第103話 勇者と宰相

「失礼しまーすっ!」


 王城の一室に有無を言わさず入室したのは、金髪赤目の美しい青年だった。


 笑顔の彼が腰に下げた金色の長剣は、王国民なら誰もが信仰する女神から授けられた聖剣。


 人類最強の英雄、勇者。


 それが、彼に課せられた使命であり呼び名だ。


 シスル・ロウ・ゼムブルグ。

 公爵家の長男で、正統後継者でもある。


「なっ……!? こ、これはこれは勇者様……!」


 そんな彼の突然の来訪に、執務室の主人は手元の書類から慌てて顔を上げた。


 最奥の執務机に座っていた老夫。

 王国の宰相ハレシオンである。


「やぁ、宰相殿。居てくれて助かったよ。お陰で、探す手間が省けたからね」


 ニコニコと満面の笑みを浮かべながら、勇者様は執務机へと近付いた。


 足を止めた彼は、途端に笑顔を宰相の傍。王城に勤める若い女従者に向ける。


 すると美人で魅惑的な身体付きの彼女は、途端にウットリと表情を綻ばせた。


「これから宰相殿と大切な話をするんだ」


「畏まりました。では、私は退出させて頂きます」


 御辞儀をして、侍女は執務室から出て行った。


 豪華な扉が閉まるのを見送って、シスルは改めて宰相に向き直る。


「あはは。相変わらず好きだね。彼女は先日まで、クレセン男爵家に仕えていたんでしょ? また金で引き抜いたんだ? その歳で愛人を囲うなんてね。いつか、本当に刺されるよ?」


「……税の支払いが滞った為に、期限付きで奉公に来て貰っているだけだ」


「言い訳は見苦しいよ? 僕を騙そうとしても無駄だって、最近また教えてあげたばかりでしょ?」


「…………」


「勿論、彼女についても調べてある。また僕に弱みを握られたね。彼女、結婚してるみたいだけど……その様子だと、もう随分楽しんだみたいじゃない」


「……要件を、聞かせて貰おう」


 渋い顔で声を絞り出した宰相に、シスルは笑みを消して見下ろした。冷酷な印象を与える赤い瞳は、民衆の信じる英雄。勇者の姿とはとても思えない。


「おい、クソジジイ……僕の親族に手を出すとは、相応の覚悟が出来てるんだろうな?」


 青年から放たれる凄まじい威圧感に、王国の頭脳とまで謳われた宰相の顔が青く染まる。唇が紫色に変色した老夫は、カタカタと震えた。


「し、親族……? いや……私は」


「なに、惚けるの? 僕に嘘は通用しないってば。これ以上、怒らせないで欲しいな……普段通りに、賢明な判断をしなよ。宰相殿?」


 腰の聖剣に手を掛け、赤い瞳を煌めかせる。


 そんな青年に気圧された宰相は酷く震えていた。


 幾ら社会的地位があっても、目の前の青年には、まるで意味を為さない。何故なら彼は、勇者。


 女神から選ばれた、真の代行者なのだから。


「君は僕の婚約者。ユキナの両親を異端者に仕立て上げ、騎士隊を差し向けたよね? あはは。立派に喧嘩売ってるじゃないか……ねぇ?」


 ゆっくりと聖剣を抜いた勇者は、その切先を宰相の眼前に突き出した。


「ほら、なんとか言いなよ……? いつもはウザいくらいに饒舌な癖に、黙りとは感心しないなぁ? 正直、凄く不愉快だ」


「……わ、私は。この国の未来を想って」


「未来! あはははははっ! 凄く面白いねぇ! 今を生きてる民を平気な顔で貶める君が、未来か。流石は王国の頭脳。冗談も得意みたいだね?」


 一頻り笑った青年は、目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。


 途端に真顔に戻った彼は、冷たい瞳で尋ねた。


「で? 他には?」


「………………」


「他には? 聞いてるでしょ。ほら……っ!」


 こうなると、もう観念するしかない。


 宰相は俯き、震えた声で呟いた。


「……すまない。私は、ユキナの両親を」


「はぁ? 誰を呼び捨てにしてるんだよ。舐めてるの? 平民出身だって見下してない? 侯爵令嬢で剣聖で、僕の婚約者なんだけど? 君なんかより、よっぽど価値がある訳。分かる?」


