第97話 婚約の戦艦

 夜闇の中。竜姫に抱えられての空の旅は、筆舌に尽くし難い程に酷かった。


「ふひひ……ふひひひひ……っ」


 上機嫌なのは良いが、自分の命を預けている竜姫メルティアは終始こんな感じで、怖いなんてものじゃない。


 お陰で他の事を考えずに済んだが、


「だから何故、メルティアがシーナで私がシラユキなのですかっ!!」


「ゼロリア様! 痛いです! 腕が痛いですっ!」


 こんな大騒ぎを聞きながら、地を離れた足元を見ている時間は本当に苦痛だった。


 まるで吸い込まれそうな闇の中。落ちた時の対応ばかりを考えながら……数時間後。


「俺は寝る。話の続きは、また明日な」


「へ? あっ……ま、待つのじゃ、シーナ! 今夜は一緒に……っ!」


 紅の戦艦が停泊する港町に戻ってきた俺は、甲板に着陸したと同時に解散を言い渡して。


「俺は眠い。あと、これは返す。またな!」


「えっ!? シーナ、待つのです!」


 竜姫の宝剣を持ち主に押し付け、三人の美少女達の制止を押し切って駆け出した。


 なにが女神の定めた運命の相手だ。


 俺には、自ら選んだ女がいる。

 幾ら疲れて果て、幾ら遠かろうと。俺には、帰るべき場所があるのだ。


 戦艦の通路内を駆け、自室に向かう。

 すると、見知った大柄な男が立っていた。


「む? 驚いたな……こんな時間に帰って来たか」


「ガイラーク! どうだ、何もなかったか?」


「あぁ、なかった。その様子だと、そちらは上手く行ったようだな」


「お陰様でな。こんな時間まで御苦労だった。本当にありがとう」


 不寝番をしてくれていたガイラークを労う。

 熊人族の彼は、俺が信頼出来る数少ない存在だ。


「いずれ、何か礼をする。遠慮なく言ってくれ」


「構わない。これが俺の仕事だ。今戻ったのなら、シラユキも疲れているだろう。このまま……」


「シーナ?」


 居室の扉が開き、中からミーアが顔を出した。


 黒革の外套を羽織り、武装状態の彼女を見て……やっと緊張の糸が、ぷつりと切れた気がする。


 無理を押してでも、帰って来た理由……。

 何事もなく、無事で良かった。


「ガイラーク。今夜はもう良い……休め」


 顔を見上げて、そう言えば……ガイラークは俺達を交互に見て。


「……二度も邪魔をする訳にはいかないな」


 踵を返し、大きな背を見せながら去って行った。


 その背が見えなくなるまで見送って、出迎えに出て来てくれたミーアへ振り返る。


「ただいま」


「……うん。お帰りなさい」


 もうすぐ日の出だと言うのに、目の下に隈まで作って待っていてくれた。


 声が聞こえた途端、飛び出して来たのは……。

 武装しているのは、彼女が不安だった証だ。


 そんな健気で可愛い彼女を俺は抱き締め、耳元で囁く。


「ちょっと暴れて来たからさ。眠いだろうけど……久々に慰めてくれないか?」


「……そう」


 すると彼女は、恥ずかしそうに身動ぎをしながら頷いてくれて。


 すりすりと、胸に頬擦りをした後……。


「もう遅いから、あまり激しいのは駄目よ?」


 顔を見上げてきて、潤んだ瞳で見つめてくれて。

 そのまま抱き合っていると……数秒後。


 そっと、目を伏せながら囁いてくれるのだ。


「私……声、大きいから……恥ずかしいもの……」


 ……あぁ、あああああっ! 


 もう無理だ! 無理無理無理だぁ!

 俺の彼女、本当に可愛いっ!


 誰が運命の女の子だって?

 ここに居るだろ! 可愛い可愛いミーアがよ!


 幾ら綺麗な竜姫様でも、こいつには敵わねーよ!


 帰って来て、良かったぁ……っ!


