第93話 白の竜姫と白銀の剣 2

「抜いて下さい! 大丈夫ですからっ!」


 白い竜姫様が、鞘に収まった白銀の剣を手に机上に身を乗り出している。


 誰かさんが考え無しに斬ったせいで裂けた服。

 お陰で白い肌がチラチラと覗き、特に胸元は大変けしからん事になっていた。


「感じたのでしょう! この剣は自分の物だと! だから貴方は手離したのでしょう!?」


 しかし、そんなものを覗いている場合ではない。


 俺の目線は、彼女の顔に釘付けにされていた。


 凄い剣幕だ。真っ白な肌は紅潮し、碧銀の瞳は縦に伸びた蛇のようになっている。


「さぁ! 手に取って! さぁ! さぁ!」


 あまりに必死な形相に、すっかり気圧されて。


 美少女竜姫様に迫られている俺は、少しでも距離を開こうと椅子に深く背を預け……!


「守護せよ! 助けろ、メルティア……っ!」


 白い竜姫と自分の間に防壁を生み出し、隣に座る赤い竜姫様に助けを求めた。


「何故ですかっ! あっ! お前っ!」


 魔法の防壁に気付いた白い竜姫は、不可視の防壁をドンドンと叩いている。


「ひぇ……」


 目の前のあまりに怖過ぎる光景。

 

 まだ破られた経験のない防壁魔法だが、この猛獣はそれが出来る可能性が存分にある。


 法力は惜しみなく注ぐが、全く安心出来ない。


「こほん……あー、ゼロリア」


 救いを求めて視線を向ければ、うちのお姫様は困ったような顔をして。


「その……じゃな? 無かったことにせんか?」


「ありえませんっ!」


 防壁を叩く手を緩める事なく、白い竜姫様は俺を見つめ続けている。


 正直、怖過ぎて堪らない。

 そう言えば、魔法薬のあまりが一瓶あったな。

 飲んじゃおうかな……。


「メルティア! 貴女にも分かるでしょう!? 彼は私の竜装を解錠しました! やっと見つけた適格者なのですっ! 譲りなさいっ!」


「お主。意味分かっとるのか? シーナはこの世界の者じゃ。竜装を託すということは……」


「人の身でありながら、氷竜である私を翻弄出来る実力者です。これ程の逸材なら問題ありません!」


 問題は大有りだが、話が見えてきた。

 こいつ、俺を自分の守護者とやらにする気か。


 えっと……つまり。

 俺は、この竜姫様の伴侶になる訳で。


 …………いや。拙いだろ。


「良い考えだ。無かった事にしよう」


「許しません! 剣を抜きなさい、シーナ!」


「絶対嫌だ」


 俺には、もう心に決めた女の子がいる。


 幾らユキナと同等以上の美少女に迫られても、俺は絶対に不誠実な事はしない!

 もう全身隅々まで見た女の子を裏切れるかよ。


 そんな事を思っている俺を白い竜姫様は見つめ続けている。


「私の何が不満なのです! 貴方は竜の伴侶となれるのですよ! 私は容姿にも自信があります!」


 強いて言えば、高圧的で自信過剰なところかな。


「……俺は薄汚い蛮人なので。君みたいな綺麗なお姫様には釣り合わない。お引き取りを」


「くっ……!こ、これまでの無礼は謝罪します! お願いですから、私の話を聞いて下さい!」


 これは、簡単に諦めてくれそうにないな。


 なんか、剣の鍔拵えが外れたせいで大変な事になってしまった。


 あの駄女神、適当な仕事しやがって。


 何が資格だ。メルティアだけじゃなく、他の竜姫の伴侶にもなれるなんて聞いてないぞ。


 せめて竜装の説明くらい、ちゃんとしてくれ。


「あぁ……まさかこんな事になるなんてっ! 全部メルティアのせいですよ!?」


「はぁ? どうして妾のせいなのじゃ。知らんわ。全てお主の自業自得じゃろ」


「私の運命の伴侶が異界の民なんて、誰が想像出来ますかっ!」


 遂には運命の伴侶とか言い出したんだけど。

 もう隠す気も誤魔化すつもりもないらしい。


「やめてくれないか? 俺にはもう、好きな娘が」


「まずは剣を抜きなさい! 話はそれからです!」


 絶対嫌だよ。その瞬間、なんか凄い能力が備わって逃げられなくなるんだろ?


