第88話 間幕 離陸の日、白狼とミーア

 幼い頃。今は亡き母さんに聞いた事がある。


 村の貴重な水源、湖から流れる小川の先には、何があるのかと。


 『それはね? 大きな湖……海よ。大人になったら、見に行きなさい』


 俺はそんな母の言葉を胸に……今は亡き幼馴染と約束をしたのだ。

 成人して結婚する前。二人で海を見に行こうと。

 

 そんな約束から、一年半も遅れて。

 俺は現在。幼馴染とは違う女の子と馬に二人乗りで、その小川を辿って海を目指していた。

 周囲を進むのは、人間に魔人と称され迫害を受けている者達。

 異世界から来た獣の特徴を持つ存在。

 彼等に協力すると決めた以上。俺は彼等を理解し、受け入れる必要がある。

 頭上で空路を進む赤髪の少女を見上げた俺は、彼女が広げる黒い翼に見惚れた後……。

 隣で乗馬している白狼族の戦士。シラユキに話しかけた。


「悪いな、シラユキ……もう聞いただろ? お前をメルティアの側近から引き抜いてしまった」


 すると彼女は黄色い瞳を鋭くして、白く長い髪を払った。


「構わん。重要な役割だからな。私以上の適任はいないだろう。納得の采配だ」


 シラユキが雇い主であるメルティアを敬愛しているのは、見ていれば分かる。

 だから、恨み言の一つくらい受け入れるつもりだったのだが……。


「そう言って貰えると助かる。すまない」


「だから、謝罪は不要だ。白狼族は誇り高い一族。故に、強者を好む」


 俺は彼女と話していて、日頃思う事がある。

 それはかつて、先輩冒険者テリオに言われた言葉だ。

 簡素な言葉遣いは、容姿が渋い者がやるから格好良いのだと。

 残念ながらシラユキは、結構な童顔だ。

 背も俺より低い。目付きは鋭いが、無理をしている感じがある。

 認めたくないが、確かに少々滑稽に映るな。

 俺も側から見れば、こんな感じなのか。


 そんな気付きを与えてくれた彼女は。俺を一瞥して、直ぐに進路へ視線を戻した。

 そして、その堂々とした佇まいのまま続ける。


「私も女だ。お前程の強者に見初められるのは、 我が一族にとって大変誇らしい事だ」


 ……別に見初めた訳じゃないんだけど。

 現状、信頼出来て腕が立つ奴がお前しか居ないんだよ。

 過大な評価を受けているのは現状都合が良いが、下手な勘違いは困る。


「それにしても先日の一件。事情は知らんが、素晴らしい戦いぶりだった。見ていて惚れ惚れしたぞ」


 ……どうしよう。なんか語り出した。

 気付けば彼女は得意げな顔で、尻尾をブンブン振っている。

 騎士達との戦闘が余程お気に召したらしい。


「権威に屈せず、数的不利を物ともせず、その身一つで己が信念を貫いた。血溜まりの中で立ち尽くすお前の姿は大変美しかった」


 紅潮した顔で、シラユキは「ほぅ……」と熱い吐息を吐く。


 人殺しで。その返り血に塗れた俺が美しい、か。

 村出身の俺には、理解し難い価値観だ。

 実際、皆には怯えられて凄い目で見られたしな。


 シラユキは生まれながらの戦士なのだろう。

 

 その証拠として、彼女は剣士としてだけでなく、実に多才だ。腰の剣の他に弓や槍も使うらしい。

 聞けば他も達者らしいから、疑いようがない。


 俺と一つしか変わらない年齢で、それだけ武芸に精通するには……どれ程の歳月が必要か。

 少なくとも、俺や剣聖ユキナのような与えられた力を振るっているだけの傀儡とは格が違う。


「あぁ……思い出しただけで身体が熱くなる。私が敵わないのも納得だ。お前の子種なら、さぞ強い子を授かれるだろうな。全く、その娘が羨ましい」


 ……何言ってるんだ? この駄犬は。


 全く。ミーアと言い、シラユキと言い……。

 この二人はちょっと。いや、かなり俺の手には余る嗜好の持ち主だな。


 ……待てよ? そんな二人に好かれる俺って?

