第104話 少年の覚悟

 白竜一家が訪ねて来た翌日。


 竜姫様の母親で守護者、大剣使いの白狼族。ハクリア様との決闘後、すぐに自室で眠りに付いていた俺は、暗闇の中で目を覚ました。


 隣に眠るミーアの温もり。寝息を聞く事、数分。

 彼女の髪を撫でながら、自身の状態を確認する。


 意識は、はっきりしている。

 だが気怠さと痛みは、あまり抜けていない。


 たった数秒、限界を超えて力を使った反動。

 身体の損傷は、かなり深刻だ。


 ……少し散歩をして、身体を冷やすか。


 そう思い立って、ゆっくりと寝台から降りる。


 半竜化した異界の守護者。

 女神の生み出した、勇者や剣聖……英雄達。

 奴等に、対抗出来る唯一の存在の一角。

 流石、凄まじい強さだった。まさに次元が違う。


 俺がこのまま幾ら鍛錬を続けても到達出来ない。

 ハクリア様は……ユキナは、そんな存在なのだと思い知らされた。


 そして女神は、俺もその一人になれと望む。


 半竜の身体を前提とした異能を与え、人類を裏切らせ、様々な手を使って助長すらしてくる。


 ……舐めるなよ、女神エリナ。


 俺は、人間は、お前の遊戯の駒じゃない。

 少なくとも俺は、お前の思い通りにはならない。


 しかし、そうなると他の手段が必要だ。


 メルティアとゼロリア……竜人との関係、か。

 彼女達に魅力がない訳ではない。

 二人共。性格に少々難はあるが、悪い娘達ではないと分かってはいる。


 それでも、受け入れる訳にはいかなくて。


「贅沢な、悩みだよな」


 思わず、呟く。


 竜姫と呼ばれる、特別な力を生まれ持つ二人。


 外見は華やかだし、何より彼女達は強い。

 竜としての力だけではなく、心が強いのだ。

 それは、かつての俺には足りなかった力。

 未だ今の俺が、最も欲し続けるものだ。


「俺に偉そうな口を叩ける資格は、ないのにな」


 彼女達は彼女達なりに、足掻いている。

 地に足をつけて頑張っている。

 なんだかんだ、周りに流されてきた俺とは違う。


 俺には、彼女達が眩しくすら見える程だ。


 だから、邪険にする事は出来ない。

 寧ろ、今後を考えれば上手い線引きを見付けて友好的な関係を維持し続ける事は必須だ。


「でも、俺だって曲げられない」


 だが、俺には既に覚悟がある。

 曲げてはならない芯がある。

 何としてでも、守らなければいけない人がいる。

 俺が全てを奪った女の子は、寝台で安らかな寝息を立てている。


 ……早いところ、ミーアには話さないとな。


 そう考えながら身支度を整え、最後に両腰に剣を携えて自室の扉を開く。

 

