第83話 激情の少年


「本当に妾達、加勢せんで良いのか?」


 村の中央広場に騎士達が入ってきたのを見て、待機を命じた俺にメルティアが言った。


「見たところ。勇者はいないからな。まずは奴等が来た理由を探る。俺が合図するまで、見ててくれ」


 木に背を預けて隠れ、様子を窺っている。

 そんな俺は同じく隠れているメルティアを見た。


「勇者? なんじゃ、それは」


「お前の両親を殺した奴だ」


 躊躇わずに口にすると、メルティアの表情が曇った。

 いずれは知ることだ。隠しても仕方ない。


「一人で大丈夫か? 危険だ」


「お前達が出た方が危険だ。戦闘は避けられなくなる」


 もう一人の伏兵、シラユキの質疑にも間髪入れずに答える。

 まだ騎士達は動きを見せていない。

 集まった村の皆を馬上から見下ろしている。


 その中には、昼食の用意をしていたのだろう。

 古着姿のミーアの姿もあった。


「メルティア、お前耳が良かったな? 奴等の会話を復唱出来るか?」


「はっきりと聞こえるぞ。やってみよう」


 それから暫く待っていると、騎士達の前に出たのはシロナおばさんとコニーおじさんだった。


 剣聖の両親である二人、そして。


「いたー、しゃ。コニー。いたんしゃ、しらな」


 これだけで、俺には十分な情報だ。


 視線の先では既に、騎士達に二人が組み伏せられ捕縛されている。


 異端者、ね……。

 やってくれたな、ユキナの奴。

 

 騙されたのか、それとも本心なのか。

 それは分からないが、あの二人。

 剣聖の両親が生きてると邪魔な人間がいるらしい。


 別に想定してなかった訳じゃない。

 いずれ、こうなる気はしていた。


 俺と同じく、遂にあの二人も裏切られた訳だ。


 要するに奴等は敵って訳だ。参ったな。


「もう良い。欲しい情報は手に入った」


「む……そうか?」


「共有したいが、時間が惜しい。ただ奴等は、無実の罪をこの村に押し付けて滅ぼそうとしている……騎士だ。お前らと同じ、軍人だよ」


「……そうか。それは度し難いの」


 メルティアの瞳が、爛々と輝いた。


 同じく虐げられている身としても、同じ権力者としても許せないと言った所か。


「民を守る為の刃を、民に向けるか。愚か者め。 あれでは略奪者と変わらん。奴等には誇りがないのか?」


 忌々しそうな顔でシラユキが呟く。


 知らねーよ。

 それが正しいって本気で思ってる奴等だからな。

 理解したくもない。


「本当に必要な時は、まるで役に立たない癖に」


 暗い洞窟の中で。鎖に繋がれ……。

 憔悴したミーアの姿が脳裏を過って。


 思わず、呟いた時だった。




「お待ち下さい!」


 結構な距離があるにも関わらず、その声は俺の耳にも明瞭に届いた。


 視線の先で、恐らく部隊長だろう老騎士の前に歩み出た女の子。


 その堂々とした立ち姿を見た瞬間、俺の手はシラユキの腰にある矢筒に伸びていた。


「シーナ、何を」


「一本、貰うぞ」


 シラユキの顔を見上げれば、彼女は俺と目が合った途端。目を見開き、驚愕した表情に変わる。


「俺が合図したら、助けてくれ」


 一応保険をかけ、メルティアに言う。


 すると彼女は頷いた。


「わかった。じゃが、危険じゃと判断したら自己判断で飛び出す。妾は、お主を失う訳にはいかん」


「構わない」


 メルティアは、真剣な表情で了承してくれた。

 これで、万が一にも敗北はない。

 何故か、そんな安心感があった。


「女神エリナよ」


 勇者が来ないなら……。

 全員俺が叩き斬って、土に還してやる。


「我が望むは、我が敵を貫く奇跡」


 それにこれは、良い前哨戦だ。


 女神が敷いた運命に従い続け、剣聖に裏切られた俺は……今日。


「貴方の子である我に、その慈悲深い御手を貸し与え」


 人間を裏切る。

 先に裏切ったのは、お前らだ。

 俺は裏切り者は、絶対に許さない。


 よく見てろ……女神様。

 よく見てろ、魔人四天王の娘。


 お前達が選んだ村人の覚悟と、生き様を。


 英雄なんて、必要ない。

 俺が、このくだらない戦いを止めてやる!


