第109話 屋敷での一日


 白竜様の屋敷に来てから、一週間が経過した。


 俺は現状、待機を命じられている。

 どうやら忙しいらしい。

 とは言え、時間を貰えるのは有難い。


 この間に勉強会の計画を立ててくれれば良いと、ゼン様も言っていた。


 人に何か教えた経験はないからな。

 屋敷の中は自由に使って良いと言って貰えたし、蔵書も使えるなら使って良いと言ってくれた。


 可能な限りの環境を整える努力はして貰える。


 一時は不安もあったが、期待に応えないとな。


 朝は6時に起床する。

 これまで時計を見る習慣はなかったが、王国でも貴族様は時計で計画を立てて動くらしい。


 冒険者もギルドや広場の時計で待ち合わせる。

 これは少し意識するだけで馴染めた。


「本日も射撃訓練所を貸し切った。使用出来るのは二人で8弾倉だ。集中するように」


 7時からは、シラユキと戦闘訓練。

 立ち合いや、射撃などの実践的な訓練を行う。


「む……もう時間か」

 

 日中はシラユキが忙しく、殆ど施設は使えない。

 早朝から付き合って貰えるのは有難い限りだ。


「片付けは周りに聞く。戻って良いぞ」


「そうか? では頼む」


 訓練は一時間にも満たない程度。

 8時前には解散し、シラユキは仕事に戻る。


 竜人の皆様は、朝食が9時らしいからな。

 流石は貴族様。随分と遅い朝食だ。


 シラユキと別れると、次に身体作りを行う。


 基礎体力と筋力の増強は急ぎの課題だ。

 俺は剣士で、頼みの異能は身体を酷使する。

 死にたくなければ、やるしかない。


「シーナー!」


「お、今行く!」


 屋敷の周りを5周程走ると、ミーアが朝食を用意して来てくれた。


 庭の隅で食事を済ませ、そのまま鍛錬をする。


「筋トレは終わった? なら、やりましょうか」


「はぁ……はぁ……分かった。やるか」


 続いて、その間に食後の休憩をしていたミーアと木剣で打ち合いをする。


 剣に関しては、ミーアはまるで素人だ。

 せめて自衛は出来るようになりたいらしい。 

 

 はっきり言って、練習にはならない。

 俺も素人に毛が生えた程度の実力だ。

 だが、相手してやると機嫌が良いので断り辛い。


 三回ほど軽くあしらってやると、ミーアは仰向けに寝転がって荒い息を吐く。


「はぁ……はぁ……少しは、振れてるかしら?」


「いや駄目だな。遅い、軽い。お前も少しは身体を鍛えろよ」


「やってるわよ。でも、剣は振った数でしょう? 弓を引くのと同じよ。あとは技術かしら?」


 言われてみれば、ミーアの弓の弦はかなり重い。


 以前。頼んで試し射ちをさせて貰ったが、まともに射てなかった。


「剣は振った数……そうだよな」


 呟いて、メルティアに託されて以来、携行している竜装に手を掛けた。


 ガシャンと従った宝剣を抜き、素振りを始める。

 心地良い程、手に馴染む。羽のように軽い剣だ。


 果たして訓練になるのか怪しいが、わざわざ部屋まで他の剣を取りに行くのは面倒だからな。


「……あんた。それ、走ってる時も背中に背負ってたわよね?」


「もし盗まれでもしたら大変だからな、これは」


「……なんで私があげた剣を持ち歩かないのよ」


「普段は持ち歩いてるだろ? これは国宝みたいな剣らしいからな。訓練中でも目は離せないさ」


 素振りを中断して見れば、ミーアは不満そうな目で俺を睨んでいた。

 

