第80話 立ち直らせてくれた君

「シーナ?」


 隣から掛けられた声に顔を上げる。


 見れば、森の中の野営地。

 卓に座った赤い髪の少女が、俺に金色の瞳を向けていた。


「どうした? 今日は随分と身が入らんようじゃな。悩み事か?」


「いや、なんでもない。大丈夫だ」


 メルティアに指摘されてしまい、俺は反射的に返答した。

 まずい、気が散っていた。集中しないと。


「ふむ? とてもそうは見えんぞ? 妾で良ければ話してみるのじゃ、相談に乗ってやろう」


「問題ないと言ってるだろう?」


「……もしや妾のせいか? 妾達に構っているせいで、村の者に何か嫌味でも言われてしまったか?」


 愛くるしい少女の見た目をしているが、俺より数倍生きている長命の化け物。

 決して、敵わないと思い知らされた相手。


 そんなメルティアに、俺は自分の苦悩を見透かされたような錯覚を覚えた。


「もし、そうだとしたらすまぬ……やはり一度。妾から村の者達に、きちんと謝罪をすべきじゃな」


 まだ信頼出来ていない相手だが、彼女が悪い存在ではないと。最近は思えるようになった。


 現に、俺はメルティアの表情を見て。

 一つだけ安堵し、確信出来る事がある。


 それは、朝。父さんが口にした一言。

『村が滅ぶのは魔人のせいではない』

 それは、真実なのだろうという確信だ。


 眉を伏せたメルティアの表情からは、後悔や自責の念すら感じる。

 彼女達は、ただ。生きる事に必死なだけだ。

 村を襲ったのは、切羽詰まって他に手段がなかっただけなのだ。


 こうして、協力関係を築けている以上。

 今更。彼女が敵に回るとは到底考え辛い。


「いや、そういう訳じゃない。少し、考え事をしていただけだ。気にするな」


「そうか? 本当に遠慮はいらんぞ? 吐き出したいものがあるなら、吐いてしまえ。お主はどう思っているか知らんが、妾はお主と良い友人になれたらと願っておる。悩みがあれば手を貸そう。ミーア、だったか? あの娘にも吐けんような弱音でも、妾ならば聞いてやれると思う」


 嬉しい申し出をしてくれるメルティア。


 化け物。

 途端、そんな風に彼女を思っていた己を恥じた。


 折角の善意だ。

 お詫びに、少し相談してみようか。


「本当になんでもないんだ。強いて言えば、俺が原因でミーアを怒らせてしまってな。どうしたら仲直り出来るだろうかと、考えていただけなんだ」


 ミーアの名を出すと、メルティアは興味深そうに目を細めた。

 非常に楽しそうな顔だ。気に入らない。


「ほぅ? そうだったか。では、少し休憩にして同じ雌である妾が助言してやろう。ほれ、話してみろ。何故怒らせた?」


 心配してくれているような口振りだが、メルティアの表情はやはり明るい。


「……そんなニヤニヤしてる奴に話す事はない」


「!? こほん……友人が悩んでおるのに、そんな訳がなかろう?」


 慌てた様子のメルティアに冷ややかな目を向けていると、シラユキが口を開いた。


「シーナ。メルティア様はこの手の話題、他人の恋愛相談が大好物でな。今の表情は私も以前から、どうかと思ってはいたが……世話になった者は多い。話すだけでも話してみろ。少なくとも、後悔はしないだろう」


 他人の恋愛事情が好み? 

 それはまた、随分と無粋な趣味だな。


 だがしかし、村のおばちゃん達もその手の話題は大変好きだ。

 なんせ、ユキナと俺の仲を逐一聞いて来て、勝手に盛り上がってたからな。


 メルティアも見た目は幼女だが、実年齢は婆さんだ。

 そう考えれば、不思議な話ではない。


「そうなのか?」


「側近である私が保証する。きっと、お前に利のあるお言葉を下さるはずだ」


 言って、腕を組んだシラユキは。うんうん、と大仰に頷いて見せる。


 そういう事なら……話してみるか。

 長い事生きてるんだ。経験も豊富だろう。


 このまま帰って気不味い想いをするのは勘弁だし、なにより今夜。村を出す予定のミーアを見逃してくれと頼むつもりでいた。

 丁度良い話の種になるだろう。


 とは言え、まだミーアの説得も出来てない訳だが……。

 

