第115話 守る為の覚悟
満月の夜。
屋敷の裏の森にやって来た白虎は、木枝に腰掛け月見酒を楽しむ女を見付けた。
長い白髪を風に揺らす白狼。
誰もが思わず見惚れてしまっても不思議ではないその姿に、レオは。
「帰って来たなら、挨拶くらいしに来いよ」
額に青筋を浮かべ、呆れた表情で苦言を吐く。
「何故、そんな事をする必要があるのかな?」
対し、ユキヒメには全く悪びれた様子はない。
一応顔を向けて来た彼女だが、不思議そうな表情をしている。
「チッ、まぁいい。それで? 会ってきたのかよ」
「うん。なかなか楽しめたよ。肝心の剣士くんが、まだ人のままだったから物足りなかったケド」
満月に向き直り盃を煽ったユキヒメは、深く息を吐く。
両足を宙にぷらぷらと揺らした彼女は、
「私の太刀を初見で受けきれた剣士は久し振りだ。聞いていた通り、二人のお姫様の剣も扱えていた」
上機嫌らしく、弾んだ声で告げる。
「……そうかよ」
当然。面白くないレオだったが。
「でも、それだけだ」
ふと、ユキヒメの放つ雰囲気が変わった。
つい先程までとは全く違う、冷たい声音だ。
「どういう意味だ……?」
ユキヒメはレオを見下ろし、微笑んだ。
「ねぇ、白猫くん。君が私に求めるのは、赤い方のお姫様を取り戻す手助けって事でいいのかな?」
「……まぁ、そうだな。まだあいつらが儀式をしてねぇなら、最終目標はそうなるか」
「良かった。それじゃあ私から、条件を一つ追加で提示させて貰うけど良いかな?」
夜闇に輝く、ユキヒメの双眸。
不思議な威圧感を感じ受け、レオは目を細める。
「言ってみろ」
全く気圧された様子のない白虎を見て……
「じゃ、遠慮なく♪」
剣聖と呼ばれる白狼は笑みを深めた。
夕刻の王城。勇者一行執務室。
「シスル様」
入室した剣聖ユキナは、最奥の執務室で羊皮紙に筆を走らせている金髪の青年の名を呼んだ。
「なにかな? ユキナ」
普段、共に過ごす他の二人の姿はない。
女神様に選ばれた勇者であり、自分の婚約者でもある男性と二人きりになる事を確認したユキナは、後ろ手に扉を閉めた。
「ん? どうしたの? なにかあった?」
どうやら異変を感じたらしい。
手を止めたシスルが顔を上げる。
「……お聞きしたい事があります」
静かな声で告げたユキナの瞳には、強烈な感情の光があった。
それだけで、全てを察したシスルは嘆息する。
「全て、君のせいだよ。ユキナ」
「…………えっ」
まだ何も言ってないのに結論を告げられる。
想定外の事態に困惑するユキナだが。
「君が今抱いているものは、全て君がやって来た事の結果だ」
机に両肘を突いて静かに語る青年の瞳は真剣で、ユキナは一瞬で気圧されてしまう。
「今の境遇も故郷も幼馴染も……全部、君のせい。誰かに責任を問う資格は君にはない」
「……私の、せい?」
「そうさ。力を持つという事は、そういう事だよ、ユキナ。だから君は故郷を捨て、あれだけ自慢げに語っていた彼を捨てた。それは、彼等に自分と同等以上の力なんてないと君自身が侮り、諦めたから。そうだろう?」
シスルの言葉は全て事実で、反論は許されない。
それでも、何か言わなければと喉を震わせ……
「力を持ち、立場のある者をその下の者が理解し、救ってくれる。そんな都合の良い話はまずないよ。君はもっと考えるべきだった。今の君の発言力は、それだけ強いという事だよ」
「そん、な……だって、私は……」
「元は辺境生まれの村娘なんて、関係ないんだよ。今の君は剣聖で、侯爵家の令嬢だからね。それに、これまで僕は散々言って来た筈だよ? 余計な事は言うなってね」
また青年のせいにしようとしたユキナだったが、こうまで言われれば流石に思い知る。
余計な事は言うな。
確かに今まで、幾度となく言われて来た言葉だ。
しかし彼は、その度にこう言っていた。
これは、君の為だ……と。
彼は本当に、守ってくれていたのだ。
そう気付いて、ユキナは膝から崩れ落ちた。
「……君の故郷の事は、残念だった。僕もなんとか止めようと足掻いてみたけど、間に合わなかった。本当に、残念だよ」
「そんな……だって、先生が。先生は、任せろって言って……」