「くっ……すま、ない……私は、ユキナ様の両親」


「誠意が足りないよね? 声も小さいしさぁ」


 突き付けていた聖剣を引き、机上に腰掛ける。


 不遜な態度で、爽やかな笑みを浮かべた青年は、立てた左手の親指を下に向けた。


「あぁ……その重そうな頭、下げて良いよ?」


「っ……なに?」


「知ってるだろ? 僕は寛大なんだ。許すよ」


「く……ぐぅ……ぅぅぅっ!」


 宰相の地位に着いてから、陛下以外に下げた事のない頭を下げろと言われた。


 それも、自分の半分も生きていない若造にだ。


 当然の如く憤慨する宰相様だが、選択肢はない。


(この……っ! この……っ! 化物めぇっ!)


 歯を食い縛りながら、宰相は白髪頭を下げた。

 まるで、憤怒の色を浮かべた表情を隠す様に。


「申し訳、ありませんでした。私は剣聖ユキナ様の御両親を異端者に仕立て上げ……」


 机上に額を擦り付けた王国の頭脳様は、その滑稽な姿で恥辱に震えた声を絞り出した。


「あ、もう良いや」


 その途中。シスルは、あっさりと言って遮る。


 自分でやれと言った癖に、まるで興味を失った。そんな様子の声音に老夫が顔をあげると。


 金髪の青年は不満げな表情を浮かべていた。


「なんだ……君もその程度か。失望したよ」


「な……なに?」


「王国の頭脳と謳われる宰相様……期待したのに」


 身勝手な理由で失望される事に苛立つが、ここで感情の赴くままに怒鳴る訳にもいかない。


 何故なら、目の前の存在は女神に選ばれた勇者。


(……なんだと? そうかっ! やはり私の失脚を狙っていたか。全く、身勝手な。女神に選ばれただけの若造が……っ! こ、こんな若造に舐められて何も出来んなど、間違っている……!)


 不興を買えば、幾ら自分でも容易に排除出来る。


(認めん……認めんぞ、私は!)


 その存在の大きさを改めて実感しながら、


「もう良いや。さて、改めて本題に入ろうか?」


 宰相は、青年の手によって眼前に突き出された羊皮紙を見つめる。


(最初から全て……こいつの掌の上だったなど!)


 そこに記載されているのは、とある少年の名前。


 辺境の冒険者ギルドに申請された。

 一人の冒険者の訃報を知らせる文章が綴られている書類だった。


「君のせいで、ユキナの幼馴染が死んだ。どう責任を取るつもりなんだい?」


「な、なに? 私のせいだと? なにを言って」


 やはりかと思いながら、弁明をして見せる宰相。今朝出勤してすぐ。既に確認済みだったその書類は、彼にとって非常に拙いものだった。


 故に彼は、他の予定を全て後日に回した。

 この部屋に籠もって詳しい事実確認を急ぐ傍ら、各所に手を回す算段を考えていたのだ。


 責任を追及される事は予め分かっていた。


 だが、まさか……。

 最重視していた標的が命を落とは、夢にも思っていなかったのだ。


 勇者は微笑みを浮かべ、宰相の言葉を遮った。


「だってそうだろ? 君が差し向けた小隊は、帰還期日から既に三日も経っているのに戻っていない」


「……あの小隊は、学生ばかりで構成されている」


「だから? まだ学生ばかりとは言え、あの最優。ドラルーグ騎士長が率いている部隊だ。僅かでも遅れるなら、早馬くらいは送って来る筈さ」


「彼も老いた。途中、体調を崩したのかもしれん」


「良い加減……自分の非を認めたらぁ? もう君は終わりなんだよ。ゼオシオン閣下」


 馬鹿にしたように言って。

 腹黒金髪勇者は、赤い瞳を鋭く細めた。


「どんな理由があっても、君の命で最優とユキナの幼馴染。二つの貴重な原典所持者が失われたんだ。この事を教会が知ったら、どうなるだろうねぇ?」


 ピラピラと羊皮紙を振りながら、勇者は続ける。


「おまけに大勢の将来有望な御子息まで失ってさ。この書類を僕が適切に処理したら、大変な事になるんじゃないのかなー?」


 女神エリナの使徒。その筆頭。


 勇者の仕事内容には、協会関係も含まれる。


 女神に使える教会は国の管轄ではあるが、運営に口を出せるものではない。女神の意思を尊重する。そんな神官達を敵に回せば、当然。幾ら宰相様でも異端者に早変わりだ。


「……何が望みだ」


「望み? あはは、やめてくれよ。僕は君とは……いや、君達とは違う。僕はただ、許せないだけさ。どんな理由があっても、君は僕の大切な女性であり婚約者。剣聖ユキナを騙して、傷付けたんだ」