 今朝。荷物を纏めておけって言ったら、凄い剣幕で怒鳴られたし。

 

 理由を話そうとしても、それ以上は話を聞いてくれもしなかった。


 ……ここは、好意に甘えさせて貰うとしよう。


「……そうだな。そう言う事なら、悪いけど聞いて貰って良いだろうか?」


「! うむ! 話してみるが良い!」


 ぱぁ! と顔を明るくしたメルティアに、相談する立場である俺は敬意を込め、姿勢を正して話し始めた。


「実は……」


 そうして、必死に頭の中で整理した相談内容。


 昨晩の事も交え、ミーアとの関係を可能な限り噛み砕いて、俺は二人に説明した。


「それで、どうしたら良いとおも……」


 説明を終え。話を閉めようとした折。

 顔を上げた俺は、二人の顔を見て口を噤んだ。


 メルティアもシラユキも。凄く険しい表情をしていたからだ。


「えっと……二人とも?」


「はぁぁあああああ……っ」


 中々口を開かない二人。

 そんな彼女達を見て。恐る恐る尋ねれば……メルティアがわざとらしく溜息を吐いた。


「……なんだよ?」


「シーナ。私はそう言った経験がなく、メルティア様のような知識もない。だから、お前の良い理解者にはなってやれんが……そんな私でもこれだけは分かる」


 先に口を開いたのはシラユキだった。

 心底呆れた表情の彼女は、俺の眼前に素早く指を突き出して。


「お前が悪い」


 と、言って退けた。


「うむ」


 すると。腕を組み、目蓋を閉じているメルティアも大仰な態度で頷く。


「え……? それは勿論分かってる。だけどな」


 言い掛けると、目蓋を開いたメルティアは金色の瞳で俺を射抜いた。


「男の言い訳は見苦しいぞ? シーナ。妾はこちらの世界の常識は知らんが……話を聞く限り。お主は既に、あの娘に対して充分に責任が発生しておると妾は思う」


「いや責任て……」


「女に傍に居たいと求められ、男であるお主はそれを許したのじゃろ? それならば、あの娘はあやつの意思で自ら離れて行かぬ限り、お主の女じゃ。そして、恋慕する異性が互いに適齢期を迎えておるなら欲情するのは必然。種の繁栄は生物の本能じゃろうが」


「まぁ。そうだな」


 種の繁栄、か。

 要するに。俺にさっさと子作りをしろと?


 ……お前のせいで出来なかったんだと。声を大にして言いたい。


「分かっておるなら、何故拒む? 迫られた時に嫌悪感でもあったのか? それとも……まさか、不能だとは言うまいな?」


「そうなのか?」


「違う。失礼な……って、どこ見てんだ」


 失礼な事を言い出した二人の視線が、俺の下腹部に集まったのを見て両手で隠す。


 こいつら……特にメルティアの奴は、見た目は幼女の癖に随分と下世話な事を言う。


「ちゃんと勃ったのか?」


「当たり前だろ……って、なにを言わせるんだ」


 何が悲しくて、異性に下の心配をされなければならないのか。


「ならば何も憂いはないじゃろう? せっせと子作りに励めば良い」


 「子作り言うな」


 本当に下世話だな、こいつ。

 大体、俺がミーアと……そう、なりたいけどさ。

 身体は機能するのだから、本能はある。

 抱けるなら抱きたいよ、俺だって。


「あぁ、そうじゃ。一応言っておくがな、シーナ。これだけは心に留めておいて欲しい」


 メルティアは自分の胸に手を添えた。


「妾は妾に力を貸してくれる者達を家族だと思っておる。故に、その親族も当然、妾の家族じゃ。妾は先程、お主と友人になりたいと言ったが……もし妾と共に来てくれるならば、お主も妾の家族の一員。この意味が分かるな?」