 俺は詳しいんだ。目の前で剣聖になった幼馴染を連れて行かれたからな。


「おーい、そっちのお二人さん。あんたらのお姫様だろ? 止めてくれ」


 望みを賭けて、竜姫様の配下達に声を掛けた。


 さっき脅してしまったせいで静観を決め込んでいるようだが、君達も意見を言って良いんだぞ。


 ほら、言ってやって! 

 薄汚い俺は竜姫様に相応しくないって言って!


 強く念じていると。配下二人は顔を見合わせ、肩を抱き合って背を向けた。


「……どう思う?」

「……味方に付けれるなら、頼もしい」

「だよなぁ……」

「歴代最強の守護者になるかもしれない」

「仕える主としては、悪くないな……」


 何やら相談していた二人は、最後に頷き合って。


 こちらに振り返り……同時に恭しく頭を垂れた。


「末長く、宜しくお願い致します」

「シーナ様。おめでとうございます。ゼロリア様を宜しくお願い致します」


「は?」


 え……と? どうして、そうなるんだろう。


「待て。俺はお前達にとって敵である人間で……」


 事実確認をすると、顔を上げた二人は非常に畏まった態度で告げる。


「ご心配には及びません。守護者となれば、正規に我が陣営。シーナ様としても悪くない選択かと」


「貴方様の存在を誰もが認めざる得なくなり、敵視する者も居なくなると愚考致します」


 ……どうしよう。

 敵視されていたはずなのに認められちゃった。

 愚考致しますじゃないよ、気持ち悪い。


 気味の悪い配下達に絶望していると、白い竜姫様は満足げに頷いた。


「流石ですね、お前達。さぁ、シーナ。私の竜装を抜いてみましょうか?」


 机上に座り込んだ竜姫様が、微笑みながら白銀の剣を差し出してくる。


 いや待って……なんで、こんなに押しが強いの?


「剣が選んだ相手と結ばれるなんて間違ってる! 俺は絶対に認めない」


「それは貴方の価値観でしょう。私は構いません」


 あぁ畜生。さっきの話が裏目に出てしまった。

 なにも言い返せないじゃないか。


「あんた。綺麗なんだから、もっと自分を大切に」


「ですから、大丈夫です。私は、自分で決めた条件に当て嵌まる者にしか、我が秘宝を触れさせておりませんから。貴方は問題なく当て嵌まっています」


 なら、その条件に問題あり過ぎるだろ。

 敵にまで当て嵌めるな、馬鹿。


 と、決して口には出来ない悪態を吐いていると。


「寧ろ……その」


 口元を手で隠した竜姫様は、恥ずかしそうに目を逸らして……。


「……検討した結果。理想的な殿方かと」


 だから、どんな検討だよっ!

