艦に向かいます。メルティア、私が居ないからと言って、くれぐれも淫らな真似はしないように」


「早よ行け」


 滞空中の白竜姫に、鬱陶しそうな顔で、シッシッと手を振る。

 俺は、そんな雇い主様を横目にしながら。

 右耳の通信機に、そっと手を添えた。


「ミーア、到着したぞ。応答しろ」


 ……やはり返答はない。


 飛行中も何度か呼び掛けたが駄目だった。

 流石に、まだ行動してないと信じたいが。


「では、シーナ。また後程っ!」


「しつこいのぅ……シーナ、すぐに艦を出すぞ」


「先に行け。俺はやる事がある」


 役立たずの通信機から手を離す。

 そして俺は海岸沿いを目で探し……見つける。


 遠くに巨大な帆船が六隻。

 陸地には天幕の群れが見える。


 目を凝らせば、視界は凄まじく明瞭になった。 

 相当離れているのに、人の顔が分かるくらいだ。


 ……悔しいが便利だな。竜の眼は。


「まさか一人で行く気か?」


「連絡が取れない以上、確かめるしかない」


「駄目じゃ、許可出来ぬ。大人しくしていろ」


 背後から威圧感のある声音がした。

 堪らず見れば、メルティアが俺を睨んでいる。

 流石は本物の竜の瞳……凄まじい威圧感だ。


「主様一人を危険に晒せぬ。まだ我儘を言うなら、力づくで止めさせて貰うぞ?」


「……行かせてくれ。あいつを置いては行けない」


「……元より連れて来るべきではなかった娘じゃ。ミーアは自分の居場所に帰っただけじゃろう」


「は? お前が背中を押したんだろうが」


「事情が変わった。そうじゃろう?」


 抗議するが、メルティアは眉一つ動かさない。

 凄まじい形相のまま、金色の瞳を輝かせている。


 今のこいつは、とても説得出来そうにない。


「……どいつもこいつも、自分の事ばかりだ」


「そうじゃな。そして主様も人の事は言えぬ」


「……ッ」


 くそ、もうメルティアに口で勝てる気がしない。

 流石は長く生きているだけある。


「忘れるな。妾はいつでも主様と契り、成体になる覚悟が出来ておる。力づくでな……しかし、それをしないのは何故だと思う?」


「……お前を選んで良かったよ」


「心得ておるなら馬鹿な真似はするでない。主様はもう、この世界の純然な人間ではないのじゃから」


 生まれた世界の者達と、同じ人間ではない。


 そう言われ、俺は湧き上がる感情を持て余した。

 強く握った拳が酷く震える。


「妾には血を分けた主様を守る義務がある」


「……いや。お前の言う通りだよ、メルティア」


 申し訳なさそうな表情を見て、力が抜けた。


 メルティアは、何一つ間違っていない。

 子供のような我儘を言っているのは俺だ。


 俺は結局、また運命に逆らえなかった。


「必死になって迎えに行っても悲しませるだけだ。俺にはもう、あいつと居る資格がない」


 医者に言われた言葉が脳裏を過ぎる。

 俺の身体は同族でない異性を傷付けてしまう。


 そして俺の同族は……今。目の前に居るのだ。


 他でもない。

 あの女神が決めた運命の相手で、お姫様が。


「それでも……諦めきれない。お前には悪いが」


「……妾の方こそ。今の主様には酷な事を言った」


 そんな俺の内心を察したのか。

 彼女は恐る恐ると言った様子で近付いて来て。


「せめて今は抑えよ。いずれ連絡があるじゃろう」


 キュッと俺の右手の裾を掴んだ。

 ミーアが贈ってくれた、外套の裾を。


「……その時は行かせてくれよ?」


「無論じゃ。時が来れば、妾も全力で助力しよう」


「……わかった」


 だから今は振り払えない。

 そう思う事で、無理矢理。自分を納得させた。


 ……俺は、卑怯者だ。





 弓帝の天幕で一夜を過ごし、早朝。

 ルキアに連れられ、ミーアは天幕の外に出た。


「これからシスル……勇者に紹介する」


「こんなに早くから?」


 まだ夜明けだ。

 薄暗い外の空気は澄んでいて、寒い。

 二人の吐く呼気は白かった。


「誰かに見つかって騒ぎになると面倒」


「まだお休み中ではないかしら?」


「寝てるなら起こせばいい。とにかく、シスルには起床時間になる前に知らせておいた方がいい」


 言いたい事は理解出来る。

 しかし……流石に不躾ではないだろうか。

 彼女が勇者の幼馴染である事は有名な話だが、


(本当に大丈夫なのかしら)


