第120話 嫁の本音

 身体強化フィジカル・ブースト


 その名の通り身体能力を底上げして、限界以上の膂力を発揮出来る異能。


 そんな新たな力を求めた俺だったが……

 結局、その試みは失敗に終わってしまった。


 俺は、魔法を試す最中。激痛に耐え続けた。

 すると、途中で身体に力が入らなくなって……


 気付けば、早朝の鍛錬場で倒れてしまっていた。


 身体の感覚は、もう戻っている。

 だが、暫くは怖くて堪らなかった。

 もう二度と動けなくなるかと思った。


「ふー、ふー……はい、シーナ。あーん」


「…………」


 初めての魔法の失敗。その代償は軽くない。

 診察してくれた医師の話では、内出血が多数。

 全身の筋繊維にも損傷が見られるらしい。

 他にも色々言われたが……

 骨にまで異常がなかった事は不幸中の幸いだ。

 だが、数日は日常生活もままならない。

 告げられた診断結果は、あまり芳しくなかった。


「ほら、あーんしなさいよ」


「……自分で食べられる」


 お陰で、その後からは情けない有様を晒した。


 シラユキに抱き抱えられて自室に運ばれ、医師の診察を受けた俺は、昼食時を迎えた現在……

 ミーアに膝枕されながら、彼女の作った手料理。葉野菜のスープをスプーンで口元に運ばれている。

 少しだけ、肉も入っている。

 パン屑を浮かべたスープは、とても美味そうだ。

 

「なんですって? もう一回言ってみなさいよ」


「だから、自分で食べられるって……」


 ミーアは何が嬉しいのか、にこにこしている。

 夫の俺が、こんな状況だと言うのに酷くない?

 

「お医者様が絶対安静だって言ったんでしょう?」


「大袈裟だって。もう大丈夫だから」


 それよりも、とても恥ずかしい。

 なんだこの状況は? 流石に大袈裟だと思う。

 確かに痛むが、全く身体を動かせないわけじゃ、


 パシンっ!


「いだぃっ!?」

  

 平手で肩を叩かれた。

 途端、凄まじい激痛が一瞬で全身を駆け巡る。

 ぶわっと涙が出て、視界が歪んだ。

 軽く叩かれただけなのに、なんで?


「お……おま……なにす……っ!」


 抗議の意味を込めて睨む。

 しかし、ミーアの表情に変化はなかった。


「聞き訳のない馬鹿な子には、お仕置きですよ?」


「は、はぁ? お前、どうしたんだよ……?」


 明らかに様子がおかしい。

 ずっと、にこにこ笑ってる……不気味だ。


「私は、あーんって言いましたよね?」


「だから自分で……ごめんなさい」


 無言で平手を振り上げられ、大人しく口を開く。

 怖い……なんだコレ。めちゃくちゃ怖い。

 スープの味なんて全然分からない……


「やっと私の言う事を聞いてくれましたね?」


 なんで、そんな上品な話し方なの? 

 貴族のお嬢様だって事は秘密なんじゃ……


「あなたは、いつもそう。私の言う事なんて、全然聞いてくれない。だから遂に痛い目を見たのです。役立たずの旦那様に拒否権はありませんよ?」


 ミーアはそう言って。尚も、にこにこしている。


 ……おーけー、わかった。

 ミーア、めちゃくちゃ怒ってるぅ……っ!


「誰があなたに無茶をしろと言いましたか? 私は確かに試してみる価値はあると提案しましたけど、無理をしろとは言ってませんよねぇ? 旦那様」


「……ごめん」


「折角、私が許したのに。あなたは我儘ばかり……それどころか、まともに話も聞いてくれませんし」


 え? 俺はそんな……あぁ。

 メルティアを家族に迎えて、竜の力を得る話か。

 それに関しては、我儘って言われてもな。


「それじゃミーア、お前が幸せになれないだろ?」


「口答えは許しませんよ? この役立たず」


 やくたたっ……流石に酷くね?