 途端、壁に背を預けたシラユキと目が合った。


 ピクリピクリと長い狼耳を震わせている彼女は、少し眠そうな瞳で俺を見つめていた。


「おはよう、シラユキ。毎晩悪いな」


「ん……やはり起きたか。随分と眠っていたな」


「そうだな。流石に疲れが出たらしい」


 能力の反動に関しては察されているようだが、明確な情報は伝えない様に気を付けている。

 その為、当たり障りのない返答を返す。


「無理もない。竜の守護者ハクリア様と剣を交え、その程度で済んだなら僥倖だ」


 ふぅ、と安堵したように彼女は呼気を漏らす。


 どうやら、心配してくれていたらしい。


 つくづく、何故俺はあんな面倒な竜姫達を相手にしなくてはならないのかと思う。

 シラユキもミーアも、本当に良い娘達だ。


 竜装じゃなくて白狼装を用意しておけよ、女神。

 いやホントに。


 あったらあったで、対応に困っただろうが。


「もうすぐ日の出だが、何処かへ行くのか?」


「少し身体を動かしたい。散歩だ」


「そうか。ならば付き合おう」


 シラユキは壁に預けていた背を起こした。


 確かに話し相手が欲しいところではあるが。


「駄目だ」


「ミーアの事ならば、問題ない」


 自分の背後に親指を向け、シラユキは俺の言わんとしていた事を解答して見せる。


「丁度、交代の時間だ」


 見れば、廊下には大柄な男の姿があった。


 彼女と同様、俺が護衛を頼んでいる熊族の戦士。ガイラークだ。交代の時間は早朝四時の筈なので、お陰で今の時間を把握出来た。


「出歩くのなら、護衛が不要な訳ではないだろう」


 こいつ、やはり気付いているか。


「……お前には敵わないな」


 真剣な顔で俺の手を一瞥し、すぐに目を合わせて来たシラユキに、俺は観念した。


 本当によく見ている。

 すぐに痙攣する右腕を隠すように庇った。


「では、ガイラーク。頼んだぞ。もし起きて来ても絶対に外出させるな」


「了解だ。スノーウェル隊長」


 ガイラークに背を向けたまま告げて、シラユキは歩き出した。

 

 スノーウェル、それがシラユキの姓なのだろう。


 他の奴等は皆、シラユキを名前か隊長とかって呼ぶから、初めて聞いたな。

 

 今更だが、彼女とはまともに自己紹介をしていなかった。


 そう言えば、メルティアもゼロリアも姓を名乗っていた。今更だが、此方の世界も地位のある者は姓を持つのだろうか。


「じゃあ、ガイラーク。頼んだ」


「あぁ」


 そんな事を考えながら、シラユキを追う。

 彼女は俺より背が低く、言動の割に幼い見た目をしている。相当な童顔だしな。


 だが姿勢が良く、歩くのが速い。

 そんな彼女の背中は、やはり凛々しく格好良い。


「勝手に行くな」


 小走りで白狼様に追い付く。

 これが、中々大変だった。

 全く……気を遣ってるのか、いないのか。


「涼むなら外が良いだろう? 甲板に向かう。これも無駄にならなくて済むしな」


 隣に並んだ俺に、シラユキは左手の籠を示した。


「なんだ、それは?」


 尋ねると、彼女は悪戯な笑みを浮かべて言った。


「まだ秘密だ」




 



 メルティアの保有する赤い戦艦。

 その甲板に出ると、冷たい潮風が頬を叩いた。


 港町の街明かりが綺麗だ。

 もうすぐ日の出の時間だが、まだ暗い空には満天の星空が広がっていた。


 良い景色だ。少なくとも、俺が見て来た光景の中では五本の指に入る。


「……言っておくが、立ち合いはなしだ」


「分かっている。今のお前に無理はさせられない。私から具申し、移動日も明日にして貰った。今日は大人しく過ごし、体調を整えると良い」


 毎日のように立ち合い稽古に誘って来る戦闘狂。


 俺は彼女にそんな印象を持っていたのだが、帰って来たのは意外な反応だった。


「そうか。悪いな」


「当然だ。お前に万が一のことがあっては困る……あの後、ゼロリア様達はすぐに発ちたいと仰られて大変だったが、メルティア様と私で諫めた」


 夜闇の中。照明の明かりに照らされたシラユキを横目に見ると、何処か口惜しげな表情をしていた。


「無論、私も全力を尽くす。だが、お前には常に剣を握れる状態で居て貰わなければ困る。すまない。私達は、お前に甘えてばかりだ」

 

 眉を寄せる彼女は、唇を強く噛んだ。


「メルティア様から伝言だ。お前には我儘ばかり、苦労を掛けてばかりで、申し訳ないと」


「別に気に病まれる程、大変とは思ってない」


 横顔に向けていた視線を港町の方へ向けながら、はっきりと口にする。


 俺の置かれている現状を考えれば、協力者が居てくれるだけでも十分過ぎる程に恵まれているのだ。


「俺は母国に見捨てられて、剣を向けた。お陰で生まれ育った故郷からも追放され、居場所を失った。そんな俺に道を示し、選択肢を与えてくれたのは、お前達だ。謝られる謂れはない」


