第123話 決闘

 闘技場のある繁華街。

 首都から一時間程度の移動で訪れた街は、以前に来た昼間とは違って活気に溢れていた。

 自由に散策したい所だが、我儘は言えない。

 即座にやって来た闘技場の地下、その控え室で、俺は装備の点検を行なっていた。


「この闘技場のルールだ。目を通しておけ」

 

 拳銃の点検を行おうと取り出した時だった。

 不意に視界に差し出された紙を受け取る。

 サッと目を通して、俺は拳銃を置いた。


「火薬、術、飛び道具、薬品は使用禁止。本来なら刀剣類も用意された支給品のみしか持ち込めない。だが今回は竜姫が出場する為、例外とするそうだ」


 確認する迄も無く、シラユキが要約してくれる。


「成る程。流石、狡賢い野郎だ」


 場所を指定された時点で、あの白猫野郎が自分の有利な条件を提示して来るとは予想していた。


 今回は殺し合いではなく、あくまで試合。

 そんな大義名分まであれば、拒否など出来ない。


 武器の指定は、ユキヒメの太刀の為だろう。

 アレがなければ、竜人のメルティアに傷を付ける手段がないからな。

 代わりに、こちらも竜装の使用は認める訳だ。


「大丈夫か? 特に術の使用禁止は痛いぞ」


「問題ない。どうせメルティアはマッチ程度の火が吹ける程度だ」


「誰がマッチの方が使えるじゃと?」


「マッチ棒様の心配ではない。お前の方だ」


「おい! 今、妾をマッチ棒呼ばわりしたな!?」


 煩いマッチだな。

 さて、冗談は程々にして。


「どうせ魔法は通用しない。寧ろ予想外だったよ。元より期待してなかったが、驚く程に公平だな?」


 相手は剣聖。

 代わりに、こちらは本来、出場不可の竜姫様。

 これでは文句の付けようがないな?


「そうか? あからさまに、お前の弱体化を図った意図しか感じられないが……」


「俺は剣士だ。関係ねーよ」


 どうせユキヒメに魔法は効かない。

 元より、無詠唱とは言え僅かな隙を見せる魔法を頼るつもりはなかった。

 禁じられたからと文句を言う気はない。


「使用不可の火薬類や薬品は預けて良いか?」


「無論だ。少しでも身軽にしておけ。手伝おう」


「助かる」


 提示されたルールに従い、装備を見直す。

 シラユキに手伝って貰い、既に装着を終えていた胸元や腰回りを外し始めると……


「…………っ」


 ふと視界の隅でメルティアがそわそわし始めた。


「む……っ。わ、妾も手伝おうか?」


 絶対言うと思ったが、やはりか。

 こいつ……結構、嫉妬深いんだよなぁ。


「お前は自分の用意があるだろ」


「妾は特に持ち込む物はないからの。暇じゃぞ?」


 確かに、メルティアは身軽なままだ。


 唯一彼女が持ち込む武器は、俺の身の丈など軽く超える巨大な大剣が一振りのみ。 


 メルティアは竜人でも規格外な膂力を誇る。


 その為、全力で拳を振ると相手が大変な事になる彼女にとって、剣を使うのは手加減……らしい。


 相変わらず常識人の俺には理解出来ないな?

