第75話 どうして俺が。

 夕刻前。

 村に戻った俺は、すぐに村の皆を集めた。


 一先ず、魔人達は暫く村の近くに滞在する事。

 彼等は、村には干渉しない。

 危害を加えない事を約束してくれた事。

 もし遭遇してしまっても、無視して欲しい事。


 彼等は調査の為に訪れ、帰還する為に必要な物資を支援をしなければならない旨は伝えた。


 しかし、その目的までは伝えれなかった。


 言える訳がない。

 俺の事を育て、見守り、愛してくれている皆。

 彼等に本当の事なんて……言えない。


 人を。女神を裏切り、魔神に協力する。


 そんな事、言える訳がなかったのだ。




 結果的に核心は濁す形になってしまい、痺れを切らした村長の一言で解散となった後。


 俺は一人、母さんの墓の前にやって来た。


「母さん、ごめん。無理だって分かってる。分かってるけどさ、聞いてくれよ。俺、どうしたら良いと思う? 教えてくれ」


 墓の前で立ち尽くし、言葉にする。

 土の下にいる母さんからの返事は当然ない。


 不意に、強く冷たい風が俺の身体を撫でた。


「なんで俺なんだ? なんで、俺なんだよ。もう、うんざりだ。ユキナは剣聖になるし、俺は魔人の言葉が分かるし……本当になんで、俺なんだ? なんでこんなに、俺に意地悪するんだ? 女神様は」


 耳鳴りが始まった。

 視界で気付く。時が、ゆっくりと流れている。


「この力だって……なんで、俺なんだよ。確かに力は望んださ。でもそれは、ただの憧れだ。こんな特別な力なんて、俺は求めてない。俺はただ、守りたかっただけなんだ。ユキナだって……そうだった筈だ。俺達は、ただ……俺はただ。この村を守りたかった。ユキナと生きて行きたかっただけなんだ」


『ブースト・アクセル』


「やめてくれ、母さん。俺は、こんなもの望んで」






「シーナ」


 名を呼ばれた途端、耳鳴りが止む。

 元の速さを取り戻した視界を背後に向ければ、そこには。


「ミーア」


「中々。帰ってこないから……探しに来たわ」


 俺と揃いの黒革の外套を羽織ったミーアが立っていた。


「多分、ここに居ると思って」


「さっき解散したばかりだろ」


「馬鹿ね。そんな身体なのに、真っ直ぐ家に戻らないなんて相当よ。辛い筈でしょ?」


 隣にやって来たミーアは、積んできたのだろう花を墓に供えてくれた。


「愚痴を聞かせるだけじゃなくて、たまには元気だよって笑顔で、花くらい供えなさい」


 最もな意見だ。

 歳下だけど。ミーアの方が俺よりずっと立派だ。


「余計なお世話だ」


「聞いたわよ? あんた、昔からこうなんだってね」


 父さんか……全く、余計な事を。


「聞かせなさいよ。あんた、何を隠してるの? さっきも重要な事は何も言わなかったじゃない」


「何も隠してない。いいから、先に帰ってろ」


 こいつ、人の気も知らないで。

 言える訳がないだろうが。


 俺は村の皆を裏切って出て行った。

 だから、今回も村の皆に相談するくらいは出来た筈だ。


 でも、先程の場で俺は言えなかった。

 他の誰でもない。お前が、ミーアが居たからだ。


「じゃあ、当てましょうか? お馬鹿さん」


 突き放すように言ったのに、ミーアは俺に抱き付いてきた。


「シーナ。あんたが何を悩んでるのかは、知らない。分からない。でも……私を置いて行くことだけは、許さないわ。私、あんたがどんな選択をしたとしても……この命がある限り、あんたの傍を離れないから」