「貫けっ!」


 女神に与えられた魔法が、俺の手から矢を高速で射出した。









「シーナ! ダメっ! 来ちゃダメ!」


 村の広場に入って来た少年を見て、ミーアは叫んだ。


 その表情を見れば分かる。

 シーナは賢く、勇敢な人だ。

 だからこそ、問題なのだ。

 既に彼は自己完結を済ませ、腹を括ってしまった。


 彼は、戦う気だ。

 王国の秩序と安寧を守り、誇りを胸にした騎士。

 殆どが、貴族。権力者だと分かっていて。


 それでも彼は、村人の彼は、引く気がない。

 

 それが嫌でも分かってしまって。

 

「止まれ、少年っ!」


 叫び声を聞き、ミーアは我に返った。


 慌てて老騎士を見れば、彼は焦ったような表情をしていた。

 途端に気付く。これは、不測の事態なのだと。


(まさかっ! こいつらっ!)


 彼等の目的は、シーナに知られたくなかった。

 彼等は、シーナも利用するつもりなんだ。

 剣聖ユキナ……愚かな英雄と同じように!


(行かせないっ! やらせないっ!)


「止まれと言っているだろう!」


「すぅー!」


 老騎士が腕を上げ、手を彼に向けた。

 瞬間、ミーアは精一杯息を吸い込んだ。


(あいつは、私と一緒に生きるんだっ!)


「我、女神の祝福を」


「最優の騎士、アラド・ドラルーグよ!」

 

 権能を振るおうとする老騎士の隣で、ミーアは力の限り叫んだ。


 少年が暇さえあれば読んでいる。

 ギルド発行の手記を信じて。


「なっ!?」


 少女が発した大声量に老騎士が驚いた瞬間。


「ありがとな」


 少年は青い瞳を一層輝かせると、加速した。


 黒い疾風が一瞬で迫り、誰もがその姿を見失う。

 ただ一人、最優と呼ばれた騎士を除いて。


「なんだ……今のは」


 老騎士は、驚嘆しながら振り返る。


 それは、決して狭くない村の広場の隅。

 一瞬で駆け抜けた少年の背中が、そこにあった。


「本当に速いわね、あなた」


 黒い外套を風に揺らす、頼りない背中。

 その腕の中には今し方まで隣に居た筈の少女が抱えられている。


「ミーア」

「シーナ」


 抱えた少女の前髪を払い除け、少年は青い瞳を少しだけ和らげる。

 すると少女は、くすぐったそうにしながら彼の胸に甘えた。


「戦うの?」

「……少し待ってろ。直ぐ終わらせるから」

「わかった……気を付けてね。見てるから」

「出来れば、見るな。いや、見ないでくれ」


 懇願する少年の顔を見上げ、じっと見つめて。

 その頰に少女は手を伸ばして撫でた。


「大丈夫。私は、あなたを恐れない」

「分かった。ありがとう」


 少女を優しく地に下ろした少年は、振り向く。


 老騎士と対峙した彼は、腰に手を伸ばした。


 一切の躊躇いもなく、抜剣する。

 少女に託され、借り受けた。彼女の愛剣を。

 その剣先を真っ直ぐに向けて、敵意を示す。


「最優の騎士と名高い、アラド・ドラルーグ騎士長だな」

 

「……そう言う貴様は? 騎士に剣を向け、王国に楯突く意味。理解出来ぬとは言わせんぞ」


 少年の傍から離れた少女を一瞥しながら、老騎士は告げた。


「あっ……や、やめなさいっ! シーナ!」

「そ、そうだ! ユキナに迷惑が掛かるぞ!」

「は? 違うでしょ! あんた何言ってんのよ! 馬鹿っ!」

「えっ……だって……っ!」


 組み伏せられたまま、剣聖の両親が少年に叫ぶ。

 しかし、少年はまるで気にした様子を見せない。


「シーナ! やめるんだ!」

「やめなさい! シーナ!」

「あぁ……どうしてっ!どうして、こんな事に!」


 同じく。村人達が口々に制止の声を上げ、彼の名を呼ぶ中……。


「ひひ……はははっ! シーナっ!」


 村の代表である村長だけは、一人。少年に力強い瞳を向けていた。

 騎士に組み伏せられたまま。にやりと笑った彼は、少年に向かって叫ぶ。


「やってしまえっ! ワシの孫よっ!」


「その者を黙らせよ」

「はっ! 黙っていろ! この……」


 老騎士が出した指示に従い、若い騎士が組み伏せた老夫を黙らせようと頭を掴んだ時だった。


 少年が、力強く地を蹴った。

 白い剣を翻し、黒い疾風と化した少年は、一瞬で村長を組み伏せる騎士との距離を詰めた。


「……っ! 避けろっ!」


 瞬きも許されない、凄まじい速度だった。

 焦った老騎士が叫んだ時には、もう遅い。


 既に白刃は、閃光と化していた。


「え」


 疑問の表情を浮かべた教え子の首。

 その顔面が、老騎士に向けられていた。


 宙を舞う教え子。

 まだ絶命した事すら気付いていないようだった。

  