 駄目だ。考えないようにしよう。


「お前さえ良ければ、私の次の発情期に相手をしてくれ。周期通りなら来月だ。ずっと一人で慰めているのだが、そろそろ辛くてな」


 生娘なのかよ。

 それなのに発情期とか、年頃の娘が堂々と口にするな。

 あ、そう言えば山狼にもあったな。そんな習性。

 そこは一緒なんだ……。

 出来れば知りたくなかったよ。


「なら、彼氏を作れば良いだろう。お前可愛いし、優秀なんだから男なんて選び放題だろうが」


 言えば、途端にシラユキは渋い顔をした。


「ふん。私より弱い男と交わるなど、願い下げだ。考えただけで吐き気がする。男なら女を組み伏せて然るべきだ。その上、子を孕むだと?あり得んな」


 どうやら、乱暴なのが好きらしい。

 ……本当に似てるな、この二人。


「なんで俺は良いんだよ」


「当たり前だ。お前は私に勝っただろう」


 勝ったって……あ。しまった。

 そういえば立ち合ったな。原因は俺だったのか。


「頼むから、恋人ミーアの前で堂々と口説いてくるな。知ってるだろ? 敵に回すと怖いぞ、こいつは」


 すっかり持て余したので、諦めて最後に釘を刺しておく。

 すると。シラユキは手にしていた手綱を離して腕を組み、偉そうに鼻を鳴らした。


「案ずるな。私もその娘とは懇意にしたいからな。お前の番なのだろう? 私にとっては要人だ」


 言い方と態度は気になるが、随分と協力的だな。

 ……何を企んでいるんだ?


