第102話 賢者の苦悩

(うわぁ……終わらない。終わらないわ……)


 賢者ルナは、王城の執務室で仕事をしていた。


 休暇中の勇者一行ではあるが、処理しなければならない書類は山のようにある。


 正直、何故自分がと思うような文面も多い。

 だが、そういった物も目を通して印を押し、処理しなければ小言を言われてしまうのだ。


 文句を言いたいところだが、言えない。


 何故なら……王城の一室に与えられた執務室には毎日。朝から晩まで仕事をしている者がいる。


 英雄達の中で唯一の男性。勇者シスルだ。


 女神に力を与えられた英雄の筆頭。彼が率先して仕事をしていれば、愚痴なんて溢せる訳もない。


 結果、心労は溜まる一方だった。


(ぐぅぅ……性格はアレな癖に真面目過ぎでしょ。なんで休みの日まで、こいつの顔見なきゃいけないのよ……っ!)


 一応、賢者ルナと勇者シスルは婚約関係にある。


 だが、ルナは彼を個人的に嫌っていた。


 そんな相手と二人きりの室内。机の上には、終わりの見えない書類の山……本来は休暇中という状況を考えれば、ルナの感じる苦痛も一入だ。


 女神に力を与えられた英雄。最強の男。


 金色の髪と宝石の様な赤い瞳。背も高く細身の彼は、脱げば意外と筋肉質である。


 まるで理想の男性の条件を書き出して、国一番の絵描きが精魂込めて書いた。


 そんな、冗談みたいな完璧な存在が実在する。


 世の女性達が見れば、垂涎する程に羨ましい状況なのだろうが……


(ユキナ、ルキア……なんで今日は二人とも来てないのよ。あああ、イライラするぅぅぅう!!!)


 彼女の胸中は、ご覧の通り。荒れまくっていた。


(今夜は、ロセルが屋敷に来てくれる日なのに! これじゃあ帰り辛いじゃないっ! お願い、二人共来てよっ! お願いだからー!)


 泣きたいのを堪えながら、ルナは黙々と書類に印を押していく。今朝に登城した時は、数日前に届いた手紙に上機嫌だった彼女である。


(こんな事なら、来るんじゃなかった……っ!)


 今夜から明日の夕刻まで、来客の予定がある。


 気兼ねなく楽しい時間を過ごしたい。そう考え、残っている仕事を少しでも片付けておこうと奮起して、早朝から馬車に乗り込んだ。


(なんなの!? 私だって頑張ってるのに……! 女神様エリナ様って、実は私の事が嫌いなの!?)


 その結果が、この悲惨な現状だった。


 執務室内は、実に絵になる光景だ。


 真剣な表情で書類に向かう金髪美青年と、表情が死んだ紫髪の美女。きっと女神様は今頃。この二人の組み合わせを見て、大層ご満悦な事だろう。


「ん……? これは……へぇ?」


 不意にそんな呟きが聞こえて。


 ルナが顔を上げて見れば、勇者シスルは黒い笑みを浮かべていた。


(うわぁ……今度は何? またユキナ絡みかしら。あぁ……そろそろ結果が分かる頃合いね)


 彼女の二年近い付き合いからなる経験から、この青年が端正な顔を歪めている時は、いつも碌な事を考えていない。


 彼は優秀で容姿も素晴らしいが、性格に致命的な欠陥を抱えている。それがどうにも容認出来ずに、ルナは彼を鬼畜で最低な男と断定していた。


 更に言えば、今回は思い当たる節がある。


(ユキナの故郷と両親……無事かしら? こいつ、余計な根回ししてたみたいだし……彼。上手くやってくれてると良いけれど)