 もし本当なら耐えられる大剣の材質が知りたい。


「いいよ。それより、話に聞いた通りだ。俺が今回持ち込めるのはお前の竜装のみになってしまった。あっ……それと頼んだ奴は用意して来たか?」


「うむ」


 尋ねると、メルティアは頷いて。


「まずは、これじゃな」


 腰の宝剣を鞘ごと外し、渡して来る。

 俺はそれを受け取り、座る椅子に立て掛けた。


「確かに、預かるよ」


「うむ……それと、これを」


 続いて、小さな革のポーチを渡される。

 軍の連中が持つ、薬品の収納ポーチに似ていた。

 一度開いて中身を確かめ、すぐに閉じる。


「一応言っておくがの。過剰な摂取は前例がない。どんな副作用があるか分からぬぞ?」


「そうか」


 心配気なメルティアの言葉を聞き流す。

 勿論、覚悟の上だ。

 散々我儘を言っている分、腹は括っている。


「……不正な薬の使用で反則を貰うリスクもある。可能なら使うな」


 俺を見つめる、シラユキの表情は真剣だった。


 人のままで在って欲しい。

 そう言えば、以前。こいつはそう言ってくれた。


 でも……


「お前の想いは嬉しい。確かに預かっておくよ」


 今の俺には他に言える言葉はなかった。

 心苦しいが、俺には代償を伴わない勝利はない。

 だけど、負けなければ。また明日を迎えられる。


 俺に出来るのは、それだけだ。


「……やっぱり、シラユキが一番強敵じゃな」


 控室の時計。その針は、容赦無く進んでいく。

 踏み外した俺の人生を嘲笑うように。







 控え室で待ち続け、試合開始時刻が迫った。

 入場を促され、長い通路を進みながら。

 俺は、ふと隣を歩くメルティアを一瞥する。


「……緊張してるか?」


「……それは、そうじゃろう」


 メルティアの表情は、明らかに強張っていた。

 始まる前から、こんな調子じゃ困るな。


「お主は、何故そう落ち着いてられるのじゃ?」


「ここまで来たら緊張しても無駄だからな」


 肩を竦めて見せる。

 すると、メルティアは怪訝な表情になった。


「いつも思うが、お主。本当に16歳か?」


 お前こそ、本当に60歳か?

 喉まで出た言葉を飲み込んで、俺は続けた。


「まぁな。だってメルティア。考えても見ろよ? お前が成そうとしている理想の過程では、これから何度も似たような経験をする事になると思うぞ?」


「……それもそうじゃな」


「だろ? 一度でも折れたら終わり。俺はとっくに腹を括ってるよ。お前はどうだ?」


 国を裏切って、人間を裏切って。

 幼馴染で許嫁だった女の子さえ、裏切り返して。

 必ず守ると決めた女の子との約束も破って。


 俺は文字通り、全てを捨てて、ここに居る。


「……すぅ……はぁ」


 ふと、深呼吸したメルティアは、自分の頬を強くパシンと叩いた。

 恐らく俺が貰ったら首が吹き飛ぶような威力で。


「……すまぬ。妾は甘えておった」


 目を開け、メルティアは呟いた。

 その表情からは一切の迷いは消えていて。

 少しだけ涙目だが、心配は要らないだろう。


「今、分かってくれれば良い。勝つぞ」


「うむ」


 通路を抜ける寸前。

 差し出した右拳に、メルティアはコツンと小さな左拳をぶつけてくれた。


 



 闘技場には、多くの観客の姿があった。


 しかし、驚く程に静まり返っている。


 控え室に居る時は、中々の盛り上がりが聞こえていたが……今は不気味な程に静かだ。


 少し周囲を見渡す。

 誰もが俺達に不愉快な視線を向けていた。

 全く随分と嫌われているものだな。


「周りは気にしなくて良いよ? シーナくん」


 中央には対戦相手、二人の姿があった。

 先に来て待ち構えていたらしい。


「成る程。静かなのは、アンタの仕業か」


「私は見世物になる趣味はないからね」


 ユキヒメは不敵な笑みを浮かべた。

 そして、嘲るように隣のレオへ視線を向ける。

 今回ばかりは全く同意だな。

 