「幾ら最優と呼ばれる騎士様でも、所詮は傀儡さ。彼は全て分かっていたと思うよ。その上で、天秤に掛けたんだ。そして、選ばれた結末が今なのさ」
ユキナは思い出す。
出立の前、言葉を交わした老騎士の表情を。
……今思えば、彼は。
「誰もが皆、自分が守るべきものの為に戦う。彼は今の君よりも自分の家族や名誉の為に命令に従い、未来に語り継がれる剣聖の為に戦った」
「……先生は、私を騙したんですね」
「そうさせたのは君だよ、ユキナ。自分の為にしか戦えない君に、彼を非難する資格はない」
そう言って、シスルは引き出しから一枚の封書を取り出した。
「対して、彼……君の幼馴染は、君の信じた通りの人物だったらしい」
既に封は切ってある封筒から取り出されたのは、冒険者ギルドから届けられた報告書だ。
既に親族は失っていると判断したギルドが受取人として封筒に記載した名は、
「君宛に、冒険者ギルド。セリーヌ支部から通知書が届いている。持って行くといい」
座り込んだまま、ユキナは動けない。
シスルの手にある封筒が、酷く遠く感じた。
「あっ……」
記載されている内容は、もう分かっている。
今が紛れもない現実で……今から幾ら頑張っても取り返しが付かなくて。
「あぁ……あ、あぁ……」
それが全て自分の招いた結末だと認める他ない。
泣いても変わらないと分かっていても、涙が溢れて止まらない。
ぼやける視界の中で、金髪の青年は封筒を机上に置いた。
「彼もまた、僕達と同じ。女神様から力を授かった人間だった。でも、君程の力じゃない事は確かだ。それでも彼は戦った。たった一人でね」
立ち上がったシスルが歩み寄って来る。
しかし彼は、床に座り込むユキナに目も暮れず、執務室の扉を開けて。
「君には、誰も憎む資格はないよ」
バタンと扉が閉まり、部屋に一人取り残された。
「私は……私だけのせいに、しないで」
泣き続けていたユキナは暫くして……ふらふらと立ち上がった。
「……ッ! ……うぅ……」
青年が座っていた机の上。
置かれた封筒に、震える手を伸ばす。
既に開封されている封筒の中から、ゆっくり手紙を取り出して広げると……。
『死亡通知。
白等級冒険者 シーナ』
長い文章は、読む気にならなかった。
ただ、目立つように記載されている名前。
そこだけを何度も、何度も何度も読み返す。
「……あっ」
ポタポタと落ちる涙で滲み、読めなくなるまで。
「そっか……」
価値のなくなった手紙から顔を上げたユキナは、天井に向かって呟く。
「……私、もう守るもの……なくなったんだ」
剣聖ユキヒメが去って、一週間が経った。
身体は本調子とは言えないが、普通に生活出来る程度には回復した。
殆どの人員が出払っている屋敷は静かだ。
お陰で護衛して貰う必要がない訳で、人の目など気にする必要がない。
頼りのシラユキも部屋から出られない期間だ。
そうなると、どうしても暇になる訳で。
「あ、シーナ。次は、あっち見てみましょうよ」
ずっと自由がないと窮屈で、ストレスも溜まる。
その上、こっちに来てからは命の危険もある。
屋敷に人がいない今は、外出の絶好の機会だ。
「ほら、凄くない?」
今日のミーアは服装からも気合いが感じられる。
暫く、デートなんて出来なかったからな。
顔を見るだけで、凄く機嫌が良いのが分かる……猫耳を付けた彼女は、相変わらず可愛い。
「そうだな。どこを見てもセリーヌとは全然違う」
「あんな田舎街と比べてもね……」
「俺は他を知らないからな」
肩を竦めると、ミーアは眉を顰めた。
「そう言えば、他の街とか見た事ないんだっけ? 言っておくけど、王都でも比べ物にならないわよ。建物は高くて外観も綺麗だし。道の整備も凄いわ」
彼女の言う通り、ここは凄い。
王都では高級品とされている硝子。それも一目で数段質が良いと分かるものを惜しげもなく使用した建物が沢山ある。
道には鉄の箱のようなものが高速で走っていて、四人は乗れるらしいそれは日常的に使用されている移動手段なのだと分かった。
俺の常識では、到底理解出来ないものばかりだ。
文明格差も、ここまで来たら笑うしかない。
「人も多いしな。手、離すなよ?」