「ふっ!」


 頭部を失った首。

 そこから噴き出す、血飛沫を浴びながら。


 少年は宙に飛ばした首を足蹴にし、老騎士に向かって飛ばした。


「ぐっ……」


 凄まじい速度で飛来した首を胸元に受け、抱き留めてやる事すら叶わなかった。


 厚い鎧に阻まれ痛みすら感じる事なく、教え子の首を弾き返してしまう。


 地を転がっていくそれを、老騎士は茫然と見つめていた。


「理不尽だと、思うか?」


 少年の声がした。

 見れば彼は、ビュンと剣を宙に振って刃の血を払い除けていた。


 その暗い瞳を見て、老騎士は……。


『私の幼馴染。シーナは……彼は、とっても凄い人なんです』


 最優と呼ばれる騎士は悟る。


「それが、あんた等がしようとした事だ」


「……ばけ、ものめ」


 目の前の少年は、剣聖の少女から話に聞いていた以上。

 想像以上の化け物だと。


(まるで躊躇いがない。人に刃を向け、殺す事に……っ! 何故だ。何なのだ! こいつは!)


 返り血で染まった少年。

 その姿を見て、老騎士の脳裏に銀髪の少女が過ぎる。


(これが、ユキナの想い人だと言うのか!)


 罪人を斬らせ、殺す訓練を受けさせた。

 嫌だ嫌だと慟哭しながら、剣を握っていた。

 どんな悪人であっても、自分が斬り殺した骸に縋り付き、謝罪の言葉を叫んでいた。


 とても、あの少女と。彼の姿が重ならない。


 剣聖ユキナと共に生まれ育った。

 いや、ただの村人が持つ瞳ではない。

 

 悲鳴が響いた。


「ああ……っ! なんて事をっ!」

「終わりだ……この村は、終わりだ!」


「ティタール! ティタールがぁぁあ!!」

「なんなんだよ、こいつはっ! なんでこんな奴にっ! 平民の癖にっ!」

「先生! 許可を! この者は危険ですっ! この場で即刻、断罪すべきですっ!」


 それは、村人達は勿論。

 同胞の凄惨な死に様を見た生徒達の叫びだった。


(殺すしかない! この者は危険だ!)


 老騎士も即座に判断し、少年を断罪せよと口にしようとした。

 しかし。途端に過ぎった。

 悲しげな瞳をした少女……ユキナの表情が。


(そうだ……これ以上、ユキナを追い詰めては駄目だ。剣聖は、使いものにならなくなり、我が国は魔人に敗北する!)


 老騎士は捕縛した彼女の両親を見下ろした。

 続いて見るのは、悲壮な表情を浮かべた村人達。


(彼等を使えば、奴を宥められる! 幸い、我々はまだ誰一人殺していない!)


 即座に判断した最優と呼ばれる騎士は、足を止めている少年を見て歯を食い縛った。


(こいつさえ連れ帰れば……っ!)


 剣聖の両親を異端者として断罪する。

 任務は失敗だが、背に腹は変えられない。


 老騎士は手を伸ばし、戦闘の意思が無い事を告げようとする。


「……っ! 待て、少年! 誤解っ!」


「断罪?」


 しかし、遅かった。


 既に少年の凶刃は、ユキナの両親。

 夫妻を組み伏せている生徒二人の懐に飛び込み、その首を捉えていた。


 閃光が翻って。二つの首が宙に浮く。

 まともに迎撃する事すら許されない。


「それは今から、俺がお前らにする事だ」

 

 剣聖の幼馴染。

 その名に恥じない、目にも止まらぬ剣閃だった。


(速過ぎる! これが……奴の原典オリジナル上昇加速ブースト・アクセルの力か……っ!)