「チッ……いちいち癪に障る奴等だ」


 俺達の視線にレオは顔を顰めた。

 こいつは、この闘技場の頂点。王様だ。

 俺達二人の皮肉は、大変お気に召したらしい。


 と、レオはメルティアを見下ろして。


「おい、メルティア。てめぇ」


「この場において、これ以上の問答は無用じゃ」


 牙を剥き出し、凶悪な顔で発したレオに対して、メルティアは毅然とした態度で応じた。


「力が全て。妾をこれまで通り従属させたければ、勝ち取ってみよ。暴力は、お主の領分じゃろう」


「……舐めた口を。この出来損ないが」


「舐めてるのは、てめぇだろ」


 俺はレオの目を睨み、低い声で口を挟んだ。


「あまり吠えるなよ? 猫野郎……滑稽だぞ? 今、この場に俺達が立っているのは、弱いてめぇに合わせて配慮してやったって事を忘れるな」


「あぁ? てめぇ……っ!」


「あはは、口喧嘩は君の負けだ。もう黙ってなよ。確かに滑稽だからさ」


 ユキヒメの視線を受け、レオは黙った。

 彼女の表情は笑っているが、誰も笑えない。

 そんな不思議な威圧感が彼女にはあった。


「お姫様の言う通りだ。言葉ではなく武で語ろう。もう待ち切れないよ、私は」


 太刀に手を添え、姿勢を低くする。

 抜刀術の構え。予想通りの開幕になりそうだ。

 まずは、その一撃を凌がなければならない。


「……我、女神の祝福を受けし者」

『ブーストアクセル・アクセラレーション』


 ミーアの声がして、宝剣がガシャンと解錠する。

 まるで俺の祈りに応えるように。

 竜装の剣を手にした俺は抜剣と同時に身構えた。


「殺してやるよ、クソガキ……っ!」


「……っ!」


 レオは拳術の構えを取り、メルティアも抜剣。

 と、全員の準備が整ったところで。


「今は俺の言葉など誰も聞く耳を持たないだろう」


 頭上から先日謁見した国王の声がした。


「存分に闘争せよ、次代を担う者達よ。他の誰でもない、己が自身の願いの為にっ!」


「それでは、両者……構え」


「桜月一刀流……」


 向かい合う俺達の中央で、審判が手を上げた。

 途端、俺はユキヒメの表情から察する。


疾風はやて


「ぐぅっ!」


 不意に、ユキヒメは自慢の抜刀術を放って来た。

 まだ審判の手は振り下ろされていない。

 こいつ最初から待つ気なんて微塵もなかったな。


「流石だね? 全く信用されてない」


「ぐぐ……っ! て、てめぇは信用し過ぎだ」


「ふふ。思ったよりも余裕で受けれてくれたね? 流石、成長期の男の子だ」


 ユキヒメの狙いは、メルティアだった。

 咄嗟に身体を入れて受けたが、体勢が良くない。

 加速は間に合ったが、即反撃とはいかないな。


「なっ……まだ開始の合図はないぞ!?」


「甘い事を言ってるなよ、竜人様がっ!」


 叫び声と同時、レオの拳打が迫って来る。

 だが、遅い……

 加速した視界の中では、止まってすら見える。

 これは、十分引き付けて……!

 

「ふっ」


 首を傾げて回避し、予想外の風に目を細める。

 流石、まともに貰ったらヤバい拳だが問題ない。

 こんなもの何百発振るわれても躱せる。


「なっ……っ!?」


 驚愕した様子のレオの表情は間抜けだった。


「邪魔だよ」


「がはっ!」


 先にレオを斬ろうと思考した時だった。

 ユキヒメの鋭い蹴りがレオの腹部を捉えた。

 彼女の倍はあるだろう巨体が軽々と吹き飛ぶ。

 と、ユキヒメは瞬く間に身を屈めた。

 その低い姿勢から鋭く地を蹴って加速する。


「いくよ、少年っ!」


 やはり速い。速過ぎる。

 十倍に加速した視界でも追うのが精一杯だ。

 

「やぁっ!」


「くっ……!」


 身体を屈め、首を狙った横一閃を躱す。

 刹那、右足を軸にして身体を回転したユキヒメは間髪入れずに斬撃を放って来る。

 それを躱しても、次々と様々な方向から……っ!

