第74話 愛情の刃。

 遠い辺境の地で、とある少年が敵である筈の少女に手を差し出されている頃。


 王都は、年に一度の大祭日を迎えていた。


 国王の生誕祭である。

 王城では、城下に住む民達は勿論。この日の為にと訪れた国民達が集まり、歓声を上げていた。


 そんな民達が見上げる先に佇む、本日の主役。


 国王陛下は、贅の限りを尽くした衣装を身に纏い、眼下に集った国民達に手を振って見せていた。


「ユキナ」


 そんな国王を他の民の様に歓声などは上げず、王城のバルコニーを利用した観覧席から見上げていた銀髪の少女は、背後から呼ばれた声に振り返った。


「シスル様」


 やって来たのは、金髪の青年だった。


「遅れてしまって悪いね。少し、野暮用を済ませていたものだから」


「そうなのですね。ご心配なく、式は始まっておりませんから」


 ユキナは、隣に用意された椅子に腰掛けながら苦笑する金髪の美青年へ障りのない言葉を発した。


「みたいだね、間に合って良かったよ。それにしても……ユキナ。今日は一段と美しいね」


 青年の言う通り、今のユキナは誰が見ても思わず溜息を吐いてしまう程に美しい。


 結い上げられた長い銀髪、その髪がよく映える様にと選ばれた深い藍色のドレス。

 化粧を施された小顔は、彼女の持つ大きな瞳をより美しく映えさせている。


 これ程に美しい少女は、広い王国中を探しても数える程しか存在しないだろう。


「そうですか……お褒めの言葉、大変嬉しく思います」


 しかし、当の本人は強張った表情をしていた。


 青年も王国では指折りの美青年。そんな彼が式典の為にと着飾った姿でそんな言葉を口にしているにも関わらず、だ。


 【勇者】


 世の女性達にとって、憧れの存在。

 自身にとっては将来を約束された相手からの褒め言葉を聞いても、ユキナの心は晴れない。


「あらあら……他にも華はありますのに見向きもしないとは。シスル様は随分とユキナにご執心なご様子ですね」


「ん……シスル様。私達にも何か言うことある」


「あはは、ごめんごめん。そんなつもりはなかったんだ。二人共、凄く綺麗だよ。眩しくて目が潰れてしまいそうだ」


 苦言を呈した二人の女性に笑みを向け、シスルは甘い言葉を掛けた。

 その言葉通り、二人も花と評するに相応しい。


 賢者のルナと弓帝のルキアだ。


 剣聖ユキナと同様に、女神エリナから特別な寵愛と力を授けられた少女達である。


「ただ中でも、ユキナは随分と気合が入っていると感じたんだよ」


「そうですね。言われてみれば、世話役の侍女達が随分と張り切っていた様子でした。ユキナ、何か心当たりはありますか?」


「はい……実は」


「皆の者、静粛に。静粛に!」


 ルナに促され、隠す事でもないとユキナが口を開こうとした時……大声が響いた。


 その声に視線を向ければ、国王と同じバルコニーから宰相ハレシオンが顔を覗かせる。


 静まり返った場で、「ごほん」と咳をして見せたハレシオンは、宣言した。


「それでは、これより……」


 こうなると、話の続きをする事は叶わない。


 幾ら女神に選ばれた英雄とは言え、式典開幕の挨拶を行うハレシオンを四人は姿勢を正して見つめる。


 しかし、そんな中……その筆頭、勇者シスルだけは真剣な表情をしているユキナを盗み見て。


(危ない危ない……ルナもルキアも賢いからなぁ)


 一人、胸を撫で下ろし笑みを浮かべていた。








「ユキナ様、そろそろ……」


「あ……はい。畏まりました。行きます」


 滞りなく式典が執り行われる最中、背後からメイドに呼ばれたユキナは返事を返し立ち上がった。


「ん? どうしたんだい? ユキナ」


 式典の最中。突然の離席に、シスルが訝しげな表情を浮かべる。

 ユキナは眉を伏せ、丁寧に説明しようと頭を働かせた。


「申し訳ありません、シスル様。実は……その。私、皆様にお伝えしなければならない事があるのです。その事を宰相様に相談したところ、ご好意を頂きまして、この場を借りさせて頂く事になっていまして」