「あら、ちゃんと捕まえとく自信ないの?」
「……ごめん。正直、自信がない」
思い返せば、最近は力不足を痛感してばかりだ。
「でも。あなたは、よくやってると思うわ」
「それじゃ駄目なんだ。分かってるだろ?」
正直、仕方ないと言い訳出来る状況ばかり。
だが、それで俺達が無事でいられる訳がない。
連れて来たのは、一緒に居ると決めたのは俺だ。
「この話はやめるわよ。折角のデートなんだから」
「それもそうだな……とりあえず夕方まで、色々と見て回ろうか」
ミーアの手を握る左手に、自然と力が入った。
それから俺達は、城下まで移動した。
金銭は以前、シラユキから何かあった時の為にと財布を渡してくれていたので不安はない。
気になるのは周りの目だが……
こちらも今の所は問題ない。
俺達は獣耳と尻尾を付けただけの雑な変装だが、わざわざ他人をジロジロ見る奴は居ないだろう。
地図は持ってないが、道中の掲示に従えば目的地に辿り着けるようだ。
文字を読める様にしてくれた女神には感謝だな。
「あれが城で間違いなさそうだな」
首都の中心に到着した俺達は、湖に囲まれる様にして佇む王城を見つけて近付いた。
湖は胸元程の高さの金属製の柵で囲ってある。
「城内へは、あそこの橋から行けるみたいね」
「そうらしいな。まぁ、俺達には縁がないだろう」
「分からないわよ。機会があるかもしれないわ」
「それは困るな……」
顔を顰めると、ミーアはクスリと笑った。
「一応、最低限マナーの勉強はしておきましょう。私が教えてあげるから」
「お。いい加減認める気になったか? お嬢様」
「なんの話かしら。それにしても立派なお城だわ」
まだ教える気はないと。
まぁ良いけどな? 別に今更気にしてないから。
「これからどうする? まだ見ているか?」
「いえ、いいわ」
「そうか。なら、武器とか道具屋とか見に行くか」
提案すると、ミーアは呆れた表情になった。
「あんた、そういう所ばっかりね」
「知識があれば対処が出来るだろ。お前の持ってる銃だって、初見の時は危なかったんだぞ」
メルティアの守護者候補だったクズ野郎の愛人。
下品な格好の女に、初めて銃を向けられた酒場。
あの時、警戒して魔法防壁を張ってなければ……俺は、あの場で死んでいただろう。
「そうね……まだ知らない武装はあるでしょう」
「こっちにも魔法を使う奴がいるかもしれないし、警戒するに越した事はない」
「うん。あの女剣士は斬撃を飛ばしてたものね……まるでアッシュの固有スキルみたいだったわ」
……ユキヒメの抜刀術は剣技の域を超えていた。
白狼族の彼女が、幾ら俺達より優れた身体能力を持っていたとしても、高速で刀を振り斬撃を飛ばすなんて芸当が出来るとは思えない。
「奴の剣には、何か秘密があるはずだ」
女神の力。そう言われれば片付く俺達の常識では測れない存在が、この世界には実在する。
いつ、また襲われるか分からない。
もっと多くを知らなければ、生き残れない。
「……今回は襲われたから仕方ないけど、自分から喧嘩を売ったりしないでよ?」
心配そうな表情で覗き込んで来る。
そんな彼女に、俺は……
「奴は来るさ。近いうちに、絶対に」
去り際にユキヒメが見せた表情を思い出し、確信を告げた。
「また心配を掛ける。ごめんな、ミーア」
今の俺には、頭を撫でてやる位しか出来ない。
「シーナ……」
辛そうな表情の彼女を安心させてやれる言葉は、口に出来ない。
覚悟は決めた。抗うと決めた。
「ばか。今の俺はシオンだろ?」
隣に居る、この娘だけは守り抜く。
俺は……そういう選択をしたのだから。
首都巡りは終始、驚かされる事ばかりだった。
特に驚いたのは、百貨店だ。
一つの巨大な建物に幾つもの店舗が入っている。
煌びやかな店内。自動で動く階段……
一階に陳列されている食材は、冷気を発する棚に置かれていて、まるで採りたてのように瑞々しい。
「こんな施設を、一般市民が利用出来るなんて」
ミーアの言葉に、俺も同意した。
「あぁ……すげーよ」
技術に差があるのは、分かっていた。
だが、それだけじゃない。
「なんで、笑ってられるんだろうな」
住人達の表情が皆、明るいのだ。