 なんて速度だよ、息を吐く間もないなっ!

 そして、どんどん加速してやがる……っ!


「よく躱すね! でも、いつまで続くかなっ!?」


 至近距離で、ユキヒメの表情が楽しげに歪んだ。


限界突破リミット・ブレイクを推奨』


 聞いてる暇があるなら、さっさとやれ!

 いつも勝手に発動する癖に今更だろうが!


『オーバードライブ』


 速く……速く速く速く速く速く速くッ!!


 ユキヒメの繰り出す太刀を必死で躱しながら。

 俺は、更なる速さを求めて強く念じる……っ!


 寄越せ、女神エリナ。


 この傲慢な女を、剣聖を遥かに凌駕する速さを!







「……なん、だよ。あれ」


 自身の目では満足に追えない速さの二人を見て、この闘技場の王である白虎は呆然としていた。

 

 今なら邪魔者扱いされ、蹴られた理由も分かる。

 あんな戦闘をされては手も足も出せない。


「そう言えば、お主はシーナを術者だと勘違いしたままじゃったのぅ?」


 次元が違う。

 そう痛感する彼に話し掛けたのは、


「シーナは剣士なのじゃよ。アテが外れたの?」


 自身の数倍はある巨大な剣を軽々と担いだ。

 散々馬鹿にして来た真紅の髪の竜姫だった。

 

「剣士? 剣士なんて言葉で説明出来るかよっ! なんだアレはっ! 化け物じゃねーかっ!」


「然り。しかしアレは、お主が焦がれた姿じゃろ。化け物、そう呼ばれるのは心外じゃのぅ?」

 

 クツクツと笑って、メルティアは歩き出した。

 近づいて来る竜姫の姿には一瞬気圧される。

 だが、レオは唇を強く噛んで立ち上がった。


「……メルティア。てめぇは俺のだ。俺に従え」


「嫌じゃ。妾はもう、お主の赤竜ではない」


 立ち止まった赤竜姫は、片腕で大剣を振るう。

 その切先は、かつての婚約者に向いていた。


「よくも妾を散々侮辱してくれたのぅ?」


「俺は事実しか言ってねぇ」


 対し。白虎は拳術の構えを見せて牙を剥く。


「てめぇは出来損ないだ。その容姿だけじゃねぇ。全く竜らしくねぇんだよ」


「……そうかもしれぬな」


 金色の瞳を竜らしく変化させ、鋭く細める。

 同時に赤竜姫は絶対的強者の威圧感を纏った。

 そんな、かつての婚約者の姿に寒気を覚える。


「じゃが。妾は変わらず、それで良い。竜ではなく女の子で良い。自身の幸せを願っても良いのだと、彼奴は言ってくれた」


 ふと、僅かに赤竜姫の表情が華やいだ。

 それは、レオが一度も見た事のない表情だった。


「お主と彼奴。今後共に数百年は共にする伴侶に、どちらを選ぶか……考えるまでもないじゃろう? 妾の竜装もあの通り、シーナを選んだ。彼奴こそ、赤竜メルティアの番となる雄じゃよ」


「はっ……竜が女の子? 本気かよ? 笑わすな」


「お主との会話は、やはり不愉快じゃな」


 もう終わらせよう。

 そう判断し、メルティアは歩みを再開した。


(しかし、どうするかのぅ? 妾は手加減が苦手。下手をすれば殺してしまうのぅ……)


 しかし彼女は程良く相手を戦闘不能にする。

 そんな都合の良い技は一つも持ち合わせてない。

 その一瞬の逡巡が表情に浮かんで。


「クク……ククククッ!」


 レオは、それを決して見逃さなかった。


「なんじゃ? 気でも触れたか」


「いや。やっぱ、お前は意気地無しだと思ってよ」


 両手の手甲を瞬時に脱ぎ捨て、左袖を捲る。

 常人に比べ、遥かに発達した左手首。

 そこに嵌めた機械仕掛けの腕輪を見せ付けて。


「もう良い。茶番はここまでだっ!」


「はぁ? 茶番じゃと?」


 凶悪な表情で、レオは腕輪を操作する。

 途端に観客席から巨大な電子音が鳴り響いた。 

 

