第108話 赤竜姫の策略

 異界の地で、シーナが駅から移動している頃。

 

 動き出したのは、白狼の剣聖だけではなかった。


「人の気配がない? 本当に、ここなのかい?」


「そうっすね。地図だと、ここで間違い無いっす」


 王国最西端。辺境の街、セリーヌ。


 そこから更に西へ向かった先にある、辺境。


 正式な呼び名のない村の広場には、二人の冒険者の姿があった。


 金髪の美青年と、青髪の青年。

 二人は街で借りた馬上から周囲を確認している。


「騎士団の姿も見えないっすね。アッシュ、手分けして周辺の探索をしないっすか?」


「駄目だ。あまり広い村じゃない。揃って動こう」


「効率が悪いっすよ」


「我儘を言わないの。用心に越した事はないよ」


「流石に心配し過ぎ……いや、それもそうっすね」


 二人の駆け出し冒険者。


 仕事仲間であり、後輩である少年と少女の捜索が彼等の目的だ。


 焦燥感を押し込め、青髪の青年は首を振る。


「あれ、血痕っすよね。騎士団の連中、派手にやりやがったみたいっす」


「うん……だいぶ綺麗にしてあるみたいだけどね」


 広場の土に染み付いた赤黒い痕を見つけ、二人は顔を顰めた。


「……アイツら、大丈夫っすよね?」


「大丈夫だよ。ミーアは頭が良いし、機転も効く。心配なのは、シーナかな」


「英雄になった幼馴染に切り捨てられる……かぁ。あいつ、災難には苦労しないっすね」


 薄情な台詞を口にしながら、青年は下馬した。


 馬を繋いでおける場所を探す青年に、馬上の金髪の美青年は神妙な表情で言った。


「それもあるけど……僕が心配なのは」


「分かってるっすよ。今のあいつなら、騎士団様を相手に大喧嘩もやりかねないっす」


 経験したばかりの惨事を経て、大きな変化を遂げた少年。


 強がって虚勢を見せて。

 でも、無理をしているのが一目瞭然で。

 そんな可愛らしかった駆け出しの後輩。


 だが、そんな彼は力を得ると同時に変わった。


 それは、その顔付きと目を見れば一目瞭然だ。


 恐らく、彼は外れてしまったのだろう。


 人として。本来外してはならない、一線が。

 

「そうだね。全く、その通りだ」


 ふと美青年は、広場の隅で見覚えのある物を見つけた。


 井戸の側に転がっている、古い剣。

 半ばで剣身の折れたそれは、あの白髪の少年が。

 仲間が使っていたものに違いなかった。


「テリオ、あれ」


「なんすか? ……ちょっ。アレって、まさか」


「拾って来る。馬を頼むよ」


 小走りで賭けた金髪の美青年は、折れた剣を間近で見下ろすと確信した。


 それを屈み込んで、ゆっくりと拾い上げる。


「そっか。君は抗ったのか」


 剣の柄を強く握り締めながら、青年は呟いた。


「今、君達は何処にいるんだ?」


 持ち主の少年を思い浮かべながら。









 


 白竜様、フロストドラ家。

 その屋敷での生活。三日目の朝が来た。


 目を覚ますと、貸し与えられた無駄に広い客室。


 豪華な天蓋付きのベッドの素晴らしい寝心地に、自分が置かれている状況を思い出す。


 一先ず、俺の胸を枕にして寝ているミーアの頭を撫でる。


 気持ち良さそうに寝ているな。

 今日も抜け出すのが大変だ。


 壁掛け時計を見る。

 6時過ぎか。約束の時間は7時だ。

 身支度を考えると、ゆっくりしてられない。


 さて、どうするかと考えていると……。


「ふみゅ……ふぁぁ……」


 おっと、お目覚めか。

 何ともまぁ、あざとい目覚め声だ。


 目を擦りながら欠伸するミーアと目が合う。


 すると、ぱちぱちと瞬きした彼女は微笑んだ。


「おはよ……あなた」


「あぁ、おはよう」


「今朝も早いのね。あんまり寝てないでしょ?」


「死にたくないからな」


 起きたミーアから遠慮なく抜け出す。

 

