第92話 白い竜姫と白銀の剣 1

 真紅の戦艦が着艦した港では、多種多様な種族の者たちが見守る中。二つの人影が対峙していた。


 親竜国。その名の通り、竜と呼ばれる存在と長い親和の歴史を持つ島国は、数年前。突如前例のない災害に見舞われた。

 

 領地ごと、異界の海上へと転移させられたのだ。


「……今のを防ぎますか」


 そんな親竜国には、守護者の存在があった。

 守護竜と呼ばれる竜の末裔である。


 その一人である幼き少女の姿をした竜人は、冷酷な瞳を対峙する剣士に向けている。


「思った程、威力は無いんだな」


 平静な声音で淡々と、剣士は気に触る言葉を吐いた。

 漆黒の外套を羽織った、年若い白髪の男だ。

 琥珀色と白銀の剣を両手に携えている彼は、青い瞳で竜姫を睨み返している。

 女神と呼ばれる存在に祝福を授かり、与えられた権能を行使する。

 彼は、この世界で生まれ育った冒険者だった。

 

(無色透明。視認不能な守護の力とは、厄介な)


 白い竜姫は、自身の冷気を操る力で生み出した三つの氷槍が空中で何かに阻まれ、凍て付かせたのを見て驚愕していた。

 その氷壁も、今は砕け散ってしまっている。


(やはり危険な存在です。即刻排除しなければ)


 ちらり、と後方を一瞥する。

 竜姫ゼロリアが確認したのは、自分の力で氷塊の中に閉じ込めた真紅の髪を持つ少女の姿。

 漆黒の角と翼を持つ彼女は、ゼロリアと同じ竜姫の一人だ。


(相変わらず、醜い角と翼ですね。メルティア……全く、本当に厄介な者を見つけて来たものです)


 再度。前に視線を戻したゼロリアは、決して侮れないと思い直した異界の剣士を観察した。


(まぁ……容姿は。貴女にしては、珍しく趣味が良いようですが)


 白い髪と青い瞳。端正な顔立ちの少年は、容姿に限れば極上で、大変好みであった。

 それだけに、実に惜しいとゼロリアは思う。


(さて、貴女が動けるようになる前に。この蛮人を始末して)


 剣士を殺す為、次の手を打とうと思慮していた時だった。

 鋭く地を蹴った剣士が、瞬く間に至近距離へ接近して来たのだ。

 

「なっ……」


 剣士の青い瞳には、冷酷な色が浮かんでいた。


 突撃など、想定外の行動だった。

 虚を突かれた竜姫様が声を上げた時には、既に容赦なく、双刃が振り下ろされていた。


「えっ……ぎゃあぁあああっ!? いだぁぁあ!」


 刹那、疾風怒濤の剣撃がゼロリアを襲った。


 竜人であるゼロリアには、竜麟ドラゴンスケイルと呼ばれる身体的特徴。堅固な守りの要がある。


 故に、幾ら鋭く砥がれた名剣でも両断されるどころか、皮膚を裂かれ流血する事はないのだが……。


「ぁぁぁあっ! ざけんなぁっ!!」


 まるで鉄同士がぶつかり合う、激しい音。

 火花散るその中心で、竜姫は激痛に叫ぶ。


 その姿に、竜姫としての誇りや尊厳は微塵も感じられない。


 周囲で見守っていた者達は驚愕の余り絶句した。


 一瞬で十八の斬撃を受け、怒り狂った竜姫が迎撃の為に腕を振るった。

 冷気が発され、四方を瞬く間に凍て付かせる。

 

「……っ! いつつ……っ!」


 それで脅威は去ったはずだと、安堵して。

 痛む身体を抱いて、白の竜姫は崩れ落ちた。

 

(なんで、こんなに痛いの? わ、私には竜鱗ドラゴンスケイルがあるのに!)


