第125話 決意を胸に

 竜の血を宿した少年が首都を飛び立った頃。

 目的地の港街から避難する住人達の中に、緑髪の猫耳少女の姿があった。

 彼女は街の門を潜ると同時に、愛馬に跨る。


「む? 君、馬から降りて誘導に従いなさい!」


「行くわよ、リリィ!」


 手綱を繰ると同時、牝馬は颯爽と駆け出した。


「おいっ! ちょっと君!」


「放っておけ! いちいち構ってられない!」


 避難誘導中の兵士達は駆け去る少女を見送る。

 彼女が抱く決意を知らぬまま。





「あまり遠くないと思うけど……」


 街道を離れ、少女は海岸沿いを駆ける。

 そして、数キロの距離を移動した所で……


「あった……」


 まだ随分先だが、停泊している船を見つけた。

 その数、六隻。全て同型の大型帆船だ。

 陸地には大胆な事に炎の光が幾つも見えた。

 どうやら下船して野営をしているらしい。


「大胆ね。あんなに広い野営地で堂々と火を使って料理でもしてるの? 馬鹿にし過ぎよ」


 まだ捕捉されるには遠いはずだ。

 そう考え、少女は飾り物の猫耳と尻尾を外す。


(さて。暗い中を接近するのは危険でしょうけど、時間がないわね。いきなり矢を射られたりしたら、諦めましょう)


 考えながら猫耳と尻尾を袋に入れ、両足の太腿に装着していた拳銃も入れる。

 これからを考えれば、持っているのは危険だ。

 そう考えた少女は、手頃な木の根元に袋を置く。


(これで良し。あとは適当に捕捉されれば)


 再度手綱を繰った少女は、思考を続ける。

 可能な限り安全に野営地へ近付く方法を。








「ん……」


 夜闇の中、散歩をしていた少女は気付いた。

 その容姿は十代前半。黒髪の幼い少女だ。

 しかし彼女を見た目で判断してはいけない。

 

「なに? この反応……人の気配……?」


 何故なら彼女は、この野営地で最強の弓士。

 女神から英雄の力を与えられた少女だった。

 その手にしている弓もまた神器と呼ばれている。


「たった一人? それも、弓の異能持ち……?」


 ルキア・ドロワール。

 弓帝と呼ばれる姫騎士。


「あ……居た」


 その瞳は、夜闇の中で昼間と変わらず見える。

 その異能を駆使して、彼女は見つけた。

 遠く先に離れた海岸沿い。

 こちらに向かって、馬で駆けて来る少女を。


「……あれは? え? ミーア・クリスティカ?」


 視認と同時、ルキアは驚愕した。

 幼い頃に参加した夜会で見た事がある顔だ。

 最近、一時話題になった歳下の女の子。

 お陰で改めて覚えた少女の姿があった。


「生きてた? なんで魔界に……?」


 途端に多くの疑問が脳裏を過ぎる。

 しかし考えても答えは出ない。

 すぐに好奇心に負け、ルキアは走り出した。


「いいや。捕まえよ」


 あの少女には、聞きたい事が沢山ある。

 たまには一人で散歩も良いものだと思った。







 愛馬を駆り、野営地へと向かう。

 そんな少女に突然、小さな人影が立ち塞がった。


「あっ……どう! どうどう!」


 手綱を強く引き、愛馬を急停止させる。

 すると人影の直前で止まる事に成功して。


「ちょっと、危ないわよ?」


「問題ない。もし当たったら大変なの、あなた」


 抗議した少女に、小さな人影は幼い声を発した。

 そのあまりに動じない姿を怪訝に思って……

 馬上の少女は、すぐに気付く。


「……ルキア・ドロワール様?」


「うん。そっちは、ミーア・クリスティカ様?」


「はい。私は確かに、ミーア・クリスティカです」


 幼声に応じ、少女は馬上から降りた。

 

「侯爵令嬢、畏まる必要ない。私は伯爵家の娘」


「貴女に対しては、そうは参りません。弓帝様」


 丁寧に敬礼する少女だが、内心驚いていた。


(いきなり大物が現れたわね……しかも一人って。あの弓帝様が、一体なにをしているのよ!)