「ミーア……」


 名前を呼ぶと、頰をすり寄せていた彼女は俺を見上げ、ジッと見つめてきた。


「あんたは私を救った。一人の女の運命を変えたの。だから、その責任は取りなさい」


「…………」


 真剣な表情だ。

 夕陽に照らされた彼女の顔は、とても美しくて……ただひたすらに、愛おしいと感じた。


 置いていけるのか? 俺は。

 こんなに俺を慕ってくれている彼女を。


「……帰るぞ」


 俺はミーアに抱き付かれたまま、帰路へと足を向けた。

 明確な答えを口にする事は出来ない。

 故に今は、はぐらかす事しか出来ない。


「ちょっとシーナ? まだ返事……」


「うるせ、分かりきってる事を聞くな」


「え? あ……う、うん。そうよね」


 少し冷たく言えば、何を勘違いしたのか、ミーアは照れ臭そうに頷いた。


 俺の腕を取って抱き直し、頭を預けてきたミーアを見下ろす。

 彼女の耳は赤く染まっていた。


 あぁ、そうだ。分かりきっている事だ。


 巻き込める訳、ないだろ。

 連れていける筈……ないだろう。


 だからこそ、悩んでいるんだろうが。


 助けを求める、メルティアの手を取る。

 それは、俺も同じ事をすると言う事だ。


 また諦める……と言う事だ。


 俺を置いて行った幼馴染と同じ。

 今度は俺が加害者になるのだ。

 彼女。ミーアとの未来を諦めるという事だ。


 だけど、それ以上に俺は……。


「……好きだから、巻き込めないんだろうが」


 今の俺には、そう呟く事しか出来なかった。







 翌朝、俺は村の皆に見送られて森へとやってきた。


 体調が整うまでと言われはしたが、こうして動いても苦痛を感じない程には回復出来ている。


 それ以上に、誰も監視せずに野放しにしておくほうが心配だ。


「ん? お前は」


 野営地に到着すると、一人の魔人……いや、異界人と言った方が良いか? に声を掛けられた。


 確か、俺の家にやって来た三人組。

 その中心に立っていた男だ。


「暫くは来ないと聞いていたが、体調は大丈夫なのか?」


ええと、確か名前は……。


「えーと……」


「そう言えば、ちゃんと名乗っていなかったか?」


「すまない。あの時は状況が状況で、覚えていない。改めて頼めないだろうか?」


「それもそうか。改めて、ガイラーク。熊人族だ」


「熊?」


「あぁ。熊はこの世界にも居るのか?」


 どうやら、俺と彼の認識に違いはないらしい。


「成る程……言われてみれば、耳と尻尾の形状が似ているな」


 ガイラークの頭部と臀部から伸びた尻尾を見る。


「そうだろう? その熊で間違いはない。改めて、よろしく頼む。シーナ」


 差し出された手は、俺の数倍はある大きさだ。

 大丈夫か? これ。潰されたりしないよな?


 でも、握らない訳にはいかない。


「あぁ、よろしく」


 結果的に、その心配は杞憂だった。

 俺の手を握った彼が、努めて優しく握っているのが分かる。


 好意的に接してくれるなら邪険にする理由はない。


「それと、先日は本当にすまなかった。出来れば、あれを理由に険悪に接さないで貰えると助かる」


「大丈夫だ。それが仕事だろう? 仕方なかったって割り切ってるよ」


 謝罪されたので、こちらも好意的な態度を見せる。


「そうか……助かる。しかし、お前。こうして改めて話してみると、案外話が分かる奴だな? 失礼を承知で言うが、あの晩のお前からはとても想像が付かん」


 ……あ。

 そういえば、こいつの首に剣を添えたんだった。

 今思えば、あれはやり過ぎだったかも。


「……なら聞くが、あの状況。あんたならどうした? あんな夜更けに、敵かもしれない相手が急に訪ねて来たんだ。それも、あんな下手な身振り手振りで降伏を促されたら……」