 男の趣味が悪すぎるにも程がある。


「メルティア。俺、離席して良いか?」


「だから何故ですか!」


 怒り狂った竜姫様から、冷気が迸った。

 感情に任せて部屋を寒くするのはやめて欲しい。


「くちゅん……さむ……」


 見れば、ミーアが寒そうに腕を擦ってる。

 あぁ、可哀想に……心配で堪らない。


 居ても仕方ないし、避難させるとしよう。


「シラユキ。ミーアを連れて部屋を出ていろ。風邪を引かせたくない」


「あぁ……宜しいですか? メルティア様」


「構わぬ。ゼロリア、落ち着け。部屋が凍り始めておるじゃろうが」


「あっ……すみません」


 言われて、やっと自分の失態に気付いたらしい。


 竜姫様は謝罪し、机上から降りて椅子に戻った。


「ミーア、正直守り切れない。シラユキと部屋から出ていろ。出来る限り早く終わらせる」


「……うん、分かったわ。気を付けてね」


 不安げな顔のミーアに、俺は手を振ってやる。


「心配するな。上手い事やるよ」


 護衛を任せたシラユキに連れられ、退室するミーアを見送って。俺は竜姫様に向き直った。


「驚きました。本当に異界の言葉も操るのですね」


 どうやらミーアに話したのを聞いて、改めて実感したのだろう。

 白い竜姫様はそんな事を言ってきた。


「当たり前だ。それと、こっちの世界ではお前達の方が異界人だぞ」


「それもそうですね。全く……メルティア、本当によく見つけましたね。狡いですよ? 私に下さい」


「だからやらんと言っておろうが。妾のじゃ」


 まだ、お前のでもないけどな。無職だから。


「貴女だけが独占して良い存在ではないでしょう。共存、敵対……どちらを取るにしても、彼の力は皆で共有するべきです。そうでしょう?」


 白い竜姫様の言っている事は、的を射ている。


 それだけ言語の壁は分厚い。

 先駆者が居ない現状では、教本なども当然存在していない。自力で学ぶのは不可能に近いだろう。


 個人にのみ雇われ教えるのは、効率も悪い。


 何より俺が逆の立場だったとしたら、可能な限り早く教えを乞いたいと考えるのは当然の欲求だ。

 狡い、そう言われても仕方がないな。


「言われずとも分かっておる。じゃが、現状を考えれば……」


「もし、彼が私の剣を抜いて見せてくれたら。私は貴女の良き友人となりましょう」


 拗ねたようなメルティアの言葉を遮って、白い竜姫様は自らの主張を述べ始めた。


「彼等が言ってくれた通りです。守護者となれば、シーナの安全は保証されます。私だって、妻として支えましょう。貴女の抱く理想。その良い理解者となる事もお約束致します。どうですか?」


「…………うむぅ」


 困った顔で、メルティアが俺を見た。


 これは拙い……お前も。うむぅ、じゃないよ。

 頑張って? ねぇ! 頑張ってよ! 


 必死に念じていると……。

 頼みの綱であるメルティアが、そっと俺から視線を逸らした。

 そして、ボソリと呟く。


「……抜くだけ、抜いて見せても良いと思う」


「メルティア?」


 あ、こいつ……俺のこと売りやがった!

 そんなに友達が欲しいか! お前、散々馬鹿にされてただろ!


「そう来なくては。はい、シーナ。どうぞ」


 微笑む竜姫様が、机上に剣を差し出してきた。

 だから、なんでそんな嬉しそうなの?


 まだ俺達出会ったばかりだし……初対面から殺し合いまでしたよな?

 こんな奴の妻になるとか、正気か?


「おいメルティア。なんとかしろ」


「……試すだけなら、良いじゃろ。抜くだけなら問題ないのじゃ……それに、抜けんかもしれんし」


 鍵が外れて抜けない剣なんか、ある訳ないだろ。


「何だそれは。絶対抜けるだろ。触った時にこれは抜けるって感じがしたんだよ!」


「えっ。まさか、剣の声を聞いたのですか?」


「あっ」


 やば……しまった。余計な事を言った。

 思ったより、俺は動揺しているらしい。


「あの……婚竜の儀は、いつにしましょうか?」


 恐る恐る見れば、竜姫様は恥ずかしそうな顔で、もじもじと……!