 早速身支度を始めると、背後からミーアの声が尋ねてきた。


「そんなに信用出来ないのに、味方をするなんて。やっぱり理解出来ないわ」


「他に選択肢があれば困ってない」


 シャツを着替えて振り返ると、ベッドに横たわったままのミーアは不満気な表情をしていた。


「分かってる癖に、何度も聞くな」


 既に何度も説明している。状況も見ている。


 だからミーアは、理解していない訳ではない。


 ただ、現状が不満なのだ。

 だから俺に八つ当たりをしているだけなのだ。


「……あんただって、分かってる癖に」


 ボソ、と呟かれた言葉は聞き逃さない。


 腰ベルトを閉め終わり、俺はベットに向かう。


 ミーアの頬を撫でると、不満気な表情が少しだけ和らいだ。


「ほら、お前も支度しろ」


 甘やかすと調子に乗るので冷たく言う。


 するとミーアは眉間に皺を寄せ、唇を尖らせた。


「あんまり構ってくれないと、拗ねるわよ?」


「……今夜は休む」


 面倒な。


 そう思いつつも、頭の上がらない相手。


 妥協して折れると、ミーアはため息を吐いて立ち上がった。


「今朝は? 何をするの?」


「射撃訓練所を使わせて貰えるそうだ。注文していた物が届いたそうでな」


 着替えを始めたミーアは、シャツを脱いだ途端。こちらを振り返って来た。


 その表情は、先程までの不機嫌顔が嘘のよう。


 期待に瞳を輝かせている彼女に、俺は教える。


「喜べ、ミーア。銃が撃てるぞ」


「やったっ!!」


 ……喜ぶとは思っていたが、露骨だな。


 この感性だけは、どうしても理解し難い。


 まぁ良いか。もしもの時に躊躇ってしまう。

 そんな心配をしなくて済む。


 俺達は、何を犠牲してでも生き残る必要がある。







 屋敷の裏手には、倉庫のような建物がある。


 縦長の建造物の中に響く炸裂音。

 鼻を突くような火薬の匂い。


 俺は約8メートル先の的に向かって狙いを定めた銃の引き金を引き、最後の弾丸を放った。


 弾倉が空になった証拠に、手元の銃のスライドが開く。すると、的の側に控えていた犬耳の男が的に向かい、手元の紙に記入を始めた。


「18点です。殆ど外れていますね」


 人型の的の中央と頭部の中央が10点。

 

 弾倉に入る弾が7発。


 つまり、最高点数は70点。


 ……下手過ぎないか? 俺は。


「慣れない癖に頭ばかり狙うからだ。身体を狙え」


 隣に立つシラユキに言われ、俺は肩を竦めた。


「案外難しいな。近い的なのに、全然当たらない」


「銃の反動に身体が負けているからだ。もっと脇を締めて足を踏ん張れ。そんな調子では、銃を貸し与えるわけにはいかない。寧ろ危険だ」


「善処するよ。次の弾倉を」


 そう言った瞬間、ミーアが俺の隣の的を狙って射撃を始めた。


 右目が光っている。

 どうやら固有スキルを使用しているらしい。


「ミーアが終わるまで待て」


 シラユキもこう言ってるし、お手並み拝見だな。


 一発一発狙いを定めてゆっくり射撃していた俺とは違い、7発の弾を間髪入れずに撃ち切ったミーアは、すぐに銃を下ろした。


 犬耳の男が採点に向かい、手元の紙に記入する事なく結果を告げる。


「頭部中央に一発のみ、十点です」


 え? 嘘だろ。


 女神の力を使って、一発しか当たってないのか。


「ふっ。射撃は得意なのだと思っていたが、初めはそんなものか。」


「シーナ、通訳して。なんて言ってるの?」


「頭の真ん中に一発しか当たってないそうだぞ? シラユキは射撃は得意だと思ってたのに意外だと」


「は? 何言ってるの。全部当てたわよ」


 不満気な表情と自信満々の態度。

 それを見て、俺はすぐに察した。


「……お前、同じ場所に全部撃ったのか?」


「え? だって、そういうものなんでしょ?」


 ……成る程、完全に理解した。


 こいつ、寸分違わず一発目と同じ場所に射撃したんだな。だから穴が一つしかないんだ。


 女神の力、すげー。


「シーナ。ミーアは、なんと言っている?」


「……こいつ、最初に撃った場所の穴に後の9発を全部通したらしい」


「はぁ? 何を言っている。そんな事が出来るわけないだろう」


 信じられないよなぁ。


 いや、分かるよ? 分かるけど……女神の力を持つミーアなら可能なんだよな、それが。


 怪訝な表情のシラユキに納得させる為、俺は思考を巡らせた。


「嘘だと思うなら、今度は何処に撃つか指定してみろ。こいつなら完璧に当てるから」


「……ほぅ? 面白い」


 シラユキは口の端を上げると、的と同じ絵が描かれている紙を手に取って印を書き始めた。


 採点に使われている紙だろう。


 七つの印を書き終えたシラユキは、それをミーアに向かって差し出す。


「つぎ。これ、ねらえ」


 拙い言葉で告げるシラユキに、ミーアは怪訝な顔をして俺に視線を向けて来た。


「どういう事?」


「同じ穴に弾を通すなんて、あり得ない芸当だと。でも、次にその通り撃てたら信じるってさ」


「なるほど? 面白いじゃない。次の弾、頂戴?」


 にやり、と笑ったミーアは、シラユキから手渡された弾倉を拳銃に込めるとスライドを引いた。


 先日、メルティアの婚約者だった屑猫野郎と話をしに行った時、商家の娘だと言う女から向けられたのが、この小さな銃だ。


 どうやら新型らしいが、小型で持ち運び易い分。従来の銃よりも命中させるのが難しいらしい。


 それを、神に愛された俺の嫁は。


「次は……左肩のここか」


 左手に渡された紙。

 銃は右手だけで持ち、左目を閉じた状態で撃つ。


 そして狙い通りの場所に寸分違わず命中させる。


「……信じられん。本当に寸分違わず当てている」


「この距離だと普通に分かるものだな」


 8メートル先の的の穴にシラユキが記した通りの穴が開いていくのを見ながら感心する。


 どうやら俺達よりも目が良いらしい白狼族様は、驚愕の表情を浮かべている。


 女神の力、すげー。


「最後は……左耳ね」


 最後の弾を撃ち終わり、ガシャンとスライドが開く音がした。


「どうかしら? 全部当てたわよ」


 ふふん、と誇らしげな表情のミーア。


 俺はそんな嫁を見て肩を竦める。


「固有スキルを使うのは、流石に狡くないか?」


「力は使ってこそでしょう? これは私の才能よ。どこが狡いの?」


 女神から与えられた力を借り物だと思っている。


 そんな俺とは違い、ミーアは自分が生まれ持った才能だと信じている。


 根本的に考え方が違うのだ。羨ましいぜ、全く。


「……素晴らしい。なんて正確な射撃だ。本当に銃を扱うのは初めてなのか?」


「あぁ。詳細は伏せるが、ミーアには射撃の才能がある。多分、どんな遠くの的でも正確に撃てるぞ」


「ほぅ? あぁ……成る程、異能の力か。よし! ミーアには小銃や狙撃銃も貸与する手配をしよう。いくら異能の力があっても、銃本体の射程までは変えられないだろう?」


 小銃? 狙撃銃?


