第87話 故郷からの追放

 二度目の村を発つ日がやってきた。


 日の出と共に動き出した俺達は、装備と荷物の最終点検。世話になった家の掃除を終わらせた。

 そうして着替え、腰に二本の剣を吊り下げて。


「用意は良いか?」


「えぇ。行きましょ、あなた」


 今度はもう、二度と戻って来られない。

 そう思うと、もっと感慨深いと思ったのだが……思った程。なにも思わなかった。

 お揃いの黒革の外套を着て、二人で過ごした家を出る。

 かつて愛を誓った幼馴染と結婚後、共に住むはずだったこの家は、俺達二人が結ばれた思い出で満たされてしまった。

 二人で手を繋いで、暫く家を見つめた。


「色々あったな」


「……これから、もっと一杯あるわよ」


「そうだな」


「えぇ……ずっと一緒よ」

 

 少しだけ強く握れば、握り返してくれる。

 そんな彼女の存在が、俺を大人に。男にしてくれたのだ。

 これから、良い彼氏。良い夫。良い父親と。頑張っていきたいと思う。

 そして。いつか、思い出しながら笑うのだ。

 辺境の名もなき小さな村。この家で全てが始まったのだと。


 続いて向かったのは、村の外れにある墓地だ。

 亡くなった母さんに二人で黙祷を捧げ、心の中で旅の安全を祈った。

 どんな事になっても、彼女だけは守ると誓った。


「お義母様。大切に育てて下さった息子さんは、頂いていきます。私が、一生隣で彼を支えますから」


 ぽつり、と。隣のミーアが漏らしていた。

 母さん。俺を選んでくれた人は、本当に良い子だよ。

 いつかまた、ここに戻って来られるように。

 俺、頑張るよ。頑張って……足掻くよ。

 凡人なら、凡人らしく。いや……。


 母さんから貰った、この命で。成し遂げるよ。

 間違い続けている幼馴染ユキナは、俺が止めてやる。

 必ず、後悔させて見せるから。

 だから、叶うなら。見守っていてね。



 最後に向かったのは、父さんの寝室だ。

 俺が生まれ育った家でもある。

 しかし、寝室を見ても。父さんは居なかった。


「あれ? 居ないわね」


「多分、村の出口だ。また格好付けてるんだよ」


「また? なるほどね……あの人らしいわ」


 前回出て行った時の事を思い出して、俺達は家を出た。

 すると、隣の家。その前に、二人が立っていた。

 コニーとシロナ。幼馴染だった女の両親だ。


「シーナ」


 何も言わずに立ち去ろうとすると、コニーの声がした。

 でも、足は止めない。喋りたい事があるなら、勝手に言えば良い。


「ユキナとも、戦うのか?」


 背中から、コニーの声が追いかけてくる。

 手を繋ぐ彼女が、ギュッと強く握ってくれた。

 何も言わずに、そうしてくれる。彼女の存在が、頼もしくて仕方なかった。


「……っ! 頼む。殺さないでくれ」


「お願い、シーナ。あの子を殺さないで……」


 二人が俺たちの背に懇願してくる。

 あぁ、そうか。二人は勘違いしていたのか。

 一応、説明したはずなんだけどな。俺達は、この無駄な争いを終わらせたいだけなんだと。


「頼む……悪いのはあの子じゃない! きっとあの子は。ユキナは、騙されただけなんだっ!」


「あなただって分かっているでしょう! あの子は、あなたの事が大好きだったのよっ!」


 ……立ち向かってくるなら、容赦はしないと。

 大体、あんた達の娘は剣聖だろう。普通は逆じゃないのか?