 不安が全く拭えない。

 しかし今は従うしか選択肢がない。

 結局、なるようにしかならないと思いつつ……

 二人は、野営地で最も大きい天幕に向かった。


「ん……心配なくなった」


「え?」


「また寝てないみたい」


 天幕の前に到着すると同時、ルキアは言った。

 彼女は天幕から漏れる灯りを見ている。

 お陰でミーアは言葉の意味を察する事が出来た。


「流石は勇者様、噂通り多忙な方なのね」


「ここは四人で使ってる。私が様子を見て来る」


 淡々と言って、ルキアは天幕の中に消えた。

 小さな少女の姿を見送ったミーアは深呼吸する。


(大丈夫……きっと上手くやれる)


 夫と出会うまで、自分の才能に酔っていた。

 自分は天才で、女神に愛されていると信じて。

 と、久し振りに自己暗示を始めると……

 

「おはようございます、シスル様」


「ん? あぁ……ルキアか。おはよう」


 天幕の中から若い男性の声がした。

 何度か耳にした事がある懐かしい声。

 そして……自分とは違う。本物の天才の声だ。

 

「珍しい。貴方にしては気付くのが遅いですね」


「あはは、流石に疲れを感じてるよ」


「今日は大事な作戦の日です。大丈夫ですか?」


「そう思うなら、その話し方をやめて欲しいな? 折角、二人きりなんだからさ」


「残念、お客様をお連れしました……ユキナは?」


「ユキナなら、そっちのソファで寝てるだろう? それで、こんな朝早くに誰を連れて来たのかな」


 中には、あの剣聖も居るらしい。

 話の流れからも……そろそろだろう。


(ユキナ……そう、彼女も居るのね)


 妙に落ち着かず、手櫛で髪を整えながら。

 ミーアは早鐘を打つ心臓に左手を添えた。


「ん……紹介致します。入って来て」


 やはり呼ばれ、意を決して足を踏み出す。

 天幕の中に入ると……最奥の執務机に彼は居た。


「……驚いたな」


 寝不足で隈の目立つ。

 そんな赤目を驚愕した様子で見開く、人類最強。

 勇者と呼ばれる金髪の美青年が。


「こちら、ミーア・クリスティカ様です」


「ミーアです。お会い出来て光栄です、勇者様」


 羽織った黒い外套の下。

 短いスカートの裾を両手で摘み、お辞儀をする。

 そんなミーアに、青年は机から身を乗り出した。


「なぜ君が此処に? 死んだと聞いていたけど」


「こうして生きております。この地には主人と共に参りました」


「主人? それって、やっぱり……」


 青年の表情が、あからさまに輝く。

 ミーアは毅然とした態度で答えた。


「先日婚約致しました。主人の名はシーナと……」


「やっぱりっ!?」


 バンと強く机を叩く。

 そんな青年の表情は異様に生き生きしていた。


(え? は? なによ突然……気持ち悪いわね)