 よく分からないが、他の連中が持つ長い銃を貸して貰えるらしい。


「……俺は?」


 尋ねると、シラユキは微妙な顔をして、


「シーナ。銃は重いだろう?」


 言い辛そうに口を開いて……。


「人には、向き不向きがある。努力をすれば大抵は埋まるが……そんな時間は勿体無いという考え方もある。少なくとも私は、違う方向に費やした方が合理的だと考えている」


「…………」


「それに、銃は荷物になる。剣士として天賦の才があるお前には不要だろう。その拳銃くらいなら使えた方が戦術の幅も広がって良いと思うが、その……分かるだろう?」


 ……意地悪は、これくらいにしておくか。


「はっきり言えよ」


「勘違いするな。お前に才能がないと言いたい訳ではない。少なくとも……まだ、な。だが、ミーアと張り合おうとするなら無駄だ。諦めろ」


「そんな事は分かっている。ミーアは天才だ」


 銃の弾倉を交換しながら、俺は口にした。


 ガシャンとスライドが閉まる。


 それを確認して、シラユキに目線を向けた。


「対して俺は、どうしようもなく凡人だ。だから、張り合おうとする気はない。ただ、不安なだけだ。だからこそ、手札は多く欲しい……武器の使い方は知っておいて損はないだろ」

 

 素直な気持ちを口にする。


 すると、シラユキは眉を潜めた。


「それだけの力があって尚、不安か」


 しまった。

 この話をするのは、まだ早いんだ。

 

 これでは信頼されてないと思わせても仕方ない。


「味方に対して敵が多過ぎる。不安にもなるさ」


 視線を彷徨わせると、都合の良い連中が居た。


 こちらに敵意のある視線が向いていた。


 それも、見覚えがある奴等だ。

 彼等は、メルティアの臣下だな。

 つまり、シラユキの統率する部隊に所属している男達。


 ……あんなのが居たら気が休まらないと言っても不自然ではないだろう。助かった。


「……! チッ。あいつら……ッ! 気付かなくて済まない。すぐにやめさせる」


「構わない。いちいち構っていても疲れるだけだ。下手をすれば余計に敵を増やす。今は静観するしかないだろう」


 向けられる敵意の視線から意識を外し、シラユキの顔を見る。


「ただ、襲って来るなら容赦はしない。その時の為にも、俺はもっと力と知識をつける必要がある」


「……分かった。どうせ、ミーアに教えるからな。お前も触る程度はしておけば良い」


「その訓練時は、銃を二つ手配しておいてくれよ。ミーアの邪魔はしたくない」


 これ以上、貴重な時間は無駄に出来ない。

 そう考えて、俺は的に向き直った。


 もう少し一人でやったら、改善が必要なところを質問しよう。


 この小型の銃は取り回しが良い。

 長物は兎も角、こっちは携帯しておきたい。


「話は終わった? 私も続けて良いのかしら?」


 背後から、ミーアの声がした。


「話なら終わった。俺はあと五回分やる。残りは、全部撃って良いぞ」


「えっ? ほんと? ありがとっ!」


 弾んだ声だ。

 嬉しそうな笑みを浮かべるミーアを一瞥して、俺は的に集中し直す。


 俺と違って、こいつは練習なんて必要ない。


 そう頭では解っていても、俺はミーアが銃に触れているのを見ているだけで、少しだけ和らいだように感じる気がした。


 敵だらけなのは、俺だけじゃない。


 寧ろ、力を誇示した俺の首を獲る為に、ミーアが狙われる。


 最初から、そんな危険は理解していたはずだったのに。


 数日前に飲んだ感情を制御する薬も、間違いなく効いているはずなのに。


 最近は一層強く、不安と焦燥が拭えずにいる。






 