「なっ……!」


「はぁ……はぁ……こほっ……な、なんだ?」


「ん? なにかな、この音は」


 音の方向を見て、メルティアは驚愕する。

 高速戦闘中だった二人の剣士も足を止めた。


「そっちには竜が居るんだ。ハンデ追加だぜ」


 観客席の一席に鎮座していた巨大な金属の箱。

 それが突如、火を吹いたのだ。

 不測の事態に観客席からは悲鳴が上がっている。


「よっ!」


 ふと、煙を上げて空中に飛び立った金属の箱。

 それに向け、レオは優れた身体能力を発揮した。


「装着開始だ」


 垂直に高く跳躍すると同時、レオは命じる。

 すると金属の箱は呼応し、バシュンと開いた。


「……なんじゃ、あれは」


「はぁ、はぁ……メ、メルティア、すぐ迎撃……」


「おもしろーいっ! なに? あの絡繰り!」


 現れたのは白銀に輝く金属鎧だった。

 それは瞬時にレオの身体を包み込み最適化する。

 その間、たった数秒。

 次にレオが地に降り立った時。その姿は……


「さて、メルティア。再開しようぜ」


 完全なる変貌を遂げていた。

 全身に白銀の金属鎧を纏ったレオは、先程までと全く違う雰囲気を放っている。

 大胆不敵で唯我独尊。

 普段通り、傲慢な白虎の態度を取り戻していた。


「…………」


「なんだ? 声も出ねーかよ。さっきまでの威勢はどうした? まさか怖気付いた訳じゃねぇよな?」


「一応聞くがの。なんじゃ? それは」


「お前を躾ける為に特注した新兵器だ」


「兵器じゃと?」


 メルティアの表情が驚愕から疑念に変わる。


「流石は天才だ。コイツのヤバさは、出来損ないの竜人様も見れば分かる程度らしいな」


 ふふん、と得意げに語る。

 そんな目の前の鎧の男を指差して、メルティアは呆れた表情で言った。


「審判。反則じゃろ、これ」


「あっ! 卑怯だぞ、メルティアッ!」


 レオは焦った様子で叫んだ。

 額に青筋を浮かべながら、メルティアは続けた。


「煩いのぅ。なぁ審判よ」


「…………」


「おい。何故顔を背けるのじゃ?」


「……続行してください」


「この駆動音が聞こえぬとは言わせんぞ?」


 レオの装着した鎧からは、ウィーン、ウィーンと明らかに機械の駆動音がしている。

 幾ら民衆の望みが彼の勝利とは言え、酷過ぎる。

 これは流石に見逃せない。


「構うな、メルティア」


 呆れた表情の赤竜姫は、少年の声に振り向く。


「何を言っておるのじゃ。妾達はルールを守って、正々堂々と……」


「どうせ認められないさ。この場に居る連中が金を払って見に来たのは、俺達が無様に敗北する様だ」


 額の汗を拭った少年は、眼前の剣聖を睨んで。


「無駄な抗議をするよりも、大義名分を得たと解釈した方が良いだろ? これであの審判様は俺達側の違反も多少見逃すしかなくなった」


 腰のポーチを開き、少年はガラス瓶を取り出す。

 そして先端を折り、赤い液体を一気に煽った。


「……あれは、まさか」


「……成る程、考えたな? 小僧」


「まさかメルティアの……いけません、シーナ!」


 観客席でその様を見ていた白竜一家は驚愕した。

 娘のゼロリアの叫びも虚しく……

 少年は空のガラス瓶を投げ捨て、口元を拭う。


「……薬品の使用は禁止です」


「薬じゃない。血だ。文句あるか?」


「いえ……」


 加速能力の反動で疲弊し、激痛すら伴っている。

 そんな少年の身体から白煙が上がった。

 竜の血による超回復。

 超常の力の代償を超常の力で治癒した少年は、


「驚いたな。君は人で在りたい。そう頑なに言っていたはずだよね?」


「あぁ。是非、そう在りたいね」