「……まぁ、そう睨むなよ」


「最近、あんたからあの娘の匂いがする言い訳。私……まだ聞かされてないわよ? 仕事の手伝いを始めたんだっけ? で、私は放置?」


 う……。


 そういや、メルティアに剣を預かった日。

 こいつには、すぐにバレて誤魔化したっけ。


 理解を示そうとしてくれてるのは……なんとなく分かるんだが。


「大体察しはついてるだろ? 言っておくが、本意じゃない。ただ……生き残る為に、この剣は手元に置いておきたい。それだけだ」


「嘘つき」


「なんでだよ」


「あんたにそんな酷い真似が出来るわけないもん」


 唇を尖らせ、ジトっとした眼差しで睨まれる。


 ……よく分かってるじゃないか。


 女神様は、俺が苦しむのが本当に楽しいらしい。


「それに、あんた。あの娘の事、かなり気になってるでしょ。そうよねぇ? だって、女神様が決めた相手だもの。すん……っごい可愛いしぃ? 角とか翼とか生えてるしぃ〜? あんな娘に好かれたら、断り辛いわよねぇ???」


 どうしよう……大変怒ってらっしゃる。

 本当に察しが良過ぎる嫁だ。


 正直、メルティアは滅茶苦茶に可愛い。

 何せ容姿は、あのユキナに並ぶ程の美少女だ。

 それでいて、彼女は強い意志と夢を持っている。

 共に目指したいと思える、魅力的な未来もある。


「……まぁ、そうだな」


 薬で抑えていても、抗い難い。

 多分。初めての一目惚れ、だったのだ。

 流石は、女神様が決めた理想の嫁様だよ。


「なによ……もう否定すらしないの?」


 ……でもな。


「それでも俺は足掻くと決めた。他の誰でもない、お前とだ」


 剣を構え直しながら言うと、ミーアが息を飲む音がした。


「結果的に今は、女神の言う道を辿らされている。けど、それは過程であって結果じゃないだろうが。結局、最後に笑うのが俺達であれば良いだろ?」


「え……シーナ?」


「俺は足掻くぞ、ミーア。勝手に決めつけて拗ねるのは良いが……俺がなんで必死になってるか、お前なら理解してくれると信じている」


 力一杯素振りをしながら言うと、黙ってしまう。


 ……こんな話、もう何度もした筈だけどな。


「これで、五百……ッ!」


 そのまま努めて意識を向けないように続け、俺は日課の回数を終わらせた。


 太陽の位置は……そろそろ昼前か。


 一度部屋に戻って、冒険装備に着替えて勉強だ。

 そう思い、剣を鞘に納めて振り返る。


「ミーア、部屋に戻る……おっと」


 同時に、飛び込んで来たミーアを抱き留める。


 ぐりぐりぃ〜、と頬擦りして。

 汗塗れの胸元で、スーッと深く息を吸って。


「ね? ……して」


 ゆっくりと顔を上げたミーアは黙って目を瞑り、おねだりしてきた。


 ……うん。ホント可愛いな、こいつ。


 そう言えば、ここに来てから構ってやれてない。

 一緒に寝ているだけで、触れ合いは皆無だった。


 一応周りを見て……よし、誰もいない。


「仕方ないな……」


 口ではそう言いつつ唇で触れ合う。

 すぐに首に腕を回され、しがみ付かれてしまう。


 ミーアとのキスが唇だけで終わる筈もなく、舌を絡ませ合って……離れたのは数分後。


 ポーッと熱に浮かされたような表情のミーアは、唇をペロリと舐めると……。


 見つめ合う俺に向かって呟いた。


「……ごめんね。本当は、全部分かってるの。私が認めてあげないといけないんだって、分かってる。でも、お願い……もう少しだけ、独り占めさせて」


「……すまない。でも、心配は」


 安心させようと背中を撫でてやる。


 するとミーアは、また唇を寄せて来た。


「……私は、貴方の妻だから。貴方が決めた事には従います。あの娘とも仲良くやってみせるわ」


 ……ん? あれ?

 こいつ……またなんか勘違いしてない?


「だから、あんまり私に遠慮しないで。ただ私は、人より少し嫉妬深いみたい……ごめんね、シーナ」


 おっと、これは間違いなく勘違いしてるな。


 ……もう良いや。いちいち訂正するの面倒だ。

 揉めずに済むなら、今は良いか。


「いいよ。ほら、ぎゅーだ。大好きだぞ、ミーア」


 なんで俺、こんな事で悩まされてるんだ?