 身体よりも心が痛い。


「役立たずって……こんなの、すぐ治るよ」


「そしてまた無茶をして、あなたは何度も私を心配させるんですよね?」


「……大丈夫だよ。もう無茶は」


「ユキヒメ。あの女剣士、また来ますよね?」


 ……どうしよう。

 俺、絶対に無理をして戦う予定があったよ。


「全く……ふー、ふー……はい、あーん」


「……あーん」


 観念して口を開け、スプーンを咥える。


 怯えつつスプーンを離すと、ミーアはスープ皿に俺の口から離れたスプーンを戻した。

 と、その皿をテーブルに置くと。


 不意に、ミーアは俺の頭を優しく撫でた。


「今後は私に逆らわない事ね。私だって、あんたに救われてからは一生懸命尽くして来たはずよ?」 


 …………………。


「そしてこれからも……死ぬまで尽くしてあげる。だからお願いよ……たまには私の言う事も聞いて」


 なるほど……やるじゃないか。


 お陰で罪悪感が大き過ぎて、思考が止まった。

 確かにミーアは、よくやってくれている。

 いや、とてもそんな言葉で表せない。


「あんたが与えられている試練は、あの娘と一緒に乗り越える事を前提としてるのよ、きっと……あの赤い髪の竜姫様……メルティアは、あんたの運命の女の子で。そうなる為に、この世界に来た。そんな娘で……だから」

 

 俺は、そんな彼女に全く報えていない。


「私のせいで……何も出来ない癖に邪魔ばかりで、我儘ばかりで、あんたに無茶させてばかりの癖に」


 彼女は本当に全てを捨てて来てくれて。

 一生懸命に尽くしてくれて。

 いつも俺の為に、努力を続けてくれて……


「私が、あんたを好きになったせいで……」


「それは違う!」


 だから、これは言うべきだろう。

 幾ら恥ずかしくても、今。抱えている本音を。

 もうこれ以上、こんなに辛そうな顔は必要ない。


「俺が自分の運命を受け入れないのは、お前のせいなんかじゃないっ!」


「嘘吐き。あんたの我儘は、いつも私の為で……」


 なんて顔をするんだ、やめてくれ。

 そんな辛そうな顔をしないでくれ。

 よし、言う……言うぞ?

 どんな顔をされても、我慢してやる……っ!


「お前の為じゃない。俺の為だ」


「……ほら、またそうやってっ!」


 覚悟は決まった。

 俺はミーアを下からまっすぐに見上げて……っ!



 全く何も取り繕う事なく、言った。






「だって半竜化なんかしたら、お前を抱けなくなるかもしれないだろうがっ!」


「………………は?」




 うわ、恥ずかしい。言ってしまった。

 ミーアもポカンとした顔をしている。


 だが、こうなったらヤケだ。最後まで言おう。


 そう思うと同時。

 俺は、最初から。ずっと視界に入り続けている。

 そんな彼女の双丘を見て……強く思った。


「付き合いだしてから、もう二ヶ月かな? 最近のお前は、なんか凄く背も伸びて来てさ。胸なんかも折角、こんなに大きくなって来たのにさ……」


 出会った頃は、本当に僅かな膨らみだった。

 そんな悲しかった彼女の胸囲だが……

 今では服を盛り上げて、はっきりと主張出来る。

 それくらい著しく成長したのだ。


「え? は? なによ。あんた、なに言って……」


「だから、これからだろ? お前だって成長期だ。これから数年で見違えるくらい綺麗になるはずだ。なのに……もし竜の力なんかで強くなり過ぎたら、お前と今と変わらずに触れ合えないだろうが」


「えっ……?」


 丁寧に説明してるのに、困惑した様子だ。

 無理もない。俺は今、とても気持ち悪い奴だ。


 しかし、結局これが俺の絶対の本音だ。

 俺は周りの皆に数々の言い訳を重ねた。

 同時に、何度も自問自答を重ねた。


 そして辿り着いた答えは、たった一つで。

 それは至って単純明快だったのだ。


 俺は、甘えん坊で嫉妬深いミーアが好きだ。

 日々、女らしくなっていく彼女が好きだ。


 俺は、初めて女を教えてくれた。

 そんな彼女と対等でいたい。


 確かに、メルティアは好きだよ。

 あいつが更に俺好みに成長するって聞かされて、正直ドキドキしたよ!