「ミーア……っ!」


 強く強く、腕の中の彼女を抱き締める。


 暫くそうして、腕の力を緩めれば……ミーアは俺に蕩け切った表情を晒してくれた。


「シーナ……♡」


 凄く期待した目で見つめてくれる。


 そんな彼女の願いを、俺は叶える他ない。


「んっ……はぁぅ……んちゅ……はぁ……んん」


 唇を重ね、壁に押し付け、逃げ場を無くした彼女に刻み付ける。


 お前は、俺の女なのだと。








 窓から差し込む朝日が、白い肌を照らしている。


「んんぅ……んふふ……へへへぇ……♡」


 明け方まで甘い大声を響かせ続けた彼女は、俺の腕の中で嬉しそうに自分の腹を撫でていた。


「好き……もう、本当に好き……好き、好き……」


 そうしながら、遠慮なく甘えてくるのだから……もう、可愛くて仕方がない。


 数時間前。不安と寂しさで揺れていた彼女の姿は、そこにはなかった。


「今まで、待たせて悪かったな」


 何故なら、その時の瞳を見て……。

 俺は、遂に決心が付いたからだ。


 汗に濡れ。朝日で艶やかに輝く髪を撫でながら、俺は既に取った言質を盾に迫る。


「恋人は今日で終わりだ。もう逃さないぞ」


「うん……」


「お前は俺の女だ。英雄でも、冒険者でもない……しっかり尽くせ」


「はい……っ」


 似合わない台詞を吐いてみるが、ミーアは感極まった表情で俺を見つめている。


 こいつ……可愛いなー、もう!


 今なら、あのクソ野郎の気持ちも少しは分かる。

 従順な女の子、凄く良い。


 だが、俺はあんなクズにはなりたくない。


 既にミーアには、その心身だけではなく。

 外套、剣、馬など……高価な品ばかりを貢がれてしまっている。


 これでは、あのクズとやっている事が同じになってしまう。


「代わりに、俺はお前を生涯大切にすると誓うよ。勿論、お前が産んでくれる子供もだ」


 あのクズは女を物か何かと勘違いしていたが、俺がミーア……伴侶に求めるのは対等な関係だ。


 まずは、それを改めて認識し戒めなければ。


「なにか不満があれば、絶対に遠慮はするなよ? 困った事があれば、何でも相談しろ。俺達は夫婦になるんだから、互いに隠し事はなしで……」


「は? それ、全部あなたのことじゃない」


 ……あれぇ?


「私はこれまで、あなたに遠慮した事ないわよ? 大丈夫? 自分で吐いた唾で、顔がビシャビシャになっているけれど?」


 甘い空気は何処へやら、

 ミーアは、心底呆れた表情になった。


 ……言われてみれば。


 困り事があっても相談せず、隠し事をする。


 そんな愚か者は……俺だな? 


 対してミーアは、本当に遠慮を知らない。

 どんな過酷な状況でも、俺を信じて助けを求め続けるくらいだ。


 ……あれ?


「どうしたの? 今更そんな畏って……らしくない事言って格好付けるのは良いけど、どんどん自分で自分の首を絞めてるわよ?」


「……今の、無かった事にならない?」


「ならないわね」


「そっかー」


 ならないなら、仕方ない。


「さぁ、吐きなさい」


 自分で吐いた唾は飲み込めず……。


 俺は観念して、昨晩の出来事。

 赤竜姫様の婚約者、レオという白虎の話をした。


「ふぅん? 信じられないくらいのクズね」


 そう吐き捨てて、ミーアは真剣な顔で俺をじっと見つめた。


「大丈夫よ、あなたは全然違うから。なんでも自分に当て嵌めて、悪いところを探すのは悪い癖よ?」


 そうは言ってもな……。


 実際、ミーアに俺がした事。させた事って、あの男と大差ないように感じるんだよなぁ。


 寧ろ、英雄に憧れた彼女が母国を裏切り、死んだ事になった。

 反逆者の咎を背負わせてしまった分……俺の方が数倍酷いのではないだろうか。


 全ての人間を敵に回して、安全とは言い難い敵地に亡命したんだぞ?