 そう口にするメルティアの表情は真剣だった。

 つまり、俺に家族になれと言っているようだ。

 ついでに、俺がミーアを妻にすれば、彼女は守ると宣言しているつもりなのだろう。


「妾はお主に何も我慢を強いるつもりはない。寧ろ、あの娘の存在がお主の支えになるのなら、共に来て欲しいと考える」


 やはり、そうらしい。

 確かに。メルティアが守ってくれるなら心強い。

 俺に利用価値がある間は、心配しなくて済むだろうな。


「だから無理をして自分を押し込めるのはやめろ。いや、やめてくれ。不安はあるじゃろう。当然じゃ。お主はまだ若く。経験不足なのじゃから……それを恥じる事はない」


 やはり俺の悩みを見透かしたように、メルティアは告げた。

 次いで、彼女は真剣な表情で続けた。


「あの娘と交わり、傍に置け。シーナ。元より、人である以上。個で完璧な存在などありえないのじゃ。伴侶の存在は必ずお主にも良い影響を与える。嘘だと思うなら、あの娘と番になってみれば良い」


 矢継ぎ早に口にする彼女からは、必死さが滲んでいた。

 それでも、ただ口だけの方便。そう断じるにはあまりにも真剣なメルティアの表情と言葉に、俺は少し救われた気がした。


「妾は家族を絶対に見捨てない。だから我慢するな、シーナ。遠慮は要らぬ。あの娘一人、妾が必ず保証しよう」


 そこで、メルティアは表情を崩した。

 急に親指を立てて見せた彼女は、俺に向かって笑みを浮かべている。

 誰もが見惚れる美貌を持って、だ。


「悩むくらいなら、一度。何も考えず間違いを犯してみれば良いじゃろ」


「そんな訳にはいかないだろ? 一生の事だぞ?」


 ミーアを抱くという事は彼女を伴侶に選ぶと言う事だ。


 あの生意気で素直じゃない女が、俺の嫁?

 しかも夜は積極的で、甘えん坊な猛獣だぞ。


 ……本当に。悪くないから困る。


「互いに気持ちがあるなら良いのではないか? お前は考え過ぎだ。一人目からそんなでは、二人目三人目と言い寄られた時にどうする?」


 堅物そうなシラユキまで、そんな口を出して来たことに少し驚く。


「そんなの断るに決まってるだろ。大体、二人目三人目って……俺は一人だけで良いんだよ」


「こちらの世界は法か何かで、そう決められとるのか?」


「俺みたいな平民はな。力のある権力者は違うよ。でも。それがなくても、俺は一人だけで充分と言うか……他に目移りして、折角俺を選んでくれた人に不満を持って欲しくない」


 一人だけに愛され、愛し続けたい。


 一夫多妻の話は良く聞くが、あれは男尊女卑の典型だ。忌避すべき事だ。

 勇者も三人の嫁が居るが、あれでは。あまりにも女性が可哀想ではないか。

 幾ら子を身篭らないからと言っても、何をしても良いとは思わない。

 男は一人の女性と真摯に向き合い、生涯大切にするべきだ。


「……のぅ、シーナ。先も似たようなことを言ったが、お主が美しい娘を求めるように、女強い男に守られ、その子を持ちたいと思うのは当然の欲求じゃ。あの娘はお前を選んだのじゃろう? そして、お主が傍に置くと決めて連れて来てしまった以上、受け入れてやるのがお主の責務じゃ」