「……シーナ」


「それに今は俺も、メルティアに雇われている身。謂わば俺達は同僚だろ? いや、お前は隊長だから俺は部下と言ったほうが良いか」


「ふっ。私より強い雄が下なのは困る。同僚か……まぁ、今はそれで良い。改めて、宜しく頼む」


「こちらこそな」


 出会い方は最悪だったが、シラユキと知り合えた事は幸運だった。俺はつくづく、気の強い良い女との縁には恵まれているのかもしれない。


「そうだ、シーナ。昼食も夕食も抜いたから、空腹だろう?」


 そう言って。シラユキは屈み、先程俺に見せて来た籠の蓋を開いた。


 籠の中から覗いたのは、サンドイッチと茶色の食べ物だ。見た事のない料理だが、良い匂いがする。


「簡単だが、軽食を用意した。私の手料理だ」


「なに? 嘘だろ、お前……」


 驚いた。

 こいつ、ただの戦闘狂ポンコツじゃないのか。


 日中の決闘時に最後の魔法薬を飲んで感情を殺した筈だが、それでも驚愕してしまう。


「意外だろう? 実は趣味でな。味は保証する」


「……一つ貰って良いか?」


「良かった。食べてくれるか」


 彼女の反応には、理由がある。

 俺は、この艦に乗ってから一度も誰かと食事を共にした事がない。


 理由は勿論、毒などを警戒しての事だ。


 まだ持って来た食材も残っているので、普段は携帯食料か部屋や甲板でミーアが作ってくれる料理しか口にしないようにしていた。


 しかし……。


「お前の事は、ここでは一番信用しているからな」


「……ッ! そ、そう……か」


 彼女が俺を殺したいなら、普段の稽古の事故に見せ掛けたり、見張り中に奇襲したりと、やりようは幾らでもある。今更、毒殺なんて手の込んだ事をされるとは考え辛い。


「今は私が一番……か」


 そう思って言ったのだが、シラユキが見せたのは困った反応だった。耳をピクピク、尻尾をフリフリさせ、白い頬を赤く染めてそっぽを向く……そんな彼女は、大変可愛らしい。


 女神のせいで人間には愛想を尽かされた俺だが、ケモミミには好かれる呪いでもあるのだろうか?


 贅沢な悩みではあるが、良く知らない相手に好かれても困る。それも、全員容姿は一級で、魅力的な娘達ばかり。


 最も、竜姫二人は本当にただの呪いだが。


 目的の為に他者を利用する。

 そう割り切れる人間だったら、良かったのに。


「あ、待て」


 ずっと寝ていて喉が渇いていたので、食事の前に水を飲もうと腰袋から水筒を取り出すと、シラユキに制止された。


「飲み物も用意している」


 彼女が取り出したのは鉄製の大きな水筒だった。

 同じく鉄製のコップを取り出したシラユキは、手早く水筒の中身を注ぎ始めた。


 寒空の下に湯気が立ち昇る。

 ずっと部屋の前に警備していた筈だが、いつの間に用意したんだ?


「疲労回復に効く薬草茶だ。故郷の品が運良く手に入ってな」


「ありがとう」


 礼を言って受け取り、ひとくち口を付ける。

 すると想像していたより、ずっと熱かった。


「あつ……ん、美味いな」


「そうだろう?」


「あぁ。薬草茶は何度か口にしたが、美味いと思ったのは初めてだ。ドロッとしてて、吐き出したくなるくらい不味いものだと思っていた」


「こちらの世界は、食への研究が足りていないな。少なくとも私は、お前の村でそう感じた」


 自慢げに言って、シラユキは籠を指差した。


「さぁ、食え。六種類のサンドイッチと鶏肉の唐揚げ。付け合わせにポテトだ。このケチャップを付けて食べるんだぞ」


「唐揚げ? ポテト?」


 尋ねると、シラユキは呆れた表情になった。


「両方、油で揚げる料理だ。寝起きには重いだろうが、お前の身体は細過ぎるからな。成長期なんだ。しっかり食え」


「油で、揚げる? あの黒い液体に肉や芋を付けて火を? そんな調理方が……」


 確かに王国は、食への研究が足りないのだろう。

 まさか、食材を爆破する調理方があるなんて。


「……お前、絶対厨房には近付くなよ?」


 呆れ顔で釘を刺されてしまった。

 俺だって、簡単な料理なら出来るのに。


「失礼な。俺だって、少しは」


「必要ないと言っている。食ってみろ」


 ずい、と籠を押し付けられる。

 仕方なく唐揚げを摘んで食べてみると……口の中に、これまで感じた事のない旨味を感じた。


 じゅわりと溢れる肉汁と濃い味。

 これは、堪らなく後を引く。


「ん? んん……うっま……」


 飲み込んだ瞬間、思わず声が漏れた。


「そうだろう? ほら、食え。お前の為に作ったものだ。遠慮はいらん」

 