 ここで折れれないから、俺はまだ子供なんだろう。

 我ながら最低な質問だ。


「それもそうだ。重ねて、謝罪する。今の発言は此方の落ち度だ。我ながら考えが足りなかった」


 彼はあっさりと自らの非を認め謝罪してくれた。

 大人だ……負けだな、俺。


「それで? こんな早朝から何の用だ?」


「勿論、メルティアとの約束を果たしに来た」


 質問に答えると、彼は俺の身体を観察するように見回した。


「体調が悪いと聞いていたが?」


「別に心配される程じゃない。そうだ。良ければ、案内してくれないか? あんたの大将の所に」


「そうしたいが、すまない。今は歩哨の時間でな。俺はここを離れられない。あの奥の天幕が見えるか? あそこだ」


 大きな手が指差す先を見れば、他と比較にならない大きさの立派な天幕が見えた。


 あれがメルティアの仮住まいなのだろう。


「分かった、助かる。じゃあな」


「あぁ。くれぐれも問題は起こすなよ」


「分かってるよ」


 軽口を叩いて、野営地へ踏み入れる。


 真っ直ぐに示された天幕に向かった俺は、遠慮なく中へと入った。


「おはよう。メルティア、来たぞ……って」


 遠慮なく天幕に入った俺は、すぐに自分の無作法に気付き後悔する羽目になった。


「へっ!?」


「なっ!? お前はっ!?」


 天幕の中では、シラユキがメルティアの上着を捲り上げている所だった。


 お陰でタイミング悪く、俺は控えめ……。

 幼児体型の癖に割と膨らんだ胸を視界に入れてしまう。


 彼女の髪色と同じ、赤い布に包まれたそれ。

 幼い頃に何度か目にしたユキナに匹敵する程の白い肌は、素直に綺麗だと感じて……。


「すまない。出直す」


 俺は端的に口にして、急いで踵を返した。


 あぁ、何やってるんだ俺は。

 女性の部屋に入る時の配慮が足りていなかった。


 薬で感情が抑えられているお陰で対応を間違える事はなかったが、もし見惚れたり照れた仕草なんて見せていれば、きっと今頃大変な事に……。


「おい、逃げるでない。この馬鹿者」


 天幕から伸びて来た手が、俺の外套を掴んだ。


 見下ろせば、小さな手が外套の端をがっしりと力強く握っている。


 視線を下げれば、そこには赤い髪をした端麗な顔の少女。

 彼女。メルティアは、大きな金色の瞳で恨めしそうに見上げて来ていて。


「……見たか?」


 ただ一言。そう口にする少女。


 俺はそんな彼女に、努めて平静を装い返答した。


「……案外でかいんだな」


 俺はその瞬間、幼い頃に見た夢を一つ実現した。


『鳥さんって、良いなー! 私もあんな風に空を飛んでみたい!』


 幼い頃、そう言って笑った幼馴染の笑顔。

 懐かしい記憶を思い出しながら。







「いてて……」


「こら、動くな。お前も男なら我慢しろ」


 ホントに痛い。なんだこれ……しみるぅ……。


「元はと言えば貴様が悪いのだ。全く……ほら、これで終わりだ」


 頬に出来た擦り傷に薬品を塗り、何かベタベタする物を貼り付けてくれたシラユキは、その傷口を手荒にパチンと叩いた。


「いっっっ!?」


「それは私からの罰だ。馬鹿者」


 ふん、と鼻を鳴らしたシラユキは応急箱を片付けて立ち上がる。


 酷い。でも言い返せない。俺が悪いから。


「全く。まさか着替えを覗くとは……あの程度で済んだ事を感謝するのじゃ、この馬鹿者」


 向かいに座ったメルティアは腕と足を組んだ姿勢で、不機嫌そうな顔をしている。


 畜生。

 二人揃って馬鹿馬鹿と好き勝手言いやがって。


「だからって投げる事ないだろ。俺にはお前みたいな翼はないんだぞ」


 鳥人間になったかと思ったぞ。


「そうじゃな。ならば尚更じゃ。空を飛ぶのは初めてだったじゃろう? ありがたく思え」


「飛んでねーだろ。ぶん投げられて痛い思いをしただけだ」


「煩いのぉ。一応ちゃんと受け止めてやったじゃろうが」


「あぁ、そうだな。お陰で地面とキス出来た」


 あれのどこがちゃんとなのか。

 寧ろ、放ったままにしてくれた方がマシだったに違いない。