 耳の痛い話をするメルティアに続いて、シラユキも頷く。


「メルティア様の言う通りだな。大体、お前の言っている事は矛盾がある。選んでくれた女に不満を持たれたくない? 馬鹿め。既に持たせているではないか」


「ぐぅ……」


 呻く事しか出来なかった。

 確かに、俺はミーアを連れて来た。

 彼女に選んで貰ったのに、泣かせてしまった。

 しかし、だからと言って応える訳にはいかない。

 俺は、彼女を巻き込みたくないのだ。

 後悔したく、ないから。


「実は……それには、理由があって」


 俺は観念して、ぶちまけた。


 メルティア達の存在と要求に不安があった事。

 そして、今朝父さんに言われた事。

 様々な不安があり、中々踏み出せない事を相談してみた。


 すると、聞き終わったメルティアは頷いた。


「ふむ……分かった。やはりお主、今日は帰れ」


「なんでそうなるんだよ」


「お主の母の予言とやら。にわかには信じられん。じゃが……異能と言われれば、一笑にも伏せぬ」


 メルティアは女神の権能の体現者。

 勇者達の手によって、両親を亡くしている。


 どうやら、女神から授かる権能を相当警戒しているらしい。


 「そんな物騒な話がある以上。憂いは余計、今のうちに絶っておくべきじゃ。じゃから、シーナ。あの娘とすぐに仲直りをせよ」


 メルティアから目配せを受け、シラユキは会釈すると席を立った。

 どうやら、何かを指示したようだな。


「妾達も備えはしておく。お主も今日は帰って万全を期しておけ。くれぐれも後悔のないようにな」


「……そうだな」


 ミーアとの関係については、まだ気持ちの整理は付けられない。

 しかし、帰路の足取りは自然と軽かった。


 メルティアが味方でいてくれると確約してくれたお陰だろう。


 ……相談して良かったな。





「あら? シーナ? もう帰って来たの?」


 村に着き、真っ直ぐに家に帰る。

 すると居間では、ミーアが荷物の整理をしていた。

 一応、動ける準備はしておくのだろう。


「あぁ。事情を話して来た。向こうも備えはしておくそうだ。何かあれば、手を貸してくれるらしい」


「そう、良かったわね。あまり期待しないでおくわ」


 さっさと荷造りに戻った華奢の背を見て、俺は考えた。


 ミーアがここに居る理由。


 俺の為に尽くしてくれる、女の子。

 そんな彼女をどうしたいのか。


 「俺は、俺のしたいようにすれば良い」


 答えは、考えるまでもない。

 最初から悩む必要などなかったのだ。

 俺はミーアに近付き、その背に抱き付いた。


「えっ……ちょっと!? シーナ?」


「昨晩は、すまなかった」


 謝罪をしつつ、背に頬擦りする。

 すると、ミーアの強張った身体から力が抜けた。


「許して欲しいの?」


「うん」


 頷いて強く頬を擦り付ける。

 すると彼女は、暫く黙り込んで。


「……そ。なら、あの格好付けた話し方。わたしの前だけはやめる、を徹底しなさい」


「え?」


 聞き返すと、ミーアが振り向いて来た。

 目尻を吊り上げ、強い口調で彼女は口にした。


「いい? 私と二人きりの時だけだからね? 幾らここがあんたの故郷で、子供の時から知ってる人達だからって関係ないわ」


「え……ちょっと待て。お前、急に何を」


「うるさい」


 更に語気を強くしたミーアは、俺の腕から抜け出した。


 すると。すぐに腕を掴まれ、強い力で引かれる。

 仕方なく従うと、足早に寝室へ連れて行かれた。


 寝台の前で立ち止まった彼女に尋ねる。


「おい、ミーア……? ぐへっ!」


 彼女が振り向いた瞬間、首元に手が伸びて来た。


 途端に襟を絞められ、息が詰まった。

 次の瞬間には、俺の足は宙に放り出されていた。


 視界が回り、ボフンという音と共に寝台へ叩きつけられる。


「う……」


 傷む背に呻きながら、俺は反射的に閉じてしまった目蓋をゆっくり開いた。


「ねぇ、シーナ。私ね……考えたの」

 

