第110話 迫る思惑

 一度は手元に置いた赤竜姫が、与えなかった幸福を感じている頃。


 僻地の屋敷で療養中の白虎は、夜闇の中。重症の股下を庇いながら屋敷の裏手を歩いていた。


 ヒョコヒョコと歩く先は、木々が生茂る森。


 微塵も躊躇いなく足を踏み入れた白虎のレオは、森の中を暫く歩いて……ふと立ち止まった。


 顔を上げたレオは見つける。

 木の上から自身を見下ろしている、白髪の女を。


 絢爛な和装。腰に大太刀を携えた狼耳の美女だ。

 闇の中で爛々と双眸を輝かせ、女は嗤う。


「見つかったか。意外とやるね?」


「馬鹿にしやがって。てめぇがその気なら、流石に気付く」


「ふーん? 少しは力を付けてるようだね」


 馬鹿にしたような言い方に、短気なレオは苛立ちを覚えた。


(……落ち着け、この女は普通じゃない)


 しかし、彼女本人には全くその気がないのだ。

 寧ろ木の枝に座る白狼は、本気で感心しているに違いない。


 大きく深呼吸して、レオは冷静を保った。

 

「チッ……てめぇこそ少しは成長しろよ。俺が折角一番良い客室を用意してやったんだぞ?」


「部屋は必要ないって言ったでしょ? 自然な風を感じられない場所じゃ、私。眠れないからね」


 ふふふ、と白狼耳の美女は微笑む。


(マジで意味分からねぇ……いっそ裏庭に小屋でも建てるか。誰かが鎖で繋いで飼った方が良いだろ、この雌犬は)

 

 呆れたレオは眉をピクピクさせながら妄想して、


「ならよ……せめて、いつも決まった場所に居ろ。わざわざ探すのが面倒だ」


「私に人の在り方を説く気かな?」


「そんな無駄な事、いくら暇でもしねーよ」


「そう? なら良かった」


 全く良くないが、相手は狂人だ。

 まともに取り合っても気疲れするだけ。


 いずれ俺好みに調教してやると誓いつつ、レオは口を開こうとして、


「あ。私を探してたって事は、見つかった?」


 先に本題を切り出されてしまう。


「……あぁ。うちの女達に調べさせた」


「そっか、早かったね。君を訪ねて正解だったよ」


「奴等なら首都にいるらしい。それ以上を知りたいなら、俺の部屋に来い」


 自室に呼び、会話の主導権を握ろうとする。

 そんな思惑も、頭上の存在には不振に終わった。


「そっか、首都か」


 にや、と微笑んで。

 ゆっくりと白狼の美女が見つめた先には、枝葉の隙間から覗く暗い星空がある。


「……チッ」


(いちいち絵になる奴だ)


 多種多様。数多の美女達を手に入れ従える白虎。

 そんな彼は、一人の女に目を奪われていた。


(額縁に収まる器じゃないのは、分かってる)

 

 だからこそ、もどかしい。

 剣聖と呼ばれ、恐れられる白狼の女。

 美しくも剣呑な雰囲気を身に纏う存在。


「星は暫く、見納めかな?」


 今は、幾ら無視されても構わない。


(だからこそ、欲しい)


 レオは、そんな剣聖ユキヒメに手を伸ばし、


(竜姫も剣聖も、綺麗で使える女は俺様のもんだ)


 掌の中で掴んだように、拳を固く握る。

 

 同時に、脳裏を過ぎったのは白髪の少年だった。

 酷く冷たい青瞳を持ち、剣と異能を振るう蛮人。


 従えていた赤竜姫を奪い去り、許されざる恥辱を与えて来た愚者の記憶……。

 

(もう少しだ……クソガキが。誰が支配者なのか、思い知らせてやるぜ)