 確かに見張りに捕捉されようとしていた。

 しかし最初から最高戦力の一人に会うなんて。

 想定外の事態だ。流石に動揺が抑え切れない。


「ふぅん?」


 殊勝な態度の少女を見て、ルキアは。


「……とりあえず来て。案内する」


 ここは寒い。

 すぐに野営地に連れて帰ろう……と思った。







 海岸沿い、勇者一行の野営地。

 連れて来られたのは、大きな天幕だった。

 この中に他の英雄達も居る。

 そう思うと、ミーアは流石に緊張した。


「どうしたの? 入って」


「失礼致します」


 先に中に入ったルキアに促される。

 その言葉に従い、ミーアは中に入った。


「適当に寛いで」


「…………」


 中は、とても急拵えの天幕とは思えなかった。

 広い空間には、ソファやベッドまである。

 どれも相当に質の良いものばかりだ。


「あの、他の皆様は……」


「ここは私専用。今夜は二人きり」


 尋ねると、すぐに答えが返って来る。

 と、ルキアは無遠慮に着替えを始めた。

 そして不意に手を止め、ミーアをジッと見て。


「だから、そんな利口な態度はいらない。あなたの本当の性格は知ってる」


「えっ……」


「今は私用時間。無礼講でいこ?」


 こてん、と。ルキアは首を傾げる。

 その愛らしい姿に、緊張が一気に解れた。

 