 それに心配しなくても、止めてやるよ。

 愚かなあんた達によく似た、愚か過ぎる娘はな。


 俺が。この手で、必ず報いを受けさせるさ。





 村の住人達は、みんな家の前に立っていた。

 無言で見送ってくれる中を堂々と歩き、村長の家で馬のリリィを迎えに行く。


「いい子ね、リリィ。今日は早起きじゃない」


「これから大変だろうけど、宜しくな。俺も一日でも早く、乗れる様になるからさ」


 この馬とも、長い付き合いになりそうだ。

 彼女がくれた俺の馬だ。早く主人らしくならないとな。



 ミーアに馬の手綱を引いて貰い、村の出口に向かうと……予想通り、父さんが居た。

 腕を組んで、柵に背を預けている。

 本当、格好付けたがりだな。


「……お前と会うのも。これで最後だな」


 隣には、驚いた事に爺さんも立っていた。

 追放だと言った手前、もう顔は見せてくれないものだと思っていたのにな。


「シーナ。ワシらもこの地を離れる。この村は、 もう終わりじゃ」


 最後の別れだと思うと、二人になんて言ったら良いのか、分からなかった。

 すると、代わりに口を開いたのはミーアだ。


「お義父様。この手紙をギルドへ通してください。私達二人の個人預金の委託書です。彼も相当稼いでいますから、最先端の治療が受けられるでしょう」


 父さんに昨晩、二人で書いた手紙と等級証の入った封筒を渡す。


「私達二人は、死んだ事にします。内容は、そちらに同封してあります。それと、こちらもギルドにお願いします」


 もう一つ封筒。それは、彼女の実家へと送る為の物らしい。

 俺の為に、彼女も家族と祖国を裏切るのだ。そう考えると、申し訳ない気持ちになった。


「……分かった。シーナ、悪いな。酒飲み放題だ」


「馬鹿言ってないで、生きてくれ。また会おう」


 馬鹿な事を言った父さんは、ミーアを見て。


「……まぁ。孫の顔くらいは見てやるか」


 そう言って、俺に一振りの片手直剣を掴んで差し出した。

 琥珀色で、無駄な装飾もない。ただ、こだわりが窺える拵えが所々に見られる。

 間違いなく、数打ちじゃない。業物だ。


「俺が昔使ってたものだ。銘をグローリアと言う。異国語で栄光って意味らしい。中々の名剣だ」


 栄光って……絶対名前で買っただろ、それ。


「受け取れないよ」


 二日前。ミーアから剣を貰ったばかりなのに、 またこんな……。

 腕に相応しくない剣を渡されても困るんだけど。


「良いから、持って行け。いずれ渡そうと思っていた。これから旅に出る息子への餞別だ」


「本当、格好付けたがりなんだから」


「お前の父親だ。同じ血が流れてるさ」


 なんだよ、それ。腑に落ちない……。

 そう思っていると、ミーアに肘で突かれた。


「受け取りなさい。あんな速さで振ってたら、量産品の騎士剣なんかすぐ駄目になるわ。折角のご好意だもの。有り難く頂戴するのが筋でしょう?」


「……分かった。大事にするよ」


 父さんから剣を受け取って胸に抱く。

 結構重いな。今まで手にした中で、一番重い。

 剣自体も、込められた想いも。俺には重過ぎる。


「人を待たせてるんだろ。もう行け」


「ワシらの事は心配するな。あの二人も、余計な事をせんように見張っておく。皆で何処かで隠れて、穏やかに滅びるのを待つとするよ」


 剣を受け取った途端、二人は最後の別れを口にした。

 あまり長くない方が、後ろ髪を引かれないから良いのかもしれないな。


「父さん、爺さん。ありがとう。二人が生きてる間に、この国を変えられるように頑張ってみる」


「シーナ、乗りなさい。行くわよ」


 さっさとリリィに乗馬したミーアが俺を呼んだ。

 彼女の後ろに乗っていると、ミーアが二人を見下ろして言う。


「短い間でしたが、本当にお世話になりました。 彼とは一生添い遂げますので、ご安心下さい」


 すると、二人は良く似た表情を浮かべた。

 にやりと、気味の悪い笑顔を浮かべたのだ。


「おぅ。頼んだぞ、ミーアちゃん。あ、でも。夜の方は程々にな。そいつのでかいだろ?」


「うむ。元気な子を産むんじゃぞ? まぁ、その尻なら心配いらんか。ほっほ」

 

 あああああっ!? こいつら最低だ!

 最後だからって、言って良い事と悪い事がある!