 本当に分かってるのかな……。


「でも俺、お前には本当に苦労を掛けてばかりで」


「その分、凄く大切にしてくれてるわ。私がどんな我儘を言っても聞いてくれるし……夜中でも帰って来てくれる。これ以上は望めないわよ」


「そんなの当たり前だろ?」


「そのクズは、その当たり前が出来なかったのよ」


 腕枕から頭を寄せて来たミーアは、胸の中に飛び込んで甘えてきた。


 肌と肌が擦れ合う感触は、本当に気持ちが良い。


「……あなたは、女に生まれた事を嫌ってた私を女に戻してくれた。幸せだって、思わせてくれたわ」


 胸に頬擦りしながら、ミーアは告げる。


「この気持ちは、あなたがくれたもので。私の好きな人が、そんなクズに劣るなんて有り得ない」


 頬擦りをやめ、上目遣いで見上げてくる。


 そんなミーアの表情は、瞳は……蕩けたものに変わっていて。


「そのクズも女の子達を惹き付ける魅力があったのかもしれないけど……人の心なんて、結局は本人しか分からないわ。だから、自分の基準で他人を測るのはやめなさい」


 俺は、自分がどれほど愚かだったのか思い知る。


 そうだ。俺は今更、ユキナを気遣う必要はない。


 剣聖の力に操られたかもしれないという疑惑。

 しかし、結局。最後に選んだのは、彼女自身。


「あなたは、自分の目と耳で知った事実だけに立ち向かえば良いのよ」


 人の心は、何かを感じて初めて動くのだから。


 ミーアが俺によって変わったように。

 あいつも、変わっただけに過ぎない。


 幼馴染は、約束よりも感情を取ったという事実。

 今はもう、それだけを信じれば良いだけで。


 違ったとしても……他人の心なんて分からないのだから、捨て置けば良いのだ。


「ね? 私の言葉より、他に気にする事があるなら言ってみなさい」


 だって……今。俺の腕の中にいる女の子は、彼女ではないのだから。


「……いや、ない」


「そうよね? あなたはもう、私の夫なんだから」


 目を瞑ったミーアに唇を舐められて……


「余計な事を考えてる暇があったら、一回でも多く可愛がってよ。折角、その……解禁なんだから」


 顔を真っ赤にしながら、腹を撫でるミーアを見て元気を取り戻し……


「私が寂しくないように……するんでしょ?」


 加えて、そんな可愛い事を言われてしまえば。

 途端に抱えた悩みが、どうでも良くなった。


 竜の伴侶? 幼馴染への後悔? 

 世界の平和なんざ……些細な事

 俺が今、最も優先すべき事は。


「……誘い方が上手くなったな」


「あなたの嫁だからね」


 この娘を心から幸せにする事だ。

 ミーアが望むなら、俺は……全てを敵に回そう。


 俺達は二人で、この世界の在り方を変えるんだ。

 

 誰にも文句を言わせない。彼女が望む世界。

 俺達。家族が笑って過ごせる、平和な世界へと。


「来て……っ。あなた」


 その為にも、俺は彼女と共有すべき事がある。


 もう十分に楽しんでしまったが、俺はまだ。彼女に話さなければならない事を口にしていない。


 誠実にと誓ったのに、非常に拙い状況だ。


 不誠実な悩みを抱えたままでは、楽しめるものも楽しめない。


「ね……はやくぅ……欲しいの……私……」


 だから、このまま肉欲に溺れる訳には、


「ミーア。俺は、まだ話が……」


「それは昼間でも出来るでしょ? でも、二人きりで居られるのは朝食の時間までよ」


 確かにそうなのだが、そう……なのだが……。


「すぐ終わるから、俺の話を」


「……こうしてる間にも、垂れちゃってるの」


 ……今は、肉欲に溺れては、いけないのに。


「せめて。繋がってからにしましょ? 早く蓋してくれないと……私、寂しいなぁ」


 不誠実な、ままで。ドクズになる……訳には。


「一人で待ってるの、寂しかったわ……」


「ミーア……」


 ……あぁ、なんて狡猾な誘い文句だろう。


 なんて、甘えん坊で素直な娘なんだろう。

 

「私は、弱い女だから……他の男に取られたくなかったら、頑張って繋ぎ止めてくれないと……」


 本当に、卑怯な奴だ……俺の過去も、自分の武器にしてしまうなんて。


 駄目だ……落ち着け。

 落ち着いて、理性を保て……理性を……理性を。


「んあ……ふふっ。やっと、その気になった?」


 俺は…… 弱い。


 気付けば、俺はミーアの身体に覆い被さり、唇を奪って見つめ合っていた。


「お前が……悪いんだ。泣かせてやる……っ!」


 違うんだ……全部こいつが悪いんだ。


 女神の奇跡を用いた魔法薬すら超越する、可愛いミーアが悪いんだ……っ!