別世界に飛ばされ、敵意を向けられ、攫われて。
本当は、不安で仕方ないはずなのに。
「……言われてみれば、そうね」
「まぁ、答えは明らかだけどな」
「……そうね」
この世界の人達は、きっと。
元から、この世界に居る俺達よりも、ずっと……
「本当に、すげーよ」
この日は一日、そう口にしてばかりだった。
楽しい時間は、あっという間に過ぎて行った。
夜になり、暗い空の下。帰路を進む。
「本当に持たなくて良いのか? 重いだろ」
「いーわよ、しつこいわね。あんたは両手を自由にしておかないと、いざという時に困るでしょ」
両手に購入した品の入った紙袋を持つミーアは、相変わらずの意地っ張りを発揮している。
そうは言われてもな……周りの目が気になる。
「でも、お前。沢山買ったしさ……」
「食材だけじゃない。ほら、文句言わないで急ぐ。帰ったら、すぐに夕食にするからね」
今日買った物は結局、食材だけだ。
他にも欲しい物はあったが、高かったからな……
早く給料が貰えるよう、雇い主様に相談しよ。
「ん?」
歩いている最中。ふと、違和感を感じた。
人通りが少ない……?
いや、待て。ここは来る時も通ったよな。
昼間は、あんなに居た通行人が一人も居ない?
「どうしたの? シー……シオン」
こんなに明るくて、店も沢山あるのに……?
あれ? なんで、どの店も店内に人影が……
「ちょっと、シオン?」
この不自然な現象は、まるで……人為的な……
「っ! 防げっ! ミーア、伏せ……」
気付けば、衝動的に身体が動いていた。
「えっ? なに……っぷ!」
ミーアを抱き寄せ、彼女の頭を胸元に隠した。
同時、魔法壁に何かが衝突する音が無数に響く。
「……チッ。穏やかじゃない」
……銃弾か。
こいつは、一人や二人どころじゃない。
幸い銃弾の雨は、すぐに止んだが……
「ちょっと……何事よ?」
これは、攻め切れないと判断しただけだな。
敵の姿は、まだ見えない。だが確実に分かる。
「囲まれたか……」
建物の影や屋上から、大勢の視線を感じる。
明確な敵意……俺も随分と敏感になったものだ。
「援護しなさい」
ミーアが紙袋を放り投げ、スカートを翻した。
「我、女神の祝福を受けし者ッ!」
彼女は両太腿から二丁の銃を抜き、即座に発砲。
十時の方向から、悲鳴が二つ響いた。
「お前……」
「今更、人を撃つなって言われても聞かないわよ」
左目を発光させ、ミーアは次々と銃弾を放つ。
……流石だな……おっかねぇ。
「何故だ! こちらの弾は届かないのに!」
「報告にあっただろ! 銃じゃ駄目だ! 近接戦に切り替えろっ!」
銃弾が完全に止むと、路地裏や店内から勢い良く十数を超える人影が飛び出して来る。
全員、完全武装しているな……なら。
「我、女神の祝福を受けし者」
「ぐあっ!」
「ぎゃあっ!」
抜剣と同時、強く踏み込んで接近して来た二人を袈裟斬りにする。
なんだ? 遅い……遅過ぎる。
まだ全然身体を加速出来ていないが、余裕だ。
「チッ、聞いていた以上だ! どうするんだよ!」
「知るか! がっ……!」
足が止まった襲撃者は、ミーアが撃ち抜く。
全て的確に眉間かよ……あれは即死だな。
「リロードよ、十秒ちょうだい」
「……問題ない。奴等、足が止まった」
攻め手がなく、被害を抑えたいのだろう。
足を止めた襲撃者達は、こちらを伺っている。
「どうした? もう来ないのか?」
安い挑発に、奴等は悔しげに歯噛みする。
耳や尻尾に統一性はない。多種族の連合か。
なら、何処かの組織と考えるのが自然だな。
「随分と用意周到だな? 誰に雇われた」
近い男に聞くが、答えはない。
思い当たる節は一つある。しかし、確証がない。
後の為にも可能な限り情報を引き出したいが……
「ふっ!」
不意に、銃声が二つ。無慈悲に鳴り響いた。
「ぐぁっ!」
「がっ!?」
それは俺が質問していた男と、その左隣に立っていた男の眉間に風穴を開けてしまう。
「あっ……」
ドサリと倒れた、二つの骸。
俺は、恐る恐る……後ろを振り返った。
「おい? ミーア……」
「問答無用ッ!」
叫んで、ミーアは立て続けに引き金を引き絞る。
おいおいおい! 幾ら何でも、腹括り過ぎだろ!