「なんだい? それ。僕、聞いてないんだけど」


 シスルは、当然の如く不満げな顔を浮かべる。

 これにはユキナも参って、深々と頭を下げた。


「申し訳ありません……」


 誠意の姿勢を見て、シスルは式典中と言うこともあり、それ以上の追及はしない態度を見せる。


「んー。まぁ、分かったよ。今後気を付けてくれれば良いから。でも、今度からは何かあれば、一番に僕に相談する事。良いね?」


「はい。以後、気を付けます。では、行って参ります」


 バルコニーから出て行くユキナ。

 その背を見送りながら、ルナは訝しんだ。


(伝えなければならない事? 何かしら……? 何か、凄く嫌な予感がするわね……)


「ルナ……なんか、私。ここが、ざわざわする」


 ルナは、隣に座る黒髪の少女の呟きに気付いた。


 見ればルキアは小さな手を胸元に添え、眉を寄せている。


「……奇遇ね。私もなんだか、嫌な予感がするわ」


 なんだか、凄く嫌な予感が胸中を過った。




 二人の予想通り、その式典の最中。

 剣聖ユキナ・ローレンは国民に向け、とある宣言を行った。


 その後、彼女を養女として迎え入れたローレン侯爵家からの声明もある。


 これにより、剣聖ユキナはローレン公爵家の血を引く正当な後継者の一人であると明かされた。


 高貴な血を引いているにも関わらず、赤子の彼女は生みの親から引き離され、本来得られた多くを欠落したまま……辺境の小さな村で苦労の末に成り上がった。


 そんな悲劇の英雄の誕生秘話に民達は涙した。


 同時に、怒り狂った。


 そして、そんな民達の心を代弁する為。女神エリナの名の下に神罰を下す事が決まる。


 断罪の対象は無論、彼女を攫って育てた両親……だけではない。


  民達に見送られ、王都を出立した騎士達。

 彼等に科された任。それは、彼女の生まれ育った小さな村……そのものであった。


 神に仇為す、異端の徒。

 辺境の小さな村は、粛清される事になったのだ。


「女神エリナよ……罪深くも卑しい私達をお許し下さい」


 もうすぐ卒業間近の若き教え子達を引き連れ、民達の歓声を背にしながら先頭に立つ老騎士は、手にした魔法の水晶を見つめながら呟く。


「あの子……なんて事を……っ!」


「ん。まさか、ここまで馬鹿だとは思わなかった」


 バルコニーに立つユキナを見上げながら、驚きのあまり口を半開きにしていたルナとルキアは呆れ返り、同時に諦めていた。

 ルナなんて、激しい怒りすら覚えている。


「くふ……ぷっ」


(さぁて、面白くなって来たね……ユキナ。さぁさぁ、シーナくん。君の幼馴染は……元恋人は、取り返しのつかない事をしてしまったよ? 君達の未来を奪ってしまった僕が言うのもなんだけど、せめて尻拭いくらいはさせてあげよう)


 ずっと笑いを堪えていたシスルは立ち上がる。

 勇者として、正しい行いをする為に。


「二人共、行くよ」


「はい? シスル様、どちらに?」


「決まってるだろう。これは流石にやり過ぎだ。ユキナは騙されているに違いない。今ならまだ、止められるかもしれないだろう?」


 シスルは、自分の言葉に二人が驚いた表情をしたのを見て、内心苦笑する。


(ふふ。しかし、宰相殿には感謝しないとね。この状況は、僕にとっては都合が良い事ばかりだから)


  この状況にシスルが喜んでいるのは、シーナと言う少年の器を測る機会を得ただけではない。


 前々から煩わしかった様々な問題を解決出来る口上を得たからでもある。


(ありがとう、ユキナ。お陰で僕は退屈せずに済みそうだ)


 顔に張り付けた勇者としての善人の仮面。

 その裏で、彼は嗤った。









 民達に見送られ、去っていく騎士達の背中。

 その背を同じく見送りながら、ユキナは溜息を吐いていた。


 特に先頭を征く老騎士は、ユキナに戦い方を教えてくれた師でもある。

 随分と扱かれたので恐れもあるが、信頼出来る人物だ。


(苦しかったけど、良かった。終わった……これで、これでやっと会える。後は、待つだけでいい……パパとママが、来てくれる。傍に居てくれるようになる)


 眼前を見下ろせば、民達は騎士達に大声を張っていた。


「吊るせ!」「必ず神罰を!」「頼みましたよ!」


 そんな怨嗟の声が聞こえてくる。

 それを聞くと。もし本当に両親が、そんな目にあったらどうしようと不安になった。


「はぁ……はぁ……」


 城下前に吊るされた両親に、民達が罵声を浴びせながら石を投げる。


 そんな光景をつい想像してしまい、ユキナは締め付けるような痛みを感じて胸に手を添えた。


(大丈夫……皆、分かってない。騙されてる、だけ……パパとママがそんな目に遭うわけない。だって二人は、私を育ててくれた。愛してくれた……剣聖の本当の生みの親だもん)