 斬撃を受けた左肩を確認するが、自慢の白い肌は白銀の鱗で覆われていた。

 竜麟は問題なく機能している。


(あぁ……この服、お気に入りだったのに)


 悲しみの刹那、怒りが湧き上がり、顔を上げる。

 

 しかし、期待した氷像は生まれていなかった。

 生意気な事に、異界の剣士はあの距離から広範囲の冷気を回避したようだ。


「ゼロリア様! 後ろです!」


 聞き知った声がした。

 白い竜姫の配下、白熊族の男の叫び声だ。


「えっ……」


 切羽詰まった声に危険を感じて振り返れば、剣士は数十メートル先に立っていた。

 いつの間にか、冷気の範囲外に逃れていたのだ。


(やっぱり、斬れないか……硬過ぎるな)


 背を向けて立つ剣士は、自分の手を見ていた。


(父さんとミーアから譲り受けた剣は、全然大丈夫そうだけど……これじゃ、俺の手が持たないな)

 

 まるで鋼鉄を叩いたような衝撃で痺れ、震える手を悟られないように確認しているのだ。


 以前。同じように竜麟を叩いた経験を思い出し、対抗策を考える。


(幸い、氷は魔法による防御が可能。問題は有効打がない事だけど……)


 青い瞳が捉えたのは、白い竜姫の左腰。

 剣帯に吊るされている白銀の剣だ。


(あの剣なら……)


「加勢します! ゼロリア様!」


 突如声を張り上げたのは、白熊族の戦士だった。


 ゼロリアの配下である彼は、大柄な身の丈と同等の巨大な戦斧を手に駆け出したのだ。


「! やめなさいっ! 貴方ではっ!」


 剣士の脅威を身を持って思い知った竜姫は制止の声を張り上げるが、忠臣の逞しい背は止まらない。


 白髪の剣士は既に視線を向けており、いつでも迎撃可能な事が容易に想像出来た。


「我が白竜姫ゼロリア様に刃を向けるとは、不遜な輩め! 存分に悔いて死ねぇぇっ!!」


 激情のままに戦斧を上段へと振り上げる。  

 そうなれば冷気での援護も出来ず、ゼロリアは冷酷な瞳をした剣士に手を伸ばした。


「やめて下さい! 殺さないでっ!」


「殺すな、シーナッ!」


 白い竜姫の声と同時に響いたのは、白狼の女戦士の叫びだった。


 すると、白髪の剣士は口角を上げて。


「分かってるよ」

限界突破リミットブレイク超越運用オーバードライブ加速開始アクセラレーション


 白熊族の大柄な戦士。その股下を凄まじい速度で蹴り上げた。


「……へ? があっ! は、はぅぅぅうっ!!?」


 常人の十六倍の速度で放たれた爪先。

 鋼鉄仕込みの革靴が、白熊族の睾丸を粉砕した。


 あまりの速さに反応が遅れた白熊族は、ジワリと血を滲ませる股間を押さえて崩れ落ちる。


 白髪の剣士はその頭を容赦なく踏み付け、冷え切った瞳で見下ろした。


「命を奪おうとしたんだ。命を生み出す権利くらい貰うぞ」


「あが……あがが……」


「次立ち上がってみろ。今度は首を叩き落とす」


 忠臣の尊厳が文字通り踏み躙られる光景を見て、白い竜姫は激しい怒りに震えた。


「貴方! そんなふざけた真似をして、許されると思ってるんですか!」


 すると白髪の剣士は冷酷な瞳を白竜姫に向けた。


 そのあまりの気迫に、竜姫を除く者達は戦慄を覚える。


「おい……流石に止めた方が良くないか?」

「馬鹿言え。あんな奴どうするんだよ」

「もし倒せても、メルティア様の不興を買うぞ……俺は静観に徹する」

「馬鹿……もしゼロリア様が殺されてみろ。俺達、みーんな終わりだぞ?」


 まるで目で追えない速度で剣を振るい、特異な力まで操るのだ。とてもまともじゃない。


 最強種族である竜姫と対峙した時は、すぐに決着が付くだろうと誰もが思っていた。


 中には舐めた態度で囃し立てる者も居た位だ。


 しかし今は、誰一人として楽観視出来ていない。


 異界の剣士の力は、想像を遥かに超えていた。


(ふざけた真似……ねぇ。確かにこれは拙いな)


 当の本人は、非常に困っていた。


 売られた喧嘩を可能な限り穏便に済ませたい。


 それしか考えていない彼にとって、竜姫や周囲から向けられる畏怖や怨嗟の視線はとても拙い。

 

(とりあえず、メルティアを起こすか)