「……いただきます」


 それから俺は、夢中で籠の中身を貪った。

 美味い。どれも本当に美味い。

 感情は薬で抑えているのに、手が止まらない。

 

「んぐっ……ん……んん……っ!」


「ははは、馬鹿。そんなに慌てて食べるからだ」


 途中で喉に詰まらせてしまうと、シラユキは苦笑しながら温くなった薬草茶を手渡してくれた。

 そうして暫く、食事を続け……。


「ふー。ごちそうさまでした」


 空になってしまった籠を、シラユキに手渡す。


「綺麗に食べたな」


 籠を受け取りながら、シラユキは嬉しそうに微笑んだ。


「美味すぎて驚いた。正直、今まで食べた中で一番美味かった」


 愛想無しの本音だ。

 これまでミーアの料理が一番だと思っていたが、今回のは圧倒的だった。

 また作って欲しい。いや、本当に。


「そうか。口にあったなら何よりだ」


「あぁ。お前、凄い料理上手なんだな」


「……また、作ってやろうか?」


「それは是非頼みたい」


 食欲に目が眩んで、シラユキの顔を見て悟る。

 頬を赤くして流し目で尋ねていたらしい彼女は、俺の返答を聞いて……ぱあぁああ。


 表情を明るくし、尻尾をブンブンと振り出した。


「あぁ、あぁっ! 毎日だって作ってやるとも! ふふ……フフフフフ……ッ!!」


 ……なんて迂闊な。

 美味い食事に弱いのは、改善しないとな。

 貧乏舌過ぎて、ちょろいとか思われたら大変だ。


「……ふむ」


 しかし。まぁ、本当に美味かった。

 本人も趣味だと言っている。

 ……頼んでも、良いかもしれない。

 此方としては、安心して美味い食事が出来る。

 ミーアの負担も減らせる。

 有り難い話だ。


「そうだな。無理のない範囲で頼む。お前も忙しいだろう」


「なに、大した手間ではない! 趣味だからな! 食べてくれる相手は居た方が良いに決まっている!」


 やけに食い気味だなぁ、こわ。

 しかし、断る理由はない。

 利用出来るものは、利用した方が良い……はず。


「ごちそーさま。さて、戻るか」


 だが、この不穏な雰囲気。

 さっさと退散した方が良いに違いない。

 気持ちは有り難いが、正直……不気味だからな。


「あっ。待て、シーナ。お前に聞きたい事がある」


 踵を返すと、シラユキに呼び止められた。

 無言で振り返った俺に、彼女は気まずそうに尋ねてくる。


「お前、メルティア様を受け入れると言ったな? 本気か?」


「そんな訳ないだろう」


 シラユキの言葉に、俺は即答した。

 父さんから渡された母さんの手紙に従うならば、赤髪の魔人……つまり、メルティアの望みは叶えるべきなのだろう。


 そんな彼女の望みでも、今回は駄目だ。

 受け入れる訳にはいかない。


 例え、半竜化しなければ九割以上の確率で死ぬ。

 女神にそう脅されていたとしても。


「そうか……では、何故あんな事を?」


 怪訝な表情に変わったシラユキを見て、俺は即座に返答する。


「あいつは自分で口にしたからだ。俺は、この世界で生まれた人間で、そういう対象にしてはならない存在だと。あいつは、その一線を弁えている。だから信用した。ゼロリアに諦めて貰う為にな」


 あっさり裏切られたけどな。

 喉まで出かかった言葉を飲み込んで、シラユキの顔色を伺う。


「それはっ、そうかもしれないが。いや、そうは言っても本当は、メルティア様がお前にとって魅力的な女性ではないからではないのか?」


「それこそ、まさかだ。俺があいつになんの魅力も感じていなければ、俺は今ここに居なかった。勿論あのクズい白猫に喧嘩を売って助ける義理もない」


「……ならば何故、そう頑なに」


「そんなの、決まっている。お前だって、分かっている筈だ」


 俺は前を向き直し、問い掛けた。


「メルティアは共存を目指すと言っているが、お前達の本当の目的であり、何より優先するべき目標。それは、戦争は勿論。この世界に居場所を作って、根付く事でもない……そうだろう?」