 周りに気付かれないように小さく頭を振り、悪い想像を掻き消す。


(それに、先生は約束してくれた。シーナも、連れて来てくれるって)


 数日前。夜中に寝付けなくて寝室を抜け出し、素振りをしていた時を思い出す。

 偶然通り掛かった老騎士は、ユキナに約束してくれた。


『そうだ。もう一つ良い知らせがある。実は、君の両親は勿論。帰りにセリーヌに立ち寄って、君の幼馴染も連れてくる予定なんだ』


 老騎士曰く、シーナは先日。自由ギルドという組織に乗り込んで捕虜を解放し、生還した事が高く評価されているらしい。


 言われてみれば、まだ齢十六の少年。

 それも、ユキナと同じ境遇で育った村人。

 大した訓練も受けていない少年が、あげるには、とんでもない功績だ。


 しかし、真実では無いと疑う者はいなかった。


 それは何故か?


(ふふふ……そうだよね。シーナも、特別なんだもん。私と、同じ。女神様に選ばれてるんだから……一人だけ放って置かれる訳、ないよね)


 後ろ向きに考えたり、悪い想像をすると胸が苦しくなる。


 それをよく知っている彼女は、まだ成人する前。優しかった幼馴染に想いを馳せながら口角を上げる。


(やっぱり、シーナは特別な人だった。凄い人だった。もう……誰にも疑わせたりしない。王都に来たら、これまでより、ずっと。一杯……っ!)


 老騎士の言葉を聞いた時から、ユキナは決意していた。


 女神に見出され、剣聖として。貴族の淑女としての教育を受けている最中。どうにかしてシーナを傍に置きたいと考え、発し続けた幼馴染自慢。


(実際のシーナが居れば、すぐに皆認めてくれる筈……ううん。認めざる得ない筈だよね。だって、シーナは。シーナは……本当に凄い人だから)


 密かに握った拳に力が入る。


(本当に私の傍に居るべき人が、誰なのか)


 ユキナは信じていた。

 幼馴染のシーナは勿論、そんな彼を今の自分が背を押せば、すぐに誰もが認める筈だと。


 剣聖ユキナには、優秀な幼馴染の剣士シーナ。

 彼こそ、必要な人なのだと。


(そう……だから。今、私が心配しなきゃいけないのは、優しくて強くて格好良くて、最高の男の子なシーナに、変な虫が付かないように……)


 勿論、流石のユキナもすぐにシーナに会えるとは思っていない。

 彼には、更に高みを目指す為の教育が施されるだろう。

 離れ離れの期間は必ず生まれる。


 そう考えると、両親が来てくれる。

 その期待以上に、不安も感じてしまって。


(絶対、そんなの許さないんだから。シーナ、忘れてないよね? 大きくなったら、大人になったら結婚しようねって、私……言ったもんね? 約束、したもんね? 私……私達、遠回りしちゃったけど。一度は、折れてしまったけど……やっぱり私、諦められない。諦めない、から。だって、私は悪くない。私は、シーナの事を忘れた事なんてない。ずっと私……大好きなシーナ一筋なんだから。沢山無くしちゃった私だけど……この気持ちだけは、心だけは、誰にも奪わせたりしないんだから)


 胸に添えた手を握って、ユキナは目尻に涙を浮かべた。


(ふふ……愚かで、扱い易い。君は素晴らしい。本当に素晴らしいよ、ユキナ。私にとって、理想の剣聖だ)


 剣聖ユキナと同じバルコニーで。

 酒杯を手にした宰相は、目蓋を閉じて幼馴染に想いを馳せる少女に杯を捧げ、一息で飲み干した。


「シーナ……大好きだよ」


 権威者に利用され続ける少女。


 そんな少女が抜き放った刃が、彼女が最も恋い焦がれる少年に向けられた。


 自由に生きて、幸せになる。

 そう誓った少年は、今。試されようとしていた。



 同じ神を信仰する人類か。

 それとめ、異界からやって来た敵……魔人か。


 どちらを選び、戦い抜くのかを。


 剣聖の幼馴染。

 女神に寵愛され、唯一の力を与えられた存在。


 そんな彼に、関わらないという選択肢が与えられている訳がないのだから。


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