第77話 葛藤の吐露

「はぁ」


 夜。今日も来訪者達との交流を終えたシーナは、湖で身体を清めていた。


 そんな彼を遠くから見つめる、人影が一つ。


(本当に怪我を負っていたのだな……それも、随分と酷かったらしい)


 少年の身体には、大きな傷跡が残っていた。

 肩から腰に掛けて、袈裟斬りを受けたらしい。

 肩にも、上段から受けたような斬傷があった。


 見たところ塞がってはいるが、日中の様子を見る限り。まだ本調子ではないのは確かなようだ。


「……しかし。やはり中々、良い身体をしている」


 そんな彼を木に身体を隠しながら見つめているのは、白髪の女だ。


 狼のような耳を頭頂に持つ彼女は、この世界に生を受けた人間ではない。


(いや、いかん。私は一体何をしているのだ? こんな事はいかん……早々に立ち去らねば!)


 彼が湖に訪れた時から、ずっと監視をしていた彼女は、今更になって我に帰る。

 これでは、覗きではないか! と。


(見てしまったものは仕方ない。さて……帰るとしよう)


 自らに言い聞かせるが、立ち去る事が出来ない。


 水に濡れた白い髪。

 淀みはあるように見えるが、大きな青い瞳。

 夜闇の中、月光に照らされた少年の裸体から目が離せない。


 これまでに見たどんな芸術品や、景色が霞む程に……美しく感じてしまったが故に。


「…………ごくり」


(奴も、メルティア様の着替えを見たな? だから公平。これで、公平だ……)


 あっさりと開き直ったシラユキは、鼻息を荒くした。


 そんな彼女は、自慢の尻尾がパタパタと。はしたなく揺れている事すら自覚出来ない。


「はぁ……良い。良いなぁ……」


「……おい。さっきから、そこに居るのは誰だ?」


「!」


 気付けば、白髪の少年はこちらを睨み付けていた。


 鋭い瞳に射抜かれて、シラユキは驚き跳ねた。


(気付かれた? 何故だ? いや、それにしても)


 湖に浸かり濡れた少年が、こちらを睨みつけている。


 その姿を見て、シラユキは一緒ゾクッと肩を震わせた後……胸がきゅぅんと高鳴るのを自覚した。


(その顔も……い、良いなぁ……?)


 しかし、それは仕方ない事であった。

 白狼族は、強い異性に目がないのだ。

 それは擦り込まれた本能だ。


「そのまま隠れ続けるつもりか? 言っておくが、逃しはしない。俺はここからでも、そちらに対する殺傷手段を持ち合わせている」


 言われて、シラユキはハッとする。


 シーナの言葉に嘘はない。

 彼が虚空から爆炎を生み出したり、離れた剣を呼び寄せたりと言った不思議な異能を持つ事を知っているからだ。


「待て、私だ。シラユキだ」


「シラユキ……?」


 仕方なく木の裏から出て、姿を見せる。

 途端、シーナは怪訝な顔になった。


「何してるんだ? お前。なんで隠れていた?」


「ゴホン……お、お前が周りも確認せずに脱ぎ出すからだろう。これでも気を遣ったのだぞ?」


「そうだったのか?」


「あぁ、そうだ。昼間は話せなかったからな。声を掛ける機会を探っていたのだ」


「成る程……そうだったのか」


 我ながら自然に言葉を紡げた事に感心しつつ、シラユキはなんとか誤魔化せそうな雰囲気に安堵した。


「うーん……」


(メルティアは近付くなって言ってたけど、こいつは今のところ、俺に友好的な態度で接してくれてる数少ない相手だしなぁ)


 まさか自分が覗かれていたなんて微塵も考えず、シーナは昼食時。メルティアに言われた言葉を懸念していた。


「じゃあ、少し話すか? 今上がるから、少し待ってくれ」


「お、おぅ……」


 あっさりと言ったシーナにシラユキは安堵する。


 その言葉通り、シーナは丘に上がると身体を拭いて、仕事着らしい黒で統一された衣服と防具を身に纏い始める。


 どうやら、下着以外の替えは持ち合わせていないらしい。


(ば、ばかもの……少しは恥じらえ……こ、これだから男はっ! 全く、けしからん)