 ルナが胸中に思い浮かべるのは、もう半年も前。王国最西端に現れた赤髪の四天王の軍勢を討滅後に訪れた、小さな村での記憶だった。


 彼女と同じ女神に力を与えられた英雄の一人。


 剣聖と呼ばれる女の子の故郷で出会った、白髪の男の子。彼は自分達には及ばないが、十分特別な力を与えられた存在だ。


 容姿も目を見張る程に優れていて、白髪に青眼の中性的な顔立ち。僅かに見せた所作は、到底村人とは思えない気品に溢れたものだった。


 名を、シーナ。今では剣聖の幼馴染として、一躍時の人となっている少年である。


 彼の扱いに関しては、各所で騒ぎになっている。


 上層部では既に、早期保護が決定。


 いずれ、この王都に連れられて来る予定だ。


 理由に関しては、彼の持つ権能が全ての剣士異能を操る剣聖ですら習得出来ない唯一無二である事。


 更に、最近。その力を使ってあげた武功が、非常に目を見張るものであった為だ。


 信じ難い事に、辺境の村で生まれた村人の彼は、たった一人の仲間を連れて数十の犯罪者達を斬殺。


 その中には、かつて武闘派で名を馳せた輝かしい経歴を持つ騎士の名もあったのだから驚きだ。


 彼が成人の儀を迎えた際。偶然、その場に剣聖が現れなければ、今頃。貴族の養子として迎えられ、王都の学院に通っていたに違いない。


 実際。彼の獲得を熱望している貴族の声は多い。


 何故か自分達の所まで、仲を取り持って欲しいと申請して来る馬鹿も、一定数存在している。


(最近のユキナってば、まるで姉気取りなのよね。あの娘、自分が捨てられたって自覚ないのかしら)


 お陰で、そんな打診書を読んでいる時の剣聖様は一目で分かるようになったルナだった。


『子爵家……駄目……こっちは……駄目……』


 彼女は、自分の侯爵家と言う家格との釣り合いを気にしていた。


 どうあっても互いに敬語で話さないで済む様にと奮闘している姿は滑稽過ぎて、初めて見た時は弓帝と二人で吹き出したものだ。


「少し出て来るよ、ルナ。戻るのは昼過ぎになる。君を一人にするのは心苦しいけど、許してね」


(え? やった! とっとと行け、ばぁーかっ! 二度と帰って来るなっ!)


「あら……そうなのですか? 本日は久々に、二人だけで昼食が出来ると楽しみにしていましたのに」


 席を立った勇者が苦笑しているのを見て、内心。大喜びのルナだった。昼になったら帰宅しようと、今後の予定が決まった瞬間だ。


「あはは、そうなの? ごめん。なら、休みの間に一度。お茶に誘うよ。それで許してくれない?」


(へ? はぁっ!? 余計なこと言っちゃった!)


「まぁ……っ! お気遣い、有難う御座いますっ。ご招待を心待ちにしておりますわ」


 口元に手を添えて隠し、喜んで見せる。


 しかし、手で隠した口では歯を食い縛っていた。


 数秒前の不用意な発言を悔い、時間を巻き戻せる魔法があったなら、過去の自分を殴ってでも黙らせたいと切に願う。


「じゃあ僕は行くよ。もし急用が出来て帰るなら、鍵は閉めておいてね」


 絶対に施錠するので、鍵を忘れなくて良かったと思いながら、ルナは上品に手を振った。


「はい、畏まりました。では、また後程……」


 パタン、と扉が閉まってから……数秒後。


 笑顔で手を振り続けていたルナは、頭を抱えて机に伏せた。


「私って、ホント馬鹿……!」


(なんで、お友達とすら楽しめなくなった茶会を、よりによってあいつとしなきゃいけないのよっ! 二人きり? 二人きりよねっ!? あぁ……遂に、私も貞操の危機だわ……っ!!)


 やると言ったら絶対にやる男からの誘いに絶望を覚え、ルナは髪を掻き毟りたい衝動に駆られた。


 しかし、そんな事をすれば後が大変だ。


 理性で感情を抑え込んで、スッと。無表情の顔を上げたルナは、ボソリと呟く。


「絶対、ユキナは連れて行きましょう……」


 勇者にだけは抱かれたくないルナは、普段通り。彼の性処理担当を同伴する事に決めた。


 流石に婚前の貴族令嬢に手を出す事はないと信じたいが、あの男はそれが許される大義名分を多分に持ち合わせている。


 何より、既に婚約関係にある以上……多少強引な手段を取られても、最後は泣き寝入りする他ない。


「はぁ……落ち込んでる暇、ないわね」


(……昼までに出来るだけやらないと)


 黙々と書類に向かい直し、目を通して行く。


(もういっそ、今夜……ロセルにお願いして……)


 コンコン。


 自暴自棄になって、妄想に耽ろうとしていた時。執務室の扉が二度叩かれた。


「どうぞ」


 入室を許すと、入って来たのは銀髪の美少女。

 青いドレスを身に纏った、剣聖の姿があった。


「失礼致します……え? ルナ様だけですか?」


「あら、ユキナじゃない。私だけよ? あ……! もしかして、侍女とか居る?」


「いえ、私だけです」


「そう? 良かったわ。早く扉、閉めなさいよ」


「あっ! はい」


 扉を閉めた途端、ユキナは嬉しそうに微笑んだ。


「良かった……ルナだけなんだ」


「勇者様なら、さっき出て行ったわよ。昼過ぎまで戻らないらしいわ」


「ほんと? よし……! な、なら……! ルナ。私……実は、ルナにお願いがあって……!」


「なにかしら?」


 書類に目を落としながら適当に尋ね、暫く。


 中々話し出さないユキナに疑問を持ったルナは、顔を上げた途端に後悔した。


(うわぁ……なに、その態度。困るんだけど?)