 今は、もっと他に考えるべき事が沢山あるだろ。


「あ、苦しいか?」


「ううん、嬉しい。私も、大好き」

 

 ……全く、どいつもこいつも。


 大体、俺なんかの何処が良いのだろうか。


 容姿は平均より少し良いみたいだが、それ以外は何もないどころか……酷いの一言に尽きるだろう。


「ね、シーナ。もう一回……♡」


 ……こんな奴、俺が女なら絶対選ばないぞ?


 いや、ホントに。


 




 昼食後、俺は用事があると言って一人で動く。


 この屋敷には、メルティアが同行を頼んだ者達。

 隊長シラユキを筆頭に小隊規模の軍人達が居る。


 女とばかり話していても、すぐ話が逸れる。

 今日こそ、一人くらい友人が増やせれば良いが。


 詰所として使われているのは、屋敷の裏手にある小屋だ。

 元は倉庫らしく、それも現在は使われてない程に古い。


 幾ら何でもボロ過ぎるのだが……良いね。

 出来るなら、俺もこっちに住みたい。


 あんな綺麗で広い部屋を貸されても困る。

 辺境の村人を舐めないで欲しい。

 ミーアは寛いでいるが、俺は正直辛いのだ。


 流石にシラユキは似たような良い部屋らしいが、他の連中は、こんなボロ小屋で集団生活か。


「人が平等じゃないのは、何処も同じか」


 そりゃあ面白くないだろうな。

 もしかしたら、時折感じる視線の原因。

 その一端になっているかもしれない。


 ……よし、頑張ってみるか。


 外套の襟を正して扉に向かうと、一息で開いた。


 途端、中にいた八人の者達が俺に視線を向ける。


「……こんにちわー。シーナでーす」


 名乗ってみるが、反応はない。


 ……なんか失敗した気がする。

 その証拠に、空気が重い気がするぞ。


 感情がまともなら、居た堪れなくて辛かったかもしれないな。


「おや? 貴方は……」


 詰所内で最初に口を開いたのは、知る顔だった。

 ガイラークと俺の家に訪ねて来た女だ。

 野営地では、シラユキに泣かされていたっけ。


「……ミコノ・ノーゼル、だったか? 猫族の」


「はい」


 手元のメモを一瞥すると、女は頷いた。

 猫人族は、本当に皆。髪を二つに結ぶらしい。


 手のトレイには、四つのカップ。

 机を囲んでいる男達の人数も四人。

 どうやら紙の札を使った遊戯をしている様だな。

 

 彼女は、どうやら給仕をさせられていたらしい。


「蛮人の剣士様が、何の用だ」


 不意にその中の一人が顔を上げ、俺を睨んだ。

 その目線が俺の左腰に向けられる。


「ふん……そいつで俺達を従わせにでも来たか?」


 左腰には、白剣と紅金の竜装を吊るしている。

 どうやら、勘違いさせたらしい。


「何故そうなる? 俺は同じ職場の人と交流したいと思って来ただけだ」


「ほぅ? 貴様、俺達は仲間だと言いたいのか」


「少なくとも、敵対する気はない。これから嫌でも顔を合わせる仲だ。仲良くしよう」


「…………」


 努めて堂々と言って見せるが、向けられる視線は友好的とは言い難い。


 敵意を隠す気もないか。前途多難だな、これは。


「一人で来たのか?」


「あぁ。そうだ」


「……貴様の独断か?」


「何故、そんな事を聞く?」


 淡々と投げられる問いに答えると、男の眉が僅かに上がった。


「……フン、ガキが。口はなってねぇが、前の奴よりはマシか」


 ……上手く聞き取れなかったな。


 何かを呟いた男に問い掛けようとすると、目力を強めた男は低い声で言った。


「貴様、忘れるな。我々は見ているぞ? 仲間だと言うならば、態度で示せ」


「…………」


「消えろ。今は誰も、貴様と馴れ合う気はない」


 冷たく言い放たれてしまい、他の七人も見る。


 ……誰一人、友好的な奴は居ないか。


「俺に力になれる事があれば、訪ねて来てくれ」


 最後に一言だけ言い残し、踵を返す。


 扉を閉めて来た道を帰りながら、俺は成果を実感していた。


「……よし。何とかなりそうだ」


 舐めるなよ、ケモ耳共。

 俺は邪険な扱いをされるのは慣れている。


 その筆頭だった女が、今では俺の嫁だぞ?