「何言ってんだよ! 二人共!」


「……そうですね。では、さようなら」


 冷めた声で言って、ミーアは手荒く手綱を繰った。

 途端にリリィは駆け出し、あっという間に森の中へと駆けて行く。

 俺はミーアにしがみ付くのが精一杯で、手を振る事すら出来なかった。

 ありがとう。みんな。ありがとう、二人とも。

 この村で過ごした日々は、一生忘れない。


 

 暫く走って、野営地に到着する前。

 ミーアがリリィを歩かせ始めたので、俺は彼女の首に肩を擦り寄らせた。


「どうしたの? あなた」


「……なぁ、ミーア。お前、悔しいだろ」


 甘え出した俺に尋ねる、ミーアの耳元で囁く。


「半年間。ついこの間まで、馬鹿にして。見下して来た男のせいで。お前は家族もこの国も裏切るんだ。金持ちの貴族のお嬢様なのにさ」


「…………」


「あんな小さな村の男に救われたせいで、お前はこれから一生。俺のものだ。俺のために生きて、俺なんかに愛を囁いて、俺に身体を好き勝手触られて、俺が傷付いたら慰めて、俺のために腹を痛めて、俺の子を産んで、俺のために子育てをするんだよ……なぁ、悔しいだろ?」


「……なによ。仕返し?」


「うん、仕返し。愛してるよ」


 後ろから抱き締めると、ミーアはくすぐったそうに身動ぎをした。

 半年間。付き纏われて、馬鹿にされて。生意気で可愛くない年下の女の子。

 でも肝心な時は助けてくれた。素直じゃない奴。

 

 そんな彼女が、俺の腕の中にいる。

 これからは、ずっと傍に居てくれる。


 そう思うだけで、俺は良かったと思うんだ。


「俺は、剣聖に裏切られて良かったよ」


 口にすると、ミーアは黙り込んだ。

 見なくても分かる。きっと彼女は、今。凄く喜んでくれているはずだ。

 だって、耳が真っ赤だもんな。可愛い奴め。


「そうね。とーっても、悔しいわ」


 暫くして、ミーアは吹っ切れたように声を上げた。

 もう程なくして、目的の野営地に到着すると言う時だった。


「悔しいったら、ありゃしない。あんたのせいで、私。今まで持っていた物、全部無くしちゃった」


 大声でそう言ったあと……俺の頭に頭を預けて、ミーアは囁く。

 

「……私は、英雄になりたかった。でも諦めなきゃいけなくなったんだからね? だから、せめて見届けさせて。剣聖に裏切られた幼馴染の旅路、その果てを」


「あぁ……最後まで見届けろ。途中で辞めるなんて許さないからな」


 俺達は言い合って、顔を離して、見つめ合った。

 そうして笑い合って……自然と唇を重ねた。

 口付けが終わって、二人して前を見る。

 そうすれば、すぐに森を抜けて……広場に出た。


 人類の敵、魔人と呼ばれる者達に出迎えられて。


 百を超える彼等の中央。そこに立つ小さな女の子には、黒い角があった。

 二つ結びの真紅の長い髪を揺らして。黒い翼を広げ、赤い鱗を持つ蜥蜴のような尻尾を振っている。

 

 彼女の名は、メルティア。

 今日から俺達のご主人様になる赤竜姫だ。


 そんなお姫様は、金色の瞳を爛々と輝かせ。

 腕を組み。偉そうに胸を張って言うのだ。


「来たか! 異世界の住人よ! さぁ、共に世界を変えるのじゃ! 皆が手を取り合い、仲良く平和に暮らせる世界へと!」


 その小さな胸に秘めた、あまりに壮大な理想を。


 ……あいつ。

 態々あんな事言う為に、準備して待ってたのか。

 よっぽど暇だったんだろうな。



「この世界を変える、だとさ。一緒にやるか?」


「えぇ。私達の旅の目的としては、悪くないわね」





 これは世界を滅ぼさんと侵略して来た魔人と人。

 

 その壮絶な戦いを記した、よくある英雄譚ではない。


 友達の居ない竜のお姫様と名もなき村人の俺。


 これは、そんな悲しい俺達が目指す。

 全人類お友達計画……そんな物語の序章だ。

 

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