 眼前の剣聖の問いに平然とした態度で応じる。


「矛盾しているね、君の言動は」


「なら、これ以上飲まなくて良いよう協力しろよ」


「まさか」


 白髪の剣聖は、金色の瞳を輝かせた。

 そして白い肌を高揚させ、大太刀を鞘に収める。


「こんなに楽しい事はないよ? 桜月一刀流」


「速くっ!」


疾風はやてッ!」


身体強化フィジカル・ブーストッ!」


 目にも止まらぬ抜刀術を少年は真正面から受け、そして軽々と弾き返した。


「え……っ!?」


 想定外の強靭な膂力。

 それにより、ユキヒメの身体は容易に宙を舞う。


(思考加速三十倍なら調整も簡単だっ! もし失敗しても、またメルティアの血で治癒すれば良い!)


 地を蹴り、少年は吹き飛んだ華奢な身体を追う。

 常人を遥かに超えた力強い足腰と加速能力。

 その併用で得た速度は凄まじいものだった。


「うぇ……!? ぐっ……! ちょ、はやっ!!」


 辛うじて闘技場の壁に着地した。

 そんなユキヒメを再度、決死の少年が襲った。

 上段からの斬撃は、まともに受けては拙い。

 そう本能的に察し、ユキヒメは脱力する。

 結果、紅金の宝剣を見事に受け流して見せるが。


「あぁあああっ!!」


 刹那には次の斬撃が繰り出されている。

 その少年の重く速い斬撃は、常軌を逸していた。


「くっ……うっ……あは、あはははははっ!!」


 瞬きすら許されない攻防。

 久しく忘れていた高揚がユキヒメにはあった。

 広い闘技場を巧く使い後退を続け、受け続ける。

 そんなユキヒメを極限状態の少年は追い続ける。

 数秒に一度、赤竜の血を口に煽りながら。


「ぷっ……はぁ……はぁ……良い加減にっ!」


「あははっ!! いいよ、どんどん飲みなよっ! シーナくん! 後戻り出来なくなるまでっ!」


 この場に居る誰一人、目で追えない。

 しかし二人の剣戟の音は、確かに響き続ける。


「……おい、出来損ない」


「……なんじゃ? 卑怯者」


 そんな中。レオは不意に呟いて。

 必死に目で追おうとしていた二人の姿を諦める。


「お前が正しい。俺は初めて、そう思ったぜ」


 これから戦おうとしている赤竜姫を睨む。


「どういう意味じゃ?」


「お前が幾ら取り繕おうが、本能には勝てないな。結局、竜の本質は暴虐。あの野朗は本物の怪物だ。守護者に欲しいと思うのは理解出来るぜ」


「……違う。妾は」


 それは今、全く反論出来ない言葉だった。

 言い淀み、メルティアは表情を陰らせる。


「あ、悪い。女の子だったか。お前も雌だからな。俺より遥かに強い雄に魅力を感じた訳だ」


「黙れ。彼奴は……シーナは、お主とは違うっ!」


 鋭く睨んでも、レオは全く動じない。


「何が違うんだ? 欲しいものは力で手に入れる。結局は俺も奴も……そして、お前も同じだろっ! 赤竜のお姫様っ!!」


 叫び、機械鎧を纏ったレオは拳を振り上げた。

 自身の半分程の小柄な少女に、一切の容赦無く。

 その頭部と大差ない大きさの拳を振るったのだ。


 ……しかし。


 パシンッ。


 二人の間に響いたのは乾いた小さな音だった。


「なっ……!」


 レオの口から、驚愕が漏れた。 

 その巨大な拳は、あっさりと止められていた。

 それも幼い容姿をした真紅の髪の女の子。

 その小さな右手、ただ一本によって。


「……お主の言う通り。妾は化け物かもしれぬ」


「ば、馬鹿な……! コイツは対竜人を想定して。出力は十分で、それに俺の力が加わればっ!」


「普通の竜人なら、とても受け切れんじゃろうな。しかし忘れたか? 元婚約者様よ」


 小さな拳が握られると同時。

 バキンッ!