 それも、デレデレ可愛い甘えん坊さんだ。


 初対面では格好付けていた二人の竜姫様も何とかなったし、行けるだろ。多分……。


 俺は気難しい相手に好かれるらしいからな。

 今更、あのくらいで気圧される訳がない。

 

 とは言え、どうすれば良いかなんて分からない。


 うーん、と。考えながら屋敷に戻っていると。


「あら、シーナ。奇遇ですね」


 ……おっと。

 最悪だ。今一番捕まりたくない奴に見つかった。


「……久し振りですね、ゼロリア様」


「えぇ、久しいですね」


 白竜姫ゼロリア様だ。

 数日、屋敷を空けていたが戻って来たらしい。


「ようやく各所への対応と、勤めが終わりました。この数日、私が居なくて寂しかったでしょう?」


 いや別に。

 そう即答したいのをグッと堪えて、無言で笑顔を作って見せる。


「寂しかったと言いなさい?」


「はい、寂しかったです」


 笑顔、恐過ぎだろ。

 機嫌を損ねると何をされるか分からない相手だ。

 容姿が凄まじく良い分、迫力があるんだよな。


「素直でよろしい。ところで、シーナ」


「なんでしょう?」


「その言葉遣いは、なんですか?」


「……周りの目があるだろ?」


「はい? 誰も居ませんよね? もし居たとして、私と貴方に遠慮は不要でしょう」


「俺の雇い主はメルティアだ。アンタじゃない」


「……チッ。流石に雇用契約は結びましたか」


 あっ、忘れてた。

 今夜にでも催促しておこう。


「それと、ご覧の通りだ。諦めてくれ」


 腰の竜装をポンと叩くと、ビキキキッ……!

 ゼロリアの額に青筋が浮かんだ。


 すげぇ……音が聞こえる程かよ。


「聞きましたねぇ? そんなに私が嫌いですか?」


「突然襲って来た相手だ。好きではないな」


「メルティアの報告書を見ました。あの娘とも似たような邂逅だったそうですね?」


 ……ぐぅの音も出ねぇ。

 やっぱり、俺の事は調べているみたいだな。


「まぁ良いです。貴方の考えている事を、私は理解しているつもりです。利害の一致。そういう事なのでしょう?」


 ……本当に、賢い女は面倒だ。

 ゼロリアもミーアも、俺には手に余るぞ?