 赤髪の竜姫は、自室で書類と睨み合っていた。


「うぅ……うー、ぐるる……グルルルルゥ」


 卓上に山のように積み上がった資料や作成済みの報告書。その中央で、彼女は一人。目をぐるぐると回しながら筆を走らせる。


 既に頭の中は思考と疲労で衰弱し切っていた。


 目元の下には濃いクマ、ボサボサの髪。更には、小さな唇の端からは、涎が滴っている始末。


 同族である白竜の屋敷に来て数日。


 新たな赤の守護竜として、メルティアは慣れない卓上業務に追われ続けていた。


 その端正な幼い顔は、残念な事になっている。


「はぁ……もう、こんな時間か」


 ふと壁掛け時計を確認し、肩を揉む。


 朝食の時間まで、あと一時間。幾ら忙しくても、今は他家に招かれている身だ。


 それまでに、身嗜みを整える必要がある。


「……少し、休むかのぅ」


 脱力したメルティアは、机に突っ伏した。


「全然だめじゃのぅ、妾は。少し国外調査をして、その報告をする準備と常務だけで一杯一杯……か」


 目を閉じれば、偉大な両親の姿が目に浮かぶ。


 二人は、こんな風に疲弊した姿を見せた事はなかった。


 強く、優しく、賢く……気高かった。


「こんな事なら、もっと……父様、母様……」


 弱気な言葉が口から漏れ、ハッとしたメルティアは首を振った。


「いかん、いかん……妾が弱気になっては。今は、なにがなんでも弱みを見せるわけにはいかん」


 頬を叩いて気合を入れ、メルティアは顔を上げた。


「シーナとミーア。あの二人の信頼を得る為にも、今は頑張り時じゃ……! うむっ!」


 独り言で自分を鼓舞しつつ、メルティアは立ち上がって部屋に備え付けてある浴室へ向かった。


 手早く衣服を脱いで籠に放ると、シャワーを浴びる。


「ふぅ……」


 頭から湯を浴びながら、瞑っていた目蓋を開く。


 鏡に映る、幼い姿の自身の姿。

 僅かな膨らみしかない胸に手を当てて、抗う。


 最近ずっと、苛まれている感情がある。


 様々な宝物を失った。

 大き過ぎる責務を背負う事になった。


 それなのに、自分の隣には誰もいない。


 唯一の味方で信頼出来る相手だったシラユキも、最近は傍に居てくれない。


 だから、どうしても思ってしまう。


 尊敬する父も、母が居たから偉大な存在で在れたのではないのかと。


 少なくとも、身体的な能力の面では、成体と幼体では比較にならない筈だ。


 仕事の面でも、ただ話し相手になってくれるだけで精神的負担は大きく軽減するだろう。


 なにより、多くの者の上に立つ。その責任を共にしてくれる相手が居れば……。


 パートナーが、守護者が。夫が、必要だ。


 共に生涯苦楽を共にする人。

 誰よりも信頼し合える相手が必要だ。


「シーナ……この異界で生まれ育った男、か」


 鏡に映った自分の姿に、メルティアは振り向く。


 視界に映したのは、黒い翼だ。

 不吉の象徴と呼ばれる、黒髪を持った猫人族。

 本来、赤竜として真紅であるはずの翼は、母の髪と同じ色をしている。


 誰もが醜いと気味悪がり、嘲笑った翼。

 

 なのに彼は、この翼を綺麗だと言ってくれた。


 その上、酷い扱いをしてくれた婚約者に報復し、挙句……資格を得てくれた。


「だめじゃのぅ……だめだと分かっておるのに……だめ、じゃのぅ……」


 もう、彼以外に考えられない。

 彼になら全てを委ね託すことが出来ると思える。


 なにより、ミーアという女の子。

 彼に特別扱いされている彼女の事が、羨ましくて堪らない。


「異界人? 関係ないじゃろ……半竜化させれば、妾のじゃ。妾の半身が選んだのじゃ。もし、帰れるとしても……連れて行けば……」


 ふと、シラユキに放った言葉が脳裏を過ぎる。


 しかし、それでもとメルティアは想う。


「いかんなぁ……想定以上じゃな。剣の選定は……まだ大して親しくなっておるわけでもないのに」


 想えば想うほど、焦がれてしまう。


 メルティアは鏡に映る自分の顔が赤らんでいるのを確認して、ふっと微笑んだ。


「この気持ちが、覆る気が全くせん」


 茹だった表情は、決して頭上から降り注ぐ湯のせいだけではないと断言出来る。


 寧ろ、あの少年の姿と出会ってから短い期間に掛けて貰った言葉を思い出すだけで、トクントクンと跳ねる胸が心地良くすら感じる。


「まぁ、良いかな。今回は、逆らう気もないから」


 気付けば、メルティアは偽るのをやめていた。

 いつか、彼に本当の自分を知って欲しい。


 そう強く願いながら。



 

 