 対して。ミーアは、スン……と冷静になる。


 幾ら顔が良くて一時は憧れた存在でも関係ない。

 今は最愛の夫以外、男は全員醜いと思っている。

 そんなミーアの表情と瞳は異常に冷たかった。


「あ……コホン。すまない、取り乱した」


 青年はミーアの瞳を見て我に返った。


「それで? 彼も来ているのかな?」


 青年は口にしながら、ソファへと視線を向ける。


「すぅ……すぅ……」


 身を抱えるようにして眠る、銀髪の少女。

 彼女は未だ、安らかな寝息を奏でていた。

 その愛らしい寝顔は惜しげなく晒したままだ。


「いえ。主人とは別行動中です」


「別行動? ここは魔界、敵地なのにかい?」


「私は、いつも留守番です。今は無人の村の跡地を利用して、拠点としております。恐らく、以前……貴方方が訪れた場所だと推察しておりました」


「へぇ……確かに、わざわざ焼き払わなかった村が三つくらいあるね? そのうちの一つは、ここからあまり離れていない位置にあったはずだ」


 ミーアの丁寧な説明に青年は納得した。


(良かった。まだ疑われてないわね)


 勇者一行の活躍は全て調べ、この地に来てからも被害を受けた村の位置は全て把握している。

 ミーアは、予め話を用意していたのだ。


(噂の嘘を見抜く力を使ってないなら……少し嘘を交えても問題はなさそうね。発現には条件があると考えて、今後の動きは警戒しておきましょう)


 自分に言い聞かせつつ、顔には出さない。

 貴族令嬢であり、優れた商人の血が流れている。

 そんなミーアにとって、嘘は強力な武器の一つ。


 お陰で、誤らなければ使えると確信する。

 

「それで、彼は今どこに?」


「主人は……」


 また用意した答えを言いかけた時、銀髪の少女が寝返りを打った。

 すぅすぅと寝息を立てる彼女に視線が集まる。


「あぁ、待って。君には沢山聞きたい事がある」


 青年は苦笑して。

 机に立て掛けていた金色の剣を右手で掴んだ。


「少し場所を変えようか」


(……あれが噂に名高い聖剣ね)


 一目見て、ミーアは気付く。

 女神に与えられた勇者の剣。

 神話に語られる神器の中で、最強の宝剣だ。


(聖剣を手にした勇者に、嘘は通用しない……)


 ここからが本番だ。

 そう感じながらも、


「はい」


 かつて、彼……勇者に奪われた。

 そんな男の今嫁は毅然とした態度のままだった。








 青年に連れられ、訪れたのは砂浜だった。

 まだ夜明けを迎えたばかりの海岸沿い。

 その景色は、思わず魅入ってしまう程に壮観だ。


「良い景色だ。潮風はあまり好きじゃないけど」


「そうですね」


 青年の言葉に、ミーアは同意してみせた。

 流石は世の女性達を虜にして止まない男。

 水平線を見つめる青年の横顔は朝日より眩しい。


 流石、かつて憧れた存在だと思いながら。


(絶対、ここにあなたを連れて来ないとね)


 これが彼なら……と思った。


 容姿だけで言えば、今の勇者にも引けを取らないどころか、補正込みで最高の景色になるはず。


(そうね、ここでプロポーズのやり直しを……)


 ミーアは意中の男に想いを馳せる。


 プロポーズのやり直し、朝日を背に抱擁。

 その後は港街を散策して海が見える宿に泊まる。

 そして二人きりの部屋で一晩中……


(我ながら完璧なデートプランね?)