「いいよ。おいで、シーナ」


 女神が決めた運命の相手。

 竜姫達なんて、どうでも良い。

 わざわざ、相談するまでもない。お断りだ。


 俺が竜装を使えないのも、今後も剣聖に、英雄達に勝てないのも、全部全部……っ!


「ちょっと、足退けてよ……」


 俺に股を開く為に。

 恥ずかしそうな顔で、そんな可愛い願いをして、俺を夢中にする彼女のせいなの……



 ドカァーン!!



「うわっ!?」


「きゃっ!? な……なに!?」


 突如鳴り響いた爆音と、部屋を揺らす程の振動。


 それらに慌てた俺は、ミーアに覆い被さって自らの身体を盾にした。








 状況確認をする為、急いで装備を整えて向かった先は、戦艦の甲板だ。


 どうやら、この艦は襲撃を受けているらしい。


 通路を駆けている最中、爆音と足元を揺らす程の振動。そして搭乗者達の悲鳴から、そう判断した。


「ミーア。お前は弓を構えて、この扉から援護だ。何があっても、外には出てくるなよ」


 腰から二本の剣を抜剣した俺は、返事を待たずにドアノブを回し、鋼鉄の扉を蹴り開けた。


「守護せよ!」


 即座に防壁魔法を展開。

 安全確保の後、甲板に躍り出て……!





「ふぇーんっ! パパに言いつけてやるー!」






 泣きながら飛び立つ、白竜姫様の後ろ姿を見送る事になった。


「妾の勝ちじゃ。二度と妾のシーナに近付くな!」


 そんな声に視線を落とせば、


 分厚い氷に覆われた戦艦の甲板に、赤い竜姫様が腕を組んで仁王立ちしている。


 えっと……どういう状況だ? これは。


 見たところ、二人が喧嘩していた様子だが。


「あっ……シーナ! これは、その……っ!」


 扉を蹴り開いた音で気付いたらしく、メルティアが俺を見て慌て出した。


 両手を擦り合わせ、目を泳がせている。


 どうやら、相当に気まずいらしい。


「お楽しみ中に騒いで済まなかった! これから寝る所だったのじゃろう? もう部屋に戻って大丈夫じゃからっ!」


 ……竜姫様は、大変耳が良い。


 分かってはいたが、こいつ……!


 聞き耳を立てていたのは咎められないが、悪いと思うなら口にしないで欲しい。

 

 俺は剣を鞘に納めながら尋ねた。


「喧嘩していたのか。随分と派手にやったな」


 周囲を見る限り、凄まじい喧嘩だったらしい。

 氷漬けの甲板を見渡しながら言えば、


「ゼロリアの奴が、お主に恋人が居ると聞いて怒りだしてな……決闘させろと煩いので、妾が代わりに追い払ったのじゃよ」


 メルティアは疲れ切った顔で、そんな事を……


 ……どうしよう。俺の責任だった。


 そう言う事情なら、俺は感謝しなければ。


「そうだったのか……ありがとう。悪かったな」


「良いのじゃ。その……後で妾の事も可愛がってくれれば、それで……」


 素直に礼を言えば、メルティアは顔を赤くした。

 そして、俺をチラチラと見て来る。


「妾は本気じゃ。竜装を抜いた事も勿論じゃが……心底お主に惚れてしもうた」


 そんな事を恥ずかしそうに言う赤い竜姫様。

 ……酷く期待した目をしている。


 これは断っておかないと、後が大変だな。


「悪いが、それは出来ない」


「妾は一人だけ愛されたいなどと我儘は言わぬ……あんな節操なしに比べれば、お主は凄く誠実じゃ。なにより。妾の事を醜いと蔑むどころか、綺麗だと言ってくれる……そんな男は、初めてなのじゃ」


 人の話を聞かない赤竜姫様は、離れて行く白い翼を見送りながら続けた。


「決闘に勝ったのじゃ、もう彼奴の心配はいらぬ。次は、ミーアと話し合わせてくれ。勿論……色々と落ち着いてからで構わんから」

 