 余裕が出来た為、そう思い立った彼は氷塊に閉じ込められた赤い竜姫に向けて呟く。


「爆ぜろ」


 無詠唱で放てる数少ない得意魔法の一つが、氷塊を爆破した。


「なぁ!?」


 まさか、そんな力まで持っていたとは知る由もない白い竜姫は、爆風に煽られながら刮目する。


 紅蓮に覆われた視界の中。爆炎の中から現れたのは、剣士を連れて来た同胞の姿だった。


「うぇぇえっ!? なんじゃあ!?」


 赤の竜姫には、爆炎はまるで応えた様子はない。

 驚いた声を発しながら、慌てていた。


「暖まったか? メルティア」


「シーナ! そうか。この爆炎はお主の仕業か! 酷いのじゃ! 助けるにしても、別のやり方が」


「無事なら良いだろ」


「乙女を平気な顔で爆破するなと言っておる!」


 喚き散らす赤の竜姫を外套の剣士は冷ややかな目で見つめている。


 乙女って……六十のババアじゃん、とは決して口に出さない想いを胸に留めて。


「まぁ良い! よくぞ無事でいてくれた。それで、ゼロリアは?」


「あそこ。ちょっと痛め付けたら大人しくなった」


「は? お主まさか、ゼロリアを斬ったのか?」


「馬鹿言え。硬過ぎて無理だった」


「そうか……ん? それ斬っとらんか?」


 そんな二人を茫然とした顔で見つめて、白い竜姫はやがて……ふるふると肩を震わせた。


「おい。この馬鹿者! 斬っとるではないか!」


「だから斬れなかったって。ほら、無傷だろ」


「服が破れて、竜麟が剥き出しに……あぁ……顔や首まで……容赦ないにも程があるじゃろ!」


「お前どっちの味方だよ」


「メルティアァァァァアアッ!!」


 剣士に詰め寄り、説教を始めた赤の竜姫。

 そんな彼女の名を白い竜姫は怒鳴った。


 見れば、涙で滲む碧銀の瞳が赤の竜姫を射抜き、敵意を剥き出しにしていた。

 

 白の竜姫は、外套の剣士を指差す。


「その者は、何ですかっ! 竜人である私の氷槍を平然と防ぎ、目で追えない程の身体能力に任せて、一切の躊躇いなく刃を振り下ろす、その者はっ!」


 怒鳴られた赤の竜姫は外套の剣士を見て、白の竜姫を指差した。


「なんか凄い怒っとるけど、どうするんじゃ?」


「適当に収拾つけてくれ。役目だろ?」


 肩を竦める外套の剣士を見て、困った赤の竜姫は白い竜姫に向き直った。


「その……じゃな。ゼロリア。先に喧嘩を仕掛けて来たのは、お主じゃろう?」


「その者は私の大事な配下に重傷を負わせたんですよ!?」


「ふぁ!? シーナっ!?」


 白剣を鞘に納めた外套の剣士は、無言で指差した。


 赤の竜姫が指先を見れば、股間を押さえて蹲っている白熊族の大男の姿があって……。


 嫌な予感がした赤の竜姫は、小さな声で尋ねた。

 

「……なにしたんじゃ?」


 外套の剣士は、平然と答えた。


「股間を蹴り潰した」


「やり過ぎじゃろうがっ!!」


 赤の竜姫は、白の竜姫が白い体毛を持つ者ばかりを臣下とし、好遇しているのを知っていた。


 それは流石に怒るだろうと叱責するが、


「先に戦斧を振り下ろして来たのは、そいつだ」

 

 外套の剣士が平然と言えば、呆れるしかない。


「なんじゃ。自業自得ではないか」


「明らかにやり過ぎでしょう! その者なら、もっと穏便に……」


「笑わせるな、ゼロリア。先に手を出したのはお主じゃろう」


 金色の瞳で睨まれ、白い竜姫は悔しげに唇を噛んだ。


「なんですか! 幾ら暴威を振るわれても、やり返さない。穏便にと甘い事を常々言っているのは、 メルティア! 貴女でしょうに!」


 赤の竜姫が持つ金色の瞳に、凄みが増す。


「あまり妾を見縊るなよ、ゼロリア。妾を懐柔しようとしても無駄じゃ。それはあくまで、理想の話。しかし、理不尽に奪おうとする者に対して抗う者を咎める権利は、誰にもないのじゃ」