 一応手で顔を隠して見せるが、指の隙間から一部始終を目に焼き付けるシラユキだった。


「それで? 話ってなんだ」


「……その前に一つ聞きたい。何故気付いた? 後学の為に教えて貰いたい」


「お前が隠れてた事にか?」


 尋ね返され、シラユキは大仰な態度で頷いた。


「そうだ。私は軍人だからな。これでも、隠密には自信があったのだ」


「は? まさか本気で隠れてるつもりだったのか? ガサガサ音がしてたぞ」


「な、なに? そんなはずは……」


 見に覚えのない指摘に、シラユキは狼狽えた。

 シーナは眉一つ動かさずに続ける。

 彼の目は、シラユキの頭上。長い耳に向けられていた。


「まさか気付いてなかったのか? そのデカい耳は飾りじゃないんだろ?」


「! き、貴様。なんて無礼な……っ!」


 苛立ったシラユキは、耳を示していたシーナの指が腰へと向けられるのを目で追った。


「ま、そっちは飾りじゃないみたいだけどな」


 彼が指し示したのは、シラユキの腰。

 そこから伸びた白い尻尾だった。


「なに……? はっ!?」


 その意図に気付いたシラユキは、自分の尻尾を両手で押さえた。


「ま、まさか……そんな」


「そう言うことだ。丸見えだったぞ? しかし、結構動くのな? それ。俺も何度か狼は見たことあるが、確か……」


「い、言うな! 言わんで……ぃぃ」


 熱くなった頰を隠す為に、シラユキは俯いた。

 初めて味わう屈辱だった。


 会話中に目を逸らすのは彼女の主義に反するが、恥ずかしくて顔を見る事が出来ない。

 強く握った尻尾が痛かった。


「……まぁ、相手が俺で良かったな。それで? 聞きたい事があるんだろ。言ってみろよ」


 その場に座り込んだシーナは、俯くシラユキの顔を見上げながら言った。


「まぁ、立ち話もなんだ。お前も座ったらどうだ?」


「ぅ……あ、あぁ……」


 断る気にもなれず、大人しく従う。

 隣に腰を下ろしたシラユキは、腕で顔を隠した。


「……気に触ったようで悪かったな。俺にはご覧の通り、お前のような耳も尻尾もない。だから、よく知らなかったんだ」


 暫くの沈黙の後、シーナは口を開いた。


「……構わん。全て、私の落ち度が原因だ。お前が謝る事はな」


 くぅ〜。


「い……っ!?」


 不意に鳴った音に、沈黙が訪れる。


「……お前。腹が減ってるのか?」


「ぐ……ぐぅ……っ!」


「そういや、昼食の途中で追い出されてたな……あれから何も食べてないのか?」


「くっ……こ、殺せ! 一度ならず二度も! こ、このような屈辱は初めてだっ!!」


「は? おいおい、そんなに思い詰めるなよ。誰でも生きてりゃ、腹くらい減るんだ。そんなに恥ずかしがる事じゃないだろ」


「く、くぅ……っ!」


 屈辱感に見舞われたシラユキは、俯いたまま歯噛みした。


「……ったく。ちょっと待てよ」


 そんな彼女は、隣でゴソゴソとなる音に気付く。


「……何をしてる?」


 顔を上げると、シーナは何処からか取り出した黒パンを小刀で二つに切り分けている最中だった。


「丁度持ち合わせがあった。御馳走してやるよ」


 切り分けた黒パンにチーズと干し肉を乗せ、ポーチから小瓶を取り出して中身を振り掛ける。

 そうして出来上がった即席サンドイッチをシーナはシラユキに差し出した。


「ほら。一応、塩はかけたけど味は期待するなよ」


 手渡されたサンドイッチをシラユキは黙って受け取った。

 鼻を突く食事の香りに涎が湧く。


「貰って良いのか……?」


「いいから食え。話はそれからだ」


(な、なんなのだ? なんでこんなに、私に優しくするのだ? こいつは)


 本来、よく知らない相手から渡されたものなど口にするどころか、素直に受け取る性分ではない。


 そんなシラユキであるが……今回ばかりは突き返すと言う選択肢が彼女にはなかった。


 ただただ、困惑する。


「……何故だ? こんな事をしても、お前にはなんの得もないだろう?」


「生憎、損得を考えて行動するのが苦手でな。お陰で、損だけは人一倍経験して来たと自負している」


 何でもないように口にするシーナは、とても嘘を言っている雰囲気ではない。


 そんな彼の横顔を見れば、胸がきゅぅと苦しくなった。


「……ふふ。そうか。苦労、してるんだな」


 貰ったサンドイッチを頬張る。

 言われた通り、パンも具材も固くて塩辛い。

 お世辞にも美味いとは言えない代物だった。


「……美味い」


 それでも、自然とそれは口を突いて出た。


 シーナはそんな彼女を見て、余程空腹だったんだろうと思った。


「下手な世辞は言わなくて良い。そいつの味はよく知ってる」


「……なぁ、シーナ」


「なんだ?」


「その、だな。私からの話しというのは……その」


 話そうとするが、唐突に襲われた恥ずかしさに舌が回らなくなった。


(ぐ……何故だ? 別に可笑しな事を言う訳ではないのに、何故こんな……)