 ……どうしよう、本当に断り辛いぞ。


 俺は兎も角、ミーアの為に身体を張ってくれた。

 そうなると、流石に無碍には出来ない。


 その上、こんな譲歩までされてしまえば……。


「……自分の言葉で話し合いが出来る様になれば、話せば良いさ。それまでは保留だ」


 我ながら、良い機転を効かせたと思った。


「そう言う事なら、益々頑張らねばならんな。流石シーナじゃ。妾、俄然やる気が出たわ」


 正直な所、俺もメルティアは好きだ。


 流石は女神が定めた運命の女の子。

 本音を言えば……容姿は一目惚れだった。

 性格も大変良い。今のところ、理想的と言える。


 正直、ミーアと比べてもメルティアは良い娘だ。


 だが当然、どんな結果になっても……。

 俺は、この竜姫様を受け入れる気はない。


 理由は色々あるが……一番は、やはり俺が恋人に求める条件。


 彼女と俺では……。

 対等な関係を、どう足掻いても築けない。


 だから多少酷くはあるが、互いに傷付かず問題の先送りが出来るなら……俺は最低で構わない。


 その間に、俺は彼女の竜装を抜ける他の適格者を探せば良いのだ。


 母さんは嘘は吐くなと俺に教えたが、時には嘘も必要なのだと、俺はもう知っている。


 望むまま、自由に生きる。


 そうは言っても、人である以上。理性的で在れ。

 超えてはならない一線と言うのは、存在する。


 幾ら、赤髪の魔人の望みを叶えろと言っても……


 そう俺に教えたのは、母さんなのだから。


「……勉強なら付き合う。頑張れよ」


「うむ! 二人で頑張ろうな♡ 一日でも早く、妾もお主と子作りがしたい」


「馬鹿、そういう契約だからだ。勘違いすんな」


 目を輝かせ、甘い声を漏らす駄竜。


 こっちは真剣に悩んでるって言うのに……。

 その可愛らしい容姿で、子作りとか言うなよ。


 全く……早々に話題を変えよう。


「ところで、お前さ。出来損ないとか何とか、散々に言われてたけど……よく追い払えたな?」


「メルティア様は、竜姫様達の中でも喧嘩は強い方なのだ」


 白い翼が既に見えなくなってしまった空へ視線を向ければ、シラユキの声がした。


 見れば、彼女は柱の裏に隠れていたらしい。


「居たのか、シラユキ」


「最初からな」


 シラユキは、俺の傍に歩いて来ると……。


「メルティア様が出来損ないと呼ばれる理由だが、良い機会だ。お前は知っておいた方が良い」


 そう前置きして。

 彼女は主人である竜姫様を見て、伺いを立てた。


「メルティア様、百聞は一見に如かずです。一度、炎を吐いてみてください」


「うっ……」


 途端。メルティアの表情が陰った。


 そう言えば、メルティアは火竜なのだと白竜姫様が言っていた。

 なのに、炎をまともに吐けない出来損ないだと。


 今のメルティアの表情を見る限り……。

 本人は相当気にしている様子だ。やめさせよう。


「メルティア、無理しなくて良い。シラユキ、本人が嫌がっている事を強制するのは駄目だろ。俺は、その手の輩が大嫌いだ」

 

 それだけ言って、俺は踵を返した。


 いつか、メルティアが自分の意思で話してくれるのを待つと決めているからだ。


 やりたくもない事を強要されている人間を、俺は良く知っているからな……。


「メルティア様。弱みも見せれない伴侶など、何の価値がありますか?」


「ごほっ……」


 シラユキの言葉は、俺にも深く突き刺さった。


 自然と、扉から俺を見つめているミーアに意識が向いてしまう。


 不安そうな目だ。彼女は言葉が分からないので、当然だろう。


「む? どうしたのだ? シーナ」


「……いや別に」


 くぅ……シラユキめ。涼しい顔で痛い所をっ!


 俺が現状。他人に言われたくない言葉。

 それを的確に抉って来やがって!