 赤の竜姫の言葉を聞いて、白の竜姫は激情を顔に浮かべて叫んだ。


「ならば何故! 今更になって、そのような者を連れて来たのです! 私達はこの世界で、理不尽に奪われ続けていると言うのにっ!」


「それは……」


 ちらり、と視線を向けられた外套の剣士。

 彼は赤の竜姫の視線に気付くと、その困惑した表情を見て悟る。


(言い返せないよな。理想を盾に説得するには、お前はあまりにも奪われ過ぎた)


 両親を奪われた彼女では、何を言っても言い返されると判断したのだ。


「俺から話す。譲ってくれ」


 外套の剣士はそう口にして、前に歩み出た。


 そうして、周囲の視線を集めた彼は。

 右手に携えた琥珀色の剣を掲げ、高らかに宣言する。


「俺は、お前達にとっての敵。この世界で生まれた人間だ! しかし、俺もお前達と同じ。この世界に理不尽を強いられ、敵と見做された一人である!」


 足を止めた外套の剣士を狙って、高速で飛来する物があった。

 しかし、それを視認した彼は、右手の剣で容易に弾いてしまう。


 地に突き立った矢を見向きもせず、外套の剣士は射手を睨んだ。


「くっ!?」


 悔しげな顔で外套の剣士を見るのは、白い竜姫の配下の一人。

 白い体毛を持つ、弓使いの男だった。


「あやつっ!」


「良いんだ、メルティア」


 激昂した赤の竜姫を手で制して、外套の剣士は再度剣を空に掲げて続けた。


「理由はお前達と同じ! 謂れもない罪を着せられた事による! 俺は辺境の小さな村で生まれ、とある人物を輩出した! その者こそ、この場にいる竜姫、メルティアの両親を討ち取った者である!」


「なっ!? シーナ!?」


 外套の剣士が口にした言葉に、赤の竜姫は驚愕した。


 同じく、騒がしくなった周囲を見渡して。外套の剣士は続ける。


「その功績を讃えられ、権力者となったその者は、故郷の存在を邪魔に思ったらしい。理不尽にも焼き払い、歴史から抹消しようと企んだ。その為、俺は祖国に剣を向ける事を誓ったのだ!」


 外套の剣士は開いた左腕で赤の竜姫の肩を抱き寄せた。

 当然そんな事をされれば、白い肌も赤くなる。


「ちょっ!? おい、シーナ?」


「そんな折、俺は彼女。メルティアと出会った! そして、その思想に賛同し、彼女を主人と定め剣を捧げた! 故に俺は、この場に立っているのだ!」


 高らかに宣言していた外套の剣士は、座り込んだままの白い竜姫に対して剣先を向けた。


 冷酷な青い瞳が、碧銀の瞳を正面から射抜く。


「俺はもう、死んだ人間だ。故に、剣を捧げた主人に仇なす者を俺は許さない! 覚えておけ!」


 人類の敵と定められた異界人の住まう地で、現界で生まれた剣士は口角を上げる。


「言っておくが、俺はこの世界では下から数えた方が早い弱者だ。戦うなとは言わないが……理不尽に理不尽で対抗する以上、滅びる覚悟はしておけよ」


 自らを弱者と宣った外套の剣士の言葉に、異界の住人達は騒ぎ出した。


「嘘だろ……あれでか?」

「馬鹿。流石にハッタリ……」

「そんな証拠何処にあるんだよ! あいつ元々村人なんだろ!?」

「白の竜人であるゼロリア様が、翻弄される程の奴が、軍人じゃないなんて……」

「終わりよ! もう私達、このまま滅びるしかないんだ!」


 周囲の反応を見て肩を竦めた外套の剣士は、琥珀色の剣を鞘に納めた。


「今後、俺は主であるメルティアの傘下に加わる。皆、宜しくなっ!」


 最後に大手を振って、外套の剣士は自分の立場を訴え、主である赤の竜姫に向き直った。

 

 そして彼は、親指を立てると。


「上手い事やっただろ?」


 主人に渾身のドヤ顔を披露するのだが……。


 赤の竜姫様は、華奢な肩をプルプル震わせて……金色の瞳に怒りの感情を灯した。


「馬鹿者! 脅してどうするんじゃ! 皆が怯えて戦意を失えば、余計状況が悪くなるじゃろうが!」


「あっ」


 主人に怒髪天を衝かれた外套の剣士は自分の失言に気付き、権威者って大変だなと思った。


 