 バスローブに身を包んだメルティアが浴室を出ると、コンコンと扉が叩かれた。


「む? 誰じゃ?」


「俺だ」


 扉の向こうから聞こえた声に、胸が高鳴る。


 慌てて扉に向かおうとして、ハッとした。


 視線を落とす。バスローブ姿の彼女は、下着すら身に付けていない。


「話がしたい。入って良いか?」


「ま、待て! 着替えておる途中じゃ!」


「そうか。待っている」


 返事を聞いたメルティアは、壁に駆け寄る。


 ベッドの上に用意していた下着を付け、外行きに普段から着ている服を急いで身に付ける。


 待たせている以上、髪を結ぶ時間はない。

 姿見の前で自分の姿を見て、手櫛で髪を整える。


 最低限だが問題ない。そう判断して、メルティアは自室の扉を開いた。


「おはよう、メルティア」


 来客は、白髪の少年だった。先程からずっと考えていた彼の登場に、メルティアの顔が熱くなる。


「う……うむ。おはようじゃ、シーナ」


「こうして顔を合わせるのは久々だな」


「そうじゃな。ここに来てから、中々時間が取れんかったから……」


「あぁ。忙しいと聞いたから、此方からも遠慮していた。俺は食事の席にも行かないからな」


「あっ、そうじゃ! この屋敷に招かれた主賓は、お主なんじゃぞ? 同席くらいせんか!」


「何か盛られたら堪らない。まだ譲れないさ」


 シーナの食事は、シラユキが直接買い付けた食材のみ使用されている。


 俺はまだ、あなた達を信用出来ない。

 そう堂々と口にした時には、流石に肝が冷えた。


「じゃから、食事は兎も角。同席くらいは……」


「ま、立ち話もなんだ。中に入って良いか?」


「話を逸らすな、全く……良かろう、入れ」


 呆れて見せながらも、自室に彼を招く事に緊張を覚える。


 見られて困るものはあっただろうかと考えながら招くと、シーナが入室してしまった。


 諦めて扉を開き、机に向かう。


「そこの椅子を使え」


「あぁ」


 机を挟んで座ると、すぐにシーナは切り出した。


「早くから押し掛けて済まない。今日は登城する日だと聞いてな。また忙しくなりそうだから、話をしておきたかったんだ」


「別に、お主ならいつでも歓迎じゃ。なんなら妾の仕事を手伝ってくれても構わんぞ?」


 いずれ、一緒にやる事ばかりじゃからな。


 喉まで出た言葉を飲み込んで、メルティアは努めて不遜な態度を見せる。


「そうだな……見ても良いなら、手伝うが?」


 すると、帰って来たのは予想外の言葉だった。


「えっ……ホントに?」


「あぁ。知っての通り、俺は現状。暇だ。こちらに慣れる為と勉強会の準備をしろと言われはしたが、何から手を付ければ良いか分からないからな」


 シーナは卓上の書類を見ながら続けた。


「それに……こちらの文字に触れつつ、役に立てるなら都合が良い。俺は雇われている身だ。雇い主の要望なら、断る理由がない」


 言い方は気に入らないが、どうでも良い。


 これには正直、メルティアは凄く嬉しかった。


 それでも一応、探り入れるべきだ。

 もしかしたら、ぬか喜びかもしれないのだから。


「本当に……? ミーアに怒られたり、せんか?」


「ミーア? シラユキが見てくれるだろう。なにかあれば駆け付けられる距離だ。問題ない」


(ふ、二人きりになれる……っ! この部屋で!)


「で、では。今夜から、頼んで良いかのぅ!?」


「今夜からか? 分かった」


(やった……っ!!)


 内心で拳を握りつつ、機嫌を良くしたメルティアは落ち着かなくて、そわそわしてしまう。


(ふふ……流石、我が半身が選んだ伴侶。恨んだ事もあったが、もう忘れても良いな……レオの奴では決して口にせん事を平然と言ってくれる)


「どうした? あ……我慢はするなよ?」


(……少々、デリカシーに欠けるのは難点かの)


 トイレに行きたいのだと勘違いされたらしい。


 お陰で、スン……と冷静になったメルティアは、ため息を吐いた。


「余計な世話じゃよ、全く……それで? そろそろ本題に入って貰えるかの? 話とは、なんじゃ?」


 腕と足を組みながら尋ねる。


 すると眼前の少年は切り出した。


「落ち着いたら、今後の話をさせろと言っただろ。なかなか機会が作れないようだったから、話をしに来た」


「!」


 真顔で告げられ、びくりと肩が震える。


 冷たい瞳に見つめられ、メルティアは思わず息を飲んだ。


「まずは、お前の守護者だったか。あの話は俺から言い出した事だ。今更拒絶するつもりはない。お前が望むなら、その剣を受け取ろう」


 壁に飾ってある剣を一瞥し、シーナは告げた。

 

 思わず目を丸くして、メルティアは尋ねる。


「よ、良いのか……? だって、お主は……」


 異世界人で、既に妻帯者では?


 そう続けようとしたが、遮られる。


「俺には力が必要だ。お前だって、現状は理解しているだろう」


 「……む?」


「俺が、ここに居る事を歓迎してない連中は多い。人の視線は正直だ。当然といえば当然なんだが……余所者がお前やゼロリアと親しくしている事が気に入らないんだろう」


「それは……」


 少年に向けられているものには、メルティアも気付いていた。


 しかし、それは現状どうしようもない。


 一般論では、正しいのは周囲。

 間違えているのは、自分達なのだ。


「だが俺は、生まれた国に居場所がない。敵対すると決め、剣を握った以上。幾ら可能な限り血を流す事なく戦いを終わらせる為と綺麗事を並べても……俺は多くの未来ある若い騎士を斬り殺した。詳細の説明は長くなるから今は省くが、腹は括っている」


 真剣な表情と声音で言われ、唾を呑んだ。


 メルティアも、覚悟はしていた。


 綺麗事だけでは何も守れないと理解していた。


「メルティア。お前は剣のせいで抵抗は無いのかもしれないが、俺は正直。お前に対して特別な感情は抱いていない。お前の容姿は凄く可愛いと思うし、話していて不快だとは感じない。女性としては十分魅力的だとは思うが……その程度だ」


 解っている、筈だったのに……。


 眼前の少年に比べれば、と思ってしまう。

 

「それを理解した上で、もう一度……よく考えろ。お前の人生は長いんだろ? ここで回答を急ぐ理由はないと思う。もう少し待てば、お前を本当に幸せにしてくれる相手も現れるかもしれない……お前は長い間、あの糞野郎に耐えて自分を犠牲にしてきたはずだ。そんなお前を俺は、力を得る為に利用する真似はしたくない。お前は自由なんだ。別に俺は、そんなつもりで助けた訳じゃない」


 様々な苦難を抱えながらも、尚。

 少しでも良い結果を掴む為に足掻き続ける。


 そう決意している彼の瞳は、力強かった。


 彼は自分だけではなく。周りの者も幸せで在れるようにと考えてくれている。


 メルティアは、そう感じて……。


「ただ。お前が最終的に、どんな答えを出すかは分からないが……今は、あの剣を俺に預けて貰えないだろうか?」


 この人なら自分の足らない所を補ってくれるかもしれない。


 少なくとも、レオなんかよりずっと良い……。


 いつか、もっと良い人が現れる? 

 もう何十年も待っているのに、そんな確証が何処にある?