「て、撤収! 撤収だー!!」
「こんなにイカれてるなんて、聞いてねーぞ!」
「馬鹿野郎! 尻尾巻いて逃げられるかよ!」
「応戦しろ! 盾持ちの奴等は、前へ!」
……これは、全滅させないと収拾が付かないか。
軽装の奴等が下がり、大盾持ちや全身鎧の奴等が前進を始めて来ている。
明らかに銃を警戒した布陣……安直だな。
「シーナ、銃が効かない奴は頼んだわよ!」
「あーもう! どうなってるか、さっぱりだ!」
頼んだと言われてもな。
二本目の剣も抜くが、ミーアから離れられない。
剣で戦えないなら、魔法を使うしかないか。
「ぶっ飛べっ!!」
一先ず
だが、これではジリ貧だ。先に法力が尽きる。
鎧の中を爆破するか?
いや。ミーアにそんなものは見せられない。
「おらぁ!」
悩んでいると、一人。ミーアに辿り着かれた。
全身鎧の男が、大斧を振り上げている。
「ぶっ飛べっ!」
風で飛ばすが、ガシャンガシャンと地を転がった鎧の男は、すぐに体勢を立て直して向かって来る。
「何やってるの! 確実に仕留めなさい!」
怒鳴り声を上げ、ミーアは鎧の男を狙う。
兜の隙間。両目を撃ち抜いた彼女の銃は、二丁共ガシャンと音を立ててスライドが開いてしまった。
「やらなきゃ、やられるのよっ!?」
まさに正確無比、神業と呼ぶに相応しい射撃だ。
しかし、それをミーアが誇る事はない。
即座に再装填に入る彼女を見て、俺は……
「……そうだな」
頭の中が、透き通って行く感覚を覚えた。
そうだ。やらなきゃ、やられる。当たり前だ。
何を甘ったれていたんだ? 俺は。
……すまない。メルティア、シラユキ。
「もういい。下がってろ、ミーア」
俺は、もう。
「は? 何言ってるの? 私も一緒に」
「いいから」
「ひっ……」
俺の顔を見て、ミーアが怯えた顔になる。
それでいい……俺は、もう二度と。
「……自分の身だけ、守ってろ」
優先すべきものを間違わない。
紅髪を靡かせ、メルティアは夜の首都を全速力で飛翔していた。
夜闇と同じ、黒い翼が風を切る。
「間に合ってくれ……っ!」
胸元でギュッと小さな拳を握り締めながら祈る。
屋敷に通信して来た匿名の相手は、とても焦った声をしていた。
目的地は、そう遠くない。
屋敷を飛び出して、数分も掛からずに見えた。
「あっ……」
見てから、すぐに悟った。
メルティアが放心状態のまま着陸すると……。
「……あとは、お前だけだ。雇い主を言え」
白い髪を紅に染めた少年は、腰を抜かした狐族の男の眼前に剣先を突き付けていた。
両の目を爛々と輝かせ、一切の無表情で。
「早くしろよ。遺言くらい聞いてやる」
彼の周りには、多くの人が血溜まりの中に倒れ伏せていた。
その全てを、血に濡れた両手の剣が物語る。
「あら、お姫様。遅かったじゃない」
まだ理解出来ない、異界の言葉が聞こえた。
見れば、緑髪の少女は一切血に濡れていない。
「全部終わったわ。あ、言葉分からないんだっけ」
更には、全く悪びれた様子もない。
これだけの人の死を目の当たりにして、何故?