 それは貴様も同じだろうと、喉まで出る宰相に。


 名実共に銀髪美少女の婚約者は言い放つ。


「僕を敵に回すには、十分過ぎる理由だね」


 あまりに苦し過ぎる状況。

 もう足掻く気力を失って、宰相は目を逸らした。


 唇を噛んだ彼は、それでも必死に頭を回して。


「違う……私は、ユキナ様のご両親を守る為に」


「僕に嘘は通用しないってば。いつになったら学習出来るのかな?」


 手を伸ばして皺だらけの下顎を掴んだ勇者様は、宰相の弱り切った目を剣呑な眼光を放つ自分の目と無理矢理合わさせた。


「僕には女神様から授かった嘘を見抜く力がある。それに加え……実は昨日。僕が私的に放った斥候が帰って来てね」


「え……なっ! き、貴様……!」


 世界で最も美しいと言われる青年。

 その顔を間近に見ながら、宰相の顔は赤くなる。


「やはり最初から……っ!」


 嫌な予感が、遺憾な事に的中した事を悟って。


「良かったね。ユキナの故郷は燃やされていたよ。勿論、住人達の姿はなかった。全て君の思惑通り。流石は最優の騎士だね。任務は完遂してたよ」


「黙れ! 貴様、こうなる事が分かっていたな!」


 宰相は声を荒げ、執務机を激しく叩いた。

 ふーふー、と息を荒くする様は、実に滑稽だ。


(所詮、王国の頭脳様も化け狸に過ぎなかったか)


 大層な肩書を持つ男。

 その化けの皮が剥がれた事に、勇者様はクスクスと笑った。


 かつて宰相の挙げた功績は輝かしい物が多いが、シスルに言わせれば凡人が少し頑張っただけ。


 この老害がやった事なんて、大した事はない。


「だって当たり前だろ。君だって知っていた筈さ。ユキナがここに来た頃から、ずっと彼女が自慢げに語っていた、幼馴染の存在をね」


「あ、あんな戯言は、気に留める価値などないと思うに決まっている! まさか本当だとは……それも原典の所有者など、思うはずがないだろうっ!」


「その彼に牙を剥いたのは君だろう? 馬鹿だな」


「貴様が言うな! あの少年が祖国に不信を抱いた原因は……っ!」


「君が。いや、君達がユキナを騙したからだろう」


 やれやれ、と肩を竦めて見せる。


 そんな勇者の姿を見て、宰相の怒りは更に激しさを増した。確かに勇者の伴侶となる事が剣聖の義務だと教え、村娘のユキナを傀儡とする事を企てた。


 そんな宰相ではあるが、


「僕は別に頼んだ覚えはないよ? ただ僕は、自ら抱いて欲しいと懇願して来たユキナを受け入れた。変な言いがかりを付けるのはやめて欲しいね」


 実際に手を出し、絶世の美少女と名高いユキナの身体を今も尚。散々独り占めにして楽しんでいる。


 そんな男に偉そうに言われては、激昂もする。


「ふざけるな! 貴様の事だ。どうせ元より、全て理解した上での事だろう! 好き勝手しおって! 幾ら勇者と言えど許されんぞっ! 責任を取って、此度の件の火消しくらいは手伝うのが筋だろう!」


「好き勝手? おいおい……言ってくれるな」


 聖剣を握る手に力が篭った。


 剣呑な雰囲気を纏った金髪の青年は、冷酷な瞳で老害を睨み付ける。


「僕がいつ君達が得意な豚の物真似をしたんだ? あまり人間様を怒らせるなよ、豚野郎。晩餐の卓に並べるぞ?」


「く……っ! ぐぅぅうっ!!!」


 人類最強から放たれる殺気と罵声。

 堪らず宰相は悔しげに表情を歪ませた。


 勇者シスルに反論する事は出来なかった。


 この数年、何とか弱みを握ろうと画策を続けた。そんな宰相様だが、全く成果は出ていない。寧ろ、眼前の青年の素行は清廉潔白そのものだった。


 正に民が求める理想の英雄。勇者様なのだ。


 唯一出てくる埃は、剣聖との交友関係のみ。


 婚前の娘を寝所に誘う。

 貴族としては品性を疑われて然るべき行為だが、元はと言えば自分の撒いた種である。


「ほら……汚い声で鳴いてないで言い返せよ。僕を退けて見せろ。君は、僕の婚約者を騙して泣かせ、親を奪ったんだ。どう責任を取るんだよ?」


(クソ……認めん! 私は、認めんぞ!? こんな若造にコケにされたまま終わるなど、認めない)