「……っ!」


 背後から息を飲む様子を察し、俺は歩き出した。

 俺が居るべき場所へ、帰る為に。


「一刻も早く、元の世界に帰る。それで終わりだ。だからお前も弁えろ、シラユキ。俺達は本来、交わってはいけなかった。いつか離れ離れになるんだ。線引きを間違えるなよ」


「……シーナ、待て。まだ話は」


 弱々しい声で名を呼ばれたが、足を止めない。

 そのまま振り返る事なく、俺は通路へ戻った。


「絶対に曲げないさ」


 そうだ。俺達は、違う世界で生まれ育った。

 容姿も、操る言葉も、常識も違う。

 いずれは、決断を迫られる日が来るはずだ。

 その時、間違えずに済むように。


「置いていかれるのは、もう沢山だ」


 俺は、この世界で生まれた人間なのだから。






 日の出前の甲板から歩き去った白髪の少年。


 そんな彼を見送ったシラユキの隣に、暗い上空から白い翼を持つ白銀の髪の少女が華麗に着地した。


「良い働きです、シラユキ。お陰で助かりました」


 白竜姫ゼロリアのそんな言葉に、白狼シラユキは眉を潜めた。


「盗み聞きとは、感心しませんね。至高の存在とも呼ばれる竜人様がする事とは、とても思えません」


 嫌味たっぷりに言えば、ゼロリアは小馬鹿にしたように「ふん」と鼻を鳴らして見せた。


「私が、それほど本気だという事ですよ。これ以上行き遅れる訳には……コホン。兎に角、これで彼の真意を知る事が出来ました」


 ギロリ、と瞳を蛇のように変化させて。

 白竜姫は弁当籠を手にするシラユキを睨み付け、周囲を凍てつかせる程の冷たい声音を放った。

 

「分かっているでしょうが、弁えなさいシラユキ。彼は私の伴侶となるのです。貴女のような有象無象が、私を煩わせる事は許しません。それも、そんな手料理まで振る舞って……っ! 高潔な白狼族であり、貴女程の戦士が……信じられませんね! なんて羨ま……浅ましい! この雌犬が!」


 今の貴女の方が、余程浅ましい雌トカゲですよ。


 喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、シラユキはニコニコと表情に余裕の笑みを貼り付けて見せた。


「いえいえ、彼は我が主メルティア様の伴侶です。いずれ赤竜となる予定ですから。私はただ、今の内から印象を良くしておこうと画策しているだけで」


「嘘を吐きなさい、嘘を! では、先程の情けない表情はなんですか! 尻尾も耳も振り放題でっ! 手料理を絶賛する彼の様子に喜んでいたのは一目瞭然でしたよ!? 言っておきますけどね……っ!」


 シラユキは笑みを崩さぬまま、懐に手を入れた。

 そうして取り出した手鏡を眼前の竜姫に向ける。

 