「くれぐれも頼むぞ?」


「愚問だ。任せておけ。そうだ。まだ暫くは移動が続く。その間、彼女と会話しても良いだろうか?」


「あぁ。それは構わない」


 ミーアに意識を向け、少し間を置く。

 こうする事で、俺は使う言語を正確に変化出来るようだ。

 人間の使う王国共通語と、彼等の使う親竜語。

 何故、俺だけがこんな力を与えられたのか。

 出来るなら、全員に与えて然るべき力だろう。

 女神様が何を考えているかは知る由もないが、 それが与えられた役割ならば。俺は望み通り、彼等の橋渡し役を全うする。


 何にせよ、二人の仲を取り持つのは必須だ。


「ミーア。彼女が話したいそうだ。少し良いか?」


「えぇ。随分親しげに話していたものね。是非紹介して欲しいわ。あなたの婚約者だってね」


 俺の問い掛けに、ミーナは朗らかに応えた。

 だが、騙されてはいけない。

 これは、大変怒っていらっしゃる。

 他の女の子と仲が良いのが気に入らないらしい。


 最初から不安だな、これは……。


「……シラユキ。良いぞ」


「分かった。んんっ……こんにちわ。初めまして。私の名前は、シラユキと言います」


 流暢に自己紹介をした事で、ミーアが少し驚いた表情になった。


「あら。この人は随分と上手なのね」


「一回聞いただけで覚えたんだ。メルティアの側近をしていた白狼族のシラユキだ。優秀なんだよ」


「へぇ、この娘がシラユキ。私と同じ天才肌って訳ね。白狼族ってなに? 白い狼って事? あなたに聞いてはいたけど、凄い可愛い娘よね」


 自分を平気で天才と言える彼女にはもう慣れた。

 可愛いと言うのも同意だ。シラユキは、凛々しいと言うよりは可愛いと言う表現がよく似合う。

 言われてみれば、この二人って結構似てるよな。


「その認識で間違いないよ。多分、お前とは気が合うと思う。これから俺達の護衛をしてくれるから、少し話すと良いよ。通訳するから」


「分かったわ。んん……よろしく、しらゆき」


「! よろしく、みーあ」


 長い耳を跳ねさせるシラユキと、微笑むミーア。

 何気なく始まった二人の交流は、その後。目的地到着まで続いた。

 俺も時折通訳をしたが、狩りの話題で盛り上がっていた。


「麻痺毒は良い。最後にそいつは眉間を突いて、脳を掻き回してやったのだ」


「へぇ、凄いわね。ちなみに、そっちではどんな毒が一般的なのかしら? 虫? 草? キノコ?」


 楽しそうで何よりだが……。

 ねぇ。毒の話とかやめようよ。

 女同士の話題としては、本当にどうかと思うぞ?


「うぅ……シラユキめ。何故、彼奴はあんな簡単に仲良くなれるんじゃ……」


 途中、ふと上空のメルティアを見ると……悔しそうな、羨ましそうな。複雑な表情をしていた。


 あいつは、耳が異常に良いからな。

 折角、時間があるのに空なんか飛ぶからだ。

 空中監視のお仕事、お疲れ様。頑張ってな。



 数刻も過ぎると、森を抜けた。

 目に映る海は、どこまでも。ずっと先まで続く湖と称すれば良いのだろうか。

 太陽の光を反射した水面。その壮大な光景を彩る輝きは、俺の瞳に鮮烈に焼き付いた。

 鼻を突く不思議な香り……これが、磯の香りという奴か。


「綺麗なものだな」


「そうね」


 しかし、そんな見たかった光景よりも……。

 海を見つめるミーアの後ろ姿の方が、綺麗なのは言うまでもない。

 潮風に髪を揺らし、太陽の光を浴びた彼女が暴れる髪を耳に掛ける。

 そんな姿に思わず見惚れていると……。


「皆の者。妾の言葉に、耳を傾けよ!」


 海と大地を隔たる境界。

 陸地の終わる崖の先、海上の上空で対空したメルティアは……。

 海に背を向け、黒い翼を広げた姿で。両手を腰に当て、小さな胸を張った。


「此度の遠征。大変ご苦労じゃった! 皆、よく妾の我が儘を聞き入れ、力を貸してくれた!」


 まずは配下達を労い、彼女は本題を口にする。


「お陰で妾達は、全ての目的を達した! それだけではない! 妾は、皆のお陰で。両親とその従軍の死という、残念な事実だけでなく。嬉しい希望と新たな友人を迎えて帰れる! ありがとうっ!」


 俺達を見下ろした彼女は、柔らかく微笑んで。


 すぐに瞳を鋭いものに変え、強く息を吸い……

力の限り叫んだ。

 