 折角退艦した戦艦に搭乗させられ、応接間に連れて来られた俺は、メルティアの隣に座っていた。


 対面しているのは、迷惑な来訪者。

 うちのお姫様と同じ、竜姫様である。


 不機嫌そうな顔で腕と足を組んでいる彼女は、俺を睨んだまま一切喋ろうとしない。


 彼女の背後。左右に控えて経っている屈強な男達も、俺を凄い目で睨んでいた。


 俺の左後ろに控えているミーア。

 メルティアの右後ろに控えているシラユキ。


 この二人も黙ったままだが、多分凄い顔をしてるんだろうと容易に想像出来た。


 そのまま数分経っているのだ。

 もう帰ってくれないかな……。

 殴ったことを謝ったら、許して貰えたりしない?

 

「えっと。改めて、自己紹介させて頂いても?」


 居た堪れない空気の中、愛想笑いを浮かべながら提案すると……。


 白い竜姫様は、俺を見つめながら言った。


「メルティア。この人、私に下さい」


「「「は?」」」

 

 俺、メルティア、シラユキの三人の声が、見事に重なった。

 

 このちんちくりん、今なんて言った?

 聞き間違いじゃなければ、俺が欲しいと言わなかったか?


 竜姫様は偉そうな態度で告げる。


「何も不思議な事ではないでしょう。貴女のせいで私は優秀な忠臣を一人失いました。せめて復帰するまで、誰か一人補填するのが筋ではないですか?」


 自業自得だろ。

 そう思った瞬間、メルティアが鼻を鳴らした。


「ふん! 自業自得じゃろ。良い薬になったと思って諦めろ。治療費くらいは面倒見てやる。それで手打ちじゃ」


「嫌です。私は、彼が欲しい」


 俺を興味深そうにジッと見つめる白い竜姫様。

 こうして見ると、やっぱり凄い美人だよな。

 幼児体型だけど。


「まだ言うか!」


「出来損ないの貴女には過ぎた剣です。シーナ、と言いましたか」


「はい」


 流石に争う間柄でなくなれば、礼を尽くすべきと考えた俺は真摯な態度で頷いた。


 すると白い竜姫様は、碧銀の瞳を柔らかくして。


「まだ貴方、メルティアと出会って間もないでしょう? 今なら不義にはなりません。正式に私と雇用契約を結びませんか? 厚遇しますよ」


 立ち上がったメルティアに見向きもせず、白い竜姫様は俺を見つめ続けている。


「えっと……」


  困った俺は、メルティアを見て助けを求めた。


 すると、うちのお姫様は慌てて。


「ちょっ……何を迷っとるんじゃ! 妾だって良い条件出すぞ? だから頼む! 行くなよっ!?」


 言われてみれば、俺って無職だった。


 良かった。ミーアを養えるようにしないといけないのに、ただ働きする所だった。危ない。

 

 好きな娘には、定期的に贈り物もしたいしな。


「え。まさか、まだ雇用契約が済んでない……?」


「シラユキー! 契約書持って来い! 今すぐ!」


「無理です。用意がありません」

 

 焦った様子でメルティアが怒鳴るが、シラユキに一蹴されてしまった。


「では、メルティアに義理立てする必要はありませんね」


「なんで無いんじゃ!」


「屋敷に戻ってから精査し、作成する手筈になっておりましたので」


「シーナ、私に剣を捧げなさい。悪いようにはしません」


「らしいぞ! シーナ! 決して忘れておった訳ではないからのっ!?」


 なんだこれ。どうして俺、来たばっかりで竜姫様二人に取り合いされてるの?


 全く嬉しくないんだけど。

 どっちも綺麗な娘だけど、角とか翼とか尻尾とかあるからな。

 少し手元が狂うだけで命を刈り取られかねない。


 そんな事を考えていると、白い竜姫はメルティアを呆れた顔で見つめた。


「メルティア。貴女は既に近々、婚姻が決まっているでしょう? それなのに男の側近なんて、失礼極まりない」


 嘘。メルティアの奴、もう婚約者居たのか。


 なんだ……女神様、脅かすなよ。

 俺の役割、既にないじゃん。


「シラユキ、貴女もそう思うでしょう?」


「え? あ……えっと」


「高潔な貴女です。許せませんよね?」


 高潔? 馬鹿言え。

 そいつ、恋人がいる男に迫る様な奴だよ。

 白昼堂々、二股を推奨されて困ってるよ。


「お主には関係なかろうが。大体、お主も知っておろう。彼奴にだけは苦言など言わせんわ」


 椅子に腰を落としたメルティアは、苛立った表情で腕と足を組んだ。

 