 ……やっぱり、感情なんか要らないものだった。

 あとで魔法薬を飲もう。絶対に。


 大体、婚竜の儀ってなんだよ。

 まさかとは思うが……。

 

「メルティア。婚竜の儀ってなんだ?」


 尋ねると、そっぽを向いているメルティアの耳が赤く染まった。

 そして彼女は、か細い声で呟く。


「……乙女にそんな事を聞くな。馬鹿者め」


「その。初めての時は……優しくしてくださいね」


 ……成る程ね? 大体分かった。

 そのまさか。嫌な予感的中って訳かよ。


 もう逃げ道がない。どうしよう……。


「分かった。抜けなければ良いんだよな? これ」


 考えた末。俺は、机上の剣を掴んで持ち上げた。


 途端に、ガシャンと開く鍔拵え。

 ……お前マジふざけんなよ。

 抜けたら溶鉱炉に突っ込んで溶かすからな?


 勇者や剣聖に対抗出来る武器だと女神に聞き、期待していたそれは……今となっては呪いの武器にしか思えない。


 それもこれも、全部女神エリナのせいだ。

 あの性悪女神、どれだけ俺を苦しめたら気が済むんだよ。


「ちなみに鍔拵えが外れて抜けなかった前例は?」


 最後の希望に縋って尋ねる。

 すると、隣から弱々しい声がした。


「一応……妾の竜装が、その前例じゃ。妾の婚約者は一度開錠しただけで、抜剣は出来ておらん」


 それで婚約者とか、馬鹿じゃないのか?


 全く理解出来ない……気に入らないなら大人しく従う義理はないだろうに。


「それを良い事に、ずっと逃げ続けてるんですよ。全く、みっともない……これを機に、貴女も腹を括ってくださいね?」


「……分かっとるわ」


 しかし一応、前例はあるんだな。少し安心した。


 分かってるよな、女神様。頼むから抜けるなよ。

 ここで抜けたら、俺の人生が終わってしまう。


 綺麗な竜のお姫様がお嫁に来てしまう……っ!


 俺が直接、勇者達と。

 剣聖ユキナと戦わなきゃいけなくなるのだ。


「あ。抜けない振りとかしても無駄ですよ? 分かりますからね」


 じっと俺を見つめながら、白い竜姫様が言った。


 もう、本当にお前嫌い。

 こんな奴が嫁になったら一生尻に敷かれて泣く。


「分かってるよ。じゃあ、試してみる……っ」


 気合いを入れて柄を握った瞬間に、理解した。


 ……駄目だ。これは絶対に抜ける。

 早く抜けって、剣が訴えかけてくる感じがする。


「……どうしましたか?」


 静かな声で、白い竜姫様が言った。

 酷く緊張した面持ちで、碧銀の瞳が揺れている。


「……いや」


 それはメルティアも同様で、金色の瞳には焦燥の色が浮かんでいた。

 抜けるな、そう言っている気がした。


 ……とりあえず。軽く、力を入れてみるか。


「……ふぅ。よし」


 握った腕に少しだけ、力を入れた瞬間だった。


 鞘から、透き通るような剣身が顔を出し……!


「よくねぇ!」


「あっ!」


 あまりに軽すぎる感触に慌てて、叩き付けるように納剣した。


 危ない。思わず見惚れてしまいそうな程に綺麗な剣身だった。


 これが抜けたら俺の人生終わっちゃうのに、抜けるのが確定してしまった。

 一体どうしたら良いのか誰か教えてくれ。


 とりあえず、抜剣はしてないから。まだ……。


「……ふぅ。危なかった」


 まだ、誤魔化せるはず。


 身体にも異常は感じられない。

 変な力は授からずに済んだようだ。良かった。


「危なかったじゃありませんよ! 今、抜けましたよね? 絶対抜けましたよね!」


 白い竜姫様が身を乗り出して喚く。


 その顔は紅潮していて、蜥蜴のような白い尻尾がふりふり。蝙蝠のような翼がパタパタしていた。


 凄く嬉しそうだ。

 本当に男を見る目ないな、お前。


「シーナ。お主、やってくれたのぅ……」


 対し、メルティアは非常に困っている様子だ。


 一番困っているのは俺だと言うのに、そんな顔は大変失礼だと思う。

 

 俺は剣を机上に置いて、鍔拵えが閉まるのを確認した後。顔を上げて白い竜姫様を見た。


 そして、必死に考えて……。

 自覚出来る程に引き攣った顔で告げる。


「抜いたから、メルティアとの協力。宜しく」


 絞り出したのは、我ながら苦しい言葉だった。

 すると、彼女はこくりと頷いて。


「分かりました。では、メルティア。彼は今後。私が預かります。宜しいですね?」


 ……宜しくないよ?