「本国に戻り次第。妾は亡き父の意思を継ぎ。新たな赤き守護竜として宣言する! 故に、今後!」


 まるで自身が。この世の覇者であるかのような。


 そんな立ち居振る舞いを見せる、彼女の意思に応えるように……突然。地が揺れた。

 途端に海が迫り上がり……海中から、何かが浮上してくる。


「きゃぁ!? い、いったいなに!?」


「落ち着け。大丈夫だよ、多分」


 慌て出したミーアの背を抱き寄せて、俺は耳元で囁いた。

 途端に大人しくなる彼女を抱き締めながら、見つめる先……海中から現れたのは、赤い島だった。

 つい今まで見えていた海を遮り、隠してしまう程の巨大さだ。島としか形容し難い。

 そんな背で起きている事に目もくれず、口角を上げたメルティアは右腕を横に振るった。


「この艦の艦長は妾となる! 総員、出航準備じゃ! 帰国するぞ! 速やかに掛かれ!」


 メルティアの号令に応え、歓声が上がる。

 それを聞いて、俺は海上にその巨大な全貌を現した艦を見て呟く。


「……これが、船だって言うのかよ」


「えっ……嘘でしょ? あ、有り得ないわ」


 腕の中から、ミーアの震えた声がした。

 それを聞いて、悟る。

 やはり俺達は。この世界の人間は……。


「こんな巨大な鉄の塊が、水に浮くなんて……!」


 敵に回してはいけない存在に、喧嘩を売っていた愚者の集まりなのだと。




 巨大な鋼鉄の船に搭乗し、シラユキに軽く船内を案内された後。

 俺達は出航した船の甲板で、遠くなっていく大陸を眺めていた。

 艦長様は忙しいらしく、今は艦橋? とか言う所に居るはずだ。

 そこがこの船の司令所なのだとか。中に入るなと言われたので、近付かないようにしよう。


「わぁ……恐ろしく速いわね。もうあんな遠くに」


「そうだな。どうやって推進力を得ているんだ? 見た所、帆らしい物は見当たらないが」


 一応、書物で知識は得ていたので尋ねる。

 ミーアは貴族の。それも大商会を持つ家のお嬢様だ。船には詳しいと思ったのだが……。


「分からないわ。でも、これだけ大きいと風の力ではビクともしないでしょうね。ネジ巻きのオルゴールみたいな、からくり仕掛けを使っていると考えるのが妥当だわ」


「なんだそれ。詳しく」


 異世界の船に圧倒され、知識欲が刺激された俺がミーアと話していると……気付けば、生まれ育った大地は本当に小さくなっていた。


「……私達、本当に行くのね。魔界に」


「魔界って呼び方はやめろ。親竜国だ」


「そうだったわね。ごめんなさい」


 身体にすり寄ってきたミーアの腰を抱き、海の向こうに消えていく大地を見送る。

 そうして、海しか見えなくなった所で。ミーアが言った。


「……半年前。あなたに出会った時は、まさか。こんな事になるなんて思いもしなかったわ」


「……奇遇だな。俺も実は、まだ夢の中にいるみたいに感じてるよ」


 妙な感慨を抱いて、俺達は言い合った。

 こんな未来。どうしたら想像出来るだろうか。


「本当に、あの時の私は子供だったわ。酷い態度でごめんね?」


「その分、可愛いところも沢山見せてくれただろ」


 少し意地悪をしてやると、ミーアは恥ずかしそうに目を伏せた。


「もう……ふふ。でも、そうね。一緒に大人になったものね、私達」


 顔を見上げてきたミーアは、柔らかく微笑む。

 ほんの少し前まで。こんな表情は想像すら出来なかった。

 知れば、本当に可愛い女の子なんだ。


「……暫くは我慢だけどな」


「ふふっ……そうね。でも可愛がって貰えない分。沢山、甘やかして貰うからね?」


 この女、分かってて言ってやがる。


「……お前。我慢させる気ないだろ?」


「あなたも随分、素直になったじゃない」


 楽しそうに笑う彼女の温もりは、冷たい潮風の中で一層強く……頼もしく感じた。


「誰かさんと一緒だよ。さて、部屋に戻るか」


「そうね。ここは冷えるわ」


 腕の中にミーアを抱えたまま、俺は護衛として控えてくれているシラユキへ振り返った。


「俺達は部屋に戻る。一緒に来るか? 早くミーアと話せるようになりたいなら、教えるが」


「あぁ、それは助かる。是非頼もうか」


 船にいる間。俺はシラユキの勉強を徹底的に見てやるつもりだ。

 優秀で時間もあるのだ。わざわざメルティアに合わせてやる必要はない。


「ミーアは向こうの言葉を学ぼうな。俺も文字は読めないから……シラユキ。俺に文字を教えてくれ」


「分かったわ」

「うむ。互いに高め合うのは良い事だ」


 頼もしい二人を連れて、俺は甲板を後にした。

 俺たちの旅路は、始まったばかりだ。


「うぅ……なんでシラユキばっかりなのじゃ!」


 そんな俺達を、艦橋から恨めしい瞳で見つめている奴がいた事は……知る由もなかった。


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