「……あなたが、それで良いなら」


「まだ硬いね。緊張してる?」


「いえ……ありがとう」


「ん……思ったより素直な子? 成長しただけ?」


「あなたこそ。もっと拙かったはずよね?」


「話し方? それなら沢山勉強したから」


 ルキアの視線の先。

 ベッドの枕元には、多くの厚い本があった。


「流石は弓帝様。努力家なのね?」


「その逆……私は人より遅れてた。怠けてた証拠。でも、仕事に支障が出るから」


 そう言いながら、ルキアは着替えを続行した。


「あなたも着替える。その格好じゃ寝れない」


 指摘されて、ミーアは自分の格好を見た。

 冒険者としての服装。

 夫とお揃いの黒革の外套を身に纏った状態だ。

 確かに、この格好で寝るのは不自然だろう。


「沢山聞きたい事がある。早く着替えて」


「ええ」


 最低限の礼儀として、背を向ける。

 どうやら長い夜になりそうだ。





「そう。赤の四天王の娘を追って来たの」


 寝衣に着替え、ベッドに座ったルキアは言った。

 その手には熱い紅茶が白い湯気を立てている。

 話を始める前に、ミーアが淹れたのだ。


「実際、赤の四天王の娘なのかは分からないわよ。でも、私の旦那様はそう言ってた」


 ミーアは魔界に居る理由を夫の村を襲った魔人。

赤の四天王の娘を追って来たと説明した。


 目の前に居る弓帝。勇者一行は剣聖の故郷付近で赤の四天王と呼ばれた竜人を討っている。


 これなら言い方次第で嘘にはならない。

 彼女が持つ嘘を見抜く力も誤魔化せると考えた。


 なにより、親の仇を打ちに来た四天王の娘。

 それに村を襲われたと言えば、説得力もある。


「なるほど……そっか。生きてるんだ、あの人」


「あの人? あの人って、私の旦那様の事?」


「うん。一度会った。凄く綺麗な人」


「へぇ。ふふ……そうでしょう? 自慢の夫よ」


「まるで女の子みたいだった」


「……それは、否めないわね」


 真顔で言われて、ミーアは反応に困る。


 確かに彼は中性的な顔立ちだ。

 そして、どちらかと言えば女性に見える。

 実際、女装で敵を油断させて斬殺した前科持ち。

 話しか聞いてないが、相当美人だったらしい。


 確か名は、シャルナちゃん。


 これ以上成長する前に一度見たい。

 ミーアは常々、そう思っていた。


「あなたも顔は可愛い。お似合いだと思う」


「顔はって……まぁ良いわ。一目惚れだったのよ」


「そう……あなた達の間に起きた事件は知ってる。あの人は命懸けであなたを助けた。自然な流れ」


「うん……とっても愛してるの」


 頰を染め、瞳を潤ませる。

 そんなミーアの姿は、恋する少女そのものだ。

 その表情は謀らずも効果を発揮する。

 ルキアの残した警戒心を完全に消し去ったのだ。


「知ってる。普通、こんな場所まで着いて来ない」


「一緒に居たかったんだもの」


「なら尚更。復讐なんて馬鹿な真似は止めるべき」


 彼は村を襲った魔人に復讐しようとしている。

 ルキアは、そう認識してくれたようだ。


「出来ないわよ……私には」


 意図せず、それっぽい事を言う。

 流石は天才を自称するだけある。

 ミーアには演技の才能もあった。


「なら私が。ううん……私達が力を貸す」


「それは駄目」


「何故? あなたが、ここに来た理由のはず」


 確かに、そう思われるように行動するべきだ。

 しかしミーアは、どうしても聞きたかった。


「じゃあ聞くけど、もし貴女ならどうするかしら。自分の故郷が魔人の軍に滅ぼされて、一人ぼっちになったとして……英雄になった幼馴染を頼れる?」


「それは勿論……」


 口にして、ハッと気付く。

 堪らずルキアは目を伏せた。


(この反応……やっぱり何かあるわね)


 欲しかった反応に、ミーアは満足した。


「でも彼はそうしなかった。そして今は自分の手で落とし所を探し続けてる……何故かしらね」


 思考の間を与えないよう、ミーアは続ける。

 彼女が知りたいのは弓帝の本心だ。


「……ごめん」


 すると絞り出すような謝罪の言葉が聞こえて。

 これには流石に、ミーアは驚かされてしまう。


「どうして謝るの?」


「あなたも貴族なら分かるはず」


「どういう意味よ?」


「ユキナは元々村娘。何の後ろ盾もない」


 そう言われて、ミーアは色々と腑に落ちた。

 元々、そんな所だろうと思っていた。


 やっとパズルのピースが埋まった。

 そんな気分だ。


「今夜あなたが話すべきなの、私じゃない」


「え?」


「明日になったら、私はあなたの存在を野営地中に知らせなきゃ駄目。勿論、シスル……勇者にも」


 なにか思い詰めたような表情をしている。

 そんなルキアの様子を不思議に思っていると……


「その前に話して欲しい。今のユキナと」


 ルキアにジッと見つめられて。

 少なからず、ミーアは動揺を覚えた。

 しかし……


「でも……」


 ルキアは、またすぐに目を伏せてしまう。


「それは私の自己満足……今更そんな事をしても、私の……私達の犯した罪は決して消えない」


「…………」


 想定外の雰囲気に、ミーアは困惑した。

 まさか今夜中に、こんな話に発展するとは。

 ここに来るまで微塵も思ってなかった。


(弓帝……なによ、結構良い子じゃない?)