「沈黙は肯定と受け取りますが?」


「……好きにしろ」


「正直者は好きです。嘘は人を穢しますからね」


 クスクスと笑って見せたゼロリアは、すぐに真顔になった。


「とは言え、あの娘の現状を考えれば大変ですよ。貴方にしては早計な判断ですね」


「多少は覚悟している」


「多少? おや……過大評価でしたか」


 なんか、失望したといった様子だ。

 俺としては好都合なのだが、腑に落ちないな。


「全く……上手くやりましたね、あの娘は」


「なんの話だ」


「すぐに分かりますよ。困ったら言って下さいね、助けてあげますから」


 それ、見返りで余計に困るやつだろ。

 今は教えてくれる気もなさそうなのが証拠だ。


 黙っていると。ゼロリアは腕の時計を見て、


「あぁ。では、私は先に戻ります。シーナ、一人で動くなとまで言いませんが、感心はしませんよ? この辺りは兵達の往来も多いですからね」


 そう言い残し、翼を広げて飛び去った。


 身構えていたが、意外とあっさりだったな。

 親が健在なのに、白竜姫様も多忙らしい。


 そんな事を思いながら見送っていると、上空から凄まじい速さで何かが落ちて来た。


 地に降り立ったそれは、見送った筈の白い翼。

 襲う風圧から顔を腕で守ると、目の前にゼン様が立っていた。


 ……本命は、こっちかよ。


「話がある」


「……わざわざ探しに来て頂く程の事ですか?」


 鋭く、威圧的な瞳が俺を睨む。


 ふと下がった視線が向かったのは、俺の腰にある紅金の宝剣だ。


 皆、やはり気になるらしい。

 赤竜姫様の竜装は、大変人気があるようだ。


「貴様に見せたいものがある。その上で問いたい」


「見せたいもの?」


 尋ねると、ゼン様の眼に鋭さが増した。


「我は貴様の出自を聞き、貴様が無知だと知った」


 出自? 俺が辺境で生まれた村人だって事か。

 だが、わざわざ馬鹿にしに来た雰囲気じゃない。


「……どういう意味でしょうか?」


「それを自分の目で確かめろ」


 胸元から丸めた紙を取り出したゼン様は、それを俺に放った。


「先日まで滞在していた港から、北西の位置。その地図に記された場所の村が、襲撃を受けたと報告を受けた。それも、何故か被害は軽微だ」


 ……勇者一行あいつらか。


 仕事熱心な事だ。流石、女神に選ばれた英雄。

 いずれ、戦わなければいけない相手。


「……そうですか」


 しかし、被害は軽微? 生き残りがいるのか。


 壊滅しなかったという事は、敗走したのか? 


 理由は分からないが、不思議だ。

 不在だったと考えるのが自然か?


 だけど、こちらに来る事を許可されているのは、勇者達とその部隊だけだと新聞には書いてあった。


 なにが理由だ?


「現地の確認……住民の避難を我が家で担当する。二日後だ。同行しろ」


 なるほど、話が見えたぞ。

 ゼン様は俺に現実を見せたい訳か。


「畏まりました。詳細をお聞かせ下さい」


「後程、赤の娘に伝えておく」


 そう言って、


「……フン」


 ゼン様は最後に。また俺を睨んで飛び去った。


「襲われたけど、生き延びた村か」


 思い出すのは冒険者になった日、街で見た光景。

 檻の中で見世物にされていた、子供達の叫び。


 ……俺には、どうする事も出来なかった。

 いや、違うな。言い訳だ。


 あの時、俺に助ける気なんてなかった。

 そして今も……救えなかった事を後悔してない。


 寧ろ、余計な真似をしなかったから今がある。

 それは決して覆す事が出来ない現実だ。


「重過ぎるだろ、俺には」


 あれから、まだ半年くらいしか経っていない。

 なのに俺は、出会って……託されて。

 変化を強要され続け、成長した実感がある。


「……ふぅ。まだまだ子供だな、俺も」


 だからこそ痛感している。


 剣聖という重責を背負わされた、幼馴染。

 ユキナは俺よりもずっと、苦しんだに違いない。

 今も、苦しみ続けているに違いない。


 それでもな……ユキナ。


 例え、どんな理由があったとしても。

 実の両親を裏切る理由には、絶対にならないぞ?


「勇者一行……彼奴さえ消せればな」


 そして、悪いがな。

 今の俺には……お前に剣を向ける理由がある。


 




 屋敷に戻り、ミーアを連れて書庫へ向かった。


「どう? 読めるかしら?」


「あぁ、やっぱりだ。集中すれば理解出来る」


 まずは、こちらの文字に慣れて習得する。

 それで例文を作成し、教材として扱う。


 ミーアからの助言で一先ず方針が決まったので、暫くは読書に専念する事にした。


「良かったわ。女神様も気が効くわね」


 俺は、文字は読めないと決め付けていた。

 しかし、それは間違いだったのだ。


 気付いたのは、シラユキが作成した資料。

 メルティアの元婚約者。あのクズ猫の調査書を、俺が読めた事をシラユキに指摘されたからだ。

 その辺、女神様は抜かりなかったらしい。

 しかし、あの女神をミーアが褒めるのは駄目だ。


「いや? 効いてないな。俺よりはお前が読めた方が絶対に効率が良いに決まってる」


「あら素直ね。私ってば、出来の良い嫁でしょ?」


 全く。こいつは、すぐ調子に乗る。


「……流石。貴族のお嬢様は教養があるよな」


「あらあら、何の話かしら? ふふふ」


 まだシラを切るのかよ。

 何か譲れない理由があるのだろう。

 全く。隠し事は禁止だと、お前が言ったんだぞ?