 件の婚約者と上手くいってないらしいな。

 どうやら、まだ俺にも役割はあるようだ。


 予期せず訪れた好機に俺は手を上げて質問する。


「あの。うちのお姫様が結婚するなんて、初耳なんですが……お相手はどんな方で?」


 尋ねると、白い竜姫様は大変馬鹿にされた表情をメルティアに向けた。


「素晴らしい方ですよ。こんな醜い出来損ないを貰ってくれると仰る、懐の深い方です」


「……っ!」


 ギリィ、と。歯軋りの音がした。


 見れば、メルティアは悔しそうな、悲しそうな。

 そんな酷く辛そうな表情をしていた。


 …………それを見て、俺は。


「撤回しろよ」


 自然と口を突いた言葉だった。

 

 何故か、凄く腹が立ったからだ。

 流石に主人を馬鹿にされて黙っていられる程、俺は大人ではないらしい。

 

 睨み付けると、白い竜姫は驚いた表情で俺を見た。


「な……何故、貴方が怒るのです? それに私は、事実を口にしたまでで……」


「うちのお姫様の何処が醜い出来損ないだって?」


 語気を強くして尋ねれば、身を乗り出した白い竜姫様はメルティアを指差して怒鳴る。


「だって、そうでしょう! その黒い角と翼は忌むべきものです! 本来、艶やかな深紅で在らねばならない火竜が」


「俺はこっちの世界の住人じゃないから、あんたの価値観なんて微塵も興味ない」


 聞くに耐えない言葉を吐くので、途中で遮った。


 哀れな奴だ。人を生まれ持った特徴で蔑み、差別する事しか出来ないなんて。


「あんた。シラユキを引き抜こうとしたり、俺に興味持ったり……お友達もみーんな、白い髪してるけどさ。恥ずかしいと思わない訳? そうやって、人を生まれ持った容姿でしか判断出来ない。自分が気に入らない奴には、酷い言葉を平気で吐ける。人の上に立つ者として、その感性。どうかと思うよ?」


「なっ……」


 絶句する白い竜姫を見て、鼻を鳴らしてやる。


「ゼロリア様に向かって、なんと無礼な!」

「貴様こそ、今の発言。撤回しろっ!」


 すると、左右に控えていた配下達が腰の剣に手を伸ばした。


 俺はそいつらを見て。

 あえて余裕な態度を示すために腕と足を組んで見せ、

 背を深く椅子に預けて見下してやった。


「抜いた瞬間に、腕を斬り飛ばす」


「ぐっ……」「くっ……!」


 そんな俺の脅しに動きを止めた白毛のお友達二名。

 ちょっと格好付け過ぎかな……と思いながら、俺は白い竜姫に視線を戻した。


「俺は今のお姫様が好きでね。この黒い角も翼も、初めて見た時から本当に綺麗だと思っている訳だ。勿論、あんたの白い角や翼よりもさ」


「……笑えない、冗談ですね」


 俺の目とメルティアの翼。

 それらを碧銀の瞳で交互に見て、竜姫様は忌々しそうに唇を噛んだ。


 何故、冗談と言い切れるのか。


「なに、別に不思議なことはない。人は自分にない魅力を持つ相手に惹かれるものだろう? あんたは……ちょっと自分が好き過ぎるよ」


 竜として生まれ持った強大な力と美しい容姿。

 その与えられた立場に何の不満もない。


 だからこそ、彼女はこんなにも高慢なのだろう。


 突き詰めれば、目の前の竜姫様は以前のミーアを酷くした感じだ。

 それが、俺を殺せず初めて挫折した。


 今なら、少しは響いてくれるだろう。


「悪いが俺は、あんたには雇われない。もう大事なお姫様が居るからな。今更、裏切れない」


「シーナ……お主、あれは本心だったのか?」


 隣から感極まった声が聞こえてみれば、金色の瞳が潤んでいた。

 それを見て思い出すのは、森の野営地での会話。


 自分で角や翼を醜いと言っていた。


 そんな彼女の心が、少しでも軽くなったなら。

 俺が恥ずかしい台詞を吐いた甲斐もある。


「……ありがとう」


 ……しかし。こいつ、感受性豊かだな。

 

