第73話 思い出の地で。

 野営地での茶会の後。

 魔人の二人からの提案で湖にやって来た。


 村にとって貴重な水源なので、こちらとしても都合が良い。


 俺はメルティアに湖を利用する注意と、訪れる村の皆にくれぐれも配慮して貰えるよう願った。


 湖のほとりで説明を終えた俺は、手で水を掬って顔を洗う。


「それで、じゃ。シーナ。考えては貰えんかの?」


 背後から掛けられた声に、袖で適当に顔を拭ってから振り返る。


「他に知りたい事があれば、なんでも答えよう。妾は、この無益な争いを終わらせたい。本当にそれだけなのじゃ。そして叶うならば、この世界の住人と良好な関係を築ければ良いと願っておる」


 そう口にするメルティアの顔は真剣だ。

 まるで、自身の熱意を伝えようと必死になっているように見えた。


「その為にも、妾にはお主が必要じゃ。この世界の住人でありながら、妾達の解する者。シーナ。お主は、妾にとって唯一の希望なのじゃ」


「……俺に、同族を裏切れ、と?」


 呟くと、メルディアは表情を曇らせた。


 ……少し意地悪だったな。反省しよう。


「なにも裏切れと言っている訳ではない。お前もそれは分かっているだろう?」


 シラユキに言われて、俺は湖を見た。

 水面に写る自分の顔は、虚な瞳をしていた。


「……戦争を、回避する。か」


「そうだ。メルティア様はただ、終わらせたいだけだ。それはお前も……この世界の住人も望んでいる事ではないのか?」


 終わらせたい、か。

 その為に戦っている女を、俺はよく知っていた。


「勿論、分かっている。すまなかった」


 立ち上がり、俺は改めてメルティアに向き直る。

 自分の手に胸を当て、俺は告げた。


 もう、心は決まっている。


「俺は昨晩、お前に負けた。だから好きにしろよ」


 また、メルティアの表情が曇った。

 本当に申し訳なさそうに眉を下げている。


「そう言うな、シーナ。昨晩の不遜な言動については改めて謝罪しよう。その、嬉しくてな。本当に嬉しくて……少々、舞い上がってしまったのじゃ。許しておくれ」


 言って、メルティアは深々と頭を下げた。


 その表情、声音、姿は切実だった。

 彼女の誠意を肌で感じた俺は驚く。


 権力者から頭を下げられる経験は、初めてだ。


「なんだよ。好きにしろって言ってるだろ。ただ、約束して欲しい。俺以外の……人間には、とは言わない。せめて村の皆には」


 メルティアは腰を折ったまま、顔を上げた。


「それは勿論じゃ。必ず、誰一人傷付けない。傷付けさせないと誓う! だから、どうか信じて欲しい。妾は、お主に心から力を貸して欲しいのじゃ」


 小さな肩を震わせて、メルティアは本当に辛そうな表情をしていた。

 金色の瞳が、涙で潤んでいる。


 目を伏せた彼女は、続けた。


「妾は、見ての通り。まだまだ未熟者じゃ。父上と母上を亡くし、本来。学ぶ筈だった多くを欠いたまま、現当主として在らねばならんくなった。そんな妾だからこそ……」


 彼女の言わんとしている事は分かる。

 昨晩も、ミーアが危うく命を落とす所だった出来事がある。

 ここに来た時も、敵意のある目を多くの者に向けられた。

 

 それは、彼女の統制がまだ上手くいっていない何より証拠なのだろう。


 ……魔人には、この世界に馴染みたいと考える者ばかりではないのだ。


 既に敵意を向け、牙を研ぐ者も多く存在しているのだろう。


「頼む。どうか取って欲しい。妾の手を……妾は、お主に自らの意思で妾の下に来ると言って欲しいのじゃ。数少ない妾の理解者の一人にになって欲しいと、願っておるのじゃよ」