「……ハッ」


 夜目の効く二人。

 僅かな月明かりがあれば鏡を見るのは容易だ。

 相手の真意を悟ったゼロリアは、醜態に気付く。


「コホン……まぁ、良いでしょう。今宵は痛み分けという事で、これ以上の追及は容赦します」


「ありがとうございます」


「全く……やはり、一番油断ならない相手は貴女のようですね? シラユキ。あの出来損ないの側仕えにしておくのは、本当に勿体無い」


「身に余るお言葉、感謝致します」


「フン……ッ。言っておきますが、彼は勿論。私は貴女の事も諦めるつもりはありません。もう一度、よく考えると良いでしょう」


 言って、ゼロリアは踵を返した。

 どうやら何事もなく済みそうな雰囲気に胸を撫で下ろすシラユキだったが、


「あぁ、そうです。シラユキ、貴女に一つ情報提供をして差し上げましょう」


 すぐさま首だけ振り向いてきた竜姫の瞳に再度身構えることになった。


「……情報提供、ですか?」


「はい。代わりに、今宵の事はくれぐれも内密に」


 蒼銀の瞳に鋭さが増した。

 竜姫の纏う剣呑な雰囲気に、シラユキは気圧され背筋が凍るような錯覚を覚えた。

 しかし、気丈な姿勢を崩さないように頷く。


「内容次第、ですね」


「? ふふ……流石ですね。まぁ、良いでしょう。なに、今宵の礼。私からのささやかな報酬です」


 ゼロリアは胸元から一枚の紙を取り出した。

 手渡されたそれに視線を落として、


「……ッ! これ、は」


 シラユキは、大きく目を見開く。

 それは、写真だった。

 映っているのは、一人の大人びた白狼族の女性。


「私の臣下の一人が、先週。長期休暇を利用し里帰りをしました。その時に撮ったものだそうです」


 腰に一振りの大太刀を携え、白を基調とした和装に身を包んでいる。

 写真の女性を、シラユキはよく知っていた。


「姉……さん」


 呟くシラユキの言葉に頷いて。


「はい。貴女の姉は、この世界に来ています」


 白竜姫は、静かな声で肯定した。





 




 暗い自室に戻った俺は、すぐに武装を解除した。


 部屋着に着替え、寝台に戻って寝転がる。

 幸い、隣からミーアの安らかな寝息が聞こえる。

 起きた時に隣に居ないと、不機嫌になるからな。


「……ふぅ」


 窓の外が少し、明るくなってきたな。

 シラユキには休めと言われたが、今日も忙しくなりそうだ。

 そんな事を考えながら、ミーアの髪を撫でる。

 すると、


「……おかえり」


 突然、彼女の目蓋がパチリと開いた。

 不機嫌そうな顔だ……やっべ。


「……なんだ。起きてたのか?」


「起こされたのよ。私、あんたに抱っこして貰えないと眠れないんだから」


 寝てる途中でも起きるのかよ。

 今後は気を付けよう。


「そっか、それは悪かったな。少し、風に当たって身体を冷やして来ただけだ。ほら。まだ早いから、もう少し寝ろよ。抱っこしてやるから」


 片腕を広げて招くと、ミーアはもぞもぞと近付いてきて胸に顔をすり寄せて来る。

 すぐにそんな彼女の背に腕を回し、背中をトントンと叩く。

 すると彼女は、ほぅと熱い息を吐いた。


「……ねぇ。なんで毎回、私に相談してくれないの?」


 弱々しい声音が聞こえた。

 記憶が曖昧だが、周りを見れば分かる。

 ミーアは、決闘で消耗して帰って来た俺を懸命に介護してくれたのだと。


「悪い。ちょっと譲れなくてさ。穏便には、済ませられなかった」


 実際、今日の決闘に負ける訳にはいかなかった。

 払った代償は大きかったが、また時間が解決してくれるだろう。


「……無茶するなとは言えないわ。でも、私だって覚悟して来てるの。だからお願い、一人で頑張らないで。私、あなたの嫁なんだからね?」


「分かってるよ。本当にごめん」


「……ばか。心配ばっかりさせて」


 顔を上げ、俺をじっと見上げて来たミーアの瞳は潤んでいた。

 悪い事をしたとは思うし、反省もしている。

 しかし俺は、後悔はしていない。


「あぁ。俺は馬鹿だ。でもな、ミーア。俺は、お前が心配して待っていてくれるから頑張れるんだよ。だから、一人で頑張ってるつもりはない。お前は、本当によく支えてくれてるよ」


 また同じような選択を迫られれば、俺はまた同じように戦うつもりだ。

 勿論、こいつに手伝わせるつもりはない。

 荒事に関してだけは、俺は常に彼女の前に立っていたい。

 

「……私、本当に役立たずよね」


 しかし、ミーアは辛そうに顔を顰めた。


「幾ら弓が上手く使えても……私は、あんたの隣で戦えない……ごめんね、シーナ。私、私……」

 

「……違う、ミーア。お前は本当によくやって」


「あんたの元カノくらい力があれば、私も……」


「は? いや待て、ミーア」


「私じゃ、足手纏いにしかならない。あんたもそう思ってるから、何も言ってくれないんでしょ?」


 ……不味いぞ、これは。

 恐れていた事が起きてしまった。


「違う。ミーア、聞いてくれ。俺は」


「私、悔しい……あんたが一人で戦って、傷付くのを見ている事しか出来なくて……悔しいよ……」


 落ち着かせようとするが、ミーアは俺の胸にグリグリと顔を押し付けながら呟く。

 生暖かい感触で、シャツが濡れる。


「…………」


 どうしよう。何も、言えなくなってしまった。

 