 すると。至近距離に、ミーアの顔があった。


 俺に馬乗りになった彼女は、これまでのように照れたようでも恥ずかしそうな表情でもない。


 その表情。瞳は、かつて俺を殺そうと襲いかかって来た山狼を彷彿とさせた。


「なにを?」


 久々に感じる恐怖だった。

 俺が殺したはずの感情はやはり、ミーア相手だと息を吹き返してしまうらしい。


 彼女は、静かな声で告げる。


「私が甘かったのよ。初めから女らしくない私が、ベッドの上では女になるなんて。あんたに可愛いとか、綺麗とか……最初からそんな事を囁かれながら、愛されたいなんて」


「言ってる意味が、分からないんだけど……」


 いや、分かるけど。

 認めてしまえば、彼女はすぐに襲いかかってくるだろう。

 なんとかしないと……そう思った瞬間だった。


「そんな受け身だから、あんたは中々手を出せないのよね。ごめんね、シーナ。私甘えてた。求め過ぎてたわ。そういうのは、二回目からでも……遅くないものね……♡」


 獣のような瞳が、途端に蕩けた。

 声も甘くなっていて、熱を帯びた吐息が頬を撫でる。


 ……悪寒がした。

 これは不味いのではないだろうか。

 俺はどうやら、この猛獣を追い込みすぎたようだ。


「そうよ。私は今まで、あんたの意見なんか聞いて来なかった。それで良かったのよ。あんたに好かれる為に尽くすって決めたけど、何も従順になる必要は無かったの」


 熱い吐息を吐きながら、ミーアは自分の衣服に手を掛けた。


「おい、ちょっ……待て待て待て」


 制止すると、ミーアはムッとした顔をして。


「なによ。昨晩は悪かったって、謝ってくれたのはあんたでしょ? 後悔してるのよね?」


 俺は黙って頷いた。

 下手に言葉を紡ぐ必要はないと思った。


「大丈夫よ、分かってるわ。昨日は準備が出来てなかったのよね? 折角、こんな早く帰って来てくれたんだもの。荷造りも殆ど終わってるから、夜まで沢山時間があるわ」


 あ……自己解決しやがった

 いよいよ本当に止めないと、まずい。


「だから待って」


「うるさい」


 昨晩と同様、ミーアは手早く上衣を脱ぎ捨てた。


 黒い下着に隠れた肌がぷるんと揺れる。

 すぐに口を塞がれ、舌を絡まされる。


「はっ……ん……」


 長い口付けだった。


 唇を離したミーアは、出したままの舌から唾液を垂らしながら、蕩け切った瞳で見下ろしてくる。


「はぁ……ん……れろっ」


 そのまま、舌でぺろぺろと俺の唇を舐め回したミーアは、コクンと喉を鳴らしてから。


「じゃあ今度こそ、しましょ?」


 熱っぽい瞳で、そんな事を……。


 ……分かってる。

 もう、俺は逃げない。

 いつか、宿の看板娘。リズにも言われた。


 俺は、俺のやりたいようにやれば良い。

 自由に生きたいと思った。

 だから俺は、冒険者になったのだ。


 その為にも。彼女には話さないと。


「待ってくれ。その前に話さなきゃならない事が……あっ!」


 顔を真っ赤にしたミーアは、問答無用で襲い掛かってきた。


「むふー……あっ。ひーなぁ♡」


 腕の中で胸に頬擦りし、甘えてくる。


 俺は少し逡巡して、ミーアの頭を撫でた。


 ……大丈夫。分かってる。

 ちゃんと、決着を付けるんだ。


 逃げちゃ駄目だ。裏切るな、この子を。

 俺はもう、後悔したくないんだろう?


 なら諦めるな。この子との未来を。


「ミーア。聞いて欲しいことがある」


「やだ」


 低い声で言うが、すぐに拒絶された。

 彼女の目が、俺を見上げる。


「一回終わったら、聞いてあげる」


 言って。上体を起こしたミーアは、さっさと黒い下着まで脱ぎ捨ててしまう。


 解き放たれた双丘は、思ったよりも高かった。

 本当に綺麗だ……。

 もう、形振り構う気はないらしい。


「観念しなさい」


 まるで肉食獣のような、獰猛な瞳。

 彼女は今夜こそ、俺の女になるつもりだ。


 でも、このまま流されるわけにはいかない。


 既に彼女は、スカートに手を掛けている。


「いいから聞け」


「やだって言ってるでしょ」


「聞いてくれたら、ちゃんとしてやる」


 そう口にすると、ミーアはピタリと止まった。


 すぐに彼女は、下を脱ぐ為に下げていた顔を、恐る恐ると言った感じで上げて……。


 じっと、俺の目を見つめて来た。

 物凄く期待している。そんな瞳で。


「……ほんと?」


「うん」


「嘘じゃない?」


 期待の中に、僅かに疑いの色が混ざる。


 ……彼女を不安にさせたのは、俺だ。

 揺れる瞳を真っ直ぐに見つめて、言葉を探す。


「……俺が。お前に嘘言った事、あったか?」


「聞くわ。早く」


 日頃の行いが、功を奏したらしい。

 絞り出した答えに、彼女の瞳に灯る期待が膨らむのを感じた。

 言葉通り、急かすように見つめてくる。


「俺は、お前を助けに行く時。ある薬を使った」 


 最初に切り出したのは、ミーアを助ける為に使用した魔法薬の話だ。

 このせいで俺は、彼女を見ても恋慕を感じられなくなった。


「それは。心を、安定させる魔法薬だ。俺は奴等を殺す為に。自分自身の感情を失ってしまった」


「知ってるわ」


 ゆっくりと話している最中。

 返って来たのは、予想外の返答だった。

 

 ん?

 ちょっと待て。こいつ、今なんて言った?