到底理解出来ない状況が、目の前にあった。
「……メルティアか」
ただ、一つだけ。確かな事実がある。
返り血に濡れ、瞳を爛々と輝かせる少年。
「突然襲われたから迎撃した。後の処理は頼む」
彼は淡々と状況を告げ、眼前の男の首を刎ねた。
ドサリと地を転がる首を目で追って……
「間に、合わなかった……」
改めて状況を理解させられてしまう。
酷く胸が痛んで……メルティアは俯いた。
「悪いが、先に戻る。話は明日で良いな?」
「すまぬ……すまぬ……」
今の赤竜姫には、ただ泣く事しか出来なかった。
屋敷の自室。
就寝前にソファで寛いでいると、湯気立つカップを二つ持ったミーアが隣に座って来た。
「はい、ホットミルクよ」
「ありがとう」
「お疲れ様。大変だったわね」
ホットミルクか、随分飲んでないな。
うん、美味い……身体が温まる。
「……ねぇ、シーナ」
「なんだ?」
「私は、何があっても離れて行かないわよ」
そう言って、ミーアは肩に頭を預けて来た。
「わかってるよ」
「……わかってるなら、いいの」
「俺こそ、凄んじまって悪かったな」
「ふふ……ホントに、わかってくれてるのね」
やっぱりって感じだからな。
俺に怯えた表情を見せた事、気にしてたらしい。
「怖がらないって、お前は言ってくれた。だから、俺は恐れずに戦える」
故郷の村で、若い騎士達を相手にした時。
俺の腕の中で彼女は言ってくれた。
『大丈夫。私は、あなたを恐れない』
今は、あの言葉以上に信じられるものはない。
「うん。あ……ねぇ。今日は戦ったけど、むり?」
首に腕を回して来て、耳元で囁かれる。
あっ……ふ、ふーん? 仕方ないなぁ。
「お前がしたいだけだろ?」
「……いじわるしないでよ」
おぉ……素直だな。とても可愛い。
「悪かったよ。なら、相手して貰おうかな」
「もう……ふふっ。いいよ♡」
甘い声……やばい。
やっぱり、こいつ本当に可愛い。
「……ね? シーナ」
「なに?」
「ほんとは、私だけを見て欲しいわよ」
そう言って、ミーアはキスしてきた。
何度も何度もミルク味の唇を重ねてくる。
そうして……息が苦しくなって来た頃。
「でも。それじゃ、あなたは先に進めないから」
「ミーア……」
「だからね、シーナ」
薄いネグリジェの肩紐を外しながら、妖艶な瞳で見つめられる。
潤んだ大きな瞳は凄く綺麗で、目が離せない。
「私は、傍に置いてくれるだけでいいの。だから、あなたは前に進んで。子供も三人欲しかったけど、一人だけで我慢するわ。だから……」
……もういい。
ここまで言われれば、嫌でも思い知らされる。
「……わかった」
「足手纏いには、なりたくな……あ……っ」
胸を揉み、甘い声を発したミーアを押し倒す。
見下ろす格好になった彼女の目から、大粒の涙が零れ落ちた。
「また……大きくなったな」
「……うん。た、沢山、可愛がって貰ってるから」
恥ずかしがって、赤い顔を背ける。
そんな愛おしい嫁の耳に、俺は口を近付けた。
「育てる自信、あるか? 今の状況で」
「……うん。私も、守られてばかりは嫌だもの」
「そっか。お前、本当に良い女だな」
知れば知る程に俺は、この娘が好きになる。
守ってばかりだった幼馴染とは、全く違う。
「今更、何言ってるのよ。ばか……」
「それもそうだ。じゃあ、なるか? 母親に」
ミーアは、共に守ろうと言ってくれる。
こんな状況でも、決して折れないでいてくれる。
「! ……ほんとに、いいの?」
そんな、強い彼女を俺は愛している。
だからこそ……諦められないんだ。
「凄く苦労しても良いならな」
「それこそ今更でしょ。望むところよ……」
「そっか。じゃあ、力抜いて」
例え今の雇い主に、嘘を吐いてでも。
俺は彼女と同じ。この世界の人間で在りたい。
「……そんなに心配するな。俺は人間だよ。お前と同じ、人間だ。これまでも、これからも、ずっと」
「んう……♡ えっ……? シーナ……んあっ♡」
幾ら女神の頼みでも、聞く訳にはいかない。
俺は最後まで、人のまま抗い続ける。
「俺はあいつとは違う。女神の言いなりになんて、なってたまるかよ」
答えは、覚悟は、ずっと前から決まっている。
その為に俺は……幼馴染と決別したのだから。
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