「俺の意思で、か」


 それを聞いて、俺の脳裏に浮かんだ記憶。


 泣き叫び、こちらに手を伸ばしながらも連れ去られたユキナの姿だった。


 剣聖である彼女は、人類の為に戦う道を選べなかった。


 しかし、唯一彼女達と対話が出来る俺には、選ぶ権利が与えられている。


 ……全く、可笑しな話だな。


「少し、時間を貰えないか?」


「時間?」


「あぁ。俺はあんたの事をよく知らない。だから、暫くここに留まって欲しい」


 見極めよう。時間を使って。

 この美しい少女が、俺が力を貸すに足る存在かどうか。


「勿論。それは構わんが……」


「答えは必ず、数日中に返す。その間、俺は毎朝ここに通い、夕暮れまでお前や他の者と過ごす。俺達に今、必要なのは時間だ。そう思わないか?」


「……! そう……じゃな。お主の言う通りじゃ」


 前向きな俺の返答に、メルティアは少しだけ顔を綻ばせた。

 しかし。本当に可愛いな……こいつ。


「シーナ。私もそれには異論はない。しかし、そうなると問題がある」


 凛とした声に、俺は視線を向ける。


「なんだ?」


 尋ね返すと、メルティアは不満げな目をシラユキに向けた。


「シラユキ。折角話が上手く行きそうなのに、余計な口を挟むでない」


「いえ、メルティア様。これは必要な事です。発言の許可を下さい」


 そんな怒りの声を上げたメルティアだが、彼女はシラユキの真剣な表情を見て口を噤む。


「シーナ。昨晩も聞いたと思うが、我々は今。深刻な物資不足に悩まされている。特に食糧は持って二日ほどだろう。その点については、支援を貰わなければ困る」


 ……当然の要求だな。

 何を言い出すかと思って身構えたのが馬鹿みたいだ。


「分かった。村に戻ったら相談する。けど、うちの村も食べ物については森の恵みが頼りなんだ」


「そうか……では知識をくれ。どうも勝手が違うようなのでな。全く分からんから、手を出さないようにしていたのだ」


 成る程、やはり生態系が違うのか。

 当然だな。新大陸から来た化け物は、こちらの世界でも度々話題になっている。


「分かった。その辺は今日のうちに教えるよ。必要なら狩りにも参加する。他に必要な物があれば、遠慮なく言ってくれ」


「すまん、助かる」


「いや、当然の要求だ。こちらこそ悪かった。配慮が足りなかったよ」


 こいつは本当に話していて楽だな。


 現状。一番信頼出来るのは彼女、シラユキだろう。


 昨晩は喚き声が煩い犬っころだと思っていたが……認識を改めるには充分過ぎる。


 彼女は間違いなく、優秀だ。


「し、しらゆき? どうしたのじゃ? 何故そんな急に賢く……!? わ、悪い物でも口にしたか? それとも頭でも打ったか……?」


「メルティア様。お忘れなようですが、私は元々優秀です。全く、失礼な」


「! よ、良かった! 馬鹿なシラユキのままなのじゃ!」


「どういう意味ですかっ!?」


 なんの躊躇いもなく自分で優秀とか言っちゃう辺りは、少し残念だが。


「話は纏ったな。では早速、俺に聞きたい事があれば聞くぞ?」


 俺の言葉に、睨み合っていた二人はこちらを見て、もう一度顔を見合わせてから。


「こほん……そうじゃな。この馬鹿と言い争っている時間など無駄じゃ。ではシーナ。お主には色々と聞きたい事がある」


「なんだ?」


「その、じゃな。まずは……お主は、そね。妾達が恐くないのか? ちゃんと妾達を敵としてではなく、同じ人として扱って貰えるか?」


 言われて、俺は言葉に詰まった。

 難しい質問だ。


 俺は、改めてメルティアを観察する。


 小柄で、可愛らしい外見。

 特に眩しい程に綺麗な赤髪と金色の瞳……白い肌には目が吸い寄せられる。


 しかし、だ。それだけならまだ良い。

 彼女は明らかに俺と……俺の知る人とは違う。


 頭に二本ある黒い角、蝙蝠のような黒い翼。

 蜥蜴を思わせる赤い尻尾。


 小さな桜色の唇から覗く牙は、まだ個性として目を瞑れる、が。

 