「あんたが寝てる間。アッシュに調べさせたの」


 ……嘘だろ。

 アッシュの奴、なにしてくれてんだよ。


「なんで」


「私が気付かないと思う?あんたの変わりように」


 俺を見下ろす彼女の目は、真剣そのものだ。


「でも安心したわ。結構、簡単に戻せるみたいで」


「う……」


 彼女は言って、俺の下腹部に触れた。

 途端に走った感覚。

 自然と俺の身体が……ぶるり、と震える。


 当たってたからな……。

 気付かれるよな、それは。


「やめろよ……」


 弱々しい声が出た。

 途端、真顔だった彼女は上気した顔を綻ばせる。


「中身は素直じゃないけど、身体は正直ね」


 ……は? 誰が素直じゃないって?

 俺は素直だ。馬鹿にするな。


「くっ……お前が、言うな」


「そうね。私達、本当にお似合いだと思わない?」


 俺のを弄びながら、彼女は嬉しそうな顔で言った。


 こいつ……くぅ……!

 やめさせないと……苦しい。


 顔を顰めると、戯れは激しさを増した。


「ふふ……あんたは私の為に変わってくれた。私が好きなまま、止まる事を選んでくれた。嬉しいわ……浮気の心配がないんだもん」


「どんな……理屈だよ。やめろって」


 右手を伸ばして、やめさせようとする。

 しかし、腕を掴まれてしまった。

 

 見上げる彼女の顔は、恍惚としたものだ。


「身体が問題ないなら良いわ。これが使えないとかだったら、引き摺ってでも入院させるけど」


「ぐっ……!」


 やめて……握らないで。

 身体が敗北してるのは分かってるんだ。


「薬を言い訳にするのは終わり?」


 冷たい声音と瞳。

 お陰で、ちょっと萎んだ気がする。

 俺はどうやら、虐められて昂る訳ではないらしい。 

  

「分かってるのか? 愛せないんだぞ」


「嘘付き。それはもう解決してるでしょ?」


 言われて、気付く。

 以前、有耶無耶になった夜の事を。


 ………………。


 流石に気付くよな、あれじゃ。


「まさか、お前……試していたのか?」


「試すなんて言い方はやめて。ただの確認よ。さ、次の言い訳を聞きましょうか?」


 強制的に話を終わらされ、俺は絶句した。

 まずい。想像以上だ。

 ミーアは、本当に聡い子なんだ。


「あの」


「ん……」


 言い掛けると、またしても唇を塞がれた。

 強制的に黙らされ、すぐに身体を起こしたミーアはぺろりと自分と唇を舐める。


「やっぱり良いわ。時間が勿体無いから……当ててあげる。あの子……赤い髪の魔人に協力する? 女神様に背信する? 危険だから待ってろ? どれかしら」


 …………本当に、鋭い女だ。

 俺の悩みなんて、なんでもお見通し。

 まるでそう告げんばかりに、ミーアは言った。


「もう答えは出てるわ。言ったでしょ? 全部捧げるって」


 晒した肌。

 小さな丘を持ち上げるように手を添えて、彼女は微笑む。


「私が今、此処に居られるのはあんたのお陰よ。女神様は、幾ら願っても助けてくれなかった。でも、呼び続けたら……あんたは来てくれたわ」


 俺は思い出した。

 ミーアを助けに行った時。彼女が上げていた悲痛な叫びを。

 落涙し、憔悴した姿で。彼女は俺を呼んでいた。


 あの姿を思い出すと、苦しくなる。

 でも……同じくらい。愛おしいと感じた。


「ミーア」


「ね、シーナ。私に頂戴。これからも、あんたを呼ぶ権利を。その為なら私……他になにもいらない」


「……本気か? きっと、危険な場所だ」


「なら、あんたが守れば良いだけでしょ」


 簡単に言ってくれる。

 メルティアみたいな奴が、あと三人は確実に居るんだぞ?

 そいつ等を敵に回したら……勝てないんだぞ?