「……そうじゃな。シーナ、見てくれるか?」


 嫌だ。見たくない……とは言えないな。

 凄く言いたいけど、この誘導のされ方は秀逸だ。


「出来れば……笑わんでくれると嬉しい……」


 振り返れば、メルティアの瞳には強い意志の灯があった。


 覚悟を決めたのだろう……それは彼女が俺を伴侶と認めて信頼し、共に在りたいと強く願っている。


 その何よりの証明である事は疑う余地がない。


「そこまで言うなら、見せてみろ。笑わないから」


 嫌だなー、見たくないなー……。


 弱みまで知って受け入れたら、益々気に入られて……気付けば外堀が埋まってて、みたいな未来が容易に想像出来てしまう。


「メルティア様。大丈夫ですよ、シーナなら」


 だが、人間……。

 勇者と敵対する以上、竜姫メルティアは必要不可欠な戦力。

 いずれ確認する必要はあった。

 

「貴女様の竜装が選んだ男ですから」


「うむ、そうじゃな。シーナは、妾の竜装が選んでくれた伴侶じゃ。夫を信じられなければ、良妻にはなれん」


 ……もう駄目だ。流石に突っ込みたい。


 その竜装に苦しめられたんだろ? お前等は。

 なんなの? もう、これまでの事を忘れたの?

 容姿は人間に近いけど、頭は獣なの? 

 良妻って……もう間に合ってますけど?


「では……ゆくぞ? こほん……すぅ……」


 呆れた俺が頭の中で馬鹿にしていると、赤竜姫様は緊張した面持ちで小さく息を吸った。


 そして……。


「ふぅぅううううっ!!」


 必死な形相で、息を吐き出し……!


 ポッ……。


 小さな炎を、口から吐き出したのだ。


「   」


 俺は絶句した。

 その、あまりに凄まじい光景に驚愕して。


 言葉を失う俺に、シラユキは後ろ手で赤竜姫様を指差しながら言った。


「どうだった?」


 俺は、目を逸らして正直な感想を口にした。


「……焚火する時とか、便利そうだな」


「妾はマッチ棒ではないっ!!」


 馬鹿言え、マッチの方が使い勝手が良いわ。


 え? 嘘だろ? 

 俺、こいつと勇者に立ち向かうの?

 無理過ぎるんだけど……!


「ご覧の通り、メルティア様は火竜の癖に炎が出せない。操ることは出来るがな」


「へぇ……操れるのか。それは凄いな」


 なんだ。完全に無能ではないのか。

 炎を操れるとは、凄まじい権能だ。

 

「それと、メルティア様は欠陥を抱えている代わりに、竜人の中でも並外れた膂力を誇っておられる。身体能力が異常と言える程に高いのだ。故に、他の竜姫様達も口では馬鹿にするものの……恐れられ、喧嘩を売られる事は滅多にない」


「なんだ。お前、十分凄いじゃないか」


 褒めた瞬間、気付いた。


 メルティアの表情に陰りがある理由を。


「なぁ……まさか、お前さ。見た目が醜くて、炎は吐けなくて。その癖、喧嘩は強くて……だから同じ竜人にも友達がいないとか言わないよな?」


 そう口にすれば、遠い目をしたメルティアは……

 黙ったまま俺達に背を向け、膝を抱えた。


 漆黒の翼が、有り得ないほど縮こまっている。


「……ふっ。妾は、ずっと一人ぼっち……」


 かわいそう。


 元が小さい事もあり、非常に哀愁漂う背中だ。

 流石に言い過ぎたか……慰めないとな。


「馬鹿者、そこに気付くな。あぁ、メルティア様。なんて不憫な……♡」


 そんな事を言いながら、シラユキは表情を明るくした。

 確かに、可哀想ではあるが……中々可愛いな。


 だが、こいつは早々に側近を解雇するべきだ。


「はぁ……全く」


 ため息を吐き、頭を掻きながら竜姫様に向かう。


 そうして、拗ねてしまった小さな少女の隣に座った俺は、少し間を置いて。


「……あー。もう一人ぼっちでは、ないだろ」


 そう言えば、顔を上げたメルティアの金色の瞳が俺を射抜いた。


 ……可哀想だけど、可愛いか。

 今なら、シラユキに共感出来るな。


 確かに、これは凄まじい破壊力だ。


 俺は頬を掻きながら目を逸らした。

 そして、必死に考えた慰めの言葉を口にする。


「俺は、お前を友人だと思ってるし……ほら、その力の質もさ。お前だけじゃなくて、将来……お前に伴侶が出来た時。役立つかもしれないだろ……? 半竜化、だっけ? 少なくとも俺は、変に炎が吐けるようになるより、力が強くなった方が嬉しい」