 老騎士は慌てて腰に手を伸ばし、抜剣した。


「総員、抜剣! 迎え討てーっ!!」


 指示を受けた生徒達が、一斉に剣を抜く。

 しかし、それが悪手だと老騎士は気付いていた。


 何故なら、こちらが少年を敵と認識し。

 明確な敵意を示す行為に他ならないからである。


「追い付けるかよ、お前等に」


 生徒達が、一振りも許されないまま首を飛ばされて行く。

 老騎士が辛うじて追えている少年の動きに、誰も反応出来ないのだ。


(何故だ……)


 視界に映る地獄のような光景。

 悪魔のような少年の姿に、老騎士は狼狽えた。


 無慈悲な凶刃を受け、無惨にも命を散らして行く生徒達は、老騎士が自ら選び、声を掛け、手塩に掛けて育てて来た者達だった。


 例えば、あの青年。

 彼には剣に関して天賦の才があった。

 毎朝早くから。そして深夜遅くまで鍛錬をする真面目な生徒だった。

 毎日振るってきた剣筋には一切の狂いがなく、将来を期待していた一人だった。


 それが一振りも許されず、白刃に首を飛ばされ骸と化した。


 例えば、あの令嬢。

 彼女は男爵家の次女で、幼い頃から決まっていた婚約に不満を持っていた。

 それが成人を迎え、類稀なる祝福を与えられた事で婚約を解消出来たと喜んでいた。

 そして。その才を生かす為、希望を胸に学院にやって来たのだ。

 淡麗な容姿を持つ彼女は、教室でも人気者で。

 卒業後は勇者一行に志願して魔人と戦い、英雄の一人として名を残したいと豪語していた。


 それが、野草を踏み刈り取るように散らされた。


 例えば……あの。

 例えば……彼は。

 例えば……彼女は。


 皆、感慨を抱く間も無く。一瞬で殺されていく。


 一年間。共に過ごしてきた愛弟子達。

 引退する前に次の世代を育てよう。

 その為に注力してきた老騎士の努力が、日々が、目の前で否定されていく。


「やめろっ! 止まれーっ!」

「助けてっ! 嫌だ! 助けてくれっ!」

「先生! 助けて下さいっ! あ」


 騎士としての誇りを説き、学んで。

 日々鍛錬に勤しみ、堅実に力を付け。


 卒業を間近に控えた。老騎士自慢の生徒達。

 しかし。その姿は……そこにはなかった。


 あるのは、未熟な若者達の絶望に染まった表情。


 何も出来ずに殺されていく同胞を見て、己の無力を叩き付けられた者の怨嗟の声だった。


「……っ! 待て、剣士シーナッ!」


 不意に、一人の青年が叫びを上げた。

 見れば、そこに立つのは副隊長に任じた生徒。


 学年主席、ロムルス・クラウディアスの堂々とした立ち姿があった。


「我が名は、王都学院四年生主席。ロムルス・クラウディアスである! 剣士シーナ! 貴殿に一対一での立ち合いを所望」


「あっ!」


 途端、老騎士は目を見開いた。

 気付けば、黒い疾風は既にロムルスの眼前に迫っていたからだ。


「口上が長い」


 辛うじて視認出来る、その姿。

 腰には既に白い剣を納めており、生徒達に支給されている騎士剣を二本。両手に握った少年の表情には一切の感情がない。

 途中、生徒達から奪ったのだろう。


 生徒達が誇りを胸に振り続けた剣は、その誇りを否定する為に振るわれていた。


「ロムルス!」


 名を叫んだ時には、既にロムルスの首は宙を舞っていた。

 少年には、誇りなど理解出来ないのだ。

 名乗りすら許さず、待つ事などせず。


「あと、二人」


 ただ、道端の雑草を刈り取るように首を刈る。

 瞳から発する青い光で、宙に軌跡を描きながら。


 ブォン……ッ!


 老騎士の顔を、風圧が撫でた。


 見れば、黒い剣士は眼前に立っていた。

 白かった髪を朱に染め、青い瞳でジッとこちらを見つめている。


 喉元には、凶刃の剣先が向けられていた。


 生徒達の振るってきた誇りを突き付けられて、老騎士は茫然とした表情で少年を見つめ返す。


「……あとは、あんただけだ。最優の騎士」


 ゆっくりと視線を周囲に漂わせれば、騎士甲冑を纏っている者達は誰一人立っていなかった。


 二十五名も居た小隊は、崩壊していた。


 皆、首から上を喪失していた。

 地に伏せ、流した血で広場を染めている。


 生徒達は。

 若い騎士達は皆……絶命させられていた。


「き……さま。この一瞬で、全員殺した、のか?」


 震えた声で呟けば、血濡れの少年は青い瞳を僅かに細めて。


「立派な兜を被らないとは、賢明だったな」


 一頭として殺していない。馬に括り付けられている鎧兜を一瞥しながら呟く。


 「お陰で、苦しまずに逝けたろう」


 「きさ……ぐっ!」


 喉元に剣先を突き立てられ、痛みに顔を顰める。

 流血しているのが首を伝う血の感触で分かった。


「あんたには聞きたい事がある。どうせ死ぬんだ。大人しく吐いた方が賢明だぞ?」


「……っ! 何処まで、馬鹿にする気だ!」


「嫌なら挑めよ。あんたの持つ原典オリジナル重力操作グラビティ・コントロールと俺の剣。どっちが速いか、勝負するか?」


 教会が発行し、ギルドで販売されている一覧表。

 その知識を披露され、老騎士は狼狽た。


「何故……それを」


「あんたは名を売り過ぎたんだよ。有名人は大変だな。知識は力だ……そうだろう? 爺さん」


 問われ、老騎士は思い出す。


 知識は力。

 それは、自身もよく口にする言葉だった。

 