「私は天才なんかじゃなかった。凡人で、世間知らずで……女神様から授かった不相応の力を誇示してただけの……勘違いしていた、弱い馬鹿女だった。あんたの言ってた通りよ。私が、間違ってたの」


 それでも、何か言わないと。


「違う。違うよ、ミーア。それは全部、俺の事だ。俺だって、女神に与えられた力に振り回されて」


「嘘付き……あんたは振り回されてないじゃない」


「いや、本気なんだけど」


「だって、あんたは自分の意思で戦ってる」


 見上げて来たミーア。

 彼女は至近距離で、じっと俺の目を見つめる。


「確かに女神様は、あんたに道を強要しているかもしれない。でも……最後に決断しているのは、あんた自身でしょう? 勇者様に寝取られた幼馴染を諦めた事も、冒険者になった事も、周りに馬鹿にされても下積みを欠かさなかった事も……私を、助けに来てくれた事も。人間を裏切って、魔人との共存を目指すと決めた事も……私を、選んでくれた事も。全部全部、あんたは自分の意思で決めて来た。その何か一つでも違ったら、あんたは今……ここに居なかった。そうでしょう?」


 ……言われてみれば、そうだ。

 俺はこれまで、沢山の選択を迫られて来た。

 そして、自分で選んできたのだ。

 時には、敵対する者の命を奪ってでも。


「それに比べて私は……口だけで。私、私……」


 ミーアの声は、弱々しかった。

 それを聞いた俺は、何も言えなかった。

 何故なら、仮に。仮に俺が、彼女の立場だったと考えてみよう。


 もし俺に、目の前で血に濡れながら必死になって戦うミーアの役に立てる力がなかったとしたら?


 本当に俺がただの村人で、彼女が女神に選択を迫られる立場にあったとしたら?


 そんな彼女が、それでも俺と一緒に居たいと言い続けてくれていたとしたら?


 俺はきっと、早々に耐え切れなくなっていた。


「……大丈夫だよ、俺は」


 俺はミーアの髪を撫でて、そう言った。

 自分でも、酷い言葉だと分かっていながら。

 

「お前は、心配しなくて良い。俺は、お前がこうして傍に居てくれるだけで、充分救われてるから」


 相談しなければと考えていた、竜人との関係。

 俺の運命の話なんて、知った事じゃない。


 ただ、今の彼女にその話をする事は出来ないとは思いながら。

 自分でも酷い奴だと自覚しながら、それでも俺は続けた。


「言ったろ? 俺は剣士で、お前は弓士で。いつか一緒に冒険しようって。俺は剣士として、今は矢面に立たされてるだけだ。お前は本当によく俺を支えてくれているよ。それに俺達の旅は、まだまだ始まったばかりだろ? 焦るには、まだ早過ぎる」

 

「……でも、私」


「煩いな。女神様に何を言われても知るか。お前が選んだ男は、そんなに頼りないかよ? お前こそ、自分の意思で選択してここに居るはずだ。だから、これ以上らしくないこと言うなよ、ばか」


「あん……っ♡」


 華奢な腰を抱き寄せ、尻を撫でると甘い声を漏らす。そんなミーアの唇を問答無用で塞ぐと、彼女は諦めたらしく力を抜いた。


「ん……んん……はぁ……ぴちゃ……んっ……」


 舌を絡め合い、何度も何度も口付けを交わす。

 もう二度と、揺らがないように。

 暫くして、すっかり甘えた表情に変わった彼女を見つめる。


「まぁ、幾らお前が天才でも年の功には敵わないって事さ。一年後には、お前もこっちの言葉を覚えて不自由を感じなくなってるだろうし……そしたら、俺だって今よりずっとお前を頼るつもりだ。だから焦るなよ、ミーア。今出来る事を、一歩一歩。確実にやっていこう。一緒にさ」