「駄目だ。俺はメルティアの傘下に入ると宣言したはずだ」


 勝手な事を言い出したので止めるが、キッと睨まれてしまう。


「当然の要求でしょう。貴方は私の伴侶となるのですから……互いを知るためにも、今後は行動を共にするべきでしょう?」


 理屈は分かるけども、問題はそこじゃない。


「だから無理だって。俺はただの人間だ。お前等は長命なんだろう? 竜の嫁なんてあり得ない」


 最初の自己紹介でメルティアは六十代と言っていたが、人間の六十歳は充分爺さんだ。


 しかもそれで幼竜なのだという。


 同じ竜人である竜姫様も同じくらいだろう。

 とてもじゃないが、伴侶になどなれない。


 そう思っていたが、竜姫様は得意げな顔で言った。

 

「婚竜の儀を行えば、守護者は半竜化しますから、何も問題ありません」


「えっ。半竜化……?」


「はい。守護者の力を得ると言うのは、そう言う事です。文字通り貴方には竜になって頂きます。竜麟ドラゴンスケイルも備わりますし、身体機能も飛躍的に向上しますよ」


 えっ……なにそれ、聞いてない。

 あのクソ女神! そう言うことかよ!


 なにが上昇加速ブースト・アクセルは損耗が激しいだ! 


 守護者の力があれば……って。

 人間辞めて無理やり使えって事かよ!


 竜になるなんて冗談じゃないぞ!


 憤慨していると、メルティアが俺を見ながら……


「……あの速さに竜の膂力と竜装が加わるのか」


 ボソリ、と呟いた。


 それを聞いた白い竜姫様は、勝ち誇った顔でメルティアを見下ろす。


「やっと気付きましたか、メルティア。うふふ……素晴らしい伴侶ですよ。最も気高く、美しい竜姫である私に相応しい守護者と言えるでしょう。悔しいですか? 悔しいでしょうねぇ?」


 そして、楽しそうに煽りだした。


「おい。俺はまだ了承してないぞ」


「先程、貴女私になんて言ってましたっけ? 一度も喧嘩に勝った事がない? ふふふ……確かにそうでしたね。ですが、これから勝ち続けるのは私! 結局、最後に笑うのは私なのですよ!」