 女神に言われて、勇者に対抗出来る戦力になるまで見届ける。

 そんな腹の中は、絶対に隠し通そう。


「それで。うちのお姫様は、そのお相手が気に入らないらしいが……理由を聞いても良いか?」


 話題を戻す為、白い竜姫様に向き直る。


「……気に入らんのは確かじゃが、一番の理由は他にある」


 質問に答えたのは、隣に座るメルティアだった。


「仕方ないでしょう。私達は竜。適格者が現れれば、その者を伴侶とするのは当然の事。我儘は許しません」


 理由を尋ねようとすれば、対面の白い竜姫様が冷めた声で言った。


 ギロリ、と睨む碧銀の瞳は蛇のような縦長。最近気付いたが、怒りを感じている時の目だ。


 へぇ。好きな人と結ばれないんだ。


 嫌いな考え方だが、理由があるなら追及は出来ないよな。


 価値観の押し付けはするなって言ったのは俺だ。


「適格者?」


「あぁ。異界の民であるお前は知らぬ事でしたね。では……」


 腰の剣帯から白銀の剣を鞘ごと外した竜姫様は、それを机の上に置いた。


 ゴトリ、と音を立てたそれは。美しい剣だ。


「私の竜装です。手に取り、抜いて見て下さい」


 やはり、これが竜装か。

 女神様に聞いてはいたが、こうして近くで見ると神々しささえ感じるな。


 流石、剣聖の神剣に抗える剣。風格がある。


「なっ!? ゼロリア様、それは!」

「このような薄汚れた蛮人に、貴女様の竜装を触れさせるなど許されません!」


 白い竜姫の背後に控える配下達がいきり立つ。


「構いません。彼もまた、穢れなき白の徒。触れる事を許します」


 そんな配下達を手で制して、白い竜姫は俺をじっと見つめた。


「そんな事言っとるから、お主はいつまでも独り身なんじゃろうが……」


「煩いですよ。さぁ、触れて見て下さい」


 呆れ顔のメルティアを睨んで、白い竜姫様は俺の前に剣を滑らせてきた。


 髪が白い奴しか触らせた事がないらしい。

 本当に筋金入りだな。


 それにしても……。


「……なぁ、メルティア」


「なんじゃ?」


 一つ懸念を抱いた俺は、机の白銀の剣を指差して尋ねた。


「大丈夫? これ。触ったら爆発したりしない?」


「しません! そんな訳ないでしょう!」


「ぷふっ……こ、凍ったりするかものぅ?」


「メルティア、貴女まで!」


 仕方ないだろ、信用ないんだから。


 反応を見る限りは大丈夫そうだけどな。

 そっと手を伸ばすと、言い争いで騒がしかった二人が黙り込んだ。


 途端に静まり返る室内。

 皆が、固唾を飲んで見守っているのが分かる。


「っ……いや、大丈夫……」


 鞘に指先が触れた瞬間。剣が恐ろしく冷たい事が分かった。

 そのまま指先を走らせ、装飾を撫でる。


 ……分かる。これは、凄い代物だ。


「手に取っても……良いか?」


 顔を上げて尋ねると、白い竜姫様は何故か緊張した面持ちで手を差し出した。


「ど……どうぞ……」


 許可を貰って、鞘を掴む。

 そうして手に取ると、途端に異変が起きた。


 ガシャ……と、僅かな衝撃と音がしたのだ。

 見れば、剣の鍔拵えが左右に開いていた。

 なんだ? この無駄な仕掛けは。邪魔だな。


「えっ」

「嘘……」


 竜姫二人の声が聞こえた。

 見れば、メルティアは金色の瞳を見開いていた。


「嘘じゃろ……外れおった……」


 どうやら何か拙い事が起きているらしい。

 抜剣して剣身を見たかったが、仕方ないか。

 俺はそっと、机上に剣を置いた。

 

「なな……何故置くのですか!」


 手を離すと開いていた鍔拵えが閉じる。


 ガチャン、と音を立てたそれは、どうやら剣と鞘が離れないようにする鍵のようだった。


「ふぅ……」


 何事もなくて、良かった良かっ……


「何故置くのですかーっ!!」


 良くなかったらしい。

 怒鳴り声を上げた白い竜姫様は、机上の剣を掴んで押し付けてきた……!


 

 

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