 ……俺が言えた事じゃないけどさ。


「まぁ良いや。それじゃ、集中させてくれ」


「はいはい。頑張ってね、あなた」


 一先ず、数冊読了する事を目標に文字を追う。


 内容が理解出来ない物を省くと選択肢は少ない。

 だが、歴史や地理を学べるのは有り難かった。


「…………」


 静かな書庫で、誰にも邪魔されずに本を読む。

 自然と時の流れが早く感じた。


「シーナ、夕食の準備が出来たわよ」


 ふと、ミーアに呼び掛けられて顔を上げる。

 窓を見ると、いつの間にか外は暗くなっていた。


 部屋の入り口には、嫁のミーアと護衛のシラユキが居る。


「片付けてから戻るよ」


 俺は二人に向かって言うと、立ち上がった。

 明日は、竜人について調べてみよう。




 夕食後。自室の護衛は、ガイラークに任せる。


 メルティアの部屋に到着して扉を叩くと、すぐに駆け寄って来る足音が聞こえた。


「あっ……お、おぉ、シーナ。来たか」


 扉が開くと同時、綺麗な紅髪の少女が現れた。


 上気した頬をあからさまに緩ませ、お姫様は大変機嫌が良いらしい。


「わざわざ出迎えてくれなくても良いと言ったろ」


 対し、そんな彼女を見下ろす俺の声は冷たい。

 彼女は来客の出迎えをする立場じゃない。

 誰かに見られたら、困るかもしれないのだ。


 全く……こいつの変化にも困ったな。

 最初に来た時は偉そうにしていただろうに。


「ふん……別に良いじゃろ? 妾の勝手じゃ」


 気まずそうに目線を彷徨わせ、恐る恐るといった様子で、お姫様は手を伸ばして来る。


「はぅ……っ!」


 現状を誰かに見られたくない俺が、その手を掴んでやると……お姫様は奇声を上げてプルプルと震え出した。


 分かり易く、あわあわ……! と慌てている。


 なんだよ年甲斐もなく、と馬鹿にしてやりたい。

 だが、可愛いな……悔しいけど。


「あ……あぁ……は、入れ。入れ……っ!」


 瞳を泳がせたメルティアに腕を引かれた。

 やばすぎる……凄い力だ。

 本人は遠慮しているのだろうが、まるで逆らえない。


「おい。何処に連れて行く気だ? そっちは」


 メルティアが向かったのは、天蓋付きのベッド。


 俺とミーアの部屋よりも豪華で大きいそれの前で立ち止まったメルティアは……ガシィ!


「え、えーいっ!」


 俺の身体を抱き、躊躇う事なく飛びやがった!