 彼の瞳には、憎悪が滾る。







 穏やかな陽気の差す昼下がり。 


「こうして貴女と二人は久しいですね」


 屋敷の庭園に備わる東屋には、二人の竜姫の姿があった。


 菓子で彩られた卓の前で、ゼロリアは紅茶を傾けながら不満げな表情を晒している。


「うむ。実に3年振りか……あまり実感はないの」


「互いに未婚のまま、容姿も変わりませんからね」


「う……そ、それもそうじゃな?」


「それで? 早速、本題に移りなさい。私も暇ではありません」


 機嫌が悪い事を隠そうともせず、ゼロリアは氷のような声音で言う。


「む? 今日は休養日じゃろうが」


「分かりませんか? 何故、彼を誘っていないのかと言っているのです」


「彼奴は誘っても来んよ。分かっとるじゃろ?」


 問い掛けられたゼロリアは、渋い顔をする。


「……シラユキの手料理ならと聞きましたが?」


「残念ながら市販品じゃ。見れば分かろう?」


 卓上の菓子は、どれも見栄えが良いものばかり。中には、ただ包装を開けただけの品もある。


 メルティアの背後に給仕として控えるシラユキは、申し訳なさそうに言った。


「申し訳ありません。菓子の類は、どうも苦手で」


「練習しなさい。今すぐに」


「自分でやると言う選択肢はないのか、お主には」


 呆れ顔で、メルティアは焼き菓子を一つ摘んだ。


「此度はお主の好物ばかり取り寄せたんじゃぞ? ほれ、ラ・フーレの焼き菓子じゃ」


「……幾ら高級店の菓子でも、その醜い翼が視界にあると手を伸ばす気が失せます」


「ゼロリア様……それ以上我が主を貶されるなら、私にも考えがありますよ?」


「ほぅ? シラユキ。私に意見しますか?」


「いえ……ただ、シーナに報告します」 


 鋭利な目付きでハッキリと告げられ、ゼロリアはピクリと華奢な肩を震わせた。


 勿論、白竜姫の動揺を見逃す他二人ではない。


「……ふん。だから、なんですか?」


 しかし、ゼロリアも簡単には折れない。


 腕を組み、ツンと顔を背けて見せ、動揺を微塵も感じさせまいと精一杯の虚勢を張って見せる。

 

「しかし。まぁ、良いでしょう。話くらいは聞いて差し上げます」


「……おい。白き竜の誇りはどうしたのじゃ?」


 見下していた同族にジト目を向けられても、白竜姫は動じない。


「貴女にだけは言われたくありません。シラユキ、分かってますね?」


「勿論です。ついでに、これまでの事も謝罪して頂けると、私の方から口聡く伝えておきましょう」


「……あまり調子に乗らないでください」


 鋭利な瞳、怒気の篭った声。

 最強種の竜姫が放つ威は、凄まじいものだ。


「本当に宜しいのですか?」


 しかし、シラユキは一歩も引く様子がない。


「シラユキ、その辺にしておけ。こんな形で謝られても、妾は喜べぬ」


 自分の為とはいえ、あまりに不遜な態度。

 流石に嗜めようと、メルティアは口を挟むが。


「ですが、メルティア……私のこれまでの言動は、貴女は勿論。私自身の威信をも損なうものでした」


「えっ? おい、ゼロリア?」


「今まで、悪かったですね」


 澄ました顔で口にし、ちら……。


 シラユキに目を向けた時点で、白竜姫の威信など微塵も残っていない。


 メルティアは頭を抱えた。


「シラユキ……」


 対面に座る駄竜に侮蔑に似た感情を抱き、背後の従者の名を低い声で呼ぶ。


「……申し訳ありません」


 流石に悪ふざけが過ぎたと、シラユキは謝る。


「一度落ち着こう……妾達、このままだと拙いぞ」


「そうですよ? 私が言えた事ではありませんが、お二人には御自身の立場を考えて頂きたい……幾ら竜装に選ばれたからと言って、見ていて不安になります」


「……正直、侮っていた事は認めましょう」


 腰の竜装……白銀の長剣を撫で、ゼロリアは嘆息した。


「聞いてはいましたが……まさか、これ程とは」


「そうじゃな……共に過ごせるだけで幸せじゃし、頭を撫でられでもしたら、もう……大変じゃった」


 思い出しただけで頬を染めるメルティアに、対面のゼロリアはジト目を向けて。


「……聞き捨てならない言葉ですが、今は言及しません。メルティア、このままでは私達は彼の言いなりです。早急に手を打つ必要があります」


「……うむ。誇り高き竜種として、何より守護竜として、この世界の者に逆えんのは拙いのぅ」


「それは良いのです。彼は、自国に居場所がないと言っていました。今更私達を利用し、陥れるような真似をするとは思えません。伴侶として竜化させてしまえば、その……色々と恥ずかしがる事もありませんからね」


「む……? では、何が問題なのじゃ」


 メルティアからの問いに、ゼロリアは真面目な顔で答える。


「問題は、私達が腑抜けた姿を皆に晒す危険があるという事です。要は、メリハリですよ」


 もう大分手遅れでは? 