 ただ分かったのは、目の前の少女だ。

 彼女は少なからず罪悪感を抱えている。

 思わぬ収穫に、僅かだが頰が緩んだ。


「それに……もう夜も遅い。私には今夜、ユキナとあなたが話す状況を整える自信がない」


「必要ないわよ。今更改心されても困るもの」


「え?」


 ルキアは驚いた表情を見せる。

 そんな彼女を見て、ミーアは鼻を鳴らした。


「だって、そうでしょ? 私だって侯爵家の娘よ。あなた達は世界の為に村娘の剣聖を利用して来た。そして私は、私の幸せの為に最善を尽くしてる」


「……あなたに罪の意識はないの?」


「は? 知らないわよ。だって私は関係ないもの。剣聖を励ます暇があったら、夫に出す食事の品数を一つでも多く増やす時間に使うわ」


 そんな馬鹿馬鹿しい例えを堂々と告げる。

 そんなミーアに、ルキアは納得する他ない。


「そう……羨ましい」


「羨ましい? 私が?」


「うん。私、あなたが羨ましい」


 真っ直ぐな瞳で、ルキアは告げた。


 誰もが憧れ、羨望する姫騎士……弓帝。

 かつて幼い自分も憧れた存在の一人。


「私だけじゃない。他の皆も、そう言うと思う」


 そんな彼女の嘘偽りない言葉には困惑するが。


「……だって、あなたは自由だもの」


「……そうね」


 今度は、ミーアが納得させられた。

 貴族の在り方。強要される事が嫌いだった。

 だから求めて、家を出て、冒険者になった。

 そんな自分に、彼は命懸けで言ってくれた。


 お前は自由だ……と。


「クリスティカ。その名は、もう捨てたのよ」


「そうなの?」


「えぇ。だから今の私の名は、ただのミーアなの」


「……まさか、ギルドに死亡判定されたのも?」


「そこまでは予定してなかったわ。でも不思議ね。全く悔いはないの」


 ミーアの瞳には一切の迷いがなかった。


 ここまでの会話で、確信もある。

 少年が斬り伏せた騎士団の罪は疑われてない。

 それなら上手く立ち回れるはずだ。


「私達、貴族の娘が自由を望むなら代償が伴うわ」


 絶対的な自信が彼女にはあった。


「他人を羨むくらいなら、在り方を見直したら? 貴女達には、それだけの力があるでしょうに」


「……何も知らない癖に」


 核心を突かれて、ルキアは苛立ちを覚えた。

 しかし、それを容易に吐き出す真似はしない。

 幼い容姿の彼女だが、矜持はある。


「でも、あなたの言う通り。ミーア。あなたとは、もっと早く話したかった」


「お役に立てたなら光栄ね」


「強い娘……あなたが剣聖なら良かったのに」


 そんな事を言われて、一瞬驚く。

 少し前までなら素直に喜んでいただろう。

 あの弓帝が自分を認めるような発言をしたのだ。


 しかし、


「お断りね。私、今が凄く気に入ってるの」


 ミーアは迷わない。

 自然と口を突いた言葉が誇らしく思えた。


「そう……あなたを変えた人、興味ある」


「それなら手を貸してくれないかしら?」


「あ。そう言えば聞いてなかった。結局あなたは、どうして一人でここに来たの?」


「え? だから私が幸せになる為よ」


 答えは予め用意していた。

 後は可能な限り感情を込めて口にするだけ……


「あの人が戦い続ける限り、私は幸せになれない。だから止めたいの……あの人を」


 そして、それを演じるのは本当に簡単で。


「お願いします。暫く私を、ここに置いて下さい」


「……わかった。手伝ってあげる」


 弓帝と呼ばれる少女は、全く疑う事なく……

 二つ返事で了承してしまうのだった。









「クソッ! クソ……クソ、クソッ!」


 歓楽街の自分の屋敷で、レオは荒れていた。

 皆が憩いの場としている談話室。

 机、椅子、花瓶、テーブル……ソファ。

 手当たり次第に蹴り散らかす彼を、嫁や愛人達は怯えた眼で見つめていた。


「まだ暴れ足りませんか? レオ」


 そんな中、堂々とした女性の声がした。

 鈴のように響くその声に、レオの動きが止まる。

 振り向くと、部屋の扉の前には妻が立っていた。

 白毛の九尾を持つ狐族の女性だ。


「なんだ? ハクラン……!」


「女達はともかく、子供達も怯えています」


 強い声音で指摘され、レオは部屋を見渡した。

 部屋の隅で小さくなっている女達。

 その腕の中には、幼い子供達の姿もある。


「チッ……じゃあ、お前が相手しろ。部屋に来い」


「お断りします。普段でも嫌なのに、今の貴方には絶対に抱かれたくありません。虫唾が走ります」


「お前は俺の女だろうがっ! 女狐ッ!」