 言い辛そうに目線を彷徨わせている姿を見て、 その相談が面倒な内容だと察したからだ。


「言っておくけど。今日は、この後予定があるの。付き合えないわよ?」


「あ……うん。今日は多分、無理なんだけど……」


「明日も無理よ。付き合えないわ」

 

 扉の前に立つのは、薄幸の美少女。


 そんな剣聖に、自分まで不幸にされては堪らない賢者様は必死だった。


 この一年半で既に何度も抱かれているのだから、良い加減諦めて幸せを感じれば良いのに。


 最近のルナは、そう常々思っている位だ。


『なんでも勇者の言う通りになってたら、本当に一生自由ないわよ?剣聖さん。ま、あんたにはそれがお似合いかもしれないけどね。おにんぎょーさん』


 半年前。一度は完全に堕ちていた彼女に、余計な助言をしたと後悔すら感じている。他人の心配より自分の心配だと、思い知らされた賢者様だ。


「あの……実は、私……。宰相様に、聞きたい事があってね?」


 ほぉら、面倒な話だったと。ルナは顔を顰める。


(……もしかして、気付いたのかしら?)


 既にルナは宰相の思惑を知っていた。

 何故なら、直接聞いたからだ。


 それは、国王の誕生日を祝う式典の最中。


 自分の真の両親は今の侯爵家であり、辺境の村の夫妻は過去。赤子だった自分を攫って育てた。 


 現在は、剣聖の両親を平然と騙る異端者だ。


 そんな狂言を涙ながらに語って見せたユキナに、違和感を覚えた勇者に連れられて。


(全く……あのクズめ。何が王国の頭脳よ。聞いて呆れるわ)


 そして知ったのは、決して。本人に知られる訳にはいかない下卑た話。


 当時は酷く苛立ち、呆れ返ったルナだが……今の剣聖が使いものにならなくなって困るのは自分だ。


(せめてユキナの知らない騎士なら良かったのに)


 とは言え、表立って直接排除する訳にもいかない存在が矢面に立っている為、静観する他ない。


 最優と呼ばれる老騎士は、ユキナの剣の師。


 狡猾な宰相には、改めて呆れる賢者様だ。


(本当に頼んだわよ……? この娘の尻拭い、得意なんでしょう?)


 今は、剣聖の幼馴染。あの白髪の少年が、上手く対処した事を祈るしかない現状なのだ。


 流石に全員斬り殺され、村人達に唾まで吐かれ、仲良く土に還っているとは思いもしない賢者様だ。


「実は、私……昨晩ね? 女神様に会ったの」


「……は?」


 と、見つめながら思慮していた相手。

 ユキナの口にした言葉に、ルナは驚愕した。


「嘘じゃないよ? 夢に出て来たの……」


「……マジ?」


「……うん」


「抱擁は? 抱擁は、受けたの……?」


 ルナは、自分の声が震えている事に気付いた。


 当然だ。英雄の力を与えた張本人に会ったと言われれば、流石に驚きを隠せない。


 それも、自分達の中で一番最後に選ばれた歳下の少女。見下していたすらいた相手から言われれば、焦る気持ちもある。


 女神に会って、抱擁を受ける。

 それは、今のルナにとって最も重要な話だった。


「私もお願いしたけど、駄目だって言われたの……まだ、その時じゃないって」


「そ、そうなの……? それは、残念だったわね」


(良かった……ユキナに先を越されたかと……! でも、気になるわね。その時じゃないって、何? なにか特別な条件があるのかしら……?)