 言い淀んだシラユキを見て、シーナは察した。


「……なんだ? 食ったら催したか?」


「へっ? な、なななっ!? ち、違うわ、この馬鹿者っ!?」


 あまりに配慮のない言葉に、羞恥心よりも怒りが勝った。

 お陰で声が出たシラユキを見て、シーナは微笑む。


「分かってるよ。冗談だろ?」


 やっと変わった表情に、シラユキはドキッとした。


「な? なぁ? と、とても冗談を言っている顔には見えんぞ!? いや、冗談でも許せん!」


「あぁ……まぁ、そうだな。悪かったよ」


 一度本気で怒って見せようとしたシラユキは、やけにあっさりと謝罪されて拍子抜けすると共に。異変に気付いた。


 怒りの矛先である相手が、何処か遠い目をしている事に気付いたのだ。


 ふと脳裏に浮かんだのは、彼が口にした言葉。


 損は人一倍経験している。


 彼は先程、そう言った。

 どんな過去を経験したかは知らないが、言われてみれば確かに……この数日。一度も彼は大きく表情を変えた事はない。


 少なくとも、僅か齢16歳の少年がする表情ではないように感じたのだ。


「言い訳にしかならないだろうが、中々話し辛そうに見えたものでな……下手な気を回した。慣れない事はするもんじゃないな」


 やはり彼なりに気を遣った発言だったらしい。


 途端に怒るのが馬鹿馬鹿しくなったシラユキは、サンドイッチを手で弄びながら言葉を探した。


「ま……全くだな。これに懲りたら、今後は私に余計な気を回すな。不愉快だ」


 吐き捨てるように言って、シラユキはサンドイッチに齧り付いた。


(ふん……案外、不器用な奴なのだな。仕方ない、今回は大目に見て……ん? 待て。そう考えると、こいつはこいつなりに私が話し易い様、計らってくれたという事で……)


 チラリとシーナを盗み見れば、彼は空を見上げていた。


 月明かりに照らされた少年の横顔。

 それは、思わず息を飲んでしまう程に美しく感じてしまって。


「……こくっ。シーナ」


「なんだ?」


「お陰で落ち着いた。まだ途中ではあるが、本題に入っても良いだろうか?」


 無意識に身体を乗り出してしまいながら、シラユキは話を切り出した。


「? ……あぁ。構わない」


 ずい、と近付けられた淡麗な顔を朱に染め、潤んだ瞳で見つめられる。

 それを間近で見たシーナは内心戸惑いながら頷いた。


 しかし、まさか自分が少年好みの姿を晒しているとは、露ほどにも自覚していないシラユキだ。

 彼女は、了承を得た事で遠慮なく続けた。


「メルティア様は、本気だ。本気でこの世界。そしてお前達、この世界の民と友好的に付き合っていきたいと考えておられる。まずは、それをしかと心に留めた上で聞いてくれ」


「あぁ。分かった」


「お前も知っての通り、メルティア様はご両親を亡くされたばかりで不安を抱えておられる。それも、この世界の者達の手によって討たれてしまったのだ。しかし……しかしだ。あの方はだからと言って、この世界を恨んだりしなかった。報復など考えられなかった。そんなメルティア様に対し、不満を抱く者も多いが……立派な方だと、私は思う」


 自分の内心。主人への想いを口にする。

 するとシーナは、特に疑う事なく頷いて。


「らしいな。素直に、すげーと思うよ。俺だったら怒りに任せて復讐に走るだろうから」


「だろう? そうだ。それが普通……なのだ」


 勿論、シラユキも主人の思想に思う所はある。


 だがそれ以上にシラユキは、亡くなったメルティアの両親。その人柄を良く知っていた。

 故に彼女は誓ったのだ。


「実はな、シーナ。この世界に居場所を作る。それは本来、メルティア様のご両親のご意志なのだ」


「そうなのか?」


 尋ね返されたシラユキは、真剣な顔で頷いた。


「あぁ……故に。メルティア様は、本当は我慢しているだけなのかもしれない。本当は、憎くて憎くて堪らないのを堪えているのかもしれない。だがな? シーナ。それでもメルティア様は、やり遂げようとされているのだ。この戦いを、血を流す事なく終わらせようとされているのだ」


「…………」


 シラユキの訴えを受けて、シーナは思い馳せた。


 それは、戦う力を与えられ、戦う為に連れ去られ、戦いを終わらせる為に戦っている幼馴染。


 シラユキの。彼女達の言葉を信じる。

 それは、共に育って来た幼馴染の奮闘を否定する事に他ならない。


 それでは、英雄と呼ばれる彼女は。

 彼女は本当に、何の為に戦っているのだろう? 