「今を生き残る為だ。勿論、可能な限り使わない」


 気付けば、メルティアは無言で立ち上がっていた。


 壁に掛けていた竜装に手を伸ばして、下ろす。


 それを両腕で抱えながら向かう先は勿論、椅子に座る少年の隣だ。


「メルティア?」


 名前を呼ばれ、俯いたメルティアはギュッと竜装を抱える腕に力を込めた。


「……シーナ」


「なんだ?」


「わ、妾の角と翼。どう思う……?」


 もう何度も言ってくれた言葉が聞きたかった。


 祈り。緊張しながら尋ねた言葉に少年は眉を潜めて見せ、平然と告げる。


「なんだ? まだ気にしてるのか……俺は綺麗だと思うんだがな」


「……ホントに?」


「少なくとも、ゼロリアの翼よりは好きだ」


「……っ!!」


 改めて信じられない事を言われてしまう。


 白よりも黒が好き。そんな奇特な感性の持ち主が自分の半身に選ばれたのだ。


 そう、それは夢にまで見た展開だった。


 何故なら、自分の両親も……そうだったから。


(やはり此奴しか居らん……此奴? いや。この人しかいないよ……異世界人? 関係ないよ……)


 改めてギュウと剣を抱き締める。


(竜装とか関係なくて……普通に恋出来そうな人。初めてだ……)


 涙が溜まった瞳で見つめていると……視界の中で少年は困った表情をしている。


(あ、やべ。そう言えば、発言には気を付けろってシラユキに言われてたな)


 もう手遅れな少年は、頬をポリポリ掻いた。


 そんな彼にメルティアは、意を決して告げる。


「わかった。お主に預ける。しかし。そうなると、どうしてもコレは了承して貰わねばならん」


「なんだ?」


「無論。我が竜装を授ける以上。妾は、お主を我が伴侶……『候補』として周知する。良いな?」


 思い出した候補という単語を強調して口にする。


 すると思惑通り、彼は頷いた。


「そういう目で見られる事は覚悟の上だ。あくまで候補者になるのは仕方ない。それに今後……お前に変な縁談が持ち込まれて揉める心配も消えるだろ」


「よし……! あ、こほん……い、言ったな? 妾、本当に言うからな?」


(やっぱり、そういう話か……これから色々と動くのに、下らない話で邪魔されると面倒だからな……まぁ、雇い主の悩みが一つなくなるなら良いか)


 頬を緩ませたメルティアを見て、シーナは面倒を背負う事を決めて諦めた。


「それなら、もし俺が公の場に出る必要がある時。そういうつもりで対応しよう。お前も頑張って演技しろよ? くれぐれも少し触ったくらいで殴らないよう、気を付けてくれ」


「! う、うむ……分かったのじゃ……」


 視線を彷徨わせたメルティアは、キュッと唇を噛んで勇気を振り絞った。


(ふ、風呂にも入ったばかりじゃし……っ!!)


 あとは剣を渡して、話は終わり。


 その流れを悟ったからこそ、勝負に出る。


 翼を器用に畳んだメルティアは、小柄な身体を活かして椅子に座る少年の膝に腰を下ろした。


「……〜〜!!」


「……おい、なんの真似だ?」


 途端に羞恥心で茹で上がったメルティアに、少年の冷たい声音が尋ねる。


「折角、二人きりなのじゃ! 誰も見とらんっ! だから、これはその……れ、練習! 練習じゃ!」


「なんの練習だ?」


 眉を潜める少年、メルティアは反射的に言った。


「妾は、触られる事に慣れとらんから……練習!」


「……なんだそれ? 全く、仕方ねぇな」


 時計を見ると、朝食の時間まで十分程しかない。


(ま……いっか。少しくらいは)


 シーナは諦め、力を抜いた。

 

 そして。メルティアの普段と違う髪型を間近で見て、今更ながら思う。


「髪、下ろしてても似合うな。お前」


「え? それは……か、可愛いと、言っておるのか?」


「あぁ。普段のは猫人族の伝統的な髪型なのだと、シラユキに聞いた。あっちも似合っているが、髪がこんなに綺麗だと色々試したくなるな」


 長い髪が少年の手で梳かれる。


「あ……く……うぅ♡」


 その心地良さに、メルティアの緊張で強張っていた身体から……自然と力が抜けた。


「あ、悪い。勝手に髪に触って……つい癖で」


「……え? あっ……か、構わん。続けてくれ」


「え? そうか? なら、もう少しだけ触るが」


「……うぅ……はぁ……はぁ……♡」


 少年の肩に頭を乗せ、されるがままになりながら赤面し、熱い呼気を吐き、尻尾をふりふり振る。


(なんか凄い気持ち良さそうだな……目の下に隈もあるし、寝不足なのか? ……もう少しだけ続けてやるか)


 そんな今の彼女には、赤竜としての威厳など微塵もなかった。


(これはだめじゃ……だめになる……好き……♡)


 孤独と不安を抱えていた赤竜姫は、長らく忘れていた安らぎを感じる事が出来たのだ。


(相手は異世界人で、歳下で、妻帯者で……っ! なのに……!)