「さて、景色の感想は程々にしておこうか」


 真面目な表情の淫乱娘は青年の声に顔を上げた。

 その間で当然、思考の切り替えも済ませてある。


「わざわざ連れ出して悪いね。寒いだろう? 君のような若い女性には、少々堪えるかな?」


 今の季節は冬に近い。

 景色こそ壮観だが、潮風は冷たかった。


「ご心配なく。私は冒険者ですから」


「そっか。確かに可憐な君には華がない格好だね。特に、その黒くて丈の長いコートは」


 青年の言葉に、ミーアは苛立った。

 わざわざ夫と揃いにした物なのだから当然だ。


「容姿の華やかさでは日々の糧にも困る稼業です。しかし、流石は勇者御一行様ですね。皆様の装備は大変に煌びやかで、洗練された品ばかり」


 今は武装してない勇者と弓帝。

 だが二人の着ている服は一目で上等だと分かる。

 とても戦地とは思えない格好だ。


「全て、君の家が抱える職人達が手掛けた物だよ。しかも無償で提供して頂いて、感謝しているよ」


「はい、存じております。何卒、今後とも我が家を御贔屓にお願い致しますね?」


「あはは。これは僕とした事が、してやられたね」


 眉を伏せ、少し困ったように青年は笑う。

 しかし、わざとらしさが滲み出ていると感じた。


「君は若いのに、とても聡明な女性のようだ」


「両親に受けた教育の賜物です」


「それなのに何故、君は冒険者なんかに?」


「なんか、とは? 在り方は人それぞれでしょう」


 これ以上、私の詮索はするな。

 そんな意を瞳に込め、ミーアが言えば。


「……なるほど、悪かったね」


 青年は素直に引き下がった。

 この辺りは流石だと感心する他ない。

 

「他愛のない話はこの辺に致しませんか?」


「そんなに警戒しないでよ。僕は一応、勇者なんだけど?」


「自らをそう誇らしげに自称出来てしまう人物は、個人的に好ましく思えないものでして」


 眉間に皺を寄せ、警戒心を露わにした表情。

 そんなミーアの厳しい目に、シスルは苦笑して。


「なるほど、彼が気にいるわけだ」


「あら、御自覚がお有りですか?」


「皆まで言わなくて良いよ。わかった、早速本題に移るとしようか」


 自分は世の一般的な女性達のようにはいかない。

 そんな手厳しい意志が言外に伝わり、勇者はその端正な顔で海の先を見つめた。

 丁度、王国の陸地が僅かに見えている方角だ。

 

「何故、ギルドに死んだとされている君達が生きていて、この魔界に居るのか。まずはそこだ」


「私達を消そうとした貴方が、それを聞きますか」


「至極真っ当な疑問だろう? それに君の言葉には語弊がある。あの村に騎士隊が派遣された件には、僕は全くの無関係だ」


「剣聖は貴方の操り人形でしょう。その彼女が民衆の前で宣言したのですよ? 貴方の関与を疑うのは当然だと思いますが」


 やはり肝が据わっている。

 とても15歳の若い娘とは思えない。  


(状況的に無謀過ぎる駆け引きを、この娘は平気でやってくる。僕の反応次第では無事では済まないと分かっているはずだ)


 咎めるのも、無礼だと叱責するのも容易。

 しかし今は幼馴染ルキアが傍に居る。

 騒ぎになれば様子を見に来る者も居るだろう。


 ……下手な真似は出来ない。


(いや……この娘は勇者ぼくが相手だと知った上で口にしている。そして下手な言動が出来ない以上、他の誰かに聞かれる前に答えを急ぐだろうと予想している)


 シスルの目に映る、少女の瞳には力があった。

 彼女は何かを確信している。

 その上で自分は敵だと認識されている。 

 

 そう考えれば、全ての辻褄が合う。


「ユキナが僕の操り人形、ね? その根拠は?」


「誰かに操られでもしてなければ、あの恩知らずな宣言は不可能でしょう? それも、国王様や民衆の眼前です。とても正気の沙汰とは思えません」


「ユキナは真実を言ったのかもしれないよ? 僕も一度会ったけれど、彼女の両親はユキナと全く似ていなかったからね」


「仮に真実だったとしてもです。剣聖の両親が全く娘の顔立ちと似ていない事は、私も実際に会ったので存じております」


 一度顔を伏せ、ミーアは考え込む様子を見せる。

 しかし……すぐに彼女は、キッと顔を上げた。


「しかし、育てて貰った両親や故郷の者を大罪人に仕立て上げ、最優と呼ばれる騎士を使ってまで断罪しようするなんて……もし仮に真実を言っていたとしても、とても辺境育ちの何も知らなかった村娘が報復に考える事ではありませんでしょう」