 心からの安堵を覚えたルナは、考える。


 女神の抱擁。昔の文献通りなら、それを受ければ奇跡の一つ。魔法を祈らずとも使えるようになる。


 そうすれば、今は言いなりになるしかない勇者の束縛からも脱せるかもしれない。自分だけが抱擁を受けて優位に立ち、今の窮屈な現状を覆す。


 それが、今。ルナが切実に願っている事だった。


「他には? 他には、何か言ってなかった?」


 ルナが急かすと、ユキナは驚いた表情を見せた。


 銀髪の剣聖は気まずそうに目線を彷徨わせ、指を絡めて落ち着きのない仕草を見せる。


 まさか自分の剣幕に気圧されているとは思わないルナは、苛立ちを覚えながらも静かに待った。


「……私が知りたい事を、宰相様に問い詰めろって言ってた。ルナを連れて、私達の持つ騙り事を許さない権能を使って聞きなさいって」


「……おー、まい……がっ」


 それを聞いて、これはどうやら本当らしいと悟ったルナは、思わず声を漏らした。


(どーすんのよ……っ! え? しかも名指し? まさか女神様が、ユキナを見ていたなんて……! 拙いわ……あのクソ勇者。どうするのよ本当に!)


 まさか、この人形から。その少し考えれば分かる発想が出てくるとは思わなかったのだ。


 恐らく、今の現状に腹を立てた女神が助言をしたに違いない。流石にやり過ぎたのだと、賢者は頭を抱えたくなった。


(拙いわ……遂に始まるのね、ユキナの逆襲が! いえ、冷静になりなさいよ私。相手は、あのユキナなのよ? 上手く手綱を握れれば大丈夫。寧ろ……これはチャンスだわ。ここで上手くユキナを救えれば、女神様はきっと。私の所にも来てくださる! そしたら、抱擁だって受けられるかもっ! そう、大丈夫……大丈夫よ、私!)


 戦慄を覚えたルナは、口内が急速に乾いていくのを感じながら尋ねた。


「そ、そう……? それで、具体的には……いつ、聞きにいくのかしら?」


「……え? 手伝って、くれるの?」


「勿論よ? だって、女神様に言われたのよね? なら、断る訳がないじゃない……?」


 ルナの頭の中は、今まで騙されていた剣聖が真実を知った時。一体、どうなってしまうのかと心配で埋め尽くされていた。


 流石に、今まで通りとはいかないだろう。


(勇者の体液を得ないと、私達は使える権能が増えないって……あの嘘だけは、このままの方が良いと思ってたのに! まさか気付いてないわよねぇ? このまま知らないままの方が幸せよ? ユキナ!)


 動揺しながら、ルナは暗い顔の剣聖を見つめる。


 既にユキナは引き返せない所まで来ているのだ。


 毎晩のように勇者に抱かれ、強くなる為にと信じ我慢を続けて来た。そんな彼女が壊れてしまう様を見るのは、流石に気が引ける。


(もう彼は、あんたの元には戻って来ないのよ?)


 今更知った所で、ユキナが幸せになる事はない。


 何故なら、あの少年は既に知っているはずだ。


 ユキナが愛し、自慢し続けた幼馴染。

 彼は二度と、彼女の元には戻らないだろう。


 村で見た美少年。

 あの時……彼が、ユキナに向けた冷酷な表情が、思わず脳裏を過ぎる。


(ミーア・クリスティカ……だったかしら。あぁ、どうしよう……ユキナが壊れちゃう)


 既に、他の少女を救う為に命懸けで戦った報告も上がってしまっている。


 今更足掻いた所で、全て終わった後なのだ。


「ありがとう。私、宰相様に面会申請をするね? 日時が決まったら、教えるから……っ!」


「……へ?」


「良かったぁ。ルナに断られたら、どうしようって不安だったのっ! ありがとうっ!」


(あ、これ大丈夫そう……全然駄目だわ、この娘)


 杞憂していたルナだったが……想像以上に駄目なユキナの様子に冷静になった。


 まさかの正しい手続きを踏む姿勢である。


「そう……分かったわ。決まったら教えて頂戴」


「うんっ! 宜しくね、ルナ!」


 恐らく、面会が叶うのは数日以上は先になる筈。


 なんとも締まらない結末に、嘆息して。

 ルナは書類の山に向き直った。


(それまでに……彼を手元に呼んで置きたいわね。もう、なり振り構ってられないわ)


 一応、もしもの保険は掛けようと考えて。

 新しい羊皮紙と筆を取ったルナは、手紙を書く。


 宛先は、最西端の街。セリーヌ冒険者ギルド。









 大人気ヒロインの二人の回です。


 暫く、勇者達の話をやります。


 






 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る