「確かにメルティア様は不器用だ。だが、そこが可愛いのだろうが!」


 相変わらず的外れな褒め方をする。

 そんなシラユキを見て、メルティアは顔を顰めた。


「シラユキ。お主、やはり妾を馬鹿にしとるじゃろ? そうなんじゃろ?」


 現在、彼女達の野営地は朝食の最中だ。


 周囲の者達と変わらず、俺達の座っているテーブルにも朝食が並べられている。


 硬そうな黒パンにチーズのかけら。それに香草のスープと乾燥肉。

 貧相な献立だが、彼女達曰くスープが出せるようになっただけ改善されたらしい。


 その証拠に、メルティアは真っ先に湯気の立つ碗を両手で包み、ふーふーと息を吹きかけている。


 食事は人間と大して……と言うか。 

 全く変わらないんだな。


「まぁ良い。先程の事は初犯、それも故意ではなかったと言う事で今回は目を瞑ってやる。ほれ、早く食べぬと折角のスープが冷めるぞ?」


「そう言いつつ、息を吹き掛けてスープを冷ましているのは誰だよ」


「あぁ……赤竜なのに猫舌な姫様、可愛い♡」


 メルティアは水の入った杯を掴むと、シラユキのスープに注いだ。


「あぁ!? な、何をするのですか!?」


「煩いのじゃ。さっさと済ませんか」


「あぁ……私のスープが」


 騒がしい奴等だなぁ……。


 俺は無言で目の前に用意されていた自分の碗をシラユキへ差し出した。

 途端、シラユキは潤んだ目を俺に向けた。


「良いのか?」


「気にするな。朝食は済ませてある」


「お前……良い奴だな」


 キラキラ目を輝かせて俺を見るシラユキ。

 どうやら、予期せず好感度が上がったらしい。


 彼女からの信頼はここで動き易くするには重要そうだし、結果的に良い選択が出来たようだ。


「これ、シーナ。あまりその馬鹿を甘やかすな。付け上がるだけじゃ」


 うんざりした顔で言いながら、メルティアは硬い筈の黒パンを簡単に引き千切って口に放り込む。


「んん……それで? 今日の予定は決めてあるのかの?」


「いや、特には何も」


「では、早速じゃが妾に言葉を教えてはくれんか? そうじゃのぉ……出来れば、文字を見ながら教えて欲しいのじゃ。何か簡単な書物はあるか?」


「そう言われてもな……」


 言われて考える。

 確か、爺さんが子供でも読み易い童話の本を所蔵していた筈だ。


「すまない。生憎、持ち合わせがなくてな。心当たりはあるから、明日までに用意する」


「む、そうか。では、今日はお主について教えてくれ。それと、この世界についてじゃ。知ってる範囲で構わん」


「分かった。それくらいなら構わない」


「その前に、シーナよ。体調は本当に大丈夫かの? まだ顔色が芳しくないようじゃが」


「ハッ。投げ飛ばした癖に、今更、何言ってんだ。別に心配される程じゃない」


「ぐっ……それもそうじゃ……って、まてい。あれはお主に非があるじゃろうがっ! 折角忘れてやっておったのに、まだ掘り返すか!?」


 あ、しまった。余計な事を言ってしまった。


「ばーか」


「……悪い。その節は大変申し訳なく思っている。どうか忘れてくれ」


シラユキに小馬鹿にされるが、非がこちらにあるのは事実だ。

 俺が悪い。


「メルティア様。では私は、隊の訓練を行いたいと思います。皆、こうしていても退屈でしょう。無益に時を浪費しても、身体が鈍るだけですから」


「む? そうか? しかし、皆。まだ疲労が抜けておらんじゃろう?」


「甘やかしてはいけません。一日怠ければ、取り戻すのに数日掛かります。特に今は戦時中……それも、ここは敵地です。やらせて下さい」


「……分かった。しかし、シラユキ。そうハッキリと戦時だの戦地などと言う言葉を使うな」


 メルティアはこちらを気にした様子だ。

 だがまぁ、シラユキの言う通りだろう。


「何故だ? 事実だろう。お前達が現状をどう捉えているか知らないが、少なくともこの国はお前達を相手に戦争をしているつもりだぞ? ここはお前達にとって敵地で違いない。シラユキの言う事は最もだ。備えはしておいて損はない」