「人の話聞けよ」


 勝手に盛り上がりだした竜姫様に呆れつつ、メルティアを見る。


「……くぅ」


 すると彼女は、酷く寂しそうな……悲しそうな顔をしていた。

 その細い二の腕は、爪が食い込む程に強く握られている。


「……お前」


 それは、やっと見つけた希望。

 自分の理想を叶える為、手に入れた俺と言う存在が、誰かに取られる事を容認するしかない。


 そんな辛い気持ちを必死に堪えているのだと、嫌でも分かってしまった。


「……ん? なんじゃ、シーナ」


 何故なら俺は、過去に似た経験をしている。


 それは、成人の儀を受けた教会で。

 何も言えず、連れ去られて行く幼馴染に手を伸ばす事しか出来なかった……あの時。


 今の彼女は、過去の俺と酷く重なって見えた。


「……大丈夫だ。俺は、どこにも行かない」


 見上げて来た金色の瞳は不安に揺れていて、自然と言葉が口を突いた。


「なんじゃと?」


 途端に、驚いたように目を見開く赤い竜姫様。

 それを見て、俺は白い竜姫様に向き直る。

 この手は使いたくなかったが……仕方ないか。

 あーあ、結局……女神様の手の平の上かよ。


「少し我慢しろ。間違っても殴るなよ」


「へっ?」


 俺は、困惑した顔のメルティアの肩を抱き、足を組んで努めて大きな態度を取った。


「ちょ!? シーナ!?」


「少し黙ってろ」


 苦言を呈する姫様は耳元で囁き、黙らせる。


 そうして未だ勝ち誇っている白い竜姫を睨み……口角を上げ、鼻を鳴らしてやった。


「ふんっ。それはどうかな? 俺にはもう先約が居るんだ。これからも、お前との喧嘩に勝ち続けるのはメルティアだよ」


 途端に、白い竜姫様は俺にジト目を向ける。


「……どういう事ですか?」


「そのままの意味だ。言ったろ? 俺はメルティアに剣を捧げたって」


 開いた左手をひらひら振ってやると、白い竜姫様は不機嫌そうな顔で俺達を睨み付ける。


「関係ありません。不愉快なので離れて下さい。貴方もメルティアも既に婚約者がいる身でしょう? 特に貴方は私の伴侶です。他の女……それもそのような穢らわしい翼に触れるなど許しません」


 こいつ、まだメルティアの黒い翼を穢らわしいと言うか。 


 やっぱり、気に入らない。

 とことんやって吠え面掻かせてやる


「俺はお前の伴侶になった覚えはねーよ。勝手に束縛しようとするな……っと、色々言いたい事はあるけどな。俺はこの黒い角と翼が本当に好きなんだ。そういう訳で、俺はこいつを嫁に貰おうと思う」


「なっ……お主、なに言っとるんじゃ!?」


「そうですよ! 大体、そんな事が許される訳が」


 腕の中で慌てるメルティアと、叱責しようとする白い竜姫二人の反応は予想通りだった。


 しかし、俺には既に秘策がある。


「竜装が抜ければ良いんだろ?」


 はっきりと言えば、二人はピシリと固まった。


 俺は、そんな二人を交互に見て……メルティアの金色の瞳に目を留めた。


「メルティア。お前、今の婚約者が気に入らないと言っていたな?」 


「あ……うむ……確かに言ったが……」


「じゃあ俺で妥協しろよ。同じ理想を追う者同士、仲良くやろう。俺なら少なくとも、お前を穢らわしいとか全く思わないし。寧ろ、凄い美人だと褒め続けて自慢してやるよ。どうだ? 大事にするぞ」


 我ながらスラスラ出たな。

 勿論、これは方便だ。この場を治めるために使う苦肉の策である。

 だが、メルティアは話が分かる奴だ。後から説明すれば事足りるだろう。


 女神が言うには、竜装が抜けるのは確定だ。

 勇者に従属させられるはずだった赤の竜姫様は、俺の運命の女の子に変わってるはずだからな。


 ……なんか。やってる事ユキナを寝取った勇者と同じで気に入らないけど。


「う……うむ。良かろう。本当に抜いてくれたら、妾……お主に嫁いでやっても、良いぞ……?」


 そんな事を考えていると、メルティアは頬を赤く染め、金色の瞳を潤ませた。

 腕の中で恥ずかしそうに身動ぐ彼女は、想像以上に可愛くて……。

 

 ……あれ? なんか凄く期待してない? 

 大丈夫か? これ。

 ちゃんと聞き分けてくれるよな?