「はぁ……ん……は、はぃ」


 髪を撫でると、ミーアはこくんと頷いた。

 昇り出した朝日を浴びた彼女は、可愛かった。

 薬で感情を失っていなければ、理性が吹き飛んでいたに違いない。


「よしよし、頑張ろうな」


 努めて優しい声音で言えば、ミーアは目を閉じて気持ち良さそうにしている。


 こいつ、女に生まれたのが嫌だと言っていた癖に甘え上手だよなぁ。


 実家では幼い頃から花嫁をさせられていたらしいが、本当……何で冒険者なんかに憧れたんだろう。


「本当に私は、あんたの重りになってない? 私のせいで無理させてない? 私が我儘なせいで、我慢させたりしてない……?」


「大丈夫。大丈夫だよ」


 まだ不安らしく、ミーアは弱々しい声を発する。

 そんな彼女を撫で続けていると……


「ホント? でも……あの赤い剣か、白い剣がないと困るんでしょ……? 勇者様や、あんたの幼馴染の剣聖……英雄達に対抗する為には、四天王の娘達から魔剣を譲り受けなきゃ、いけないんでしょ?」


 ……こいつ、勘が良過ぎるだろ。


 いや、そうか。

 勇者達が討ったメルティアの両親。

 赤き竜人と魔剣使いの話を、英雄譚好きのミーアが知らない訳がない。


「勇者様の聖剣や、剣聖の神剣はどんな物でも紙のように斬れる加護が宿っていると言われてるわ……でも、あの娘。メルティアの母親が持っていた魔剣は、剣聖と打ち合えたそうじゃない? あんたが持った瞬間に鞘から飛び出した白い剣は、その魔剣と同じなんでしょ?」


「……お前が心配する事じゃないよ」


「誤魔化さないで。私、ずっと考えてたの。ねぇ、シーナ。あんたまさか、女神様に言われたの? あの娘の守護者になれって。だからあんたは、あの剣が抜ける。そして……それを知ったもう一人の白い娘も、あんたを守護者にしようとしてる。違う?」

 

 こいつの勘の良さだけは、ホント嫌い。


 えっ……どうしよう、これ。ホントにやばい。

 まさか説明する訳にもいかないし。


 だって言えないだろ。

 竜の伴侶になって人間やめないと、殺される。

 そんな風に脅されてるなんて、言える訳がない。


「まさか、昨日のも。譲れない理由って、それ? あんた、その話を断る為に戦ったの……?」


「…………」


 仕方ない、寝たふりで誤魔化そう。


「ねぇ、答えなさいよ。ねぇっ。私、知ってるんだからね? あんた、残してた最後の魔法薬を飲んだでしょ? 折角治りかけてたのに……っ! 目を見れば分かるのよっ!? 絶対に飲まないって約束したじゃないっ! ねぇっ!!」


「ぐぅ……」


「っ! こ、こんのっ!!」


 腕の中で、ミーアがバタバタと暴れる。

 しかし意地でも離さない。

 離したら、何されるか分かったものじゃない。


「隠し事はなしって言ったの、あんたでしょ!? この馬鹿! 嘘付き! 噓付きぃぃぃいっ!!!」

 

 今のお前に相談出来るわけな、いだだだだっ!!

 あ、暴れんなよ。俺、怪我人なんだから……っ。


「……もう。怒るに、怒れないじゃない。ばか」


 痛みに顔を顰めた瞬間、ミーアは急に大人しくなった。

 ポスンと俺の胸を枕にして、彼女は呟く。


「……話す気になったら、話してよ。私、待ってるから……あんたが私の事、大事にしてくれてるの。ちゃんと分かってるから」


 ……ごめんな、ミーア。ちゃんと話すから。

 とりあえず、今日一日だけ。

 折角の休養日なんだから、休ませてくれ。


 色んなことが一気に起こり過ぎて、疲れたよ。


「……愛してるわ、シーナ」


 ちゅ、と。

 頬に口付けられて、俺は改めて腹を括った。


 ……あぁ、俺も愛してるよ、ミーア。

 だから俺は、人のまま示すよ。


 剣聖。

 俺は、わざわざ人外にならなくても……


 あんな泣き虫の裏切者には。

 あんな奴には、絶対に負けない。




 









 あとがき



 色んな県に出張中。


 現在大阪でホテル暮らしです。


 応援してください……。


 中々快適な環境なので、連投目指します。


 




 

 

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