 必死に自分に言い聞かせるが、口から漏れる甘い声はどうしようもない。


(全部、この剣が……剣のせいでっ! うぅ♡)


 離れがたい誘惑には抗う事が出来ず……力一杯に剣を抱き締めて耐えながら。


(こんな調子で子作りなんかしたら……妾、本当にどうなってしまうんじゃ……♡ っ? あ……っ。まさか妾、発情しとるぅ……? ♡」


 大変妄想が捗ってしまい、身体が熱を発した。


(初めての発情じゃ……♡ やはりシーナは妾の……私の、番なんだぁ♡)


「おい、メルティア? そろそろ食事の時間だろ。大丈夫なのか?」


 ふと、そんな声に現実に戻されて。


 顔を上げたメルティアの瞳は、とろん……♡

 焦点がまるで合っていなかったのだ。


「メルティア? お前、まさか……」


 蕩け切った表情を見た少年は、自分の間違いに気付くが……もう遅い。


「……やーだ。もう、ちょっと♡」


 甘い声を発したメルティアは、ペロリと少年の頬を舐め、首元に甘える。


「……これ、もしかして俺、やらかした? おい。メルティア、離れろ。離れろって……っ!」


 当然。竜人から逃れる膂力は人にはない。


「本当に呪いかよ……ったく。ほら、よしよし」


「……!! シーナ、すきぃ♡」


 もし暴れても怪我するだけだ。

 少年に出来るのは、ただ一つ。

 竜姫様が満足するまで髪を撫でる事だけだった。


 朝食の席には、当然遅刻した。





 同日、昼間。


 登城したメルティアは、付き添い白竜姫ゼロリアを連れ国王に謁見していた。


 親竜国の国王は、獅子族の恰幅の良い男だ。


 謁見の間の玉座で、豪華絢爛な衣服を身に纏っている。そんなグレマ・ディンゼルガ8世は、今年で六十八歳になる外見通りの老骨だが、


「久しいですね、グレマ。一年振りですか」


「おいおい、ゼロリアねーちゃん。こういう場では形だけでも敬ってくれって、いつも言ってるだろ。しかし、相変わらず変わらねーなぁ……一年なんて竜人様からすれば一瞬だろ?」


「時の感じ方は変わりませんから、久しいで間違いないでしょう」


「それもそうか……さて、談笑はこの位でだ。早速報告を聞かせて貰おうか……メルティア。いや……赤き竜姫よ。貴女の御両親の安否は?」


 獅子王に促されたメルティアは一歩前へ出た。


 そして、予め用意していた言葉を述べる。


「双方共に、死去を確認した。遺体も取り戻す事が出来んかった。詳細を記した文面は提出しておる。後程、確認して頂きたい」


 メルティアの報告を聞き、謁見の間は騒がしくなった。


「そんな……まさか、討たれたと言うのか?」 


「そうとしか考えられん……クソッ!」


「赤竜が容易に討たれるとは……やはり、何か不幸に見舞われたに違いない!」


「だから偉大な祖先達は、あれ程までに反対したのですぞ! よりによって、黒猫の守護者など!!」


「非力な猫人族というだけでも損失なのに、黒猫。不幸を呼ぶというのは本当だったか……」


「残った娘も火すら吹けない出来損ない……っ! それも、優秀な伴侶を拒絶する傲慢娘と来たっ! これは我が国の四柱も、遂に三柱になる時が来たのかもしれませんな!」


「大体、この世界の蛮族と共栄など、甘い夢物語を口にしておるからです。やはり、戦うしかない!」


 口を開いて好き勝手な言葉を吐く。


 そんな周囲の声と視線を小さな拳を握って耐え、メルティアは目蓋を閉じて小さく息を吐いた。


「故に今。この時を持って、我がグレンドラ家は、このメルティア・グレンドラが当主となる。異論がある者は、直接申し出よ。ただし!」


 閉ざされたメルティアの目蓋が開いた時……その目付きは、全く別物へと変化していた。


 確固たる決意の籠もった鋭利な瞳。空気を巻き上げるような威圧感に、肌をピリピリと焼かれる。


 爛々と輝く金色の瞳に言葉を失った者達。

 赤竜姫は、そんな彼等を見渡して。


「我が父と母。そして今後、この角と翼を貶す者を妾は……否、妾達は決して赦さぬ。肝に銘じよ!」

 

 幼体とは言え、竜人と他種族には圧倒的な力の差がある。当然の如く気圧された者達は黙り込んだ。


「メルティアよ、落ち着け。皆、不安なのだ。特に二人共、この場に居る誰もが幼少の頃より知る姿のまま、変わっていない。今は少しでも頼れる存在が必要なのだ。それなのに一体、いつまで幼竜のままで居るつもりだ?」


 獅子王に宥められ、痛い所を突かれた二人は複雑な表情をした。


「他の竜姫達もだ。剣の選定がある以上、選り好みしている訳ではないと心得ているが……今は戦時。守りの要である竜人達がそんな調子では困るぞ」


 あまりに最もな意見に、メルティアとゼロリアは顔を見合わせた。


「貴方が我儘を言うからですよ?」


「お主もじゃろうが……」


「近々、四大竜家に召集を掛ける。それまでに、皆が納得出来る言葉を用意するように」


「面倒な……」


 あからさまに嫌そうな表情をして、ゼロリアは腕を組んだ。


 獅子王の視線が、メルティアに向く。


「そうだ。メルティア、婚約破棄の件は聞いたぞ。随分と手酷くやったようだ。至宝である白虎を傷物にされた虎人族は勿論、店側からも苦情が入った」


「ふん……妾は、十分に耐えた。奴め、完全に抜剣出来ておらん癖に調子に乗り過ぎなのじゃ」


「メルティア、貴女……なんか逞しくなったな?」


「煩いわ。妾もゼロリアを見習って、我儘に生きてみようと思っただけじゃ」


「誰が我儘ですって?」


 メルティアを睨み付ける白竜姫。


 相変わらずの様子に肩を竦めた獅子王は、


「それは喜ばしい事だが、メルティアよ。今、最も伴侶が必要なのは貴女だぞ? 先代を失った以上、貴女の身に何かあれば……赤竜は、永劫失われる。此度の身勝手な調査といい、軽率な行動は控えろ」