 機械仕掛けの右手の装甲は易々と砕け散った。


「妾は、出来損ない。そう呼ばれた竜じゃぞ?」


 金色の瞳が輝き、下から見上げてくる。

 その余りに力強く凶悪な眼光には背筋が凍り。


「なっ……なっ……なぁ……っ!?」


 倍以上の体躯を持つ鎧男は、一瞬で気圧された。


「他の竜姫ならば、いざ知れず。しかし妾を相手にするならば、準備不足じゃったな? 人の子よ」


 幼く細い右足が一歩後ろに下がる。

 その意味を瞬時に察したレオは慌てた。


「待て! そんな足で蹴られたら、俺はっ!」


「案ずるな」


 怯え、声を裏返す白虎。

 その表情は、無様としか言えなかった。

 眼前の元婚約者を睨み、赤竜姫は鼻で笑う。


「対竜人兵装なのじゃろう? その程度の加減なら自信があるのじゃ」


 軽く飛び上がった赤竜姫は、右足を一閃した。

 その無慈悲な蹴打は、鎧の腹部を的確に捉えて。

 

「がはっ!!!」


 一撃で白銀の機械鎧を粉砕し、僅か一秒後。

 数十メートル先。闘技場の壁に穴を穿っていた。


「ふむ、案外重かったの?」


 姿が見えなくなった、かつての婚約者。

 その方向、自身が開けた壁の穴を一瞥して。

 次に、メルティアはギロリと審判を睨んだ。


「……あ、あぁ……れ、れお・タイガヴェスト……戦闘、続行不能です……!」


 青い顔の審判の判定を聞き、やっと一息吐く。


「さて、邪魔者は消えた。後は……」


 次いで、彼女が視線を向けた先では。


「……はぁ……はぁ……こほっ……」


「はぁ……はぁ……あはは……ひぃ……」


 息も絶え絶えな二人が、中腰で睨み合っていた。

 二人共、額には玉のような汗を浮かべている。


「が、頑張ったのぅ……シーナ」

 

 あの剣聖、竜殺しとすら呼ばれる剣士に対して、想像以上の健闘を見せている。

 そんな少年に一刻も早く加勢しようとするが。


「……大分、混ざったね? 匂いで分かるよ」


 驚異的に短い時間で回復して見せる。

 そんな剣聖の言葉には思わず足が止まった。

 

「うる……はぁ……ひぃ……せ……」


 対し、少年の瞳からは異能の光が消えていた。

 竜の血の回復ですら追い付かない酷使。

 それにより悲鳴を上げた未熟な身体。


 少年からは凄まじい量の湯気が立ち昇っていた。

 