「そうか……シーナがそう言ってくれるのであれば、妾が止める道理はない。好きにすると良い」


「ありがとうございます。では早速、朝食後に開始する旨を通達して参ります」


 そう告げて、まだ済んでいない朝食を置いたままシラユキは立ち上がった。

 長い白髪を揺らしながら、堂々とした足取りで去って行く。


「良い臣下を持ったな。羨ましい限りだ」


「うむ……シラユキは確かに優秀じゃ。それに関しては、否定出来んから困る」


 チーズを口に放り込みながら、メルティアは弱々しい声で呟いた。

 咀嚼し、飲み込んだ彼女は続ける。


「しかしなぁ……彼奴は、底抜けの阿呆なのじゃよ」


「そうなのか?」


「うむ……案ずるな。すぐに、お主も知る事になるじゃろう」


 確かに頭の悪い発言も目立つが、今のところ俺のシラユキの評価は高い。


 それに、馬鹿げた発言は全て、メルティアを慕うが故のものばかりな気がするが……。





 朝食後。全員を集めて整列させたシラユキは、皆の前に立って偉そうに腕を組んだ。


 ちなみに俺とメルティアは朝食を食べた席で見物中だ。

 今は、用意して貰った焼き菓子と紅茶が食卓を彩っている。


「全員居るようだな? では、これより基礎訓練を実施する。貴様等、まさか休暇と聞いて弛んでいた訳ではないだろうな?」


「はーい、絶対やると思ったので驚いてませーん!」


 周りに比べ、比較的若い魔人の男が茶化し気味に発言すると、ドッと笑いが起きた。


「ええぃ、茶化すな。静まれ」


 シラユキの一言で、笑い声はすぐに収まった。

 見れば、皆。真剣な表情でシラユキを見つめていた。


 凄まじい気迫を感じる。

 うちの何人かが、俺を睨んでいるのが気になった。


「まずは基本中の基本。基礎体力向上運動だ。まずは野営地を二十週。本日はメルティア様も観覧して下さっているからな。皆、気を引き締めて臨むように」


「! じゃ、じゃあ……遂にあれをやるのか?」


 列の一人に尋ねられたシラユキは、キランと目を輝かせた。


「無論だ。それに皆、知っての通り……本日はメルティア様だけではなくもう一人客人を迎えている。この際だ。我々がどういう存在なのか、奴にもよく理解して貰うとしよう」


 俺を一瞥し、宣言するシラユキ。

 やはり凄まじい気迫だ。

 随分と意識されているらしい。


「えー、ホントにやるの?」

「メルティア様を怒らせたら恐いぞー?」

「私、やめといた方が良いと思うけど……」


 数名から口々に不満の声が上がるが、シラユキは気にした様子はない。

 寧ろ、毅然とした立ち姿で聞き流している。


「おい、なんかするらしいぞ? 良いのか?」


「む? 何かとはなんじゃ? ただ全員で走るだけじゃろう?」


 なんだか嫌な予感がして尋ねるが、優雅に紅茶を嗜んでいたメルティアは小首を傾げるだけだった。

 

 大丈夫かなぁ。


「ええい黙れ! 話は以上だ。では、二列で整列! これより、訓練終了まで駆け足で移動しろ!」


 シラユキの統制で二列に並んだ者達は、傍に一人出たシラユキの合図で走り出した。


 本当に走るだけなのか。

 なんだ。何も心配する事無かったな。


 そう考え、俺も折角出されているのだからと紅茶を手に取り、口にした時だった。



「せーのっ! 我らの!」

「「「我らの!!」」」

「偉大で!」

「「「偉大で!」」」

「とっても!」

「「「とっても!!」」」

「可愛いー!」

「「「可愛いー!!」」」

「主は!」

「「「主は!」」」

「メール、メール、メルメル」

「「「ティーア!!!」」」

「メール、メール、メルメル!?」

「「「ティーア!!!」」」





「ぶふ……っ!?」


 俺は聞こえて来た大音声に、思わず口にしていた紅茶を噴き出してしまった。

 なんだその掛け声は!


「ゴホッ……コホッ……」


 不甲斐無く咽せる俺。

 しかし、耳に届く音は鳴り止むどころか更に強く響く。



「我等は!!」

「「「我等は!!」」」

「誇りー!」

「「「誇りー!」」」

「高きー!」

「「「高きー!!」」」

「赤竜!」

「「「赤竜!!」」」

「直属!!」

「「「直属!!!」」」

「部隊ー!」

「「「部隊ー!!」」」

「我等の!」

「「「我等の!」」」

「愛する!」

「「「愛する!」」」

「主の!!」

「「「主の!」」」

「名前は!?」

「「「名前はー!!」」」

「めーるめーるめるめる」

「「「てぃーあっ!!!」」」

「めーるめーる……めるめるっ!?」

「「「てぃーあっ!!!」」」



 俺は恐る恐る、向かいに座る赤髪の少女へ目を向けた。


 彼女は、既に手にしていたティーカップを取り落とし、わなわな……と小さな肩を震わせていた。


 それは、先程から大声で名前を呼ばれている。


 今、大声で叫びながら走っている集団の主。

 ご本人で。


「えーと……」


 俺は、走っている集団を指差して口にした。


「止めなくて良いのか?」


「こ、こここ……この。こ、この……馬鹿者達がぁぁああっ!!?」


 真っ赤な顔で立ち上がったメルティアは、大声で叫んだ。


「なんじゃ、それはぁ!? やめんかぁぁあ!!」


 やはり恥ずかしかったらしい。


 まぁ、そうだよな?