「む……うむ。心得ておる」


 あまりの正論に、ぐぅの音も出ない。


 今は大人しくしておくべきだと痛感させられる。


 そんなメルティアを見て、玉座の獅子王は溜息を吐いた。


「とは言え、此度は事情が事情だ。娘である貴女の心境を思えば、これ以上は言わぬ。しかし……だ。少なくとも成体になる為、今の貴女は守護者の選定に集中するべきだ」


「まぁ、その通りですね。メルティア。貴女の抱く馬鹿らしい理想を追う為にしても、諦めて抗うにしても……幼体のままでは為せるものも為せません。この世界には想定以上に強大な力を持つ者が多く、幾ら私達でも油断は出来ないと思い知ったはず……それは今の貴女が一番よく理解しているのでは?」


「ゼロリアねーちゃん。言わせて貰うが、貴女も、いつまでも意地を張っていられる状況ではないぞ。俺は今すぐにでも選定式をやるべきだと思う」


 真剣な表情で言う獅子王に対し、二人の竜姫は。


「心配無用」

「ご心配なく」


 同時に口にし、小さな胸を張った。


「妾は、もう相手を見つけておる」

「私の伴侶なら決まりましたから」


 二人の発言に、謁見の間は騒めいた。


 暫くして、獅子王が手を挙げる。


 それを合図に静まり返ると、獅子王は尋ねた。


「メルティアの方は聞いているぞ。この世界の者を伴侶にする……本気なのか?」


「無論じゃ。今朝、了承を得たばかりでの」


「え? なんですって? う、嘘でしょう!?」


 ふふん♪ と。赤竜姫は得意げに鼻を鳴らした。


 当然、慌てたのは隣に立つ白竜姫だ。


「嘘ではない。その証拠に……ほれ♪ 取り返した妾の半身が、ここにないじゃろ?」


「! 言われてみれば……っ!」 


「おやおや? おかしいのぅ。お主も伴侶が決まったのじゃろ? 何故まだ竜装を持っとるんじゃ?」


 未婚の竜人は、例え国王との謁見の場でも半身である竜装を手放す事はない。


 それがないという事は、婚約した相手が所持しているという事だ。


「メルティア! 貴女、まさか抜け駆けをっ!」


「……事情は分からないが、ゼロリアねーちゃん。少し黙ってくれ」


 頭を抱えた獅子王は、ため息を吐いた。


「メルティア。竜装が選んだ相手ならば、この際。相手が異界人。それも敵対しているという事は不問とする。しかしだな……まだ前例がないだろう? 本当に大丈夫なのだろうな?」


「む? それは、子が為せるか。と言う意味か?」


 メルティアの問いに、獅子王は頷いた。


「貴女は自分の立場を理解しているか? 今の貴女には、後がないのだ。その身に流れる赤竜の血は、確実に後世へ繋いで貰わなければ困る」


「そうですよ! メルティア、諦めなさい? 彼は私が責任を持って引き取りますから!! ね??」


「それならば、問題ない」


 皆の注目を集める中……メルティアは頬を赤らめると、もじもじとしながら口にした。


「何故なら、妾は今朝……か、髪を撫でられてな。その……実はな? 初めて、発情したのじゃよ」


「……は?」


 ゼロリアの目に殺意が宿った。


「だからの? その……子作りの方は、問題ないと思うのじゃ……どうせ、竜になるんじゃからの」


「は? シーナと貴女が、子作り? は?」


 こいつ絶対ぶっ殺すと本気で思った。


「……竜装に選ばれ、竜人に発情を促すか。条件は満たしているようだ……いや。しかし許可して良いものか? これは」


「大丈夫じゃ。結局、竜にしてしまえば生まれなぞ関係ないじゃろ? 異界人で敵? 関係ないわ!」


 食い気味の竜姫。そのあまりの剣幕に気圧された獅子王は、何とか宥めようとして……


「待て、落ち着け。俺が危惧しているのは、本当に異界人との子を望めるのかと言う事で……」


「じゃから、竜になれば問題ないと言っておる」


 本当に必死な様子の赤竜姫を改めて冷静に見て、頷く事にした。


「……そこまで言うなら。だが、約束して欲しい。儀式を行う前に、必ず連れて来るのだぞ?」


「む……? うむ。約束しよう」


 了承を示したメルティアに、また周囲から忌避の視線が突き刺さる。


「異界人の守護者だと……? 正気か?」

「黒猫の次は蛮人か……穢らわしい」

「赤竜は情愛が深いと言うが、相手は選んで欲しいものですな……」


 そんな中、顔色一つ変えないメルティアを見て、ゼロリアは「ギリリ……!」と歯軋りをした。


「まずは外堀からですか……やってくれましたね、この出来損ない……っ!」


 世間体を気にするゼロリアには決して打てない。

 怖いもの知らずの一手は、あまりに強力だった。


 渦中の少年は知らない。


 女神が口にした運命。

 その強制力に踊らされている女の子は、かつて。生涯を誓い合った幼馴染だけではない。


 強大な竜姫もまた、盤上の駒。

 その一つに過ぎないのだと。








 




 あとがき。

 


 来月末から、また北海ドゥ。


 メルティアちゃんが初期に決めた時より積極的になってしまったなぁと。


 まぁ互いに助け合う話をやりだしたら終わらなくなっちまうから多少はね?


 シーナくんは鈍感ではないですが、かなり冷たくなってきましたね。


 とは言え、ミーアを守りながら生き残ろうと必死ではあります。


 二人の剣聖とぶつかるまで、もう少しですね。



 


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