「混ざった……? 妾の血と、シーナが?」


 言われて、気付く。

 数十メートル先の彼から芳しい香りがする。

 敏感な鼻を突く、その香り……


 それは、何よりの証拠だった。


「う……っ。はぁ……はぁ……」


 察した途端、メルティアは気付いた。

 自身の身体が突然、熱く火照り出したのだ。


「はぁ……はぁ……ま、まだ……やるかよ?」


「当然。さぁさぁ遠慮なく、二人一緒にどうぞ?」


「へっ……ば、馬鹿かよ……はぁ……はぁ……」


 震える手で、少年はガラス瓶を取り出す。

 それはポーチに残る最後の一本だった。


「あ……だ、だめ……」


 止めなきゃ、と思った。

 一応、限界まで右手も伸ばしてみた。

 しかし同時に思ってしまった。


 これで彼は、私のものだと。


「ふぅ……そろそろ、決着を着けてやる」


 少年は一切躊躇わずに中身を煽って。

 飲み込むと同時、明確な変化が起きてしまった。


「……あらら。もう戻れないよ? 君」


 青かった彼の瞳が、金色に変わったのだ。

 それは彼が最も尊敬する母と同じ。

 唯一誇って来た特徴を捨て去った瞬間だった。


「あ……シーナ……シーナ……」


「お父様、お母様……大変です……シーナが……」


「……縁が無かった。そう思うしかないわね」


「……むぅ」


 視力の優れた竜人達は、その変化と意味を知る。

 しかし、そんな自身の変化に気付かない本人は、


(確かに三十倍も持続時間が増えた気が……あれ)


「おめでとう。これで立派に人間卒業だ」 


 パチパチと拍手したユキヒメは、太刀を納めた。

 しかし得意の抜刀術の構えは見せない。

 それどころか……


「おい、どこへ行く」


「この場で戦う理由が無くなったよ。私の目的は、君と白竜姫を契らせる事だったからね……でも」


 不意に、ユキヒメは背を向けて。

 メルティアを見て、にやぁ……と意地悪に笑う。

 気味が悪い表情にメルティアは身構えるが。


「感謝してくれて良いよ、お姫様。儀式が済んだら是非呼んでね。お礼はその時に貰うから」


「……負けを、認めるのか?」


「まさか、引き分けだ。それとも、もっと彼に君の血を飲ませてみる? どうなっても知らないよ」


「…………」


 メルティアは、少年の瞳を見た。

 すっかり自分と同じ金色の瞳に変わっている。

 ……確かに、この決闘を続行する理由はない。


「私としても不完全な彼をこの場で潰したくない」


「……その申し出を受けよう。剣聖」


「賢明だね。それじゃ、お幸せにー」


 パタパタと手を振り、気軽な態度で去って行く。

 その後ろ姿を呆然と見送っていると。


「理由はさっぱりだが、一応乗り切ったのか?」


 近付いて来た少年が、鞘に宝剣を納めた。


「うっ……♡」


 お陰で、堪らないのはメルティアだ。

 汗に塗れた彼は、とても官能的な香りがした。

 赤竜の血が混ざった事で番として完成した。

 そんな彼の存在を嫌でも身体が意識してしまう。


「う、うむ……とりあえず離れてくれんか?」


「え? あぁ、悪い。俺、汗臭いよな」


 とにかく、今は彼から少しでも離れよう。

 自制心と戦う竜姫は、敢えて冷たく突き放す。


「でも悪い」


 そう思ったのに。


「流石に……げん、かい……」


 ふら、と未熟な身体が揺らいで。

 次の瞬間、少年の身体が倒れて来たのだ。


「な……っ。シーナ? おいっ! あっ♡」


 辛うじて受け止めたが、途端に気付く。

 直接、汗塗れの少年と触れ合って。

 その濃厚な匂いを大きく吸い込んでしまって。


 自身の身体が、一瞬で大変な状態になった事に。


(や、やば……だめ……だめなのにぃ……♡)


 すっかり腰が抜けてしまい、座り込む。

 出来損ないと呼ばれた赤竜姫。

 炎が吹けない代わりに強靭な肉体を持つ彼女は。


「し、しらゆき……しらゆき、たすけてぇ……」


 腕の中に汗塗れの少年を抱き抱えて。

 情けなくも自分の足で立つ事すら叶わない。

 出来る事は、必死に助けを求める事だけだった。


「だれか、だれか……た、たすけてぇ……っ!」


 弱々しい少女の姿を観衆の前に晒す。

 そんな同族の姿を観戦席で見ていた白竜姫は、


「あざと過ぎますよっ! いい歳してーっ!」


 当然だが、物凄くブチギレていた。


 


 







 あとがき


 ちょっとずつ逃げ場を失わせます。



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