 もし仮に自分が同じ目に遭ったら……そう思うだけで寒気がする。

 あれは恥ずかしい。


「やべ!? おい隊長!? やっぱり怒ったぞ!?」


「だからやめようって言ったじゃない!!」


「む? おかしいな……メルティア様なら喜んでくださると思っていたのだが」


 不思議そうな顔で、シラユキが言っている。

 あいつ、本当にアホだったんだな。


「しぃぃ、らぁぁあ、ゆぅぅぅ、きぃぃぃ!?」


 地の底から響くような声がした。

 見れば、メルティアは長い赤髪を宙にゆらゆらと揺らしている。

 大変ご立腹な様子だ。


「……!? 散開! 各人、健闘を祈る!!」


 言い放ち、一人だけ列を離れていたシラユキはさっさと逃げ出した。

 やっぱり、凄い足速いな。あいつ。

 もうあんな遠くにいるよ。


 そんな彼女を睨んで。

 漆黒の翼を広げたメルティアは、二つに結った長い真紅の髪を靡かせていた。


「またんかぁぁぁあ!?」


 メルティアが羽ばたいた。

 途端。凄まじい風圧が巻き起こり、彼女はまるで弓矢のような速度で飛んで行く。


 お陰で食卓共々吹き飛ばされ、椅子に座ったまま後頭部を強打した俺は、必然的に空を見上げる格好になった。

 痛い。


「ちょっ!? 自分だけ真っ先に逃げるとかどんな神経してんだっ!!」

「サイテー! サイテーの隊長よっ!!」


「煩い! これも訓練の一環。捕まるような根性無しは昼食抜きだ!! 全員、心して掛かれっ!」


「ならお主は夕食も抜きだなぁ!? しらゆき〜ぃ!!」


 青い空。流れる雲は多少あるが、良い天気だ。

 本当に、良い天気だな。今日は。


「なんか、平和だな……」


 まさか、これ程に何もないとは思わなかった。

 俺は何故、奴等を敵だと思っていたのだろう?


 俺が人間だから。それが、常識だから。


 この愉快な連中は、異世界から人類を滅ぼし、この世界を侵略する為にやって来たと信じていた。


「……馬鹿馬鹿しい」


 俺は腕で眩しい光を遮りながら呟いた。


 本当に、馬鹿馬鹿しい。

 馬鹿馬鹿しいったら、ありゃしない。


「なぁ。なんであんたは、俺を選んだ? 女神エリナ」


 こんな愉快な連中を打ち滅ぼす為、今も何処かで戦っている女の子を俺は知っている。


 本当に彼女は、必要だったのか? 

 剣聖は、勇者は……。

 英雄ってのは、本当に必要な存在なのか、疑わしく思えている。


 メルティア。

 彼女の両親を殺した女の子は、俺の幼馴染で。


 今。向こうで馬鹿騒ぎをしている連中は、俺から婚約者を奪った……本来憎むべき相手のはずで。


「俺はどうしたら良い? なぁ……誰か。誰か、教えてくれよ」


 ずっと考えているのに、答えは出なかった。

 考えれば考える程、頭の中がグチャグチャになる。


 だが、一つだけ確信はあった。


 それは、もし。 

 もし仮に、メルティアの手を取る。


 その決断をした場合……。

 それは、英雄となったユキナと分かち、もう二度と交わらないと決めた道。

 それを、もう一度。自ら捻じ曲げ、交わる覚悟をする行為であると言う事実。


 彼女の手を取れば、亡くした父の後を継いだらしいメルティアの進む先には、いずれ。


 彼女が、必ず立ち塞がって来るはずだ。


「剣聖ユキナ……と、勇者」


 彼女に剣を向けられる覚悟なんて、ある訳ない。


 俺は英雄にはなれない。

 なりたいとも、思わない。


 ユキナを失った時点で……俺はただ一人の冒険者として、それなりに幸せになれれば良い。


「くそ……」


 心から、そう望んでいただけなのに。



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