 現在は正式な婚約関係にもある二人だ。

 今更言及したところで、何の意味もないだろう。


 かと言って、このまま黙っていられない。


(このまま、私の悪事を暴いた功績で……っ!?)


 この腹黒のことだ。

 自分の失脚すら糧にして更なる躍進を遂げる。


 恐らくそう考えているに違いないと思った瞬間、宰相は全てを理解した。


「……そうか。貴様、あの少年を誘導したな?」


 ポツリと漏らした瞬間だった。


 金色の髪の青年は、口角を少し上げたのだ。


「お陰で、僕は最大の楽しみを失ったよ」


「やはりか……っ! クソ……クソォ……ッ!」


 やられた、と宰相は机上に崩れ落ちた。


「あっそうそう。一緒に、ミーア・クリスティカも亡くなったって? あーあ、クリスティカ子爵家も敵に回すなんてさー。あそこの商会には僕等も相当お世話になってるのに……ねぇ、聞いてる?」


 追及しても無駄な事は理解していた。


 何故なら勇者がやったのは、少年の里帰りを補助した程度なのだろうと分かってしまったからだ。


 どれ程手を回しても、意味がない。

 目の前の青年は幾らでも言い逃れ出来るのだ。


「全く……ふふふっ。勝負あったね? 宰相閣下」


 シスルは机上に伏せた宰相の髪を掴んだ。


 そうして頭を持ち上げると、歪んだ表情の老害を見つめて。


「君には最後に働いて貰う。折角騙した国民達に、君の口から真実を言うんだ。村人の両親は本物で、君は私腹を肥やすために全てを焼き払った極悪人。そして、剣聖ユキナは自ら、その悪行を暴いたって筋書きさ。中々感動的な脚本だろ?」


「……っ! そうか。その為に私を泳がせて!」


「うん。だって君、ムカつくんだもん。最後くらい僕の……いや、人類の役に立てよ。良かったね? 君は望んだ通り、未来永劫語り継がれる存在だよ。女神様すら恐れる偉業を成し遂げたのさ! 君は。剣聖を騙して親を殺した……世界最高の愚か者だ」


 シスルは握った髪を無造作に押し投げ、椅子ごと床に倒れ込んだ宰相の無様な姿に嘲笑を贈った。


「じゃあね、王国の頭脳さん。とんだ期待外れで、残念だったよ。君の後任は既に決めてあるからさ。安心して、僕の嫁の良い踏み台になってくれよ」


 勇者は踵を返し、ひらひらと手を振って去った。


「ぐ……うぅ……ぐぅぅ!!」


 扉が閉まる音を聞いた宰相は、のろのろと起き上がって叫ぶ。それは、激しい怨嗟の声だった。


「ふざけるな……っ! ふざけるなよぉーっ!? なにが後任だ! 勇者だ!! 私以外に、この国の宰相が勤まるものかっ!」


 宰相が叫ぶ先。

 閉じた執務室の扉から、返答する者は現れない。








 自分の執務室に戻る最中、勇者は呟いた。


「結局、一度も喧嘩すら出来なかったか」


 最西端の小さな辺境の村で出会った白髪の少年。


「君には少しだけ、期待したんだけどなぁ……」

 

 彼が見せた、暗い瞳。その奥に確かに揺らめいていた。激しく美しい憎悪の灯を思い出しながら、


「安心して、眠りなよ。ユキナは僕に任せてさ」


 今日からは、彼の愛した少女。

 美しい婚約者との付き合い方を少し考え直そう。


(君も結局、負け犬だったんだね。シーナくん)


 そう思った。










 割と勇者書くの楽しかった。


 僕は心が綺麗だからかもしれない。



 

 今回は全返信しますー


 


 

 


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