「はははっ! そうだね、君の言う通りだ」


 勇者と呼ばれる青年は嗤った。

 そして彼は、核心を突く。


「そして……君の夫である彼はその最優を退けた。剣聖になった幼馴染の思惑すらも斬り伏せて、ね。傍で見ていた君は、さぞ爽快だった事だろう」


 茶化した途端、少女の顔が強張った。

 それは一瞬だったが、青年は見逃さない。


「私達は、その当時。村を襲いに来た四天王の娘と思われる赤髪の魔人を追い、この地に渡りました」


 絞り出されたのは、苦しい言い訳だった。


 それすら真実味を感じさせる辺り、大した演技力だと感心せざる得ない。


「へぇ? 最優を亡き者にしたのは、僕達が倒した四天王の娘だったのか」


 知りたかった真実は確認出来た。

 故に青年は、少女の言葉に素直に応じる。


(聖剣に触れるまでもないね……でも)


 彼女は嘘を吐いている。

 そう確信しているが、気になる話だ。


「何故、シーナが誰の助力も求める気がないのか。貴方には覚えがあるでしょう」


 辺境の地で討った、赤の四天王。

 その娘に戦場から近い村が襲われた。


 確かに、あり得ない話ではない。


 なにより対面する少女の表情が物語っている。

 とても嘘を吐いている者の眼ではなかった。


「幾ら気に入らないからと言って、無謀が過ぎる。折角の貴重な原典オリジナル所持者を見殺しには出来ないね」


 ミーアは、わざとらしく「ふぅ」と息を吐いた。


 少し緊張の糸が解けたのだろう。


「私は彼に身の程を弁えた生活を送って欲しい……そう望んでおります。幾ら特別な力があると言え、貴方に彼を利用させるつもりはありません」


「虫の良い話だ。力があるなら協力するべきだよ。今は国中の誰もが魔人との戦争に尽力している……他でもない彼の幼馴染もね」


 青年は目力を強くする。

 しかし少女は一切臆さず、毅然と応じた。


「彼は平民です。そして私達貴族には、民に平穏を約束する義務がある。彼が自ら望まないのならば、貴方が幾ら勇者でも無理強いは出来ない」


「力には責任が伴うだろう」


「それは自らが恵まれた者が説く詭弁です」


 やはり堂々とした少女は譲らない。


「彼に諦めるよう説得して下さい、勇者様。魔人を討つのは貴方と騎士の仕事。力の責任を語るには、まず貴方が御自身で示してからです」


 耳が痛い話だと思った。

 確かに青年は、まだ大した戦果は上げていない。


「彼は僕の言葉に耳を貸さないのだろう?」


「それも御自身の責任でしょう。彼は、そしてあの辺境の村は、既に十分な対価を支払っているはず。まさか足りないとは言わせませんよ?」


 まさかと言いたいのは青年の方だった。


 まさか歳下の、それも成人を迎えて一年も経っていない部外者の小娘に、こうも鋭く睨まれるとは。


『あれなら、すぐに他の女が出来るさ』

『そしたらユキナの事なんかあっという間に忘れちゃうんじゃないの?』


 故郷の村を訪れた際。

 宴の最中。隣席で落ち込むユキナに言った冗談が現実となっている。


(……驚いたな、本当に)


 それも相手は勇者に媚びるどころか敵意を向け、

しかし都合良く利用しようという強かさがある。


 あの大商会の娘だけあって、頭も悪くない。


「私は教養の足りない幼稚な剣聖と違いますよ? くれぐれも踏み倒せるとは思わないで頂きたい」


(これは、相当面白い娘を見つけたものだね)

 

 何より、この不遜な態度が堪らない。


 勇者と同等の三人の姫騎士。

 それも今、この場に居る幼馴染のルキアですら、一度も向けてくれた事がない。


(凄く良いね、この娘は)


 そんな強く鋭い光を宿す、真っ直ぐな瞳だ。


 薄く嗤って、シスルは決心した。


「わかったよ。元より彼とは、もう一度会って話をしたいと思っていてね。見知った顔が知らない間に亡くなってしまうのも目覚めが悪い」


「……では」


「あぁ、協力してあげよう。ようこそ、勇者一行の野営地へ。僕達は君を歓迎しよう」


 腕を広げ、わざとらしく告げる。

 そんな勇者の姿を見て、軽薄だと感じつつ……

 ミーアは、スッと緊張の糸を解いた。


「数々の無礼を働き、申し訳御座いませんでした。短い間でしょうが、お世話になります」


「構わないよ。思う所があったなら当然の態度だ。誤解を招いた僕にも非はある。弁明は、また改めて時間を貰うよ」


「寛大な御心に感謝致します。滞在中はなんなりとお申し付け下さい。拙いながらも尽力致します」


 そう言って、ミーアは深くお辞儀をする。

 先程までが嘘のような、しおらしい態度だ。

 この変わり身の早さには、再度青年は感心した。

 