「……お忘れですか? 私が貴方に従っているのは狐族の為、そして子供の為です。私は貴方に心まで奪われた覚えはありません」


 殺気に近い憎悪の籠った瞳。

 そんな妻の目を見て、レオは顔を強張らせた。


「どいつもこいつも、俺をコケにしやがってっ!」


「出来損ないとは言え、相手は赤竜。侮った貴方の自業自得でしょう」


「……ッ! 相手が悪過ぎるんだっ! クソが!」


「元より分かり切っていた事でしょう。赤竜の姫は真の番を見つけた。これまで彼女の事を散々虐げ、さっさと儀式を済ませなかった貴方の責任です」


「お前等だって楽しんでただろうがっ!」


「少なくとも、私は無関係です」


 言われて、レオは言葉を詰まらせた。

 そんな彼を見て、ハクランは周囲に厳しい視線を向ける。


「貴女達もです。お陰で私達は得られるはずだった権威も力も失いました。国内最新鋭の竜族専用艦を使用する権利もです。全く、馬鹿な真似を!」


 白狐の怒声を諌める者は誰一人居ない。

 皆、下を向いて俯く事しか出来ないでいた。


「落ち着けよ。まだあの出来損ないは……」


「ユキヒメとの戦闘中に服飲した竜の血によって、彼女の番はあの少年に決まったようです」


「そーいうことだねっ♪」


 不意に、白狐の背から飛び出す人影。

 それは白狼族の女だった。


「……ユキヒメ。貴女、いつから後ろに?」


「知ってるでしょ? 気配を消すのは得意なんだ。それより、あの少年の話をしようよ」


 クスリと笑って。

 ユキヒメは自身が感じた少年の話を始める。


「彼の身体、もう竜族の匂いがしてたんだよねぇ」


「……そうか。野朗は半竜化してたから、あんな」


「あー、違う違う」


 レオの言葉を早急に否定し、ユキヒメは続けた。


「確かに凄い力だったけど、お姫様は幼体のまま。彼は人のまま、私を退けて見せたんだよ」


「ユキヒメの言う通りです。あの少年は持ち込んだ竜の血を何度も服飲した結果、変異したのですよ。まさか卑怯とは言いませんよね?」


「あんな玩具まで持ち込んだのに一撃だもんねぇ」


「全く、情けない……」


 冷めた眼で口々に言われて、レオの額に幾重もの青筋がビキビキと浮かんだ。


「うるせぇ! おいユキヒメ、すぐに次を考える。次こそは、あのクソガキにトドメを刺せよっ!」


「え? お断りだけど?」


「はっ?」


 キョトンとした顔で言われて、レオは呆けた。

 間抜け面を晒す彼にユキヒメは平然と答える。


「目的は果たした。次に彼と戦う時は一人で行く。変異型とも呼べる赤竜と異界の権能を持つ剣士……結果的には面白い存在が生まれたからね」


 ニコリと笑って、ユキヒメは踵を返した。


「……行くのですか?」


「うん。情報提供には感謝するよ」


「別に……私は貴女が嫌いなだけです」


 去っていく白狼の背をハクランは睨む。

 その刺すような視線に気付いて。

 くるっと振り向いたユキヒメは微笑む。


「また退屈を感じたら来るよ。元気でね」


「二度と顔を見せるな、さっさと死ね」


 ぺっ、と唾を床に吐き捨てる。


「手厳しいなぁ」


 恥も外聞も捨てた白狐の姿には流石に苦笑した。


「待て、ユキヒメッ! 何処に行く気だよっ!」


「愚問だね。私は派手な宴会が大好きなんだ」


「宴会? おいハクランッ! どういう事だ!?」


「詳細は後程伝えます。貴方には関係ありません」

 

 キッパリと言われ、レオは激昂した。

 しかし怒鳴っても仕方がない。

 今は……何より優先すべき事がある。


「ユキヒメッ! 行くなっ! ここに居ろっ!」


 去ろうとしている華奢な背に、レオは叫んだ。


「俺には、お前が必要だっ! 俺の女になれ!」


 八人の妻と十数人の愛人達が見守る中で。

 恵まれた白虎は必死に求める。


「もう竜族の守護者になんてなれなくて良いっ! 俺にはお前が居てくれれば良いっ! なぁ剣聖! 頼む! 俺なら、お前に退屈させないからっ!」


「それは無理だよ」


 また足を止め、ユキヒメは振り向いた。

 その表情は少しだけ……

 寂しそうだと、レオは感じた。


「何故だ! なんでも欲しいものは与えてやる! だから……俺なら、戦う以外の娯楽だって」


「私は闘争の中でしか生きられない」


 ユキヒメの声は、その瞳は、まるで氷のようだ。

 一瞬で気圧された白虎は瞬く間に声が枯れた。


「私が欲しいなら、殺してみなよ。私の運命を」


「………………」


 長い白髪を揺らして。

 和装姿の白狼は、颯爽と去って行った。

 