「俺は……この国を。人間を……女神様を、裏切るんだぞ?」


 言葉にすると、ミーアが浮かべたのは予想外の表情だった。

 それは何処か誇らしげで、俺をジッと見つめる彼女の瞳には、一切の躊躇いがない。


「いいわ。寧ろ。それくらいやってこそ、私の男に相応しいもの」


 ……相変わらずだ。

 本当にこいつは、酷い自信家だな。


「だからこそ、許せないの。貴方が、そんな風に自分を抑えてばかりなのが」


「……確かに俺達、お似合いかもな」


 自分の欲望に忠実で、我慢を嫌う。


 そんな女の子が。ミーアがこの先。ずっと隣に居てくれたら……弱い俺でも、なれるだろうか。


 過去に望んだ通り。自由に生きられるだろうか。

 

「でしょう? さぁ、シーナ。何を悩んでるの? もう、答えは出てるでしょ?」


 言われて、少し悩んだ末……俺は。

 待っていてくれたミーアを寝台に押し倒した。


 悲鳴どころか、呻き声一つあげずに倒れたミーアは、じっと俺を見つめている。

 俺は少し悩んで、静かに口にした。


「……俺は、お前が好きだ」


「……うん。私も好き」


 頷いてくれる彼女の姿を見て、酷く安心した。

 

 なのに、ここまで来て、拒絶されたら……そう思ってしまう。

 狡いけど、これでいこう。


「だから、ミーア。前に貸した借り、返せ」


「うん。分かった。一生、あんたを支えてあげる」


 首に腕を回して来た彼女に、頬に口付けされる。

 すぐに脱力し、寝台に伏せたミーアは俺を見上げて。


「最後に……確認するわ。あんたが人間を裏切るのは、剣聖に裏切られたから? それとも、女神様にその役割を押し付けられたから?」


 ……前者は分かる。もう知ってるからな。


 でも。女神に与えられた役割、か。

 ミーアはミーアなりに、沢山考えてくれたんだろう。


 それが本当に嬉しかった。

 

 俺はゆっくりと首を左右に振った。


 そうしながら、上手い口説き文句を探して……見つける。


 元々、ミーアには英雄願望に近いものがあった。

 なら。上手く彼女の琴線に触れれば良い。


「人と魔人。このくだらない戦争を終わらせたい。一緒に来て、俺の役に立て」


 語気を強めて言えば、ミーアの瞳が揺れた。

 暫くして、ゆっくりと……ミーアは微笑んだ。


「良いわね、それ。凄く燃えるわ。為せれば、私は英雄の妻ってわけね」


「……悪くないだろ?」


「えぇ、悪くないわ。理想的な嫁ぎ先よ」


 あぁ、俺。この子と一生を共にするんだな。


 俺自身が選んだ。この子と。


「……いいか?」


「もちろんよ。待ちくたびれたわ」


 身を屈めて抱き締めると、ミーアはギュッと抱き返してくれた。

 俺の耳元で、彼女は囁く。


「……来て。あの女の事、忘れさせてあげる」


 甘美な声に殴られ、あっさりと理性が崩壊した。

 強引に唇を奪うと、舌を絡め合う。


 途端に愛おしさが込み上げて、俺は彼女と出会ってからの半年を思い返した。


 最初は、酷く生意気で。

 本当に可愛くない女だと思った。


 それが今は、可愛くて。愛おしくて堪らない。


 顔を上げると、ミーアは涙を流しながら、ゆっくりと目蓋を開けた。


 蕩けて、本当に嬉しそうで。

 酷く期待されているのが分かった。


 もう、俺達に言葉はいらない。


 スカートを脱がせ、最後の黒い布を足から引き抜く。

 生まれたままの姿になったミーアは、その白い肌をほんのりと赤く染めていた。


「ん……」


 顔を見ると、ミーアは恥ずかしそうに目を逸らしていた。


「綺麗だよ……ミーア」

 

 思わず、口から漏れた言葉だった。

 すると彼女は一瞬、俺の顔を見てすぐに逸らし。


「……ふぅ。う、うぅ……」


 頑なに閉じていた両足を、ゆっくりと開いた。

 俺を受け入れる格好をしてくれたんだ。


 もう、こんなに……。

 本当に。随分と待たせていたんだな。

 俺は、本当に酷い奴だったらしい。


 ……二度と不安にさせないから。


 不甲斐なかった過去の自分を殺したい。

 そんな風に考えていると。彼女は、


 ミーアは。本当に恥ずかしそうに。

 か細く……震えた声で呟いた。


「……沢山。可愛がってください」


 それから、暫くして。

 ミーアと結ばれた俺は、寝室に差し込む光が赤く染まるまで……押し倒した彼女を可愛がった。

 