「そうだね……ルキア。彼女は君の従卒に命ずる。同じ女性で弓を扱う者同士、面倒を見てあげてよ。それと、くれぐれも……わかっているね?」


 青年が視線を向けると、幼馴染は即座に頷く。


「畏まりました。では、私達はこれで……ミーア」


「? はい。それではシスル様、また後程」


 踵を返し、去って行く女性達を見送る。


 と、青年は二人が十分離れたところで振っていた右手を下ろし。


「そうか、やっぱり生きていたか」


 朝日を照り返す海面を見て、思い馳せた。

 一度だけ相対した白髪の少年。

 その暗く、一切の感情が伺えなかった青瞳を。


「原典と呼ばれる権能を持ちながら、婚約者を潔く諦めた君が、まさか一人で魔界に居るとはね」


 作戦予定時刻の迫った港の奪取。

 そんな事など、頭の片隅にも残っていなかった。


「面白い娘だね。早く迎えに来なよ、シーナくん」


 今度こそ、あの少年は取り戻しに来るだろう。


 剣聖の幼馴染。

 与えられた特別な力を自覚し、短い期間で幾度の戦場を経験した彼が、どんな成長を遂げたのか。


「あっ、シスル様! 探しましたよー!」 


 そして……本当に変わり果てた最愛の幼馴染。

 その姿を見て、どんな反応を示すのか。


「目が覚めたら御姿が見えなくて……私、とっても不安になってしまいましたーっ♡」


 朝の潮風で、長く煌びやかな銀髪を靡かせて。

 野営地の天幕を背に、自身に笑顔で手を振る。

 絶世の美女と謳われる剣聖の甘い声に振り返り、


「こらこら……敵地でそんな風に叫ばないでよ」


 人々に勇者と呼ばれ、敬い、崇められる。

 金髪赤目の美青年は呆れた様に苦笑して見せた。


「久々の魔界、今回は退屈せずに済みそうだ」


 その黒い心情を誰にも悟られないように。

 








「で? こんな朝早くに呼び出されたと思ったら、平気な顔で巻き込んでくれるのね?」


 砂浜での勇者との会話後……すぐ。

 弓帝の天幕に戻ったミーアは、不機嫌顔の女性と対峙していた。

 椅子に腰掛け、肉付きの良い腕と足を組む。

 そんな彼女は、まだ成人を迎え冒険者になる前。何度か出席した夜会で面識のある人物だった。


「こうして、直接御挨拶させて頂くのは初めてに」


「私は覚えてるわよ。貴女、ミーア・クリスティカでしょう?」


 あからさまに面倒臭そうな顔。

 しかし、ミーアは眉を痙攣させながら続けた。


「まぁ、光栄ですわ。あの賢者様に」


「そういうのいらないわ。貴女の全く愛想がなくて社交的ではない性格は有名だもの。気味が悪いわ」


 フンと鼻を鳴らし、冷めた瞳で見つめてくる。

 

(は? なにこいつ……キレそう)