 でもな……でも、そんなのは駄目だ!


 俺だけメルティアを嫁に貰って、半竜化する?

 冗談じゃねぇ! 絶対にお断りだ!

 こいつを抱く時に遠慮が必要になるだろうが!

 なにより、ミーアを悲しませるだろうが!


 だから俺は人間でいたい!


 これから子供が出来て、親になって。

 一緒に歳を取って、たまに喧嘩して。

 そんな普通で、最期の時まで幸せでいたい。


 俺の望みは、それだけなんだ!

 

「お前、いつか言ってたろ。子供は三人で、静かな土地に小さな白い家! 俺は、毎日お前の手料理を楽しみに働いて、子供の面倒を見て、夜はお前と、二人で静かに過ごして……そんな幸せが欲しい! お前の語ってくれた夢が、俺の夢なんだ!」


「…………っ!」


「だから簡単に諦めんな。諦めんなよっ! 俺達は二人で生き残るんだ! あのクソッタレな女神様が決めた運命なんざ知るかっ! 俺の人生、運命は、俺が……いつつ……っ!」


 叫んだら、めちゃくちゃ痛いんだけど……!

 し、しまらねぇ。なんだコレ。最悪だ。

 つい感情的になってしまった。


「……シーナ」


 悶えていると、頬にそっとミーアの手が触れた。

 良かった……優しい声だ。

 格好は悪かったけど、分かって貰えたなら……


「……あの娘の。メルティアの存在を受け入れて」


「ふぁ?」


 あれれっ。おかしいぞ?

 肝心のミーアに全く響いてない。

 それどころか、凄い真面目な顔をしている。


「大人しく聞いて、シーナ。暫く黙ってて」


「え? でも……」


 ミーアは、無言で平手を振り上げる。


「はい……」


 俺の嫁さん、こわすぎ……


「……あの娘の存在は貴方に必要よ。私なんかよりずっと。結局、あんたは女神様から逃れられない。あんたの幼馴染と同じよ」


 怯える俺に、ミーアは静かに口を開いた。

 はぁ? なんで今、あいつが出てくる?


「女神様は、あんたに特別な力を三つも与えた……原典に、無詠唱。そして世界でただ一人、こっちの言語を操れる力をね。女神エリナ様は、きっと……あんたを象徴にして示したいのよ。だから……」


 寂しそうな表情で、ミーアは続けた。


「シーナ、私は大丈夫。元々、私は死んだ人間よ。あんたが来てくれなければ、私はあの薄暗い洞窟で今頃、あんな汚い奴等の慰め者にされ続けてた……そして望んでもない幸せを押し売りされて、悲惨な最後を迎えるまで泣き続けてたと思う……それが、私が自分で選んだ、冒険者ミーアの本来の結末よ」


「それは……違う……違うぞ、ミーア」


「いいから、黙って聞いて」


 振り上げられた平手が降りて来て……

 また叩かれる……と、思わず萎縮してしまった。

 しかし、その手は俺の髪をふわりと撫でて。


「私は、もう十分幸せにして貰った。本来の末路をあんたと言うイレギュラーに救われて、恋もした。女に生まれた事が嫌で、親や周りに敷かれるだろう成人後の人生が嫌で。それなのに……私は、普通で我儘な子供で、弱い女でしかなかった……」