 最初は痛そうにしていたが、次第に蕩けた顔で嬌声を上げ始めた彼女は……。


 俺の目をじっと見て、甘えた声で言ってくれた。


「あっあっ……♡ 好き……大好き、んあ……♡」


 ユキナに捨てられ、一年半。

 俺に、本物の恋人が出来た瞬間だった。


「俺も」


 年下の健気で可愛い恋人ミーアが。






 日没後、俺は村の門に向かった。


 探し人は、すぐに見つかった。

 門から少し離れた柵に背を預けている。


「来たか」


「うん」


 篝火の下、父さんは俺を見て怪訝な顔をする。


「……行かないんだな」


「うん、行かない。悩んだけど。立ち向かうって決めた」


 腰に吊るした白い剣に手を添えながら答える。

 

 左手を繋ぐミーアに勇気を貰った今。

 俺に逃げるなんて選択肢は存在しない。


「俺は一度逃げた。その癖に、のこのこ帰って来た情けない奴だ。でも次は、頑張れよって。ちゃんと皆に見送って貰いたい」


 強い想いを口にすると、父さんは眉を寄せた。


「誰もそんな風に思ってねーよ。冒険者としてのお前の活躍は、皆知ってる」


 空を見上げた父さんは、続けた。

 星が綺麗に見える。よく晴れた夜空だった。


「……仲間を。好きな女を救う為に命を賭けたお前は、魔人にもたった一人で立ち向かって見せた。お陰で、仮初とは言え。こうして平和に生活をさせて貰えてるからな」


「父さん……」


 言葉とは裏腹に、忌々しい。

 父さんは、そう言った雰囲気を醸し出す。


 そんな父の姿を見て、俺は言葉を探した。


 しかし、見つからない。

 未来を知る父さんが何を思い、何を危惧しているのか。

 知らない俺には、何も言えなかった。


 父さんは俺を睨むように見て、強い語気を発する。


「シーナ、お前は本当に……あいつに似たな」


 母さんに似た。

 それは、俺が昔から。

 幼い頃から、何度も言われて来た言葉だった。


「お前は引くべき時に引かない、愚か者だ。お前も長生きは絶対にしない……お前の最後は絶対に孤独だ。どんなに大切な人が居ても、必ず置いて行く事になるだろう」


 父さんは俺の隣に立つミーアへ目を向けた。

 しかし。舌打ちして。すぐに向き直って来る。


「お前は良いよな。最後は置いて行く側なんだから。置いて行かれる方は……堪ったもんじゃねぇ」


 父さんが言っている意味が俺には分かった。


 確かに父さんは、置いて逝かれた。


 だから父さんは、最後の瞬間。

 母さんの傍から逃げていたのかもしれない。


「行かせないわ」


 左手が強い力で握られた。

 俺達親子の視線を集めたミーアは、力強い声で告げる。


「シーナは一人にはならない。何処かに行くなら、私も一緒よ」


 彼女の瞳には、強い意志が灯っていた。

 ……俺だって。お前を置いて行きたくない。


 父さんは左右に首を振った。


「それは無理だ。賭けても良い。こいつは、シーナは俺達とは違う。女神に選ばれ、特別な力を与えられた代償を背負ってやがる」


 ミーアは、胸に手を添えて告げる。


「えぇ。お陰で私は、ここに居られるの。その力のお陰で救われた私は、全てを捧げると決めた」


「……口ではなんとでも言えるさ」


 柵から離れた父さんは、俺達に背を向けた。


「いくら大切に想っても、愛しても……夫婦に、家族になっても。人は一生孤独だ」


 首だけで振り向いた父さんの目には、怨嗟に似た光が宿っていた。


「嘘だと思うなら、精々足掻いて見せろ。ガキ共」


 闇の中に、消えるように去って行った父さん。


 俺はその後ろ姿を見ながら、ギュッとミーアの手を握った。


 大丈夫だ。

 俺はもう。戦う理由を手に入れた。


「シーナ、帰って続きをするわよ」


 俺の手を引く、女の子。

 彼女の血が染みた寝台を見て、二度と一人で迷わないと決めたのだ。


「あんなのは、絶対に間に受けちゃ駄目。忘れさせてあげる」


 背に指が食い込む程、強く抱き締めてくれた。


 そんなミーアの為にも……俺は。

 どんな理不尽にも抗うと決めたのだ。



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