「メルティアの意思。あいつがどれくらい本気なのかは、もう理解している」


 答えの出ない自問自答は一旦保留して、シーナは重い口を開いた。


「数日前。俺は本気で、あいつを殺そうとした。だから俺は何の躊躇いもなく、手にした剣を全力であいつの首に叩き付けたんだ」


 シーナは、腰に吊るした白い剣に手を添えた。


「なのに、あいつは甘んじて受けた。反撃どころか、払い除ける事すらしなかった。今なら分かる……あいつは、その気になれば指先一つで俺を殺せる。だけど、あいつは万が一にも俺に危害を加えない様に我慢したんだ。いくら死なないと分かっていたとしても、刃を受けた腕は痛かった筈だ。実際、すげー痛がってたしな」


「……そうだな」


 本来のメルティアなら、どんな攻撃を受けても澄まし顔だ。

 その彼女に悲鳴を上げさせた目の前の少年は、やはり。シラユキ好みの強者であった。

 ずっと探していた伴侶にふさわしい素質である。


 だが、彼は異界の民で。敵対する人間なのだ。


「例え、俺が同じ力を持っていたとしても。俺にはあいつと同じ事なんて、とても出来ない。あいつのように、一度でも自分を殺そうとした相手に頭を下げ、手元に置きたいと頼むような真似は出来ない。敵である相手の大切なものを尊重する事なんて出来ない」


 落としていた視線を上げ、シラユキの顔を見つめ返しながら。

 そうして紡がれたシーナの言葉は、答えだった。


「シラユキ。俺はもう、お前達を敵だなんて思っていない。ただ……ただ俺は、恐れているだけなんだ。お前達の手を取る。それが何を意味しているのか……お前には分かっているのか?」


「無論だ。寧ろ、分かっていないのはお前だろう? 私達は戦いを終わらせると言っているんだ。なにも、お前に同胞を斬れと言っている訳では」


 言葉を遮るように、少年は首を振った。


「分かってないじゃないか。確かに、お前はそう言ってるのかもしれない。だけどな? シラユキ。例え俺が自ら、それを口にしたとしよう。それでこの世界は俺に剣を向けて来ないと約束出来るのか?」


 強い口調で叩き付けられた質疑の声に、シラユキは答える事が出来なかった。


 そんな約束なんて出来る筈がないのだ。


「シラユキ。同胞だから、同じ人間だからと言う理由だけで戦わずに済むなら、お前の腰にあるそれはなんだ? まさかお前、この世界に来てから戦う力を得たなんて言うつもりじゃないよな?」


「……! そ、それは」


 言われて、シラユキは狼狽えた。

 争いたくないと言いながら、自分が彼に見せている姿は軍人としての顔だ。

 これでは、あまりに説得力がない。


 何とか言い訳を考えるシラユキに対し、少年は月光の光で輝く湖を見つめた。


「俺は違う。俺は、自分の為に剣を手にした。俺を見守り、育ててくれた村の為。隣で笑っていて欲しい人の為……向けられた悪意を、跳ね返す為に」


 指先に触れた小石を拾って。

 それを湖に投げた彼は、少し迷った後……。


「俺は騎士でも軍人でもない。だから、お前みたいに命令で人を斬る義務はない。だけど……それでもお前は必要になれば言うのか? 俺に、この世界と。同胞と戦えって頼むのか?」


 沈黙が訪れた。

 すっかり黙り込んでしまったシラユキ。

 そんな彼女を見て、シーナはわざとらしく溜息を吐いて見せる。


 沈黙の中。シラユキは膝を抱え、自らの浅慮を恥じた。


 シーナの言う事は、全くその通りだ。


 言葉が通じるから、同じ人種だから。

 そんな理由で誰もが分かり合える訳じゃない。


 そんな当たり前の事を失念していた。


(どうしよう……何を言えば良いか、分からない)