 ポタポタと、生暖かい雫が顔に降って来た。

 見上げる彼女の目尻には、大粒の涙があった。


「あの汚い連中に捕まった時は……思い付く限りの全てを恨んで、憎んで、拒絶した。先輩冒険者で、私の事を妹みたいに可愛がってくれたティーラが、目の前で穢されてるのを見て、私は……絶対ああはなりたくない。汚い……冒険者の癖に、情けない。そんな酷い事ばかり考えて嫌悪してた……身勝手で最低の女なのに」


 今更、勝手に自己嫌悪に陥っている。

 そんな嫁の本音を、俺は黙って聞く事にした。


「色んな人を大声で呼んだわ……親も、知り合いの騎士も……嫌いな姉も。そして、勇者や剣聖も……最後に呼んだのが、あんただった。嫌われてるのは分かってたけど……それでも、あんたならって……私は、きっと……出会ったあの日から、貴方の事が好きで……あんたならって。何故か、そう思えて」


「…………」


「何度も何度も呼んだわ……そして、あんたは来てくれた。血塗れになりながら、私の願いを聞く為に来たって、言ってくれた。そんな貴方に恋をして、勇気を出して……あんたは中々返事をくれなくて、また身勝手にもやもやして……でも、あんたは私を受け入れてくれて……こんな私でも愛してくれた。まだ短い間だけど、凄く幸せにしてくれた……! あんたは、いつだってボロボロになって、私の前に立って戦ってくれた……っ! 初めて会った日に、交わした約束を守ってくれた……っ! だからっ」


「……もういい。いいから、やめろ」


「だから、私は……これ以上は望めないっ!」


 華奢な彼女の身体は、震えていた。

 出会った頃から、半年で見違えた彼女は……


 あの我儘で生意気な女の子は、もういない。


「これ以上、私の為に頑張らないで……あんたには女神様から用意された過酷な運命がある。なのに、これ以上頑張らないでよ……もう辛いよ。辛いよ、シーナ……っ。あんたが傷付いてるのを見ている事しか出来ないのっ! 私は、あんたと約束したのに助けてあげられないのっ! 弓士として、私は……私はやっぱり天才なんかじゃなかったのよっ!」


「やめろって言ってるだろ……っ! ぐぅ……!」


 無理矢理にでも、あの口を塞いでやりたい。

 なのに、なのに……クソッ! 身体が動かない。

 激痛に顔を顰める俺の頬を、ミーアは撫でた。


「あの娘の力があれば、あんたは先に進めるはず。だから受け入れてよ、シーナ。あんたの運命を……ううん……寧ろ、これからも私を本気で守る気なら受け入れるべきよ。あの娘だって、いつまでも一人じゃないのよ? 貴方がいつまでも悩んでいたら、他にあの剣を抜ける人が現れてしまう……その人が私達を殺すべきだと言うような相手だったらとか。あんた、ちゃんと考えてるの?」


「……それは」


 勿論、全く考えてなかった訳じゃない。

 でも……それでも俺は、この世界の人間で。

 それ以上の特別な存在になりたい訳じゃない。


「私は、ちゃんと考えたわよ。その上で、私は早く子供が欲しい。あんたとの決して切れない繋がり。そして人として貴方が生きた確かな証は、私が必ずこの世に残すわ。だからお願い。ちゃんとあの娘と話してよ。私のお腹に子供が出来たら受け入れて」


「やめろ……ミーア」


「公には、私はあんたの使用人でも良い。だから、あの娘の願いを叶える為に得る力で、あんたは私と子供を守って。今まで通りに触れ合えなくなるのは仕方ないわ。でも……」


「やめろって……」


 ずっと目を背けていた。

 現実から、絶望から、そして……未来から。

 ミーアは、そんな俺の代わりに向き合っていた。


「いえ、やめないわ。身体強化フィジカル・ブーストなんて提案するんじゃなかった……もし使いこなせたとしても、元から固有スキルで身体を酷使している今のあんたじゃ、すぐに限界が来るなんて分かってた事よ。いいえ……あんたじゃなくても無理だわ。あんたが望む普通の人間で在り続ける限り、あんたは常軌を逸した相手には勝てないのよ……っ!」