 静かになった談話室で。


「……ハクラン」


「なんでしょう? 振られたばかりの最低クズ男」


 底冷えた声で告げる正妻に、レオは命じた。


「今度こそ調べ尽くせ。ユキヒメを」


「……身辺調査なら既に済んでいますよ」


「すぐ用意しろ。あの女、お前の下に付けてやる」


 まさか冗談だろうと思って盗み見る。

 だが、レオの怒り狂った顔は本気だった。


「まぁ素敵。あの剣聖を本気で従える気ですか? 全く底無しの強欲さですね。呆れますよ?」


「お前だって、あの女は気にいらねぇんだろう? 復讐させてやる。お前が一番で、あいつが二番だ。多少虐めても構わねぇ……悪くねぇだろ」


「まぁ……彼女だけ何の被害も受けず、好き勝手に生きているのを見るのは虫唾が走りますね」


 はぁ、と呆れ顔で溜息を吐いて。

 部屋の隅で座り込んでいる女達を睨んだ。


「貴女達も手伝いなさい。書斎に行きますよ」


 九尾の白狐は、渋々協力する事にした。

 どこまでも強欲で、最低な夫の望みの為に。








 魔界調査隊、海岸野営地。

 その天幕の一つで書類を手にした金髪の青年は、不意に机上に置かれたティーカップに手を止めた。


「シスル様。紅茶を淹れました」


 声に顔を上げれば、銀髪の少女が立っている。

 ニコニコと嬉しそうな笑顔に華がある美少女だ。


「ありがとう、ユキナ。少し休憩にしようかな」


「それなら、お菓子も出しましょう。まだ練習中で恥ずかしいんですけど……」


 お盆で顔の半分を隠し、見つめてくる。

 中々愛らしい姿だと、青年は苦笑した。


「君が作ったのかい?」


「はい……日持ちするよう焼き菓子に致しました。是非シスル様にと、お母様に教わって……」


「そっか。嬉しいね、是非出してくれ」


「っ! はい、ただいまっ!」


 ぱぁ、と表情を輝かせて、パタパタと駆ける。

 そんな少女の姿を見ながら、青年は思った。


(うーん。まさか、ここまで変わるとは……)


 流石に罪悪感を抱く。

 確かに自ら変わると言ったのは彼女だ。

 しかし、流石にこれは……


「お待たせ致しました。クッキーです」


「おぉ、なかなか綺麗に焼けてるね」


「ふふ……♪ そうでしょう? はい、あーん♪」


 ……ちょっと変わり過ぎではないだろうか。


 確かに幼馴染を忘れるとは言った。

 自分に全てを捧げるとも言っていた。


 しかし、まるで別人のようだ。


 頭を強く打って記憶喪失になった。

 今なら、そう言われても信じられる。


「じ、自分で食べられるよ」


「いけません。シスル様の手が汚れてしまいます」


「構わないさ。ほら、君も椅子を持って来なよ」


「では、この一つだけでも。はい、あーん」


 ……噂の幼馴染は、一体どんな教育をしたのか。


 次に会った時は、小一時間は問い詰めたい。


「あ、あーん。んん……お、美味しいよ」


「本当ですか? 良かった♡」


 にこにこと嬉しそうな笑みを浮かべている。

 今では絶世の美女と謳われる、そんな少女は……


「明日も早いですし、以降は忙しくなるでしょう。休憩を終えたら、今夜はお休みになりませんか?」


「うーん、そうだね……」


「もし急ぎでしたら、及ばずながら手伝います」


「いや大丈夫だよ。急ぎの仕事は終わってるから。今回の作戦指示書も各隊に提出済みだ」


「……で、では。せめて、その……あの……」


 白い肌を朱に染めて、ちらちらと見てくる。

 察した青年は余裕の態度で尋ねた。


「なに? 今夜も一緒に寝たいのかな?」


「……はい。ご迷惑でなければ、ですが」


「僕と寝ると疲れるよ?」


「承知の上です……旦那様」


 ……よくも、彼は易々と手放せたものだ。

 こうなった今では不思議で仕方ない。


「勤めでは、お役に立てない分……頑張ります」


「そんな事はないよ、ユキナ」


 熱っぽい瞳で見つめてくる。

 そんな少女の頬を青年が撫でた時だった。


「ここは敵地です。程々にして下さいね」


 天幕に新たな来訪者が訪れた。

 聞き慣れた女性の声に二人は視線を向ける。


「ルナ……ッ」


「そんな怖い顔をしないで下さい。私は別に邪魔をしに来た訳ではありませんよ」


 呆れ顔で近付いて来たのは、大人びた女性だ。

 その豊満に揺れる胸を少女は仇のように睨む。

 青年はまだ戦闘用のローブ姿の女性を見て、

 