 負けじと、ミーアは睨み返す。


 睨み合う二人を見て、ルキアは察した。

 感情が読み取り辛いと評判の無表情。

 そんなルキアは、片眉を僅かに上げ……


「ルナ、流石に失礼。他に言うべき事があるはず」


「ご無事で何よりですって? わざわざ魔界に来てまで、こんな物好きに愛想良くしたくないわよ」


「あら。初めて意見が合ったわね、賢者様?」


 早速、ミーアは本性を現した。

 腕を組み、片足に体重を預けた姿で見下ろす。

 そんな彼女を見上げる格好で、ルナは。


「本当の事でしょ? 王国貴族の中でも群を抜いて裕福なクリスティカ家の娘のくせに、冒険者になる為に家を飛び出すなんて。正気の沙汰じゃないわ」


「物好きなのは、お互い様でしょ」


「あら、どういう意味かしら?」


「そのままの意味よ? 幾ら顔が凄く良くて天才の公爵家の長男だからって、あの勇者はないわ」


 途端、ルナは不機嫌そうな顔から一転。

 感心したように眉を上げた。


「あら、言ってくれるじゃない」


「でも、お似合いね? 腹黒同士、仲良さそうで」


 ルナの顔に、あからさまに嫌悪が浮かぶ。


「誰がよ。貴女、本当は分かってるでしょ?」


「フン……同情するわよ、賢者様」


 鼻を鳴らし、未だ見下した様な冷めた瞳のまま。

 そんな歳下の少女の堂々とした姿を見て、


「……ルナ・ハークラウ。宜しく」


「ミーアよ、こちらこそ宜しく」


 ルナが差し出した右手を、ミーアは掴んだ。

 握手をしながら、二人は至近距離で睨み合う。


「貴女とは仲良くなれそうだわ。ホント、にっ!」


「……っ! 奇遇ね……私もそう思うわ……ッ!」


 握り合った右手から、ギリリと鈍い音がする。


(よく分からないけど、楽しそう)


 バチバチと視線を向け合う二人を見て、ルキアは呆れつつも安堵した。

 どうやら、互いに通じるものがあるらしい。


「しかし、やっぱり生きてたのね。そんな気はしていたけれど」


「女神様の特別製は貴女達だけじゃないって訳よ」


 その証拠に、二人が手を離したのは同時だった。

 やはり相性は凄く良いようだ。

 

「ユキナの幼馴染の彼、原典持ちだものね」  


「今は私の自慢の夫よ。それで? わざわざ貴女が呼び出された理由は何かしら?」


 二人の視線が、自然とルキアに集まった。

 

「……今、ユキナにミーアの存在を知られる訳にはいかない。シスルも、それを恐れてる。その為には二人の協力が不可欠」


 ルキアの端的な説明に、ミーアは察した。

 別れ際、勇者は「わかっているね?」と言った。

 あの言葉の意味も。


「私は構わないわ。元々、関わる気はないもの」


「貴女、本当に良い性格してるわね?」


「あら、なんの話? 部外者だから分からないわ」


 呆れた表情にも平然と肩を竦めて知らん振り。

 絶対、もうわかってるでしょ。

 そう追求したい欲求を、ルナはグッと堪えて。


(まぁ今更ね。旦那の元カノに関わりたいなんて、私でも絶対思わないもの)


 ルナは、以前に目にした白髪の村人を思い出す。


 確かに、あの容姿の少年だ。

 更には自分達ですら扱えない原典スキル持ち。

 ミーアが警戒する気持ちも分かる。


「私は貴女達に夫の説得に協力して貰いたいだけ。もし駄目でも、彼と合流出来たら出て行くわ」


「説得? 何をよ?」


 ルナの質問に応えたのは、ルキアだった。


「ミーアは旦那が普通の生活に戻る事を望んでる。幾ら憎んでいて力があっても、単独で魔人と戦う。そんな無茶は、すぐに限界が来る」


「一体、何があったのよ?」


 訝しげな表情を向けられ、ミーアは説明しようと口を開くが、


「また詳しく説明する。もうすぐ朝食の時間」

 

 それを手を上げて遮り、ルキアは言った。

 と、全員が卓上の時計を見る。

 その短針は7時を示そうとしていた。


「食事の後は会議。話はまた、落ち着いてから」


 ルキアの一言で、短い顔合わせは終わった。


 






 あとがき

 

 

 仕事キツすぎるっぴっ。

 でも内容の質は落としたくないのです。


 さて、ルナとミーアの絡みが楽しみです。


 ミーアちゃんは少し自重して……!

 書いてて心配になる。





 

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