 

 だから俺は、否定出来ない。

 今の俺が出来るのは、溢れる涙を受け続ける。

 身体が動かない今……俺に出来る事は他にない。


「今のあんたは誠実なんかじゃない。ただあんたは逃げてるだけだわ。私を理由にして……」


「なんで、そんな事を言うんだ……? 俺は」


 胸を強く刺突されたような衝撃を受けた。

 何よりも大切にしようと決めた。

 そんなミーアの口から告げられた言葉は、まるで鋭利な刃物のようで……


「私を悲しませないようにって足掻いてくれるのは嬉しい。でも私、言ったでしょ? 一夫多妻なんて珍しい話じゃないわ。守るべきものがある貴方に、なりふり構ってられる余裕はない。今のあんたは、ただ逃げてるだけよ」


 ……やっぱり、話すべきじゃなかった。

 運命の相手、竜姫の話なんてしなければ。

 やっぱり、俺が追い詰めてしまったんだ。


「違う、俺は逃げてなんて」


「なにが違うのよ? 剣聖になった可愛い婚約者を連れて行かれて、勇者様に奪われて……その現実を受け入れられなくて逃げて来た。そんなあんたは、同じ想いを私にさせない為に頑張ってるフリをしているだけっ!」


 強い声音で、気丈に振る舞う。

 そんな彼女の表情を見て、俺は後悔した。


 何も言えない俺に、ミーアは尚も続ける。


「そうでしょう!? シーナ。あんたは結局、また逃げてるだけよっ! 幼馴染は忘れた? ユキナはどうでも良いっ!? 違うわっ! あんたは、まだ縛られてるのよっ! 好きだった幼馴染にっ!」


 俺が選んだ女の子は、思った以上に強く。

 そして、嫌になるくらい賢くて……

 

「死んだら終わりなの! あんたが幾ら足掻いても今のままじゃ……この先も、きっと沢山の強い敵があんたを殺そうとやって来るわっ! いずれ、あの勇者様やあんたの幼馴染……剣聖とも戦う事になるかもしれない! それがあんたの運命で、あんたが自分自身で選んだ道でしょ!?」


「俺だって、選びたくて選んだ訳じゃない……」


「それでも。あんたが一度でも負けて、もし殺されてしまったら……私も終わりなのよ?」


 ……流石に、目を背けてられる現実じゃない。


 そんな事は、理解してる。

 俺が置かれている現状は、とても普通ではない。

 平穏なんて、望む事すら許されていない。


「あんたには、メルティアが必要なのよ……」


 でも、それでも俺は。

 あの夜闇の中で見た、黒い翼と角。真紅の髪……

 金色の瞳を持つ竜装様に、一瞬でも見惚れて。


「……力を得る為に、運命を受け入れろって?」


 なのに……

 そんな中途半端な状態で、選んでしまって。


「それじゃあ、俺は何の為に……」


 こんな俺を傍で支えてくれる。

 そんな君を俺と同じように悲しませたくない。

 

「何の為に俺は、あいつを諦めて逃げたんだよ」


 俺も、あいつと同じ罪を背負いたくない。

 だから俺は抗い続けると決めた。

 普通の人間でも、努力すれば幸せになれる。

 いつか、あの女にも。胸を張って証明する為に。


「……でも。今のままじゃ、私達は別れるしかないわよ?」


「……なんで、そんな事言うんだよ」


「ごめんね……無理を言って、ここまで着いて来たのに……でも、私……最近はいつも不安で……」


 震える声で、ミーアが言葉を紡いでいる最中。

 