 無論。かつて教えを説いた少女にも同じ事を口にした覚えがある。


 剣聖。

 女神が見出した、人類の希望たる少女に……。


「……貴様、本当に。ただの村人か?」


「誰と比べているか知らないが、俺はユキナみたいに甘くねーよ。さっさと吐け。誰の命令だ」


「ぐぅ……っ!」


 喉元に、更に深く刃が食い込む。


 しかし、答える訳にはいかない。

 老騎士には、矜持がある。

 王国騎士としての誇りがある。


 それを、こんな少年に踏みにじられる訳には。

 村人に、屈する訳にはいかないのだ。


 死んでいった、教え子達の為にも。


「何故だ……貴様も王国民だろう? 同じ神に力を授かった信徒、剣士だろう? なのに何故……何故我等の言葉に耳を貸そうとしない! 何故我らの誇りを踏みにじるような真似をする! 何故、王国に楯突き、人に仇為すような真似をする!」


「……笑わせんなよ?」


 更に深く剣が突き刺さる。


 少年の瞳は、相変わらず暗いままだ。


「王国民だから、あんたらに従わなきゃいけないのか? あんたらに頭下げて、死ねって言われたら死ぬ。それが俺達、村人の誇りだと?」


 老騎士は少年の瞳を見て、ゆっくりと目を見開いた。


「馬鹿にするなよ、クソ爺」


 感情の読み取れない少年の瞳に色が灯ったのだ。

 憎悪と憤怒。その胸に秘めた、激情が。


「俺から言わせれば、あんたの口にする誇りなんざ。埃と変わらねーよ。だから掃除してやった」


「……くっ!」


 はっきりと、少年は吐いて捨てた。


 剣先が更に深く突き刺さり、そろそろ致命傷に届こうとしている。


「何故だ。何故貴様のような男が傍に居て。ユキナは……剣聖は、何故あんなにも脆く儚いのだ!」


「そうか」


 慟哭した老騎士の首から剣を抜いた少年は、凶刃を振り上げる。


「やっぱり、あの馬鹿の仕業か」


 聞きたい事は聞けた。

 もう、あんたは用無しだ。


 まるで。そう言わんばかりに……冷酷で。


「もう良いよ。あっちで皆と仲良くやりな」


 憤怒に染まった瞳を煌めかせて。


「ぐっ……!」


 静かに口走る少年を見て、老騎士は焦った。


 脳裏に浮かぶのは、やはり銀髪の少女。

 幼馴染を想って顔を綻ばせる。

 目の前の少年に会いたいと泣いて懇願する。


『私はやっと……パパとママに、会えるのですね』


 引き離された両親に会いたいと願った。

 そんな、剣を教えた愛弟子の弱々しい姿だった。


(私は……やはり、間違っていたのか)


 轟音を従え、凶刃が迫って来る。


 己の首を刈り取らんと、迫って来る。

 死ぬのは、別に良いと思った。

 過ちを犯したのは、自分なのだから。


 だけど……最後に。言わなければと思った。

 目の前の少年に、伝えなければと思った。


「待てっ!」


 制止の声は、聞き届けられなかった。


 ザシュッ……!

 斬撃の音が響いて。


 気付けば老騎士は空を見上げていた。

 くるくると回る視界。

 首を飛ばされたのだと、嫌でも実感した。


(何故……それだけの力があって、救わない)


 そうして、見下ろした少年の姿。

 彼の瞳には、確かな激情が彩っていて。


(剣聖の……幼馴染……シーナ)


 老騎士は、目を閉じた。

 二度と抜け出せない暗闇の中で、強く想う。


(貴様が剣聖だったなら、良かったのに)


 それが、最後の思考となった。


 最優の騎士。アラド・ドラルーグ。

 女神に最上の加護を与えられ、長年王国に仕え、多大な功績を残した男。


 かつて野心に輝いたその眼光は、見る影もなく。

 最期の刹那。酷く陰っていたという。

 

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