 膝を抱えたまま、シラユキは考えた。

 今、最も優先するべきは少年を頷かせる事。


 個人的な感情を抜きにしてもそこは譲れない。 

 なんとしてでも彼を本国に連れ帰り、現状を打開する。

 それは、友好関係を結ぶ以前。

 今尚、悪化し続ける戦況を覆す為。絶対必要な事だ。


(こんな時、メルティア様なら……)


 困ったシラユキは、主を想う。


 最強の力を身に宿す彼女なら、どうするだろうと考える。


 考えて、考えて……。

 結局シラユキは、自分の心に従う事にした。


「……その時は、私が守る」


「ん? なんだって?」


「だから……その。よく聞け! シーナ!」


 もう一度身を乗り出して、それどころか押し倒さん程の勢いで迫ったシラユキは、間近でシーナの瞳を凝視すると息を大きく吸った。


「シーナ、案ずるな。お前に同胞を斬るような真似はさせん。断じて、させんと約束する」


「へぇ? 言い切ったな。で? そう言い切れる根拠はなんだ?」


 茶化すように言ったシーナに、シラユキは羞恥心を堪えるために胸元を掴んだ。


「…………だ」


「ん?」


「だ、だからだな……その」


 堪らず顔を逸らしたシラユキは、一度自分が口にした言葉に照れながらも意を決して向き直る。


「私が、お前を守ってやるからだっ!!」


 ふー、ふー! と鼻息を荒くして。


 瞳を潤ませたシラユキは、やった。言ってやった! としたり顔だ。


 しかし。

 そんな彼女を見上げるシーナは、怪訝な表情で。


「何言ってんだ? お前」


 冷たい声音で、辛辣に。バッサリと切り捨てた。


「成る程な……分かった。俺が納得出来る根拠は提示出来ないんだな?」


 結局はそこに行き着いてしまう。

 何も言えなくて、シラユキは呻いた。


「ぅ……!」


「ああ……まぁ、そんな顔をするな。我ながら意地悪な質問だったよ」


 言いながらシラユキを押し退け、上半身を起こしたシーナは髪に付いた草を手で払う。


「この話は終わろう。大体、いくら考えたって答えは出ないんだ。これ以上時間を無駄にして、不快な思いをする必要はないだろ」


 立ち上がったシーナは、さっさと踵を返した。


「じゃ、今日は帰るよ。また明日な」


「あ……っ」


 去っていく背中に手を伸ばすが、引き止める為の言葉は見つからなかった。


 それでも。何か言わなければ。


 思考を巡らせたシラユキの脳裏に浮かんだのは、少年が必死に守ろうとしていた存在だった。


「待て、シーナ!」


 慌てて呼び止めれば、シーナは立ち止まり振り向いてくれる。


 無言で向けられた瞳は、夜闇も相まって思わずゾッとする程に冷たいものだったが……。

 構わずシラユキは尋ねる。


「最後に聞かせてくれ。その……お前と共にいた娘とお前は、既に契りを結んでいるのか?」


「……契り?」


「お前達は番なのか? と、聞いている。あの娘は、お前のものなのだろう?」


 番の意味は分からなかった。

 シーナはシラユキの真剣な表情を見て、彼女が何を言いたいのかを察した。


「外れだ。俺達は、そんな関係じゃない」


「嘘を吐くな。なぁ、シーナ。お前が本当に悩んでいるのは、同胞と敵対する事などではない。あの娘から離れる事なんじゃないのか? お前はあの娘を愛するが故に、メルティア様の手を取れずにいるのではないのか?」


 答えは沈黙だった。

 黙り込んだシーナは、ジッとシラユキを見つめている。


 シラユキは、その沈黙を肯定と受け取るべきか悩んで……。


「……あと一日」


「……なに?」


 何やら呟いたので尋ねる。

 すると彼は、シラユキをジッと見つめて。


「お前達さえ来なければ、俺はもう……何も迷わずに済んだのにな」


 またしても小さな声で何かを呟き、背を向けた。


「! お、おい待て。お前、今なんて言ったのだ? 全く聞こえなかったぞ!?」


 自慢の耳でも聞き取れない程の小さな呟き。

 胸の内を明かさぬまま、シーナは去っていった。







「これならいっそ、お前達が憎むべき敵で在ってくれた方が……こんなに苦しまずに済んだのかもしれないな」


 森の中。シラユキと別れ、帰路に着く。

 その少年の呟きは、当然……誰の耳にも届かず、


「せめて、俺だけってのはやめないか? 女神様」


 闇の中に溶けて消えた。


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