「ぐっ……お前、何して」


「う、煩い……っ! 黙るのじゃ……っ!」


 そのままメルティアは俺の胸元に顔を押し付け、ぐりぐりと甘えてくる。


「いや待てよ。流石に拙いだろうが……!」


「なぜじゃ? 自分の婚約者に甘えて何が悪い!」


「それは……」


「違うとは言わせんぞ? お主が言ったからの? 俺にしとけって、お主が言ったんじゃから!」


 確かに言ったけど……って、やば。

 こいつ……めっちゃ良い匂いする。


 それに、どうしよう。全然逃げられそうにない。


 ……あぁ、もう。仕方ねぇな。


「……仕事、切羽詰ってるんじゃないのか?」


「やっと余裕が出来たんじゃ。だから……」


「そうか」


 小柄な身体を抱き締め、頭をゆっくりと撫でる。


「はぅ……っ。し、しーな?」


「逃げないから力抜け。俺は、まだ普通の人間だ。お前に抱き締められると、すげー痛い」


 耳元で囁くと、ピクリと震えたメルティアは……コクコクと頷いた。


 反応がユキ……ミーアと同じだ。

 あいつも、こうすると従順になるからな。


「寝て良いぞ。帰る時に起こしてやるから」


 もう一度囁くと、強張っていた身体が脱力した。


 代わりに、もっともっと……と。

 メルティアは身体をすり寄せてくる。


 ……やっぱり、呪いの剣じゃないか。


 いや、別に良いんだけどさ。

 せめて腰の剣を外させてくれないかな、痛い。


「ふー、ふぅー……♡」


 それにしても暇だな。


 そうだ。折角の機会だし、角とか翼とか触ろ。

 ついでに尻尾とかも撫でてやろうかな?

 どんな感じなのか、気になってたしな。


「あっ……♡ つ、つのぉ……♡」


 おー。へぇ、すげぇ。角、すべすべだ。

 翼は……お、こっちもすべすべだな。

 さて、尻尾は……鱗だ。鱗の触感があるぞ。


「あぁ……そ、そんなところまで……♡」


 ……やべ。なんかビクビクしてる。

 もしかして、触ったら駄目だったかな?


「おい、大丈夫か?」


 心配になり顔を覗くと、金色の瞳と目が合った。

 涙が溜まって潤んだ瞳に、真っ赤な肌……うん。


「構わん……ううん。もっと、して?」


 ……あー。

 これはやらかしたな、間違いない。


 なんとか逃げ出すか。

 なんて思い至った瞬間だった。


「う……うぅ……うぅぅ……っ!」


 金色の大きな瞳から涙が溢れて……。

 竜姫様は、グズグスと鼻を鳴らして泣き出した。


「どうした。どこか痛むのか?」


「違うの。私、嬉しくて……っ!」


 竜姫である雇い主。

 そのあまりに弱々しい姿に、思考が停止した。


「誰も触ってくれた事、ないの。気持ち悪いって。穢らわしい出来損ないだって……言われて……」


「…………」


「父様も母様も……私に。ごめんごめんって、謝ってばかりで……」


「……大丈夫だ、そんな事はない」


「嘘……だって、私……」


 ボロボロと大粒の涙を流す。

 そんなお姫様を、俺は強く抱き締めた。


「嘘じゃない。大丈夫、綺麗だよ。本当に……皆、見る目がないだけだ」


 ……母さんは言っていた。


 偏見は、古い人間が生み出した負の遺産。

 そんなものに囚われる奴は、自ら考える事を放棄した可哀想な人間なのだと。


「嘘……そんなわけ。だって、ずっと耐えて……」


「嘘じゃない。ほら、どこが好きだ。撫でてやる」


「……角、好き。翼と尻尾は、付け根のとこ……」


 言われた通りの場所に順番に触れてやる。

 流石に尻尾の付け根は気を遣ったけどな。


「嘘……ホントに、触ってくれた……」


「……一番は? どこが良かった」


「つ、翼の……付け根……」


 背に回した手で撫でたり、指で挟んだりする。


 すると、メルティアの表情に変化が起きた。


「気持ち、いぃ」


「そうか」


「うん……」


 ふにゃぁ……と柔らかい表情には見覚えがある。


 ……最悪だ。嫌な既視感が過ぎった。


 ゆっくりと目蓋が落ち、金の瞳が見えなくなる。


 ……寝たか。安らかな表情で、なによりだ。


 暫く待って、完全に寝入ったのを確認する。

 勿論、俺は抜け出そうと動くが……すぐに彼女が見せた弱々しい姿を思い出して、やめた。


「ま、起こしてやるって言ったしな」


 サラサラの赤髪を梳いてやりながら、思い出す。


 母さんは言っていた。


 約束を守らない奴を信用するな。

 特に命を預け合う冒険者にとって、約束を守る事は命を守る事と同等に大切なのだと。


 ま、もう何度もミーアを怒らせているけど……。

 

 大体、母さんの言葉って理想論ばかりだ。

 どれも難し過ぎないか? 今更だけど。


 それに、その理屈で行くと大変困った事になる。


 このお姫様に俺はなんて言った?