「先に休んだと思っていたよ。どうしたのかな?」


「港街に向かわせた偵察隊からの定時報告ですよ。たまたまそこで会ったので、私が預かりました」


「そっか。ユキナ、彼女にもお茶を」


「不要です。長居する気はありませんから」


 敵意剥き出しのユキナの視線が突き刺さる。

 再度呆れて、女性は溜息を吐いた。


「そうかい? では早速聞かせて貰おうかな」


「はい。報告では、港街の住人は内地に向け避難をしているそうです」


 想定通りの動きに、青年は眉を上げた。


「そっか。素直に渡してくれるなら良いね」


「そう簡単には行かないようですよ」


「だろうね。あれだけの船がある港だ。無償で渡す馬鹿は居ないだろう」


「はい。やはり重要拠点であるようです。代わりに内地側からは陸路、空路共に武装した者達の集結が見受けられます」


 海上から確認した所、鋼鉄製の巨大な船を数多く確認している。

 未だ自国では不可能な技術が使われているはず。

 鹵獲出来ればと考えては居たが、欲は出せない。


「僕達の目的は拠点の確保だ。逃げるならば追撃はしない。改めて全軍に徹底させよう」


「何隻かは投入して来るでしょう。海上から陸への攻撃手段を持っている場合、こちらには対抗出来る武装はありません」


「心配は要らないです」


 唐突に声を発したユキナに二人の視線が集まる。

 すると彼女は妖艶に微笑んで。


「なにを撃とうと無駄。着弾する前に私が斬れば、こちらが受ける被害はありませんから」


 自信満々に告げる。

 そして、それは決して冗談ではない。

 剣聖。その権能を誇る彼女なら。


「……頼もしくなりましたね、ユキナ」


「ルナも役割を果たして下さい。魔人は私が斬る。そして港も、残った船も手に入れる。そうすれば、もっと多くの戦力を魔界に送る事が出来ますから。こんな戦争、一刻も早く終わらせましょう」


 毅然とした態度で口にする。

 そんな人が変わったような少女を見て、


(やだ頼もしい。でも、流石に罪悪感があるわね)


 騙している自覚があるだけに、ルナは困る。

 青年を盗み見ると……すぐに目を背けた。

 どうやら青年も同じようだ。

 珍しく人間味のある青年の様子に呆れてしまう。


(本当に大丈夫なの? こんな調子で)


(そんな目で見ないでよ。分かってるから)


 目で通じ合う二人。

 実際、互いが何を考えているかは不明だが……

 何となく間違ってないような気がした。 


「とにかく、今回は戦闘を避けられないでしょう。作戦内容の見直しを提言致します」


「分かった。朝までに指示書を作り直しておくよ。もし暇なら手伝って貰えると嬉しいな。君の意見は本当に頼りになるから」


「まさか。凄く怖い剣聖様が私を睨んでますもの。私は先に休ませて頂きますわ」


「え?」


 まさか断られるとは思ってなかった。


 この時間から数十にも及ぶ部隊編成、作戦指示を一人で考え直すなんて、流石に無理だ。

 どうしても賢者様の力が必要な状況。


「え? ちょっと、ルナ。待って……」


 お陰で慌ててしまう青年だったが……


「残念ですが、共に力を合わせて頑張りましょう。私も及ばずながら尽力致しますので!」


 ずずい、と身を乗り出して来る。

 そんな少女の姿を見ては諦める他なかった。

 この状況を作り出したのは他でもない。

 自分自身……なのだから。


(ラッキー♪ まぁ精々頑張りなさいよ、勇者様)


 背を向けた賢者は舌を出しながら天幕を去った。






 あとがき。


 悲報、今日から仕事。

 一日くらい寝なくても大丈夫だよね。

 私も頑張りました、勇者様。




 さて冗談は程々に、戦争始まります。

 ユキナはやっと割り切れて良かったねぇ。

 そして、ミーアは相変わらず余計な真似を……


 ルキアは個人的に好きな設定なので優遇したい。

 やっと勇者達を出せるぞー。



 シーナくんはさっさと竜の力使うべき。

 では、ありますが……中々キツイよね。


 幾らメルティアが美少女でも65歳だもん。

 ゼロリアも可愛いけど、それだけじゃ……

 ユキナが現状、一番美人で見慣れてるしね。

 ただ可愛いだけじゃ彼の攻略は無理です、はい。



 今回まで感想全部返します。

 時間は掛かるでしょうが、支えに仕事します。


 いつも皆様、ありがとう。


 私の駄文を読んでくれて感謝してます。


 これからは、どんどん進むのでお楽しみに。

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