 正直、難しいというのが本音だ。


「……俺は嘘が嫌いだからハッキリ言わせて貰う。それは無理だな」


「っ! そ、そうか」


 悲しそうに、メルティアは目を伏せた。


「だが、約束する。だからと言って俺は、あんたを恐れたりはしない」


 はっきりと口にすれば、メルティアの表情が輝いた。


「それは本当か?」


「あぁ。だから、あとはあんた次第だ。俺が頷くかどうか……それは。あんたの今後の言動から、見極めさせて貰う」


「そうか……! うむ! ありがとうっ!」


 嬉しそうなメルティアを見て、俺は肩を竦めた。


 実際、恐怖は感じない。

 それは、戦う為に捨て去った感情なのだから。


 けど。結構可愛い奴だな、とは思った。




「ところで、話が纏まったなら早速、私と手合わせをしないか? シーナ」


「は?」


 突然、突拍子もない事を言い出したシラユキを見る。

 すると彼女は不思議そうな顔で、


「なんだ? 分かるだろう? ほら、折角丁度良い場所に来てるわけじゃないか。まずは互いをよく知る為にも、剣で語ろうではないか。剣士らしくな!」


 シラユキは本当に良い笑顔で、腰の剣に手を伸ばした。


 輝く瞳。紅潮した頰。荒い鼻息。

 それらが、彼女がどれほど本気なのかを嫌と言うほど伝えてくれた。


 俺はシラユキを指差して、メルティアの瞳を見つめる。


「なんとかしてくれ」


「うむ……すまん。こら、シラユキ。お主も見ていたじゃろう。昨晩のシーナを。この馬鹿者が」


 すると。メルティアは腕を組み、分かり易く怒った顔を浮かべた。


 そんな彼女にシラユキは不満げな顔を向ける。


「メルティア様! そうは言っても……メルティア様だけずるいです! こいつの常軌を逸した速さを私も経験したいのですよ!」


「分かっとるよ、シラユキ。気持ちは分かる」


「は?」


 うんうん、とメルティアは頷いた。


 気持ちは分かる? 

 いや、待て待て。理解を示すな。


 お前、仲良く平和な世界を目指してるんだろ?

 なら止めろよ。暴力反対。


「しかしな、シラユキ。シーナの昨晩の様子を見る限り……なぁ? シーナ。お主、何処か負傷しておるじゃろう? それも、ここ最近な」


「なに? そうなのか?」


「…………」


 認めれば、シラユキは諦めてくれるだろう。

 だが、下手に弱味を見せるのは悪手な気がする。


 うーん。どう答えようか。


「隠さずとも良い。あれ程の速度で激しく動けば疲弊はするじゃろうが、あの短時間。それも己の力の反動にしてはやり過ぎじゃ。それに……先程から思っておったが、お主。顔色が悪いぞ?」


 メルティアは近くまで歩み寄ってくると、俺をジッと見上げて来た。


「申し訳ない限りじゃが、現状。妾達の食糧不足は深刻な問題じゃ。故に、今日はもう少し頑張って貰わねばならんが……それが終わり次第。今日は帰れ。明日も無理して来て貰わんで良い。次に来る時は、もう少し顔色が良くなってからで構わぬ」


「むぅ……言われてみれば。すまない、気付かなかった」


 ……あれ? 

 なんか、普通に心配されてるんだけど。


「妾の手を取るにしても、その身体で同行するのは辛いじゃろう。そうなると……暫くと言わず、この地に留まらなければならんな」


「幸い、食糧事情さえ解決すれば冬越えの支度もあります。皆、長旅で疲れも溜まっているでしょうし……久々の休暇と考えましょう」


「そうじゃな。妾達も暫く、のーんびりするか」


 ……あれ?


 良いのか、これ? 

 俺一応、腹を括って来たんだけど。


「ではシーナ、手早く済ませようか」


 俺は、腰に手を当てて胸を張るシラユキを見て。


「……分かった」


 彼女達になら、手を貸して良いのかもしれない。

 既に、そんな事を考え始めていた。









次回は皆が大好きなユキナ回です。



嬉しいでしょう?


嬉しいって言いなさい。



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