 嫁に貰うとか言って、略奪しなかったか?

 もう言い逃れ出来なくない?

 もう責任、発生してない?


 頭を殴られて記憶が飛んだ、で行けないかな?

 ……まぁ、なるようになるか。


 約束の時間まで、あと二時間……か。

 

 孤独な竜姫の婚約者。

 それが竜姫様の望む雇用内容なら、仕方ない。

 せめて今夜くらい、全うしてやるか。


「ふにゃ……んん……」


 ……しかし、65歳だったか?

 なんか幼くない? 大丈夫かよ、これから。






「……時間か」


 元々勤務時間として約束している、10時。

 壁掛け時計を確認して、お姫様の頭を撫でる。


「メルティア、時間だぞ。起きろー? おーい」


 優しく撫でながら暫く声を掛けると、


「んゅ……」


 寝惚けた声を漏らし、お姫様の目蓋が開いた。 


「あ……シーナ」


 良かった、起きた。

 身体を揺すって寝返りでもされたら困るからな。

 冗談ではなく、大怪我の危険がある。


「終業時間だ。俺は帰るぞ?」


 目を見て告げると、メルティアはパチパチと瞬きをした。


「……まさか、本当に起こしてくれるとはの」


 あ、話し方が普段通りに戻ってる。


「少しは楽になったか?」


「うむ……」


「そうかよ。それは良かった」


 すぐに起き上がり、ベッドを降りる。

 武装解除してないから、このまま帰れるな。


 さっさと立ち去ろうとして、視線を感じた。

 振り返って見れば、布団から金色の瞳が寂しそうに覗いている。


 ……懐かしい仕草と表情だ。

 畜生。なんで俺は、こうも重ねてしまうんだ。

 完全に吹っ切るつもりなら、いい加減忘れろよ。


「……今日は、このまま寝ろ。体調を悪くしてまで頑張るな」


「……うむ」


 こくんと頷いたのを見て、踵を返す。


 守護竜の一角、その当主の赤竜様。


 様子を見る限り、彼女がその重責と仕事に慣れるには時間が必要だろう。


 そんな大変な時期に側近のシラユキを頼れない。

 必然的に一人で頑張るしかない、か。


 ……俺が出来る限り、助けてやらないとな。


「また明日も来る。必要なら、いつでも呼べ」


 退室する前に言って、俺は自室へと向かった。


 しかし……メルティアの奴、良い匂いだった。

 あれだけ密着していたんだ。絶対気付かれるな。


 夜は、まだまだ長そうだ。




 

 

 少年が去った自室で、赤竜姫は腕を顔に乗せた。


 視界を遮り、目蓋を閉じた暗闇で……彼女は、


「どうしよう……もしかして私、凄く嫉妬深いのかも……?」


 ポツリと漏らし、左手で胸を抑えた。


 寂しくて苦しくて堪らない。

 滾る身体は酷く切なくて……羨ましくて。


「伴侶には期待しないって、決めてたのに」

 

 期待なんてしていなかった。

 なのに彼は、本当に救ってくれた。

 優しくしてくれた。可愛いと褒めてくれた。


「人並みの幸せなんて、望めなかったはずなのに」


 まだ出会ったばかりなのに、一瞬だった。

 彼は幼少の頃から辛かった世界を、鮮やかな色に染め上げてくれたのだ。


「……ミーア。あの娘さえ居なくなれば、彼は……そうだ。シラユキも、私の側に帰ってきてくれる。もう一人で、我慢しなくてもよくなるんだ」


 ずっと我慢し続けてきたはずなのに。

 ずっとずっと、抑えてきたはずなのに。


「駄目……どうしよう……私、今……」


 孤独な赤竜姫は、抗い難い衝動を必死に抑える。


「凄く、嫌な女だ……」


 決して、解き放たれる事がないように。

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