 後から修羅場になっても、責任は取れないけど。

 だって、ミーアに殺されるから。


「なにを馬鹿な事を! 二つの竜装、どちらにも適性がある者など聞いた事がありません!」


 それは女神が適当な仕事したからだよ。

 今夜、話せないか試してみよう。怒鳴ってやる。


「大体、もしあったとしても……メルティア!」


 白い竜姫様は、俺の腕の中のメルティアを指差して瞳をギラつかせた。


「貴女は、もう一年近くも相手を待たせているのですよ!? それを今更、婚約破棄して……他の者を伴侶とするなんて! そんな不義な真似が許されるとお思いですか!」


 怒鳴る白い竜姫様は、凄まじい剣幕だった。

 余程、自分の竜装に適格した俺を奪われたくないらしい。


 それに対して、腕の中のメルティアは拗ねたような表情で言った。


「別に良かろう。彼奴、もう既に八人も嫁がおるんじゃから」


 ドクズじゃねーか。


 流石に驚いた俺は、メルティアを見て尋ねた。


「は? お前そんな奴に嫁ごうとしてたの?」


「うむ。加えて、彼奴は妾の角や翼を醜いと馬鹿にしておる。ずっと我慢しておったが……本音を言えば、そんな奴になど嫁ぎたくないのじゃ。お主の方がずっと良い……」


 メルティアはそう言って、俺の胸に甘えて来た。


 ……それは気に入らないわ。クズだもん。


 本当に可哀想な境遇にいたんだな、こいつ。


 あれ。でも、それだと拙くないか? 

 もうすっかり、その気になってない……? 


「でも、そいつ。鍔拵えが外れただけで抜剣出来てないんだろ? なんで我慢してたんだよ」


 尋ねると、メルティアは静かな声で言った。


「話すと長くなるので、この場では簡略するがの。其奴な地位は色々事情があって、相当高いのじゃ。加えて、其奴は闘技場で三年連続チャンピオンに輝いておって……未だ無敗。竜姫の伴侶としては、申し分ない素質を兼ね備えておる。その奴が望んだのじゃ。竜の守護者になりたいと」


 成る程、我儘を言えるだけの実力がある訳か。


 既に八人も嫁が居る癖に、何とも欲深い野郎だ。

 幾ら力と地位があっても……気に入らないな。


「……対して、メルティアは出来損ないと呼ばれている竜姫です。現在、私を含めて竜姫は五人居ますが、彼が全ての竜装を手にして反応したのは、彼女の物のみ。先程申したとおり、多少性格に難があっても……実力は本物です。半竜化させ、国の守護者の末席に加えられるなら。良い話、なのですよ」


 暗い顔をした白い竜姫様が捕捉してくれた。


 ふぅん。実は、少し思うところがあったらしい。

 意外と良い所があるじゃないか。


 しかし、成る程な。

 四天王と呼ばれている竜人が、五人も居る話にも驚いたが……要するにメルティアは生贄って事か。


 今は言葉の通じない人間と戦時中だし……力がある奴を優遇する事情も仕方がないのだろう。


 ……認めたくないが。良く似てるよ、お前。


「分かった。そう言う事なら、益々欲しくなった」


「シーナ?」


 見上げて来たメルティアの瞳。この美しい金色が悲しみに揺れる姿なんて見たくない。


 第一、メルティアが嫁ぐって事は……そんな奴が俺の雇い主になる可能性もある訳だ。

 悪いが、到底受け入れられないね。反吐が出る。


「メルティア。俺に賭けてみるか?」

 

 昔は助けられなかったけど……。

 そう言う事なら、今度こそ助けてやるか。


 別に、あいつの代わりって訳じゃないけどさ。


「……うむ。分かった。全賭けしてやるのじゃ」 


「私も乗りましょう。抜けなかったら、大人しく私の伴侶になって貰います。貴女もそれで良いですね? メルティア」


「……良かろう。その時は妾も諦めて、彼奴に嫁いでやるわい」


 なんか余計な条件も増えたが、大丈夫だよな?

 いや、ビビるな。虚勢を張るなら、最後までだ!


「俺も依存はない。その時は、あんたを生涯大事にしてやるよ」


「ふん……偉そうな口を叩けるのも今のうちです。まずは名前呼びから始めて貰いますからね」


 ……信じるぞ。女神様。

 俺の人生をこれ以上、滅茶苦茶にしないでくれ。


 抜けなかったら、ミーアに殺されるから……!


 意を決した俺は、一度……深呼吸をして。


 肩を抱いている竜姫。

 メルティアの瞳を真っ直ぐに見つめた。


 そして、いつの間にか乾き切った口で告げる。



「じゃあ持って来いよ……赤の竜姫の竜装を」




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