 シラユキはそう思ったが、口にはしなかった。

 

「それもそうじゃが、逆えんのは拙くないか?」


「あのクズと比較する必要はありませんよ。彼は、私達の意見を無視するような愚者ではありません。寧ろ、積極的に取り入れ、より良い結果を得ようと模索出来る柔軟さがある」


「確かに……最近は仕事を手伝って貰っておるが、決して出過ぎた真似をしようとせん奴じゃ」


 元婚約の暴虐さを思い出し、比較してみる。


 結果、赤竜姫は更に現婚約者が好ましく思えた。


「御言葉ですが、シーナは自分の思想より、お二人を優先すると思います。彼奴は少し頑固な所もありますが、弁えています。所詮、辺境の田舎で生まれ育った庶民である事を、よく口にしますからね」


「うむ。そうじゃな」


「不可解な力を持ち、決して出過ぎず、謙虚な男。必要があれば相手を選ばない胆力も備えています。少々口汚く、改善すべき点は少なくありませんが」


 少し悔しげな表情で、ゼロリアは続けた。


「何より矮小な身で、この私を退けた」


「……まだ若く、伸び代もあるしの」


「はい。貴女の報告書により、以前の発言が虚偽であった事も分かりました。貴女の事は嫌いですが、此度はよく見つけ出した、と言わざる得ません」


 以前の発言とは、彼が港町で叫んだ言葉だろうと合点がいく。


 最強種の竜人と渡り合える者に弱者を自称された影響は、想定以上に大きかった。


 更なる混乱や畏怖、伴った士気の低下を防ぐ。


 その為、メルティアは彼が自国の兵士。その小隊規模を一人で、容易に殲滅した事を報告したのだ。


 白竜姫は紅茶を飲み干し、カップを置く。


 空になったカップにシラユキが紅茶を注ぎに向かおうとするが、ゼロリアはそれを手で制した。


「女神の加護、でしたか。探る必要がありますね。同時に、彼の真意も……全てが明るみになった時、私達は選択を迫られる事になるでしょうから」


 表面では浮かれているように見せて、冷静。

 幾ら歳上とは言え、同じ竜姫との格差は大きい。


「今更、疑うような真似はせぬ」


 改めて格差を思い知らされて、尚……。

 それでも、と。赤竜姫は歯噛みする。


「妾は、いや……シーナは妾を信じて来てくれた。今更、彼奴を陥れるような真似は断じてさせぬ」


「……やはり貴女は、器ではないですね」


 席を立ち、侮蔑の籠もった冷たい瞳を向ける。


「煩い。お主に言われんでも、重々承知の上じゃ」


「ミーア、と言いましたか」


 そんな白竜姫を睨み返していると、ポツリと漏らされた少女の名。


 ドキリとしたメルティアは、まさかと戦慄する。


 嫌な予感がした。


「貴女は何も理解出来ていません。あの娘の存在を許し、馴れ合っているのが確たる証拠です」


「あの娘に手を出してみろ。妾は、お主を許さん」


「許さない? ふふ……今の貴女は、いつも守ってくれた親も居なければ、人徳もないのに?」


「ゼロリア様、やめて下さい」


 縦線の竜の瞳で威圧されても、白竜姫は余裕だ。

 無論、従者の白狼など眼中にない。


「貴女が、今の私よりも強い事は認めましょう……ですが貴女は所詮、幼体の竜です。それも、不幸の象徴たる黒猫の血を色濃く受け継いだ出来損ない」


 鼻で嘲笑して、ゼロリアは腰の宝剣を撫でた。


「為すべきを為さず、語るだけの理想は聞くに耐えない……貴女だって、分かっているはずでしょう」


「…………」


 白竜姫に反論せず、メルティアは黙り込む。

 その表情を見て、シラユキは主の心情を悟った。


「! メルティア様、耳を貸してはなりません!」

 

「あの娘一人を切り捨てられないようでは、我々に未来はありません。貴女が本当に守るべきは何か、今一度……考えて下さいね」


 優秀な従者の存在を鬱陶しく思いながら、言うべきを口にしたゼロリアは立ち去った。


 その後ろ姿を見送りつつ、メルティアは呟く。


「……なぁ、シラユキ」


「なん、ですか?」


 最も信頼する従者に赤竜姫が向けた表情。

 それは、シラユキが驚く程に……


「恋とは、こんなにも辛いものなんじゃのぅ……」


 自信のない、弱々しいものだった。






 

 

 


 


 

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