 突然、自室の扉がコンコン……と二度叩かれた。


「あっ……やだ……ど、どうぞ」


 すぐに反応したミーアは、涙で濡れた顔をグイと拭って扉を向く。

 すると、すぐに扉が開く音がした。

 残念ながら俺は、身体が起こせない状態だが……


「邪魔するぞ」


 聞こえたのは、シラユキの声だった。

 入室を許可する言葉は覚えさせたからな。


「妾も来たぞ。む? 昼食の途中じゃったか」


 続いて、メルティアの声がする。

 シラユキに聞いて、見舞いに来てくれたらしい。


「あっ、やば……っ!」


「うぐぐっ……っ!?」


 と、手拭いを手にしたミーアが、俺の顔を両手でゴシゴシと力一杯拭いた。

 自分の涙で、とても見せられない状態だからな。

 気持ちは分かるが、息が……く、苦しい……っ!


「む? 一体なにをしているのだ?」


「随分と羨ましい状態じゃが、どうした?」


 膝枕状態の俺に近付いて来たらしい。

 二人の疑問は尤もだ。こ、殺される……っ!


「ごめんなさいね。スープを溢しちゃって……!」


「む? シラユキ、ミーアはなんと言っておる?」


「いえ……分かりません。ですが、どうせシーナが何か粗相をしたのでしょう」


 あっ! シラユキ、てめぇ! 

 人が大変な時に、好き勝手言いやがって!


「ぷはっ、違う。スープが溢れただけだ」


「そうか? なにやら言い争っておったようじゃが」


 やっと解放された俺は、平静を装った。

 メルティアが言葉を理解出来なくて良かったよ。

 竜姫様の耳なら、室外から俺達の会話も聞こえてしまうからな。


「無茶して、こうなった事を叱られてただけだよ。それで何の用だ? 見舞いに来てくれたのか?」


「うむ、そんなところじゃな? 事情はシラユキに聞いたぞ。また何か新たな力を試そうとして、失敗したらしいのぅ? 全く、無理をしおって」


「想定外の反動だ。無理をした覚えはない」


「ほぅ、女神の力と言うのも使い勝手が悪いのぅ。では早速、始めるとしようかの?」


 メルティアの一瞥を受けて、シラユキは頷いた。


「では、メルティア様。失礼致します」


「うむ、許す」


 と……屈み込んだシラユキは、メルティアの腰に吊るされている紅金の宝剣に触れる。


 どうやら鞘ごと外そうとしているらしい。


「何をする気だ?」


「無論、お主の身体を治すのじゃよ。この診断書を見る限り、あまり量は要らんじゃろう」


 メルティアの手には、先程の医者が書いてくれた診断書が握られている。

 この身体を治す? 特効薬でもあるのだろうか。


「シーナ、お主には妾の血を飲んで貰う」


「……は? 血を飲む?」


「そうじゃ。その為に、まずは竜装を抜いて貰う」


「メルティア様、どうぞ」


 自身の腰から外された竜装を、シラユキが両手で恭しく差し出す。

 そんな彼女に「うむ」と頷いて。

 メルティアは、その小さな手で宝剣を握った。


「妾達竜の生き血は、どんな大怪我や病でも一瞬で治すと言われておる。しかし実際は、そんな万能な代物ではない。じゃが、今のお主なら数時間程度で快復させる事が出来るじゃろう」


「……で? 一応聞くけど、副作用は?」


 途端、メルティアはサッと目を背けた。

 やっぱり……こいつ案外小心者だよな。

 

「……おい」


「ククッ……さ、流石じゃな。今の説明を聞いて、最初に心配するのがそれか……」


「生憎、ヤバい薬には縁があってな」


 危うく二度と感情を取り戻せなくなる薬とかな。

 アレは俺から戦闘の恐怖を取り除いてくれたから文句は言えないけど。


「案ずるな。命に関わる副作用はないと保証する。ただ……竜装に選ばれた候補者の血と混ざる事で、婚竜の儀式の第一段階が済んでしまうだけだ」


「おい、シラユキ……ッ!」


「メルティア様。事実を隠したままで、素直に口にする奴ではありませんよ、こいつは」


 婚竜の儀式の第一段階が済んでしまう?