「……っ!」


 隣に座るメルティアが、息を飲む音が聞こえた。


 効いてるな。えーっと。あとは……。


「それに。友達を作りたいって、お前の願いは……お前が一番最初に、この世界の言葉を覚えて橋渡しになれれば、絶対に叶うだろ」


 これは、メルティアも分かっている話のはず。


 んー。慰めるにしては、少し弱いか。


 チラリと見れば、メルティアは俺にキラキラした瞳を向けていた。


 まるで月のように輝く金色の瞳は、心なしか。

 もっと言って、と。

 俺を急かし、期待しているように感じる。


 ……仕方ないな。

 母さんは、赤髪の竜姫の願いを叶えろと言った。


「……俺から言わせれば、ゼロリアとお前の翼に差なんかない。白だろうが、黒だろうが、竜の翼ってだけだ。強いて言えば、俺は。お前の黒の翼の方が好きってだけで」


 本音を言えば、あまり気に入られるような言動は避けたい。


 しかし、もう俺と彼女は運命共同体だ。

 

 共に戦う。それ以外の選択肢を与えられていない俺達は、支え合うしかないのだ。


 彼女がどんな世界から来たかは知らない。


 けど、この世界で生きる以上……あのクソ女神が決めた運命に翻弄され続けるのは、確実だ。


「火が吐けないのも些細な問題だ。魔法で出せる。火種さえ用意してやれば、操れるんだろ? なら、お前は出来損ないなんかじゃねーよ」


 最後にそう言って肩を叩き、何か言われる前に背を向けた。


 これ以上は拙い。そう思ったが、正解だった。

 こちらを見ているミーアが、凄い顔をしている。

 嫌だなぁ……なんて説明しよう。


 そんな事を思いながら、俺は手をひらひら振りながら甲板から立ち去る為に歩き出した。


「お前が出来損ないって言うなら、人間は皆、出来損ないだよ。男だけでも、女だけでも駄目なんだ。お前ら竜人は特にそうだろ。守護者って言う伴侶を同じ竜にしなきゃいけないんだからな」


 さて、言いたい事は言った。


 早く行かなきゃ……メルティアが余計な事を言い出す前に、早くミーアの所に戻らなきゃ……っ!


「シーナッ!」


 焦燥し、自然と早足になる、

 そんな俺の背を、メルティアの叫び声が追った。


「妾! お主と出会えて、良かったっ!」


 ひぃぃぃ……逃げなきゃ。逃げなきゃ……っ!


 走り出したい衝動を必死に堪えながら、俺は歩く……歩く、歩く、歩く……っ!


「妾、もう一つ夢が出来たのじゃ! だから、明日からは一生懸命、勉強を頑張るぞっ!」


 扉まで、あと十数秒くらい……。

 頼むから黙ってて、お願いっ! お願いっ!


 ミーアには理解されなくても、様子を見に来た奴等が聞いてるから! 

 ぱっと見るだけで、三十人はいるからっ!


 全員お前の配下で、まだ敵か味方か分からない。

 そんな連中ばかりだからっ!


 だから頼むーっ! 言うなぁ!!


「妾は! お主に嫁いで、幸せになりたーいっ!」


 ひぃぃぃぃっ!!


 聞こえた瞬間、俺は全力で走って逃げた。


「えっ! 急にどうしたのっ! シーナ!?」


「そこ退いてくれ、ミーア! 部屋に帰るんだ!」


 あの馬鹿、言いやがったっ!!

 何人聞いてると思ってるんだっ! あの馬鹿竜!


 堂々と人間と婚約するなんて、お前が言えば……俺の立場は、どうなると思ってやがるっ!


 お前の抱く理想だって、余計な勘繰りが入って、実現が難しくなるんだぞっ!?


 だから、そんな夢は頼むから、捨てちまえーっ!

 











 





 ミーアのジェットコースター楽しい。

 


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