 それって……


「お前の懸念は尤もだ。だが、心配は要らないぞ。これからお前が口にするのは、儀式に必要な量には程遠い。それに……お前の血と混ざると言っても、竜の血は活性化させなければ、お前は人のままだ」


 俺の表情で察したらしく、シラユキは補足した。


「……ちなみに、活性化する条件は?」


「……意地悪な奴だな。分かっているだろう?」


 気不味い表情で、シラユキが言った。


「……今更言わせるな、馬鹿者め」


 と、メルティアは俯き、自分の身体を抱いた。

 短いスカートの裾を引っ張り、小さくなる。

 余程恥ずかしいらしい。

 顔は隠しても、真紅の髪からはみ出た耳が赤い。


 ……なるほど。


 必要量は足りず、活性化させなければ大丈夫。

 気付けば、俺は無意識にミーアを見上げていた。


「なに? シーナ。どうしたの?」


「……いや。そうか」


 なら、断る理由はない……よな。

 俺は改めて、メルティアに向き直った。


「そういう事なら頼んでも良いか?」


 そう言うと……

 尚も恥ずかしそうに俯いて、無言のまま。

 そんな主を一瞥し、シラユキは肩を竦めた。


「こちらとしても、お前が動けない状態が続くのは非常に困る。メルティア様、宜しいですか?」


「……うむ。もう好きにするが良い」


 おずおずと近付いて来た赤竜姫様は、宝剣の柄を俺に差し出す。

 そのまま金色の瞳でジッと見つめて来るので、


「それで? どうしたら良い」


「……剣を抜け。妾の身体は妾自身でも容易に傷を付けられん。妾には竜鱗ドラゴンスケイルがあるからの……じゃから……」


「本人の竜装に対して、竜鱗は反応しないからな。普通の人肌を斬るように切り傷を付けられる」


 へぇ、そういう事か。不思議だな。


 無理に自傷されるより余程良い。俺は痛む身体に鞭打って、震える腕を必死に伸ばした。


 こんな身体の俺にも、宝剣は応えた。

 柄に指先が触れた途端、ガシャンと開く。


『あの娘だって、いつまでも一人じゃないのよ? 貴方がいつまでも悩んでいたら、他にあの剣を抜ける人が現れてしまう……』


 そんな抜剣出来るようになった宝剣を見て、俺の脳裏に先程のミーアの言葉が蘇る。


『その人が私達を殺すべきだと言うような相手だったらとか。あんた、ちゃんと考えてるの?』


「……何も奪われたくない、か」


 ふと、そんな言葉が自然と漏れた。


 金色の瞳で、自分の竜装に選ばれた相手をジッと見つめる。

 そんな雇い主様を見上げて、


「……どうした? シーナ。早くしろ」


 各々、理由はあるけれど。

 急かすシラユキ共々、こんな俺を想ってくれる。

 そんな三人の女の子達に囲まれて、俺は……


「いや、悪い。なんでもない」


 この馬鹿が。よく言えたものだな、と。

 何故か心の底から、そう思ってしまった。







 次回、国王との謁見。





 あとがき



 遂に話が動きます、おまたせです。


 前回の話が、運営にエッチすぎると言われた。



 ギリギリじゃなくてアウトでした。

 表現には気を遣ったのに……運営童貞かよ……


 R15って、今時の子は大丈夫だろ


 大分消しましたので、大丈夫かなー?

 明日までにオッケーじゃないとヤバいらしい。


 ユキナは完落ちしてないと勇者共々弱体化するので必要な話だったのに……



 あと、作者は寝取られ大好きなんですか?


 このコメントした奴、許さないよ……?

 メリーさんごっこするからね?


 ユキナ回はコメント沢山で嬉しいです。

 みんなやっぱり、ユキナ大好きだな?

 ドアマットとか言われてたの草なんだ。


 やっぱり最強ヒロインはユキナか……?



 

 

 

 

 



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